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2011年03月15日



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東京DAY5 :パニック突入 (原発関係の過去記事も)



東京の品不足状況はそろそろ究極的になっており、このことに関しては夜にでもまた書こうと思います。多分、この後、午後3時くらいから停電になると思いますので、昔書いていたブログの2年ほど前の記事に、わりと参考になる図を掲載していたことを思い出しましたので、転載しておきます。

ただ、これは当時、「戦争で原発がピンポイントで攻撃された場合」を想定して書いたもので、また、私が東京に住んでいるので、東海方面のの原発を想定しています。まさか、マグニチュード9などという非現実的な地震で、このことを思い出すことになるとは思いませんでした。

いろいろなことは今晩か、明日に書ければ書きたいと思います。
なんだか、生と死の真意を「死んで確かめる」という状況も近くなってきたみたいで、書けるだけ書きますね。

多少ストレスを感じていますが、それはみんな同じですので。

昨日、子どもが、「地震はね、地球が生きているから起きるんだよ」と言いました。

「ああ、そんなことを思っているとはすごいなあ」と感じました。私は「宇宙全体が生き物だ」と考えていますので、親子でわりと似たようなこと考えていたのだと思うと、それはちょっと嬉しかったですね。

では、ここから過去記事の抜粋です。
笑い系の表現も多く、どうしようかなと思ったんですが、編集している時間がないですので、そのまま転載いたします。

(ここから転載)



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タグ:原発 3.11



  


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ふと目覚めました。
1年だか2年くらい前もよくあったのですが、最近また眠っている時も考えているようで、それで目覚めます。起きていても眠っていても、考えのほうは同じように続いているようです。

時間が早朝で、多分もうすぐ停電ですので、短く書きます。

先日書いた記事の最後の方に、「日本人の意味」というものについてふれて、その具体的なことについては、その全体について文字で書きようがないことだと思うのですが、表面的にあらわれていることのひとつに「日本語」というものがあると私は思っています。

私は日本語だけで育ってきて、他にネイティブで理解できる言語がないのですが、もしふたつ以上の言語をネイティブで理解できる方なら、「日本語の異常さ」というものには気付いてらっしゃると思います。

それは、会話における主語の欠落から始まって、場合によっては、目的語も何もかも欠落する言語。

レジのないような店で買い物をする時に、

「私にそのトマトを売って下さい」

という言い方をする人はあまりいないと思われます。

「これ下さい」

というようになると思います。

まあ、これくらいまでなら他の言語でも見られることですが、これが知り合い同士や日常に拡大すると、日本語は野放図になります。

たとえば、入院か何かしていて、そこに予想していたなかったような昔の知り合いかなんかがお見舞い品をもってやってくる。

そこで、

「私はあなたに会えて嬉しいし、こんなお見舞い品をもらったことに大変に感謝しています」

と「正確に気持ちを伝えて」は、むしろ冷たい感じがしてしまいます。
まあ、言い方に決まったものなどなくても、たとえば、私らのような中年の男性なら、


「あー!、来てくれたの? これはもうなんというか、いやいやいやいや」


というような極めて曖昧な言い方になると思いますが、相手に感情は伝わっていると思います。


このような感情の伝えかたをする言語というものは決して多くはないと考えています。

昔・・・、高校生の頃ですから本当に昔ですが、山本七平という作家の戦争体験の本(「私の中の日本軍」か「ある異常体験者の偏見」かどちらか)を読んだ時に、「日本語では戦争はできない」という記述がありました。戦争では、主語、目的語、時間等がきわめて厳密に伝達される必要がありますが普通の会話の日本語ではそれをなしえないために、「軍隊語」というものが使われるようになりました。

軍隊語というとアレですが、今でいうと、街頭での演説などがそうです。

「我々は ○○のために ○○に対して ○○をするのだ!」

と言うもの。
これが軍隊語です。
主語、目的語、対象などがすべて入っている。

しかし、おわかりのように、これは日本語ですが、本来の日本語ではありません。


よく口頭での日本語に出てくる「まあ、それはアレよね」とか、「まあ、それはなんつーか、アレなんじゃないかな」という言い方では戦争の作戦はもちろん、「左脳的に展開するすべてのことはできない」らしいのです。


それだけに、これだけで意志を疎通させて、社会を成り立たせることのできる能力に私たちは驚くべきだと思うのです。
自慢をするとか誇りに思うのではなく、改めて驚いて、そして、この曖昧な言い方を楽しめばいいのだと思うのです。


主語もない、目的語もない言葉でコミュニケーションが成り立っているということは、これは「超能力」以外のなにものでもない。

テレパシーという言葉がありますが、それは何だか大変な能力のように感じますが、私たちは言葉ですでにそれを達成している。

もちろん、地球上のすべての人類は目や表情でそれをおこなっています。
なので、全人類が持つ能力ではあるのですが、日本ではなぜか、言語の中に「言外のコミュニケーション」が介入した。

すごい。

まったくすごい。


ふたりのサラリーマンが昼休みに会社のビルの屋上にいます。

男A 「あー、なんかもうアレだよなあ」
男B 「いやほんとだよな。もうなんつーか本当にねえ」
男A 「まあ・・・しかし、そうでもない部分もあるんだろうなあ」
男B 「まあそういうところだけではないからね」
男A 「いろいろだわな」


俳句を他の言語で正確に現せないのと同じように、このふたりの会話も他の言語で正確に再現することは難しいのではないかと思います。

ふと、思って、 Google翻訳に上の日本語を入れたらこうなりました。

Man A "Oh, I wish arrays Anymore"
Man B "and I'm honestly. Hey, I really like steel ー anymore "
Man A "But I think there is some I wish I would not so much"
Man B "Well, just where I'm not such a"
Man A "trap that is different"




これはこれで何だか哲学的な言い回しですが、しかし、これでは多分、通じないでしょう。


このコミュニケーション能力だけでも、日本語には突出した「異常性」がありそうです。

宇宙人が上のふたりの会話の光景を見たら、「すごい能力だ」と感嘆するかもしれません。

言葉を発してはいても、このふたりのサラリーマンはすでに「心と心での会話」となっていて、驚くことに、毎日の瞬間瞬間に、日本の何千万人もの人々がこの「心と心の会話」を繰り広げている。


クリフ・ハイはかつてのウェブボットでこのように書いています。




非対称型言語傾向分析報告書「来るべき未来の形」0 巻2号要約
2009年9月15日配信 「世界の民衆」カテゴリーより抜粋

・日本では古代の日本文化のいわばルネッサンスのようなことが起こり、お身儀などの伝統的な風習に込められた深いニュアンスや、その象徴的な意味が再認識されるようになる。これは世界に広められる。

・ 「お辞儀」というキーワードは宇宙関連のカテゴリーでも出現する。それはエイリアンとのコンタクトが行われるとき、日本文化の礼儀作法を用いてコミュニケーションが行われるようになるからである。日本文化の礼儀作法を土台に、エイリアンとの間の相互理解が可能となる。これは2011年に起こる。

・ この日本式礼儀作法とその思想は、今後100世代、2000年にわたって異なった種の間でコミュニケーションが行われるための基本的な方法となる。エイリアンの未来のガイドブックには、地球に到着すると、最初に「日本シンボル大学」で教育を受けた人々の出迎えを受けると書かれることだろう。





エイリアンがどうだこうだの問題ではなく、「お身儀などの伝統的な風習に込められた深いニュアンスや、その象徴的な意味が再認識される」ということが「起きなくても」われわれは実際に日々使い、毎日「心と心で話している」。ここには「日本シンボル大学で教育を」というような表現がありますが、教育がなくても成立している。


今、日本は大変で、日本国家自体の存続にも懸念があるかもしれません。
でも、「心と心との会話の人たち」には国家という枠組みは二次的なもののようにも思います。

前回書いた「生との死の真意」はとりあえずわからなくても、すでに、「心と心との会話が成立している超能力」の中で生活している私たちは、本来は言葉では表現できないはずの「生と死の真意」に近づけるはずだと確信しています。


さて、そろそろ停電です。

タグ:日本語



  

2011年03月14日



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最近のは文字通り、「書き殴っている」感じで、特に宇宙だののことを書いていることに関しては、あらかじめ何も考えないで、頭に浮かんでくることをただキーボードを打って、そこに文章があるというだけとなっているようです。怒濤の書き殴りで、よくわからない記述もあるかもしれないですが、ご了承下さい。


3月14日 午後の杉並区の光景

その前に、まず、今日のさきほどの記事をアップした後の街の様子ですが、あの後、午前中に街の中を見ましたら、昨日ともさらに変わっていました。

ついに、「店に何にもなくなりだした」のです。

コンビニはたまに弁当やおにぎりが入るのですが、缶詰やカップ麺といったものはすべて売り切れ。ドラッグストアやスーパーも同じです。

他に、電池、ロウソク、携帯カイロ、ティッシュ、トイレットペーパー、ジュース類などはほとんど消えていました。また、節電営業で、電気もあまりついておらず、薄暗い店内に何の食べ物もないという、以前見たジンバブエのハイパーインフレーション下のスーパーの写真とあまり大差のない状況が出現していました。


若い人は比較的簡単に順応しているように見えましたが、ご老人たちの多くは状況がまだ把握できていない方も多いらしく、つまり、今、あらゆる物資不足が自分たちの街、東京をも襲っていることを想像していなかったようです。

スーパーに入って何もない状況に唖然とする人、店員さんに「これじゃ困るのよ」と言ったりする人は皆さんご老人でした。そして、ついに聞いたのは男性の老人が店員さんに言っていた「戦時中みたいになってきたね」という言葉。


これが午前の状況で、その時には松屋とか吉野家、オリジン弁当などはやっていたのですが、午後2時頃にはオリジン弁当は「材料不足で閉店します」の張り紙、松屋などは「お持ち帰りは中止」、また、多くの持ち帰りの食べ物屋は午後は軒並みシャッターを閉めました。

その後、ホームセンターに行ったのですが、やはりめぼしいものは何もなく、なんとなく意味のないものを買って帰る途中、ペットショップの小鳥をボーッと見ていたら、私がホームセンターの袋を持っていたからでしょうが、犬を散歩させていた上品そうなご婦人が声をかけてきました。

ご婦人 「ホームピックに行かれたんですか?」
わたし 「はい」
ご婦人 「あの・・・まだカセットコンロなどは売ってましたでしょうか」
わたし 「全部売り切れでした。昨日の時点で、懐中電灯、カイロ、電池、カセットコンロ、ボンベなどは全部売り切れてます」
ご婦人 「あらあ、そうですか・・・」
わたし 「なんか大変なことになっちゃってますよ」
ご婦人 「ほんとにそうですわねえ」


と言って去りましたが、考えれば、最近の立派な家では、オール電化なんてのもありそうですし、停電時には炊事も難しいかもしれません。

それにしても、本当に「たった2日」で物資が見事に消えました。
震災後直後はまだ買い物には動いていなかったですので、昨日と今日で壊滅的な物資不足が出現したようです。

そういえば、途中のガソリンスタンドにも「レギュラー、ハイオク売り切れ」と手書きの紙が貼られており、いろいろと不足しているようです。




生命の意味

前回書いた「宇宙と対等である人類」という概念も、さらに拡大解釈すれば、当然、あらゆる人類とあらゆる人類同士も、そして宇宙とそれを取り囲むあらゆるパラレルな宇宙も対等でなければならないということになると思います。

しかし、では、現実に、たとえば、「あなたの恋人を殺した人物」の隣に配置されて、「あなたはこの人と平等を感じて生きてください」と言われて、それができるでしょうか。

できないはずです。
私もできません。
今の地球ではそれは基本的に誰もできません。

どうしてか?

それは「生命の意味の解釈」という大変に重いテーマに突きあたる問題です。

今回の地震の言葉にならない悲惨。
人命があれだけ無造作に消えていく無常。

このあからさまな悲劇を「悲劇と感じなくするような方法」というのはこの宇宙に存在するのか? ということがあります。

たとえば、今回のような壮絶な光景(消滅した文明という意味の)を伴っての大量の犠牲の痛ましさの向こうに、たとえば、毎年数万人が自殺している悲劇や、殺人や事故で亡くなっていく悲劇があります。

それは、すべてがわれわれの目や耳に情報として入るわけではないので、私たちは知らないことが多いですが、では、それは悲劇ではないのだろうか?

「恋人が自殺してしまった」

「子どもが殺されてしまった」


少なくとも当事者の個人には、これらの悲劇は世界のどんな悲劇とも、どんな事象とも比較できない最悪のできごとであるはずです。

しかし、起きている。

毎日毎日、しかも、この数千年に限っては、多分ずっと起き続けている。

他にも様々な「悲劇」はありますが、これら「人の命」という悲劇が最大に重いもの(に感じる)ことは確かであり、そして、今のままの私たち人類の生命の解釈では、今後も何百年も何千年も、いや、人類がいる限り、未来永劫にその「悲劇」が続いていくことになってしまう。

そして、人類が存在している限り、それ(死ぬこと)は必ず起きる。

「悲劇」という概念(もちろん他の様々な概念も)が、宇宙が人類に与えたものだとすると、私たち人類が宇宙との対等に近づくためには、その「真意」、その真意とは、つまり私たちは「生命の生きることと死ぬことの真意」を知らなければならないのだと思うのです。


人が死ぬことが悲劇ではなくなる」という響きは、一見、むしろ冷たく聞こえるかもしれないでしょうが、それは、私も含めて、その「真意」がわかっていないからなのではないかと考えるようになりました。真意というのは、「肉体の生と死は本来(宇宙の最初)はどういう意味だったのか」という真意です。

私が先日書いた宇宙に向かっての「殺せるものなら殺してみやがれ」という言葉の意味のひとつには、その真意を知りたいという表現が幼く表れたというような部分はあるかもしれません。

人はどうして死ぬのか? ということが言われることがありますが、それは生命の仕組みを見ると当たり前のことで、あらゆる多細胞生物はいつかは死にます。

しかし、たとえば、他の生き物では「死は不幸と結びついているのか」ということを思うのです。死の意味はそれとは違うところにあるのかもしれないと。


もし、私たち人類が、この「宇宙が人類に突きつけた生と死の真意」を知ること、あるいは気付くことができれば、この世の多くに覆い被さる「悲劇」というもののクリアに一歩近づく気もするのです。

まあ・・・実際ですね。
もうイヤなのです。
人が死んで悲しいというのは。

私は結構弱い人間なんで、人一倍、死のニュースにはメソメソするんですよ。


今日も、道を歩きながら、あまり意味はないんですが、途中で涙が止まらなくなって、うつむいて、あくびをするふりなどしていたのですが、最近はこういうことも多く、もう「そろそろ何とかならないのか」と思うこともあるのです。

今回の地震についても、こう書くだけでもう涙が止まらないのです。
昨日も書きましたが、それは悲しいということではないのです。

もうイヤなのですよ。


この宇宙が示す「生と死の真意」が私の時代や世代でわかるということが無理なのは仕方ない。

しかし、たとえば、私の子どもの世代。
それは下手をすると、今よりもさらに人の死を見て生きていく可能性がないと、どうして言えましょうか。

死体だらけの中から生き延びた子どもたちによる未来の再生の可能性だってある。

今の人類感情のままだと、それは幸せな精神的な未来世界にはならない気がするのです。


「生と死の真意」。

宇宙は知っている(知っているというか、そこに存在するものだから)のかもしれないですが、私たち人類はあくまで対等に近づくために、誰にも教えられずに、少なくとも自分の宇宙の仕組みくらいは自分で気付かなければならないのかもしれません。


とはいえ、どうしたらいいものやら・・・。

殴られた私は今はボーッとそれを考えるだけです。


タグ:生命の意味



  


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今日あたりから計画停電が始まるとか始まらないとかで、始まれば、私の地域は朝と晩の一日に6時間近く停電することになりそうです。なので、ブログの更新などもできるときにやっておかないと。

昨日書いた中の「圧倒」ということに関しては、同じように感じている人は多いようで、メールも頂きましたが、同じ表現ではなくとも、そのような雰囲気を頻繁に感じました。つまり、災害に対しての「形容がない」のです。言葉で何も表現できない。


昨日は街中をずいぶんと歩いて見て回りましたが、いろいろなところで、おばさんたちなどが「がんばりましょうね」と言っているのを耳にしました。

今朝はニュースで駅の混雑のことを言っており、午前9時頃、駅まで見に行ってみると、人だかりができており、入場制限がおこなわれていました。

まあしかし、予想できていたせいもあるのか、みんなそれほど深刻な感じではなく、隣に立っていた男性は苦笑しながら携帯の相手に、「ホームにも入れねーのに、会社になんか時間通りにつくわけないから、何とかさんに言っといて」と話していました。

反対側に立っていた2人組の女性は、「でもさ、池袋まで行っても、そこから電車動いてないみたいよ。どうしようか」とか話していて、「それは行かないほうがいいのでは」と思うような人たちもいましたが、なんとなく普通に諦めてる感じがありました。

話によると、隣町の吉祥寺駅は修羅場になっているとのことでしたが。


平等の理想形

昨日書いた宇宙へのことに関してですが、今日はあまり長く書けないですが、勘違いしていただきたくないのは、「宇宙を憎む」いうことではないということです。

最も大事なことは、

「私たち人類ひとりひとりは本来は宇宙と対等な立場だ」

ということを私たち人類も理解し、また宇宙にも理解してもらう。

私は実は最終的には、いわゆる「悪魔」と呼ばれるものにもこのことを理解してほしいと思っています。

悪魔のことを書いた時にも私は「憎む」という概念を書いたことはないですが、今回の不幸を経験して、さらに思いましたが、今、私の中で増大している意識は、「憎しみの対極にあるもの」であることを実感しています。

人類自身がそのことを理解し、そして、宇宙にも悪魔にもそのことを理解してもらえば、少し宇宙は進化すると思っています。


もちろん、それは私の中の宇宙の話で、他にもいろいろとあるのでしょうけれど、「ペアである自分」の中に書いた、「宇宙は自分の中にある」というのなら、そのペア(「自分」と「自分の中にある宇宙」のこと)が対等でなければ、バランスが悪いことになります。


今後・・・まあ、書ける時までですし、少しずつになるかもしれないですが、
宇宙と対等である人類のこと」や、そして、「本来、誰でも人類はきわめて優れた能力を持つ生き物であること」を書きたいと思っています。

それがいい悪いではなく、鳥や蟻から見れば、文字を書いたり、じゃんけんができたり、料理をしたり、そして顔で笑ったり泣いたりできる「人類」というのは、とんでもない高度な能力の持ち主のはずです。

それら多くの人々が持っている「単純な人間の特徴」こそが宇宙で最高に近い生命のひとつの姿だと私は最近思います。

それを越えた能力、つまり、様々な超能力や不思議な力、それは「個性」なのだと思います。

足の速い人やたくさん食べられる人がいるように、未来を見られたり、前世を見られたり、宇宙人と交信できる人たちがいる。

それらを優れているとして、ただ崇拝するのではなく、「キミは足が速くていいよね」というのと同じように、対等に平等に楽しく自分と同じ地平で生きて過ごすのがいちばん気楽だし、それは楽しい生き方のように思います。


そういうことを断片的に書いてみたいと思っています。
書ける時までですが。
インターネットだっていつまで繋がっているかわからないですし。


それにしても、停電が始まりそうですので、今日は電池を探しに行きたいですが、どこにあるやら。

タグ:ペアの宇宙



  

2011年03月13日



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人生で二度目の決意


私もそこそこトシではありますし、国内も国外も含めて、これまで結構いろいろな災害の報道やニュースを見てきました。

しかし、今回ほどやたらと涙が止まらなくなることはなかったのです。

恥ずかしい話ですが、今は本当によく涙が出ます。子どもの前でも止まらなくなることがあります。

とはいえ、この涙が「悲しみの涙」ではないことは明らかです。
私はそんなに心温かい優しい人間ではありません。

理由・・・。
いろいろとあると思いますが、まずは「圧倒」があります。

あの津波の被災地の光景。

そこに人命があるとかないとかの生死の問題を越えて、その前にそこには文明があった。そして、生活の痕跡があった。


私は以前、「宇宙を憎むか憎まないか」で少し悩んだことがあります。それはもともと私がひねくれ者だからでしょうが、誰もかれも、この世に悪い者や悪いことはあるけど、「宇宙だけはいい」、「宇宙だけは絶対だ」と言う。

それがどうも気に入らなかった。

以前、ペアである自分の何回かめに書いたように、パニック障害で苦しんでいる時に、その苦しみの吐露をどこに向けていいのかわからなくなり、対象を宇宙全般にしたことがあります。

殺せるものなら殺してみやがれ」と書いた紙を壁に貼り、そのことで「宇宙に向かって暴言を吐き続けることを確認して」生きていたことがあります、
しかし、特にそれらしき報復はなかった。

「死ねや、宇宙が!」

と呟いても、少なくともその場でバチなどは当たらなかった。

さて、その過去はともかく、今回の災害だけではないですが、もともと私は「人類の苦しみや災難が何のために存在するのか」が理解できなかったということはあります。

私が若い頃にパニック障害等で苦しんでいた中で、「宗教にでも入ろうかな」と考えて、いくつかの教会に行ったり、聖典を読んだりしたものの、やはりすぐに「この役立たずのクズ聖典どもが!」と叩きつけることになったわけで、上の「人類の苦しみや災難が何のために存在するのか」の答えは少なくとも、私が知ろうとした宗教の中からは見いだせなかった。「それなら」と、22歳だったか23歳の私は思ったわけです。

「オレはオレだけでいいじゃないか」と。


その後、この「自分教」への信奉(何もしないことが信奉ですが)はますます強くなり、今を迎えています。


今回、東北の地震の「圧倒的な光景」を目にしている中で、また、その23歳の時と同じような気持ちが涙と共に出てくるわけですよ。


「貴様ら宇宙は何でもできる。調子にのりやがって!」

と思ったあの頃の気持ちがそのままとなりつつあります。
偉大な力を尊敬し崇拝する人々がいる一方で。私のように「偉大な力を持つものが好きではない」という人々も少なからずいます。



多分、今度はあっちの勝ちで私は殺されるでしょうが、昨日の今日の決意でもないし、これはもう仕方ない面はあります。


ちなみに、たとえば、こういう現実の災害の圧倒の前には、私たちは異常に現実的になる必要があると思っています。

すなわち、あらゆる宗教、あらゆる神様、あらゆるオカルト(ここでいうオカルトとは信憑性を多方面から実証できないもの)を排除しながら進む他はないように思います。


そして、現実の中から、こんなあからさまに悲惨な状況を軽々しく作ることのできる「宇宙の存在そのもの」を否定していく方向

宇宙がどのように生まれたのかは今はわかっていませんが、中世の神秘学などの言葉を借りると、順番としては、

・ことば
・存在
・認識


というように来たように思います。

今、私たちが「宇宙」とか「存在」と考えているものは、実は我々の「脳」が認識しているために存在しています。

これは難しい話ではないのですよ。

・見ないと見えない
・聞かないと聞こえない


というようにいくと、

・認識しないと存在しない


という流れにはなるように思います。

埴谷雄高さんが言っていた「存在の革命」という言葉を、私なりに究極的な革命として、書けば、

・認識の否定


というものがあると思います。

とても間違ったことであることはわかりますが、ただ単に「宇宙の圧倒」に我々がいつまでも引きずられているわけにはいかない。

前に書いたことがありますが、私はいろいろな意味で「23」という数字、つまり獣の数字に完全に支配されて生きてきたわけで、正確には私はオカルトの定義では人間ではありません

なるほど、昔から宇宙も神も悪魔もどれも怖くありませんでした。
(お化けは怖い)


前置きだったのに、何だか変なことを長々と書いてしまいましたが、もうそろそろ涙も尽きると思います。

ところで、今日のタイトルにした「決意の涙」の「決意」というのは、私のこの「変な決意」のことだけではありません。


ビギニング

私は今日(日曜日)、地元のいくつかのコンビニと、大手家電、100円ショップ、ホームセンター、そして、隣町の吉祥寺の大手家電、大手スーパーなどを回って歩きました。

実際に欲しいものもあったからだったのですが、最初に結論的なことを書いておきますと、以下のものはすべて売り切れており、「入荷未定」となっていました。

・単一電池
・単二電池
・災害用ラジオなど(ラジカセはまだありました)
・懐中電灯
・その他、安価な携帯用の照明のほとんど
・カセットコンロ、ボンベ


これらは一切なかったです。

電池は大手家電では単三が多少あったので買えましたが、コンビニや100円ショップでは電池がほぼない状態でした。

吉祥寺のヨドバシカメラで買い物をした時に、店員さんに聞いたのですが、「ラジオは昨日からものすごい売れて、今日はほとんど売り切れなんです」とのこと。これがまだ午前中の話でしたので、その後はさらにいろいろと棚から消えたのではないかと思います(日曜は午後から買い物に行く家族が多いでしょうから)。

食糧も、相変わらず枯渇気味の店が多く、カップラーメン以外がほぼない店も多かったです。


そして、ホームセンター。
ここはもう「戦争前夜」でした。

いつもそんなに混んでいるわけではない店なのですが、長蛇の列となっていて、みんないろいろと淡々と買っている。

店で携帯で話していた中年の女性の人が、「お父さん? ガスマスクはないって」と話していて、想定している状況も壮絶な人たちもいるようですが、まあ、原発などの報道からの連想なんでしょう。


大きな災害が起きると、かわいそうだとか、その人たちを助けようとか、そういうことや気持ちが起きるのは当然なのでしょうが、それに加えて、「次は自分たちだ」という意識が非常に見えます。

もはや、自然災害はどれひとつとっても他人事ではないという「決意」。

それでも、パッと見た光景は普通の買い物光景であり、淡々と買い物をしている。
ただし、いつもとは買うものが違う。

たった3日間ですが、「3日前とは違う世の中になった」という感じがうかがえます。

変わったのです。


準備する日本人

これらの一連の風景を見た時、以前のウェブボットのくだりを思い出しました。
2010年3月のもので、ここにはすでに過ぎた日付や「2012年」などの単語が出てきますが、それらを無視して読まれて下さい。




非対称型言語傾向分析報告書「来るべき未来の形」0 巻4号
2010年3月12日配信 「古代の復活 (日本に関して)」より抜粋

・ 日本における「革命」は、自分の国にプライドをもちたいという日本人の意識を背景に、経済的な混乱と将来への不安、そして食料価格の高騰と食糧不足、さらに2012年の情報のリークが重なって起こってくることだ。これらの重なりは、「革命」への絶好の機運を形成する。

・ また、2010年8月の終わりには、多くの日本人が2012年を恐怖し、突然と準備を開始する。2012年への準備は日本における「革命」の伏線を形成する。





「突然と準備を開始する」。

そのキッカケがあれだけひどい災害だというのは苦しいですが、しかし、私もそうですし、日本人だけの話ではないでしょうが、私たちは「殴られなければわからない状況」になっていたようにも思います。

今、私たちは「殴られた」のかもしれません。

私も含めて、多くの人々は先行き、どのくらい生き残っていけるのか不確かではありますし、私本人などは、そもそも生き残ろうという意志すら昨年あたりからはあまりありません。


しかし、私は最近、「日本人が地球に存在した意味」が(自分なりに)少しわかってきた気がしています。

さらりと書ける話でもないですので、書かないかもしれないですが(それにどうしても「日本人賛歌」的な匂いは漂いそうで、それは自分でもイヤですので)、地質的に巨大プレートの込み入ったすぐ横の、「通常なら文明など築いてはいけないような立地(文明が芽生えても地質的にすぐ滅びる宿命)」に国家が立ち上がり、それなりに存続し、それなりに(悪い面でも、良い面でも)周囲にそれなりの影響を与えてきた「日本」。

外国人たちから見れば、奇妙な習慣、奇妙な意志表示、奇妙な挨拶、そして、奇妙な食生活(キノコと海草を毎日のように食べる人々)に奇妙な言語(文法が基本的に孤立化している)に綾取られた日本人。

どうして、私たち日本人が、地球のこんな歴史に登場しなければならなかったのか。
これは今まで書いたこともあるような「人類の意味」ではなく、「日本人」とその文明の意味です。


今はそれがほんの少しわかるような気がします。
(間違っているのでしょうけれど)


これは、言葉として表現すること自体が違うような気もしますので、書かないで済むなら書かないで終わりたいです。




  

2011年03月12日



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押し入れにしまっていたテレビを出してニュースを見ています。津波の被害の壮絶さには本当に「何も」言えないものがあります。


被害が比較的少なかった、たとえば私のいるような東京は今どうかということを書いておきます。
昨日からのことと、さきほど周辺を歩き回ったりした描写です。

私のいるのは東京西部の吉祥寺という街に近いところです。
吉祥寺そのものではないですが、吉祥寺の名前が有名ですので、そのほうが通りやすいと思います。

kichijoji-map.jpg


電話、携帯

かける先が被災地の場合は相変わらずつながらないですが、東京内では、ほぼすべて問題なく通じています。インターネットは昨日の地震発生以来、ずっと通じています。


インフラ

すべて通じています。ただ、区の防災放送で、「電力不足が発生する可能性があるので、節電して下さい」と頻繁に流されています。

また、アパートやマンションなどの集合住宅などでは、都市ガスに安全停止装置がついており、これはたいてい外にあるのですが、この安全装置の存在を知らない方もいて、ガスが使えなくなっている家もあるようです。わたしの家でも、昨日は、ガスが停止しました。

とても簡単に書くと、下の機器(たいていは外のどこかにあります)の「復帰ボタン」というところのキャップを外し、ボタンを押すだけです。

gasmeter.gif

詳しくは、各地のガス会社のページなどでご確認下さい。


食糧

食糧にはやや問題が生じています。
物流の問題だと思うのですが、コンビニ等から弁当とパンなどのすぐ食べられるもはすべて消えています。

また、カップ麺などもコンビニによっては消えかかっているようです。
大きな袋を持って買いだめしている人の姿を目にします。

この原因のひとつは、大手スーパーのたとえば西友が閉店していることもあるのだと思います。

これに関しては、ちょうど駅前に西友のレジのおばさんたちがいて、私はよく買い物をしてい顔見知りなので、話しましたが、店の中の被害はほとんどなかったらしいのですが、こういう場合、業者のチェックを受けてからでないと開店できないのだそう。
今回は広範囲の地域でのチェックとなるので、手が回っておらず「開店は未定」と言っていました。

関係ないですが、その数人のおばさんの中のひとりは、親戚が宮城県の海岸沿い(昨日繰り返しテレビで映されていた、すべて流されていた場所)にいるのだそうで、泣きながら、私にそのことを話しており、しかし、

「でもね、私たちもあんたたちもね、こうやって今、生きているんだし、住むところも食べ物も今はあるんだから頑張りましょう」

と気丈に言っていました。


ちなみに、東京湾の近くに住んでいる知り合いによると、「近所のダイエーには食べものが(カップ麺等を含めて)何もない状況」らしいです。


飲料水

水は水道が通じているので問題ないですが、今後のことを考えて、うちでは、風呂と、他に10リットルくらいの飲料水を用意しました。


その他

何人かの知り合いなどと話した時に、とりあえず私個人が考えている今後の地震の状況を言って、まあ・・・とりあえず、「どうしようもない時には、どうしようもないから、できる範囲で準備したほうがいい」という感じになりました。その「私個人の今後の予想」というのは、要するに、「震源の南下」ということ(現時点ですでに起きていますが)を、やや心配している感じですが、しかし、まだ震災が進行している中で、そんなことを詳しく書く気に気にはなれません。


とにかく、東北から東海あたりまでに住まれている方は、一般的な震災対策を確認されるといいと思います。家具の倒壊の防止などです。あと、現在手に入るのでしたら、食べ物や飲料水はある程度用意していいと思います。
場合によって、さらに物流が止まる可能性も捨てきれません。


気持ちの持ち方

ちなみに、さきほど書いたものに、幼稚園のことを書きました。

私が駆けつけた時は最初の揺れの直後でしたが、幼稚園の先生たちは冗談を言ったりして、子どもたちと笑ったりしていました。

最初はその雰囲気に意外感があったのですが、しかし、だからこそ、子どもたちは揺れを感じてはいるものの「自分たちが大きな困難の下にいる」ことを気付かずに地震をやり過ごすことができたのだと気付きました。

幼稚園の先生には若い女性も多いのですが、そのとっさの雰囲気作りの気転には頭が下がりました。うちの子も、気が弱いほうなのですが、「ぜーんぜんこわくなかったよ」と言っていました。
感謝しています。

仮に今後、何かあっても、なるべくこのことを思い出していきたいと思います。



  


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昨日のブログを更新した後、街に出ている時に地震に遭いました。

子どもが幼稚園にいたので、とにかく走って幼稚園にまで駆けつけると、幼稚園では先生方がホールの真ん中で懸命に子どもたちを守ってくれていました。初めて知ったのですが、その幼稚園の建物はかなり強度の耐震設計をしているとかで、たしかに花瓶ひとつ倒れておらず、耐震設計というもののすごさを知りました。このあたりの普通の家では家具などが軒並み倒壊していました。


少し安心したのは子どもたちの多くが意外と元気だったことです。

不安げな顔をしている子はいたものの、泣いている子はひとりもおらず、それどころが私のところに何人かの男の子たちがやってきて、「船に乗ってるみたいだったよ」と、みんなで揺れているところの真似をしたりしていました。


私自身が PTSD (トラウマのキツイやつ)の人でしたが、地震などの災害でもここまで大きなものだと、子どもたちの心の傷は「心の傷」などという軽い言い方では住まないほど長く続きます。あるいは、落ちついてから出てきます。数週間後や数ヶ月後から始まることがあります。不眠、鬱、パニック障害、症状は様々ですが、それは非常に長く本人を苦しませることになります。


被害を受けてしまった方々には今回はまだ被害の全容もわからず、またあまりにもひどい災害で、半端なお見舞いの言葉は書けません。


ちなみに、私の奥さんの姉の夫婦が福島にいて、まだ連絡はとれておらず、私の妹の家族も千葉に住んでおり、避難したようですが、現時点ではどうなったかよくわかりません。


そして、これは書くべきかどうかを考えのたのですが、大災害が起きたからといって、書くのをやめれば、それもまた良くないことですので、関連項目を一言で書かせていただきます。

それは要するに、最近の地質異常の記事で、私は執拗にプレートが出ている地図を載せていましたが、今回のこの大きな地震が他のプレートに影響を与えたかもしれないという可能性を考えざるを得ないということです。

これは近いうちに地震が起きるという意味ではなく、以前も書きましたが、また、今回の地震でもわかることですが、「超巨大地震は想定されている場所以外のどこでも起こり得る」ということで、先月記しましたこちらの資料を示しておきます。

(資料) 1700 年前に日本列島を襲ったかもしれない超巨大地震の再来の可能性の検討



極めて遺憾ながら、簡単に示しますと、

1700.gif

この 1700年前の震源域のプレートが刺激された可能性はないのだろうか? ということを考えざるを得ないということです。「そんなことはない」とは言えない可能性が確かに内在します。



今回、被害に遭われている方には、お見舞いの言葉よりも今はとにかく頑張って下さいとしか言いようがありません。余震、防寒、そして、数日後からは食糧と飲料水、排泄処理などの問題、さらにその後は(日本全域に関わる)経済や政治機能の問題になってくるかもしれません。

でも、何がどうあっても、がんばってくださいとしか言えないですし、そして、この言葉は自分にも言っていくしかないと思います。


人間は生きていくだけが目的ではなくても、ギリギリまで生きることに頑張ることも生命のひとつの宿命だと思います。そして、多分、ある程度は私も含めて、くまなく多くの人たちがこれから経験することとなるかもしれません。今の地球を見ていると、それは誰にも否定できないのではないでしょうか。


でも、その際、ただ恐怖に見舞われて過ごすという考え方ではなく、たとえば、昨日の幼稚園の男の子たちのように、「ぜーんぜん怖くなかったよ。船に乗ってる時みたいにこうやってやりすごせばいいんだよ」と、私に踊って見せてくれていたように乗り切れれば、そこに可能性もあるのかもしれません。


中途半端に経験豊富な私たち大人より、経験のない子どもたちはまだ「何が恐怖か」の知識を持っていないことが昨日の幼稚園で少しわかりました。

だから、そこに少しだけ希望はあるように感じます。

子どもたちを守りつつも、大人たちはその子どもたちに多くを教わりながらがんばっていくしかないのだと思っています。




  

2011年03月11日



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五芒星についてはいろいろとまとめたり調べているうちに、混乱するやら、いろいろな事件は起こるわで、どうにも大変なんですが、よくわからないままに、いろいろなメールをいただいたりしたものの中などをたまに整理しておかないと、さらによくわからなくなるので、メモ程度のものですが、記しておこうと思います。


ところで、太陽活動の活発さはスゴイです。Xくらいのフレアが連日発生しているということもありますが、すごいのは地球に向いていないところで日々発生している CME で、いくつか写真を載せておきます。最近では 3月8日の CME の規模がすごい。

白い丸が太陽がある場所、太陽の大きさとなります。( NASA SOHO DATA

1-20110308_2225_c2_512.jpg


これはこれで、十分に、2つの太陽っぽい・・・。

参考記事:ペアの太陽 - 「2012年ベテルギウス超新星爆発の予測」に関しての大騒動 (2011年01月22日)



さて、ここから本題の五芒星です。
今回は、特に「逆五芒星」について、いくつか印象的なものを、載せておきます。






 



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タグ:五芒星



  

2011年03月10日



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終末戦争として米国が恐れている小国からの「電磁パルス攻撃」




(訳者注) いろいろなジャンルで、まったくいろいろなことが早いペースで起こり過ぎていて、興味のあるもののごく一部しか紹介できないようなことになっているように思います。今日もしアップできれば、後にでも、最近の数日で気になっている記事の報道リンクと、その概要などをピックアップしてみたいと思います。


今回は、戦争関連の中では個人的にもっとも懸念している「 EMP 」(電磁パルス)兵器を北朝鮮が開発したかもしれないという報道のご紹介です。この EPM は、一般人が受ける被害規模の大きさでいえば、戦争での攻撃での最大級だと思われます。「武器により殺されるのではなく、国のインフラの停止によって人が生活できなくなる」という感じでしょうか。

意味は違いますが、その効果としては「超巨大な太陽フレアや CME のような状態を人為的に発生させる」という言い方でもいいのかと思われます。これは起こり得ることとして、たとえば、過去記事の「NASA が発表した「2013年 太陽フレアの脅威」の波紋 (2010年09月23日)」という記事にあるようなことを「起こせる武器」ということになります。

たとえば、太陽フレアの直撃の最悪の場合の想定としてですが(いくら何でもここまでは起こらないだろうと思いますが)、


・電力送電網のクラッシュによる完全な停電
・通信システムの崩壊
・放送網(テレビ、ラジオ)の崩壊
・飛行機の墜落
・コンピュータシステムの停止
・移動手段(車、電車等)の停止
・コンピュータに依存する軍事システムの停止
・コンピュータに依存する政治システムの停止
・コンピュータに依存する医療システムの停止
・あらゆる物流の停止
・食料供給へのダメージ
・インターネットシステムのシャットダウン
・電気システムに頼るインフラ(上下水道、ガスなど)の停止



などです。

その電磁パルス兵器を北朝鮮が完成しつつあると、昨日の米国 ABC ニュースで報道されました。報道自体はタイトルに「北朝鮮、EMP兵器完成間近か」とあるだけで、内容的には先日、米韓連合軍と北朝鮮軍の間でおこなわれた「GPS 撹乱戦」のことについてなのですが、この EMP という響きが米国のいろいろなブログで一斉に取り上げられました。

なぜ、遠い北朝鮮でのことが米国でそんなに話題かというと、EMP 攻撃なら北朝鮮が米国を狙うことも可能だからです。北朝鮮のような小さな国が他の方法で米国のように離れている上に高度な防御システムを持つ国家を狙うことは、ほぼ不可能ですが、EMP 攻撃なら可能だと言われています(米国はイランがそれをおこなう可能性を想定していたようです)。漁船か民間船が一隻から数隻あれば、北米大陸の一部の文明機能をシャットダウンさせられるとされています。

その感心の高さは、たとえば、Google ニュースで「North Korea EMP weapon (北朝鮮の EMP 兵器)」という検索では、下の通り、関連記事 1122件などと表示されます。

nk-weapons.gif

関係ないニュースも含まれているでしょうが、少ない関連項目数とは思えません。

今回はその ABC ニュースをご紹介します。

なお、EMP に関しては以前、このブログでも何度か翻訳記事として取り上げておりますので、記事下にそちらのリンクを記しておきます。

EMP 攻撃による文明の崩壊からの復旧までの日数(規模により数日から、場合によって数ヶ月)の間がサバイバルになると想定しているアメリカ人が多いです。

ちなみに、軍事については「北朝鮮にはそれほどの軍事的威力はない」とか「飢えなどによる人民の造反が始まっている」というようなことを目にすることもありますが、「だからこそ」 EMP の存在がクローズアップされるのだと思います。

昨年の5月に韓国紙ニューデイリーの「北朝鮮は初めから水素爆弾を研究してきた」という記事をご紹介したことがありますが、そこで、故ファン・ジャンヨプ元北朝鮮労働党秘書はこう言ってました。



「北朝鮮の実態を知らない人々は水爆を作ることを不可能と指摘しているが、その人々は北朝鮮の技術力をどれだけ知っているというのか? 北朝鮮は初めから水素爆弾を研究していた」



たとえば・・・もし、私自身が、食糧も燃料もない今の北朝鮮のトップの立場だったとしたら・・・ひたすらに EMP 兵器の開発だけに軍部の開発班を専念させるはずです。ロケットや核実験などで国際社会の目をそちらに向けて、でも、実際はそんなことはどうでもよく、ひたすら、EMP の完成を目指す。

それだけで、北朝鮮のような小国が、米国とも中国ともロシアとも台頭に戦える国家になり得ます。それらの大国が信じないなら、周辺国家(韓国とか日本とか)に EMP 攻撃を行い、国家機能を麻痺させる光景を見せつければいいだけです。

EMP 攻撃を防御する方法は「まったくない」(高高度での核爆発なので防げない)とのことです。

ここから翻訳記事です。




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タグ:電磁パルス



  

2011年03月09日



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▲ コロンビアの町グラマロテで 2010年12月に突如始まった地殻変動による町の破壊を伝える地元テレビ。



What is It All Cracking Up to be ? ... the earth is splitting all over the place
地球があちこちで割れている
Before It's News 2011.03.08
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(訳者注) 上記とおりの物騒なタイトルの記事があり、読んでみると、昨年くらいからこれまでこのブログでも何度か取り上げている「様々な場所で起きている地割れ」のことを書いているものでした。

内容的にはそれぞれの概要を書いているだけのものでしたので、私のほうで地図なども含めて、もう少しわかりやすくまとめてみました。記事で取り上げられていたもの以外にも、コロンビアやエチオピアの大規模な地割れがありますので、それらも付記しておきます。

なお、今回記事の引用元のブログのコメントに、「地球の地表は、ふたたび拡大と収縮のプロセスに突入している」というようなものがありました。こんなことが本当はどうかわからないですが、ただ、最近の地殻変動を見ると、規模がダイナミックですので、私たちがかつて教わってきたような「何千万年かかって大陸は移動する」というようなことではなく、数ヶ月から数年で地球の大陸の形が変わる可能性はあるのではないか、と、その移動距離の大きさから考えざるを得ません。

このことは、2005年のエチオピアでの大規模な地割れを研究した英国王立協会の科学者たちの発表を記事にした BBC の報道の以下の部分にも表れます。




Africa 'witnessing birth of a new ocean' (BBC 2010.06.25)より。

何百万年というような長い単位で地球の変化を理解してきたライト博士を含む研究チームにとって、エチオピアのアファー三角帯での変化の規模とスピードは驚くべきものだった。あっという間に大陸に断裂が走り、大地がこじ開けられたのだ。2005年に、この地ではたった10日間の間に、60kmの長さに渡って8メートルの幅の断裂が開いた。

2005vent_royalsociety.jpg

地球内部の奥からの溶融状態の岩石が表面に上がって、大陸の分断を促しているのだ。地下での爆発は今も続いている。





例によって、記事で取り上げた場所を世界地図に示してみました。

crack-list-1.gif

▲ 元地図は、地学(地震)入門 第2回 プレートテクトニクスより。番号は下の記事のタイトルにつけた番号となっています。

1 - 米国ミシガン州
2 - ボリビア・ラパス
3 - パキスタン・グリスタン
4 インド・バルッダマーン
5 ペルー・プノ
6 コロンビア・グラマロテ
★ エチオピア



過去に記事にしたものはリンクも記しておきます。
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1 - 米国ミシガン州 2010年10月



過去記事:米国ミシガン州で突如フットボール場2個分の範囲で地面に巨大な地割れが開く (2010年10月08日)

以下は記事より抜粋。

フットボール場が2入るほどの大きな割れ目が、突然、バーチクリークの近くの森に現れた。

割れ目は150ヤード(137メートル)ほどあり、場所によっては、深さが5フィート(1.5メートル)ほどのところもあり、割れ目の幅は2〜3フィート(60〜90センチメートル)ある。



場所:米国ミシガン州メノミニー市


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2 - ボリビア・ラパス 2010年03月

lapas.jpg

過去記事:ボリビアの首都ラパスで地殻変動による壊滅的な被害 (2010年03月01日)

記事より抜粋。

巨大な地滑りがボリビアの中心都市を襲う

突然発生した地震活動が、2月28日にボリビアの中心地ラパスで「巨大な地滑り」を引き起こしたことがボリビアの国営通信社によって報じられた。

ABI 通信社のレポートによると、泥流は少なくとも 800世帯から住居を奪った。
しかし、建物に莫大な被害が出たものの、人的被害は報告されていない。


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3 - パキスタン・グリスタン 2010年03月

pakistan-1.jpg

YouTube より。かなりの広範囲に渡っての地割れが発生したようです。


pakistan_gulistan_203map.gif

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4 インド・バルッダマーン 2011年02月

india-1.jpg

Land cracks set off panic in Burdwan
バルッダマーンで地割れが発生し、パニックに
インドエクスプレス 2011.02.02


記事の概要。

バルッダマーン地区で、数百キロメートルの範囲にわたって、突如、地盤沈下が発生した。深さは、2メートルから3メートル。原因は不明だが、当局は、同地で大規模な採掘作業などが行われていなかったかを調査している。


india-map1.png

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5 ペルー・プノ 2011年02月

peru-earth-crack-puno.jpg


Large crack opens in the earth in southern Peru
ペルー南部のプノで大規模な地割れが発生
Living in Peru 2011.02.25


記事の概要。

2月25日の朝、プノにおいて、突然、巨大な地割れが発生した。地割れは、幅 100メートルほどで、長さは数キロに渡る。原因はわかっていない。

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6 コロンビア・グラマロテ



過去記事:原因不明の地割れと地滑りで破壊され「7日間で地図から消えた」コロンビアの町 (2011年01月19日)




以下は記事より抜粋。

異変が起きているのはグラマロテという町で、コロンビア北部のサンタンデール州にある。この町での変動は 2010年12月に始まった。

コロンビアの地質学者たちは、何らかの地質学的な活動がこの町の下で起きていることによって今回の大規模な破壊が発生したと結論付けた。その地質学的な活動がどういうものであるかは特定されていない。


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以上です。

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