(※) クレアならぬグレアとは → 「グレアとは、不快感や物の見えづらさを生じさせるような「まぶしさ」のことをいう」(Wikipedia より)--
最近、「いろんなものが現実の生活の中に現れてきているみたいな感じ」というようなことが、私だけではなく、周囲のいろんな人からも聞くようになりました。
いろんなものというのは、
本当にいろんなもので、先日も書いたスズメやクモなどの生き物から、悪魔(みたいなもの)から幽霊(みたいなもの)まで、今までには考えていなかったようなものが現れているような感じです。
自分でも見たり体験する度に、最初は何だかよくわからなくて、疑問だったのですが、「
結局なんでもいいや」と考えると、何もかもおもしろおかしく感じられます。
上の幽霊(みたいなもの)がよく現れるのはうちの話で(笑)、悪魔(みたいなもの)は友人のジローさんという人が見たものなんですが、悪魔みたいなものの話は、なかかな面白いので後で書きます。
見たジローさんは「こんなこと周囲の人たちに言っても、気が狂ったと思われるのはイヤだし。オカなら話せるかと」と言っていましたが、4人くらいで飲んでいた時で、話を聞いた後には一同大爆笑となった程度の話ですが、「
それが結局何だったのかわからない」という意味では興味深いです。
うちの幽霊みたいなものは一応、「幽霊みたいな」と表現していますが、やっぱりそれが何だかわかりません。ともかく、「
なんか家にいる」という話です。こういう話もまともに人に言うと、確かに「ああ、ついにオカさんも頭がイッてしまったか」と思われる感じですが、実際に経験すると、それほど違和感もないことに気付きます。
タイでは幽霊なども含めて、オバケ全般を「ピー」というタイ語で表すのですが、これは日本のオバケと同様に、非常によく使われる言葉であり概念です。たとえば、なんとなく不気味な建物や場所を通る時に、日本なら「なんだかオバケが出そうだねえ」というように、「ピーがいそうだねえ」と人々は頻繁に言います。少なくとも、タイにいると、「オバケと同居してるなあ」とよく感じます。
日本だけでもないですが、最近の先進国の近代生活では、「もののけ」全般を存在から排除するような思想生活になっていたせいか、実際にはもののけたちも「認識されていなかった」というようにこともあるのかもしれません。だから、無用に「こわがるだけ」の存在になりつつあったという感じもあります。まあ、もちろんコワイのもあるのでしょうが、確認してからではないと、それはよくわかんないですからね。
オバケだの幽霊の正体が何なのかは私は知らないですが、この宇宙に存在している限りは、「人類の認識を必要としている」ようには思います。それが悪いものであれ、いいものであれ、認識されることを忘れられた存在というものは確かに可哀想で、「宇宙の認識からこぼれ落ちる」ということになってしまうのかもしれない。
そういう意味では、オバケや幽霊も、その姿や形は見えなくとも、認識されることがいかに本人たちにとっての「存在の充実」に関係することか、ということはあるのかもしれません。
ちなみに、うちにいるのはいわゆる座敷童というような概念と似ているようです。
いたずらするので(笑)。
話は全然変わりますが、前回の
春よこいという記事で、「
猫とネズミの逃走劇をベランダから 20分間に渡って目撃」というフレーズが出てくるのですが、先日、猫好きの知り合いと飲んでいる時にその話をしたところ、「そんなところを実際に目撃できたのはすごい」と言われたので、ちゃんと書いてみようと思いました。ちなみに、私自身は猫も犬も特に好きではないです。
私は文章で「状況をきちんと再現する」能力がなくて、図を添えてみます。
ネズミがしたこと。猫がしたこと下の写真は、今回の「猫とネズミの出来事」が起きた私の家の周辺の写真です。ベランダからの様子を携帯で撮影しようとしたのですが、うまく撮れなそうので、グーグルアースの航空写真を利用しました。

屋上が緑色の建物が私の家です。
外は駐車場になっています。
★印のあたりのベランダに私が立って外を眺めていたという感じです。
視線は矢印のとおり。ABCそれぞれの地点は
A 駐車場をはさんだ向かいのアパートのコンクリート塀
B 自転車の駐輪場の屋根
C うちの建物のコンクリート塀となっています。
ところで、私は東京で「ネズミ」というもの自体をほとんど見たことがありません。
二十数年前に、新宿だったかどこだったか大きな街で走っているのを一度見たくらいで、基本的にあまり目にしたことはないです。まして、この街ではネズミというもの自体を見たことがありません。
なので、先日、ベランダで植物をいじっている時に、視界の横に「何か動くモノが見えた」時にパッとその方向を見て、「
それがネズミである」ことがわかった時には、ちょっとビビるのと同時に、時間的に午後2時頃という真っ昼間であり、「ネズミって、白昼から屋外を単独で走り回るよう生き物だっけ?」と、やや疑問に思ったものでした。
・第一ラウンド/見えない追跡ルート最初にネズミを目撃したのは、「
A」の地点です。すなわち、駐車場をはさんだ向かいにある塀の上をネズミは走っていました。単独です。
そして、上の写真では「
B」となりますが、屋根のある駐輪場のようなスペースがあって、その屋根の高さは向かいの塀と大体同じくらいです。
ネズミは塀の上を走った後、その
Bの駐輪場の屋根を見て止まりました。ネズミはしばらくその屋根を眺めていたのですが、次にその屋根の上、つまりBの上に降りて、走り始めました。
そして、その方向は「うちの建物」のほうに向かっています。
「おいおい、こっち来るなよ、ネズミ」と私は思いながら見ていましたら、Bの駐輪場の屋根の反対側まで来て、行き止まりになったところで、またネズミは考えていました。
そして、うちのコンクリート塀、ちなわち、「
C」の上へと飛び乗りました。
さらに見ていると、ネズミはそのコンクリートの塀の上を走って、まさに、「C」のところ、つまり、私の見ているベランダのほとんど真下に来て止まりました。
私の部屋は3階なのですが、その塀から「こっち側」にネズミが飛び込むと、1階の人の庭にネズミが突入することになります。
「あー、1階の人も災難だな」と思いつつ見ていると、果たしてネズミは「こっち側」、つまり1階の人の庭へと入っていったのです。「あーあ」と思って、それで終わりかと思っていると、1階の人の庭には木や植物がたくさん植えられているのですが、その中の小さな木がワサワサと揺れている。
「ん?」
と見ていると、そのうちの枯れ木にネズミが上ってきて、それから、その木の枝の先端にまで来て、そこで「ピタリ」と動きを止めたのです。しばらく見ていましたが、ネズミはまったくそのまま動かないのです。
ネズミが何をやろうとしているのか私にはわかりません。
そうすると、
そこに、この「A、B、Cのすべてが関係するネズミ劇場」に、「猫」が登場したのです。すでに、ネズミが登場してから、小枝の先端で、「死んだように固まった」まではかなりの時間が経過しており、決して、猫がネズミを追いかけてきたようには見えません。
しかし、猫の登場の仕方を見ると、どうやら、この猫とネズミ追いかけっこは続いていたようにも思います。
不思議なのですが、
猫は最初に私がネズミを見た「A」の場所、つまり、向かい側の塀の上に現れました。そして、その後も、Bの駐輪場の屋根の上も猫はネズミが歩いたのと、ほぼ同じルートで歩いてきたのです。
「匂いで追っているのかな」と思いましたが、ただ、確かにルートは同じでも、猫はさらに効率的にそのルートを短縮して移動しており、「正確にネズミの足跡を追っているわけではないのに、結果的に同じ場所に行き着いた」というのが本当に不思議でした。
つまり、猫は「
ネズミと違うルートを歩きながら、ネズミの現在の到達点であるCの地点まで確実にやってきた」のです。AからCまでは距離にすれば結構あって、行き当たりばったりで辿り着くものではない感じです。
また、うちの塀の上には防犯用の鉄条網みたいなものがついていて、ふだんはその塀の上に猫が上がることはほとんどないと思います。ちなみに、私の住んでいるあたりは猫自体の数はとても多い地区です。
私も目が話せなくなり、ベランダの上から、真下で繰り広げられようとしている猫とネズミの死闘を眺めることにしました。一階のベランダの塀の上までは距離にして3メートル程度で、何もかもハッキリと観察できます。
・第二ラウンド/死んだ真似とそれを生き返らそうとする試みその猫が移動している間、ネズミはどうしていたかというと、「まったく動かないまま」で過ごしていました。
これは猫の姿が見える前からやり続けて、後に猫が去った後も相当長い間続けていました。なので、「猫が来る」ということは予測していたのだろうと思いますが、しかし、これほど正確に自分のところまで来ることを予測していたのかと考えると、そのあたりも不思議です。
そして、猫。
ゆっくりと
Cの塀の上を歩いて、まさに、ネズミが「木の枝の先で動かずにいる」目の前まで来ました。猫は確実に「このあたりだ」と看破しているようです。
猫は、ネズミのいる枝の先までは1メートルもない地点までやって来ています。
その距離だと、「見れば見える」はずなのですが、猫はそのネズミのいる方向のあたりを見つつも「それがネズミだ」と正確には確認できないようで、その周囲をずっと見回しています。後で人から聞いたのですが、猫の色彩の判断はかなり曖昧で、要するに「目が悪い」みたいです。そのかわり、色は関係なく「動くもの」には瞬間的に反応するようになっているようで、それが猫の生存本能のひとつのようです。
なので、ほんの1メートル先にいるネズミでも、それが動かないのでわからないようなのです。
「なるほど、ネズミが動かなくなった理由はこれだったのか」
と感心しました。しかし、それにしても、ネズミが猫に対処する方法として「動かない」という方法があることを初めて知りました。猫は鼻もいいし、動くものには敏感に反応できても、「不動なものはあまり見えない」という性質があることをこの観察で学びました。
さて、しかし、猫は匂いによるものなのか気配なのか、「そのあたりにネズミがいる」ことは確信しているようで、そして「そのあたり」がかなり絞れてきているようでした。
しかし、そのネズミがその小枝を選んだ選択の素晴らしさというのもあり、その木は猫が飛び乗るには細すぎて、乗れないのです。
猫は何度か枝に手をかけて、「お、飛び乗るかな?」と思わせるのですが、それはしません。よく猫がいろんなところから落っこちて「フギャーッ」とかいっている様子を目にすることがあるのですが、今回は猫はそういうヘマはしません。
どうやら、猫は「真剣」なようです。
睨み合いが続きます。
しかし、ネズミは決して動かない。
その次に猫がとった行動。
このことを飲んでいた時に言うと、猫好きの人に「それはウソだろ」と言われたほどのことです。
猫はまず、「
枝に脚をかけて木を揺らし始め」ました。そして、それに
効果がないとわかると、枝を噛んだりしはじめました。
小枝が大きく揺さぶられています。
これが、「ネズミを動かして認識したい」ということなのか、あるいは「枝から落とそうとしている」のかはわからないのですが、いずれにしても、「そう出たか」と多少驚きましたが、ネズミはそれでもまったく動かない。
そのまま同じような時間が過ぎていき、また、ずっと同じ光景が続きましたが、約20分後に、猫が諦めたのか、去っていきました。
猫の負けでした。
ネズミというのも相当に用心深いようで、猫の姿が見えなくなった後も、結構な時間そのまま動かずにいたようです。
しばらくしてから見に行くと、ネズミも消えていました。
同時に私は、
「
一階の人、部屋にいたのかな。ベランダを開けて枝の上にネズミがいたらショックだろうなあ」
と苦笑しました。
ちなみに、その部屋の方は女性で、ベランダにはたくさんの花や植物があります。
私が住んでいる集合住宅は住んでいるのが 10世帯程度ということもあるのか、住人のほとんど全員が顔見知りで、世間話などもそこそこします。それだけに、会った時に、「先日、ネズミがお宅のベランダに入りましたよ」と言っていいものなのかどうか(笑)。
第8領域の面々に包まれてそういえば、上の猫の記事を書いた先日の記事では「
クモの大群も見た」と書いたのですが、その場所が上も地図で説明できますので、書いておきます。
「
A」の上のほうに白い車が止まっていますが、その後方あたりの場所にクモの大群がいました。
車を持っていないので、ふだんは駐車場に行くことはないのですが、そこに行った理由は「花」でした。ベランダで子どもと外を見ていたときに、「あの白い花と黄色い花は何?」と子どもに言われて、「黄色いのはタンポポだけど、白いのはわかんないから見に行こうか」と行ってみた次第です。
駐車場の奥まったところにはタンポポと名前はわからない白い花がたくさん咲いていて、その白い花のあたりをよく見ていると、黒いものが動いている。
「
な・・・なんかがたくさんいるぞ」
と不気味に思いつつも、よく見てみると、それはクモでした。「クモって集団行動するんだっけかな」と思いつつも、実際にたくさんのクモが歩いている。そして、私は「
こいつら、ここに集団でいたのか」と思って笑っていました。
「こいつら」というのは以前、
歓喜する第8領域の生命たち (2011年03月24日)という記事に書いた、クモやキノコなど、西洋神秘学では、「第8領域」の生命と呼ばれているもので、彼らは数千年後から始まる「次の宇宙には存在しない」ことになっているのだそうです。
その記事にはこのように書いていました。抜粋です。
神秘学には「第8領域」という世界が存在するようで、クモやハエといったものがそれに該当して、それらは「次の宇宙からは消えてしまう」ものなのだそうです。
だから、「宇宙からの消滅」を恐れる人たちはそれらの存在を恐れるのだそうです。
キノコもその第8領域にいるのだそうです。
これらを恐れる人たちもいる。
「キノコに宇宙からの消滅に引きずられるかもしれない」と。
しかし、日本人たちは宇宙そのものをあまり怖がっていなかったせいか、食べる食べる。探せば、日本の山にも(本当は世界中の山にも)、キノコはいくらでもあって、食べる食べる。
キノコたちも嬉しかったと思うんですよ。
「消滅する運命を持ったものを嫌悪し、無視する」という恐怖の中にいたハエやクモやキノコたち。まあ、ハエやクモは食べませんが、キノコに関しては、これまで、おびただしい量が日本人の胃の中に入り、吸収されていったはずです。
しかも、「山の宝」と褒め讃えられながら。
というわけで、将来、クモやキノコは宇宙から消えてしまうことになるようですが、それを知って以来、クモのことが気になっていましたが、こうやって「集団」で現れました。
実は、ちょっと前に知り合いと会って飲んでいた時に、私が「そういや、この間、クモの集団見たよ」と言うと、その人も「オレもこの間、クモたくさん見たぞ」と言っていました。
以下、その時の会話。
その人 「クモが突然出ると何かあるのかな。地震とか」
わたし 「そういう時は出るんじゃなくて、いなくなるんじゃないの?」
その人 「なんか、クモって意味あんの?」
わたし 「オカルトの話では次の宇宙で消えるんだと」
その人 「クモが?」
わたし 「他にもそういう生き物がいるらしい」
その人 「へえ。じゃあ、挨拶に来てんじゃないかね?」
わたし 「なんの?」
その人 「お別れの挨拶」
というような話をしていました。
ジローさんの見た悪魔これは実際には1カ月ほど前のことで、震災後2週間ほどしてから、久しぶりにみんなで会った時に出た話でした。
このジローさんという人は、学生時代からの知り合いで、劇団のようなものを始めた時に最初に声をかけた人です。この数十年の間には、お互いに何度か所在不明になっているにも関わらず、どこかで偶然会ったりしてしまう、「
腐った縁」という意味では腐れ縁といえます。
彼は、大学を卒業した後、テレビ製作会社でドキュメンタリーを中心に作っていたのですが、その会社を辞めた後、しばらくパチプロをやっていて、その後、所在不明になりつつ、どうやって生きていたのかは知らないですが、今は東京都内の劇場の責任者をやっています。「いい加減な生き方」という点では私と似ています。
その彼は今、西日暮里という東京都内の街に住んでいるのですが、ある日の夕方、本人いわく、「薄暗くなり始めるくらいの時間」に、その街のネットカフェにいて、トイレに行ったのだそうです。
トイレの窓は開いており、ビルの三階だか四階のその高さからは、ちょうど電線が平行くらいに見える場所なのだそう。その窓から見るともなしにボーッと外を見ていると、「
電線に何かが止まっている」ことに気付いたのだそうです。
大きさでいうと、50センチから1メートルくらいの間の大きさのものが電線に止まっている。
「カラス?」と思って見てみると、それは真っ黒ではなく、そしてカラスより大きい上に、「顔みたいな丸い部分」が頭部のほうにある。さらに、じっと見ていると、その電線に止まっていたものの顔が「こっち」を向いたらしいのです。そこには目があり、耳も見えたのだそう。
その姿はジローさんいわく「
ゴシックって映画あったじゃん。あのポスターだよ。あれそのものなんだよ」。
それを聞いて、その場にいた私を含めた3人は大爆笑に陥りました。
「さすがジローさん。アーハッハッハッ」。
どうして笑ったかというと、その「ゴシック」という映画の公開当時(多分、まだ学生だったと思う)、その映画のポスターを見て
「こんな気味の悪い人には一生会いたくないな」と言っていたのは、他ならぬジローさんその人だったからです。
なのに会ってやんの(笑)。
その「ゴシック」という映画のポスターはこれです。

ケン・ラッセルという監督の映画で、1980年代のものだと思います。
こんな感じの何かが、西日暮里の電線の上に止まっていたということのようです。
とはいえ、「それが何である可能性があるのか」は考えたいわけで、みんなで酒を飲みながら話しました。誰が何を言ったかよく覚えていないので、周囲ということで適当に書きます。
周囲 「ワシじゃないの? タカとか」
ジロー「西日暮里にいないよ。それに顔の比率が鳥より大きかった」
周囲 「巨大なフクロウ」
ジロー「それのほうがコワイわ」
周囲 「小さなオジサン」
ジロー「電線に止まれないだろ」
そして、ジローさんは「まあ・・・アレなんだよ。ルックス的に、いわゆる悪魔っぼいんだよね」と言いました。
わたし 「そう思ったんなら、悪魔じゃないの?」
ジロー 「どうして悪魔が西日暮里の電線に止まってんだよ」
わたし 「ジローさんを怖がらせるため(笑)」
このジローさんがどうして動揺したかというと、
彼が「もっともオカルトに興味のない人」のうちの一人だからです。
それだけに、こういうものを見たことにややショックを受けていたようです。
ちなみに、ジローさんはオカルトなんかが書かれてあることもある私のブログもあまり読まないはずですが、最近の内容にふれてこのように私は言いました。
わたし 「まあしかし、こういうものでも何でもね。見られるというのはいいことだと思うよ」
ジロー 「そうか?」
わたし 「最近、オレのブログでさ、人間が認識して初めて宇宙があるとかないとかって話が出てるんだよ」
ジロー 「あるのかないのか、どっちだよ」
わたし 「いやまあ、だから、あるとかないとかなんだけどさ」
ジロー 「どっちもかよ」
わたし 「それもよくわかんないんだよ」
ジロー 「全部わかんないのかよ」
わたし 「そうなんだよ。でも、見ればとりあえずオレらのほうからは視覚なんかで認識できるじゃん。宇宙なんてのはそれでいいんじゃないかって話でさ」
ジロー 「うーむ・・・。よくわかんないけど」
わたし 「今度は、ゴシックが大群でジローさんの部屋に出たりして」
ジロー 「わー、やめろ! それはコワイ」
ところで、そのジローさんも、最近、スズメが増えたことに気付いたと先日言っていました。
つまり、なんかというかこう・・・うちの座敷童(笑)も、ジローさんの見た悪魔(
あるいは小さなオジサン)も、大群のクモも、あるいはスズメや猫やネズミも、基本的に「似たような存在なのかも」と思った春でした。
あるいは、全部が一種の「宇宙劇場」なのかも。