2011年04月01日



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生きている意味: DNA に蓄積されていく人類の体験



三週間

何日とか何週間とかいう感覚がようやく日常的に感じられるようになり、しかし、逆にそう考えると、今日が震災から3週間目というのは早いのか遅いのかがまるでわからなく、あの日は何だか遠い昔のような気もするし、あるいは現実のような気さえしなくなってくるような、いろいろとわからなくなってくる感じもします。

震災後の「時間が止まっていたあいだの時間の流れ」が、少なくとも私自身の中では人生では経験したことのない「異常な時の流れ」だったのだと感じます。


今日も用事も兼ねて、街を歩いていたのですが、1週間くらい前まではたくさんいたマスクをかけて歩く人の姿はめっきりと減って、若い人の多い吉祥寺ではさらに極端に少なくなります。今の時期はそもそも放射能より「花粉症」が問題の季節で、そういう意味では、例年よりもマスクの人が少ない気さえします。


しかし、放射能という問題ではなく、たとえば、ウイルスや様々な有害物質を本当に遮断しようとした場合、あの耳にかけるタイプのマスクでどれほど効果があるのかは疑問にも思わないでもないです。2年くらい前だったか、鳥インフルエンザのパンデミックを恐れて、CDC (アメリカ疾病予防管理センター)が推奨しているタイプのマスクを購入したことがあります。
これはその現物ではないですが、形としては大体こんな感じのものです。

mask.jpg

ひもは耳にかけるのではなく、頭から通して、首と頭で固定して、鼻のところに金具がついているのも特徴で、ここで鼻の形に合わせて密閉します。こういうタイプの遮断率は 95%〜 99.99%くらいまであるようですが、さらにマスクと皮膚の間をクリームなどですき間を埋めると密閉できます。


でまあ、こういう遮断率の高いタイプで完全に口と鼻を密閉すると、どうなるかというと、ただただ「苦しい」んですよ(苦笑)。部屋でじっとしているならともかく、街を歩いたり、あるいは何かするというのは大変で、結局今では、これらのマスクは薬箱の奥に眠っています。

まあ、結局は苦しいくらいでないと、大気中の有毒物質への対処のものとしては使い物にならないのかもしれません。


「息が苦しい」ということで、2つのことを思い出しました。

ひとつは、私は生まれてすぐに小児喘息になって、小学生になるまで続いたのですが、ぜんそくというのは、つまり「発作の時に息ができなくなる」と考えてもいいもので、それだけに「息が出来ない」というニュアンスは何だか切ないものがあります。

あともうひとつは、何年か前に、「息が止まった経験」をしていて、そのことを考えていましたら、「自分は、あるいは人間はどうして生きているのか」ということに対して、非常に素朴な結論・・・というか、考えに至りました
本当に素朴なものですが。



自分の行動を認識しながら死ぬ時に

あれは子どもが1歳になったばかりの頃だったと思いますので、5年くらい前だと思いますが、どういうものかというのはともかく、「突然の大量の出血」で、深夜に救急車で搬送されたことがあります。


救急車でただちに、新宿にある国際医療センターという緊急医療病院に搬送され、輸血、人工呼吸器の装着と共に、深夜から手術が開始されました。この国際医療センターは総理大臣だった橋本龍太郎さんが亡くなった病院だと思います。

意識は半分以上亡くなっていましたが、意識のある時には頭の中では通常とそれほど変わらない考え方をしていたと記憶しています。


どんどん意識は失われていくのですが、その過程で、「呼吸が止まる瞬間」というのを何度か経験しました。人工呼吸器をつけているので、実際には酸素の摂取は行われているのですが、「自力では息ができなくなる瞬間」があるのです。

息を吐いても吸うことができない、あるいはその逆かどちらかの状態になり、朦朧とはしつつも、「ああ、これが息が止まるって状態なんだ。へええ」と、初めて望む臨死体験みたいなものに、いろいろと考えながらいたのですが、少し意識が戻っては、また意識が飛ぶ。


その繰り返しの中で、たまに「あ、次に意識失った時に死ぬな、これは」と予測しているんですよ。


そして、「へえ、死ぬ時ってこんな感じなのかあ」と、やっぱり考えている。

巷で言われているような臨死体験の光景は見なかったですが、意識を失うと、毎回、緑色の草原をトロッコに乗って走っていました。意識が戻った瞬間、「また次の死に臨む」という繰り返しでした。結局、死ななかったんですが、生きるか死ぬかは五分五分くらいの確率だったようです。


手術は数時間くらいに及び、それから2日間の輸血と、1週間の入院をしました。

ちなみに、私は実は本格的な入院というのはそれが初めてのことでした。

国際医療センターには大きな入院病棟があり、おびただしい入院患者が入院しています。
当たり前なのですが、病気の人ばかりがいます。
「病と死」に覆われている場所。

少しその話を書きます。



死に囲まれて

手術の日の最初の一日くらいは緊急治療室みたいなところでひとりだったのですが、単なる大量出血ですので、「その時、死ななかったのなら、あとはもう大丈夫」ということで、すぐ6人部屋に移りました。少し日が経った頃から周囲の入院患者さんとも少し話をするようになりましたが、話すまではその人たちが何の病気かはわからないんですね。


隣のベッドの人は60代くらいに見える立派な感じの男性で、入れ替わり立ち替わり、部下らしい人が来ていたので、ある程度の何かの立場を持っている人のようでした。

その人は末期の膵臓ガンでした。
どのくらいの病状なのかはわからなかったんですが、

「あと1カ月くらいみたいでね」
「え?」
「もって1カ月くらいらしい」
「・・・・・」


その後どうなったかわからないですが、1カ月後くらいには亡くなっていたかもしれないというその人は、特にりきむでも絶望するふうでもなく、見舞いに来た客と淡々と話し、相撲などを見て過ごしていました。


私の向かいのベッドにいた人は、五十代くらいのとても話し好きで、爽やかな感じのする男性でした。ある朝、その人が服を着替えていました。

私 「退院されるんですか」
男性「ええ。・・・まあ、この繰り返しなんですよ」
私 「というと?」
男性「クローン病ってご存じですか?」
私 「クローン病・・・聞いたことはあるような気がしますが」
男性「そういう病気があるんですよ。若い時からなんです。だから、この十何年は入院と退院の繰り返しで」


その男性のベッドの横には段ボール箱が5、6個積まれていました。

私 「それはお持ち帰りになる私物ですか?」
男性「ああ、この箱ですか。これ全部、薬なんですよ」
私 「え?」
男性「もう普通の食事はほとんどできないんです。薬を食べて生きているようなもんで。困ったものです。ハハハ」
私 「・・・・・」


退院後にインターネットで調べて、クローン病というのが原因も治療法もない難病だということを知りました。彼は笑っていましたが、その生活の壮絶さを想像すると何とも考えるものがありました。ちなみに、その人には奥さんも子どもいて、仕事も自分で何か持っているそうです。

部屋の入り口に近いベッドで横になっている老人は、私が入院していた1週間の間、ついに一度も起き上がりませんでした。目を開けている姿も見たことがありません。寝ているというだけの状態。その老人のベッドの横にはいろいろな機械やら装置やらがついていて、デジタルの数字が常に何かの数値を表示し続けていました。

「何かの装置で生命を維持しているように見える人たち」は、他にもたくさんいるようで、「停電とかあったら、あれだよなあ・・・」と思いましたが、今回の地震の時にもこの時のことが思い浮かびました。


私なんぞは「搬送時にだけ死ぬか生きるか」だったですけど、助かった後は放っておけばそれでいいようなものでしたが、多くの入院患者は違いました。「その後が」死ぬか生きるかという人たちをたくさん見ました。


ところで、入院時に、看護婦さんともずいぶん話をしました。担当の女医さんともよく話たんですけど、救急医療をやっている病院のスタッフたちの毎日は本当に地獄のようです。特に看護婦さんたちは、給料的なことから考えると、あまりにも苛酷な勤務態勢で、医療システムというのも・・・なんだか根本的に何かこうおかしい。「こんなシステムがいつまでも続くわけないじゃん」と思いました。

ぼくとデートもできやしないですね、そんな出勤シフトじゃ」と、ひとりの看護婦さんに言ったら妙にウケたようで、深夜の病室でその看護婦さんはずっと笑っていました。まあ、それはまだ私が緊急治療室にいる時で、緊急治療室でくだらない冗談を看護婦さんに言う人はあんまりいないのかもしれません。私は意識が朦朧とした中でも冗談を結構言ってました(笑)。


横道に逸れた上に長くなりましたが、この「息が止まって死にそうになる瞬間」の体験と、「死に囲まれた日常」ということは、自分にとっては記憶に残るものとなっています。



経験の蓄積の中で

その後、普通の生活に戻ったわけですが、わりと頻繁に「あの時、どうして死ななかったのだろう」と考えることはありました。

まあ、自分の生死に意味を見出したいというのは誰にでもあることで、私も他の人の生や死なら大した考えなかったでしょうが、「生死が五分五分の確率」の中で、どうして死ななかったのかなあと。

その時ですでに 40歳を越えているわけで、人生的に考えれば、劇団のようなものを含めて、その時点ではもう「自分の人生でやることは終わっていた」と自分では考えていたわけで、そういう流れだと、死んでいて不思議ではなかったわけですが、そうではなかったことをよく疑問に思っていました。

子どもが生まれてはいたので、それに関しては生き残ったことは良かったかもしれないですが、それとはまた別の自分の人生の問題としてはどうなのだろうかと。


そして、最近(というか今日ですが)、ふと気付いたんですが、それは「その時の生と死自体に意味などなかったんだ」ということでした。「どうして死ななかったんだろう」という質問は存在せずに、あるのは単に、「死ななかった」という現実だけで、あの時に死ななかった場合と死んでいた場合の違いというのは、「その後の人生の経験があったかなかった」というだけだと。


私は最近、DNA が人類に科していることのひとつとしてあることが、「経験を蓄積していく」ことだと考えています。


「考えています」などと書くと、ずっとそういう考えを持っていたようですが、今日、吉祥寺を散歩していて気付いたんですよ(笑)

駅前の道で、(最近は頻繁にあることですが)ものすごい美しい女の子とすれ違った時に、


「今の人とすれ違うことはもうないかもしれないし、さっきの瞬間にさっきの人とすれ違ったという体験はさっき世界でオレひとりが体験しているわけなのだなあ」


と考えていると、つまり、今の体験そのものが「宇宙で(その瞬間としては)自分だけが持つ体験だった」ことに気付くわけです。

そうなると、「日常」というものは、世界中の人たちがこの「宇宙で唯一の体験」を繰り返しているわけで、そして、それは少なくとも、人たちの「意識」の中には残っていく。


さて、その「意識」というものはどこにあるのか


そういう様々なことの役割を持っているのは、一般的には「脳」だとされていますが、しかし、脳は「機能を持つ器官のひとつに過ぎない」と私は思っています。

人間のあるゆる臓器や器官は、様々な人種間であっても見分けがあまりつかないほど似通っている。なので、「脳」というものも基本的には、その機能にはそれほど差はないと思うのです。もちろん、「足が速い」とか「たくさん食べられる」というように、脳の働きに個性や特性はあるわけですが、少なくとも脳は個人の意識の格納場所ではない。

そのもっとも大きな理由は、「脳は人が死んだら腐敗してこの世から消滅してしまう」からです。

死んだら消滅する場所が人間の「意識」や「個性」の格納場所だとすると、あらゆる神秘やオカルトは否定されてしまう。たとえば、前世や無意識といったものまでもが否定されてしまいます。


しかし、人間には未来永劫に消滅も腐敗もしない機能がひとつだけあります。
それは DNA です。

多分、人間のほとんどの意識と個性と記憶と体験と感情はそこに収められて、そして、人の死後にそれは地球や宇宙に拡散していくと思います。それが、「宇宙の歴史を作る」という現象そのものであり、そこから考えると、人間の日々の生活は、それそのものが「宇宙の歴史を作ることに荷担している」ということになるようにも思います。



このことは以前から「そうじゃないかなあ」とは曖昧には思っていましたけど、今日確信したのです。それも、上の吉祥寺の美しい女性を見ることができたおかげでした。その美しい人は脚も綺麗で(いろいろ見てんのかよ)、それを目にして、「こういう記憶が永遠に残らないのはおかしい」と、つくづく思いまして、そして、この強い記憶が格納される場所は、「人間の生と共に消滅していく脳ではない」と私は強く思いました。


「あの美しい人の光景は DNA の中に永遠に刻まれて、そして、それは宇宙に永遠に残るのだ。うっひゃっひゃっ」


と考え、そして、それからクックックッと笑って歩いていました(あーあー・・・もうもう)。



DNA の残された領域は「個性として起動」する

ところで、この DNA には現在の医学や科学などでの、「ジャンク DNA 」というような概念があり、つまり、「DNA の大半(97%と言われている)はガラクタで、機能していない」と。

私は以前、記事で、「人類は宇宙の歴史の中でもっとも優れた生命として存在しているはずだ」というようなことを書いたのですが、その「優れた生命」が持つ DNA がほとんどゴミだ・・・ということはないと思っているばかりか、「人類の持つ機能や器官や構成物質に無駄なものはまったくない」と思っています。

これは、人類の機能が本来は「完璧なもの」という意味でもあります。


脳もほとんど使われていないとか、脾臓も盲腸も松果体も退化した器官だとか、あるいは今の宇宙理論では、宇宙の構成要素も97%近くわかっていない(暗黒物質)とされて、いろいろと分かっていないのが現状です。DNA の場合は 97%の機能について「機能がわからないからガラクタだろう」ということで、現在の学問は進んできたようです。


しかし、幸いなことに、何度かふれていますが、私たちは今、既成の学問の崩壊の入り口にいます。新しい学問が生まれるのかどうかはわからないですが、新しい学問が生まれなくても、古い学問システムの崩壊の中では、少なくとも自由に考えられる領域は増える。 DNA が 100%機能していたとしても、そのすべての機能を知ることなどできないでしょうし、知る必要もあるかどうかわかりませんが、「想像はできる」。


すべての人のすべての考えが真実でいいという時代なら、 DNA の機能も、「それは統一した機能ではないかもしれない」ということはあるわけで、あるいは、この 97%のわからない領域が「人の個性」と結びついている可能性だってあるかもしれません。

ひとりひとり機能が違うから、その個々の役割は永遠にわからないという可能性。あるいは、「そもそも DNA は統一した機能を持たない」という可能性。

または、これからその 97%の領域が起動する時代に入る(個性の時代)というようなことだってあるのかもしれない。


そんなわけで、少なくとも「私にとっての5年前の生と死の意味」。
それは生と死に意味があるのではなく、生きたことにより、体験は続き、それは日々、DNA に蓄積されている。


次に今度は本当に死ぬ時に、 DNA は次のいつかの時代へと伝承され、そして、記憶が次に繋がれていくと。
この「伝承方法」については、これまでの科学での発見で説明できるものですが、これら DNA のことはまた書いてみたいと思います。
まったく宇宙は現実的な存在だと思います。


さて、また、きれいな女性を見ましたら報告したいと思います(メインはそっちかよ)。