右脳と左脳のこと右脳と左脳というような概念が言われ出してから結構な時が経っていますので、いわゆる一般的な意味での「右脳と左脳の役割」というこのはご存じの方が多いかと思われます。
深い意味ではなく、一般論としての右脳と左脳の役割と言われてるものを記しておきます。「
知れば知るほど面白い、右脳と左脳の関係」というページからのものです。
そこには、
右脳 左手の運動 音楽感覚 空間構成
左脳 右手の運動 計算処理 時間連鎖的思考
とあります。
また、上のページの中で特徴的な記述に以下のものがあります。
日本人に洋楽と邦楽を聴かせ、左右のどちらで聴くかを調べた研究があります。その結果、ヴァイオリン、ピアノなどの西洋楽器の音は右脳、尺八、琴などの和楽器の音は左脳と聴き分けていたのです。また虫の音も、欧米人が単なる音として右脳で捉えるのに対し、日本人は“風情”として左脳で感じるとか。
日本人と西洋人という違いはともかく、これは非常に簡単にいうと、
尺八や琴の音、あるいは虫の音を、
・ノイズ(単なる雑音や環境音)として他の音と一緒にするか
・他の音から区別をして、「特別なものとして認識する」か
の違いだといえるように思います。
つまり、
左脳が働いていない場合は、「何もかも雑音として他の自然や生活の音と同列になる」ということを意味していると思われ、すなわち、「聴き分ける」という能力は左脳のものだと理解できます。
音楽が好きな私にとっては、これは大変な発見で、私は様々な音の入っている音楽が好きですが、それら複数の雑多な音を聴き聞き分けているのは左脳の役割が重要であることに気付いたわけです。
通常の生活でも、草が風になびく音や、車が遠くで走る音、雑踏の音など、様々な音が実際の生活の中で鳴っていて、場合によっては「数百から数千の音」が塊になっていることもあると思います。左脳というのが、「その数百の音から琴の音色や虫の声を聞き分ける能力」もつかさどっているということになり、それは「視覚」にも及ぶはずです。
視界に入る数千、あるいは数万に上る色や物体。
その中から「今、見ているもの」だけをピックアップしている。
これが左脳の役割だと知ります。
感じとしては、
・視覚や聴覚そのものが右脳
・それに判断を加えたり情報の取捨選択をするのが左脳というような感じの分け方もできるように思います。
このようなことを前提として書いたのは、
「宇宙の自殺」と「人間の自殺」が脳レベルでは真逆にあるのではないかという推定からです。
ところで、「宇宙の自殺と人間の自殺」という問題とは関係ないことながら、人間の自殺のことを書く際に避けられない問題として、「日本の自殺者の実際の数」という問題があるように思います。
暗い話になりますが、「数」という意味では大事なことでもありますので、書くことにします。
実際の日本人の自殺者の数日本での自殺者の数は、最近は大体1年間で3万人くらいとなっています。「大体」と書きましたが、きわめて「大体」ではあると思われ、
その誤差はプラス4万人から5万人程度に上ると推定するのが統計的な意味では適切だと思われ、多分、日本の自殺者の数というのは、1年間で大体7〜8万人以上とするのが妥当だと思われます。
この計算はどこから来ているかというと、大雑把に書くと、
・1年間の変死者の数
・ WHO や日本の警視庁が発表している「変死者における自殺者の割合」
などから計算できるものですが、この根幹にある問題として、日本という国は、先進国では珍しいほど変死者の検死が行われない国であるということがあります。
上の「1年間の変死者の数」と「変死者における自殺者の割合」の、それぞれの数字ですが、警視庁が毎年発表していて、最近では全国で
1年間で13万人くらいの変死体が報告されています。
また、こちらの
Yahoo! 知恵袋には、このような記述があります。
警察庁が発表している死因が不明ないわゆる変死体は2005年度 136,092人でその内、司法解剖された死体はわずか4,969体だった。 明らかに犯罪によると見られる死体は1,528体で、犯罪による死体ではないか、と疑われる死体の数は12,448体だった。
また、
こちらのページに、平成15年(2003年)の宮城県の県議会の議事録があり、当時の宮城県知事だった浅野史郎さんと警察本部長の東川一さんの答弁があるのですが、ここにこのようにあります。
具体的に、平成十三年における本県と東京監察医務院の東京二十三区のデータを比較いたしますと、本県の死亡者数一万七千三百人のうち変死体数は二千百三十八人で、その割合が一二%です。このうち解剖されたのが百五十四人で、七%になっております。他方、東京二十三区の死亡者数は五万九千八百十人で、このうち変死体数は一万二人となっております。
要するに、宮城県では平成13年の1年間だけで 2138人の変死者があり、東京だけでも1年間だけで約1万人もの変死者が報告されたということです。このふたつの都県の例から考えても、すべての都道府県を合わせた変死者が 10万人を軽く越えているということは、おわかりになるかと思います。
上にあります 2005年の事例には、
136,092人の変死体のうち、犯罪によると見られる死体は1,528体で、犯罪による死体ではないか、と疑われる死体の数は12,448体だった
とあります。
13万人あまりの死因のわからない人々のうちの、14000人くらいは、犯罪が原因だったかもしれないとされています。
それでも、残る11万人以上の死因はなおわかりません。
これは今でも毎年毎年そうで、毎年この10万人以上というのが、「死因がわからない」ままとなっています。なので、
この10年では大体 100万人くらいが「死因がわからないまま」という事実があります。過去50年とかだと、ものすごい数になると思います。
この年間 10万人の死因不明の方々の死因を推定する手立てというのはいくつかあって、たとえば、WHO 世界保健機構では、変死体の約半分を自殺というように計算しているようですが、これに関しての資料はないので、よくわかりません。
他には日本の警視庁の過去の資料があります。
昭和49年(1974年)と、相当古いものですが、警視庁発行の「
警察白書」に掲載されている変死者の内訳です。

変死のうち、自殺が占める割合が 38.3パーセントと、4割近くになっていることがおわかりかと思います。
時代によって多少の変化はしても、この率が極端に変わるというものでもないでしょうし、少なめに見積もって
「変死のうちの約 30パーセントが自殺」とした場合、2005年の変死者の136,092人のうちの約4万人が自殺の可能性があると言えると思われます。
この「4万人」は、公表されている日本の自殺者の数には含まれていないはずですので、公表されている年間自殺者の3万人に上の(少なく見積もって)4万人をプラスすれば、前述した「日本人の実際の自殺者は少なくとも、年間7万人以上はいるかもしれない」ということは、あながち無理な推定ではないと思われます。
実際には年間7万人よりもっと多いと私は考えています。
この十数年の「男性性社会」システム(
弾かれると浮上するのが難しい現代社会の学歴やビジネスのシステム)の肥大を考えると、増え続けているようにも思います。
いずれにしても、日本だけに限っても、十数年で 100万人程度が自殺してきたという推定がある。
時間がどんどん進行していけば、そのうち、累積した数は数千万人、数億人となっていくのかもしれませんし、数千万単位なら、この数千年の日本人だけでもすでになっている可能性もあります。なので、全体の死因の比率から見れば、自殺で死亡する人というのは実数として大変に多いです。
この「自殺者の実際の数」というものをあえて書いたのは、自殺の否定や肯定の意味ではなく、もちろん、陰謀論とか政治的な意味とも関係なく、「
自殺という死因は現在の人の死としてマイナーな要因ではない」という現実を知っておきたいということからです。
▲ 総務庁の統計局にある死因の推移グラフ。左の単位は万人ですので、最近では、ガンでの死亡者数が30万人以上となっているようです。仮に年間の自殺者数が10万人弱だったとすると、非常に大きな死因だということが言えるように思います。右脳という名の宇宙このブログは社会問題のブログではないですので、社会的な意味での自殺の問題は書けないです。
しかし、私は最近は「自殺という死が大変に多い」ということ、つまり、自殺は人間の死因として、数の上では特殊なことではないこと、そして、さらに「
人間の自殺をつかさどっているもの(体内の器官)は何か」ということを考えることが多いです。
最初のほうに「右脳と左脳」というようなことを書きましたが、人間の自殺をつかさどっているのは、その区分でいえば、多分、左脳だと私は考えています。
あるいは、
・右脳の理想世界を左脳がカバーしきれないから自殺的な発想が起きるというような考え方もできるかと思います。
要するに、これはバランスの問題で、右脳も左脳もどちらも突出すると苦しいということになるのではないかと思っています。
まあしかし、脳自体はあくまで「亡くなった後には消えてなくなる単なる器官」であるわけで、人間の思想を根本的に支配しているのは遺伝子や DNA 、あるいは「夢」に見るような過去の記憶の蓄積など、様々な要因がありそうで、そのあたり私にはわからない部分がたくさんあります。
ところで、これらの人間の自殺の話が、どうして「宇宙の自殺」と関係しているのかというと、あることを、ふと思ったからで、それは、
・「宇宙の自殺プログラム」というのは、「人間の右脳そのもの」なのではないかと考えたことが理由でした。
上のほうに引用した部分の下に書いた、右脳と左脳の働きについて、
・ノイズ(単なる雑音や環境音)として他の音と一緒にするか
・他の音から区別をして、「特別なものとして認識する」か
ということ。
これは、震災後の記事でも何度かふれたことがある、
「認識」という問題に行き当たるはずで、たとえば、震災直後に書いた、
本来の日本人が尊敬していた「食べ物という存在」というような記事で、女性性と男性性の違いなどを考える中で、焼き鳥屋で内臓に、レバーだハツだスナギモだと、細かくネーミングを与えるというような行為。
「んー、レバーもう1本とナンコツ、塩とタレで」
なんかは今でも毎晩毎晩どこでもオッサンたちが繰り広げているはずです。
私も昨日繰り広げました。
これらの無駄とも言える執拗な認識(しかも、日常化している)というのは、右脳と左脳の見事な連携ながらも、左脳的な部分は大きい思います、観葉植物などに対する病的な種類分けなどもそうです。
▲ 植物に対する病的な種類分けの例は、ヤフオクを見るだけでわかります。私が、毎日のように見ているヤフオク「観葉植物 > アナナスカテゴリー」より。この調子で数百並んでいます。まあ、私が見ているのは写真だけで、名前がわからなくても、気にいれば買うんですが。要するに、
「宇宙は認識されてこそ存在する」という一点が正しいのなら、「もし、人類の思想が100パーセント右脳に支配された時には宇宙は消滅する」ということになるのではと思ったのです。
そして、これまで書いた様々なことから、私は(個人的には衝撃的ともいえる)ひとつの推定に行きついているのですが、それは、宇宙が人類を作った(?)時に、人類の中に「
宇宙の記憶と共にある器官をひとつだけ残した」というもので、人類は宇宙から独立して、宇宙を認識するべく発展して現在があるというようなことを書いていたりしたのですが、宇宙は、
・人類の中に「右脳という宇宙」を残したのではないか
と感じているのです。
そして、つまり、右脳こそは「宇宙の記憶との接点」であり、それはすなわち、宇宙であると。
だからそこには時間や判断が存在しない。
極めて左脳的に見える現在の人間の社会生活の隣に常に存在する「右脳」。
つまり、常に横にいる「宇宙」。
でも、そこは意識的には触れることができない領域。
最近、堂々巡りをしていた
夢という存在の謎についても、このあたりから何となく想像できそうな感じもいたします。つまり、夢は過去の記憶と同時に、「確かに宇宙にも接続している」のかもと。
ただし、夢の中とはいえ、
右脳だけでの体験は「起きてから夢を言葉で語る」ことはできないわけで、いろいろとありそうですが・・・
いずれにしても、仮に人類が 100パーセント右脳に支配される時があれば、人類は「他の動物と同じように」宇宙サイドにいる生命となり、同時に認識される宇宙は消えていくということになると思ったりしたのでした。
その場合、何しろ「宇宙を客観視している唯一の存在」が消えるのですから、物理的に宇宙の存在が成立しなくなるということです。
実は「物理」という言葉は「認識」という言葉とほぼ同一みたいに最近は思っています。
正直、書いていて、かなりややこしい話だとは思っています。もしかすると、書いていることの意味自体が全然通じていないことは感じないではないのですが(どうしてもうまく書けません)、とりあえずこの状態でアップすることにしました。