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2011年05月27日



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電子は「宇宙に存在するものの中でもっとも丸い存在」だった : 英国の研究者たちの10年間に渡る執念の研究が突き止めた「宇宙の奇蹟」



(※) この記事と共に、

私たちの太陽が「宇宙の中で最も完全な球体」であったことが判明してショックを受ける科学者たち
 2012年08月18日

をお読みいただくと、この世の興味深さに胸を打たれると思います。
ぜひ、上の記事もお読みいただければ幸いです。





今日はもうひとつ翻訳記事です。これは、「電子が完ぺきな丸だった」という素敵な響きにつられて訳したんですが、翻訳した内容自体は特に後半の反物質のくだりのあたりはよく理解していないです。そもそも、私は「電子って何?」という人ですし。

「電子」というものを説明している中で最もわかりやすかったのはこちらのページでした。

電気とはより。

■電子と電荷

電気を知るには、まず電子と電荷のことを説明しなくてはなりません。いきなり難しい話で恐縮です。

genshi.gif

物質を構成する最小単位は原子ですが、原子は中心となる原子核と、その周囲を回転する電子から成ります。原子核の中にある陽子はプラス、電子はマイナスの電気を帯びています(帯電状態)。この帯電状態の物質は電荷(でんか)を持つといい、その大きさの単位はQ(クーロン)といいます。

jiyudensi.gif

多くの物質では陽子も電子の数は一定で、電子は原子核の周囲を回転するだけですが、何かの拍子に軌道を離れる場合があります。この軌道を離れた電子を自由電子といいます。

電気とはこの自由電子の動きをいうのです。
もう少し突っ込んでいいますと、例えば電線の中を自由電子が移動すれば、それが電気の流れ(電流)となるのです。電流とは電子の移動なのです。



要するに、多分、私たちがふだん気軽に使っている「電気」というものは、「電子が移動している状態」のことを言うようです。

この電子ですが、 Wikipedia によりますと、


電子とは、宇宙を構成する素粒子のうちのレプトンの1つである。


素粒子ということで、多分「ちっちゃい」と。

そのちっちゃい電子の動きが電気ということのようですが、その電子というものが、「宇宙に存在している中でもっとも丸い物質だった」という話です。

その「完全な球形ぶり」は記事の表現では、電子を「太陽のサイズ」にまで拡大したとしても、その円形の誤差の範囲は髪の毛一本の中に収まるほど丸いほどの完全な丸である模様です。

これはつまり、最初っから宇宙にあったもののひとつが「完全な丸だった」と。

宇宙はなんだかやはり奇跡ですねえ・・・。


記事中に、「亜原子粒子」という単語が出て来ますが、これは「物理学や化学において原子よりも小さい粒子である。亜原子粒子は核子や原子などを構成する。」とのこと。

では、ここからです。
英国のテレグラフの記事です。

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2011年05月25日



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(訳者注) ここ1年ちょっとくらいの間、何かの記事を思いつきで書いた後、少し待っていれば、それらのことを補強してくれるニュースが出てきてくれるということが続いています。どんなに適当なことを書いても、わりと直後に、必ずそれと関係したニュースが出るということはありがたいことだと思っています。最近はその出現スピードが早くなっています。

今日は昨日 5月24日の米国のタイム誌のサイトの記事です。

タイトルは「宇宙には私たちが考えている以上の数の " 地球タイプの惑星 "が存在するのか?」というもの。

最近の研究では、太陽系外の惑星のサイズや位置から「大気の生成や気候システムのシミュレーション」が可能となっているそうで、フランスの国立天文学研究所の調査により、太陽系外の「地球タイプの惑星の数」が驚くべき数に達しているかもしれないという発表に関してのものでした。

5月9日に In Deep の「ぼんやりと外を見ていて気付いた「宇宙の計画」」という記事を書いた後に、「この関係の新しいニュースが出ないかなあ」と考えていたら、昨日出たという感じです。

上の In Deep の記事の、

宇宙の全域で似たような面子が似たような宇宙を作っていって、似たような銀河、似たような太陽系、似たような地球が無数に作られていく。


の部分の話です。
この「似たような銀河、似たような太陽系、似たような地球」というのは、もともとは、お釈迦様、つまりブッダが言っていたことです。

ブッダは「宇宙はわれわれの惑星系と似た数十億の小さな宇宙から成り立っている」として、下のように書いていました。フレッド・ホイル博士が自著の結びとして書いた部分を「この世の終わりをみんなで考える新年」( 2011.01.07)という記事に書いたことがありますので、そこから抜粋しますと、


 紀元前六世紀に、ブッダの世界観はすでにコペルニクス革命以後に入っていた。彼は宇宙が、各々がわれわれの惑星系と似た数十億の ”小さな宇宙” から成り立っていると記している。ブッダの対話形式になっている古い仏教の教典のなかに無限の宇宙について述べられている。

「無数の太陽、無数の月、・・・、無数のジャムブディパス、無数のアパラゴヤナス、無数のウッタラクラス、無数のブッダビデバス」

 ジャムブディパスとは当時の北インドの人々が知る限りの人の住んでいる地域を表す単語である。この対話から、ブッダが生命と意識(彼はすべての生命に意識があると考えていた)を宇宙の構造に全体として結びついていて別々にできないものと捉えていたことは充分に明らかである。




実際は、ブッダが生きていた時代はまだ観測科学が進んでいませんでした。
宇宙の観測のために大事な赤外線望遠鏡も、成分の分析と特定に大事な分析法も確立されておらず、(やりたいと思っても)それを果たすことはできなかったと思います。

なので、実は私たち「現代の一般民衆」は、当時の偉人、すなわちブッダやキリストや様々な神がかった人々より、はるかに有利な立場で生きていると最近思えるようになりました。ブッダやキリストたちが地団駄を踏んで悔しがるであろうほど、宇宙を直接見たり、宇宙の構成物質を赤外線望遠鏡などの観測から推測できる。

こう考えて生きると、今の時代に生きることもそんなに悪くないかなあと。

私たちは無理して自分たちの存在を卑下ばかりすることもないように思います。

宗教もなくなり、神もいなくなっても、「オレたち人類が地球にいるから地球は大丈夫」と思って生きればいいかと。


ここからタイムの記事の翻訳です。

記事にある「グリーゼ 581d」という惑星については以前、このブログでも記事にしていますので、記事下にリンク等を掲載しておきます。地球から20光年のところにある星で、地球と極めて似た環境であることが最近の研究でわかっています。

私個人として思うのは、パンスペルミア説から見れば、(時代によるでしょうが)地球とほとんど同じ人間と文明が存在すると思っています。地球から20光年離れたこの星にも、日本や西荻窪が存在するかもしれません。

正直ワクワクしますが、私たち人類がグリーゼ に行ける時は来ないと思います。
20光年は近くて遠い。

それでも、この星の存在を知ることができたということ自体が、「何とオレたちは刺激的な時代に生まれることができたのか」と感激いたします。



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2011年05月21日



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昨日、地震に関しての記事をご紹介して(3月11日の地震の前に観測された日本上空の赤外線と電子量の急激な変化)、そこで「地震の発生のメカニズムについての推測に関しては書くつもりはないです」と書いたのですが、仮に今後、このような電離層や赤外線、あるいは超低周波などと地震が密接に関連しているというようなデータや、あるいは研究が出てきた場合に、いろいろな話と結びついていくようなことがあると思っていますので、私の地震に対しての考え方をこの際、書いておこうと思います。

これは最近思いついたということでもなく、2年くらい前から考えていたことに対して、最近、様々なデータで補強されてきているというような部分があります。

まず、世の中にはいろいろな話や意見があり、人工地震などの存在についてもかなり話題となっているものだと思います。

最初に書いておくと、私自身は人工地震、特に巨大地震を人為的に起こすということの現実性については対しては懐疑的ですが、しかし、この「人工地震か、そうではないか」ということに関しては、地震の発生システムそのものと関係のある話でもないので、ここでは、そういう問題とは別に、「そもそも地震とは何か」ということを、あくまで私の考えですが、書いてみたいと思います。



地球上の統一した物理の法則

まず、いきなり科学とは逸れた話となりそうですが、最初にひとつの言葉をご紹介したいと思います。

錬金術の祖師であるヘルメスの「エメラルド板」にある言葉です。

ニュートン力学を確立し、古典力学や近代物理学の祖となったアイザック・ニュートンもまたエメラルド板を研究していた人物でしたが、下の文章はそのニュートンが 1680年に解釈したものの日本語訳からの抜粋です。


・唯一なるものの奇跡の実現にあたっては、下なるは上なるのごとし、上なるは下なるのごとし。

・そして、万物は一者の適合により一者より来る。

・万物は適合によってこの一者に起因す。「太陽」はその父、「月」はその母、「風」はそれを胎内に宿し、「大地」はその乳母である。



med05.jpg

この中の「万物は一者の適合により一者より来る」という言葉は、以前の私は何のことだかわからなかったですが、まあ、今も基本的にはわからないですが、ここ1年くらい、植物や微生物の生態を見ているうちに、そして、有機物と無機物、そして、(ほとんど理解できないといえ)物理の様々などを見ていると、つまり、

・世の中の法則は基本的にひとつ

ということを思うようになりました。小さなものに適応できる物理の法則は大きなものにも適用でき、その理論性、整合性には基本的に例外はないと。


これを最初に書いておきたいと思いました。

つまり、「地震は巨大な物理現象だけれど、基本的な地殻の崩壊のシステムは小さなモノの崩壊と同じ原理のはずだ」という前提条件があるという感じです。



物質の崩壊とは

私は物理をよく知らないので、学術的には書けません。
例えとして書くことしかできないですが、「モノが壊れる」ということに関しては、感覚的には力学的な感じがすると思います。

つまり、何かを壊そうとする時に「力を入れていけばいつかは壊れる」と。

確かにそういうこともあるかもしれないですが、しかし、その崩壊を「爆発的な崩壊の場合」とした時には、爆発的な崩壊には「力を入れていけばいつかは壊れる」という図式は成り立たないというのが、物理的な事実のようです。

たとえば・・・まあ、何でもいいですが・・・古い家のコンクリート塀がボロボロになっていたりといったような、「少しずつ崩壊していっている物体」というようなものは至るところで見ることができると思います。

こういう壊れ方が地震的かというと、そうではないはずで、これらは「穏やかな崩壊」、すなわち、「穏やかなエネルギーの解放」で、あり、自然に力を込めていって壊れる場合には、大体がこのように穏やかに物体は崩壊していくと思われます。

地震というのは、瞬間的に起きる爆発的な破壊によって放たれる巨大なエネルギーの解放であるわけですが、このような「瞬間的に起きる巨大なエネルギーの解放」というものは、実は小さな物理現象でも、「化学(ばけがく=ケミストリー)」的な刺激が加わらないと発生しません。

たとえば、ごく普通程度の力の持ち主が、「石を万力で壊したい」とします。

万力に石を挟んで渾身の力でグリグリと石に力を加えていっても、通常ではなかなか壊れません。あるいは、腕力のある人なら、石の周囲からボロボロと崩れていって、崩壊させることは可能かもしれないですが、その壊れ方は穏やかな崩壊であり、爆発的なエネルギーの解放である地震的ではないといえそうです。

石を「地震でのエネルギーでの解放」のように崩壊するには、「パーン!」と一気に石が崩壊するようなアクションが必要となるはずです。

どうしたら、「石はパーン」と行くのか。

ここで化学(ばけがく)的な反応が登場します。

何でもいいと思いますが、たとえば水。

万力で力を加えていった石に水を一滴垂らすと、石は一気に崩壊します。


あるいは、「過冷却」という状態。

冷凍庫に入れて零度以下ではあるけれど、まだ凍っていない水。
それに「ちょっとした刺激」を与えただけで瞬時に凍る現象です。
下の動画では氷を入れていますが、これは何でもいいのです。米粒を一粒入れただけで水は一瞬で凍ります。



「過冷却」で YouTube で探すとたくさん出てくると思います。

これら化学的反応による現象は、徐々に起きる現象というものとは違う劇的な反応を見せます。

「爆発的なモノの変化や崩壊」というものは、ほとんどがこのような「何らかの化学的な反応を伴うもの」だと考えられていて、つまり、だとすると、世の中の法則は基本的にひとつだという前提に立つと、地震も同じように「化学(ばけがく)的な反応現象」である可能性が高いと考えられます。


また、「化学的な反応を伴わない地震」というものも存在していて、それはいわゆるスロースリップ等と呼ばれる地震です。これは断層等が爆発的なエネルギーの解放を伴わずに移動する現象で、この地震は揺れません。

非常に大きな断層のズレでもまったく揺れません。

それは、そこに「瞬間的で爆発的なエネルギーの解放が伴わない」からです。

要するに、地質的なこととは別に、

・爆発的な反応現象である地震には化学的な刺激が必要

だということだと思います。

地震に至るまでの地質的な要因は存在しながらも、最終的に地震発生のトリガーを引くのはその「化学的刺激」ということになるはずです。



人工地震の可否

結局、この「化学的な刺激」というものが何かということなんでしょうが、それに対してのいろいろな意見はいろいろとあるのだと思います。人工地震という人もいるでしょうし、そうではないという人もいると思います。

ちなみに、私自身は全部ではなくとも、「多くの」地震に関しては、宇宙線が化学的な刺激となっていると考えています。

その理由は、たとえば、海底の地中深くが震源となるような地震というのはよく起きます。先日の東北の巨大地震もそうでしたし、日本には他にも海底に多くの震源域を持ちます。そして一方で、「海底ではない震源」もあります。

そして、震源の深さというのは、10キロ以内のごく浅いものから、深いものになると、500キロ以上の深い場所で発生する地震もあります。

それらの場所すべて(海、大地、浅いところ、深いところ)に対して化学的刺激を与えられる可能性のある物質というのは(現在の科学で考えられる範疇では)宇宙線しか存在しないからです。地球を通り抜けて進行するほどの透過力と、そして非常に高いエネルギーを合わせ持つ物質は宇宙線以外には今のところは考えられないように思います。

HAARP 等による地震という説もとても根強いと思います。そして、これはそれによる地震を否定するという意味ではないですが、 HAARP 、あるいは今、地球上に多くある電離層へ刺激を与えるシステムの多くが、「超低周波」のたぐいを発信させているというところに、「トリガー」としては難しい面を感じます。

一般論ですが、同じ種類の低周波が大地も海も越えて進むということは無理で、たとえば、水で止まるもの、大地で止まるもの、といろいろですが、すべてを伝導していくことは難しいものです。

なので、空中へ放射した超低周波が地上にリフレクトして戻ってきても、そこが海の場合、海底まで届かせるということは現在の地球の技術では大変に難しい(ほぼ不可能)ように感じます。

もちろん、「それを越えた科学を持っている」ということになるとわからないですが、私自身は現在の地球の公表されている科学しか知らないですので、その点だけから見ると、上のような考え方にはなります。


ただ、昨日の記事に載せました「地震前の電離層での電子数の変化」が、実際に観測されていますので、仮にこの「電離層での電子数」というものが地震発生と関係するのなら、何かの関わりを考えることもできるのかもしれません。

3-11-tec.gif

▲昨日の記事に載せた2011年3月08日の電離層の電子数の分布図。赤いほど電子数が多い。


ちなみに、過去に人工的な地震の刺激を発生させることに成功した化学的物質としては、

・水
・核爆弾

などがあります。



大雑把な書き方でしたが、地震発生のメカニズムの研究というのは、つまり「トリガーの研究」という方向に現在は移行してきています。上でいうところの「化学的反応を起こしているものは何なのか」ということです。

現在のところ地球上のすべてを透過する物質は宇宙線だけで、また宇宙線というのは、とてつもない高エネルギーの物質であり、最近いくつか記事にしましたが、地球の天候を牛耳っている可能性も指摘され始めていて、これが原因だとすることにはそれほど違和感は感じないというのが現状です。


ちなみに、私自身は地震予知というものの是非はわからないですが(現在の方向にしても、衛星などの設備のある国でないと予測できないから)、前回の記事や、 DEMETER 衛星観測の観測結果などから見ても、実は現在、「地震の真実」に近い位置まで人類は来たと感じています。
タグ:地震



  

2011年05月20日



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個人的にかなり強烈な報道記事で、日本の地震と関係した海外の報道記事としては、今まで見たものの中で個人的に最も興味深いものです。

米国の科学技術系サイトのテクノロジー・レビューの5月18日の記事として掲載されていたもので、その内容は、

マグニチュード9の地震があった前日までに日本上空の赤外線量と電離層の電子量が増大したことがデータ上で確かめられた

という記事です。

今回紹介するのはその報道記事ですが、元となったカーネル大学のライブラリーにある学術論文(英語)はこちらにあります。


私はずいぶん以前から「地震の直前に地球の高層圏(地上から非常に高くて宇宙から観測するような場所)で発生事象の数々が起きる」ことに興味を持っていました。


下の図は今回の報道のもととなった研究発表文書にある図の中の「3月10日から3月12日」までのOLRと呼ばれる赤外線のエネルギー量の変化です。

・3月10日から3月12日までの赤外線のエネルギー量の変化

3-11-orl.gif


また、下の図は、3月8日の TEC値と呼ばれる、GPSでの解析による「電離層全電子数」の分布です。

・3月8日の電離層全電子数

3-11-tec.gif


赤い部分が電離層中の電子の数の多い場所です。日本周辺の真っ赤ぶりがおわかりでしょうか。これと、上の赤外線のエネルギー量の変化を見ると、ここから地震に関しての何らかの研究が導き出される可能性は「非常に高い」と感じます。


うーむ・・・。

ところで、翻訳記事に出てくる DEMETER衛星観測 とは、こちらのサイトによると、

DEMETERは地震電磁気観測と地球電磁環境観測を目的としたフランス宇宙研究センター(CNES)の小型衛星プロジェクトで、2004年6月29日に打上げられ、マグニチュード4.8以上の地震 9000回との統計解析の結果、地震4時間前に夜間VLF帯電波強度が顕著に減少することを報告しています。

とのこと。


ところで、ずいぶんと昔ですが、こちらのブログの記事で、銀雲というものについてふれたことがありました。

これは「地球の表面の地平線の上の高度およそ60kmないし70kmでしか見ることができない雲」で、つまり宇宙からしか見えないのですが、ロシアの宇宙飛行士たちは「これが見えると必ず地上で地震が起きる」と言っていて、宇宙飛行士たちはこの高高度にある雲と地震の関係を確信していたという話があります。

私は地震の発生の原則についての推測に関しては今後も含めて書くつもりはないですが、地球で起こる多くのことに関して、宇宙線の関与が大きいとは考えています。書くとしたら日記で「娯楽として」書くと思います。

それでは、ここから記事の翻訳です。





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2011年05月15日



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(訳者注) 昨日の記事「宇宙線が雲を生成に関係していることを証明しようとするデンマークでの実験」は久しぶりに長い翻訳でしたが、わりと問題ないようですので、好きなニュースを見た時にまた翻訳しますね。

今回のは今朝見だしを見て「へえ」と思ったニュースです。

米国のラトガース大学の研究グループによる DNA のゲノム解析によって、氷河期の終わりだった1万2000年ほど前に北米大陸で住んでいた人の数が「たった 70人」だったことを突き止めたというニュースです。

「人類の文明の始まり」については、世界のどの地域にしてみても非常にわからないことが多いですが、最近のこういう研究では、1万年くらい前までは本当に地球には人類は少なかったようです。


ちなみに、現在の科学では、今地球にいる人類のほとんどすべては、20万年前くらいにアフリカにいた女性(俗称ミトコンドリア・イブ)の子孫とされていて、その女性が「全人類の最も近い共通の女系祖先」ということになっています。

「この女性がすべての人類の祖先」というようなふうに言われることがありますが、厳密にはそういう意味ではないようで、このページのこの部分が正しいようです。ウィルソン博士がこの説を発表したのは 1987年のことです。関係ないですが、太陽黒点の最大期でした。

この説は分子生物学者であるアラン・ウィルソン博士らのグループによって提唱され、無作為抽出した147人のミトコンドリア DNA の塩基配列を解析した結果から、全人類の共通の祖先がアフリカにいたことを示唆する系統樹を作成したことによる。

博士自身、人類がたった一人の女性から始まったと言っていたわけではなく、最低でも数十〜数百人規模のコロニーから始まったと見ている。世代を重ねて単一のミトコンドリアDNAを持つに至ったコロニーから各地に分散していったのではないか、というのが本来の説。最近ではミトコンドリア・イブを7人とする説もある。



とはいえ、今の瞬間の現時点では「人類すべてのお母さんが彼女ひとり」という言い方でも特別には問題ない感じもいたします。

おもしろいのは、この人類すべてのお母さんともいえる彼女につけられた名前にある「ミトコンドリア」という存在そのものが、以前書いたこともある「地球存在自体が女性である」ということにもつながる部分は感じます。

ミトコンドリア・イブから抜粋します。

■ミトコンドリアDNA

ミトコンドリアDNAは必ず母親から子供に受け継がれ、父親から受け継がれることはありません。したがってミトコンドリアDNAを調べることで、母親からその母親への家系を調べことができます。父親をたどることはできません。



これはつまり、「女性の存在がこの世になければ、人類はどれだけ科学を進めたところで自分たちの祖先を探ることはできない」という仕組みを人類は自分たちの体の中に持っているということにもなります。


s15_02.jpg

▲ ミトコンドリア。ミトコンドリアは細胞の小器官で、この中にあるDNAをミトコンドリアDNAというそうです。


これは「生物学的にはすでに消滅が「確定」している男性の染色体」という記事で書いた、消えていく男性染色体の話と合わせると、とても面白い「男性の存在」を感じます。

女性の遺伝子は永遠に存在の証拠を伝承し続けて、人類創造の痕跡を残している一方で・・・。


男性の遺伝子は、「飛ぶ鳥あとを濁さず、旅の恥は掻き捨て」という存在であることがおわかりかとも思います(笑)。

何も残さず、何も生まない、そして、最終的には消滅していく存在。
それが男性なのだなあと、最近次々と明らかになる DNA 解析と遺伝子の正体の研究を見ていると、しみじみと感じます。

だから、男性ってのは刹那的なのかも。

私などにしてみれば、生きていてそこが楽しいところですが。


それでは、ここからが翻訳です。

なお、文中に「クローヴィス文化」という言葉が出て来ますが、これは、「後期氷河期の終わり、放射性炭素年代測定によると13000年前から8500年前とされる時期に北米を中心に現われた、独特な樋状剥離が施された尖頭器を特徴とするアメリカ先住民の石器文化」とのことです。



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2011年05月14日



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また唐突ですが、非常に気になるニュースを見つけたので、翻訳しました。
デンマークの国立宇宙センターで、「宇宙線が雲の生成に影響していることを証明した」という実験報告があったというニュースです。

最近、このブログでも天候のことなどを書いていますが、宇宙線と天候の関係というのは古くから言われていたわりには、その実験はなかなか行われていませんでした。欧州原子核研究機構(CERN)の CLOUD 実験というものが、ややそれに該当するもののようです。

実際、今でも「雲がなぜできるか」はよくわかっておらず、だからこそ、世界的な研究対象となっています。

In Deep の最近の関係記事としては、

地球の天候と人類との関係について考えてみたりしています (In Deep 2011年04月29日)
太陽活動と宇宙線。そして、地球の天気(地球の記録 2011年03月25日)

などです。
地球の天候の解明というのは、私のこの1年間ほどの間で最もよく調べて、そして最もよくわからなかったジャンルのひとつでした。

専門用語がいくつか出ていますので、先に注釈しておきます。

霧箱 → 蒸気の凝結作用を用いて荷電粒子の飛跡を検出するための装置。1897年にチャールズ・ウィルソンが発明した。
欧州原子核研究機構 → CERN。スイスのジュネーヴ郊外でフランスと国境地帯にある、世界最大規模の素粒子物理学の研究所。
CLOUD 実験 → CERNで行われている宇宙線と、エアロゾルや雲粒、雲氷の関係がどのようにつながっているかを解き明かす実験。



非常に簡単にここでの論旨を書くと、「太陽活動が強い時には太陽の磁場により、地球に到達する宇宙線の量が少なくなり、それによって地球全体の雲の量が減り、地球の気温は上がる。太陽活動が弱い時にはその逆の作用で地球は低温となる」ということのようです。

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右脳と左脳のこと

右脳と左脳というような概念が言われ出してから結構な時が経っていますので、いわゆる一般的な意味での「右脳と左脳の役割」というこのはご存じの方が多いかと思われます。

深い意味ではなく、一般論としての右脳と左脳の役割と言われてるものを記しておきます。「知れば知るほど面白い、右脳と左脳の関係」というページからのものです。
そこには、

右脳 左手の運動 音楽感覚 空間構成
左脳 右手の運動 計算処理 時間連鎖的思考
 

とあります。

また、上のページの中で特徴的な記述に以下のものがあります。

日本人に洋楽と邦楽を聴かせ、左右のどちらで聴くかを調べた研究があります。その結果、ヴァイオリン、ピアノなどの西洋楽器の音は右脳、尺八、琴などの和楽器の音は左脳と聴き分けていたのです。また虫の音も、欧米人が単なる音として右脳で捉えるのに対し、日本人は“風情”として左脳で感じるとか。


日本人と西洋人という違いはともかく、これは非常に簡単にいうと、尺八や琴の音、あるいは虫の音を、

・ノイズ(単なる雑音や環境音)として他の音と一緒にするか

・他の音から区別をして、「特別なものとして認識する」か


の違いだといえるように思います。
つまり、左脳が働いていない場合は、「何もかも雑音として他の自然や生活の音と同列になる」ということを意味していると思われ、すなわち、「聴き分ける」という能力は左脳のものだと理解できます。

音楽が好きな私にとっては、これは大変な発見で、私は様々な音の入っている音楽が好きですが、それら複数の雑多な音を聴き聞き分けているのは左脳の役割が重要であることに気付いたわけです。

通常の生活でも、草が風になびく音や、車が遠くで走る音、雑踏の音など、様々な音が実際の生活の中で鳴っていて、場合によっては「数百から数千の音」が塊になっていることもあると思います。左脳というのが、「その数百の音から琴の音色や虫の声を聞き分ける能力」もつかさどっているということになり、それは「視覚」にも及ぶはずです。

視界に入る数千、あるいは数万に上る色や物体。

その中から「今、見ているもの」だけをピックアップしている。
これが左脳の役割だと知ります。

感じとしては、

・視覚や聴覚そのものが右脳

・それに判断を加えたり情報の取捨選択をするのが左脳


というような感じの分け方もできるように思います。


このようなことを前提として書いたのは、「宇宙の自殺」と「人間の自殺」が脳レベルでは真逆にあるのではないかという推定からです。


ところで、「宇宙の自殺と人間の自殺」という問題とは関係ないことながら、人間の自殺のことを書く際に避けられない問題として、「日本の自殺者の実際の数」という問題があるように思います。

暗い話になりますが、「数」という意味では大事なことでもありますので、書くことにします。



実際の日本人の自殺者の数

日本での自殺者の数は、最近は大体1年間で3万人くらいとなっています。「大体」と書きましたが、きわめて「大体」ではあると思われ、その誤差はプラス4万人から5万人程度に上ると推定するのが統計的な意味では適切だと思われ、多分、日本の自殺者の数というのは、1年間で大体7〜8万人以上とするのが妥当だと思われます。

この計算はどこから来ているかというと、大雑把に書くと、

・1年間の変死者の数

・ WHO や日本の警視庁が発表している「変死者における自殺者の割合」


などから計算できるものですが、この根幹にある問題として、日本という国は、先進国では珍しいほど変死者の検死が行われない国であるということがあります。

上の「1年間の変死者の数」と「変死者における自殺者の割合」の、それぞれの数字ですが、警視庁が毎年発表していて、最近では全国で1年間で13万人くらいの変死体が報告されています。

また、こちらの Yahoo! 知恵袋には、このような記述があります。

警察庁が発表している死因が不明ないわゆる変死体は2005年度 136,092人でその内、司法解剖された死体はわずか4,969体だった。 明らかに犯罪によると見られる死体は1,528体で、犯罪による死体ではないか、と疑われる死体の数は12,448体だった。


また、こちらのページに、平成15年(2003年)の宮城県の県議会の議事録があり、当時の宮城県知事だった浅野史郎さんと警察本部長の東川一さんの答弁があるのですが、ここにこのようにあります。

具体的に、平成十三年における本県と東京監察医務院の東京二十三区のデータを比較いたしますと、本県の死亡者数一万七千三百人のうち変死体数は二千百三十八人で、その割合が一二%です。このうち解剖されたのが百五十四人で、七%になっております。他方、東京二十三区の死亡者数は五万九千八百十人で、このうち変死体数は一万二人となっております。


要するに、宮城県では平成13年の1年間だけで 2138人の変死者があり、東京だけでも1年間だけで約1万人もの変死者が報告されたということです。このふたつの都県の例から考えても、すべての都道府県を合わせた変死者が 10万人を軽く越えているということは、おわかりになるかと思います。

上にあります 2005年の事例には、

136,092人の変死体のうち、犯罪によると見られる死体は1,528体で、犯罪による死体ではないか、と疑われる死体の数は12,448体だった


とあります。

13万人あまりの死因のわからない人々のうちの、14000人くらいは、犯罪が原因だったかもしれないとされています。

それでも、残る11万人以上の死因はなおわかりません。

これは今でも毎年毎年そうで、毎年この10万人以上というのが、「死因がわからない」ままとなっています。なので、この10年では大体 100万人くらいが「死因がわからないまま」という事実があります。過去50年とかだと、ものすごい数になると思います。

この年間 10万人の死因不明の方々の死因を推定する手立てというのはいくつかあって、たとえば、WHO 世界保健機構では、変死体の約半分を自殺というように計算しているようですが、これに関しての資料はないので、よくわかりません。

他には日本の警視庁の過去の資料があります。

昭和49年(1974年)と、相当古いものですが、警視庁発行の「警察白書」に掲載されている変死者の内訳です。

0136a.gif


変死のうち、自殺が占める割合が 38.3パーセントと、4割近くになっていることがおわかりかと思います。

時代によって多少の変化はしても、この率が極端に変わるというものでもないでしょうし、少なめに見積もって「変死のうちの約 30パーセントが自殺」とした場合、2005年の変死者の136,092人のうちの約4万人が自殺の可能性があると言えると思われます。

この「4万人」は、公表されている日本の自殺者の数には含まれていないはずですので、公表されている年間自殺者の3万人に上の(少なく見積もって)4万人をプラスすれば、前述した「日本人の実際の自殺者は少なくとも、年間7万人以上はいるかもしれない」ということは、あながち無理な推定ではないと思われます。

実際には年間7万人よりもっと多いと私は考えています。

この十数年の「男性性社会」システム(弾かれると浮上するのが難しい現代社会の学歴やビジネスのシステム)の肥大を考えると、増え続けているようにも思います。

いずれにしても、日本だけに限っても、十数年で 100万人程度が自殺してきたという推定がある。

時間がどんどん進行していけば、そのうち、累積した数は数千万人、数億人となっていくのかもしれませんし、数千万単位なら、この数千年の日本人だけでもすでになっている可能性もあります。なので、全体の死因の比率から見れば、自殺で死亡する人というのは実数として大変に多いです。

この「自殺者の実際の数」というものをあえて書いたのは、自殺の否定や肯定の意味ではなく、もちろん、陰謀論とか政治的な意味とも関係なく、「自殺という死因は現在の人の死としてマイナーな要因ではない」という現実を知っておきたいということからです。

death-ele.gif

総務庁の統計局にある死因の推移グラフ。左の単位は万人ですので、最近では、ガンでの死亡者数が30万人以上となっているようです。仮に年間の自殺者数が10万人弱だったとすると、非常に大きな死因だということが言えるように思います。



右脳という名の宇宙

このブログは社会問題のブログではないですので、社会的な意味での自殺の問題は書けないです。

しかし、私は最近は「自殺という死が大変に多い」ということ、つまり、自殺は人間の死因として、数の上では特殊なことではないこと、そして、さらに「人間の自殺をつかさどっているもの(体内の器官)は何か」ということを考えることが多いです。


最初のほうに「右脳と左脳」というようなことを書きましたが、人間の自殺をつかさどっているのは、その区分でいえば、多分、左脳だと私は考えています。

あるいは、

・右脳の理想世界を左脳がカバーしきれないから自殺的な発想が起きる

というような考え方もできるかと思います。
要するに、これはバランスの問題で、右脳も左脳もどちらも突出すると苦しいということになるのではないかと思っています。


まあしかし、脳自体はあくまで「亡くなった後には消えてなくなる単なる器官」であるわけで、人間の思想を根本的に支配しているのは遺伝子や DNA 、あるいは「夢」に見るような過去の記憶の蓄積など、様々な要因がありそうで、そのあたり私にはわからない部分がたくさんあります。


ところで、これらの人間の自殺の話が、どうして「宇宙の自殺」と関係しているのかというと、あることを、ふと思ったからで、それは、

・「宇宙の自殺プログラム」というのは、「人間の右脳そのもの」なのではないか

と考えたことが理由でした。

上のほうに引用した部分の下に書いた、右脳と左脳の働きについて、


・ノイズ(単なる雑音や環境音)として他の音と一緒にするか

・他の音から区別をして、「特別なものとして認識する」か


ということ。

これは、震災後の記事でも何度かふれたことがある、「認識」という問題に行き当たるはずで、たとえば、震災直後に書いた、本来の日本人が尊敬していた「食べ物という存在」というような記事で、女性性と男性性の違いなどを考える中で、焼き鳥屋で内臓に、レバーだハツだスナギモだと、細かくネーミングを与えるというような行為。

「んー、レバーもう1本とナンコツ、塩とタレで」

なんかは今でも毎晩毎晩どこでもオッサンたちが繰り広げているはずです。
私も昨日繰り広げました。

これらの無駄とも言える執拗な認識(しかも、日常化している)というのは、右脳と左脳の見事な連携ながらも、左脳的な部分は大きい思います、観葉植物などに対する病的な種類分けなどもそうです。


ananas.gif

▲ 植物に対する病的な種類分けの例は、ヤフオクを見るだけでわかります。私が、毎日のように見ているヤフオクの観葉植物 > アナナスカテゴリーより。この調子で数百並んでいます。まあ、私が見ているのは写真だけで、名前がわからなくても、気にいれば買うんですが。


要するに、「宇宙は認識されてこそ存在する」という一点が正しいのなら、「もし、人類の思想が100パーセント右脳に支配された時には宇宙は消滅する」ということになるのではと思ったのです。

そして、これまで書いた様々なことから、私は(個人的には衝撃的ともいえる)ひとつの推定に行きついているのですが、それは、宇宙が人類を作った(?)時に、人類の中に「宇宙の記憶と共にある器官をひとつだけ残した」というもので、人類は宇宙から独立して、宇宙を認識するべく発展して現在があるというようなことを書いていたりしたのですが、宇宙は、

・人類の中に「右脳という宇宙」を残したのではないか


と感じているのです。

そして、つまり、右脳こそは「宇宙の記憶との接点」であり、それはすなわち、宇宙であると。
だからそこには時間や判断が存在しない。

極めて左脳的に見える現在の人間の社会生活の隣に常に存在する「右脳」。
つまり、常に横にいる「宇宙」。
でも、そこは意識的には触れることができない領域。


最近、堂々巡りをしていた夢という存在の謎についても、このあたりから何となく想像できそうな感じもいたします。つまり、夢は過去の記憶と同時に、「確かに宇宙にも接続している」のかもと。

ただし、夢の中とはいえ、右脳だけでの体験は「起きてから夢を言葉で語る」ことはできないわけで、いろいろとありそうですが・・・


いずれにしても、仮に人類が 100パーセント右脳に支配される時があれば、人類は「他の動物と同じように」宇宙サイドにいる生命となり、同時に認識される宇宙は消えていくということになると思ったりしたのでした。

その場合、何しろ「宇宙を客観視している唯一の存在」が消えるのですから、物理的に宇宙の存在が成立しなくなるということです。
実は「物理」という言葉は「認識」という言葉とほぼ同一みたいに最近は思っています。


正直、書いていて、かなりややこしい話だとは思っています。もしかすると、書いていることの意味自体が全然通じていないことは感じないではないのですが(どうしてもうまく書けません)、とりあえずこの状態でアップすることにしました。
タグ:宇宙と人間



  

2011年05月11日



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東京は連日どうも暑苦しい感じの気候だったということもあるのでしょうけれど、昨晩もあまり寝付けずに、朝方やっとウトウトしていた時に、いくつか夢を見たのですが、その最後に見た夢がとても印象的で、起きた時には実際に涙を流していましたので、なんとなく感動したみたいです。

そういえば、最近は、「夢」のことをたまに書いていましたが(夢の重要性についてなど)、最近はあまりハッキリと夢を覚えていない日が続いていたような気がしますので、あれだけハッキリした夢を見たのは久しぶりな気がします。

情景は全部覚えていますが、うまく書けるかどうかわからないのですが、その夢の内容を書いておきます。


(2011.05.10)

前半のほうはいろいろとアドベンチャーがあったのですが、それは省略して、今日のその日の夢のドラマも山場を越えて、気付くと、私は宇宙船か、あるいはどんな乗り物か外部から見ていませんのでわかりませんが、いずれにしても、「宇宙空間が中から見える乗り物」に乗っていました。

他に数人いるようですが、その時はそれが誰だかわかりません。

私自身はなぜか非常に投げやりな気持ちになっていて、乗り物の床に座っているか、寝そべって、ボーッと外(宇宙空間)を見ています。

「あああ、だるい」

とかそんな感じですね。


そのうち、乗っている乗り物が「降下していく」感覚を感じました。
外を見てみると、外から見える様々な惑星、赤っぽいのや青っぽいのもありますが、それらが風景の「下から上へ」と流れていっているので、乗っている乗り物自体はやはり下降しているようです。

つまり、「乗り物が下に落ちている」。

それでも、別に気にするでもなく、投げやりにボーッとしている。

「ふぁわわわわわ〜、だりぃ、うぜー」

という感じで。


外の風景からは次々と惑星が脱落していき、次第に風景の中に惑星などは見えなくなってくる。


個人的にも「そろそろ下に行き着くのではないか」と感じている。

「下」というのが具体的にはよくわからないのですが、要するに「宇宙の底」というような感覚かもしれません。

外を見ると、今度は惑星というより、星自体が消え始めている。
星が見えていた場所はどんどんと黒い「壁」になっていき、星はさらに消えていっています。

ふいにその黒い壁の頂上に「地球」が見えました。

「あ、地球だ」

と、私は声には出さないものの、その黒い壁の上にある地球を寝そべって眺めています。

いろいろと去来する地球の思い出。

今の落下の感覚では、もうすぐ底に到達しそうな感じが非常にします。
多分あと何秒とかそういう感じで。


そして・・・。

宇宙の中に「黒い水面みたいな底」が見えてきたのですね。


Black-water.jpg

▲ こういうのが「宇宙の底のように思える場所」に見えてきたんです。


その「底」が見えた瞬間。

「やっぱ戻ろうかな」

と私は立ち上がり、でも、どうしていいのかよくわからなかったのですが、そこで、「水面に息を吹きかけて、風力で上昇してみる」ということしてみることにしました。

思いついたんだか、誰かに言われたのかわかりませんが、それをしてみた。
乗り物の窓か床のようなものを開けると、真っ黒な水面はすでに足元ギリギリのところまで来ていました。

乗り物の真下に広がる真っ黒な水面に、フーッと全身を使って、思い切り息をかけると、なんと、乗り物は少し上に上がっていく。

「お、これでいけちゃう?」

と思って、それを見ていましたが、息を吹きかけていない時、つまり休んでいる時にも乗り物はまだ上に上がっている。

「どうして?」と横を見ると、いつからそこにいたのか知らないですが、私の子どもが一生懸命、下の黒い水面に息を吹きかけている。

そして、誰だかわかんないですが、他の場所でも何人かの人がそれをやっている。

私もまたその「作業」に戻り、一生懸命に「宇宙の底」のような黒い水面に息を吹きかけ続けると、さきほどの黒い壁の上の地球がまた見えてきました。

「ほお」

と、あとは子どもや他の人に任せて(休むなよ)、外を見ていると、先ほど宇宙の風景から消えていった星や惑星が次々とまた現れてくる。

「こりゃいい」

と私は満足げにしていると、また、宇宙の風景は元通りに戻っていきました。

その時、乗り物のドアのようなものが開きました。
その向こうに何かある。

私はドアの向こうに歩いて行きました。


そこは、実際には行った記憶はない店ですが、カウンター席が中心の、とてもきれいな作りの焼き鳥屋、あるいは飲み屋のような店でした。

店は満員で、そして、そのお店のカウンターにはガイジン(白人)の男たちが何人か座っていて、みんな満面の笑みでビールを飲んでいる。

おもしろかったのは、その店のビールは瓶ビールで、コップはよくあるサッポロビールの小さなコップなんですが、ガイジンたちは注ぐのにあまり慣れてないせいか、泡がコップの外にこぼれてしまう。

しかし、ガイジンの男たちはすぐにそれをズズズと口で吸って、そして、私に、

「こうやって泡を吸えば大丈夫ネ。だいぶ、ワタシもうまくなったネ」

と私に言います。
私はそれを聞いて、苦笑しています。

カウンターの一番端に座っている大柄のガイジンは黒いTシャツに帽子を被ったお洒落な感じの男なのですが、カウンターの彼の横に、ショートヘアでボーイッシュな日本人女性の一人客が座りました。

もうその外人の大男は大照れで、突然ハシャギだして、真っ赤な顔をしてビールを飲んで、大声で嬉しそうに何か言っています。

カウンターの中にいる若いお店の人が、

「なんだかうるさくなってきちゃいましたねえ。でもまあいいか」

と笑っています。

誰もかれもが笑って大騒ぎの喧噪に包まれている焼き鳥屋の中で、

「ああ、戻ってきてよかった」

と思っている時に目が覚めました。



目覚めた時に、ものすごい泣いていましたので、多分、夢の中でも泣いていたのでしょう。


まあ、いい夢でしたが、あれほどリアルに宇宙の中での落下を夢の中で経験したのは、初めてのことでしたので、いろいろと危なかった(精神的にという意味)のかもしれないですね。

やはり、昨日、「宇宙の自殺がどうだこうだ」と書いたことと関連して見たのだとは思います。


確かに夢は不思議ですね。
そして、それがどうして不思議なのかも、昨日の「宇宙の自殺」の話と絡めると、なんとなく理由もわかるような気もしています。


今回の夢は、昨日の記事と関係している感じがとてもしましたので、「追記」として書かせていただきました。2、3日のお休みというのはそのままにさせていだきますね。


ところで、昨日の記事ではなく、その前の記事のぼんやりと外を見ていて気付いた「宇宙の計画」という記事で、

アジアの日本の東京の西荻窪という街。
あるいはその中の私の部屋の中の机の上。

そして自分と周囲の人をちゃんと見るだけで宇宙のことはすべてわかるというのが、この宇宙の意志なのではないか


というようなことを書いたのですが、誰でも書く「日記」というのがどれだけ大事なことかということについても、初めて気づいた気がします。

日記はちゃんと書いたほうがいいかもしれないなあ。うむ。




  

2011年05月10日



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昨日書いた記ぼんやりと外を見ていて気付いた「宇宙の計画」、要するに「宇宙の意味とその計画」について書いたものを読み返してみて、最初は「これで書くことは終わりだなあ」という感じがしたのですね。

つまり、2009年頃からクレアなひとときというブログも含めて、感じていたことや生物や宇宙の不思議などの集結点というのは、昨日書いたような「それが宇宙そのもの」であって、そして、それが宇宙の計画そのものだったのかなあと。

ああ、終わった終わった」と肩の荷が下りたような、あるいは気が抜けたような気になって、寝ようとした時に、異常に重苦しい想いというのか、気配というのか、「異常に重苦しい気持ち」に包まれて眠れない。


そして、同時に、どうしようもない「ひとつの確信」が自分の中にあることを感じたのです。

その「ひとつの確信」とは何か。


私は宇宙の話というのは、宇宙の計画というものがわかれば、それで話は終わりだろうと思っていました。つまり、昨日の記事ですべて終わりだと。だって、普通に考えれば、「宇宙の計画」なんて気軽に書ける話じゃないじゃないですか。

それをあんな気楽に書いてる。
自分で読み返しても、多分、(私のいる宇宙に関しては)ほぼ間違いない。

もうこれでいいと。
満足満足と。

あとはもう、今後 In Deep は恋とグルメとナチュラルメイクのブログにでもすればいいと。


しかし、「それで終わりではない」という強烈な思いで一晩中眠れません。


そして、昨晩、自分の頭の中を巣くっていたものの輪郭が朝になるにつれてハッキリとしてきたのです。

それは何か。

まあ、重い話なんですが、昨日の自分の書いたことを丁寧に読み返してみると、宇宙はその「宇宙の計画の始まり」の中に、


・宇宙は自殺のプログラムを自分の計画そのものに組み入れている


ことに気付いてしまったのです。

宇宙は生を持っていないと思いますので、宇宙の自殺とは、「宇宙の消滅」のことです。


そして、このブログでは以前、何度か、私が「23」という数字の呪縛に包まれた、つまり私自身が、「人間よりも獣や悪魔に近い存在かもしれない」ということを書いたことがあります。

その「獣のような私」にどうしてそんなことを気付かせたのかということが意味がわからず、大変に心苦しいことで、昨日も結局、朝方まで布団の中でぐったりとしていました。

「オレはもういいよ」と。
正直、もう、宇宙から解放されたい。


結局、早朝まで眠れず、納豆と目玉焼きと昨日のあまりもののパスタを炒め直したものをおかずにした、ごはんを食べながら考えていました。

「このまま何もせずにいれば、いつかはその宇宙の自殺プログラムというものは多分、作動するんだろうなあ」。

そうは思います。
その場合、どうするか。
まず、

「宇宙の自殺は、人類存在にとっては、さほど脅威なわけではないはずで、放っておくという選択がひとつ」。

つまり、「勝手に消滅しろ」という選択
なんとなく「宇宙の消滅」というのは人類にとっても一大事に思えるかもしれないですが、「そうでもない」ということは理詰めで説明できるはずです。なので、放っておく(消滅するままにしておく)という選択も一応成り立つように思います。


もうひとつが、「それ(宇宙の消滅)を止めてみる」という選択


しかし、私は考えたんですが、私には「そのプログラムを止めてみる」気が今はあまりないのですよ。以前何度か書いていますが、私は若い頃に神経症とパニック障害に苦しむだけ苦しんでいる中で、宇宙を模した紙に、

「殺せるものなら殺してみやがれ」

と書いて、生き方を決意したことがあります。
つまり、いまだに宇宙とは対立関係が続いている・・・と、自分では思っていたのですよ。

しかし、今となってみると、どうも「自分と宇宙の立場は思ってきたものとは違うのかも」と今、感じます。


「宇宙の計画に消滅ブログラムが含まれている」というのは何とも悲しい話で、誰もが「万能の宇宙」と呼んでいる存在そのものが、最初から自分の計画とプログラムに疑心暗鬼だったのか自信がなかったのかはわからないですが、「最初から」自分が消滅するための自殺プログラムも同時に埋め込んでいる。この存在に関しては多くの方々にもわかっていただきたいと思います。宇宙は相当に悲しい気持ちを併せ持つ存在として誕生した可能性を感じます。


それも、その消滅プログラムは「人間」の中に入っているはず。



さて・・・。

どうしたらいいのですかね。
こちらから「殺せるものなら殺してみやがれ」と宣言した宇宙と差し違えるのはどうもおかしい。

しかも、全体的に結構重苦しい話なのですよ。

昨日の宇宙の仕組みの話も基本的にそうだったと思いましたけど、基本的に、曖昧な理念とか思想などが入らないもので、科学的というか「理詰め」の話なので、どうにもならないのです(他の書きようがないという意味です)。

あんまり重い問題は好きではないので、どうしようかなと。

なので、2、3日休んで考えます。

リニューアルして、 In Deep が「お酒とグルメのブログ」になっていたら、私は宇宙の悲しみへの対処を放棄した、あるいはどうしていいのかわからなかったと思って下されば幸いです。

ちなみに、宇宙の消滅プログラムというのは、実は人類の存在には影響しないはずですので、こわいとかこわくないとかいう話ではないです。本来的に宇宙は十分に他人です。他人への愛や憐れみをどう捉えるかということかもしれません。

私は隣人をちゃんと助けられるほど人間ができていないような気がします。


ではまたお会いできると幸いです。

タグ:宇宙



  

2011年05月09日



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dejavu.jpg


たとえば、何の宗教でもいいですが、唯一神などの存在している宗教を信奉している人に、

神は無駄なものもたくさんお造りになりましたか?

と訊けば、多分、「万能の神がそんなことをなさるはずがない」と答える人が多いのではないでしょうか。

では、そういう神を信じている人々の目にうつる、この世にある様々な無駄に見えるようなものや自分にとって不快なものや、あるいはイヤなものというのは一体何なのかと思うこともあるかと思います。


では、たとえば、「それらのイヤなものに関しては、神がお造りになったものではない」とします。

すると、万能な神なのに、「世界の一部しか造っていない」ということになる。神の創造が不完全なものということになる。


それではいろいろと良くないので、やはり「神は万能だ」という前提に立つとしましょう。しかし、今度は、

この世にその神の計画以外のものは存在するのか

という問題が出てくるように思います。

すなわち、

「それは偶然できたものだから」というものの存在は許されるのか。そういうものが地球や宇宙に存在することは果たして許されるのか。たとえば、地球の生き物は「偶然地球で発生した」というようなことが言われてきましたが、そういうことは許されることなのか。生き物や人間はすべて「神や宇宙の管轄外」ということなのだろうか・・・という疑問が出てきてしまいそうな感じがします。


さてどうしたらいいのだろう?


・・・という疑問は歴史的にずっとあったのではないでしょうかね。
特に、科学が進んできた中では常にある軋轢というか問題だったのでは。

でまあ、それらの疑問に対して、もっとも穏やかに解決する答えというのはあるわけで、それは、

この世に無駄なものは一切ない

とすることと、そして、

この世に偶然は一切ない


とすることではないかと思います。

これだと、どんな宗教を信奉している人にとっても、どんな神を信じている人にとっても、まあまあ、そこそこOKな答えなのではないでしょうか。

ということを前提として、今回の記事を書きます。

つまり、「宇宙の発生も人類の誕生もすべて偶然ではなく、また、この世には無駄なものはない」ということが前提ということです。

この前提が崩れれば、今日書くことにも意味がないです。つまり、「宇宙は無駄なものをこの世にたくさん作り、また、宇宙が感知しない偶然の発生物がこの世にはたくさんある」という場合は今回の話は適用できないということです。

それはそれで「あり」な気もしますが、今回は「宇宙は万能」ということで話を進めてみたいと思います。

基本的に前回2回の記事の続きです。


長くなりそうですが、簡単に書くと、「宇宙の計画とは何だったのか」ということに関してです。



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