2012年01月23日



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ロシア科学アカデミーの科学者が「金星の写真の分析で生命を発見した」とする研究発表



しかも、ある程度の大型で「変幻自在な奇妙な形態」という報告記事


これは実はニュースの内容そのものよりも、私自身が 「1982年にすでにソ連によって、金星探査が行われていて、表面写真も撮影されていた」という事実を知らなかったということが自分でもショックで、いろいろ調べたということがあります。

金星に人間の作っていたものが行っていたなんて知らなかったです。

天文ニュースのアストロアーツを見ると、「金星探査の歴史」という特集があり、それによると、

1970年12月15日に(ソ連の)「ベネーラ7号」が初めて金星に軟着陸し、気候の測定にも成功しました。


とのこと。

その後、ソ連の探査機は8度、金星に着陸しているのだそう。
アストロアーツには金星の地表のカラー写真も載せられています。

venus13.jpg

上のは1982年に「ベネーラ13号」という探査機が撮影したもの。


今回のニュースは、ロシア科学アカデミーの科学者が、その写真を分析したところ、その写真に生命と思われるものを発見したという内容です。

しかも、微生物ではなく、写真でわかる程度の大きいもののようで、さらに、その科学者の表現によれば、「出現して変化して消える」というような奇妙な存在の仕方をしている生命のようです。


なお、今回のことを記事にしたのは、記事の下にあった記事のコメントのひとつがとても気に入ったということがありました。今、この考え方が世界中に広まっているように感じます。

そのコメントは下のようなものです。




極限環境で生きられる生命なら金星の上に存在している可能のほうが高いだろう

現在の科学者たちが、最近の発見や研究から、地球上での生命の研究について何かを学んでいるなら、「生命はエネルギーが存在する場所ならどんなところにでも存在し得る」ということを理解しているはずだ。

金星には生命を支持するための多くのエネルギーがある。

もちろん、それは私たちが知っている形態(DNA など)の生命ではないかもしれないが、しかし、金星に存在する生命は、金星に適用するように生きているはずだ。

今後、金星の熱と圧力に耐えられる新たな金星探査機による金星の調査が開始されたとすれば、それは大変に面白い探査になるはずだ。





というもので、なんとなくいい言葉で、このカナディアンのおかげでご紹介する気になりました。

ちなみに、「新たな金星探査」という表現がありますが、これをおこなっているのは「日本」です。

2010年に金星の周回軌道に乗ることに失敗してしまった「金星探査機 あかつき」のことですが、軌道への再投入への検討は続けられているようで、「2011年11月21日に3回目の軌道制御に関する発表が宇宙航空研究開発機構より行われた」とありました。

200px-Akatsuki.gif

▲ あかつきのコンセプト図。


地球と最も関係の深い惑星のひとつである金星に本格的に到達するのは日本人が宇宙に放ったものかもしれません。


太陽系の中で、特に地球の関係の深い惑星というのは、オカルトの話でいえば、過去記事の、

[地球の内なる太陽] Vol.3 - ヘルメスのエメラルド版(エメラルド・タブレット)
(2011年09月02日)

にある下のこの記述、



太陽と月が水星を用いて偉大な仕事を成し遂げる錬金術のシステム。

その左には、火星と土星がある。そして、右に金星と木星がある。

これらの惑星はバランスよく極性を与えられた位置に配置されている。





があります。


eme.png

▲ ヘルメスのエメラルド版(エメラルド・タブレット)に描かれた惑星。上の左が太陽で、時計周りに、月、金星、木星、土星、火星となっているようです。真ん中の聖杯の下は、「水星」です。


この7つの惑星の中で、実際に人類(あるいは人類の作ったもの)がその地表に到達したのは、月と火星と金星の3つで、今後もしばらくは、多分、地球からの距離や気温等の問題で、その3つのままのような感じはいたします。

金星に向かうことに意味があるかどうかはともかく、確かに興味はあります。


それでは、ここから本記事です。

ちなみに探査機の名前の「ベネーラ」は、ロシア語で金星を意味しているようで、英語記事では写真「Venus-13」となっており、日本語だと「金星13号」となりそうで、わりとストレートな探査機名だったようです。




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タグ:金星



  

2012年01月17日



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以前、「世界各地で発生する「地震ではない」大地の振動 (2011年12月12日)」という記事で、昨年来、世界中で「地震ではない振動」に見舞われている出来事が相次いでいることをご紹介しました。

その現象にくわえて、実は昨年来、「原因不明の異常な音が広範囲に響き渡る」という報道や、 YouTube への投稿が相次いでいます。

その種類は様々ですが、たとえば、下の動画はアメリカでのものです。
昨年2011年8月にコロラド州で地震がありましたが、その直前に録音されたものだそうです。





上のものは、いろいろな意味でフェイクではないという可能性が高そうなのですが、ただ、この「ドーン、ドーン」という大きな音が何なのかは未だにわかっていません。

他にも様々な「音」が様々な国から報告されています。

とはいえ、ものが「音」なので、実際のところがよくわからない部分があります。もっといえば、音は編集でいくらでも入れ込めることができるものでもあり、フェイク映像を作るのにこれほど簡単なものはありません。

このあたりは私が最も得意なジャンルで、 Mac でなら寝ながらでもフェイク映像がマウスだけで作れます。
素人の私でも、1時間もあれば、10本くらいの「謎の音」の映像は作れるはずです。

たとえば、下のものは、ロシアで撮影されたとして YouTube にアップされていたものを、その本編はわりと長いので、ほんの少しをだけこちらで再アップしたものなんですが、これなどは現実なのかフェイクかわからない部分はあります。




いずれにしても、現在ではパソコンがあれば、誰でもこのような動画を作ることはできるわけで、「謎の音の動画」は、その真偽からして判断することが難しい現象ではあります。

しかし、その報告数はかなり多いということもあり、また、文字の報道の数も多く、それらをすべてフェイクと考えるのも少し無理がある。

今回は、それらをまとめて報告していた米国のブログ「エクスティンクション・プロトコル」の記事をご紹介しておきたいと思います。

ちなみに、これらのことに私がとても気になっているのは、振動にしろ大きな音にしろ、それらの中の本当に起きて、理由のわからない現象に関しては、これらが「地球内部からのものである」という可能性をとても感じるからです。



地球で何か起きるとしたら、「内側から起きる」ような気もしたりします

In Deep にはカテゴリーとして、

地球の内なる太陽

というものがあります。

これは、単純に地球空洞説のようなものを書きたいということではなく、文字通り、「地球の中心の太陽」のことを知りたいということがあります。

それは、現実ではなく「概念」でもいいのです。

とはいえ、やはり、実際には私たちの住んでいる地球はどのような構造になっているのかの「現実」を知りたいということもあります。

正直にいって、最近では、現在の一般的な科学や地質学での「地球の構造」というものをあまり信じられなくなっています。合理的に考えると、今の地質学にはむしろ不合理な面の方が多くなっているような気がするからです。

とはいえ、科学に疎い私には科学的な反論など言えるわけもなく、「専門家(あるいはインテリ)以外は沈黙せざるを得ない現実」というものがここにあります。なので、できる範囲で、地球に関しての興味深い報道や文章を紹介したいと思っています。

「感覚と知識の理想的な統合」というような時代が近いうちに来る、と考えるほど私は楽天的ではないですが、私が死んだ何千年か後にそういう世の中になっているといいなとは思います。

さて、それでは、ここから本文です。



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2012年01月16日



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前回の記事「「聖書は日本人のために書かれた」という奇妙な概念の存在」の続きのようなものです。

あんまりこの話だけを長引かせたくはないので、今回のでとりあえず終わりとしたいですが、その記事で一部引用させていただいた『聖書との対話』という福田定良さんという方の書かれた本を酒を飲みながら、いつものようにパラパラとテキトー読みをしていたんですが、その中にとても印象深い話が載っていたのでご紹介したいと思いました。

それは「(聖書での)神と人間の関係」についての話でした。


ちなみに、書いたものを読んでみるとものすごく長くて、途中が文字ばかりで何か味気ないですので(苦笑)、最初に昨日見た結構すごい写真を載せておきます。

昨日のスペースウェザーのトップにあったもので、スウェーデンのエステルスンドという町で撮影された極域成層圏雲( Polar Stratospheric Cloud )というものだそうです。

colored-cloud-2.jpg


マイナス80度などの超低温の層圏で発生するものだそう。
まあ、きれいといえば、きれいだし、見方によっては不安げでもあります。

そういえば、1月3日の記事に書いた神社で見た彩雲はこれのごく小規模な感じのものでした。


さて、それでは、ここから話に入ります。

ところで、この『聖書との対話』の著者である福田定良さんという人は、生い立ち自体もわりと印象的です。




『聖書との対話』著者が聖書にふれるまで

・戦前、幼少の時に寺にもらわれ、お寺が養家となる。

・将来の僧侶として育てられる。

・寺の近くの男性に「僧侶になるなら『聖書』という本も読まないとダメだ。お経だけ読んでいちゃ、いい僧侶にはならない」と言われる。

・大学の哲学科に進学し、学科の関係でも聖書を読む必要が出てくる。

・その後、第二次大戦が始まり、1944年にインドネシアのハルマヘラ島の野戦病院で看護士として派遣され、終戦までそこにいる。

・その野戦病院に戦闘で負傷して入院していた軍人から「はじめにことばあり。ことばは神とともにあり。ことばは神なりき」からはじまるヨハネ伝をすべて口ずさまれるという体験をする。

・その後、戦地で入院中のその軍人から聖書に関してのたくさんの講釈をきくことになる。その軍人は、聖書をほぼ暗記していた。

・その出会いから終戦に至るまで、様々な話や人との出会いが続く。






というものです。

要するに、この著者の福田さんという人は、生まれてから「どう転んでも、聖書のほうに引き寄せられる人生だった」といえるような感じがします。お寺に引き取られた話、大学、戦争。すべてがそこに向かっていた人生だったように見えます。

そして、この人は一度も「特定の宗教も信仰もなかった」という点も特筆です。キリスト教徒であったこともありません。

それは信心がないというより、「信奉する理屈がない」という感じがとてもいたしました。

このあたりは何となく私と似ています。


「どうして私たち人類は存在しているのか」だけを考え続けた 2011年3月11日以降

自分はそもそも生きていて、それでたまには幸せだったり幸せでなかったりを感じますが、生きていて存在しているのに「どうして神や宗教を持たなければならないのだろう」という「理屈」が今に至るまでわからないのです。

最近、それは「宇宙」であり、「存在そのものである」という方向に行ってはいますが、しかし、私は宇宙を信奉しているわけではない。なぜなら、シュタイナーなどの言う西洋神秘学の考えでは、「宇宙はすでに死んでいる」わけで、それを信奉するのは何かおかしい。

物理的な周期を法則の中で繰り返している宇宙はすでに生きていなく、それを生かすために「人類は誕生した」というのが、西洋神秘学の根幹だと思われます。

このあたりは私は完全な素人ですので、これ以上は書けないですが、2011年3月11日の震災後の数ヶ月、ずっとこのブログに書き続けた中にそのことに何度かふれていますので、該当する記事をリンクしておきます。


日記が多いですので、「このあたりにその記述があります」と書いておきます。

ぼんやりと外を見ていて気付いた「宇宙の計画」
(2011年05月09日) ※ この記事は大体全部その関係です。

人類の現在 (2011年04月11日) ※最初のほうの「予言からの離脱」というセクションあたりから。


まあ、震災後の2ヶ月くらいは上のような記事ばかり書いていたので、どれも似たようなものですが、日本を襲ったあの災害の中で、「私たち人類はどうしてこの世に存在しているのだろう」と考えないほうが不自然で、毎日、いろいろなところを歩き回りながら、そのことばかり考えていました。

そして、このこと(私たちはどうしてこの世に存在しているのだろうということ)を考えるのをやめた時点で、「私たちは存在しないも同然かもしれない」ということにも薄々気づいてきました。しかし、その「どうして存在しているのか」ということについてはわかるわけもないし、今後も実際の部分はわからないと思います。

なぜなら、多分、「実際には何も存在しない」と思えて仕方ないからです。

しかし、存在しない中で、私たちはさらに考え続ける。
あるいは、「考えることだけ」が存在の意味なのかもしれません。


何だか、また話が逸れていますが、本題である『聖書との対話』の「とても印象深い話」というのをご紹介します。

これは、この本の作者の福田さんが、インドネシアの戦地で、多分、1944年だと思いますが、野戦病院にいた軍人の言葉として書かれています。

その軍人さんが病院にいる数週間の間、毎日毎日聞かされていた数々の話を覚えていたり、書き留めていたもののようです。なので、その人の「語り口調」で再現されています。膨大に長いもので、そのごく一部の抜粋です。

その中に出てくるいくつかの言葉が印象的でした。

ちなみに、ここに出てくる聖書の「ヨシュア記」とか「出エジプト記」いうものを私は読んだこともなく、その内容を知りませんので、書かれてある聖書の内容自体が正しいのかどうかはわかりません。

なので、下手な編集も出来ないので、その部分を、カッコなども含めて原文のまま抜粋しています。改行だけ適時しています。

このくだりは、「モーセが生まれたことを語った後」からのものです。

(ここからです)



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2012年01月14日



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今回のものは最近のものでもなないし、インターネットのものでもないです。今日偶然出会った「本」の話です。

年末に引っ越しまして、まだ町の周辺の状況をあまりよく知らないもので、時間ができた時にはいろいろと見て回っています。今日、外を歩いているときに道路でいろいろと車やら通行人やら様々が込み入っていて、「ああ、もうなんか進むのが面倒くさい」と、道で立ち止まって、ふと横を見ると、そこは古本屋さんでした。

私の新しい家から急げば1分かからない場所でしょうか。
すぐ近くです。

「へえ、こんなところに古本屋が」

と、初めてその存在に気づき入ってみました。

引っ越してきてから、そろそろ2週間経つというのに気づいていなかったほどですから、とにかく小さな古本屋で、何の期待もしないで入ったのですが、そこにある本の品揃えは何だかすごくて、前衛芸術と思想のマイナー本がズラリと並び、そこから心理、歴史、宗教などの中の「ややカルト」な本が並んでいたのです。

並んでいる本のタイトルを眺めているだけでも楽しかったのですが、宗教コーナーの棚に『聖書との対話』というタイトルの本がありました。

背表紙に書かれてあるのはそれだけで、この『聖書との対話』というようなことだけなら別にどこにでもありそうなタイトルの本なので、手にとったこと自体が不思議なのですが、その帯に書かれてあった文字に興味を持ちました。

(帯より)




聖書は日本人のために編まれたという奇妙な信者との出会い。突然の来訪、預言めいた手紙・・・謎が謎を呼ぶ哲学的××小説? そして・・・独創的スタイルの旧約案内。





この「聖書は日本人のために編まれた」という文字に反応してしまって、少し立ち読みしたんです。

すると、書いている人自体はわりと普通の人のようなんです。

著者は、福田定良さんという方で、経歴を見ると、1970年の定年まで法政大学の職員をされていた方のようで、その年代を考えると、現在もご健在であるかどうかは微妙ですが、文章を見ても極めてまじめな人であることがわかるのです。

その人が「聖書は日本人のために編まれた」という人たちと出会って、長く付き合いのあったということを書いているものでした。


私も昨年来、どうも聖書の呪縛が強いもので、こういうフレーズには弱いという部分があるのですが、こんな「聖書は日本人のために編まれた」という主張を信じたり、広めたいということではなく、引っ越した土地で偶然見付けた「奇書」ということで、その「はじめに」をそのまま抜粋したいと思いました。

本編の全体は私もまだ読んでいません。

引っ越しとか倒れたりとかいろいろあって、本などをじっくり読むまでには、あと少しかかりそうです。

でも、この「はじめに」だけでもおもしろいですし、これを書いている方の真面目な気質がおわかりかと思います。

ここから書きます。
改行をいくつかこちらで入れていますが、他は原文のままです。




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タグ:聖書



  

2012年01月10日



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(訳者注) 今回は何かのニュースではないのですが、最近、ふと気づくと、この

the entire Universe is One and that what we think of as "reality" is just an illusion
「すべて(の宇宙)はひとつであり、そして、私たちが『現実』と考えていることは幻影に過ぎない」



というようなフレーズをネットなどで目にします。

今回は、YouTube に誰かが作ってアップした動画に偶然行き当たりました。英語のものなんですが、内容を訳してご紹介するには、少し長く、しかも、あまりよくわからないものなのですが、いろいろな人たちの言葉、言動、行動などをまとめているもののようです。


ちなみに、私自身、上の「ような」意味、すなわち、


すべてはひとつであり、実際には現実(この世)は存在しない


という概念は、昨年の後半くらいからの私のグリグリの概念で、今では完全にそう考えています

しかし、それをそのまま言ったところで他の人に伝わるものでもないし、それに、何より自分でもよくわからないということがあります。


なので、私は「理屈」が欲しいんだと思います。


In Deep で、たまに取り上げる記事の中での存在論や物理論は、できれば、自分でもその「すべてはひとつであり、実際には現実は存在しない」ということをひとつひとつ「理屈」と重ねながら理解したいという意味なのかもしれません。



real-01.jpg

▲ その YouTube 動画より。「これらのひとつの輝く集団は、何兆光年もの範囲にわたっている」というような感じのことが書いてあります。


考えてみれば、このブログに、「 In Deep 」というタイトルをつけた時から、この「リアルとは何か」という命題と共存していくことになるような感じは予想されたような気もいたします。このブログのタイトルの元となった、しりあがり寿さんの『弥次喜多 In Deep 』という漫画の最終的なテーマは「この世は存在するのだろうか」でした。


登場人物たちは常に「リアルとは何か」と自らに、そして、他人に問い続けて、江戸の時代を生き続けます。


リアルとは何か?


そして、『弥次喜多 In Deep 』での結論は、「現実は存在しないからこそ、自分の足で前へ進んで現実を作っていく」というところで終わっています。つまり、「現実が存在しようがしまいが、私たちは日々、前や後ろに進んで、そして、感情を表して、物理的な動きと観念的な動きを提示し続ける」ということ。


それが「人間」だと。


私も今はそう思っていますが、しかし、現実の発表やニュースの中で、もっとそれを確かに知りたい気持ちもあって、今後もそういうニュースを見つけたいとは思います。

そんなわけで、その YouTube のビデオの説明文を翻訳しておきます。
この人は「宇宙そのものが意識」だと書いています。

なお、文中で言葉を引用されているニールス・ボーアという人は、1922年にノーベル物理学賞を受賞した科学者で、こちらによると、「量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した」という人のようです。


bohr.jpeg

▲ ニールス・ボーア。1920年代。

では、ここからです。




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タグ:意識 量子論



  

2012年01月06日



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最近の引っ越しの日々の中で精神的・肉体的に疲れ果てていましたが、まあ、ほんの少し一段落がつきました。そのあたりのいろいろはここに書くと長くなるので、もう少し体調が復活しましたら、日記としてクレアにでも書こうと思っています。


今回は、ペンタゴンが「時間を止める装置」を開発したという文字としては衝撃的なものですが、読むと、いわゆる「タイムマシン」的なものとは違うもののようです。

とはいえ、その仕組みは難しくて、訳していても、さっばりわからないです。

何となく把握することとしては、「光を操作することで時間のギャップを生み出し、その連続により、起きていることを見えなくする」というもののような感じがします。

この装置での光の操作で出現する「時間のギャップ」、あるいは「時間の空白」の時間は何千億分の1秒という非常に短いものですが、多分、それを連続的に発生させて、結果的に「時間を止める」ということを実現させているのではないかというような感じがしますが、やっばりよくわかんないです。


ちなみに、今回のものはアメリカ国防総省の支援を受けた研究であり、れっきとした「軍用目的」での開発ですが、カモフラージュの歴史は軍用から始まり、民間にも広がっています。

camo_300.JPG

▲ 迷彩服は今も使用される軍用カモフラージュ。上の写真には4名くらいの軍人がいますが、パッと見る分には存在がよくわかりません。



toumei-mant.jpeg

▲ こちらは本記事にも出ますが、「透明マント」。2010年に東京の日本科学未来館で開催されたイベント『ドラえもんの科学みらい展』でのもの。これも光の科学による透明化(光学迷彩)です。写真のとおり、完全な透明ではないですが、ある程度実現されています。


しかし、思えば、たとえば、医療、放送、通信、インターネット、自動車、飛行機・・・。軍用の開発や進歩から始まった後に民間へと広がり、そのうち現代の生活の中で必須となっていったものの多さに改めて驚きます。戦争の意味って何なのだろう・・・。


今回のペンタゴンの発明も、一歩進めば、「時間の操作そのもの」というような概念さえもでてくるわけで、タイムマシン的な概念を含めて、どのようなものになっていくかの興味はあります。


さらに、ここにおいて、「光と時間」というものの関係性を思います。

すなわち、タイムトラベルというのは、今まで私は「時間旅行」だと思っていましたが、実際には「光の(概念の中の)旅行だ」ということのようです。時間を操作するのではなく、「高度な光の操作」がタイムトラベルそのものなのかもしれないと思ったりしました。このあたり、私は物理に疎いのでうまく説明できないのですけれど。



ふと思いだすジョン・タイターという人

そういえば、ジョン・タイターという人のことを思い出しました。

未来から現代にタイムマシンでやってきたと書き込んでいたと自称していた人物で、そのこと自体はともかく、参考までに Wikipedia に出ている「タイムマシンおよびタイムトラベルについて」から、ジョン・タイターのタイムトラベルの方法を書いておきます。


1. タイムマシンに目的の年月日時刻の座標を入力し、始動させる。
2. 重力場が形成され、搭乗者の身体を包む。搭乗者はエレベーターの上昇中のような感覚が継続する。
3. 装置が加速するにつれて周囲の光が屈曲し、一定まで達すると紫外線が爆発的に放射されるためサングラスが必須になる。
4. その後、周囲が次第に暗くなっていき、完全に真っ暗になる。
5. 景色が元に戻り、タイムトラベルが完了する。



とのこと。

上の中の「装置が加速するにつれて周囲の光が屈曲し、一定まで達すると紫外線が爆発的に放射される」の「紫外線」を「緑の光」に置きかえれば、今回のペンタゴンの実験装置とイメージ的には似ています。

ここから記事です。



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2012年01月04日



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(訳者注) 2012年の新年の1月2日。北欧ノルウェーのメディアの一面は「魚の大量死」報道で始まりました。

norway-fishkill.jpg

▲ ノルウェーの報道メディア Dagblabet より。


ノルウェーでのこの魚の大量死は、最初、ノルウェー語だけの報道だったのですが、今日になり、英国のデイリーメールで「米国での別の大量死報道」と共に紹介されていました。

米国での大量死は「鳥」です。

しかも、昨年のこの In Deep でも取り上げた「大晦日の大量死」が発生した場所と同じ米国アーカンソーでの出来事でした。




▲ 2010年12月31日に鳥5000羽と魚10万匹という謎の大量死が発生した米国アーカンソー州。



関連の In Deep の過去記事は「米国アーカンソーの鳥と魚の大量死をめぐるブログより」というタイトルで下の3つの記事を連続して書きました。

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です。

同じ場所で、ほぼ1年後の大晦日である2011年の12月31日から2012年の新年にかけて、「空から鳥が落ちてきた」という報道が、米国などのあちこちでなされています。

デイリーメールでは、そのふたつの事件をまとめて紹介していましたので、今回ご紹介します。


ちなみに、あまり関係ないことですが、上の In Deep の過去記事の「(2)聖書の記述より 」で紹介している記事の中で、「聖書の中で鳥の死が描かれているもの」が抜粋されており、このようなものが紹介されています。

エゼキエル書 / 38章 20節

海の魚、空の鳥、野の獣、
地の上を這うすべてのもの、
および地上のすべての人間は、
わたしの前に震える。
山々は裂け、崖は崩れ、
すべての城壁は地に倒れる。
--

ゼファニヤ書 / 1章 3節

わたしは、人も獣も取り去り
空の鳥も海の魚も取り去る。

神に逆らう者をつまずかせ
人を地の面から絶つ、と主は言われる。



などがあるとのことでした。

何だか、最近は「新年の代名詞は大量死」という感じも定着してきています。



ところで、今回の「ノルウェーの海域」は、一昨年の BP の原油流出のことを思いださせます。ノルウェー沖は、米国のメキシコ湾から続いている「メキシコ湾流」の終点なのです。

そのことに少しだけふれておきます。
まあ、もちろんノルウェーの魚の大量死と関係がある話ではなく、そういうことを考えていた時が昔あったということです。



世界をめぐる海流


2010年の BP の原油流出の後、しばらくいろいろと調べていたことがありましたが、結局、個人的に「この原油流出の影響は数百年以上続くのでは」と感じて、それ以降は「なるようにしかならない」と考えるようになりました。

というか、世界各地で常に原油は流出していて、原油の流出そのものは日常のことのようなのです。

ただ、 BP の場合は、そこに「多量の原油分解剤(コレキシット)」を使用しており、やや事情は違う部分はありました。

当時の(私個人としての)懸念のポイントは、


・原油を分解するバクテリアの異常大量発生による生態系の劇的な変化

・原油分解剤コレキシットの全世界の海への拡散



でした。
コレキシットは曖昧ではない「劇薬」です。


そして、世界の海(海流)というものは「基本的にひとつ」です。
下の図は海流の流れを簡単に示したものです。

belt-02.jpg

▲ 赤の星が2010年の BP の原油流出現場。黒の星は、今回ノルウェーで20トンのニシンが打ち上げられたあたりの大体の場所です。米国のメキシコ湾からノルウェー北部まではメキシコ湾の海流で繋がっています。このメキシコ湾の海流があるお陰で、英国や北欧は「人間が住める程度の気温と暖かさ」で収まっています。


世界中に様々に存在する小さな海流もこの大きな海流のベルトに乗り、全世界の海を回ります。そして、海から蒸気として海中にあるものが大気へと昇華していきます。

相転移という難しい言葉がありますが、気化して別のものになることを含めて、最終的には、すべての地表にはある程度同じ「ような」ものが拡散していくというのが実際のところのように思います。



海の水に注目する時代となりそうな 2012年


なお、「生態系の劇的な変化」に関してですが、年末は慌ただしくて、ご紹介する時間がなかったのですが、昨年末の12月19日に、米国のテキサスA&M大学のニュースリリースに、「新種の魚とエビがメキシコ湾を侵略していることが調査で判明」というものがありました。

このあたりはまた、おいおいふれていくと思いますが、深海で起きていることは地表に住む私たちにはわからないことばかりで、何も知らないままに進行して変化していくという部分は多いと思います。


そして、大事なことは「地球の気温差を形成しているのは海流による」ということもあります。

海が変化すると、世界の天候が大きく変化します。

まあ、もう変化しているような気もしますが、昨日の記事の「龍の年」の中に書かれている水の変化には海が含まれていて、また、2009年のウェブボットにはこのような下りがあります。

その部分の抜粋です。




非対称型言語傾向分析報告書「来るべき未来の形」0 巻 0 号より
2009年6月17日配信

・「生物による熱の放射」というキーワードが存在するが、これは海流や気流との関連で出てくるキーワードである。このキーワードは、海流の文脈では新しい活火山や深海の開口部と深い関係がある。

・ さらに、「深海の開口部」というキーワードは太平洋に関係している。「深海の開口部」は海流の流れ全体に影響を及ぼし、その結果異常な海流が発生することになる。

・ これは、深海の開口部によって変化した海流が人間が居住する沿岸部のさまざまな異常現象を引き起こすということでもある。

・このパラダイムシフトは全世界の民衆の間で起こるが、それは特に「水」、それも特に「海」に関する意識の変化を呼び起こす。これは海の大切さに対する意識となって現れる。よい海洋環境なしには生物は生存し得ないからである。

・ 2009年の夏から数年間は海でびっくりするような異常現象が相次いで起こる。世界の民衆は海に注目するようになる。





などです。

「水」に関しての変化、災害などは豪雨、洪水、海洋の異常を含めて、すべて、すでに最近数年で顕著に出ているものですが、今年いきなりそれが収まるというような感じもしないわけで、水や海に注目して生きることにも意味はありそうです。

なんだか前置きが異常に長くなりましたが、ここから、ノルウェーの魚の大量死に関してのデイリーメールの記事です。




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