▲ アメリカ人画家ヘレン・ハイドさんが 120年くらい前に書いた江戸の子どもたち。孔雀みたいなのを見ています。
少し前に、1897年頃の日本の風景が、日本人自らによって描写され彩色された絵が収められた書の編纂をしていた英国のジョン・ライランズ図書館でそれが完成したことを記事にしまして、その翌日、それらの写真や海外のいくつかをご紹介しました。
・120年前の日本の光景に見る「私の中のパラダイス」
2012年03月28日
という記事です。
それを書いた後に、ふいに、昨年の震災の後に書いた「どんなに愛される資格があるのかを私たちは知らない (2011年04月14日)」という記事を思い出しました。
その記事の最後に、フェリックス・レガメというフランス人画家のことを書きました。レガメは、1876年に、日本に到着して以来、日本の自然や建築物よりも、「そこで生活する日本人の日常の姿」に心から感銘し、それをたくさん絵に残しました。
▲ フェリックス・レガメ( Félix Régamey / 1844年 - 1907年)。誕生日が私と同じ8月7日。はじめて日本に来たのは 1876年。
19世紀の終わりに彼が書いた『日本素描紀行』という中にはこのような記述があります。
『日本素描紀行』より。
私は、午後三時から始めた貧しい人々の住む地域の散策から戻って来た。魚屋や八百屋の店先は、夕食のため、たいへん賑わっている。この時刻の盛んな活気は、やがて人気のない街の静けさに移っていくのだろう。
私は、深く感動して、頭をかしげて戻る。
たった今見たすべてのことに、心の奥底まで動かされ、あの誠実な人たちと、手まねでしか話せなかったことが、たいへんもどかしい。
彼らは、私がどんなに彼らが好きであるのか、おそらく知るまい。また、自分たちに、どんなに愛される資格があるのかも知らない。
▲ レガメの描いた東京・浅草の様子。1870年代の終わり。杖を持っている人は目の見えない人かもしれません。でも、みんなで一緒。
そのフェリックス・レガメという人はフランス人ですが、アメリカで絵を学び、また、アメリカで絵を教えました。
そのレガメに絵を学んだ生徒の一人に、ヘレン・ハイド( Helen Hyde )というアメリカ人女性がいました。彼女はアメリカで絵を学んだ後、1899年にはじめて日本にやってきます。そして、日本人画家に従事します。「浮世絵を愛したアメリカ人女性版画家、Helen Hyde 」という記事によると、狩野友信という日本画家に従事したようです。
今日はそのヘレン・ハイドさんが 19世紀末の日本で描いた絵のいくつかをご紹介したいと思います。男性だったフェリックス・レガメと違い、ヘレンさんは「親子」や、「子ども」の絵をたくさん描いています。
多くは、海外のブログ「Helen Hyde: A Student Of Felix Regamey」からのものです。
フェリックス・レガメもそうでしたが、このヘレン・ハイドさんも「120年以上前の日本の光景、特にその人々をどれだけ愛していたか」が伝わります。
彼らにとって当時の日本はまさに「夢の国」でした。
その後のたった100年で失われた日本の姿です。
それでは、ここからです。
すべて年代や場所の説明はありませんので、絵だけの紹介です。
キャプションは私の勝手な感想です。
▲ ヘレン・ハイドさん( 1868年 - 1919年)。
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