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2012年03月24日



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水星の真実: 探査機メッセンジャーの撮影で水星の「何か」がわかるかもしれない(1)



水星は他の太陽系の惑星とは構造が根本的に違う可能性を示すデータ。そして、水星は地理的活動が継続している「生きている惑星」であることをも示唆。


次記事:
水星の真実: 探査機メッセンジャーの撮影で水星の「何か」がわかるかもしれない(2)


mercurysurprise-02.jpg

▲ NASA の水星探査機メッセンジャーが送信してきた水星の最新の写真。右のカラー写真は11種類の波長の違うフィルターから NASA が構築した「真実に近い色」の水星の疑似カラー写真。天文家たちは「今まで想定していた水星とは違った」ということにかなり戸惑いを見せているようです。
--

(訳者注) 昨日、米国をはじめとした西洋のメディアでは、一般大手メディアから科学専門サイトをまで、いっせいに「水星 (Mercury)」の文字が紙面やサイト面に躍りました。

それは NASA の水星探査機メッセンジャーが送信してきた水星の写真に多くの謎や驚きが示されているというものでした。


これまで水星について何度かふれたことがあります。
代表的な記事としては、

突如スポットを浴び始めた「水星」(西洋神秘学では最重要惑星)
(2011年10月01日)

というものを書いたことがありました。
このことについて改めて書いてから、翻訳記事をご紹介したいと思います。


「この世」を支える水星

上の過去記事のタイトルにある「水星が最重要惑星」という意味なのですが、西洋の神秘学、例えば、薔薇十字に関係した記述では、下のようにあります(エメラルド・タブレッド)より。


聖杯は、両性具有を意味する水星で支えられている。
水星は男性と女性の両方の性質を持つ。

これは「逆にあるもの同士を結びつける」ことをあらわす。

太陽と月が水星を用いて偉大な仕事を成し遂げるシステムだ。





上の図はエメラルドタブレットですが、赤で囲んだ部分が「水星」です。

そして、その上に「聖杯」が描かれています。
太陽と月が聖杯の中に何か注いでいる。

ごく普通に考えて、注がれている聖杯の意味するところは何か・・・と考えると、それは、「地球」か、あるいは「人間」か、あるいは、それらを含めた「この世」というようなものを表していると思います。

つまり、中世の神秘学では、「この世(地球)」を下から支えているのは「水星」のようなのです。

水星が太陽系の中で最も重要な意味を持つ惑星だと書いたことにはそのような理由があります。


ここで、過去記事「 1785年の「薔薇十字の秘密のシンボル」の冒頭に出てくる数字」でご紹介しました 1785年の古書を再度見てみようと思います。

そうすとる「水星のシンボル」がもう至るところに出てくるのです。

たとえば、下のような1枚すべてがイラストのページがあります。書かれているラテン語はわからなくても、この絵の中で最も数多く描かれているのが水星です。この絵だけは縮尺したため見づらいですので、イラスト内に注釈を入れさせていただきました。

mercury-001.jpg


上のイラストからは、太陽も月も、そして、男も女も、すべて水星に支えられていることが何となくイメージとして伝わってきます。さらに、中央の絵の真ん中にいる立派そうな男性の頭上に輝いているのも、「太陽ではなく水星」です。

その男性は6個の「7」の数に囲まれた六芒星の中にいます。
太陽や月はその下に並んでいるのがおわかりでしょうか。

あらゆる存在を水星が支えている。
少なくとも薔薇十字の古書では、そうなっているということになりそうです。


以下、他の「薔薇十字の秘密のシンボル」の中にある他のイラストをいくつかご紹介します。イラストの中に注釈は入れません。キャプションだけで説明します。

120px-Mercury_symbol.png

水星のシンボルは上のマークですので、それを参考に見てみて下さい。
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2012年03月23日



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欧州天文台が新たに観測した「 20万個の銀河」をみて


(訳者注) 今回の翻訳記事は、ヨーロッパ14カ国とブラジルが共同で運営する天文観測施設のヨーロッパ南天天文台(ESO)のニュースリリースなんですが、それを読んでいて、ふと思ったことを書いておきたいと思いました。

今の天文学の中での「最も誤った考え」・・・いや、誤ったという書き方は変ですが、「根本的な考え違い」のひとつとして「宇宙の様々なものは徐々にできていくという概念」があるのではないかという気がしたのです。

つまり、地球も含めた星とか、あるいは銀河とかが「何億年もかけて作られていく」というのが現在の天文学の一般的な考え方ですが、しかし、この世の中に「徐々にものができていく」という反応なんてあるのかなと。そう見える物理的反応でも、実際には「瞬間の反応が積もり積もっているもの」ということがあって、そういう中で、星などのように巨大なものが似たような形で作られていることに「徐々の反応」を考えるのは難しいのではないかという気がしたのです。


以前、地震のトリガーの記事で書いたことがありますが、地球上での「化学(ばけがく)的反応」というのは瞬間的なものなわけですから、宇宙の様々も実は「一瞬にできるものなのでは」という気がとてもします。

水は0度以下とかになると凍るものと考えがちですが、実は物理的な刺激がないとなかなか凍らないもので、これを過冷却水(凍る温度より冷たい温度なのに凍っていない水)とか呼び、そこに小さな刺激を与えると「一気に」氷となります。

YouTube で「過冷却」で検索するといくらでも出てきますが、下のように、すでに水の温度はマイナスになっていても凍っていない水に、ほんの少しの刺激を与えると一瞬で氷になります。




こういうような反応は、実は地球上での物質の崩壊や、あるいは「作られる」ことのあらゆることに言えることで、万力で石を締め付けても割れない場合、そこに水を一滴垂らすと一気に砕けるというのも「化学(ばけがく)的反応」です。

現象としての崩壊は「創造と同義」でもあります。

過冷却の水の場合は、「水(の形)が崩壊して」、「氷(の形)が作られる」。
しかも一瞬で。

これは小さなものだから起きる現象だと思われるかもしないですが、しかし、多分ですが、たとえば、条件が同じなら、地球の海くらいの量の海でも同じことだと思います。

実際には地球の海くらいの大きな水は風や揺れなどの物理的現象を常に受け続けているので、同じような実験はできないですが、原理としては、「物質はあるけど、ふだんは風や振動などの物理的な刺激が何もない膨大なもの(場所)」に刺激を加えると「膨大な化学的反応が起きる」ということはあり得るわけです。

そして、その「ふだんは風や振動のなどの物理的な刺激が何もない膨大な場所」の代表的なところは「宇宙」です。

宇宙は、基本的に、磁力と宇宙線などの動き以外の物理的な動きはあまりない空間がえんえんと広がっているように思います。でも、一方で、宇宙空間は、宇宙塵や各種の有機物などをはじめとした物質(あるいは放射線や宇宙線自体も物質)で満たされていることもまた事実で、それらが何かの物理的刺激によって、化学的反応を起こすと、「瞬時にして」何かができるかもしれないと。

つまり、たとえば、地球なんかも「瞬間的にできる」。

もっといえば、銀河なんかも瞬時にできる。


今回ご紹介する「新たに観測された20万個の銀河」というニュースを読んで、観測技術の向上だけでは表せないすさまじさも感じ、あるいは、宇宙はどんどんと瞬時にできているのかもしれないと思ったりした次第です。


ちなみに、物理的な刺激を与えているものは宇宙線だと思います。

それは、過去記事でも書きましたが、宇宙線が地球の雲や雷などの組成に関係しているることがほぼ明らかとなっていて、つまり、宇宙線にはそれだけ「物理的な刺激」を与えられる能力があると考えられるからです。



なんとなく私たちは「大きなものは一瞬にはできない」というように思いこんでいる感じがするのですが、冷静に考えれば、小さなものに起きることが大きなもので起きないと考えるほうが不自然な感じがしたりもします。

このことを強く確信することには、やはりエメラルドタブレットなどにある「すべてのものはひとつに通じる」とという概念です。ひとつの物理法則(化学的反応)の原則は、すべてに繋がる原則のはずで、宇宙だけがゆっくりとした生成の過程を経て作られるというのは変だなあと。


ここまで書いたことは今朝ふと思っただけのことですが、しかし、この「宇宙にあるものはいきなりできる」ということはかなり実際に近いことにも思います。

そして、そう考えると、天地創造とかの神話も理解しやすいです。

過冷却などの凍っていく拡がりのスピードと、地球の大きさなどを比較すると、地球くらいの大きさの星なら「何もない宇宙空間から1週間くらいで作られちゃう」という感じがします。物理の法則には「伝播のスピード」があるので、それ以上早いのは無理そうですが、それでも1週間くらいで地球が作られるのなら、まあ「一瞬」の範疇に入るのかなと。

宇宙のどこかで毎日「ポンポンと」地球や銀河ができているのだとするとおもしろいです。


今回の記事はここまで書いたこととは関係ないんですけど、最近、新たに20万個の銀河が見つかったというニュースです。

あと、最近、オーストラリアのスウィンバーン工科大学というところから「四角い銀河が発見された」という論文が発表されていました。下の写真の銀河です。

Square-Shaped-Galaxy.jpg

▲ 正式名は LEDA 074886 。真ん中のコアが丸い宝石みたいにも見えるので「宝石箱銀河」と言う人もいました。


これはスウィンバーン工科大学のニュースリリースで見たのですが、その後、ナショナルジオグラフィックの日本語版でも紹介されていましたので、そちらをリンクしておきます。

長方形の銀河を発見 (ナショナルジオグラフィック 2012.03.20)

それでは、ここから「20万個」の銀河の報道です。

ヨーロッパ南天天文台(ESO)のニュースリリースからです。ESO は最新式の赤外線望遠鏡の「 VISTA 望遠鏡」によって、次々と新しい星や銀河を見つけています。



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2012年03月21日



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(訳者注) 以前、何度か謎の音に関しての記事を取り上げたことがありますが、その報告数はむしろ増えていて、特にアメリカでは相次いでいるのですが、次第に「何でもかんでも謎の音として報告しているのでは」というような状況も見受けられ、やや混沌としてきています。

他の国でも謎の音の報告は多いですが、アイルランドでは、国会議員が「毎晩毎晩、ずっとヘリコプターのような音が鳴り続く」ということに苦情を申し立てたということがアイルランドのメディアで取り上げられていて、「ヘリコプターなど飛んでいない」という調査に対して、「英国の陰謀だ(イギリス軍がヘリを飛ばしているという話)」とかいう話も出てきたり、やはり混沌としています。

過去の謎の音に関しての In Deep の記事は、記事下にリンクしておきます。


今回は、米国のウィスコンシン州で続く振動と騒音に関して、アメリカ地質調査所などを始めとした調査が始まっていることを CNN が報じていましたので、その報道をご紹介します。

ちなみに、ウィスコンシン州の地元でのこのニュースへの注目度はかなり高いようで、たとえば、これはFOX ニュースのウィスコンシン州版の今日(3月21日)の「最も読まれている記事ベスト5」ですが、このようになっています。

most-05.png

上から、

・クリントルビルの音と振動は一晩中続いた
・奇妙な音がクリントルビルの町に響き渡る
・クリントルビルの音は続く
・クリントルビルの音の原因から配水管が除外される
・地質学者たちがクリントルビルの音の調査を検討


と、上位5つが全部これ。
まあ、ふだんあまりニュースもない平和な場所なのかもしれないですが、それにしても、かなりの関心だと思います。


「音」のひとつの例

ところで、先日、家の中にいた時に外で「ブァーン」という大きな音が響いていることに気づきました。それは、何度かご紹介している謎の音と同様の「低い音のラッパのようにも聞こえるタイプの音」でした。

私は思わずベランダに出て周囲を見回して、それから、「ああ、なるほど」と思いました。音の方向にはこういうものがありました。写真はそのものではないですが、まあ似たようなものです。

c-2012.jpg


数百メール離れた場所で高層マンションか何かを建設していて、そこで使われている高層クレーンの「きしむ音」がかなりの重低音で周囲に響き渡る時があるのですが、ちょうどそこに近所の米軍基地からの飛行機の通過音が重なると、以前ご紹介したロシアの下の音に近くなることを発見しました。




世界各地の謎の音にはいろいろな原因があるのでしょうが、こういうような例でも、重低音は出るということがちょっとわかりました。

私はクレーンの構造はよくわからないですが、縦の支柱の中はもしかすると、空洞かそれに近い構造なのではないでしょうか。

もしクレーンの支柱の中が空洞なら、構造としては「巨大な金管楽器」みたいなものですので、あれだけ超巨大なクレーンなら、作業での振動がその空洞の中で増幅されて、周囲に「ブァーン」という音で響き渡るのかもしれません。

そこに米軍基地から発進した軍用機のソニックブームが加わる・・・と、思えば何という環境に住んでるんだ、オレは(苦笑)。


では、CNN の報道です。



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タグ:謎の音

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2012年03月19日



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andromeda.jpg

▲ 作家の埴谷雄高さんが「自分のもうひとりの存在がいる」と考え続けたアンドロメダ銀河。




文字の中で続く永遠のサイクル

先日の「「人間は最初 宇宙線だった」:埴谷雄高さんの1994年の言葉」という記事の続きみたいなものですが、昨日、お酒を飲みながら、スエデンボルグの「宇宙間の諸地球」(1785年)をパラパラと2、3ページめくって読んでいましたら、埴谷雄高さんが自分の小説「死霊」の中に書いたくだりとほとんど同じ概念の思想が出ていることに気づきました。

それは、「時間と空間はコミュニケーションと関係しない」という概念です。

私はこのことについては、宇宙の問題を考えながら自分なりに考えていたことがありましたが、「光の速さ」という物理の法則の下では、「時間と距離」は関係してしまうという限界をいつも感じていました。


埴谷さんは小説『死霊』で「そういう時間や重力の括りがない世界」を描こうとするために、物理や天文学もずいぶんと学習していたようですが、それでも死ぬまでに合理的な解決は得られなかったように思います。

そこで、スエデンボルグの書いたひとつのフレーズが目に入り、「これはそういうことを書いているんだろうな」と思ったので、後のために書いておこうと思いました。スエデンボルグの書いたことが解決になっているという意味ではなく、彼が「書いていた」というとことは、「そのことを考えていた」ということではあり、多分、他の人たも含めた多くの人たちが、この「時間と重力」からの脱却というものを目指していたことがわかります。

まず、『死霊の世界』から埴谷さんの言葉を短く引用します。

質問者に小説「死霊」の主人公(三輪与志)について訊かれての中の言葉。

(ここから)



三輪与志の革命というのは、うーんと離れたところにあるんですよ。しかも、うーんと離れて、ある意味でいうと、何百億光年か離れていても一瞬のうちにやってくると。(中略)

思索、想像力は何ものよりも強い。普通は何十万光年、光も何十億光年かかるところから、思ったらすぐやってくる。現実を無視していると。非現実の世界が書かれているわけですよ。




(ここまで)

そして、NHK の番組でも最後のほうの埴谷さんの言葉となったのが下のくだり。

かつては YouTube 上にも番組の動画あったのですが、現在はなくなってしまいましたので、文字として起こしました。

(ここから)



「埴谷雄高独白 死霊の世界」第5回より
NHK ETV特集 1995年1月13日

アンドロメダはですね、(我々の銀河から) 150万光年と言われていたわけですけど、でも今はですね、まあ、天文学もインチキでね、だんだん数値も変わってきて、今では 210万光年ぐらいだといわれているわけです。

だいたい、銀河もアンドロメダも直径は 10万光年ということになっているんですよ。遠くから見ると双子星雲で、非常に遠くから見ると同じようなものが二つ並んでいるわけです。

僕の病気が治った時に表に出てみると、アンドロメダが見えるわけです。

そうするとですね、 昔はこれは 150万光年ということで、直径 10万光年ということだったんですけど、15回繰り返していけば向こうに到着するわけですよ。今は 21回ということになったわけだけれども、それでも 21回でも、地球と月よりもこっちのほうが近いんですよ。

地球と月は、地球の直径を30何回繰り返さないと、到達できない。

だから、地球と月よりもアンドロメダと銀河のほうが近い兄弟。

ということで、僕の兄弟はアンドロメダにいる。

「X(エックス)埴谷」というのがここにいて、僕が見ている時は向こうからも見ていると。僕が見ていると向こうからも同じように見ている。「宇宙の鏡」と同じで、僕が見ているということは、向こうからも見ているわけだ。

「あっ、あそこの向こうの兄弟、あいつが考えている、いつ会えるかな」というようなことですよ。




(ここまで)

これは上と下と共に共通するのは、「自分の描いている状況と物理の法則は矛盾するけれど、でも、その矛盾も含めて必ず正しいはずだ」という埴谷さんの意志が見てとれます。


私はかつてこの解決策として、「人間の中の宇宙」ということを In Deep などで書いていたのですが、最近の薔薇十字関係の記事、

神に怒りはないこと知る日々の中で

というようなものにもそれはあらわれているような感じもしますし、あるいは、先日、メールをくれた female日記 というブログを書いている方の「地球=太陽」という概念をさらに進めて、

地球 = 太陽 = 人間

ということにまで進んで考えていくと、実は、その後に、


人間 = 宇宙


という到達点にいくことがさほど無理なことでもないことが見えます。


そして、上の埴谷さんの「200万光年離れたもうひとりの自分とリアルタイムで交流する」という想いを遂げるには、それしか、もう選択肢はない気がするのです(物理の法則では 200万光年先にいる相手とのコミュニケーションは、どんな方法でも最短で 200万年かかる)。

つまり、

「人間は宇宙そのものである」

という結論を先にここに据えた上で、「それはどのように考えていけばいいのか」ということにしたいと思います。ダメだったら前言撤回ということで(苦笑)。


「結論先にあり」ですが、埴谷さんの願いはこれによってしか叶えられませんし、私の日々見る「ペアである自分」の解決策もこれしかないようです。


さて、そういう中の解決的な考えのひとつに、実証的ではないですが、スエデンボルグが『宇宙間の諸地球』の中で書いたことばがあります。

というか、私、今でもスエデンボルグの著作はこれしか持っていないし、これしか知らないのです(2年くらい前に、時間つぶしのために古本屋を眺めていた時にタイトルに惹かれて誰だか知らずに買いました)。

『宇宙間の諸地球』が書かれたのは 1758年のようですが、持っている本の奥付を見ると、日本で最初に発行されたのは、昭和33年(1958年)のことのようです。日本で出版されたのは、オリジナルが書かれてからちょうど 200年後のことだったようです。


はっきり言って、書かれてあることは難解で、あまりわからないのですが、多分、スエデンボルグはここで「宇宙の状態はひとりの人間の内部の状態と同一」と言いたいのだと感じます。なので、距離や重力は関係ない。というか、宇宙にはそれは存在しないと。

ここから抜粋します。

(ここから)



『宇宙間の諸地球』 星天の諸々の地球
イマヌエル・スエデンボルグ 1758年

自然界の空間と距離とは、引いては進行は、その起源と第一原因においては、内部の状態の変化であって、天使たちや霊たちにあっては、それはこの変化に応じて現れ、かくて彼らはこの変化により一つの所から他の所へと、また一つの地球から他の地球へと、実に宇宙の端にある地球へすらも明らかに移されることができることを知られよ。

人間もまたそのように、その身体は依然その同じ場所に止まりつつも、その霊は移されることができるのである。人間の霊はそのように移ることができることを感覚的な人間は理解することはできない。なぜなら、そのような人たちは空間と時間の中にいて、その運動をその空間と時間に従って測るからである。




(ここまで)


実はこの後のくだりで、スエデンボルグはとても興味深いことを書いています。

それはブルーノなども言う「たくさんの地球、たくさんの太陽」という概念のことで、そのこと自体は多くの人たちが言っていることなのですが、その言い回しが、お釈迦様(ブッダ)の言葉とほぼ同じだったのです。

スエデンボルグのそのくだりは、書き出すには長いですので、今度機会があれば書きますが、対応するお釈迦様の言葉というのは、何度か抜粋したことがあります。

下のくだりです。
フレッド・ホイル博士の著作「生命はどこからきたか」 第十五章の中に出てくるものです。

こちらの記事から転載します。

(ここから)



『生命はどこからきたか』
フレッド・ホイル 1995年

紀元前六世紀に、ブッダの世界観はすでにコペルニクス革命以後に入っていた。彼は宇宙が、各々がわれわれの惑星系と似た数十億の ”小さな宇宙” から成り立っていると記している。ブッダの対話形式になっている古い仏教の教典のなかに無限の宇宙について述べられている。

「無数の太陽、無数の月、・・・、無数のジャムブディパス、無数のアパラゴヤナス、無数のウッタラクラス、無数のブッダビデバス」

ジャムブディパスとは当時の北インドの人々が知る限りの人の住んでいる地域を表す単語である。この対話から、ブッダが生命と意識が宇宙の構造に全体として結びついていて別々にできないものと捉えていたことは充分に明らかである。




(ここまで)


この中の生命と意識が宇宙の構造に全体として結びついていてという部分。これは、上の埴谷さんの「X埴谷というのがアンドロメダにいて、僕が見ている時は向こうからも見ている」を実現できる道筋のひとつだと思います。

フレッド・ホイル博士はこういう信念で科学を進めたせいで、科学界から「焼かれ」ましたが、焼かれた「神々の死体」に感謝している私のような人はたくさんいます。



何だか長くなってしまいましたが、

「宇宙=人間」

という結論を夢想した日の記録でありました。



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2012年03月17日



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honny-01.jpg

昨日の記事「今の太陽は自分自身も爆発を繰り返しながら何かと戦っている模様」では、最初は太陽の話を書いていたのですが、どんどんと逸脱していって、最終的には、作家の埴谷雄高さんの話へとなっていました。

あのあと何となく気になって 1995年に発行された『埴谷雄高 独白 死霊の世界』という本を適当にめくりながら読んでいたんですよ。その年に NHK 教育で5日間にわたり連続でテレビ放映された同名の番組を本にしたものです。

そうしたら、その中に「宇宙線」の話が出ていたんです。

埴谷さんがニュートリノが大好きだったのは知っているんですが、「宇宙線」という単語そのものが埴谷さんの口から出ていたというのは驚きでした。

しかも、「遺伝子には宇宙線時代もあったわけですよ」なんてことを言っている。

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テレビ番組のほうは知人にビデオで録画してもらったものを何度も見ていたのですが、その発言の記憶はなく、変だなあと思っていたんですが、本の前書きなどを読むと、「書籍のほうにはテレビで放映しなかった独白部分も収録」したのだそうです。そういや、本のほうはあんまり読んでいなかったので、それでこの 17年間気づかなかったのでした。

この本の元となったテレビ番組『埴谷雄高 独白 死霊の世界』は 1993年6月から1994年4月までの1年近くのあいだ、NHK のディレクターと取材スタッフが埴谷さんの家に赴いて撮影を続けた NHK 番組史上でも相当な執念と労力で作られた番組ですが、時代は今から20年前ですし、その頃に「宇宙線」と放映しても、見ている人にはよくわからなかったかもしれないですしね(科学番組ではなく、あくまで文学の番組だったということもありますし)。

私なんかに至っては「宇宙線」という言葉自体を知ったのが2年ほど前のことです。

そんなこともあり、埴谷さんが宇宙線について語っていた部分をメモも兼ねてその部分を抜粋しておきます。

ちなみに、ここには、「無機物から生命が発生して」という旧科学の発想がベースにありますが、これと進化論は、この世代の人として誰も逃れられなかったものなのかもしれません。また、ここで埴谷さんが言っている天文学は 1993年時点でのもので、現在では宇宙線もニュートリノも多少理論的に違うことになっているかもしれません。

han-nya.jpeg

▲ 埴谷雄高さん。多分 1993年頃のものだと思います。やっぱりトカイワインと一緒に写っている写真が埴谷さんらしいと思いましたので、これに。
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タグ:埴谷雄高

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2012年03月16日



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変なタイトルになってしまいましたが、いろいろと NASA の太陽の記録を見ていると、いわゆる「異常」が発生しているような雰囲気が見てとれます。最近、比較的大きな太陽フレアや CME とかあったんですが、そういうようなレベルの話とは違うものです。

実際、私にもまったく理解できません。

ここでいう「爆発」とは表面上の意味であって、実際にどんなことが起きているのかなどわかるわけもないのですが、とにかく、今回は余計なことを書かず、このことだけを短く書きます。


太陽の「左の下」で執拗に発生する「何か」

まず、これは昨日の「超新星 1987A が宇宙に描き続ける「奇妙なリング」」という記事の冒頭で書いた、最近、話題となっている 3月11日に太陽で観測された光景です。



やっぱり、このことが気になって今日、NASA の太陽観測衛星のデータをいろいろと見ていたんですね。

すると、「太陽の状態」が今ムチャクチャなことになっていることに気づきます。


下の動画は、NASA の太陽観測 SOHO でリアルタイム公開されているものの中の 3月12日から 3月16日までの動画です。

12秒くらいに短縮されていますので、ぜひ見て下さい。
この数日間に太陽でいろいろなことが起きていることがわかります。



SOHO Real Time MPEG Movies より。


この間に起きたことを写真でも貼っておきます。



2012年3月13日から16日までの太陽でのバトル
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2012年03月15日



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(訳者注) 本題の前に「太陽」でちょっとした異変が起きている話題です。

太陽での微妙な異変

3月10日頃、「太陽から何か飛び出した」という NASA の映像が話題となっていまして(笑)、確かに映像を見ると、いわゆる太陽フレアやプラズマなどとは違う感じのものが飛び出していましたが、推測するのは難しそう。

sun-out.jpg

YouTube に動画もたくさんアップされていますので、そちらでもご覧になれます。

上のが3月10日くらいなんですが、次の日の3月11日にも、プラズマのようにも見えるし、今まで見たこともないような気もするような、不思議な感じの太陽表面活動が前日と同じ位置で観測されています。それが下の写真です。

sun-out-2.jpg


何でしょうね。

最近の記事や、昨日の「地球は太陽そのもの」などと照らし合わせると興味深くはあります。


さて、今日の本題です。


天文学者たちを惑わす超新星 1987A

昨日ご紹介するはずだった、「天体の謎: 巨大な爆発と奇妙な形のリング」という記事のご紹介ですが、この 1987A と名付けられてる超新星との名残と思われている天体は、そもそもが不思議なんですよ。

たとえば、Google の画像検索で表示されるこの天体の写真を見ても「同じものとは思えない」ほど激しく変化し続けているのです。たった数年から20年ほどで。

その長さと広さは「数光年」に渡る超巨大な範囲に渡ります。

この 1987A の基本知識は Wikipedia より抜粋します。


SN 1987A は、大マゼラン雲内に発見された超新星である。初めて観測されたのが1987年2月23日であり、これが同年最初に観測された超新星であることから 1987A という符号が付けられている。(中略)爆発によって生じたエネルギー量は、太陽が45億年かけて放出してきた全エネルギーの1000倍の量を僅か10秒で放出したものと推定される。



地球からの距離は 16万8000光年とのこと。

下の写真はこの超新星の 1994年から 2006年までの変化。

Supernova-02.jpg


別の写真では 1996年には中央が下のような「目」のような感じになっていたりします。

1996.JPG


そして、こちらは2007年2月に NASA が公開した 1987A の周辺を含む「全景」の写真です。

2007-2.jpg


美しいといえば美しいのですが、何だか「出来すぎ」の美しさ(笑)。
ここまで見事な造形を宇宙に作られると何だか困惑してしまいます。

その最近の動きに関しての記事のご紹介です。



続きを読む
タグ:超新星 Crass

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2012年03月14日



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今日は最初は、「1987年に発見された超新星と見られる天体がこの20年にわたって謎の変化を遂げている」というものを紹介するつもりでした。

これ自体もかなり興味深いものなのですが、その前に書いた前振りがものすごく長くなりまして、「超新星が宇宙に描き続ける奇妙なリング」は次の記事で本日中にアップします。

しかし、その様子はとにかく興味深いですので、記事の前ですが、超新星の様子を貼っておきます。 1994年から 2009年までの NASA のチャンドラー観測衛星の写真を連続で貼った動画にしてみました。1987A と名前がつけられている超新星のようです。

超新星 1987A の1994年から2009年までの変化(静止画の組み合わせ)



オリジナルの記事(英語)は、Astronomical Mystery: Tremendous Explosion And Appearance Of Odd Rings天体の謎: 巨大な爆発と奇妙な形のリング)にあります。

巨大な天体(超新星爆発を見せるものは一般的には超巨大です)で、これだけの大規模な変化が 20年程度で起きていることも驚きですが、その「形」がすごい。最後はリングの中にウルトラマンの顔みたいなのが浮き出ている感じ。


今回は別のことを書きます。
ここからです。
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2012年03月13日



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3月11日の夜中からなんだかとても調子が悪くなって、昨日はブログの更新をお休みしたんですが、今日もニュースを読むほど視力(視力というか視界がバラつく)が回復していないので、翻訳記事はご紹介できないです。

ただ、2、3、興味深いことがありましたので、メモとして記しておきたいと思います。
(私は文字を打つ時はあんまり何にも見ないんです←だから誤字が多くて)

11日の夜はいったん眠ったのですが、「眠っている間」から調子が悪く、夢の中でも倒れそうになっていて、目覚めると、1月に倒れた時のような感じで視界が流れて、物をちゃんと見られなかったり、体もフラついたりし始めたんですが、この症状の大部分がパニック障害によるものだとわかっているので、いろいろとなんとかやり過ごしておりました。

パニック障害の「体感の出方」というのは人によっていろいろですので、なんともいえないですが、神経的な病気ということで、「曖昧な症状の病気」と感じる方もあるかと思いますが、そうでもないです。漠然とした不調から始まっても、あっという間に、「立てない、見えない、聞こえない」というところにまで発展することも珍しくはないです。

視界がグニャグニャと曲がったりは結構ある症状かも(ムンクの『叫び』みたいな光景が実際に見える)。それで死ぬわけではないことは本人もわかっているのに、「どうにもならない」というのがつらいところなんですけどね。

簡単にいうと、「不安の輪廻」というのが病気の根幹で、その中で「不安が急速に肥大していく」という感じのものです。ちゃんとした統計はないと思いますが、感覚的には、日本でも数百万人は潜在的なその気質を持っている人がいると思われます。


まあ、それはともかく、そんなわけで、昨日はじっとしていました。



夜空で見た「並ぶ星」の意味

昨日は夕方頃に復活して、夜、買い物に近所まで赴いた帰り道、西の空に結構明るい星がほぼ平行に隣り合って並んで光っていました。かなり明るかったので、立ち止まって見ていました。

「あれはどの星なんだろうなあ」

と、相変わらず星の知識にとぼしい私はしばらく眺めて、「ま、いいや」と帰ったのですが、今朝のスペースウェザーを見ると、金星と木星だったようです。

スペースウェザーには下みたいなきれいな写真も掲載されていました。

venus-2012-03-12.jpg


そして、その時、「金星と木星が並んでいる光景というのは何かで見たなあ」・・・と思い起こしていましたら、それはエメラルド・タブレットに描かれていたものでした。

下は薔薇十字の秘密を表すメラルド・タブレットのマークです。
ちょっとこちらで彩色し直して明るい仕立てにしましたが、基本の色とデザインはそのままです。

emerald-ts.jpg


この図の上の右のほうに上下でならんでいるマークが金星と木星です。

e-v-j-01.jpg


ちなみに、上には太陽と月があり、左側にあるのは、火星と土星。

先日の「神に怒りはないこと知る日々の中で」という記事に載せましたそれらの関係は、「薔薇十字の秘密のシンボル」という中世の本の中では下のようになっています。




ここでも、木星と金星は並んでおり、それを表す数字は「金星 5」、「木星 6」となっていました。

上の図で気づいたのは、世界そのものや、あるいは「存在そのもの」といってもいいような「7」があてられているのは「月」なのですね。中心である太陽が「4」。


この「月」と「太陽」のふたつの関係は過去記事の「[地球の内なる太陽] Vol.3 - ヘルメスのエメラルド版(エメラルド・タブレット)」によれば、

2つの手の上に、7つの惑星が描かれている。

そこには、太陽と月が彼らの生命の物質を聖杯に注いでいる光景が描かれている。太陽と月は、このように逆の性質のものを結びつける。その聖杯は、両性具有を意味する水星で支えられている。

太陽と月が水星を用いて偉大な仕事を成し遂げる錬金術のシステムだ。


とあります。



「方丈記」での世捨て人に憧れる年頃となって

ちょっと前の記事に書いたんですが、「方丈記」を読む羽目になったんですね。
夢とかで言われて。

でも、古語とか古文なんてまったく読めないので、最初の、「ゆく河の流れは絶えずして・・・」くらいで終わりにしておこうと思ったんですが、今の時代は素晴らしいもので、様々な方がネット上に現代語訳にしてアップしてくださっているのでした。

どの訳も味わい深いですが、今回は「古典に親しむ 方丈記」というものを読ませていただきました。

結論でいうと、「方丈記」はいいものだと思いました。

最初の下りは上のサイトの方の訳ではこのような感じでした。


ゆく川の流れは絶えることがなく、しかもその水は前に見たもとの水ではない。淀みに浮かぶ泡は、一方で消えたかと思うと一方で浮かび出て、いつまでも同じ形でいる例はない。


これは、何となく言い換えれば、エメラルド・タブレットの内容とそんなに違わない「世の道理」というものを伝えているような感じを抱かせてくれます。

エメラルド・タブレットのニュートンの訳(1680年)の中には、こんな下りがあります。


唯一なるものの奇跡の実現にあたっては、下なるは上なるのごとし、上なるは下なるのごとし。
そして、万物は一者の適合により一者より来る。



あと、あまり関係ないですが、むかし住んでいたニシオギの飲み屋のアル中のオヤジは下のようなことを言っていたことがありました。


「まあね。なんでもね。巡りめぐってくるものだからね。エラいとかエラくないとかね、関係ないんだよ。結局はね、同じなんだよ」(本当に関係ないな)


まあ、ニシオギのオヤジはともかく、この「無常」、つまり、「常に同じ状態のものはない」という概念は、なんとなくとらえどころがないながらも、エメラルド・タブレットでは「それはたったひとつのものから来る」と言っています。

では、そのエメラルド・タブレットの語るところの、

 > 万物は一者の適合により一者より来る。

の「一者」とは何なのか。


聖書では、この世の始まりを「ことば」としていますが、では、「ことばが一者」なのか。それとも、「小林が一茶」なのか(わかりにくいダジャレはやめろ)。

しかし、エメラルド・タブレットにはそれを感じない。ただ、「薔薇十字のシンボルの秘密」のほうには繰り返し、「ことば」という意味のラテン語が出てきます。とはいえ、そこでは「言葉が一者」という感じはないのです。

(「薔薇十字のシンボルの秘密」では根幹を「カオス」に置いていると感じます)


ところがですね、「方丈記」の冒頭を読んで、私はふとその対処を知るわけです。

それは「知らず、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る」という一節で、私には、意味はおろか、読むこともできないのですが、この現代語訳を様々なサイトから構築いたしますと、このようなものです。


生まれた人はいったいどこから来て、
死ぬ人はいったいどこへ去っていくのだろう。
そんなことは私にはわからない。



これでいいんじゃん、と刮目しましたね。

「私にはわからない」

と堂々と言うだけでいいのだと。
そんなわけで、方丈記を読んでちょっと楽しくなった私でした。


ちなみに、方丈記自体には火災、飢饉、地震などの話が数多く載っており、内容的にはわりと厳しいものです。

方丈記に出ている地震は、1185年に発生した「文治京都地震」(元暦の大地震)というもので、推定マグニチュード 7.4とされている地震ですが、京都の街がほぼ完全に壊滅した様子が描かれています。

古典に親しむより元暦の大地震の現代語訳。

そのさまは尋常ではなかった。山は崩れ、その土が河をうずめ、海が傾いて陸地に浸水した。大地は裂けて水が湧き出し、大きな岩が割れて谷に転がり落ちた。波打ち際を漕ぐ船は波の上に漂い、道行く馬は足の踏み場に惑っている。都のあたりでは、至るところ、寺のお堂や塔も、一つとして無事なものはない。あるものは崩れ、あるものは倒れている。




とりとめもなく書いてしまいましたが、明日からまた翻訳も再開させていただきます。
いろいろとご紹介したい報道はあるのです。


ところで、「方丈記」を読んだ時に、ついでに「徒然草」の現代語訳もちょっと読んでみたのですね。すると、「徒然草」のラストはおもしろい会話で終わっていることを初めて知りました。「新訳 もの狂おしくない『徒然草』」というサイトに全訳があるのですが、最後のセクションである「第243段 八つになりし年」は、『徒然草』の作者の子どもの時の思い出話で、


> 八才の時にわたしは父に「仏とはどんなものでございますか」と尋ねた。


から始まります。

そこから、「会話だけ」を取り出しました。




子 「仏とはどんなものでございますか」
父 「仏は人が悟りを開いてなるものだ」

子 「人はどのようにして悟りを開いて仏になるのでございますか」
父 「仏に教えを受けて仏になるのだ」

子 「それを教えた仏はだれが教えたのでございますか」
父 「それもまた、その先輩の仏の教えを受けて仏になったのさ」

子 「ではそもそも最初に教えた第一番目の仏はどんな仏でございますか」





ここまで会話がきたところで、吉田兼好のお父さんは、

それは空から降ってきたか、地面からわいてきたのだろうな

といって笑ったのだそうです。

テキトーな会話にこそ真実は結構含まれているものだと感じます。


それにしても、先日、昔からの知り合いと飲んでいた時にも言っていたのですが、「結局、オレは世捨て人を目指す方向で生きてきたのかなあ」という希望はないでもないです。上の『方丈記』の作者は読む限りは世捨て人だったようです。

私には子どもがいますので、その子どもの将来や方向性がつくころまで私は世は捨てられないでしょうけれど、その後は、「世捨て人」というような生き方を目指したいように思います。

まだ先でしょうけれど、できれば、数年内に。




[1年前の In Deep ]

(注)この昨年の3月12日から「震災後日記」が続きます。

2011年03月12日の記事

東京の状況

こどもたち


2011年03月13日の記事

決意の涙: 東京 DAY3

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2012年03月11日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





今日は翻訳記事をご紹介する時間がどうしてもとれませんでした。

しかし、 3月11日ということで記事をアップしたいと思いました。2011年の3月11日からの日々は、私にとっても、今までとは(精神的な意味で)違う日々の始まりでした。あの頃の東北の人々の姿を見る中で私は変わることができたのでした。

昨年の震災後の記事の、

もはや神も大地も怒らない (2011.04.08)

に書かれてある私の心情は今でもそのままです。

今、地震や噴火などの自然災害に対しての恐怖は私にはまったくありません。
昨年、そういう感情は自然と消えました。

何か起きたら対処する。
対処できないものなら「それまで」。

交通事故とか殺人事件とか経済のこととか、今でも「こわいこと」自体はたくさんありますけど、「地球のこと」への恐怖は消えました。

そういえば、上の記事のタイトルは「もはや神も大地も怒らない」というものでしたが、先日の記事「エメラルドタブレット(2)」の内容に関して、ちょっと調べていた時に、日月神示の一節が検索されたんですが、そのフレーズがこんなものでした。

扶桑の巻の第八帖というところにあるもので、


神に怒りはないのであるぞ。
天変地異を神の怒りと取り違い致してはならん。



というものでした。

ここには「取り違い」という言葉が出てくるので、少なくとも書かれた頃の人々が「天変地異を神の怒りと思っていた」という雰囲気というのか、全体の感じがあったのだと思われます。そして、それはもしかすると、今でもそういうように思っている人はいるのかもしれないですし、私も3月11日までは何となくそのように考えていました。

しかし、もう今はまったく思っていません。そういう意味ではこの1年は「天変地異は神の怒り」だということは完全な勘違いだということを学ぶ期間だったと思います。 In Deep でご紹介してきた様々な宇宙科学、物理学、聖書やオカルトのすべてがそこに向かっていました。



人類が獲得した、宇宙も羨む「偉大な無能」

こういう言い方をしていいかどうかはわからないのですが、「地球」を「人間の体」と対応させてみれば、たとえば人は毎日のように排泄をしたりします。

時には嘔吐したりする。

そして、地球では内部から吹き出ることによる噴火があったり、内部での何らかの物理的現象による地震があったりする。

これらが同じだという意味ではなく、エメラルド・タブレットにあるように、「ひとつの現象はすべての現象に通じる」ということを信じれば、たとえば人間に起きることが(現象的なイメージとして)地球や宇宙に起きないということもないかなあということです。

エメラルド・タブレットのその部分はいろんな訳がありますが、この部分です。


万物が一者から一者の瞑想によって生まれるがごとく、
万物はこの唯一なるものから適応によって生じる。



人間は毎日のように髪の毛が抜けたり、古い皮膚は落ちる。
そして、地球では毎日噴火があり、毎日地震が起きる。

人間の中では、毎日、おびただしい数の細胞が死んでいる。
地球の上でも大小の生命が消えていく。

しかし、その細胞の中にある DNA は死なないで存在し続けている

この「死んでいくように見えて、実は永遠のサイクルの中にある」という現象が、地球とか、あるいは宇宙とかにもあるはずだという確信の話です。これは実証のしようがない単なる個人的な確信であるわけで、他の方がそう考えるようなものではありません。私はそう考えているというだけの話です。


それにしても、私は相変わらず不勉強な人間のせいで、日月神示の全体は存じないのですが、上のフレーズに興味を持って、いくつか見てみると、なるほど、今まで勉強してきた聖書などのフレーズと通じるものがあり、ここにもまた「ひとつはすべてに通じる」という概念を見たりします。

特に、「いいフレーズだなあ」と思ったのは下の部分などです。

白銀の巻というところにある、


人間は皆、かみかかっているのであるぞ。かみかかっていないもの一人も居らんのぢゃ。かみかからんものは呼吸せんのぢゃ。



とか、黒鉄の巻というところにある、


言葉は神であるが、人間でもあるぞ。



震災以降の記事では、「何の能力もない普通の人間の存在」というものがどれだけものすごいものかということをずいぶんと書いていました。

未来を予知出来ない能力を獲得したことによって「明日を生きる楽しみ」を勝ち得た人類。人の心を読めないからこそ、毎日毎日、ワクワクドキドキしながら人生や恋愛ができるようになった人類。


私がずーっと思っていた「無能である人類が等しく持つ驚異の実相」が、上の日月神示の「人間は皆、かみかかっているのであるぞ」の「」に現れていると思います。

今ここにいる私や、そこにいるあなたのような「きわめて無能な人たち」はすべて宇宙から見れば「神がかっている」。


なお、「言葉は神であるが、人間でもあるぞ」という概念に関しては、ヨハネによる福音書の冒頭の「はじめにことばがあった」というものとの関連で今後も出てくることになると思います。

どうしてこれが大事なことか。

それは、「はじめ」と「終わり」という概念の問題に突入していくからです。

たとえば、ずっと人々が唱えてきた「終末」という問題。
地球の終わりとか人類の終わりとか、そういう言葉には「終わり」という概念が含まれます。

「終わり」の対極の意味は「はじまり」ですが、どんなものにでも対極は存在します。つまり、終末を語るには「はじまり」にも言及する必要があると思うのですが、聖書や仏典やコーランや、あるいは日月神示など、そういうものに書かれてあることが「正しい」のなら、

「はじめはことば」

であることが提示されていて、また、

「言葉は神であるが、人間でもある」

のなら、はじまりの対極にある「終わり」に存在するものは何なのか
それを知りたいように思います(推定では「終わり」という概念はこの世にないと思っています)


何だか話の方向性が無分別になってきましたので、ここまでにしておきます。

ところで、先日の記事に書いた 1785年の「薔薇十字の秘密のシンボル」関係のことを少し書いておきます。ここには興味深いイラストがたくさんあります。


薔薇十字のシンボルでの数字の意味

たとえば、その「薔薇十字の秘密のシンボル」の中には下のようなイラストがあります。
日本語はこちらで入れたものです。

89-sun.jpg


太陽に「4」の数字が当てられている、ということがわかります。前後の本文は読めないのですが、このイラストを見ても「4」の中心性というものが何となくイメージできます。

「7」に関しては、どうやらこの西洋神秘学の世界では「全部」ということになっているようにイラストでは見られます。「全部」というのは、つまり「7以上がない。7がすべてである」というような意味です。

そう考えると、「4」の意味もちょっとわかります。

つまり、1から7で完結する概念は下のようなことになると思います。

1234567


この真ん中は・・・。


1234567


となるわけで、7から作られている世界では中心が4になるということに初めて気づいたのでした。

あと、数字関係のイラストで興味を持ったのがこちら。

7-666.jpg


「7」と「666」が同居している図です。

この「666」という数字は「薔薇十字の秘密のシンボル」の中には何度もイラストで描かれますが、イラストだけの感覚でいえば、よく言われているような「悪魔的なイメージ」というものはなく、上の図にあるように「7の対極」として描かれているというように感じます。

つまり、「世界そのものである7」が存在するためには対極の「666」が存在する必要があるというような雰囲気が伝わります。実際はわかんないですけどね。

さて、これから鴨何とかさんの「方丈記」の冒頭でも読んでみます(夢指令)。
古文ほとんど読めないんですけれど。
タグ:日月神示

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