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2012年09月26日



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かれの「神しゃま」は消えたのか、それともまだ消えていないのか



個人的な事情で、昨日今日と翻訳的な記事の更新をするのは無理そうなんですが、プライベートなことで申し訳ないですが、ちょっとそのことを書かせていただきます。






 



謎の激痛と高熱ごとに成長する中で

うちの子どもは年に一度くらい、原因のわからない激痛に見舞われることがあります。

痛みの出る場所はその時によってバラバラで、昨年は3月頃、あれは震災の数日前くらいだったと記憶していますが、最近ではそれが最後でした。その時には腹部だったのですが、比較的痛みに強い彼が絶叫するほどの痛みで、夜中でしたが夜間救急医療センターのようなところに電話をすると「すぐに救急車を呼んで下さい」と言われ、救急車で病院に運ばれました。

しかし、痛みは1時間ほどで消えていき、翌日にかけて精密検査もおこなったのですが、原因はわかりませんでした。同じようなことがその前にもあり、それは別の場所でしたが、その時も原因がわかりませんでした。

そして昨日もまたそれが起きてしまったんです。

どの場所かは具体的に書かないですが「顔の一部」です。本当に最近では初めて見るような痛がりぶりで、まだ夕方でしたが医療センターに電話をすると、後ろで絶叫している子どもの声を耳にしたせいか、「すぐに救急車を向かわせます」と言われ、救急車が来たのですが、その頃には子どもは少し落ち着いていて、救急隊員の人の一問一答にも答えられるようになっていました。

それでまあ、搬送はせずに、様子を見て、そして今朝になって病院に行き、検査をしたのですが、やはり原因はわかりませんでした。

生まれてからこの「原因不明の痛み」というのを何度かやっている彼ですが、ふだんは痛みにはかなり強いほうで、あの痛がりぶりはかなりの痛みだと思うのですが、「何なんだろうなあ」と正直思います。

それと小さな頃の「高熱」。
これもいつも「何の熱かわからない」ものでした。

うちの子どもは風邪などをひくことがほとんどなく、この数年はいわゆる病気になったことがないのですが、高熱が1年に1度くらい出ました。そして、熱はたいてい数時間で消えます。

そして、私たちが不思議だったのは、5歳くらいまで「高熱を出すたびに言葉を喋るようになっていった」ということがあったのでした。


以前書いたこともあるのですが、うちの子どもは一般的な成長と比較すると、発語を含めて約1年以上、言葉が遅れていました(幼児期の「1年以上発語が遅れる」というのは極めて希で全体の数パーセントもいません)。


しかし、「熱を出すたびにことばを話しだす」。

そのことは奥さんと「不思議だねえ」と言っていました。

この世には知恵熱という言葉がありますが、そういうたぐいなのかねえ、と話していました。

そして、もうひとつ、彼は5歳くらいまでは、熱を出している時にうわごとのように、「神様」のことを話すことがありました。

前回の記事、

ウイルスの流入の繰り返しでDNAの進化をなし得てきた人類をサポートする「宇宙と火山」(2)
In Deep 2012年09月24日

での、デヴィッド・キース著『西暦535年の大噴火』からの抜粋の中に、日本の6世紀までの「神」についての文章があり、それはこんなものでした。


神=カミは、それ自体の姿形を持っていないと見なされていた。シャーマン(僧侶)から、ある物の中に入るように「言われると」、その物の形に適合できるとされていたのである。

そして、霊たちは、細長い「器」の中に住みたがると一般に信じられていた。具体的には、魔法の杖、旗、長い石、木、特殊な目的の人形、そして生きている人間などである。そうした人間(霊媒)は女性であることが多く、その体と声に神々が乗り移るとされた。



これを読んだ時に、「なんか同じようなのを聞いたことがあるな」と思い出すと、それは In Deep の過去記事にも書いていたのですが、「子どものうわごと」でした。

子どものかみさま
 In Deep 2011年03月04日

という記事で、日付けを見ると、震災の1週間前あたりの記事です。
そこに子どもがその前の年の暮れにつぶやいたことばが書かれてありました。

当時は、「さしすせそ」が「しゃししゅしぇしょ」の発音になるというタラちゃん語だったですので、それに準じて書き出します。

40度近くの熱を出していた時、ふっと上半身を起こして


「幼稚園のしぇんしぇい(先生)は神しゃまは空の雲の上にいるっていうけどね・・・しょれ(それ)は違うんだよ。神しゃまは透明で、どこにでもいるの。あしょこ(あそこ)にもしょこ(そこ)にもいるの。雲の上にもいるけど、他にもどこにでもいるの。木にしぇみ(せみ)みたいに止まっていることもあるの。でも、透明だから誰にも見えない。でも、透明でもしょこ(そこ)にいるの。全部の空も砂も木も全部しゅべて(すべて)神しゃまなの」。



とハッキリとした声で話して、またすぐ倒れるように寝てしまいました。

朝には言ったことは本人は全部忘れていましたので、熱でうなされた寝ぼけ言葉だったことは間違いないのですが、「神様」というものが人間社会(あるいは日本の古代社会)に生まれたのもこんな感じだったのかなあとも思いました。



子どものうわごとから学んだ古代日本の精神文化の形成

古代は世界の国のシャーマンでも、幻覚剤や幻覚キノコなどを使って、幻影の世界に自分を突入させたり、場合によっては錯乱の世界に入ることがあったようですが、そういうような時は、そのシャーマンに「いわゆる霊的な力」とかがあるとかないに関わらず、熱でうなされたうちの子どもと同じように、「幻覚剤によって自分の頭(心)の中にもともとあるもの(概念やもともとある世界観)を噴出させる」ということはあったのだと思います。

言い方を変えれば、「実は誰でもシャーマンになれた」という可能性もあります。

peyote.jpg

▲ 古代の北米や南米の先住民族のシャーマンたちはキノコやサボテンなどの幻覚剤を使って、「過去や未来」にふれていたとされています。写真は北米のペヨーテというサボテン。


そして、そのシャーマンを信奉する人々にも、どこかに(たとえば眠っている時の夢とかも含めて)同じような「神」や「その概念」があって、自然とその「神性を共有できる」という環境になっていたのだと思います。

要するに、現在での宗教では教義や生き方は「学ばなければならない」ですが、「そんなことは学んだり教えられなくても、自然と共有できる神様と神性」だったのではないかと。上から押しつけられる宗教ではなく、「誰の心の中にでもある神様」。

それが日本の古代宗教の現実で、その後は「神道」みたいな言葉になりましたが、そういう禍々しい言葉になる前の話です。


だからこそ、日本に6世紀に仏教が入るまで、多分、数万年くらいのあいだ、日本人はうえのような「空も砂も木も全部すべて神しゃまなの」という感覚の中で生きられてきたのだと思うし、そしてその感覚は「地球と共生する」という意味では合理的な概念だとも思います。


なお、古代の日本にはアメリカ大陸のようなキノコやサボテンはなかったと思われますが、しかし、シャーマンは同じような「酩酊状態」に入る必要はあったはずで、日本でお酒が発達したのは、ペヨーテなどの幻覚サボテンなどがなかったことも大きかったのかも知れません。

縄文時代の超自然観というページには以下のようにあります。
酒や向精神薬、そして太鼓(リズムという意味)が使われていたという可能性が書かれた後に、


他界と交流する技法

■太鼓にしても酒にしても、意識の状態を変容させ、霊的な世界とコンタクトするために使われたということには変わりはない。またどちらも日本の土着信仰=神道の儀礼には欠かすことのできなかったものであり、弥生以降の文化との連続性を感じさせる。

■酒以外に、日本列島の自然条件で、意識状態を変容させる向精神薬として使用された可能性が考えられるのは、大麻、ベニテングタケ、シビレタケ、ワライタケなどのシロシビン系キノコ、そしてヒキガエルである。



とあります。

この中で「麻」とありますが、今でいう大麻に関しては、衣服と食事にも転用できたこともあり、古代日本では、かなり有用な野菜のひとつだったと考えられているようです。

同じページに下のような記述があります。



asa_Torihama_S.jpg

▲ 福井県立若狭民俗資料館にある福井県「鳥浜遺跡」前期の麻の出土品。

アサは縄文前期にはすでに縄や布として利用されていた。ただしそれが繊維材料ではなく向精神薬として用いられたかどうかはわからない。『魏志倭人伝』には弥生時代の西日本で酒が好まれる一方、麻の栽培が行われていたことが書かれているが、それが向精神薬として用いられていたという記述はない。しかしその後も大麻は神道の伝統の中では神聖な植物でありつづけた。



話が逸れましたが、以前はそんなうちの子どもでしたが、言葉を覚え、字なども覚えていき、そして「神しゃま」を「神さま」と発音できるようになっていくにつれて、徐々にそれらの「神性」は消えていきました。

この「神性の消失」というのはすばらしいことだと私は思っています。

震災の後、何度かふれたことのある「人間の最大の進化」であるところの「予言できない能力」、「未来も過去も見ることのできない能力」というものがどれほどものすごい高度な進化だったかというのは、どう説明しても、うまく説明することが私にはできなかったようで、今は書くのをやめています。

この「人類の神性の消失」こそが、宇宙が人類に求めた最大の進化であるということが、過去の中世などの神秘学のあらゆる部分に、あるいは聖書やコーランやブッダの言葉などのあらゆるところに満ちています。


そして、地球のすべての人間の価値観から「予知」とか「過去とか未来」とか、あるいは前世とか、転生とか、あるいはテレパシーとか、そのような価値観が「完全に消えた時」、それが人類の最後の進化に繋がるのだと思います。

なぜか。

それは宇宙の永遠性と関係のあることで、実は私たちは「一瞬にだけ生きている」という事実があり、それは「科学では時間という存在を定義できない」という科学上の世界とも関係します。


実は「一瞬の中にすべてがある」ということが現実なんです。


これは夢物語を言っているのではなく、物理学のひとつの結論だと思います。

参考までに、2011年8月9日号の日経サイエンスの翻訳記事がネット上にありますので、それを部分的に転載しておきます。




nikkei-sience-2011-08.jpg

時間は実在するか?
クレイグ・カレンダー (カリフォルニア大学サンディエゴ校哲学科 教授)

時間は過去から現在、未来へととめどなく流れていく。過去は変えられず、未来は決まっていない。そして私たちは現在を生きている──それが私たちの「時間」についての日常感覚だ。

だがそうした日常的な「時間」は、現代物理学には存在しない。

物理の数式は「現在地」のない地図のようなもので、あなたが今いるのがどこかは教えてくれない。アインシュタインの相対性理論によれば、そもそも唯一かつ絶対的な「現在」というものはない。過去から未来にいたるあらゆる瞬間は、等しく実在している。

(中略)

相対性理論に軸足を置く限り、時間というのは単に、異なる物理系に起きる出来事の相関を記述するための発明品にすぎない。それはちょうど、お金のようなものだ。お金があるおかげで、私たちはコーヒー1杯を購うたびに何と物々交換するかを話し合わなくてすむ。だが別にお金自体に価値があるわけではない。

では、なぜこの世界に、時間というものが存在しているように見えるのだろう? そのヒントは、80年前に英国で行われた1つの実験にある。この実験によると、時間が存在しない静的な世界においても、その一部分で起きている出来事の関係性を記述すると、それはあたかも時間が存在するかのような振る舞いを示す。

私たちが日常的に時間を感じるのは、私たちが自分自身を世界から切り離して、物事を見ているせいなのだ。





ということで、つまり、時間というのは「人間の発明品」であり、「便宜上、あるようにして使っているもの」であることが厳然たる事実で、「時間」というものはどんなに誰が何と主張しても「存在しない」のです。


その事実のある中で、未来や過去を予見するという行為は「存在しない時間軸を見る」という一種「無理」なことだと思うのです。それはあまりにも形而上的な概念かとも思います。

しかし、時間軸は存在していないけれど、「状況は存在している」こともまた事実です。

では、どこに存在しているかというと、「科学」だけの話でいえば、全部同時に今の一瞬にすべて存在しているということになるようです。


まあ、そんなわけで、単なる日記となってしまいましたが、いくつか興味深い報道もありますので、明日以降ご紹介したいと思います。

そういえば、今朝、病院の初診の問診票のようなものに記入していた時、

平成17年7月7日生まれ 満7歳

と、見事に7が並んで、「パチンコ好きのオヤジたちに見せてやりたいなあ」と思った次第です。



  

2012年09月24日



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前回記事: ウイルスの流入の繰り返しでDNAの進化をなし得てきた人類をサポートする「宇宙と火山」(1)






 


クラカタウ火山噴火の翌年の西暦 536年から「仏教の伝来」と時を同じくして疫病の嵐に見舞われた日本の厄災


昨年の震災の直後、「日本から消えた外国人」のことをよく書いていました。過去記事の「鎖国の気配 (2011年04月04日)」というものなどには、当時住んでいた東京の吉祥寺で夜の街を牛耳っていた中国人たちが一斉にいなくなったことが書かれてあります。

これは私の田舎である北海道などでも同じでした。あまりご存じのない方のほうが多いでしょうが、2010年頃までには、実は北海道の観光地は「日本人観光客はマイノリティ」となっていました。数もそうですし、日本人の観光客よりはるかに「お金をたくさん使う」東アジアからの観光客の人たちが、ここ数年は実質的に北海道観光を支配していました。

先日、「個人的に発令したい海外からの退避勧告」なんていう物騒なタイトルの記事を書きましたが、ほんの1年半ほど前に他の国から退避勧告が出されていたのは、この日本でした。



▲ 震災後3日目の 2011年3月16日頃の報道。「日本人の吉祥寺で」より。


最近ふたたび、日本と周辺国の一部の関係は「まるでお互いの退避勧告」が出ているかのような状態となっています。

今朝のエポックタイムスの記事では、中国では、「国交正常化40周年」を記念して、今年5万人以上の中国人観光客を日本に送る予定でしたが、中国全土にある 5500の旅行代理店にキャンセルするよう通達したそうです。

ep-0924.jpg

▲ エポックタイムスの記事。見出しは「中国と日本の緊張がエスカレートする中、旅行者と航空便が犠牲に」。


まあ・・・これらのことは複雑な問題ですので、特に感想はないですが、あの2011年の春の「気分」をちょっと思い出しました。


余談はともかく、昨日の記事の続きです。



日本の歴史は「6世紀以前と6世紀以降」だと言える理由


これは過去記事の、

西暦 541年の東ローマ帝国でのペスト襲来に関してのヨーアンネースの記録
 In Deep 2012年09月20日

と関係した記事でもあります。

『西暦535年の大噴火』という本からの抜粋ですが、「日本は6世紀を境にして何もかも変わってしまった」ということが記されている迫力のある文章です。「古代日本の精神的な滅亡」とも関係します。

5世紀から6世紀、アジアの周辺国が次々と「仏教国」となっていく中、150年以上にわたり仏教国となることを拒み続けていた日本が、それまでの「カミ」を捨てて、仏教国となっていった経緯、その理由の中に潜む「西暦536年から始まった天然痘の大流行」に関しての記載です。


インドネシアのクラカタウ火山の大噴火は西暦535年だったとされていますが、日本に「異変」が起きたのはその翌年からでした。

そして、それ以前には何もかもうまくいっていたという記載が『日本書記』にあります。下は、日本書記の西暦 535年に記された部分です。つまり「クラカタウ火山の噴火の前の日本の情景」といってもいいかと思います(まあ、日本の一部の地域の話ではありますが)。


「このところ毎年穀物がよく実って、辺境に憂いもない。万民は生業に安んじ飢餓もない。天皇の仁慈は全土に拡がり、天子を誉める声は天地に充満した。内外平穏で国家は富み栄え、わたしの喜びは大変大きい。人びとに酒を賜り、五日間盛大な宴を催し、天下こぞって歓びをかわすがよい」(『日本書記』)




その後、日本は次第に下のような状況に陥ります。


「疱瘡で死ぬ者が国に満ちた。その瘡を病む者が『体が焼かれ、打たれるように苦しい』といっては泣き叫びながら死んでいった。(中略)死体は腐乱して名前もわかりません。ただ衣の色を見て、そのむくろを引き取っています」(『日本書記』)



その頃の日本の様子です。

それでは、ここからです。
うまく省略できない部分が多く、長い抜粋となりそうです。






 


西暦 536年から始まった日本の出来事

デヴィッド・キース著『西暦535年の大噴火』 第7章 東洋の悲劇より


百済は(西暦五三〇年代の)百五十年前から仏教国だったが、これより以前に日本の朝廷に布教団を派遣しようとした記録は残っていない。朝鮮の大半と中国の多くの地域、つまり日本の隣国の大半は、少なくとも百五十年以上前から仏教を、部分的にせよ信奉していたのだから、日本だけがその先例に倣っていなかったことになる。大陸志向の蘇我一族ですら、思い切った行動には出ていなかったのだ。

だが、五三〇年代に前代未聞の状況が生じた。アジア東部の全域が飢饉に苦しみ、三年前の新羅同様、日本でも多くの人びとが、「事態を正常に戻すには、きわめて強力な魔術なり神の助けが必要だ」と感じたに相違ない。

だが、「まさにこのようなときに」伝統的な神々を信奉せず、外国の神を崇拝するのはとりわけ賢明なことではないと考える人たちもいた。軍事・警察を司る物部氏と、祭祀を担当していた中臣氏は、天皇にきっぱりと警告した。

『日本書記』によると、「わが帝の天下に王としておいでになるのは、常に天地社社(あまつやしろくにつやしろ)の百八十神(ももあまりやそがみ)を、春夏秋冬にお祀りされることが仕事であります。いま初めて蕃神(あたしくにのかみ)(仏)を拝むことになると、おそらく国つ神の怒りを受けることになるでしょう」と進言した。

そこで天皇は妥協案を用意した。仏教導入に大賛成の蘇我氏だけは「試しに」外国の神を崇拝してもよい、ということにしたのである。

『日本書記』によれば、蘇我氏の筆頭だった宿禰(すくね)は「ひざまずき、(仏像を)受けて喜んだ。・・・・・家に安置し、・・・・・家を清めて寺とした」だがその後、異常事態が起こった。ひどい伝染病(おそらく天然痘)が日本で発生したのである。多くの人びとが亡くなった。日本では何世代も前から天然痘が流行したことはなかったので、免疫もほとんどなかったちに違いない。

「国に疫病がはやり、人民に若死にする者が多かった。それが長く続いて、手だてがなかった」と『日本書記』には書いてある。

伝染病が流行した地域は、おそらく人口密度の高い地域だったのだろう。そうした地域では、人口の六割が死亡したと推定される。まずインフルエンザに似た徴候が現れ(高熱、腰痛、頭痛)、次にしばしば咳と下痢の症状が出る。次いで、猩紅熱にも似た発疹が現れる。患者は体を焼かれるような、あるいは、絶えず熱湯でやけどをさせられているような感じになる。『日本書記』はのちに、患者たちがこう言ったと記している。

「体が焼かれる・・・・・ように苦しい」

その後、発疹に変化が現れる。そして発疹は顔面を中心に始まって、体の下のほうへ広がっていく。とくに多く出現するのは手足だ。そして皮膚に無数の水疱が現れ、最後には、直径七 - 八ミリという大きめの膿疱になる。

患者の五パーセントは、内出血のため数日で死亡した。別の五パーセントは発疹が広がり、熱が四十度まで上がった。もっとも、患者の大半は天然痘で死ぬことはなく、結局は肺炎と敗血症でおのおの三割が亡くなったものと思われる。天然痘ウイルスが鼻腔、口腔、目の保護粘膜を剥ぎ取ったあと、二番手のバクテリアが侵入したのだ。

とくに被害に大きかった地域では、住民の九割が罹患し、生き残れたのは三割だけだったと思われる。以上のような状況では、「天皇が仏教崇拝を許したことが伝染病流行の原因」と見なされても不思議はない。

仏教反対派はもちろん、日本の神々が怒ったのだと主張した。そうした神々は、現在の神道が信奉している神々と同一であり、主に五つに分類されていた。自然の中に住んでいる神(木や、薄くて背の高い石、山などに住んでいる)、特殊な技能・技術に関連する神、特定の一族を守り特定の共同体を敵視する神、以前は人間だった神(先祖の一部を含む)、そして特定の高貴な神々(太陽神、日本列島を形作ったと言われている二柱の神々など)、以上である。

神=カミは、それ自体の姿形を持っていないと見なされていた。シャーマン(僧侶)から、ある物の中に入るように「言われると」、その物の形に適合できるとされていたのである。

そして、霊たちは、細長い「器」の中に住みたがると一般に信じられていた。具体的には、魔法の杖、旗、長い石、木、特殊な目的の人形、そして生きている人間などである。そうした人間(霊媒)は女性であることが多く、その体と声に神々が乗り移るとされた。

天皇は稀有な男性霊媒とされ、その体は、神聖な祖先である太陽の女神が永遠に「借りている」とされた。こうして天皇は、神性の入るところ、神性の媒体とされた。

天然痘が猛威を振るうと、物部氏と中臣氏は、蘇我氏から仏像を奪い取るよう天皇に嘆願したと『日本書記』にはある。

「あのとき、臣の意見を用いられなくて、この病死を招きました。いま元に返されたら、きっとよいことがあるでしょう。仏を早く投げ捨てて、後の福を願うべきです」

天皇は同意するしかなかった。だがある意味では、仏像は本当に伝染病の元凶だった。なぜなら、この病気は、蘇我氏が熱中していた「外国の品々」の中に入って朝鮮からやってきたからである。

『日本書記』によると、「天皇は『申すようにせよ』と言われた。役人は仏像を難波の堀江に流し捨てた。また蘇我氏の寺に火をつけ、あますところなく焼いた」

仏教と天然痘をめぐって、日本国内は意見が大きく割れたに違いない。五三〇年代に起こったさまざまな出来事は、国内に政争を招き、その後の百年の日本史をじかに左右し、この国の将来を形作った。






ここまでです。

まだまだ続くのですが、「6世紀の日本の出来事のその始まり」は以上の部分でも何となくおわかりかと思います。

そして、6世紀の日本では上のような「病気の流行」と、「朝鮮からの仏教の伝来」のふたつの出来事で、以後、100年に渡る混乱に突入していきます。

そして、西暦 590年に「仏教推進派が勝利」し、「日本国家の孤立と伝統を求めた一派」は敗北します。つまり、以後、日本は「古代のカミ」を捨てて、外国の神様(仏)を国の第1の神様として国家作りがスタートします。

その後、次々と中国、そして朝鮮から宗教、政治、経済、行政、芸術などが日本に大量に導入されて、日本は「変わっていく」のでした。



それにしても、イギリス人の書いた文章で、「当時の神道を知る」あたりは、私も十分に「日本人失格」ですが、上の文章にある神道の以下の部分は興味深いです。


> シャーマンから、ある物の中に入るように「言われると」、その物の形に適合できる


このあたりの成り行きというのは、ホント何もかも似ているなあと思います。

新訳聖書の「ヨハネによる福音書1章」の冒頭、

初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。

この言は、初めに神と共にあった。

万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。



あるいは、コーランの「雌牛章 117節」の、

かれが一事を決められ、それに「有れ。」と仰せになれば、即ち有るのである。


まあ・・・あるいは最もこういう部分を適切に語っていたのが中世の「焼かれた科学者たち」だったのかもしれません、1600年に異端として火刑にされたジョルダーノ・ブルーノという人は『無限、宇宙および諸世界について』という本の中で、「物体」についてこのように書いています。


元来その全体を構成しているところの目に見えぬもとの物体なるものを考えてみますと、それらはある所ではそこへ流れこみ、ある所では外へ流れ出ながら、広大無辺の空間を通じて変遷を繰り返しているものだからです。

これらの元素は、あるいはそれも神の摂理のおかげなのでしょうが、現実には新しい物体を作り上げることもなく、古くからの物体を解体することもせぬのですが、少なくともそうしようと思えばできる能力をもっているのです。



何だか難しい言い方ですが、要するに「物には実体はないけれど、(「神」とブルーノが呼んでいるものの摂理で)物ができたり消えたりするようになっている」と。


ちなみに、今回抜粋した『西暦535年の大噴火』の「東洋の悲劇」の章は下の文言で締めくくられています。


仏教はある意味では、(中国や朝鮮の)こうした変化を日本に導入するさいの単なる口実に過ぎなかった。言い方を変えれば、危険な贈り物だった。

五三〇年代に気象異変と伝染病をきっかけとして始まった動きは、ここに完了した。日本の七世紀初頭は、六世紀初頭とはまったく様相を異にしていた。古代日本は消え去り、近代日本の原型が生まれたのだ。今日の日本という国の起源ははるか昔の、悲劇の六世紀にあったのだ。




それにしても、この1000年後にも今度は「鎖国」という形で、日本の神様だけを囲う形にした日本の政策が「富士山の噴火の時代だった」というのも何だか感慨深いものがあります。まあ、時期は同じではないですけど、このあたりは、以前、

あらかじめ予測されていた小氷河期の到来(2) 「鎖国」と「富士山大噴火」を生み出した前回マウンダー極小期
 2011年11月09日

などに書いてあります。

ところで、今回の「日本の感染症の流行と火山の噴火の関係」については、また別の記事として書きます。



  

2012年09月21日



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関係過去記事:







 


最近は暗いニュースや、どんよりした気分になるニュースが多かったですが、今回の「水星は他の惑星とまったく違う起源と組成を持っているかもしれない」というようなタイトルのニュースを見た時には、「うひょひょ」と、思わず、きんどーさん的な笑みがこぼれました。


kindo.png


きんどーさんは顔や体型など本当に私と似ているのですが、そのことは今回は置いといて(永遠に置いとけ!)私は、9月というのは暑さから解放されるせいなのか、どうも「突然」というように宇宙の方向への興味が増大します。

最近・・・まあ、昨日もですが、寝ようとすると、一晩中、頭の中で「雨と宇宙線と微生物の関係」のことについての概念のようなものが鳴り響き、「おー、また秋の発狂シーズンがやってきたか」と思います。

確か昨年も、あるいは一昨年も、その前もそうだったと記憶しています。
この時には頭痛が付随します。

寝れば夢にジーサンが出て来て妙なことを呟き、眠らないと眠らないで頭の中が上のようなこと(雨と宇宙線と微生物の関係のようなこと)で埋め尽くされて発狂寸前になります。



ところで、この「雨」なんですけど、昨日半分眠った状態で、「ああ、そうか」と気づいたことがあります。実は雨に当たるだけで私たちは「おびただしい数の生命の洗礼を受けている」ということについてです。ちょっと書かせてください。




ほんの数秒、雨に当たるだけで、私たちは数億個とか数兆個の単位の「生命」を体に浴びている


まず「雨」というのは「そのたった一粒でさえも大量の生命(死骸や各種の有機物も含めて)」と考えるのが妥当みたいなんです。

まあ、「雨は生き物の死骸の塊である」とかを書くと何ともオカルトな感じなんですが、しかし、これは多分かなり事実で、その流れとして、まず「雨」というものがどうしてできるかという一般的な科学ですが、「晴れ,曇り,雨の日の違いは何?」というページから引用させていただくと、


雨雲になるための条件は?

雨は雲粒が成長して重力で落下してくる現象です。雲粒がどれだけ成長して雨滴になるのか。代表的な大きさで比べると、雲粒は10μmで、雨滴は1000μmですから、100倍の違いです。したがって、1個の雨粒は100万個の雲粒が集まって形成される計算になります。



ということで、雨は「雲粒」という、まあ水滴とか氷結とかチリみたいなものが、何百万個も集まって「一粒の雨粒」が作られるんですが、その場合に雨粒の中心となる「核(コア)」が必要のようなんですね。

要するに、いくら「粒」が集まっても、その中心となるものがないと雨にはならないのです。

その「中心となる物質が存在して」はじめて雨が作られはじめます。この中心となる物質は「氷晶核」というような言い方をされているみたいですが、上の「100万個」などの粒の中心となるものです。


ice-m01.jpg

雨の成因より。



しかし、この中心となり得る物質は何でもいいわけではないのです。

人工降雨などでは、ヨウ化銀という非常に特殊なものを使いますが、この中心となり得る物質については非常に興味深い事実があります

それは、たとえば、上の図を拝借した雨の成因というページの「雨粒への成長」というセクションにもサラリと書かれていますが、


高い空にはあまり氷晶核となるような物質はない。



という事実があるのです。

つまり、「地上に降る雨ができる高い空には、本来は雨の中心(氷晶核)となり得るような物質があまりないと考えられている」わけです。

でも、実際に雨は降る。

ということは・・・やはり、氷晶核となる物質はあるわけです。

それがないと雨は降らない。

つまり、「高い空にはあまり氷晶核となるような物質はない」のではなく、「わかっていない」というほうが妥当かと思われます。

これは「雲ができる仕組み」がいまだに現代の科学では明確には解明されていないのと同様に、雨についても非常にわかっていないということもあります。




さて・・・さてさてさて(うるせー)、しかし、この雨の中心となる「氷晶核」を最も効率よく作る物質は本当は知られているのです。

それは「有機物」です。

これは、フレッド・ホイル博士の著作『DNA は宇宙を流れる』の解説で、東京大学理学部物理学科卒の翻訳家でジャーナリストの小沢元彦さんという方が、注釈として以下の説明を書かれていますので、抜粋します。


一般には、風にのって運ばれた土壌および鉱物塵粒子などが氷晶核となると言われている。しかし、ほとんどの鉱物は氷晶核としては不活性であり(氷晶核として働かないということ)、例外的に、粘土類のケイ酸塩鉱物がマイナス18℃の大気中で氷晶を作ることが研究によって明らかになっている。なお、人工氷晶核として利用されるヨウ化銀はマイナス4℃でも活性を示す。

氷晶核として最も有効な形状は六万晶系の結晶であるが、表面構造の方がさらに重要であり、結晶構造は核の細かい表面構造を決める部分的要因であるにすぎないと言われている。ある種の複雑な有機物が高い温度で氷晶核として活性化する(たとえばステロイド化合物の場合、マイナス1℃)という事実は、人工降雨研究者の間ではよく知られている。



難しい言い回しなんですが、極めてぶっちゃけて要約すると、「無機物よりもバクテリアのような有機物のほうが氷晶核として有用である可能性がある」ということが言えそうなのです。


しかし、雨が作られるような高層の高い上空に有機物や、ましてバクテリアなどいるのか、というと「いるんです」。これはもう、フレッド・ホイル博士の著作からの受け売りで、抜粋ではなく箇条書きにしますが、


1982年、ケルフ・ジャヤウェーラ博士とパトリック・フラナガン博士というふたりの著名な科学者が、南極海上空7キロで、10種類のバクテリアと31種類の菌類の胞子を発見した。


ということに始まって、その後も高層大気の生物の研究は続いています。

In Deep の過去記事でも、

宇宙のバクテリアを用いての強力な発電実験に成功した英国の研究チーム
 In Deep 2012年02月29日

というニューカッスル大学の研究チームがアメリカ化学会の会報に発表した論文についての報道を紹介したことがありますが、これなど、

「上空 30キロメートルの成層圏で発見されるバクテリアが、生物電池に極めて適していることを発見した

というもので、上空 30キロというと、これはもはや地上から微生物が上昇できる高さではないと考える方が妥当な感じがします。なぜなら、その場所は「成層圏」と呼ばれる場所で、すでに「対流圏」という大気の流れの上にある場所なのです。



▲ 成層圏の位置。


対流圏を越えて、物質や微生物が「上に」上がっていくということは極めて難しいと思うのですが、でも、その高層大気には「たくさんの微生物」がいます。

それらの生物がどこから来たのかということに関しては、現在の科学界では「それは考えないようにしよう」という流れとなっていますので、まあ、どこから来たものでもいいです。宇宙からでも、他の次元でも、とりあえず何でもいいです。

でも、いる。


いずれにしても、雨の降ってくる高い上空には、「雨の核となるような無機物などの物質はほとんどない」けれども、「雨の核となり得る有機物やバクテリアで満ちている」と考えることにはあまり無理がないはずです。

ということは、つまり、

雨は何もかも生物で作られている

という可能性があります。

一粒の雨粒に100万単位での「チリ」(有機物か微生物)が集まっている雨に、「ちょっとでも濡れるだけで、私たちは何千億、何兆もの有機物で体を洗われている」という意味が、これで通じるのではないかと思います。

あと、少し上の話とは違うものですが、過去記事で、

インドの大学の研究で多種の微生物が雨と共に空から降っていることが判明
 In Deep 2010年10月31日

というものもありました。

いずれにしても、オカルトに見えるような話でも、道筋をつけて考えてみると、それはまったくオカルトではないことがわかることが多いです。

私はいわゆるオカルトには最近はほとんど何の興味もないですが、目に見えている現象の真実は、ますます「奇蹟」に見えています。


というわけで、また話が逸れましたけれど、今回の「水星」。

これは In Deep というより、私が「宇宙と人間の存在」というものを勉強する歴史の中での中枢に位置し続けたのが水星でした。これまでどんな感じで「水星」を取り上げたのかを少しご紹介してから、今回の翻訳に入ろうと思います。




この世は「水星」によって存在しているという中世神秘学の理論


最初は昨年の、

突如スポットを浴び始めた「水星」
 In Deep 2011年10月01日

という記事に遡りますが、エメラルド・タブレットと呼ばれる中世神秘学とアルケミーの「奥義」とされるものが描かれている図版には、

「太陽と月の仕事を完成させるのが水星」

という図式の絵が描かれています。
エメラルド・タブレットの下の部分です。



ここは説明としては、


2つの手の上には、7つの惑星が描かれている。

そこには、太陽と月が彼らの生命の物質を聖杯に注いでいる光景が描かれている。太陽と月は、このように逆の性質のものを結びつける。

その聖杯は、両性具有を意味する水星で支えられている。
水星は男性と女性の両方の性質を持つのだ。
これも、別の方向としての、「逆にあるもの同士を結びつける」ことをあらわす。

太陽と月が水星を用いて偉大な仕事を成し遂げる錬金術のシステムだ。



というような説明となっています。

しかし、そんなオカルティズムだけでは、「だからどうした」と私も思っていたのですけれど、 NASA の探査機メッセンジャーの調査で、「水星は特別な惑星だ」ということがわかってきているのです。

それは「 水星の真実: 探査機メッセンジャーの撮影で水星の「何か」がわかるかもしれない(2)」という記事にありますが、水星はそれまで、科学者たちから「死んだ惑星」と考えられていたのですが、そんなことはないことがわかってきたのでした。

しかも、水星には下の写真のように「色」がある。



▲ NASA の水星探査機メッセンジャーが送信してきた水星の写真。右のカラー写真は11種類の波長の違うフィルターから NASA が構築した「真実に近い色」の水星の疑似カラー写真。

そして、今回の記事は、アメリカの財団法人であるカーネギー研究所の科学者が、メッセンジャーのデータ解析の中で、「水星の組成は地球や月と全然違う」ということを示していたことを明らかにしています。

2012年という年は、人類科学史の中で、水星が動き始めた年だということは言えそうです。


ちなみに、前回の水星の記事の中でご紹介した、水星のデータ解析を発表したマサチューセッツ工科大学のマリア・ズベール博士も、今回のカーネギー研究所のシャショーナ・ウィーダー博士も共に「女性」なんです。だからどうしたというわけではないのですが、水星の真実に近づいた人物が「女性だった」ということには何となく思うところがあります。


本来なら今は水瓶座の時代のはずで、「女性性の世界」へ突入していく段階にあるはずなのに、それがまったく見えない男性性の様相ばかりの現在。


だからこそ「この世の存在の真実を知る水星」に世界で最初に迫ったふたりが女性だったということは、やはり意味があると私は思います。

kindo.png

(もういいって)


では、ここから記事です。
米国 CNN の報道です。






 



Mercury probe points to different origin for 1st planet
CNN (米国) 2012.09.18


水星探査機は、水星が他の惑星とは違う起源であることを示した


mercury-messenger-2012.jpg


NASA の水星探査機メッセンジャーから送られたX線データは、水星の表面のマグネシウムと硫黄のレベルを調査している。そして、そのデータからは、水星が他の惑星とまったく違った組成であることを示すと科学者たちは言う。

探査機メッセンジャーは、この1年6ヶ月のあいだ、水星からデータを送信し続けてきている。

そのX線のデータからは、水星の表面は、水星の北部にある火山噴火での岩の噴出を通し、地球や月などとは違った組成の平野であることを示す。

米国ワシントンにある財団法人カーネギー研究所のシャショーナ・ウィーダー博士は以下のように述べる。

「探査機メッセンジャーによる水星探査のミッションの前までは、科学者たちは、水星は月などと同じような惑星であるだろうと予測していました。しかし、水星の表面の低いレベルのカルシウムの量は、軽い素材が融解してできた月の表面とは、水星で起きたことは違うことを示します」。

「このデータは、酸素が極度に少ない水星のような環境で、水星に固着した前駆体としての物質の手がかりを私たちに与えてくれるものです」。

水星表面の硫黄濃度は、地球のおよそ 10倍におよぶと博士は言う。

そして、巨大な惑星を作るための鉄のコアが、水星の表面ではごくわずかしか見つからないという。

水星北部は火山が多い平野で、その地域は他の場所とは異なっている。そのクレーターからの年代分析は、現在の水星表面は10億年以上の年月があるという。

この研究成果は、科学専門誌「地球物理研究ジャーナル /Journal of Geophysical Research 」の最新号に掲載された。


水星の大きさは地球の約5パーセントで、太陽の周囲を 88日周期で回っている。

そして、その自転は非常にゆったくりとしていて、一周するのに地球での 58日分の時間がかかる。NASA によると、水星の表面気温は摂氏 425度に達する。




  

2012年09月20日



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今回は、資料として抜粋したところからいろいろと書いてみたいと思ったのですが、どうも、途中から話が複雑化し過ぎてしまいまして、支離滅裂なのですが、書いたところまでアップさせていただこうと思います。

資料はデイヴィッド・キーズというイギリス人ジャーナリストが 2001年に出版した『西暦535年の大噴火』という本の冒頭に載せられている「西暦541年から543年に東ローマ帝国を襲ったペストの状況」についての部分です。






 



6世紀にヨーロッパの人口を半減させた感染症の拡散の原因は?


ところで、この『西暦535年の大噴火』というのは、これは「邦題」でして、英語での原題は「カタストロフィー」( Catastrophe )というタイトルで、これは、日本語だと「壊滅的な大災害」というようなニュアンスです。

「535年に何らかの大災害が起き、それにより世界全体でその後の数年から十数年、深刻な気象変動が発生した」

ということが書かれていて、決して「噴火」ということから始まっているものではないです。

この535年の「出来事」の後、世界がどんな様子だったのかが、様々な文献から引用されていますが、感じとしてわかりやすいのは、6世紀の東ローマ帝国の歴史家であるプロコピオスという人が文章として残しているものです。西暦535年から536年にかけての記述です。




歴史家プロコピオスの記述より


昼の太陽は暗くなり、そして夜の月も暗くなった。

太陽はいつもの光を失い、青っぽくなっている。われわれは、正午になっても自分の影ができないので驚愕している。太陽の熱は次第に弱まり、ふだんなら一時的な日食の時にしか起こらないような現象が、ほぼ丸一年続いてしまった。

月も同様で、たとえ満月でもいつもの輝きはない。





書かれたのは 536年の夏ということで、すでにこの状態を1年経験し続けたということのようです。当然、当時は世界中で未曾有の天候の異変や大飢饉が起きており、この著作『西暦535年の大噴火』では、その頃の世界中の資料から当時の様子をあぶり出しています。日本、中国、朝鮮半島も出てきます。

そして、著者は、このような状態を作り出せるような自然現象というのは、


・小惑星の地球への衝突
・彗星の地球への衝突
・大噴火



のどれかだという推論のもとに検証していく中で、「535年にインドネシアのクラカタウ火山が噴火したことが原因」という可能性が最も高いということを書いていますが、結論づけているという感じでもないです。

そして、著作での「大災害」の記述の最初が「6世紀のペストの大流行」から始まり、これも気候変動とネズミの発生の統計の科学的見地から、「噴火と関係がある」というようなことになっているのですが、さて、そこで私は読んでいるうちに疑問を感じてきたのです。

その理由は、私が「パンスペルミア説」での病原体の拡散を考える人なので、仮に突然ペストが発生したのなら、それは噴火とは関係なく、「宇宙から彗星による拡散によって、ペスト菌がその時、地球に大量に降り立った」と考えたほうが合理的だからです。

そもそも、6世紀はまだ世界の交易はそれほど発達していなかったと思われますが、この『西暦535年の大噴火』の資料を読んでいますと、どうも世界的に(別の病気も含めて)伝播が早すぎる感じもあります。



水平感染だけでは考えにくい病気が実は多いということ

1918年にスペイン風邪という強毒性のインフルエンザが世界中で流行しました。この時には、控えめに見て、全世界で6億人が感染し、3000万人が死亡したと言われています(数の正確な統計は存在しないです)。

1990年代になって、その時のスペイン風邪のインフルエンザの世界での拡がり方について入手可能なすべての記録を調べたルイ・ヴァインスタイン博士という科学者がいるのですが、ヴァインスタイン博士が調査の途中で、下のようなコメントを残していることがフレッド・ホイル博士の著作に書かれています。


『生命( DNA )は宇宙を流れる』 フレッド・ホイル著より、ルイ・ヴァインスタイン博士のコメント

「インフルエンザがヒトからヒトへ感染する病気であるのなら、最初に発生した場所に近いところからじわじわと広がっていくはずである。けれども、実際には、世界の遠く隔たった土地に同時に出現したり、ごく近くの土地に数日から数週間もの間隔をおいて出現したりしている。

ボストンとボンベイ(現ムンバイ)で同じ日に見つかる一方、ニューヨークで見つかったのはボストンの3週間後という調子なのだ。あんなに多くの人びとが二つの都市を行き来していたというのに! 

さらには、シカゴに出現した4週間後に、ようやくイリノイ州のジョリエットにも出現したという記録もあった。二つの都市の距離は、わずか38マイル(60キロ)である。」




「水平感染」というのは「人から人にうつっていく」ことを表します。
たとえば、もっとも身近なものでは「風邪」です。

「風邪がうつっちゃって」

という言い方があるように、「風邪は水平感染する(人から人にうつっていく)」と私たちは完全に思いこんでいます。

しかし、現時点ではわからないですが、2001年頃までの時点の医学実験では、「風邪が水平感染する(人から人にうつっていく)」ことは一度も証明されていないのでした。もちろん、「人から人にうつることが確認されている病原体」もたくさんあります。

しかし、風邪やインフルエンザは違うのではないかということが、フレッド・ホイル博士の『生命( DNA )は宇宙を流れる』という著作では大量のデータなどと共に記述されますが、下がその章の導入部分です。




『生命( DNA )は宇宙を流れる』 フレッド・ホイル著

第5章 宇宙からきた病原体より


彗星から放出されたウイルスやバクテリアは、地球上ではどんなふうに広がってゆくのだろうか?

あるものは、宇宙からやってきて一部のヒトや動植物には病気を起こすが、すぐに病原性が低下してしまうため、そこから先へは拡がりにくくなるかもしれない。

前章でも説明したように、ウイルス粒子の落下は世界規模の大気の動きに左右されるため、後者の分類に属するウイルスでも広い範囲に一度に感染してしまい、伝染病と誤解されているケースが多いと考えられる。しかし、こちらのカテゴリーに入る病気は、ウイルスの侵入と直接的な関係があるから、われわれの仮説を検証するにあたって、より重要である。

われわれは、インフルエンザをはじめとする多くの上気道感染症(いわゆる「風邪」)が後者のカテゴリー、すなわち宇宙からの直接感染によって起こる病気であると考えている。

風邪はうつるというのが常識のように思われているが、実は、その伝染性はいまだにはっきりと証明されていないのだ。コントロールされた条件下で風邪の水平感染性を証明しようとする試みは、ことごく失敗に終わっているのである。








簡単にいうと、風邪やインフルエンザは、

「宇宙からやってきて直接人間に感染する」

という理論となります。

大げさな表現に聞こえるかもしれないですが、そうとしか表現しようがない部分があります。


そんなわけで、また話が逸れているような気もしますが、今回は、6世紀に東ローマ帝国および、周辺諸国をくまなく荒らした「ペスト」について残る資料の記述を抜粋します。



6世紀の東ローマ帝国で起きたこと


書いたのは、6世紀の東ローマ帝国のエフェソスという街で「聖人伝」を記した人物として名高いという、ヨーアンネースという人の記述です。「ヨーアンネース」は一般的には日本語で「ヨハネ」と呼ばれる表記と同じだと思われます。

なお、ヨーアンネースの記述を読んで、実はもうひとつ根本的に疑問に思ったこともあります。

それは、著者が「死ぬまでに何日もかかる者もいれば、病気になってから数分で亡くなる人もいた」と書いている下りなのですが、

「病気になってから数分で亡くなる」

というのはペストの症状としてどうなんだろうと。

これはヨーアンネースの記述にも、「立ち話をしたり、釣りを勘定したりしているあいだに、買い手と売り手の双方が急死し」というモンティパイソンのような下りもあるのですが、どうもイメージとしてのペストの症状と違うような・・・。

ペストには、3種類ほどあって、それぞれ多少違うとはいえ、たとえば、国立感染症研究所のペストのページにある「症状」。

・腺ペスト
通例3〜7日の潜伏期の後、40℃前後の突然の発熱に見舞われ、(中略)通例、発症後3 〜4 日経過後に敗血症を起こし、その後2〜3日以内に死亡する。


・敗血症型ペスト
臨床症状としては急激なショック症状、および昏睡、手足の壊死、紫斑などが現れ、その後、通例2〜3日以内に死亡する。


・肺ペスト
潜伏期間は通例2〜3日であるが、最短12〜15時間という報告例もある。発病後12〜24時間(発病後5時間の例も記載あり)で死亡すると言われている。


ということで、最も危険な肺ペストでも、数時間後に死亡するとされています。

いくら6世紀の医学といえども「死んだか死んでいないかくらい」は知識者である人たちにはわかったと思いますので、

「病気になってから数分で亡くなる」

という記述がわからない。

というか、実際にはこの頃の東ローマ帝国あたりの科学、医学、などについては、相当に進んでいたはずで、聖人伝を書いていたほどの人なら「実際に見たことをきちんと書いていた(倒れただけで「死んだ」とは書かないというような意味)」と思います。

つまり、確かにペストも流行していたけれど、

「同時になんかヘンな病気も流行してたんじゃないの?」

というか。

瞬間的に死んじゃうような。


あと、Wikipedia のペストのページに、「14世紀のペストの流行の年代ごとの図」が載っているんですが、これが面白いのです。

かつて、「緯度(地球の緯度経度の緯度)と感染症の拡散の関係性」を調べた研究者グループのグラフが家にある本のどこかにあるんですけど、それと同じような感じなんです。

Wikipediaにあるのは、下の図です。
ピンクの太い線は私が引いたものですので、オリジナルとは関係ないです

pest-map.jpg


上の地図は「ペストが人にうつっていく」という見方と共に、「地球の周回に応じた緯度からの拡散となっている」とも見えるのです。つまり、「円を描いているのではなく、線を中心としている」ということで、これは、この線を「彗星の軌道と照らし合わせる」と、非常に面白いです・・・が、今回はそこまで話が逸れると、本題の資料が書けなくなりそうですので、ヨーアンネースの543年の資料を抜粋します。

カッコ内は『535年の大噴火』で、著者の記述が入っているところを短く説明した部分です。

それでは、ここからです。






 


西暦541年の東ローマ帝国でのペスト襲来に関してのヨーアンネースの記録


「美しくて理想的な家庭が、人員の多少を問わず、突如として墓場と化した。召使いも同時に急死し、その腐敗はいっしょに寝室に横たわった。死体が裂けて路上で腐っていることもあったが、埋葬してくれる人などいなかった。街路で朽ち果てた遺体は、見る者におぞけを震わすだけだった。腹はふくれ、口は大きく開き、膿はどっと吐き出され、目は腫れ、手は上に伸びていた。遺体は、街角や路上、中庭のポーチや協会内で、腐りながら横たわっていた。海上に浮かぶ何隻もの船でも、船乗りたちが突如神の怒りに襲われ、船は波間を漂う墓場となり果てた」


(ペストから逃れようとして、港を転々とするヨーアンネース。しかし、ヨーアンネースは、都市も田舎もどこもペストに荒廃しつくされている惨状を目にすることになる)


「わたしたちも毎日、みなと同じように墓の門を叩いた(『瀕死の重体だった』の意)。晩になると、今夜はきっと死神がやってくるだろうと考えた。そして朝が明けると、わたしたちは日がな一日、墓のほうを見ていた(『死のことを考えていた』の意)」


「移動中に通り過ぎた村々は、陰鬱なうめき声をあげ、遺体は地面に転がっていた。途中の集落は、ぞっとするような暗さに満ちていて、ひとけがなく、たまたま立ち寄った人は誰しも、すぐに出てきてしまった。砦は打ち捨てられ、放浪者たちは山あいに四散した。人びとを駆り集めようとする人もまったくいなかった」


「畑の穀物はまっすぐ白く立っていたが、刈り取る者はいなかった。ヒツジ、ヤギ、ウシ、ブタの群れは、まさに野獣と化し、飼われていた時代の生活を忘れ、自分たちを引きつれていた人の声もとうに忘れてしまっていた」


(以下は、東ローマ帝国の首都コンスタンティノーブルの様子)


「天罰がこの都に重くのしかかった。まず襲われたのは路上に横たわっていた貧者たちだった。一日のうちにこの世を去っていった人数は、五千人から七千人、さらには一万二千人、そして、ついには一万六千人にのぼった。

 だがこれはまだほんの序の口だった。役人たちは各港や十字路、そして市門の入口に立って、死人の数を数えていた。コンスタンティノーブル市民で生き残っている人はごく少数になった。死者数は確かに数え上げられていたが、路上から運び去られた遺体が三十万を上回ったことは間違いない。役人は二十三万人まで数えたところで足し算を止めてしまい、それ以降はもう『大勢だ』と言うだけになった。こうして、その後の遺体は、数えられることもなく持ち去られたのである」。


「すぐさま埋葬所が足りなくなった。町には死臭が立ちこめた、担架も墓堀り人もいなくなった。遺体は路上に積まれていった」。


「路上や家の中で誰かと話している最中に、急にふらつきだして倒れてしまう例もあった。座って道具を手にし、作業をしていたかと思うと、横によろよろし、この世を去ってしまう者もいた。市場に日用品を買いに出かけて、立ち話をしたり、釣りを勘定したりしているあいだに、買い手と売り手の双方が急死してしまい、二人のあいだに品物と金銭が落ちていることもあった」


(埋葬所がなくなり、遺体が海に葬られ始める)


「遺体は舟という舟に満載され、海中に放り投げられた。舟は次の遺体を運びに、また岸辺へ戻っていった。舟が戻ってくると、担架が地面に置かれ、そこに二、三の遺体がまた放り投げられた。この繰り返しだった。ほかの人たちも、何体かの死体を舟に載せた。腐り始めている死体もあったので、むしろが編まれ、遺体が包まれた。そうした死体は、何本かの棒に載せられて海岸まで運ばれ、放り投げられた。体から膿が流出していた。海岸一帯に重なっている何千、何万という遺体は、一見すると、まるで大河で遭難した船の漂流物のようだった。流れる膿は海に垂れていた」






ここまでです。

さて、ところで、いつもそうですけど、今回は特に全体として、まとまりがないのですけれど、書きたいテーマが多すぎたのが問題でした。

とりあえず、このヨーアンネースの資料からどういうことを私は想定したのかというと、

・535年に火山の大噴火はあったと思われるが、同時に大きな彗星の地球への衝突か、極端な接近があったのではないだろうか。

ということです。

もちろん、大噴火の気候への影響も甚大なものだったはずで、そのあたりを含めて、今後の世の中に生きるための参考となりそうなことを考えたりして、今後書いてみたいと思っています。

多分、サイクルの存在を考えると、歴史はある意味では同じように繰り返すと思います。

まったく同じではないでしょうけれど。

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[パンスペルミア説とフレッド・ホイル博士]に関連した過去記事:

フレッド・ホイルさんの霊に捧げる:インドに降った赤い雨の中の細胞が 121度の温度の下で繁殖し、銀河にある光と同じ光線スペクトルを発した
2010年09月07日

宇宙塵自身が生命であることに言及した 100年前のノーベル賞学者の実験
2011年05月07日

国立天文台が地球上の生命の素材となるアミノ酸が宇宙から飛来した証拠を発見
2010年04月07日



  

2012年09月14日



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今日は、昨日までのカリフォルニアでの異臭に関しての記事の補足というか、異臭報道とは関係ない学術記事でソルトン湖に関してのものがありましたので、ご紹介します。

その前に今朝見て気になった記事をご紹介したいと思います。
光のタワーの話で、日本の話です。






 



伊勢の光の柱


米国のミステリー系の老舗ウェブサイトの今日の記事に「日本の聖地に巨大な光が出現」というタイトルの記事がありました。下のような写真が添えられていました。

ise.jpg


日本語のニュースなどで検索しても同じようなものがありませんでしたので、一応、ご紹介しておこうかと思います。これが掲載されていたブログの性質上、信憑性については何とも言えないですし、上の場所が本当に伊勢なのかどうかも私にはわからないです。

なお、アメリカ人のブログですが、報告のメールを書いたのは日本人のようです。

ところで、私は知らなかったのですが、記事では、伊勢神宮を「 Yamatohime - no - miya 」(ヤマトヒメノミヤ / 倭姫命の宮)と呼んでいましたので、原文通りに記載します。

なお、この光が目撃されたのは今年の 8月27日だと記されています。




Huge Light Anomaly at Grand Shrine of Ise, Japan
Phantoms and Monsters 2012.09.13

日本の聖地・伊勢で説明のつかない巨大な光の柱が出現

日本の仲間(読者)が以下のメッセージと写真を送ってくれた。
以下がそのメッセージだ


8月 27日の午前 8時頃、伊勢神宮の外部と聖地(境内)の中央で、厚い光のポール(柱)が立ち昇っている光景が目撃されました。その光は5分間以上にわたって目撃されました。

目撃者は神道の聖職者の家族で、とても長い期間、この地で暮らしています。

そして、彼はこの光の位置の説明で「倭姫命の宮の上に光が」という表現をしており、そのため、私は彼の情報が比較的正しいのではないかと考え、今回、この文章と写真を送ることにしました。私はこれが神の国大和の復活なのではないかと感じます。

ところで、光の柱が出現するという意味は、「この世界が変わる徴候」だとされています。それは、物質的な世界から、物質的でなはない世界へと価値観が移行していく徴候という意味です。

善意が評価される世界になり、世界の人びとは助け合うようになります。

もっとも、そのような「完全な世界」が見られるまでには何世紀もかかるかもしれないですが、しかし、0.1パーセントの変化でも見られれば、人類に巨大な変化を与えます。

物理の新しい法則と理論が発見され、科学が再検討されます。私たちは、最終的な平和世界に向けて多くの変化を見ていくことと思います。そして、最終的に私たち人類の未来は驚くべく場所に存在します。




ここまでです。

後半はなんだか壮大な展開になっていますが、世界が変わる徴候だとか何とかはともかく、この光の現象がもし仮に本当なら興味はあります。

数年前から様々な光の現象が世界中で起きていて、その多くが科学的に説明できると言われますが、説明がつくとかつかないというほうが問題なのではなく、「それまで見たことがないような現象が多発し始めた」ということが興味深かったです。

上のような「光のポール」の報道写真を最初に見たのはラトビアの光でした。
また、米国でも数年前の冬から見られるようになりました。


light-pole-.jpg

light-pole-01.jpg

▲ ラトビア。2009年1月17日。Daily Mail より。


light-pole-02.jpg

▲ 米国オクラホマ州。2009年1月26日。ナショナル・ジオグラフィックより。


あと、少し前に、マヤのピラミッドから光線が上に照らされたというニュースもありました。
撮影されたのは2009年。

maya-pyramid-light.jpg

GIZMODE より。


上のピラミッドの写真は写真そのものには細工されていないことがわかっていて、確かに光は写ったらしいのですが、レンズフレアか、あるいは機器の不調( iPhone で撮影)かどちらかではないかと言われています。


単なる光の現象とはいえ、実際のところ、「どうして人間が光の波長を識別しているのか」ということは未だにわかっていないわけで、あるいは光の形というのは人間の意志そのものかもしれないと思ったこともあります。

このあたりのことは、ずいぶん昔ですが、

ペアである自分(2) 宇宙の場所
 クレアなひととき 2011年01月28日

という記事の後半で、「メキシコの目のない魚が脳の松果体で直接、光を感知していたことがわかった」という米国メリーランド大学の研究論文から思ったことなどを少し書いています。

松果体は人間にもありますが、現在のところは、メラトニンという物質を作り出すこと以外は、役割のよくわからない器官とされています。


light-brain.jpg

体内時計より。


また一方で、東洋でも西洋でも「人間は松果体で光を見る」というような概念はあったようで、下の絵は中世の哲学者デカルトが描いたものです。これなどは「松果体で見る」ということをかなり直接的に表している図版のように見えます。

pineal-gland-02.jpg

b/Aより。


しかしまあ、難しいことを考えなくとも、「頭の中に(視覚を通して受けなくても)光はある」というのを自分で実感するのはわりと簡単で、残像を含めて、「目を閉じても光はそこに残っている」という事実があります。

私はわりとこれを眠りにつく時や、眠れない時などに観察しているのですが、まぶたの奥というか、暗闇の中央やや左に「光の発生場所」があります。これは誰でも目を閉じた時にある光の出所を辿っていけばわかると思います。

というわけで、余談でしたが、ここから、昨日までのふたつの記事、

赤く染まるユーラシア大陸最大の川と、カリフォルニアの周囲 100キロに漂う9月11日の腐臭
 In Deep 2012年09月12日

カリフォルニアの異臭は「アメリカのメッカ」から放たれたものか、あるいは違うのか
 In Deep 2012年09月13日

の補足のような記事です。

あの米国のメッカにあるソルトン湖は、古代の「巨大火山」が噴火した場所だったのでした。

その観測所についての短い記事がありましたので、ご紹介します。

何か特別な動きがあったというわけではなくこの記事が出ていたということは、やはり最近の異臭騒動を意識しているような部分はあるのかもしれません。






 

Salton Buttes California Volcano Observatory
Nano Patents and Innovations 2012.09.13

カリフォルニア・ソルトン火山観測所


ソルトン火山は、カリフォルニア州インペリアル・バレー(カリフォルニア州南東部からメキシコのバハ・カリフォルニアまで広がる乾燥した盆地)から、南東に 145キロメートルに位置するソルトン湖の地熱域にある。

Salton_Buttes.jpg


この地熱地帯の熱源は、地球表面の地下深くにある部分的に溶解した岩(マグマ)から放出されている熱だ。

このソルトンの火山は約 40万年前に噴火し、その後、 1万 8千年前まで小康状態だったと考えられている。最も最近の噴火は約 9,000年前で、大噴火で始まり、次第にガラス状(黒曜石)の溶岩ドームの比較的穏やかな放出の段階に進んだと見られる。


salton-sea-buttes.jpg


ソルトン山の地震活動の監視は 1930年代に始まった。そして、1970年代に、その管理は USGS (米国地質調査所)と、カリフォルニア工科大学がおこなうことになり、現在に至る。

ソルトン山の噴火の予測を立てるためのデータは現在のところはまだ不十分だ。しかし、この地域の高い熱放出と、このソルトン山の比較的若い年齢から見て、将来的な噴火が予測されている。





ここまでです。

このソルトン湖、あるいはメッカのあるあたりというのは、かなり広大な「巨大火山の一帯」ということのようです。

もちろん、このこととカリフォルニアの異臭が関係あるとは思いませんが(風向きの問題)、ここに加えて、米国の太平洋側の地下には「カスケード沈み込み帯」という地層がありまして、ここが西暦 1700年に大地震を起こしたことが、日本の資料でわかっています。

このあたりはまた別の話ですので、リンクを示すにとどめておきます。記事は 独立行政法人「産業技術総合研究所」の2003年のニュースリリースです。

北米西海岸で西暦1700年に発生した巨大地震の規模を日本の古文書から推定
 独立行政法人 産業技術総合研究所 活断層研究センター 2003年11月21日

上の記事にある下の図の「カスケード沈み込み帯」という場所が崩壊して、今から 312年前にマグニチュード9クラスの地震がアメリカ西海岸で起きたとされています。

cascade.png


当時、アメリカ合衆国はまだ存在せず、日本の古文書に記載のある「日本での1700年の津波被害」の原因を探る中で、その地震発生が明らかになったというような記事です。


まあ・・・何だか、いろいろなことが起こり得る昨今ですが、どんなことでも「起こってみなければわからない」というのが最大の事実で、そしてそう思っていれば、案外と起こった時もすんなり対応できるものかもしれません。



  

2012年09月13日



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mecca.jpg

▲ 米国カリフォルニア州メッカ。今回の異臭騒動の元と報道されるソルトン湖があります。写真は「メッカへようこそ」の看板。
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昨日の、

赤く染まるユーラシア大陸最大の川とカリフォルニアの周囲 100キロに漂う9月11日の腐臭
 In Deep 2012年09月12日

という記事の中で、カリフォルニアの広範囲で「異臭」が漂っているというようなニュースを取り上げたのですが、今朝になり、いろいろとわかってきました。興味深い部分もありますので、何かの推定や結論を出すという意味ではなく、いくつか知り得たことをご紹介しておきます。

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2012年09月12日



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▲ 9月6日に真っ赤に染まった中国の長江。原因は不明。中国の長江はユーラシア大陸のなかで最も長い河で、世界では水量と全長で第3位。






 



最近は時事ではない記事をたくさん書いていましたが、世の中ではいろいろなことがたくさん起きているのも事実で、その中でも気になっているふたつのニュースをご紹介しておきます。後回しにすると、「永遠に後回しにしたまま」ということにもなりかねないですので( In Deep ではよくあります)、書ける時に書いておきます。

ふたつともタイトルの通りのニュースですが、「カリフォルニアの腐臭」というのは比喩とかの話ではなく、本当の「腐臭がするニュース」で、何かが腐ったような匂いが南カリフォルニアの100キロくらいの距離の範囲に漂っているというニュースです。

米国ロサンゼルスタイムスで大きく報じられおり、それほど小さな話題ということでもなさそうですので、ご紹介します。

もうひとつが、中国の長江という大変に大きな川が真っ赤に変色したというニュースで、日本でも報道されていたようですので、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、 In Deep では「赤く変色したいろいろな光景」というものを掲載し続けていたので、流れとして記しておきます。

今回の長江は、過去最大の「赤色事変」だと思います。

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過去記事の「赤いシリーズ」は、以下のようなものがあります。

(赤く染まった黒海) 赤の意味(1): 再び現れた赤い海と赤い雨
 In Deep 2012年07月31日



▲ 2012年7月に赤く染まったウクライナのアゾフ海。


(赤い川) 血の川の出現:原因不明の理由で真っ赤に染まったベイルートの川
 In Deep 2012年02月17日



▲ 2012年2月に赤く染まったベイルートのフルン・アル・シュバク地区の川。


(赤く染まった空) 巨大な磁気嵐がもたらしたアメリカ全域での「赤い空」
 In Deep 2011年10月26日



▲ ミシガン州ロックフォード。2011年10月24日。



まずは、その「赤いニュース」の流れとして、中国の大河の話題です。
報道は米国の ABC ニュースより。
写真は英国のデイリーメールからです。






 

Yangtze River Turns Red and Turns Up a Mystery
ABC (米国) 2012.09.07

中国の長江が赤に変色。原因は謎のまま


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絶景として観光的にも知られる中国の長江が奇妙な意味での「絶景」を見せている。

赤く染まってしまったのだ。

長江が赤くなってしまった理由については、中国当局も現在のところわからないという。長江はユーラシア大陸のなかで最も長い川で、世界の中でも、水量と全長で第3位という非常に大きな川だ。

赤くなってしまった長江を、住民たちは立ち止まって見つめる。

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中には、赤い水を瓶に入れて保存する人たちもいる。

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川が変色したにも関わらず、漁師たちは漁を続けているという。

当局は現在、原因を調査している。

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もうひとつは、とても興味深いニュースですが、カリフォルニアの「匂い」についての報道をロサンゼルスタイムスからご紹介します。「9月11日直前に腐臭がする」というのも何だかアレなんですが、すぐ本記事に入ります。

ただ、原因を魚の大量死としているのですが、どういう理由であるにしても、「160キロ」も匂いが運ばれるものなのですかね。

そのあたりはやや不思議です。
当日の天候と風向きなどを調べてみたい衝動に駆られます。




Rotten smell reeks havoc across Southern California
LA Times 2012.09.10

南カリフォルニア全域が「腐った匂い」により混乱している

匂いの正体は、ソルトン湖での魚の大量死ではないかと見られているが、この匂いをすぐに消すことはできないという。


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▲ 米国KTLA5のテレビ報道。下には「謎の匂い」と書かれてあります。


9月9日の朝、サンタクラリタ・メゾジスト教会周辺に漂う「卵の腐った匂い」を、周辺の人びとは教会の下水管が破裂したのかと思ったという。

そして、この教会から東へ 110キロの場所に住むクリス・テイタムさんも、同じ時に強烈な匂いに参っていた。クリスさんによると、「何かがドロドロに腐った匂いがしたんです」と言う。

その朝、結局、南カリフォルニアの多くの地域にこの「腐った匂い」が充満していることがその日のうちにわかった。

保健当局には、緊急電話の下水道調査の依頼のコールが大量に押し寄せた。

当局によると、匂いの原因の有力な説は 160キロ離れたロサンゼルスにある。ソルトン湖の魚の大量死によって引き起こされている可能性が高いという。

しかし、州の大気管理の当局者たちは、これまでこのような悪臭を経験したことがないという。
通常のソルトン湖での魚の大量死では、この地域まで匂いが来ることはない。

ソルトン湖では前日、非常に強い風が吹いており、ソルトン湖の管理担当者によれば、「風によって水が巻き上げられたのかもしれない」という。そして、ソルトン湖は浅い湖なので、湖の湖底にある腐った材質のものが水と共に巻き上げられ、風で運ばれた可能性があるという。







  


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昨日の記事「中国の次期最高指導者に身の上に起きたこと」で、山本七平さんの1973年の著作『ある異常体験者の偏見』の中の「フィリピン軍事法廷とシェークスピア劇に共に見られる扇動」の部分について抜粋すると書きましたので、その部分を抜粋いたします。

ところで、その前あたりの記事、

「ニセの化石」に占拠されつつある中国の博物館と古生物学会
 In Deep 2012年09月08日

の最初のほうに「富士山、クラカタウ火山、そして地球の人類史を牛耳る火山噴火」という見出しで火山のことについて少し書きました。

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▲ インドネシアのクラカタウ火山。最近、インドネシア当局は、警報レベルを上から2番目に引き上げました。日本語の報道もあります。






 


そのことに関して、読んでみたかった『西暦535年の大噴火』という本が昨日届きまして、いつものように適当に開いたところに目を通していましたら、535年のクラカタウ火山の噴火と関連して、当時の「日本」についても興味深い記述がたくさんありました。

詳しいことは、次に火山のことを書くときにご紹介しようと思いますが、イギリス人ジャーナリストのデヴィット・キースさんという人が書いたこの本は全部で 400ページ近くあり、その中で日本に関して書かれているのは十数ページなのですが(ヨーロッパ史に多くを費やしている)、その「東洋の悲劇」というセクションの冒頭はこのようなものでした。


「西暦535年の大噴火」デヴィット・キース著より。

「食は天下の本(もと)である。黄金が万貫あっても、飢えをいやすことはできない。真珠が一千箱あっても、どうして凍えるのを救えようか」(『日本書紀』)

日本の代表的な年代記『日本書紀』によると、宣化天皇は536年の詔の中にこのような言葉を残された。『日本書記』は全十二万語に及ぶ大著だが、このような記載はほかに一カ所もない。しかもこの文章が、ちょうど同じ時期に世界中に広まっていた天候異変とまったく同一の現象を記していることは、決して偶然ではない。

日本が国家として出現したのは、世界中の多くの国々と同様に、530年代の気象異変をきっかけとして各方面に変化が生じた六世紀のことだった。

アジア東部の異常気象は、いったいどのような政治・宗教的な大変化となって日本に現れたのだろうか。



と始まり、その時期に、中国、朝鮮半島、日本のすべてを同時に襲った歴史的な飢餓状態と、日本でその後に大流行した致死率の高い伝染病(症状から著者は「天然痘」の可能性が高いと指摘)の後に、中国からの仏教の伝来があり、日本の国家形成に大きな影響を与えたとしています。

私は中学高校とまったく勉強をしなかった(というより意識的に自分から勉強を排除していた)ので、その頃の日本の歴史もよく知らないですが、この「西暦535年の大噴火」には、下の表が出ていました。

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この535年の出来事がどんな自然現象だったのかというのは、実は現在でも確定しているわけではないのですが、「とにかく大きな自然個現象があった」ことは事実のようです。そしてそれはインドネシアのクラカタウ火山の噴火である可能性が高いようです。クラカタウ - Wikipedai には、535年のクラカタウの大規模についてこのようにあります。



535年の大規模な噴火はインドネシアの文明に歴史的な断絶を引き起こし、世界各地に異常気象をもたらした。その痕跡は樹木の年輪や極地の火山灰の堆積のような物的なものから歴史文書に至るまで広範囲に亘っている。



とあり、次第に物的証拠も固まってきているようです。


ところで、上の表の一番下にある「日本の中国化」という文字を見た時、昨日のボイスオブロシアの日本語版の記事をふと思い出しました。

下はその記事の最後の部分。
元々の記事はロシア語のもので、書いたのもロシア人記者です。


中国共産党大会を前に日本は中国を助けた
VOR 2012.09.11

諸島付近の状況緊張化と新たな反日行動は、第18回中国共産党大会を目前に控えた現在、政治的観点からいって中国政府には非常に都合のいいものとなっている。

愛国主義的なうねりは社会をひとつにたばね、薄 熙来(はく きらい)とその妻に関するスキャンダルやそのほかの高官と子息のスキャンダルからは視線が逸れるだろう。

上手にプロパガンダを行なえば、愛国主義は大きな政治スキャンダルも中国の経済状況の悪化に関して今後起こりうる反政府行動も大して重要ではない現象になりえる。この意味で日本の尖閣諸島3島国有化は中国の利に働いたといえる。



そんなわけで、6世紀の頃から日本と中国の関係はあまり変わっていないようですが、ここから、山本七平さんの『ある異常体験者の偏見』からの抜粋です。今の世の中で、繰り広げられる様々が「あるいは扇動かもしれない」ことがなんとなくおわかりかとも思います。

違うのかもしれません。
もちろん、どのように思うかは各人の判断ではあります。




『ある異常体験者の偏見』 アントニーの詐術  山本七平 1973年より。


原則は非常に簡単で、まず一種の集団ヒステリーを起こさせ、そのヒステリーで人びとを盲目にさせ、同時にそのヒステリーから生ずるエネルギーが、ある対象に向かうように誘導するのである。これがいわば基本的な原則である。ということは、まず集団ヒステリーを起こす必要があるわけで、従ってこのヒステリーを自由自在に起さす方法が、その方法論である。

この方法論はシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』に実に明確に示されているので、私が説明するよりもそれを読んでいただいた方が的確なわけだが、……実は、私は戦争中でなく、戦後にフィリピンの「戦犯容疑者収容所」で、『シーザー』の筋書き通りのことが起きるのを見、つくづく天才とは偉大なもので、短い台詞によくもこれだけのことを書きえたものだと感嘆し、ここではじめて扇動なるものの実体を見、それを逆に軍隊経験にあてはめて、「あれも本質的には扇動だったのだな」と感じたのがこれを知る機縁となったわけだから、まずそのときのことを記して、命令同様の効果のもつ扇動=軍人的断言法の話法に進みたい。

まず何よりも私を驚かしたのは『シーザー』に出てくる、扇動された者の次の言葉である。

市民の一人 名前は? 正直に言え!
シナ    シナだ。本名だ。
市民の一人 ブチ殺せ、八つ裂きにしろ、こいつはあの一味、徒党の一人だぞ。
シナ    私は詩人のシナだ、別人だ。
市民の一人 ヘボ詩人か、やっちまえ、ヘボ詩人を八つ裂きにしろ。
シナ    ちがう。私はあの徒党のシナじゃない。
市民の一人 どうだっていい、名前がシナだ・・・やっちまえ、やっちまえ・・・


こんなことは芝居の世界でしか起こらないと人は思うかも知れない。……しかし、「お前は日本の軍人だな、ヤマモト! ケンペイのヤマモトだな、やっちまえ、ぶら下げろ!」、「ちがいます、私は砲兵のヤマモトです! 憲兵ではありません」、「憲兵も砲兵もあるもんか、お前はあのヤマモトだ、やっちまえ、絞首台にぶら下げろ」といったようなことが、現実に私の目の前で起こったのである。

これについては後で後述するが、これがあまりに『シーザー』のこの描写に似ているので私は『シーザー』を思い出したわけである。新聞を見ると、形は変わっても、今でも全く同じ型のことが行われているように私は思う。

一体、どうやるとこういう現象が起こせるのか。扇動というと人は「ヤッチマエー」、「ヤッツケロー」、「タタキノメセー」という言葉、すなわち今の台詞のような言葉をすぐ連想し、それが扇動であるかのような錯覚を抱くが、実はこれは、「扇動された者の叫び」であって、「扇動する側の理論」ではない。

すなわち、結果であって原因ではないのである。ここまでくれば、もう先導者の任務は終わったわけで、そこでアントニーのように「……動き出したな、……あとはお前の気まかせだ」といって姿をかくす。というのは、扇動された者はあくまでも自分の意志で動いているつもりだから、「扇動されたな」という危惧を群衆が少しでも抱けば、その熱気が一気にさめてしまうので、扇動者は姿を見せていてはならないからである。(中略)

従って、扇動された者をいくら見ても、扇動者は見つからないし、「扇動する側の論理」もわからないし、扇動の実体もつかめないのである。扇動された者は騒々しいが、扇動の実体とはこれと全く逆で、実に静なる理論なのである。





そして、しばらく後にこのように続きます。

(ここから抜粋)




事実、事実、事実、事実とつなぎ、その間にたえず、「……でしょうか? ……でありましょうか? ……このことを考えてみましょう! ……たとえそう見えたとしても……ではないでしょうか?」ということばでつなぐ。

これをやっていくうちにしだいに群衆のヒステリー状態は高まっていき、ついに臨海地に達し、連鎖反応を起こして爆発する。……ヤッチマエー、ぶら下げろ−、土下座させろー、絞首台へひったてろー、……から、ツツコメ、ワーまで。






(抜粋ここまで)


私は上にあるシェークスピアの芝居の中にある「どうだっていい、同じ〇〇だ、やっちまえ」という台詞をこの10年くらいだけでも何度見てきたことか、と思います。

その人がいいとか悪いとかではなく、「どうだっていい、同じ〇〇だ」という事例。

同時多発テロのあとの西欧社会のイスラム教徒、領土問題などで利用される際の反〇〇運動(日本、中国、韓国など)、原発問題のあとの電力会社の社員に対して・・・ etc 。

世界中で無限に今も続く「どうだっていい、同じ〇〇だ」 のループ。

そして、上の七平さんの書いてる通りに、


扇動された者は騒々しいが、扇動の実体とはこれと全く逆で、実に静なる理論なのである。



確かに扇動された者の騒がしいこと!
扇動する側の見えないこと!

今まで何度も何度も繰り返されてきた同じような歴史は今の状態を見ている限りは今後も続きそうで、まあ、それが人間の歴史ということなんでしょうかねえ。

最近の私に漂う一種の絶望感も「生きている中で、何度この光景を見続けるのだろう」というようなことに疲れているということもありそうです。扇動されている人はそれに気づいていないので、仮に指摘をしても「むしろ怒って気勢が上がるだけ」ですので、指摘は意味をなさないです。

場合によって、「何十年も気づかない」。

この素地を植え付けるのが小学校から始まっていると思います。
あるいは、運動などの大会。

「なんで運動でも勉強でも争わないと(比較しないと)いけないのですか?」
「それが決まりだ」

という繰り返しを小さな頃から何千回も言われれば、そういう人間ができます。その先生もそういう教育を受けてきたので「気づいていない」だけで、悪気などはないはずですけれど。


それにしても、私はまったく本を読まない十代だったんですが、タイミングよく何冊かのいい本に当時出会ったと思います。小学生だったか中学生のときだったかに「あること」があって以来、私は本を読まなくなりました。なので、高校を出るまでに読んだ「まともな活字の本」で、全部を読破したものは記憶では5冊だけだと思います。

しかも、それらの本はすべて、レコードでいえばジャケ買い、つまり、本屋でタイトルとジャケットが気に入って、立ち読みしたら面白くて買ったものだけで、出会いはすべて偶然でした。

山本七平さんの著作では『私の中の日本軍』にも大変に感銘を受けました。


これらの本はその後の私に、

「それを自分で考えたか?」
「自分で計算したか?」


ということを考えさせる方向に向けさせてくれました。



  

2012年09月08日



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今回のテーマは「中国でフェイク(偽物)の化石が博物館などで数多く展示されているというレベルにまで広がっている」というニュースをご紹介しようと思いますが、その前に最近書いていて、なかなかアップできない「火山のこと」が報道ベースでも少し出てきていますので、少し書かせていただきたいと思います。






 



富士山、クラカタウ火山、そして地球の人類史を牛耳る火山噴火


最近、プライベートでも「富士山」にかかわるいろいろなことが多いなあと思っていました。
1週間ほど前に書いた、

大出血のような太陽フレアと真っ赤な富士山上空を眺めながら「物質は永遠」という法則を子ども科学本で知った日
 In Deep 2012年09月03日

という長いタイトルの記事(本文も長いです)では、その前日に夜の富士山の上空が真っ赤だった光景を見たというようなことを書いたのですが、その翌日くらいに、買い物に行く途中にその方向の空を見ると、「フェニックスのような鳥と十字架が並んだような形」みたいな雲が出ていて、「ほお」と眺めていました。

最近は携帯を持たないことが多く、写真も撮れませんでしたが、ネットで見てみると、「フェニックスの形の雲」というのはよく見られるもののようで、下のは、Deluxe moonというブログにあったもので、彩雲と一緒できれいでしたのでお借りしたものです。

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私の見たのは、この鳥の顔のほうに、別の雲が十字架の形をして見えていた感じでした。
それは富士山の上あたりに位置していました。

富士山に関しては、昨年、

「鎖国」と「富士山大噴火」を生み出した前回マウンダー極小期
 In Deep 2011年11月09日

という記事を書いたことがありましたが、数日前、茨城県つくば市にある防災科学技術研究所が「富士山に、現在きわめて大きな圧力がかかっていることを確認した」という報道が日経新聞に載っていました。

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報道は下のリンクにあります。

震災で富士山マグマに圧力 研究チーム「警戒を」
 日本経済新聞 2012.09.06

直近の富士山噴火である 1707年の宝永噴火の時よりも大きな圧力がかかっているのだそうです。

これは極めて大ざっぱにいえば、「いつ噴火しても基本的にはおかしくない」ということでもあります。もちろんそれは長いスパンでの「いつ」の話ですけれど。


そして、ちょうど、最近、「火山噴火と地球の人類史」というようなことを In Deep の記事として、書いては止まり書いては止まり、という感じで進めていた時でした。

最近、インドネシアのクラカタウ火山という巨大火山の活動レベルが上がっています。このクラカタウというのは、最近 2000年間くらいの「人間の文明史」に影響を与えたと考えられています。

インドネシア当局は数日前に、クラカタウに対しての警戒レベルを上位に上げました。

そして、クラカタウを含めて、いろいろ調べているうちに「巨大な火山噴火は、地球全体を変化させていく可能性」ということがあると知るにいたります。

たとえば、7万年前に人類は滅亡寸前までになったということが、最近のミトコンドリア DNA の解析でわかってきたということが数年前の報道でありました。下のリンクに当時の USA トゥディ などで報道された内容が要約されています。

人類は7万年前に絶滅寸前、全世界でわずか2000人
 GIGAZIN 2008年04月25日

この原因は気候変動ではないかとする考えが一般的ですが、しかし、その「気候変動の原因の源」は、インドネシアのトバ火山によるものではないかという見方が多く、下のような形で人類は7万年に「ほぼ全滅した」と見られています。


8万年〜12万年前にいったん東アフリカを出て世界に拡散し、数百万人まで増えた人類は、7万3千年前のインドネシアのトバ火山の大噴火による地球全体の寒冷化のもとでほぼ絶滅。かろうじて東アフリカにもどった1万人あるいは1000人程度の現世人類が、6万年前に再び世界に拡散し始め、現在の70億人になった。

石 弘之 著『歴史を変えた火山噴火―自然災害の環境史』のレビューより。




そして、今、活動をはじめたインドネシアのクラカタウ火山の噴火は、たとえば、Wikipedia には以下のような記述があります。


535年の大噴火
インドネシアの文明に歴史的な断絶を引き起こし、世界各地に異常気象をもたらした。(中略)日本においても天候不順による飢饉の発生についての言及が見られ、同時期に朝鮮半島からの渡来人の流入、馬具の発達、中国から流入した仏教の興隆などが起きており、古代日本の国家形成に与えた影響は小さくはないとする見方もある

1883年の大噴火
成層圏にまで達した噴煙の影響で、北半球全体の平均気温が0.5〜0.8℃降下し、その後数年にわたって異様な色の夕焼けが観測された。



このように、巨大な火山噴火はとにかく、「世界全部に影響する」。

地震がどちらかというと局所的な災害として終始するのに対して、火山は「空と気温を支配する」ので、世界中のあらゆる文明に影響するようです。

ところで、上の Wikipedia には「テキサス州立大学の天文学の教授が画家エドヴァルド・ムンクの代表作“叫び”は、この夕焼けがヒントになっていると主張した」という記述があります。

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▲ 『叫び』。


ムンクは、この絵を描くキッカケとなった「光景」のことを日記に残しています。一般的には「ムンクの幻覚」という言い方がされています。しかし、日記を読むと、実際にこの光景を見ていたことがわかります。




「私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた」

叫び (エドヴァルド・ムンク)の、ムンクの日記より。





ちなみに、幻聴や幻覚の経験のない場合はわからないことだと思いますが、自分や他人の経験も含めていえば、実際には幻聴や幻覚は、ムンクの叫びのように「曖昧な風景」として現れることはあまりないと思います。それらは LSD などの幻覚剤の作用などと混同しているのだと思いますが、薬剤と関係のない精神的な幻聴、幻覚は「ほぼリアルなもの」が現れるのが普通です(だからこそ恐ろしい)。

上の日記を読む限り、ムンクはいわゆる現在でいうパニック障害を伴う強度の神経症だったと思います(多分、間違いないです)。効果的な薬剤のなかった当時は、発作が起きた時には上の日記の「友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま」というような状態となりやすかったと思います。


いずれにしても、このようなキッカケとなったかもしれない、インドネシアのクラカタウ火山を含め、世界中の火山が「 Ready 」の状態になっているようです。

そういうことを踏まえて、「火山と人類の関係」について書いていますので、今日とりあげた部分と重複してしまう部分があるかもしれないですが、そのうちアップいたします。

さて、ちょっと余談のつもりで書いたのですが、長くなってしまいました。

ここから今日の本題です。



あまりにも増えてしまった中国の「ねつ造化石」


これは、中国の科学界のトップにあたる中国科学院の科学者たちが、「中国にはあまりにも偽物の化石が多い」ということを語ったという報道です。

「科学の世界」には様々な贋作やねつ造、模倣といった出来事は数多くあるのですが、それらの中には怒りを込めたような報道スタイルや、当事者たちの憤慨の言葉などが含まれていることが多いのですが、今回の中国科学院の李淳さんという科学者の言葉からは、そういう「怒り」とかではなく、なんなく「切なさ」を感じまして、それで、ご紹介しようと思いました。

そして、李博士は、

「中国の博物館に展示されている海洋古生物の標本の 80パーセント以上が、何らかの手を加えられたものか、あるいは、人為的に加工されたもの」

と見積もっているそうで、そこまでの数となると、「博物館なのに本物のほうが少ない」という、極めて深刻な事態のはずです。だからこそ、かなり問題になりそうな李博士のこの発言も、中国の古生物学者である彼にとっても危機感がある話なのだと思います。

この李博士という人は、 2009年に米国の権威ある科学専門誌『米国科学アカデミー紀要』に掲載された「新種のチータの化石の発見」という論文で使われたチータの化石を「偽物」と見破り、科学アカデミー紀要は、今年、この論文の内容を撤回しました。

上の「新種のチータの化石の発見」が2009年に発表された際の報道は今でも残っていますので、下に抜粋しておきます。


チーターの起源は中国か、世界最古の化石発見―甘粛省
レコードチャイナ 2009.01.02

2008年12月31日、有史以前に生存していた新種のチーターの化石が、中国北西部の甘粛省で発見されたことが分かった。

これまで世界最古のチーターの化石は、北米で発見されたものとされてきた。しかし、今回の発見によって、チーターの起源は北米ではなく、中国とする説が有力になった。

上海科学技術博物館の研究員が発見したのは、ほぼ完全な頭蓋骨の化石。大きさも形状も現存するチーターの頭蓋骨に似ているが、歯に極めて原始的な特徴がみられることから、新種と判断され「Acinonyx kurteni」と命名された。この研究報告は、先月下旬に発行された「米国科学アカデミー紀要」(PNAS)に掲載されている。



ここにある「ほぼ完全な頭蓋骨の化石」が偽物だと見破ったのが李博士と同僚でした。

それがどのようなものだったのかは後で判明してして、それは こちらにありますが、


・採掘場所も地層年代も違うところから掘り出したもの
・頬骨は肋骨で作られていた
・門歯と主張されていたものは、チーター以外の食肉類の小臼歯を組み合わせて作られたもの
・頭蓋の後頭部はプラスチック製


というものだったようです。

私自身は昔から「フェイクが何もかも悪い」とは思わない人ですが、たとえば、日本にも昔から河童のミイラとか、いろいろな不思議な怪物の化石などがあって(仮に本物があるとしても)ほとんどはフェイクでしたでしょうけれど、でも、それらが子どもの頃の私たちをどれだけ楽しませてくれたことか。

「ああ、こんなのもいる!」

と、そのたぐいの本(40年くらい前は子ども用の怪獣本、オカルト本が数多くありました)を読んでワクワクしたものでした。「この世にはなんかいる」と。


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▲ 人魚のミイラとして日本に伝わるもののひとつ。人魚のミイラより。


まあ、実際には「この世にはなんかいる」としても、その頃思っていたものとは違う「なんか」ではあるのかもしれないですが、でも・・・「この世にはなんかいる」という感覚はとても大切だと思います。

話は逸れましたが、しかし、今回のねつ造の話は違う話で、むしろ「夢のない方向」の話です。

そして今の中国のように、あまりにもビジネス(中国は化石ビジネスが一大産業)のためだけに、業者たちがムチャクチャやっているという状況は、これ以上進むと、「博物館の化石は全部フェイク」みたいなことになりかねないもので、そうなると何より困るのが中国の科学者そのもので、それだけに、李博士も今回の発言に踏み切ったのだと思います。

では、ここから本文です。
中国のチャイナデイリーの英語版からです。






 


Counterfeit fossils undermine research projects
China Daly (中国) 2012.09.06


偽物の化石が考古学の研究プロジェクトを蝕んでいる


贋作された「ニセの化石」が、科学者と、そして博物館までをも欺き続けていると、古生物学者の専門家たちは警鐘を鳴らしている。

これは、中国起源とされるチータに関しての論文の発表後に論争となり、それを発表した学者がその論文を撤回したことに始まる。

中国科学院の傘下の「古脊髄動物・古人類研究所( Institute of Vertebrate Paleontology and Paleoanthropology )」にの科学者、李淳( Li Chun )博士によると、現在、中国にはニセの化石が広範囲に蔓延しており、本当の古生物研究への深刻な脅威となっているという。

李博士は以下のように述べる。

「私は、多くの古生物学者たちが模造化石の犠牲になっていると確信しています。現在の中国の博物館に展示されている海洋古生物の標本の 80パーセント以上が、何らかの手を加えられたものか、あるいは、人為的に加工されたものであると推定されるのです」。

そして、博士は、「これらの偽物は、専門的な知識と訓練を受けた古生物学者でなくては、その真偽を見破ることは不可能です」と言う。

李博士は、今年8月、中国の科学者ホアン・ジー(Huang Ji)氏と、デンマークの研究者パー・クリスチャンセン(Per Christiansen)氏の二名による共同研究によって 2009年に発表された「チータの新しい種」に関する論文が「偽りである」と見破った人物だ。

その懸念に関しての証拠として重要だったのは、中国甘粛省で発掘された 250万年前の化石化した頭部だった。

ジー氏とクリスチャンセン氏が 2009年に国際的な科学専門誌『米国科学アカデミー紀要』に発表した論文「後期鮮新世の原始チータ、およびチータ系統の進化」には、中国で発掘されたこの「新しい種」のチータが、それまでに発見された種の中で最も古いものであると述べ、それまでの定説だった北米がこの種の動物の最初の起源だったという学説をひっくり返した。

その論文の根拠となった 250万年前のその頭部の化石の真偽についての論争が、長い間、複数の科学者たちの間で続いていた。

そして、今年 8月21日に米国科学アカデミー紀要はこの内容を撤回した。


その論文を手がけた上海科学技術館のホアン・ジー氏は以下のように述べる。

「この数年、私はこの論争問題に関しての研究を続けていました。その結果、論文には欠陥が存在することがわかったのです。問題を直視する必要があると感じ、私は論文を撤回しました」。

ホワン氏は、大型のネコ科の起源について強い関心があったという。


しかし、李博士は、「私は彼らが故意にねつ造された化石を使ったとは考えていません。彼の専門分野は現代の生物で、それは古生物の学問とはまったく違います」と言う。

李博士と同じ「古脊髄動物 古人類研究所」所属のデン・タオ博士は「その化石を見た瞬間に『偽物だ』と気づきました」と言う。

「頭の側面図は、ほお骨が明らかに異様に高く、また異常に頑健であることを示しており、それに加えて偽物の骨が人為的につなぎ合わせられた境界線が存在しました。背中の部分はオリジナルのものではありません。その表面も通常のものではありませんでした」と続けた。

青海チベット高原北東辺縁部リンキシャ( Linxia )盆地で、新生代後期の哺乳類を専門として発掘していた時に、デン博士は異なる偽物の化石を発掘している。

「おそらく、化石の商業的価値を上げることにより、中国の化石の販売店とディーラーたちの利益を高めるために偽物の化石を作っているのだと思います。実際、私は、何百もの『完全な化石』が、実は多くの骨が継ぎ合わされていたものであることを見てきています」と、デン博士は言う。

李博士は、最初に模造化石を見た時のことを思い出すという。

それは李博士がまだ学生の時だった。

「古生物学のことを何も知らなかった私は、現代の生物にとても興味を持っていた頃でした。その頃、北京で、不器用に圧縮された偽物の化石を見ました。しかし、その頃の私はそれが偽物であるとわからず、とても重要な化石を見つけたと興奮したものでした」。




  

2012年09月06日



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最近、ロシアのメディアの、いくつかの記事をご紹介しました。

ひとつは、

フリーメイソンと高知に導かれて Google Earthe 上で北緯 33度の旅をする
 In Deep 2012年08月29日

というもので、「数字の 33と米国の所業」について言及したロシアのプラウダの記事。


もうひとつは、ロシアのプッシーライオットという女性バンドによる騒動に関してのものです。

反プーチンではなく「反キリスト」としてのロシアでの象徴となりつつあるプッシーライオット
 In Deep 2012年09月01日

という記事。






 



今回の記事は上のどちらにも関係していると思われるもので、やはりロシアのプラウダの記事ですが、「西の文化が人々を怪物に仕立て上げる」というタイトルの記事で、西欧のポップカルチャー全般に対しての嫌悪を書き、記事の著者は「そこには国際社会の悪魔主義による陰謀の歴史が刻まれている」としている記事の内容です。

そうとう偏った記事ですが、興味深いのは「キリスト教を徹底的に擁護している」という点です。


上の過去記事のうちの、キリスト教会で逮捕されたプッシーライオットの記事に、私は「反キリストとしての」というタイトルをつけ、その時は自分でも「こんなタイトルつけていいのかな」と疑心暗鬼だったのですが、今回の記事を読んで、上のタイトルはそれほど的外れでもなかったことがわかりました。

つまり、多分、今のロシアでは「キリスト教と、そうでない宗教との大きな確執が政治レベルにまで拡大するほどに存在しているかも」ということです。


さらに興味深いのは、このロシアの記事の著者は以下の意味の主張をしていると思われます。

「ロシアこそがキリスト教の正当な継承国家であり、アメリカとそれに属する西欧諸国は反キリストの悪魔の手先だ」。


とこの記者は言いたいようなのです。

つまり、「アメリカがキリスト教を滅ぼそうとしている」と。


「へえ、そういう論調が存在するんだ」とやや驚くやら興味深いやら。

いずれにしても、最近のロシアのメディアの反米主義はかなりのものですが、今回のあからさまな西欧への敵対心にもやや苦笑してしまいました。

さらに文中には「ソ連時代の賞賛」が書かれていて、「戻ろう」というようなニュアンスさえ書かれています。

ところで、プッシーライオット騒動ですが、本人たちは逮捕されたり、国外逃亡しているわけですが、その後、ロシア国内のプッシーライオットのファンたちが起こしている様々な出来事、というのがあります。

英国のテレグラフに、その写真がまとめて紹介されていましたので、いくつかご紹介します。




記念十字架を切り倒すウクライナのプッシーライオットの女性ファン

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プッシーライオットファンにマスクをされた、モスクワ駅にある第二次大戦のソ連軍英雄像

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モスクワのカザフスタンを代表する民族詩人アバイ・クナンバエフの像にもマスクがかけられ


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今回の記事を書いたような人たちである(多分保守的な)ロシア人の怒りというのも、上のような事態でさらに燃え上がっているのかもしれません。

というわけで、ここから記事の翻訳をご紹介しますが、この記事を書いた人は、いわゆるインテリなんでしょうけれど、私の知らない作家や音楽家などの名前がたくさん出てきます。

それぞれに説明がないので、そのたびに私は調べていたのですが、その数があまりに多く、その説明は文中にカコミで示しました。多くが Wikipedia の説明の冒頭の部分からです。

なお、文の冒頭に出てくる「ニコラ・ボナル」という人は、調べても誰だかわかりません。フランスのサッカー選手としての名前はありましたが、その人かどうかわからないです。

ではここからです。






 


Satanic Western culture turns people into monsters
Pravda (ロシア) 2012.08.31

西の文化が人々を怪物に仕立て上げる


ニコラ・ボナル(Nicolas Bonnal)は、西欧の文化の持つ破壊力について語っている。ボナルによると、西側の文化は人間の思考と感性に対して向けられているという。

そして、この文化は人々の「訓練」と関連している。
その先には堕落したゴールと、それに関しての国際的な計画がある。

ロシアは、ソ連時代、実は政治的な理由以上に、西側に嫌われていた。
ソ連はビートルズを生まなかった。
そのかわり、プロコフィエフとショスタコービッチを生み出した。

社会は、「文化」という名のこの武器を理解することはなかった。
静かな戦争のための静かな武器として認識しなかったのだ。


プロコフィエフ
セルゲイ・プロコフィエフ (1891-1953年)はロシアの作曲家、ピアニスト、指揮者。ソヴィエト時代には、ショスタコーヴィッチやハチャトゥリアン、カバレフスキーらと共に、社会主義国ソヴィエトを代表する作曲家とみなされた。
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ショスタコーヴィチ
ミートリイ・ショスタコーヴィチ (1906-1975年)は、ソビエト連邦時代の作曲家。マーラー以降の最大の交響曲作曲家としての評価がほぼ確立され、世界的にも特に交響曲の大家と認知されている。また、弦楽四重奏曲においても秀逸な曲を残し、芸術音楽における20世紀最大の作曲家の一人である。



最近のプッシー・ライオットの事件の裏側は慎重に説明されなければならない。プッシー・ライオット騒動は政治的なものではないにも関わらず、実は極めて政治的なものといえるのだ。

トクヴィルは、いかなる社会構造も、それがこの世から消えなければならない時ほど怒りが燃えさかることはないと言った。

現代の西側では、それは教会と、そしてアメリカ合衆国そのものにあてはまる。金融株式市場の狂気、社会保障に対しての憎しみで燃え上がる暗黒パワー、そして、それらのような暗いものをすべて保護しようとする立法と教会。


トクヴィル
アレクシ・ド・トクヴィル (1805-1859年)は、フランス人の政治思想家。19世紀初頭に当時新興の民主主義国家であったアメリカ合衆国を旅して著した『アメリカの民主政治』は近代民主主義思想の古典であり、今もなおアメリカの歴史及び民主主義の歴史を学ぶ際には欠かせない教科書の一つとなっている。日本では福澤諭吉が紹介している。



エリート集団たちにとって、西側のキリスト教会の影響力の低下はまだ十分ではない。教会はガラガラのこともあれば、時には、お年寄りやスピリチュアルな体験を求める人たちで混み合う。

少数のキリスト教徒だけが残り、彼らキリスト教徒はこの社会での支持をますます得られなくなっている。

ロシアでのプッシー・ライオット騒動は、悪魔崇拝が西側の公式な大衆文化となったことを示している。西側はこの悪魔文化を保護する準備もできている。

私たちはこれを「ハリー・ポッター」や、ゾンビや吸血鬼、エクソシズム、カニバリズムを扱う MTV 、そして、マドンナのアンチフランス挑発の行動などに見ることができる。これらの理由は、ほとんどすべてのロックとポップスのコンサートで見いだすことができる。

悪魔崇拝のメッセージは細心に計算されている。

彼らは、民主主義という隠れ蓑を装いながら、その実体を具現化していく。そして、それは、シリアに爆弾を落とし、あるいは今後、イランを爆撃し、そして、ロシアとウラジミール・プーチンを脅かす準備へとつながる。

彼らは西側のシステムに適合しないものは、何でもターゲットにする。


しかし、主要なターゲットはキリスト教だ。


マドンナのような「おとり捜査官」は実際にはシオニストだ。
プッシーライオットは、イスラム教を尊敬し、遺産として名高いキリスト教会では猫を蹴る。

我々は我がロシアの教会で、決して悪魔に祝福などさせない。
私たちロシアの民主主義は、今回のプッシーライオットの一連の出来事に激怒している。


ソビエト時代は、政治的理由で西側にソ連は軽視されたが、しかし、それだけの理由ではなく、ソ連の文化と芸術にも理由があった。ソ連はポロック派(ニューヨーク抽象表現主義)を生み出さなかったし、ビートルズも作り出さなかったが、素晴らしい多くの芸術家を生み出した。


ニューヨーク抽象表現主義
抽象表現主義とは、1940年代後半〜1950年代のアメリカ合衆国の美術界で注目された美術の動向である。



ソ連は、悪魔ルシファーのような自由は賞賛しなかったが、しかし、社会の規律を賞賛した。

アメリカの文化は、人々の価値を下げ、人類を俗悪にするための退行性文化を多く生み出した。それらのゴールは、人類の精神性に大きな影響を与えることだ。

現代の西側の文化は、その源泉は 1960年代に遡るが、しかし、現在の私たちロシアは、現在の西側諸国の文化(たとえば、レディ・ガガ、スウェーデンの「ミレニアム」本、ネオパンク・ファッション、映画「アバター」)などに背を向けている。

これらの文化はもはやキリスト教の文化ではない。

あるいは、特定の国家や土地に根ざした文化でもない。
そして、偶然生まれたものでも、アーティストたちの才能だけの話でもない。

ここには、 堕落した未来のゴールと、国際的な計画がある。

この歴史は実際には、現代文学といわれるものや、あるいは古典以降の映画撮影技術まで遡る。アドルノは、「現代の音楽は人をイライラさせるために作るように仕向けられている」と言った。


アドルノ
テオドール・アドルノ(1903-1969年)は、ドイツの哲学者、社会学者、音楽評論家、作曲家である。ナチスに協力した一般人の心理的傾向を研究し、権威主義的パーソナリティについて解明した。

作曲家としても作品を残し、アルバン・ベルクに師事した。また、一貫してジャズやポピュラー音楽には批判的な態度をとりつづけた。



ソルジェニーツィンは、耐えがたい音楽によって世界が征服されたことにより、人々は生きていることを忘れてしまったと指摘した。

黒魔術は、西側のいたるところで実権を握っている。
これは、西側でテレビをつければすぐにわかる。


ソルジェニーツィン
アレクサンドル・ソルジェニーツィン(1918 - 2008年)は、ソビエト連邦の作家、劇作家、歴史家。1990年代ロシア再生の国外からの提言者である。ソビエト連邦時代の強制収容所・グラグを世界に知らせた『収容所群島』や『イワン・デニーソヴィチの一日』を発表し、1970年にノーベル文学賞を受賞。1974年にソ連を追放されるも、1994年に帰国した。

ソルジェニーツィンの生涯は、彼の人生を左右した二つの価値観、つまり父譲りの愛国心と、母譲りのキリストへの信仰心に彩られている。



ソビエトの作家、ダニエル・エスチューリンは、現代のサブカルチャーの隠されたサイドに存在するオカルトの設計図についてうまく書いている。

ビートニクス(ビート・ジェネレーション)が開始された時に、ビートニクスが政治運動と切り離すように促されたことは知られている。

ドラッグ文化とカウンターカルチャーは、警察と政治プロジェクトに適合し、そして、ハリウッドはそこからインスパイアを得た。平行した世界をコントロールするためには、(文化で人々を導くほうが)政党を作るより簡単なことだった。


ビートニク(ビート・ジェネレーション)
1955年から1964年頃にかけて、アメリカ合衆国の文学界で異彩を放ったグループ、あるいはその活動の総称。

最盛期にはジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグそしてウィリアム・バロウズを初めとする「ビート・ジェネレーション」の作家たちは多くの若者達、特にヒッピーから熱狂的な支持を受け、やがて世界中で広く知られるようになった。またポエトリー・リーディングの活動も有名である。



そして、 SF映画のテーマ、サイエントロジー、性の革命、そして、奇蹟やスビリチュアリテイ・・・。それは多くの人々をコントロールして利用するための政治的な恐ろしい手段となった。


これらの意識の植え付けは、幼児期に、あるいはもっと前より始まる。

たとえば、「テレタビーズ」は、赤ちゃんたちに「主義」を与えるために意識的に作られている。


テレタビーズ

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『テレタビーズ』 (Teletubbies) は、イギリスのBBCで1997年3月31日から放送され、120カ国以上の国で視聴されている幼児向けテレビ番組である。



そして、小さなうちに「ハードディスクからのプログラムのひとつ」として機能するようになった子どもたちは、iPod を与えられ、テレビゲームと MTV により、作られた悪魔崇拝へと突き進んでいく。

悪魔崇拝の最近のものとしては、ブラック・サバス、マリリン・マンソン、デッド・ケネディーズなどのヘビーメタル音楽などは顕著で、児童文学にも見られる。

また、マドンナ、リアーナ、レディ・ガガ、ビヨンセのような人々を通して、悪魔崇拝のメッセージは人々に伝えられ、そのフリーメーソンの象徴に視聴者たちは衝撃を受ける。


(訳者注)たくさんバンド名などが出ていますが、最も大御所のブラック・サバスを紹介しておきます。

ブラック・サバス
ブラック・サバス(Black Sabbath)は、イギリスのロックバンド。1969年にバーミンガムで結成され、幾度ものメンバーチェンジを経ながら40年近くに渡って活動した。

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▲ ブラックサバスのボーカル、オジー・オズボーン。



結局、私たちは西側の文化における催眠性と麻薬性を知っている。それは、ワーグナーとナチズムの関係を見るまでもなく。

今や、アメリカの大学は学生たちを偏ったニーチェ主義に変えている。彼らのコミュニティ、彼らのコード、そして彼らの儀式、悪魔のメッセージはもはや隠されることもない。

悪魔は米国でパワーを得た。そして、悪魔たちは西側のエリート集団と共に、堕天使ルシファー率いる軍隊の大パレードの中を行進している。





ここまでです。

なんだか訳していてものすごく疲れました(苦笑)。テレタビーズまで攻撃の対象とは(あれは確かにややこわいキャラですが)。

まあ、私なんかはこの「悪魔的な西欧文化」に若い時からどっぷりとハマり、そのメジャーコマーシャリズムからあぶれるようなアンダーグラウンドに進んでしまいましたが、そこまで行くと悪魔も近づかない。

人間にも悪魔にも天使にも好かれない音楽や表現の中で何十年も生きてきました。


ところで、上の記事の中の「ソ連への回顧」を読んで、ふと、過去記事の、

極東ロシアで発見された「白いシャチ」から浮かび上がるエスキモーの予言
 In Deep 2012年04月24日

の中に書いた「エスキモー女性の予言」を思い出しました。

1877年11月5日に生まれたという彼女のことはよくわからないですが、彼女は、(多分、ソ連崩壊後に)、夢でシャチから下のように言われたそうです。


ロシアは共産主義に戻ります。

民主主義は一掃されて、2000万人以上が強制収容所で亡くなります。

スターリンの像がロシアの国にもう一度建てられることでしょう。


とのことでした。


ちなみに、上のプラウダの記者の年齢を知らないですが、キリスト教のことはともかく、「文化」に関しては現在よりソ連時代のほうがはるかにロシアは多様化していました。パンクもテクノもあったし、映画なんかはもう、欧米がどれだけ頑張っても作れないようなスゴイ映画の数々を「ソ連」の名の下で制作していました。

私が若い頃好きだった「キンザザ」というソ連映画(1986年頃)があるんですが、もう地球上ではあんな映画撮られる可能性はないですぜ。すごすぎ。



▲ キンザザの予告。ロシア語ですが、これは昔は日本でも『不思議惑星キンザザ』だったかの邦題でビデオになっていたので、 DVD とかでもあるのかも。映画の内容は書きようがないのですが、Wikipediaに説明がありました。