2013年05月27日



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夜空の大三角形の下で「わけの判らん虫」に占拠されていく地球



先日の記事、

なんとなく地球を無視し続ける太陽
 2013年05月23日

に、「5月26日に水星と金星と木星が大きな三角形を作る」ということについて書きました。その時の各地の様子がスペースウェザーなどにアップされていますが、下のような写真を見ると、「確かに見事な三角形だなあ」という感じで、きれいと言っていいものかどうかはともかく、印象的な光景であります。

triangle_0526.jpg

▲ ポーランドのシュビンという町から撮影された夕暮れの様子。5月26日。 Space Weather






 



膨大な過去記事を前に呆然としながら考えること


私は記事を書く際、自分の過去記事そのものを参考にすることが多いのですが、最近は「あの記事はどれだったかなあ」と探す時に、自分でも探し出すのに時間がかかったりいたします。

記憶と共に、左上にあるキーワード検索を自分でも使うのですが、以前はもっと簡単に探し出せたりしたのですけれど、最近はなかなか辿り着かなかったりします。

その理由なんですが、気づくと In Deep でこれまで書いた記事の数が、総計で 1800を大きく越えていたのでありました。記憶だけで管理できる数を越えてきていたのでした。

最近は、数年前の記事を読み直したりすることもあるのですが、昔の記事は現在の私とかなり違う考え方だったり、あるいは不本意な記事、または書いた内容そのものを忘れているような記事もあり、ブログの過去記事を管理しきれていない現状に気づきます。


今の私の考え方は、この2、3年の間で急速に変化してきたという感じがあります(いい方向か、悪い方向かは私にもわかりませんけれど)。特に 2011年の震災後からしばらく過ぎた頃から、私の「この世」に対しての考え方は次第に固まってきて、それ以来は現在まであまり変わらない考え方でいると自分では思っています。

しかし、いずれにしても、「過去記事を管理できていない」というのは、あまり良くないなあと思っています。


それと共にこの Seesaa ブログはとても使いやすいブログですけれど、やはり無料ブログということもあり、何らかの際に過去記事に影響があった時のバックアップなどの問題もあります。最近は太陽活動(磁気嵐など)や EMP (リンク)などの懸念や、あるいはサイバー関係の出来事も多く、インターネット環境がいつまでも安定しているとは言い難い部分もあります。


まあ、そんなわけで、理由は上のように様々ですけれど、最近は、ブログの移転(新しい記事からに関して)も考えています。

その一方では、In Deep やクレアも含めて、過去記事で重要なものをちゃんと探し出したり、関係したニュースリンクなどをわかりやすく整理したいとも思っていますが、いずれにしても自分で書いたものを管理するという基本的なことを疎かにしていましたので、そのあたりの作業をおこなおうと思っています。

具体的にはまだはっきりしませんけれど、今後ともよろしくお願いします。


そして私は世の中そのものは今後急速に進むように感じています。




2015年までの世界

今年、あるいは来年にかけてはいろいろな方向で自然も社会も動くのでは、という気配は多くの方々が感じていらっしゃることではないでしょうか。

自然現象。
気候。
宇宙の様子。

あるいは社会的なことを考えみても、最近、成立したことを知った「共通番号制度法案」などは、朝日新聞の、

共通番号法が成立 個人情報93項目、政府が一元管理
 朝日新聞 2013.05.25

のタイトルにある通り、なんと「 93項目の個人情報」をすべて政府に管理されるという、もしかすると世界でも類例のなさそうな管理法令ですが、こういうものも現実に登場し始めようとしています。


「このまま押しつぶされてしまうのではないか」という不安は私などにもあります。


いろいろと書いているのも、そういう不安への対処のひとつという意味もあるのかもしれません。


子どもがいるせいで、自由に動けないのが現状ですが、許されるのなら、山の中にでも逃げこんで、自給自足で暮らしたいというような気持ちなども含めて、確かにいろいろとあります。

しかし、そういうことをするには、現実的で具体的な理由と方法論がないと実行できないですし、そして、そういうことに詳しい人からの意見などもないと実現は不可能で、そういう意味でも、今後、書くだけでなく、何らかの方法で、(私を介さなくてもできる)人々の意見の交流の部分ができることも考えたいです。

ところで、この「山の中へ逃げ込んで云々」ということに関しては、数年前のウェブボットに「ボックス・ライフ」や「飛び地の文明」という概念が出ていて、今度機会があればご紹介したいと思います。あくまで、ウェブボットの主催者の「希望」や「理念」の記述でしかないとは思いますが、今でも私はそのクリフ・ハイという人の書いた「自給自足のハイテクノロジー文明」を夢見ることがあります。



さて、というようなことで、私ごとで長く書いてしまいました。



今回は、ふと最近の出来事で思い出したことを書いてしめたいと思います。




わけのわからん虫たちの時代


先日、

昆虫アルマゲドンの渦中のアメリカ : 南東部では前代未聞のシロアリの大群に見舞われる
 2013年05月25日

という記事を書きました。

タイトルの通りの「ニューオーリンズなど米国の南部がシロアリに占領された」という報道なんですけれど、「今年は虫のニュースが多いなあ」と思います。

3月にはエジプトやイスラエルでのイナゴ(バッタ)の大群の報道がありました。

聖書に記載されているユダヤ教の祭の直前にイスラエルへ向かった3000万のイナゴの大群
 2013年03月05日



▲ 上記の記事より米国タイムの記事。


他にもいろいろとあります。

虫の関係ですので、写真は載せないですが、たとえば、ロシアのモスクワでも得体の知れない虫が大量に発生している報道があります。

奇妙な虫にモスクワが侵略されている
 2013年05月22日


モスクワの中心部そして北西部の歩道で、死んだあるいは瀕死の虫が多数見つかっている。これらは、5月後半モスクワで繁殖した大型の蚊に似た黒い虫で、大量発生した時同様、大量に死んでいる。




「地球上での共生の崩壊」 : 動物のエサになる人間。そして世界の町々は昆虫に占領されて
 2013年05月12日

という記事では、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで前代未聞といえる「ハエ」の大発生が起きていることを書きました。

昨年は北海道・小樽でも何だかわからない虫が大発生していました(記事)。




こういう「得体の知れない虫の大発生の報道の数々」を見ていると、ふと、日月神示の中にある「わけの判らん虫」というフレーズを思い出します。 Wikipedia その他などからの抜粋です。


日月神示 第12巻・夜明けの巻より

天の異変気付と申してあろが 冬の次が春とは限らんと申してあろが。夏雪降ることもあるのざぞ。人民の邪気が凝りて、天にも地にも、わけの判らん虫わくぞ。

訳の判らん病ひどくなって来るのざから、書かしてある御神名分けて取らせよ。
旧九月八日までに何もかも始末しておけよ。心引かれる事 残しておくと、詰らん事で詰らん事になるぞ。もう待たれんことにギリギリになってゐる事判るであろがな。



あくまで日月神示によるとですが、こういうことが続く頃というのは、世の中は「もう待たれんことにギリギリになっている」のだということのようです。

あるいは、この「わけの判らん虫」というフレーズの後にある「夏に雪降る」というほうの現象。

これも現在、欧州の一部やアメリカでは起きていて(まだ夏じゃないですけれど)、例年なら春の行楽シーズンの場所などでも、雪のために観光客たちが戻っていく姿などが報道されています。

下の報道は冬の報道ではなく、つい最近のものです。

winter-europe-2013.jpg

ユーロニュースより、5月24日のフランスの光景。


そして、あくまでも私感ですが、「これらの異変が規模を拡大させていっている」という雰囲気を感じたりするのです。


これらがいわゆるパーフェクトストームと呼ばれるような「人類の環境の大転換」へとつながっていくのかどうかは私にはわからないですが、でも、生きている限りは、地球に住む私たちはその世界の様相を見ていくことになります。


これまで In Deep で取り上げてきたような出来事が今後の出来事と今後かつながるのかどうかということも気になることです。そんなこともあり、過去記事の管理も含めて今後どのようにしていくか、6月までには決められればいいなと思います。



  

2013年05月08日



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fuji.jpg






 


最近、富士山が世界遺産に登録されるということが確実となったニュースを知りました。

ただでさえ最近ドヨンとしていた気持ちがさらに落ち込んだという感じはいたします。

どういう風にこの「ドヨン」とした感じを書けばいいのか・・・。


たとえば・・・どこかの国の、名も知らぬ数十人規模の住む小さな村に「神様」としてまつられている石コロか何かがあるとする。それはその村にずっと精神的な伝承と共に伝えられてきて、それこそ村の守り主であると考えている人々にとっては、世界で何よりもそれが自分たちの生活と存在にとって大事なものであると思います。どんな雄大な世界遺産よりも。

でも、それを「世界」に持っていって、何か世界遺産でも国宝でも何でもいいですけど、それらと並べて、

「さあ、このふたつの価値を決めて下さい」

というようなことになれば、そのどこかの村の神様は「価値のないもの」として人前に晒されることになってしまうと思われます。

そうならないためにはどうすればいいか。
「自分の神様」に辱めを受けさせないためにはどうしたらいいか。

それは「比較させないこと」であり、つまり「関係ない人前に出さない」こと。
それを神様だと思っている人以外の前には決して出さないことかと。



先日、チリの山奥にある「地図に出ていない神秘の赤い湖」というものの記事をご紹介したことがありました。

地図には載っていない「悪魔の血の湖」のあるチリの町には神の名前がつけられて
 宇宙の中の地球と太陽系の記録 2013年05月07日

red-lagoon-chile-1.jpg


red-chile-top.jpg



この場所が地図に載っていない理由は、標高 3700メートルという把握しにくい場所にあるということ以上に、チリのこの村の地元の人たちが「古来から秘密にしてきた」ということがあったようです。

その理由は、「この赤い湖は悪魔の持ち物であり、その水にふれたものには呪いがかかる」という伝承が長く伝えられてきたそうなのです。

多分、「だから、この湖のことは知らせてはいけない」という「外部者への配慮」だったのかもしれません。


しかし、この湖の存在も明らかとなり、上のような観光系サイトにも載り、たとえば、訪れた白人観光客は下のような真似をして写真などを撮っています。


redeath-.jpg


「水にさわると呪いがかかるから」と村の人が隠してくれていたのに。


白人の人たちにしてみれば、「呪いとかプッ、ワロス。( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \」ということなのでしょうか。

まあその考え方はその考え方で合理的で別にいいと思いますけれど、しかし、多分、上の人が自分の国の何か世界遺産のようなものをぼろくそに言われたり上のようなふざけた写真を外国人に撮られれば、烈火のごとく怒りそうです。



いずれにしても、「神様」とか「悪魔」の基準さえも、今では人種とか国境とか言葉とかの壁で区切られてしまっている。

「言葉や歴史などの前提条件がないと崇められないもの」ならば(自然と崇拝したくなるようなものではないものという意味)なら、つまり、他の価値観の人々には理解されにくい「聖なるもの」ならば、隠しておくということでもいいのだと思います。上のチリの人たちのように。

少なくとも、それを神様と思ってはいない人たちに売り渡さない。





世界遺産になった「聖なる山」の行く末

しかし、世界遺産のうちのいくつかは、どうにも、グローバルという名のもとの「白人価値観的支配カルチャー世界」に売り飛ばされてしまった感じがします。

そして、ついに富士山も。

「富士山を神様とも何とも思っていない人たちに『それに神様の価値があるかどうかの判断を委ねる」という、日本の歴史が始まって以来の大惨事となっています。


山というのは、世界各地でその国やその地域での「ご神体」のような存在となっていて、それは「その地にあるから」そうなっているものではあるはずです。そこに見えるから。

以前の記事、

北京の空に現れた「終末の雲」や富士山のレンズ雲から思う世界の7つの「聖なる山」
 2012年06月20日


に出てきたアメリカのシャスタ山などもそうですが、崇められている山にはそれなりの伝説や「精神的な伝承」が存在しますけれど、それは知識としてではなく、「見ているだけでも伝承が生まれるような存在だったから」だとは思います。




▲ シャスタ山のレンズ雲。

世界には「7つの聖なる山」と呼ばれるものがあって、


・シャスタ山 (米国)
・富士山 (日本)
・マチュピチュ (ペルー)
・シナイ山 (エジプト)
・チョモランマ / 英名エベレスト (ネパール)
・キリマンジャロ (タンザニア)
・セドナ (米国)



がそう呼ばれているものですが、世界遺産の登録リストで調べてみますと、上の中で世界遺産になっているものは、

・マチュピチュ
・キリマンジャロ

だけです。

世界的な聖なる山ともいえるシナイ山もチョモランマも世界遺産ではありません。

シナイ山はその麓に建つ聖エカテリニ修道院が世界遺産となっていて、チョモランマは麓のネパールのサガルマータ国立公園が世界遺産となっているようですが、山そのものは世界遺産ではありません。



宗教都市だったとして捉えられているマチュピチュは、便宜上の理由以上に、「外来からの人を遮断したかった」という理由は存在していたであろう古代都市だったはずですが、今では誰でもかれでも観光地としてやってくる。その地域の人じゃない人たちが。その山の神様なんてどうでもいい人たちがどんどやって来る。

どんどん神の領域に土足で入ってくる。


mp.jpg

▲ マチュピチュ。



そういう場所はもはや「神は消えた場所」となっていくはずです。
認識されない背後の神。
自分を好きではない集団から神々は逃げるはずですので。


そこは死んだ場所。
文字通りの廃墟。



そしてそれが未来の富士山の姿になりそうです。


神が消えれば山はただの地質的盛り上がり。


まあ、外国人にとってはその国の神様が消えることなんて関係ないですしね。

実際、アメリカのふたつの聖なる山のシャスタ山もセドナ山も世界遺産ではないです。まあどちらも観光地ではありますけれど。



▲ アメリカのセドナ山。






単一どころか完全なる多様民族 DNA からなる日本の人々


山は過去の地殻変動の証でもあり、たとえば富士山なら、そこに富士山のような山が出来た時の地殻変動と共にその周辺も形成されていき、日本人の住む土地がそこに出来た時期ともリンクする話でもありそうです。なので、山がその土地の固有の神様世界全体の神様ではないということ)であることにはそれほど違和感のある話ではないようにも思います。


もっとも、「日本人」といっても、最近の遺伝子解析で、日本人の根源はまさに「バラバラ」であることが次第にわかってきています。

下の表は、国立科学博物館人類史研究グループ代表の篠田謙一博士という方が書かれた『日本人になった祖先たち』という NHK ブックスからの抜粋です。


dna-j2.jpg

ハプログループという言葉が表に出てきますので、 Wikipedia から抜粋しておきます。


ハプログループ

単一の一塩基多型変異をもつ共通祖先をもつような、よく似たハプロタイプ(生物がもっている単一の染色体上の DNA配列のこと)の集団のことである。



詳しいことはともかく、上の表の意味するところは、「日本人には、それぞれ違う祖先の DNA 配列のグループがこれだけ存在する」ということでもあります。

もちろん日本だけではないですが、日本も、極めて「多祖先民族」であることが DNA 上では非常に明らかになりつつあります。

私などはこれを見て、

「日本人って、DNA を見ると、そのまま世界民族だよなあ」

などと思ってしまうのですが、いずれにしても、


日本人は単一民族なのではなく、八百万(多数)からなる民族

というように、日本の神様と同じように考えたほうが合理的な感じがします。


そのような本来はバラバラな DNA を持つ人類同士の大きな接点が、日本語という五音の母音のみからなる類い希なる無駄のない言語であり、また、他の国の人たちが食べ物として見ないような、海の海草や土の中の根っこを食べてきた特異な食べ物文化の下、少しずつ「日本人という価値観」ができあがってきたのだと思います。

「はじめに言葉があった」というたとえを出さなくても、言語はある程度、その言語集団の性質を決める部分はあるように私は思っています。そして日本語というのはいろいろな意味で貴重な言語だと思います。基本的にはその言葉の下での価値観で人間性が培われてきた。

国家の引いた国境だとか権益だとか、そういうものとは関係なく、日本人は存在したはず。


でも、この 1500年間で消え続けてきたその「日本人」という概念の最終的な最後がやってきたような気も最近はして、それで最近の私は落ち込んでいるのかもしれません。

ちなみに上にある「 1500年前」というのは、西暦535年を境にして、日本に外国文化が流入してきた時のことで、過去記事の、

ウイルスの流入の繰り返しでDNAの進化をなし得てきた人類をサポートする「宇宙と火山」(2)
 2012年09月24日

に少しふれています。

リチャード・キースという英国の作家が、著作で、


五三〇年代に気象異変と伝染病をきっかけとして始まった動きは、ここに完了した。日本の七世紀初頭は、六世紀初頭とはまったく様相を異にしていた。古代日本は消え去り、近代日本の原型が生まれたのだ。今日の日本という国の起源ははるか昔の、悲劇の六世紀にあったのだ。



と、今から1500年前に、日本から「神が消えていく最初の段階」がありました。

下はその頃の歴史表です。



▲ リチャード・キース『カタストロフィー(原題)』より。


そして、その完成は今なんだと思います。

神というものが何かなど私は知らないですが、何らかを象徴とするならば、それは「そのあたりの木や草や空気すべてが神」という日本ならではの「どこにでもいる大勢の神様」と共に、形としての象徴として「山」や「木」などがあったように思います。

富士山というのも、そのうちのひとつだったはず。

でも、今、その富士山は外国のものになってしまいました。
外国人に優劣を判断させることになってしまったという意味


以前の記事の、

活動を始めない太陽とそこから思い出すウェブボットの「太陽の病気」の記述
2012年05月16日

の中で、あるいは他の記事などでも、


富士山はその構造、爆発指数、記録上の過去の噴火の点で、「危険な火山ではない」ことを私たちは認識するべきです。

富士山は「概念として日本を守っている山」として、つまり、日本の象徴としてのものであるということを意識的に私たち日本人は認識するべきです。富士山が日本人を苦しめる火山であるはずがないと私は思っています。




というようなことを書きましたが、もはやこう言い切る自信はなくなりました


日本から神様が消える前に起きてほしいこともありますけれど、なんだかいろいろと無理っぽい気はします。



最近、こちらに書かれてある、20世紀のスイスの神学者のカール・バルトさんが「ロマ書」というものに記していたという、


「終末にキリストが地上の裁きのために天国から降りてくるという再臨が『遅延する』ということについて・・・その内容から言っても少しも『現れる』はずのないものが、どうして遅延などするだろうか。

・・・再臨が『遅延』しているのではなく、我々の覚醒が遅延しているのである。終末は既に神によってもたらされている」


という言葉を再び思い出します。


私たちはこの 2000年、単に「終末後の世界を生きてきた」というだけなのかもしれません。

もう(見た目や感覚では)この世は何も変わらない。
変わることができるとしたら、個人の中での変化だけなのかもしれません。




  

2013年05月04日



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そして目にした英国オックスフォード大学の最新の「悪魔憑き」の調査研究論文

jesus-007.jpg






 


映画から行き着いた「ルカによる福音書」でのキリスト


最近は過去の思い出の中で引っかかっているものを再確認したりすることが多いのですが、ほとんど生産的なことをしてこなかった人生なので、思い出すといっても映画とか音楽とかそんな類いばかりなんですが、最近ふと気になっていたものにエクソシスト3という映画があります。

大ヒットした 1973年の『エクソシスト』の正式な続編で(エクソシスト2は関係ない映画)、エクソシストの原作者でもある人が脚本を書いて監督をした映画で、下のような話です。

exorcist3.png


20年以上前に見た記憶があるのですが、完全に内容を忘れていたんですよ。それで、先日どうしても見たくなって探すと、メディアはすべて廃盤。

しかも、 DVD などは Amazon でも楽天でもヤフオクでも1万円を超えるプレミア状態となっていて、中古としては購入するのに躊躇する価格となっていました。 Amazon の中古市場では最低価格でも 12,000円からで、最高価格は 34,000円という異常なプレミアになっています。再販すりゃいいのに。


DVD はあきらめて、レンタル落ちの VHS ビデオ版を探し出して購入しました。

改めて見てみると、なるほどプレミアがつくのもわかるほど強烈な映画で、20世紀 FOX 配給の純然たるハリウッド映画にも関わらず、たぐい希なカルトムービーの仕上げとなっています。

内容自体が強烈で、視覚的な部分を抑えている分、台詞がキツく、人によっては精神的にこたえる映画です。

主演は天下の名俳優で私の最も好きな俳優のひとりであるジョージ・C・スコット。しかも、彼の晩年の映画のひとつ。


まあしかし、映画の内容そのものはどうでもいいのですが、この「エクソシスト3」という映画、どうも直接的には描いていないのですが、作者は、

「現代の社会では、すでに神と悪魔の" 実際の戦い" が始まっており、そして悪魔が勝つ寸前にいる」

ということを言いたい作品のようにも見えます。


映画の中で主人公の刑事が、殺人事件の現場で見つけた「聖書で焼かれている部分」に着目して、そこを家の聖書で読み直す場面があります。

そこは映画ではこのような台詞です。


イエスは悪霊の取りついた男の名を聞かれた。
その者は答えて言った。
レギオン・・・大勢だから・・・。


この「大勢」( many )の言葉で、主人公の刑事の読書は止まります。

marco-8.jpg


悪魔は彼だけではなく、「大勢に取り憑いている」と、このレギオンという人(複数の存在)は、イエスに言ったということが聖書に書かれているようです。

私は、

「この流れだと、イエスがこのまま悪魔払いに進みそうだな」

と思って、この記述のある聖書の該当部分を探してみました。

すると、これは新約聖書のルカによる福音書 8章26節から始まる場面であることがわかりました。


ルカによる福音書 / 8章 26節-36節


一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。

イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」

イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。

この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。

イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。

そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。

ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。



確かにキリストは聖書の中で悪魔払いをやっていることを知りましたが、調べると、この悪霊の下りは聖書の他のセクションにも多く出てくるようで、Wikipedia のレギオンを引くと、下のようにありました。


レギオン

ローマ軍団のこと。以降、レギオンは軍団を表す言葉となった。

・マルコによる福音書第5章に登場する悪霊。この悪霊に取りつかれた男は墓場に住み、裸で歩き回って昼も夜も大声で叫びながら自分の体を石で切りつけ、鎖や足かせも引きちぎるほどの力を持っていた。その男から出た後、二千頭ほどの豚の群れに取りつき、豚は突進して断崖から落ち、溺れ死んでしまった。



つまり、「レギオン」というのは個人の名前ではなく、「たくさんの人による集団」という意味のようです。

そのくらいの人々に悪魔がとりついている。

エクソシスト3はこのことを述べていた映画のように思います


legion-jesus.jpg

▲ 自らを「レギオン」(大勢の人物)と名乗る男に悪魔払いをするイエス・キリスト。 Pictures from Children's Bible Story Books (子どものための聖書のストーリー) より

聖書でも映画でも、

この世は何万何百万も悪魔に取り憑かれている

ということのようでした。

悪魔だらけの世の中。
そこに私たちは住んでいる。


しかし、なぜか「ああ、なんか世の中そんな感じだよなあ」とむしろ納得してしまいまして、最近の世の中を見ていて、やや絶望していた私ですが、むしろ、

「あー、悪魔か」

と、今のこの世が奇妙であることに納得できたことで、逆にむしろ元気が出てきて(笑)、「エクソシスト3」を見てから精神的にやや復調しました。

だって、正気の人ばかりが作っている世界にしては、どうも実際のこの世の中、狂っていると思わないですか?

最近そう思って落ち込んでいたので。

正気じゃなくて悪魔だったんだ。
みんな。

あるいは(ほぼ)全員かも。





続けて目にしたオックスフォード大学の論文


偶然というのは続くもので、映画を見た後、ふと目にした米国のブログの最新記事に、「悪魔憑きに関してのオックスフォード大学の論文」の記事がありました。


オックスフォード大学は英語圏では最古の大学である名門中の名門ですが、悪魔憑きについても長年研究しているチームがあるようです。論文自体は 2008年のものですが、概要を要約していたものをご紹介します。


このオックスフォード大学の報告に感心したところは、なんとなく科学機関というのはこういうものをすべて「精神医学的なもの」と最初から決めてから調査に入りそうな感じがしますが、そのような前提条件を持たずにおこなっており、また観察の現場には医療チームと科学者だけではなく、司祭や修道院の女性たちも同室で観察させ、結果として、

「これは精神的なものではなく、明らかに悪魔憑きである」と、科学的な結論に達した

という、ある意味ではすごいレポートです。

正しいとか正しくないではなく、「前提条件なしで物事を調べる」ということは科学の基本というような気もしますので、さすがだなと思った次第です。なんとなくですが、現代の多くの科学機関では、エクソシズムなどに関しても、「最初から精神疾患」という前提で調査を始めそうで、「どのような精神疾患か」ということを突き止めることに終始しそうな気がします。


確かに多くが精神的な問題であることは事実でしょうけれど「前提をつけた研究(物理や化学の基本の理論から逸れないように結果を出すように最初から決めておこなうこと)」というものが科学をダメにしたと思っているので、白紙の状態から考えるのはいいなと。


いや、なんかもう実に、今は真面目に「悪魔」っぽい世相だと感じるのですよ。


そんなわけで、ここからオックスフォード大学の「悪魔の報告」の概要です。





Possession: Evil Is Still Evil
Phantoms and Monsters 2013.05.03

引用:
A Case of Demonic Possession
オックスフォード・レビュー (英国) 2008.03


悪魔憑きの事例


精神疾患の境界を判定する精神科医とニューヨーク医科大学の臨床精神医学の准教授により、あるひとりのアメリカ人女性が明らかに悪魔に取り憑かれていると判定された。

彼女は、研究チームの観察の中で空中浮揚をおこない、未知の言語を話した。

彼女の本名は明かされていないが(ここではジュリアと記す)、悪魔的な団体と長い期間関与していた経歴を持つ人物だった。

彼女は、医師と精神医学者たちによる医療団と、さらにキリスト教の司祭、司祭助手、そして修道院から派遣された女性たち、そして何人かの一般のアシスタントたちによって作られたチームでその行動が観察された。アシスタントたちも何人かが精神医学に関しての専門の訓練の経験を持つ。

観察結果は、同室でその経過を観察したリチャード・E・ギャラガー( Richard E. Gallagher )博士によって、オックスフォード大学の発行するオックスフォードレビューに記された。

以下はその観察記録からの抜粋だ。

ギャラガー博士は以下のように記述している。

「私たちがいる中、ジュリアは定期的にトランス状態に入る。精神的に問題を抱えた人々は、しばしば (精神的な)" 解離 " に直面する。しかし、ジュリアのトランス状態には異常な現象が伴っていた。彼女がトランス状態に入ると、彼女の口から様々な脅しや卑猥な言葉、そして嘲りの言葉が出てくる」。

「たとえば、『この女を放っておけ!』 というような言葉を叫んだり、『お前たちは馬鹿だ!』と言ったかと思うと、『このジュリアはこの俺だ』と呻いたり、(同室にいる司祭に)『その間抜けな司祭を部屋から追い出せ!』と叫ぶ」。

「特筆すべきは、その声が明らかにジュリア本人の声とは違うということだ。しかもその声は様々に変化する。時には甲高い声でささやき、時には、低く響き渡る。トランス状態に入っている時、あるいはエクソシズムを受けている時の彼女の言葉の内容は、宗教と聖なるものを誹謗中傷するものだった」。


そして、ギャラガー博士によると、この女性は、トランス状態から回復した時には上のようなことを話した記憶がまったくない。

さらにギャラガー博士の記述は続く。


「時々、ジュリアの周りにある物が棚から飛んでいく。これらは、超心理学者たちの間では、念力的なサイコキネシスという希な現象として知られている。また、ジュリアはトランス状態の時に、彼女の知識をはるかに越えていると思われる事実や現象についても言及した」。

「彼女は私たちから知らされていない、あるいは彼女が知るはずもない多くの事実をトランス中に口にした。私たち観察メンバーのチームの親族関係、世帯構成、家族の死亡や病気に関する情報などを口にする。しかも、たとえば、『どのような種類の癌でどのように亡くなった』などの、ほぼ知り得ることが不可能なような情報も話した。さらには、観察チームのメンバーの家で昨晩起きたことすら知っていた」。


ジュリアは、悪魔払いの儀式(エクソシズム)をカトリック教会に要請した。
彼女は、自分が悪魔からの攻撃を受けていることを確信したのだ。

悪魔払いの場にもギャラガー博士は同席した。
その状況を以下のように記述している。


「エクソシズムは、6月のある暖かい日に始まった。とても暖かい日だったが、儀式の行われた部屋は明らかに寒かった。ところが、ジュリア(の内部にいる者)が口から奇妙な音と共に蒸気のように見えるものを噴出した。その場にいた者たちはその蒸気から耐えがたい熱を感じ、メンバーたちは汗を噴いた」。

「ジュリアは最初、静かにトランス状態に入っていった。しかし、カトリック式の儀式と祈りの呼び出しが続く中で、次第に、ジュリアから複数の音や声が聞こえてきた。大声で呻る動物のような音や人間の声と思われる音がまとめてジュリアから発せられた。人間の声はラテン語とスペイン語で話した。さらに、私たちの知らない未知の言語でも話した。ちなみに、ふだんのジュリアは英語しか話すことができない」。

「その声は非常に攻撃的で、聖なるものを冒瀆した内容で、また卑猥な言葉や猥褻な言葉を話し続けた。そして、同席している者たちすべてに脅しをかけた。また、『ジュリアを放っておけ!』と何度も叫び、修道院の女性たちにも卑猥な言葉を浴びせ続けた」。

「そして、トランス状態のジュリアはその力も強大だった。暴れる彼女を押さえつけるためには、修道院の女性たちが3人がかりでも難しかった。そして、驚くべきことには、ジュリアは約 30分間のあいだ、空中に浮かんだのだ。高さは彼女の足の半分程度の高さだった」。

ギャラガー博士はこの観察と論文を記述した理由について、

「現代社会での明らかな悪魔憑きの事例を文書化しておくため」

だとする。そして、このような現象に懐疑的な人たちのためにも説得力のある文書を残しておきたいと考えたという。

「悪魔憑きの事例は非常に希だ。しかし、いわゆる『抑圧』と『侵入』はそれほど希なことではない。そして、この場合は正確にそれを識別することは困難だ」と、ギャラガー博士は述べた。





ここまでです。

小説でも読んでいるような気分になりますが、これはれっきとしたオックスフォード大学の研究論文からの抜粋です。

それにしても、ジュリアさんのトランス中の状態の描写が映画「エクソシスト」の描写そのものなのは面白いですね。「エクソシスト」の原作は小説として 1971年に出版されたもので、上のオックスフォード大学の論文は 2008年のものです。

もっとも小説「エクソシスト」自体が、 Wikipedia によりますと、

> メリーランド悪魔憑依事件をもとにした

と書かれているので、「メリーランド悪魔憑依事件」という事件があり、ある程度はその実話がベースになっている小説だったようです。どうも、この「メリーランド悪魔憑依事件」というもの自体、かなりあやふやな話らしいのですが、それでもこれだけ共通項が多いのは興味深いです。

なお、過去記事の、

米国ボルチモアで聖職者相手に開始されたエクソシズム(悪魔払い)の儀式のレッスン
 2011年01月11日

という記事に以下のような記述があります。


悪魔に取り憑かれた際に現れる重要な4つの徴候は、この何世紀もの間、一貫している。

それは、神聖なシンボルまたは、神聖な祈りに対する暴力的な反応とと共に、彼らは、説明のつかない能力を示すことがある。
例えば、通常では考えられない腕力などの力。

また、その人がそれまでには知らなかったような未知の言語を話したり、あるいは理解する。あるいはその人が知りようがないような知識。



なお、最近はあまり書いていませんが、In Deep の過去記事には「エクソシズムと悪魔憑き関係」の記事が、わりとたくさんあります。多くは「悪魔の輪郭」というカテゴリーにあります。

そのカテゴリーからいくつか記事をリンクしておきます。

「悪魔の聖書」ギガス写本の調査が本格化している
 2011年01月03日

災害現場の空に浮かび上がる「欠けた五芒星」と、完全に廃虚と化したコロンビアの町
 2011年01月23日

ジャマイカの著名高校で生徒が次々と悪魔に取り憑かれたという報道
 2011年02月02日

などです。