「資料、年輪、考古学資料のすべてが6世紀中期は、異常な悪天候に見舞われた時期だったことを指し示している。日光は薄暗くなり、地球に届く太陽熱は減少し、干ばつ、洪水、砂嵐が起こり、季節外れの雪と特大のひょうが降った」 (ディヴィッド・キース『西暦 535年の大噴火』) 地磁気と地球の生物
先日の、
・
「真実の太陽の時代」がやってくる(1):私たち人類は何もかも太陽活動に牛耳られている 2013年07月11日という記事に『太陽活動と景気』という著作からグラフや一部の内容などをご紹介しました。
太陽活動が、人間活動の多くと関係していることを示したもので、 20世紀初頭のロシアで「
太陽生物学」という学問を創設したチジェフスキー博士の活動などにもふれられています。チジェフスキー博士は下のような結論に達していたようです。
太陽の影響力は、個体から群生に至る生物系のすべての組織レベルにおよんでいる。
地球上のあらゆる生物の発達は、太陽宇宙因子の直接的影響下に進んだものであり、人類もその例外ではない。
チジェフスキー博士などの場合は、黒点数などから見る太陽活動から調べたものでした。
その一方、黒点数による太陽活動の他にも、太陽は CME (太陽からのコロナの質量放出)や、あるいはコロナホールなどからの太陽風とか太陽嵐などと呼ばれるものによって、地磁気などの「磁場」や「磁気」といったものの影響を地球に与えるわけですけれど、私は以前から、個人的に「
この地磁気がどうもあるものと関係しているのではないか」と思い続けていました。
ヒトを心身共に攪乱する地磁気▲ 太陽と地磁気の関係についての一般的な説明。地磁気観測所より。うちの奥さんは、数年前から介護と関わっていて、日々、多くのご老人たちと会うのですが、私は私で数年前から太陽に興味を持って、太陽フレアとか CME とか地磁気などのことについて、
NICT 宇宙天気情報だとか、
スペースウェザーなどで、日々の太陽の活動などを見ていました。
そして、奥さんの話す「その日のご老人たちの様子」の話を何度か聞いているうちに、
「磁気と人間の健康(心も体も両方)は関係あるのではないか」と何となく思うようになっていました。
ご老人たちが倒れたり、入院したり、あるいは精神的に不安定だったり、といった話を聞いた時には、地球の地磁気が乱れていたり高かったりしていた時が多かったということがあるのです。
とはいえ、「そんなこと(地磁気と人間の健康と関係あること)は気のせいだろうなあ」と思っていたのですが、
前述した『太陽活動と景気』に出ていたデータでは、「気のせいでもなさそう」ということが言えそうなのです。
下のグラフは、スリーヴァスターヴァという人物が、1979年に二つの病院に入院した 5000件の救急心臓症例と毎日の地磁気活動を 6年間分比較したものです。
▲ 『太陽活動と景気』より。オリジナルの出典元はH・J・アイゼンク&D・K・B・ナイアス著『占星術 - 科学か迷信か』(1986年)。さらに、少し違うものですが、地磁気と感染症について、下のようなグラフもあります。
▲ オリジナルの出典元は、前田担著『生物は磁気を感じるか』(1985年)。データの期間が長くないですので、地磁気以外の要因も考えられるかもしれないとはいえ、
ここまで見事な相関グラフを描かれると、「何の関係もない」とは言いにくい部分はありそうです。
このあたりのことについて、『太陽活動と景気』から、その部分を抜粋します。
文中の「図 6-4」というのは上の「磁気活動と入院数」のグラフです。
第6章 太陽活動と人間の生理 「太陽活動と健康・精神」より抜粋
フランスの医師サルドゥーと天文学者ヴァロの二人は 267日間の期間をとり、心筋梗塞や卒中発作などが、黒点が太陽の中央子午線を通過したときに 84パーセントの確率で起こることを明らかにした。
マリンとスリーヴァスターヴァは、 1979年、こうした線に沿って、より長期間のデータでの分析を行った。
彼らは、 1967年から 1972年の6年間にわたって、二つの病院に入院した 5000件の救急心臓症例を、毎日の地磁気活動指標と関係づけた。季節調整済で月次データの比較を行った結果、彼らは、相関係数 0.4から 0.8の範囲の有意な相関を見いだした。図 6-4 は、その全般的結果を示したものである。
二人のドイツ人研究者、B・デュールとT・デュールは、 50年ほど前に、黒点、磁気嵐オーロラといった太陽活動と人間の自殺との関係について、太陽活動が特に活発な日には自殺が約 8パーセント増加することを見いだした。
1963年、アメリカの整形外科医R・ベッカーは、精神病院への入院が太陽フレアと相関していることを見いだした。後に彼は、地磁気の乱れと入院中の精神患者の行動の乱れとの間に、相関を見いだした。さらに、磁場や宇宙線の放射量が変化すると、患者の反応時間や課題遂行にも影響があらわれることを報告した。
中枢及び末梢神経系への地磁気の効果としては、精神病や神経反応との関係が調べられている。太陽活動や地磁気撹乱は、ヒトの精神活動を乱すことが知られており、精神分裂病の患者数は、約 10年の周期的変化を繰り返していることがわかっている。
これを読んで、「なるほど・・・」という思いがあります。
最近どうも世の中の出来事やヒトのすることが「くるっている」・・・というような感じを抱いていて、そのことについて書くことなどもありましたけれど、「
太陽活動や地磁気撹乱は、ヒトの精神活動を乱すことが知られており」ということらしく、太陽活動最大期というものは「たくさんの人々がおかしくなって当たり前」というようなことも言える時期なのかもしれません。。
また、
現在の太陽は「磁極が多極化」していますが、こういう現象は、少なくとも過去長くなかったことだと思いますので、「これまでとは違う太陽からの磁気の影響を私たち人類も、あらゆる動植物たちも受けている」のかもしれないようにも思います。
▲ 過去記事 「奇妙な太陽のポールシフトは太陽系全体に影響を与えるか?: 国立天文台が発表した4極化する太陽磁場」より。Sponsored Link
私たち人間もまた磁場を持つところで、上で抜粋した章の後半に、下のような記述があります。
地磁気と生物との関係を考えてみれば、生物固有の「生体磁場」にも目を向けるべきかもしれない。
実際、麦などの植物の種子にも、数ガンマの磁場が発見されているが、最近では、ヒトにも磁場が存在すると考えられている。
とのことで、磁場はこの地球に生きている生物や、あるいは
私たち人間自身にも存在しているということのようです。
これに関しては、TDK マガジンの「
生体磁気を観測する」というページに、
科学的解明が進んでいない生体磁気は、DNAの塩基配列とともに、解読が待たれる人体最後のヒエログリフ(神聖文字)ともいえる。
というようなことが書かれていました。
簡単にいうと、
「地球も太陽も人類も、とにかくこの宇宙にあるあらゆるものは自分の磁場を持っている」ということが言えるのかもしれず、それは多分、相互に影響し合っているものなのだと思われます。
この「宇宙と人間の磁場による相互作用」というのは、どうもオカルト方面ではなく、わりと正当な科学のほうでそのうち解決していきそうな感じの問題のようにも思います。
ここまで書いていたことはタイトルとあまり関係ないのですけれど、ここから少し関係します。
上のような「
病気と太陽の関係」の相関図をみているうちに、以前、記事にしたことがある「西暦 535年から起きたこと」にも、太陽活動が関係していたのではないかと感じたりしたのです。
過去 2000年の中で最大の天変地異と社会的な危機に見舞われた6世紀と現在の時代の比較
デイヴィッド・キーズという英国のジャーナリストが書いた「
カタストロフィー」(邦題『西暦535年の大噴火』)という著作があるのですが、その中には6世紀に全世界で発生した異常気象、そしてやはりほぼ全世界で流行した伝染病の原因が研究されています。
著者は、
「 535年に何らかの大災害が起き、それによって世界全体でその後の数年から十数年、深刻な気象変動が発生した」
と考えるに至り、その原因として考えられる3つの要因として、
・インドネシアのクラカタウ火山の大噴火
・小惑星の衝突
・彗星の衝突のどれかが起きた可能性を上げて、そして、この中ではクラカタウ火山の大噴火の可能性が最も高いのではないかとする内容でした。
それらについては、過去記事の、
・
西暦 541年の東ローマ帝国でのペスト襲来に関してのヨーアンネースの記録 2012年09月20日・
ウイルスの流入の繰り返しでDNAの進化をなし得てきた人類をサポートする「宇宙と火山」 2012年09月23日などに記したことがあります。そして、最近、『太陽活動と景気』にあるグラフを見ているうちに、
6世紀の感染症の大流行にも太陽活動が関係していたのではないかという気がしたのです。
ちなみに、西暦 535年から 536年のあいだの1年間というのは、当時の歴史家の記述によると下のような状態だったようです。
歴史家プロコピオスの西暦 536年の記述より
昼の太陽は暗くなり、そして夜の月も暗くなった。太陽はいつもの光を失い、青っぽくなっている。われわれは、正午になっても自分の影ができないので驚愕している。太陽の熱は次第に弱まり、ふだんなら一時的な日食の時にしか起こらないような現象が、ほぼ丸一年続いてしまった。月も同様で、たとえ満月でもいつもの輝きはない。
この「太陽が暗くなった原因」というものが、本当にひとつの国での火山噴火だけで説明できるのだろうかという気は以前からしていました。そして、火山噴火の影響による災害が、干ばつから洪水から、あるいは伝染病の世界的な流行にまで及ぶものだろうかとも思います。
それはともかくとしても、この後、6世紀にはほぼ全世界を異常気象と、伝染病の大流行が覆います。ヨーロッパの各地ではペストの大流行があり、アジアでも天然痘と思われる病気の猛威が吹き荒れました。
日本でも 530年代に発生した天然痘だと考えられる大流行は大変なものだったようで、デイヴィッド・キーズの著作には以下のような描写があります。
『西暦 535年の大噴火』より
異常事態が起こった。ひどい伝染病(おそらく天然痘)が日本で発生したのである。多くの人びとが亡くなった。日本では何世代も前から天然痘が流行したことはなかったので、免疫もほとんどなかったに違いない。
「国に疫病がはやり、人民に若死にする者が多かった。それが長く続いて、手だてがなかった」と『日本書記』には書いてある。
伝染病が流行した地域は、おそらく人口密度の高い地域だったのだろう。そうした地域では、人口の六割が死亡したと推定される。とくに被害に大きかった地域では、住民の九割が罹患し、生き残れたのは三割だけだったと思われる。
記録に残る上では、日本でこのような激しい伝染病の惨禍は、その後は1918年のスペイン風邪の流行までなかったのではないかという気もします。
上でふれました『太陽活動と景気』の中にある下のような「病気と地磁気の関係」
を見ますと、当時、確かに火山の噴火、あるいは彗星などの衝突など何かの大きな自然災害があったとは思いますが、同時に、
太陽活動にも何か極めて異常な磁気活動が起きていたのではないかという気もするのです。
太陽活動の観測が始まったのは 1600年代ですので、6世紀の太陽活動の状態を知ることは無理っぽいですが、535年からの数十年間というのは、世界中が混沌とした時代だったことは明らかで、それも、経済や戦争などの方面の混沌ではなく、
・天変地異と異常気象
・病気の流行なのですが、どうも読み直してみると、
当時の時代と、ごく最近の時代が「起きていることが似ているような気がする」のです。
ただまあ、それは私だけがそう感じただけかもしれませんので、上記したデイヴィッド・キースの著作から当時の世界の自然現象をまとめた部分からアジアを中心として、かなり飛ばし飛ばしですが、抜粋してみたいと思います。
6世紀中期の気象異変デイヴィッド・キース著『西暦 535年の大噴火』 第9章「いったい何が起きたのか」より「太陽から合図があったが、あのような合図は、いままでに見たこともないし、報告されたこともない。太陽が暗くなり、その暗さが1年半も続いたのだ。太陽は毎日4時間くらいし照らなかった。照ったといっても、実にかすかだった。人々は太陽が以前のように輝くことは2度とないのではと恐れた」
これは、わが地球が 535年から 536年に遭遇した運命について、6世紀の歴史家で優れた教会指導者だった「エフェソスのヨーアンネース」が書いた言葉である。この終末論的な文章は、彼の偉大な歴史書『教会史』第二巻に収載されている。
(中略)
異常現象は、地球の反対側でも記録されていた。『日本書紀』によれば、天皇は詔の中で飢餓と寒さを憂えていた。
中国でもこの天災は年代記に詳述されている。 535年に、中国北部で大干ばつが生じた。『北史』はこう伝えている。「干ばつのため勅令が下された。『首都長安とすべての州以下各地域にいたるまで、死体は埋葬すべし』という内容だった」
この干ばつはすぐさま厳しさを増し、通常なら豊穣ないし、ある程度豊穣な耕地が何十万、何百万平方キロメートルも干上がってしまった。資料は、大規模な砂嵐が猛威を奮い始めたことを記している。
すなわち、 535年の 11月 11日から 12月 9日、南朝の首都だった南京に、空から砂ぼこりが大量に舞い降りてきたのだ。「黄色い塵が雪のように降ってきた」
『北史』によれば、干ばつの悪化に伴い、中国中部の陝西(せんせい)地方では 536年に人口の7〜8割が死亡した。人々は人肉を食べざるを得なかった。
何ヶ月か経過するうちに、天候はますます奇妙になってきた。『北史』の記述によると、 536年 9月には中国北部の各地でひょうが降り、「大変な飢饉になった」。
537年 3月になると、中国北部の9つの地域であられが降り、干ばつが発生した。538年に入ると干ばつは終焉を告げたが、気象異変は依然として続き、今度は大洪水が何度も発生した。この年の夏には「カエルは樹の上から鳴いていた」と記されている。車軸を流すような豪雨だったのだ。
朝鮮半島でも事態は急を告げていた、 535年から 542年は、前後 90年間( 510- 600年)で最悪の天候が続いたと記録されている。
6世紀中期の気象異変は、アメリカにも、ロシアの草原地帯にも、ヨーロッパ西部にも、そして、その他の地域にも影響を及ぼした。だが多くの地域は記録を残していない。
(中略)
ほかにも、6世紀中期の気象異変を伝える資料としては、年代的にそれほど精密とは言いがたいが、川の氾濫、湖面の高さ、そして考古学的調査結果がある。特に劇的だったのは、現在の南米コロンビアのサン・ホルヘ川流域の低地の調査で、それによると、過去 3300年間で洪水時の水位が最低だったのは6世紀中期だった。
さらには、メキシコのテオティワカンの人間の骸骨は、6世紀中期から末期に大飢饉がこの都市を襲い、その直後にこの都市が滅亡したことを強烈に示唆している。
ペルーでは、考古学的な証拠が6世紀の異常事態を示していた。つまり、ナスカ文化が地下水路を必死に建設した事実である。
アラビア半島のイエメンでは、540年代に巨大ダムが大洪水で決壊した。
(中略)
資料と年輪、それに考古学資料のすべてが「6世紀中期は、異常な悪天候に見舞われた時期だった」ことを指し示している。日光は薄暗くなり、地球に届く太陽熱は減少し、干ばつ、洪水、砂嵐が起こり、季節外れの雪と特大のひょうが降った。
ここまでです。
この中に出てくる「干ばつ」、「洪水」、「豪雨」、「ひょう」、「砂の嵐」など、他の様々も含めて、あまりにも激しい自然の異常現象は今の地球がリアルタイムで経験していることであることは事実です。それに関して「似ている」と感じた次第なのですが、ただし、
まだ起きていないことがあります。
それはまだ、「太陽は暗くなっていない」という事実です。
西暦 535年に太陽が暗くなった原因はわかっていませんが、私たちも「暗い太陽」というのを見ることになるのかどうなのか。