▲ 9月 16日の夕方、自宅から見えた富士山とそれを取り囲む夕焼けのイメージです。--
台風が来る前の
気圧の変化でKOしたことを書いた記事で、「気圧の変化に弱い」というようなことを書いていたのですが、今日も体調が今ひとつで、久しぶりに病人ばりに昼間寝ていたりしました。午後から元気になりましたけれど。
とにかく、上の記事を書いた日には、頭が締め付けられるというか・・・いや、むしろ「頭に体中の血液が集まってきて爆発しそうになる」というような感覚というのか、もうアレですよ。 1981年のカナダ映画「
スキャナーズ」のような頭ドカーン!というような圧迫感に見舞われたりしていました(なんだかよくわからない比喩ですみません)。
今は数年前とは違う世界昨日(台風が通過した 9月 16日)は「それにしても、あれだけ体感が悪いってどんなのが来てる?」とも思い、ふだん見ないテレビのニュースを朝から見ていました。
ちょうど、テレビをつけた頃は、京都の嵐山の浸水が始まっている頃でした。
うちの奥さんは子どもの頃、京都で長く過ごして、京都には今でも愛着があるらしいのですが、浸水している嵐山の姿を見て非常に驚いていました。
わたし 「ここってこんな大きな川があるし、浸水とかありそうだけどね」
奥さん 「ないない。私が知る限り、嵐山がこんなになったの聞いたことない」
と言っておりました。
実際、ニュースを見てみましても、
「こんなの記憶にない」京都・嵐山、紅葉シーズン前に大打撃産経ニュース 2013.09.16台風18号による大雨で、京都有数の観光名所として知られる京都市右京区の嵐山を濁流が襲った。付近の桂川が一部で氾濫。渦巻く流れは、中洲にある売店を軒並み水没させ、ランドマークの渡月橋の欄干すれすれまで迫った。
(中略)近くに住む男性は「40年以上この辺りに住んでいるが、こんな増水は記憶にない」と話した。
とあり、ほとんどないことだったようです。
川の増水の始まりから洪水となるまでの時間を見ても、「考えられないほどの量の雨が非常に短時間のあいだに降った」ということなんだと思いますけれど、これは、前回の、
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世界でさらに拡大し続ける黙示録的な洪水 : 今や「神話」を越えつつある現実の世界 2013年09月15日にも書きましたけれど、何だかこういう
本来ならあり得ないような豪雨が「標準化してきている」というような凄さを感じます。
まあ・・・最近ずっと感じているんですけれど、やっばり、本当に私たちは、「ちょっと前までとは違う世界に住んでいる」ということは思います。
すべてのことが今までと同じような日常の中で過ぎていくので、あまり気付かないと思うのですけれど、たとえば、震災のあった 2011年の「前」と「後」だけでも、天候や環境はもちろん現在のように変化しているのですけど、それ以上に、「人の心が大きく変わった」か、あるいは、「それぞれの方向にわかれていっている」というようにも思います。
よく言われるように「2つの世界に別れていっている」というような単純なことは思いませんが、しかし、それでも確かに方向性として、
今の人類は「自分たちが生きている世の中の考え方」について、2つとか3つくらいの大きな「それぞれの方向」に向かって動いているように感じます。
それぞれが、「どういう方向に進もうとしているのか」ということに関しては、うまく説明する言葉を持たないですが、この「それぞれの違う方向に向かう人々の集団」は、
何か大きな出来事が起きるたびに、さらにその方向への考え方を強くしていっているように感じます。
そして、それぞれの人々の考えは、「お互いにほぼ完全に理解も許容もできない」ようなレベルにまで溝は広がっているようにも思います。
私自身も、最近は今の世の中に暮らしていることに対しての
違和感は限界に近づいてきていることを感じますが、しかし、今は子どもなどもいる以上、あっさりあの世へとバイバイ・・・などという行動がとれるわけでもないですし、現実の社会との和解点を探そうとしているけれども、以前と違って、もうそれを見つけることが不可能になりつつあります。
今後、さらに自然や環境、あるいは社会に大きな出来事が起きれば、考え方の違う人々の間の許容点はさらに小さくなり、普通に同じ社会に住んでいても、
要するに、「ふたつの別の世界」のような生き方にさえならざるを得ないようにも思います。
私はもともといろんなことを信じない人ですけれど、今は最も基本的なことである「自分が生きている世の中」というものとの接点を信じづらくなっているということはあります。しかし、そのあたりのことは、ウダウダと書いても仕方ないですので・・・。
風の意味や雨の意味ところで、タイトルの「真っ赤な空の中の真っ黒の富士山」の話のほうですが、昨日 9月 16日に台風が去った後、夕暮れころの時間に、私の部屋に奥さんがきて、
「富士山がすごくはっきり見えてるよ」と言うので、ベランダに見に行きました。
何しろ、今年は夏の間、まったく富士山が見えることがなかったのです。
植物の世話があるので、ベランダには毎日出ますが、今年は7月くらいから富士山が見えたことが多分まったくといっていいほどなかったと思います。
昨年は、9月の頭の記事「
大出血のような太陽フレアと真っ赤な富士山上空を眺めながら(略)」という記事に富士山が見えたことが書いてありますので、夏だから見えないというものでもなさそうです。
まあ、今年は大気が昨年より悪かった(あるいは今も悪い)ということは言えるとは思います。
もう忘れられている感じがありますが、微小粒子状物質( PM 2.5 )のことが話題になったことがありましたが、報道されなくなった後も、今年は濃度が高い日が多かったです。地域にもよりますが、いわゆる警戒値を越えることなど日常的でした。
今でも、各都道府県では濃度を発表していて、
Yahoo! 大気汚染原因物質 PM2.5 関連対策情報まとめというページにはすべての都道府県のリアルタイム情報へのリンクがあります。
まあ、それはともかく、そういうように「今の日本は基本的に大気の状態が悪い日が多い」という現実も関係していたようですが、夏は富士山が見えなかった。しかし、昨日の台風通過後に何ヶ月ぶりかに、富士山がくっきりと見えたのは、台風の雨と風がそれらを吹き飛ばしてくれたからのようです。
強風も豪雨も災害をもたらすものではあるけれど、それと同時に悪いものも含めて吹き飛ばすというような作用は確かにあります。
ちなみに、今日はすでに富士山の姿は霞んでいました。
赤い空を見て思い出す「私の存在には意味がない」と思い続けていること話が逸れましたが、すごかったのは、その台風通過後の夕方に見えた富士山の光景・・・。
真っ黒な富士山の上を全面的に雲だけが赤くなった空が覆っているのです。写真を撮らなかったですので、一番上に載せた写真は、それを思い出してイメージ的に作ったもので、まあこのような雰囲気でした。
前述しましたように、大気中の不純物が飛ばされたせいか、夕焼けの中でも、大気そのものは赤くならずに澄んでいる。なので、空は青々としていて、そこに浮かぶ雲だけが赤くなっている。
その赤い面積の広いこと!
見上げて目に入る空のすべてがそのようになっている。
つまり、全天が赤い空。
「こんなに空全体が赤くなったのを見るのは久しぶりだなあ」と口に出しながら、ふと、最も有名なシリアルキラーのひとりである
ペーター・キュルテンの夕焼けのエピソードを思い出しました。キュルテンに関しては、英国の作家コリン・ウィルソンの 1963年の著作『殺人百科』に非常に詳細に書かれています。
キュルテンの主な犯行は 1920年代のことですが、そのような戦前の犯罪者の記録が詳細に残っているのは、キュルテンの逮捕後から処刑されるまで彼に面談し続けて、研究したドイツの精神学者カール・ベルク博士が極めて詳細な調査報告を残したからのようです。
そのコリン・ウィルソンの記述の中に以下のようなくだりがあり、空全体が赤くなっている空を見て、それを思い出したのです。
1925年、キュルテンはデュッセルドルフに帰った。その日、彼は夕日が血のように赤いのを見て喜んだ。デュッセルドルフの「恐怖時代」が始まったのは、それからである。
ちなみに、また話が逸れますが・・・っていうか、今回は本題自体よくわからないですが、上のコリン・ウィルソンの『殺人百科』をはじめて読んだ時、その長い「まえがき」を読んで、大変に衝撃を受けたことを覚えています。そして、この「まえがき」を読んだことが私がその後に演劇的なことを始める思想的なキッカケともなっています。
はじめて読んだのは学生の時だったんですが、当時、一緒に演劇などをやっていた年下の友人がいて、その男の部屋にこの本があったんですね。30年くらい前です。
コリン・ウィルソンは、そのまえがきで、殺人を語る上で避けられない問題として、「実存主義」についてえんえんと語ります。実は私は当時も今も「実存主義」というものが何かを知らないのですが、それでも、コリン・ウィルソンの文章には妙な迫力があります。
その中の一節に
実存主義の出発点は、大部分の文明人がよりどころとしている価値に現実性や意味があるという考えを否定することである。
実存主義の見方によれば、文明人は自分自身について虚像をえがいており、それが人間を今日のような、巨大な火薬樽の上に腰かけて爆弾の爆発とともに吹き飛ばされるのを待つような危険な立場にみちびいたのである。
という部分があります。
この「
自分には価値や意味がない」という文字の流れにショックを受けたのも、私自身ずっと「自分には価値も意味もない」と考えていたからでした(
今も自分に対しての考えはそのままです)。
いずれにしても、その実存主義というものをえんえんと書いている前書きは、まあ、とても難解なんですが、大変に興味のある内容でした。
関係ないですけど、そういや、今も漫画家なのかどうかしらないですが、少なくともかつては人気漫画家だった蛭子能収さんの 1980年代の作品にも「私の彼は意味がない」というタイトルのものがありました。
▲ 蛭子能収さんの『私の彼は意味がない』の表紙。30年以上前の漫画だと思います。・・・・・なんだか、内容に収集がつかなくなってきているので、一応、今回の本題と考えていることをご紹介して、締め括りたいと思います。
ほぼ一直線に消えていく太陽活動
先日、最近の太陽活動に関して、
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太陽活動の最大期と予測されていた時期に消えていく太陽黒点 2013年09月11日という記事を記しました。
その後の太陽活動はどのようになっているか。
それを表すような報道が 9月 16日のスペースウェザーの記事から伺えます。

その内容を記します。
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