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2013年10月02日



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数百年来の弱い太陽活動の中で突然起きた「太陽の大爆発」の余韻と共に NASA のサイトも NOAA のサイトもシャットダウンした朝



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▲ 10月 2日(アメリカでは 10月 1日午前)のアメリカ合衆国政府の公式ウェブサイト。基本的に運営されていません。
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この100年で最も弱い太陽活動の中で突如発生した大爆発


太陽活動については、少し前の記事、

「真っ赤な空の中の真っ黒の富士山」を見た日に太陽活動はほぼ止まった
 2013年09月17日

の頃に何度かふれることがありましたが、その後も、とにかく太陽活動は非常に静かな状態が続き、先週あたりには、 NASA などでも「この 100年間で最も弱い太陽活動最大期」と言及するようなことになっていました。

下の記事は、ロイター通信が運営する非営利法人「トムソン・ロイター財団」の 9月 18 日のニュースリリースです。

reuter-solar-act-100-low.jpg

Thomson Reuters Foundation より。


とにかく、想定していた以上に弱い太陽活動が続いていたのですけれど、9月の最後の頃、突然、太陽が大爆発を起こしたのでした。

これは太陽黒点からの爆発現象の太陽フレアではなく、プラズマの噴出だったようですが、その規模はものすごいものでした。下に動画を貼っておきます。

ちなみに、太陽写真や動画には太陽の周囲に丸いフィルターが同時に写されていることが多いのですが、これは、太陽の逆光というか、直接の光を遮るためのようなことのためにあります。

たとえば今回の動画も、実際の太陽の大きさは下の写真で真ん中の小さな丸となります。そこから今回の爆発の規模を見ていただくと、かなりの大爆発だったことがおわかりになるかと思います。

solat-eruption-2013-09-30.jpg

▲ 周囲の大きな円ではなく、中心部分の球体が太陽の大きさとなります。



太陽の 9月 29日の大爆発と CME (コロナ質量放出)





このような爆発が唐突に起きていました。

これは、 NASA の別の動画や写真もスペースウェザーにもありますが、爆発したフィラメントそのものは下の矢印で示したもので、細いものです。細いといっても、地球の直径ほどはありますけれど。

fil-01.jpg


fil-02.jpg


この大爆発が発生したのは太陽の北極のほう、つまり「上」のほうで起きたようですので、地球には直接の影響はないと思っていたんですが、規模があまりにも大きいせいか、磁気の影響はかなりあるようです。

また、9月30日のロシアの声は下のような表現のタイトルの記事を載せていました。

vor-2013-09-30.jpg


ここでは「剥がれたプラズマ・ファイバー」というあまり馴染みのない表現をしていますけれど、以下のように書かれています。


9月29日から30日深夜にかけて太陽からはがれた巨大なプラズマのファイバーは地球をめがけてと飛んでおり、10月2日夜にも磁気嵐が発生する恐れがある。

地磁気学・電離層・電波拡散研究所、宇宙気象予報センターのセルゲイ・ガイダシュ所長がリアノーボスチ通信に対し明らかにした。

「30日0時に太陽の円盤の半分ほどの大きさの巨大なファイバーが剥がれ落ちた。これは太陽の数千万トンもの成分を積む大きなキャタピラーに似ている。これが惑星間の空間に飛んでいったが、地球にぶつかる可能性もある」。



ということが書かれていました。

ぶつかるといっても、磁気ですので、それによって何か被害や災害が起きるということではないのですけれど、以前の記事にも載せたことがありますけれど、地磁気と人間の健康・精神には確実に相互の影響があります。

mag-human.png

▲ 過去記事「21世紀も「太陽が暗くなる時」を経験するのか」より。


まあ、そういう意味では、ひとりひとりに何らかの作用というのか、影響はあるのかもしれません。



しかし、どうやら今回は、もっとも太陽から影響を受けたのは「アメリカの政府の人たち」だったのかもしれません。この CME が地球に到達した頃、17年だか 18年ぶりだかで、アメリカは「政府機関の閉鎖」に突入してしまったのです。




米国政府科学機関の相次ぐ閉鎖により重要なデータやニュースや指標がしばらく見られないという事実

18年前にはインターネットは今ほど一般的ではなく、多分、私たちは「政府機関が閉鎖した時のウェブサイトの状況」ということを初めて目にしています。

たとえば、 NASA 、すなわち「アメリカ航空宇宙局」。

ここもバリバリの政府機関ですが、今朝、NASA のサイトに行ってみますと、下のように URL 自体がアメリカ合衆国政府のドメインにリダイレクト(転送)されていて、つまり、「 NASA のサイトが存在しない状態」になっています。

nasa-2013-10-01.jpg

▲ NASA のサイトにアクセスをすると、転送され、すべて上の表示となります。


上が英語で、下段はスペイン語で同じことが書かれています。


連邦政府資金の枯渇により、このウェブサイトはご利用いただけません。
ご不便をおかけしていることを心からお詫びいたします。

現在利用できる行政サービスの詳細については合衆国政府のウェブサイトをご覧ください。



というようなことが書かれてあります。


そういえば、 NOAA も政府機関では?」と気づき、アメリカ海洋大気庁のウェブサイトにアクセスしてみますと下のような状況。

noaa2013-01-02.jpg

▲ NOAA のウェブサイト。コンテンツへのアクセスはできません。


最近、北極とか南極かとの氷の状態などを調べていたりしたのですけれど、 NOAA のデータはしばらく閲覧できないようです。

氷に関しては、アメリカ国立氷雪データセンターという機関がありますが、そちらは国立という言葉が入っているのですけれど、ウェブサイトは通常に運営されていました。


その後、先ほど、下の報道がありました。


NASA職員97%が自宅待機、国立公園閉鎖も
読売新聞 2013.10.02

10月1日始まった米政府機能の一部停止は、幅広い分野に影響を及ぼす。

例えば米航空宇宙局(NASA)は職員約1万8000人のうち実に97%が自宅待機となる。より大きな組織でも財務省(約11万2000人)の80%、商務省(約4万6000人)の87%が自宅待機となるなど、中央行政や国家プロジェクトの停滞を招くことは避けられない。

目に見える形ですぐに影響が出たのが、国立公園などの閉鎖だ。壮大な自然を売り物にした国立公園や、本物の宇宙船がみられるワシントンの国立博物館などは日本をはじめ世界中から観光客を集めている。それらの閉鎖が長引けば、旅行者はもちろん、米国内外の旅行産業にも打撃となる。



この後、どういうことになっていくのか、政治のことはよくわからないですけれど、これが長引くとすると、 NASA 発の宇宙データ、あるいは、 NOAA の気象データもすべてが停止された状態となるようです。

そして、現在のアメリカの状況が長引けば、次はアメリカのデフォルトが待ち受けているというなかなか刺激的な 10月となりそうです。

確か、アメリカの新紙幣の発行って10月7日だったような?
あれは政府は関係ないからいいんですかね。

そういえば、アイソン彗星もそろそろ肉眼レベルで見えてくる時期のようです。

ison-2013-10.jpg

▲ ISON/アイソンと書かれた丸の中に彗星アイソンがあるのだそう。 9月 30日の Spaceweather より。

今年の 10月はいろいろな意味で大きな節目ではありそうです。



  

2013年10月01日



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なんだかよくわからないタイトルで申し訳ありません。

本当は、下の写真のような、9月28日にアメリカの十数州で火球が目撃され、その後、メキシコやグアテマラなどがあるユカタン半島で爆発した後に、奇妙なものが爆発現場に散らばっていて、現在、地元の警察などが調べているということを書くつもりでした。

fireball-2013-09-28.jpg

▲ 米国アイダホ州で、過去最大の明るさで目撃された火球。



yukatan-meteo.jpg

▲ 同日、メキシコのユカタン半島で隕石が墜落。その様子と、現場の奇妙な状況が現地のテレビで報道されました。


というようなことを書こうとしていたのですが、昨日くらいからちょっと思うところあり、それに伴う作業などをしておりました。

あるいは同じようなことを経験される方もあるかと思いますので、そちらのことを書いておきたいと思います。






 




S・カルマ氏のごとく消え去る自分の存在


先日、下のようなメールが来ていたんです。

もちろん、私のメールアドレス宛にです。

facebook-01.png


私はツイッターにもフェイスブックにも興味がなく、もちろん、自分でアカウントを作ったことはないのですが、上のように、「自分の知らないうちに」私のメールアドレスで新しいフェイスブックアカウントが作られたようです。

メールのヘッダー(差出人など)やソースなどを見てみたんですが、どうやら確かに Facebook そのものから来ていて、迷惑メールのたぐいではない模様。

こういうのは放っておけばいいやと思っていたんですが、次の日から怒濤のメール攻勢。

facebook-02.jpg

「ログインできませんか?」
「プロフィールを更新しましょう」
「この方々はあなたのお知り合いではないですか?」

などなど、日に何度もメールが来るのですが、やや驚いたのが、この「この方々はあなたのお知り合いではないですか?」というメールに載っている人たちは確かにみんな知っている人たちなんです。

facebook-03.png


それも、何年も十何年も会っていない人を含めて、しかも、それぞれに何の関係もない私の別筋の知り合いの人たち。さすがに何だかアレなので、ログインしてみたんですが、しかし、そこでふと「?」と思うわけです。


今回初めて知ったのですが、 Facebook ではログインにメールアドレス(あるいは電話番号)とパスワードを使うようなんですが、私が自分でアカウントを開設したわけではないですので、私自身はパスワードを知らないのです。そして、最初の認証時にはパスワードが必要です。

こういうサービスにはどんなものであっても、「パスワードをお忘れですか?」というようなリンクがあり、そこから自分のメールアドレスにパスワードの再設定のリンクが送られてくる仕組みになっていて、 Facebook にもそれはありました。

それで、パスワードを再設定してみると、当たり前ではあるのですが、「私のメールアドレス」にパスワードがくるわけです。やはり、ここで、

「ん?」

と思うわけです。

このアカウントは「認証された状態」だったですので、その際に私のメールアドレスにログインする必要があるはずです。

ということは、このラスティさんは、私のメールアドレスにログインできていると。

「ああ、誰かアクセスしたのかもなあ」と。

で、一応、「自分のメールアドレスで」 Facebook にログインしてみますと、そこにはラスティ・プルーデンさんという方の FaceBook ページが出来上がっていたのでした。

facebook-05.png


しかも、そこの下にある「あなたの知り合いでは?」というところにいる人々もまた別の実際の知り合なのです(苦笑)。


まあ、いわゆる不正的なことともいえるのかもしれないですが、そのことよりも、私は「インターネット上での自我」ということを思い、

「うーん・・・」

と考えてしまいました。

「現代の私たちは何を規準に存在しているのだろうなあ」と。

そのページにある何人ものお知り合いは確かに私「オカ」の知り合いなのですが、でも、その人たちは Facebook 上では、オカの知り合いではなく、ラスティ・プルーデンさんのお知り合いということになるわけで、あるいは、私はそこではすでにオカではなく、ラスティ・プルーデンという人か、あるいは単なる「メールアドレスが認識票」としての記号的な存在であるのです。



私はふと、高校生の時だったと思いますが、夏休みの課題図書で読んだ、安部公房の『壁』という小説の第一部『S・カルマ氏の犯罪』を思い出しました。ある日、自分の名前がこの世から消えているというような話から始まるものでした。自分の記憶の中にもどこにも自分の名前が存在しないのです。

今、手元にないですので、正確なところはわからないですが、 Wikipedia に「あらすじ」として冒頭部分が簡単に紹介されています。


S・カルマ氏の犯罪(1951年)

ある朝、目を覚ますとぼくは自分の名前を失ってしまったことに気づいた。身分証明書を見てみても名前の部分だけ消えていた。

事務所の名札には、「S・カルマ」と書かれているが、しっくりとこない。驚いたことには、ぼくの席に、「S・カルマ」と書かれた名刺がすでに座っていた。名刺はぼくの元から逃げ出し、空虚感を覚えたぼくは病院へ行った。



s-carma.jpg


この小説が面白かったので、安部公房さんの小説は他にも読んだのですが、今と同じで、私は本を最初から最後までキチンと読むということができない人で、冒頭だけ読んで満足するものが多かったです。

特に、安部公房さんの『デンドロカカリヤ』という小説は冒頭だけで十分に満足したものでした。

人が「体の表面と内側がひっくり返って植物になってしまう」というもので、描写はよく覚えていないのですが、「植物化の蔓延する時代に -「デンドロカカリヤ」安部公房」というサイトにその部分が書かれてありました。


デンドロカカリヤ(1949年)

コモン君は、ふとしたきっかけから”病気”にかかる。
きっかけというのは、路端の石を蹴とばしたことだ。

「何故蹴ってみようなどという気になったのだろう?
 ふと意識すると、その一見あたりまえなことが、
 如何にも奇妙に思われはじめた」。

これが病気の始まりだ。

コモン君は自分の行為を疑った。

そのときから、コモン君の植物化という病が始まる。
コモン君は自分の足が植物化しているのを目の当たりにする。
己の意識の壁が、自分の外に、空を覆うように巨大に現実に存在しているのを見る。

そしてコモン君の「顔を境界面にして内と外がひっくりかえ」ってしまう。
コモン君は慌てて顔を表向きに直して何事もなかったふりをする。



私は、人がクルッとひっくり返って植物になる光景を想像しながら、ゲラゲラと笑いました。1970年代後期の漫画『マカロニほうれん荘』のキンドーさん的な光景を思い出していたのかもしれないですけど、後で「安部公房の小説はギャグではないから」と人に言われてビックリした記憶があります。

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▲ 実在する植物マンドラゴラとなったキンドーさんを表紙にした『マカロニほうれん荘』の回。1978年頃。


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▲ 伝説上のマンドラゴラの図。



話が逸れましたが、今回のことなどで思うのは、現代の社会では、「自分」というものは、あまり自分ではないということが顕著である社会だということに改めて気付きます。







「私は私ではない」という概念


作家の埴谷雄高さんが一生をかけて書いた形而上小説『死霊』(しれい)は、その基本的なテーマである「自動律の不快」ということから始まったことを本人が述べています。

「自動律」というのは難しい言葉で、今では同一律といういうようですが、つまり、


「AはAである」


ということが、自動律。

つまり、「私は私だ」ということです。


「それはイヤだ」


というのが、埴谷さんが『死霊』を書き始めた原点だったそうです。


1960年代に出版されたという『文学創造の秘密』という埴谷雄高さんの対談集の中に、以下のような下りがあります。


(なぜ、「AはAである」という自動律に不快を感じるのかという問いに)

「自分自身に対しての払いのけがたい、異様な違和感ですね。それはまだほんとに小さい子どものときからある。むろんそれを自動律の不快というように自覚などしていない。

けれど、何か持ちきれない、自分が自分であるのは変だという感じが、重苦しい気配として感覚的にあるし、また、子供なりの理論としてもあるんですね。

私が自分の故郷ですくすく伸びれば、いわゆる大地に即した日本人的感覚、日本的美のなかで育ったのでしょうが、僕はまったく違った世界で育ったものだから、日本人全体が厭うべき嫌らしい存在として次第に刻印されてしまった。日本的なものに対する原始的な嫌悪がその頃根付いてしまった」



この「僕はまったく違った世界で育ったものだから」というのは、後に 1995 年の NHK のテレビ特集で埴谷さんが語っていますけれど、第二次大戦中に台湾で小学生時代を過ごした埴谷さんは、自分の親たち、つまり日本人が戦時中に無抵抗の現地の人たちを殴り続けている光景を毎日見ていて、うんざりしていたことを述べています。

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▲ 1995年に NHK 教育で5夜連続で特集が組まれた『死霊の世界』より、宇宙線とニュートリノの「自我」を語る埴谷雄高さん。


理由は違いますけれど、私にも「自分が自分だ」ということに対する違和感や嫌悪感というものがずーっとあって、この「自動律の不快」という問題は、哲学的な問題というより実際の生活の中での切実な思想問題でもありました。


しかし、今、気付いてみれば、インターネットの世界では「自分は自分ではない」ということは「普通のこと」であることに気付くのでした。

少なくとも私は Facebook では「ラスティ」さんという人で存在しています。

facebook-05.png


まあしかし、一方で、私のこのメールアドレスに何らかの不正なアクセスがあった可能性もありますので、そういう時は、調べる前にまず無効にしておいたほうがいいですので、昨日今日と、このメールアドレスで登録しているものを変更し、このメールアドレスでの連絡をしている人にお知らせしました。このメールアドレスは、あまり公開していないメールアドレスで、使う頻度も低いものでした。



そんなわけで、簡単な話としては不正系の話ではあるのですが、同時に、過去に読んでゲラゲラと笑わせて感動させてくれた数多くの作品群、『S・カルマ氏の犯罪』や、あるいは『マカロニほうれん荘』からマンドラゴラなどのことまで思い出させてくれた機会となったという意味で、ラスティ氏にも感謝したいところです。

どんなことでも人生の経験の何かと必ず結びつくということだけは、生きていて面白いことだとは思います。

最近、結構つまらないですからね。
人生が。

『マカロニほうれん荘』の最終回の主人公たちのように、どこか異次元の海にでも旅に出たいですが、そういうこともできるわけでもないですし。