昨日、英国のデイリーメールで下のような記事を見たのですね。
▲ 2014年5月9日の Daily Mail 'We're creating an embassy to welcome the Elohim back to Earth!' Inside the wacky world of the Raëlians - a cult who think humans are descended from ALIENS より。
このような団体があって、その内部や活動についてのドキュメントが、ナショナルジオグラフィック・テレビで報道されるというものでした。
「まあ、そういう団体は結構あるだろうな」と思いつつも、この「 Raelian 」という単語を知らなかったので、英語で一生懸命調べていましたら、何のことはない、日本語の Wikipedia にあったのでした。
そうしましたら、予想を越えた大きな団体のようで、また、デイリーメールでは、タイトルに「カルト」と記していますが、そのあたりの価値判断はともかく、下のような団体のようです。
ラエリアン・ムーブメント - Wikipedia より
ラエリアン・ムーブメントはラエルことフランス人のモータースポーツ系ジャーナリスト、クロード・ボリロンが創始した非営利ボランティア団体。
公式アナウンスによると、ラエルは1973年12月13日にフランス中部で遭遇した異星人「エロヒム」から人類の起源と未来に関する重要なメッセージを受け取り、そのメッセージを地球人類に普及する事を目的としてこの団体を創立した。
メッセージによれば、現在の地球上の生命は、25,000年進んだ科学技術力をもつエロヒムによって、科学的に創造されたとしている。
というもので、このあたりまでなら、他にも同じようなことを主張する団体は多くありそうな感じですが、そのメンバー数。
2003年11月の時点で、世界90カ国に活動拠点があり、6万人以上のメンバーが在籍しているといわれる。中でもラエリアンムーブメント日本支部は最も規模が大きく、公式アナウンスによれば6,000人以上のメンバーを擁している。
これは約 10年前の人数ですが、インターネット上でニューエイジ的なコンテンツが増えたのは、その後のことですので、その人数は増えているのかもしれません。「日本支部は最も規模が大きく」とありますが、下のような写真があります。これはラエリアンムーブメントのマスコットのようで、他の国でも登場します。
日本
▲ 2012年11月。場所は不明。 Wikipedia より。
韓国
▲ 2013年のソウル市内。Aramis より。
オーストラリア
▲ Raelian Event News より。
ところで、上に共通するシンボルがおわかりでしょうか。
下の赤い丸で囲んだ部分が共通していますので、これがこの団体のロゴ、あるいはシンボルということになるのかもしれません。
下のマークですね。
六芒星の中に右まんじ(卍 / スヴァスティカ)を入れたデザインに見えます。
ところで、私がこの「ラエリアン」の記述の中で最も目についたのが下の記述でした。
神を、「科学を理解できなかった時代の古い概念」と位置づけており、霊魂も現実には存在しないと考えている。(中略)神は存在せず、霊魂も存在しない。死んだ後は、科学によるものでない限り何も残らない。
このあたり何ともコメントのできない微妙な雰囲気もあります。
まあ、良い悪いは個人個人の判断ですが、上の意見はちょっと私とは相容れない部分もあり、この団体の話はここまでということにしたいのですが、ところで、上に「六芒星」と「スヴァスティカ」が出てきます。六芒星にしてもスヴァスティカにしても、思い起こしてみると、 In Deep では、よく取り上げていたものでした。
六芒星とスヴァスティカのシンボルとしての意味
スヴァスティカは古代から非常に広い範囲で使用されていたシンボルです。下の図は 1898年のもので、今から 100年以上のものですが、当時の米国イェール大学の研究により明らかになった古代遺跡にスヴァスティカ(まんじ)の痕跡が確認されている場所です。
▲ 2012年9月27日の記事「『宇宙からやってきたブッダ』の胸に刻まれるマークで思い出すスヴァスティカの歴史」より。
この「まんじ」を「カギ十字(ハーケンクロイツ)」のように考えると、ナチスドイツなどを連想する場合もあるかもしれませんが、第一次大戦時はアメリカ軍(陸軍第45師団)でもこのマークを使っていました。
▲ 第一次大戦中のアメリカ陸軍第45師団の発刊物。これはスヴァスティカが白いですが、 1930年まで、陸軍第45師団では黄色のスヴァスティカをシンボルとして使っていたようです。 Tin Vienn Aart Plates より。
また、このスヴァスティカの「意味」の解釈はいろいろとあるのでしょうが、上の地図のように、ありとあらゆる古代文明でシンボルとして使われていたということにを見ると、「無意味」ということはありえないとは思います。
しかし、それはよくわからない部分が多く、卍 - Wikipedia などにも、世界各地での歴史などについては書かれてはありますが、「意味」については書かれていません。
ちなみに、それが合っているかどうかはともかく、過去記事の、
・マヤ長老評議会の議長の言葉から思い出した「マヤ族にとっての1万3000年前の意味」
2012年10月22日
の中で、未来予測プロジェクトのウェブボット代表であるクリフ・ハイが 2012年にウェブサイトに記したものを訳した文章があります。一部抜粋します。
嘶くカラス - 2012年のための補足資料
太陽にはいくつかの興味深い性質がある。その一つは、太陽の極部と赤道部とでは太陽の自転の周期が異なるということである。これが原因で、太陽は1万1500年の周期のカオス的ともいえる変動を繰り返している。
太陽の質量は太陽系の惑星の全質量の合計の99%に相当する。一方で、回転運動の角運動量では他の惑星が圧倒的に大きく、太陽の角運動量は1%にすぎない。
このアンバランスの結果、太陽の赤道部は他の惑星によって引っ張られる格好となるため、赤道部の自転周期は極部のそれに比べて速くなる。この自転周期のズレが原因で、この動きに引きずられて南北方向の磁力線にはねじれが生じ、太陽に巻き付いたような状態となる。
この状態を太陽の極から見ると、スヴァスティカ(まんじ)と似た形になる。多くの古代文明の神話では、スヴァスティカと同様のシンボルが出てきており、それはすべて世界の終わりのシンボルと理解されている。
ということを書いていたことを思い出しました。
このブログでは、一方の六芒星に関しての記事も大変多いですが、
・アルケミーの真実と噛み合わないモダンな 2013年の太陽系の六芒星から感じるのは宇宙の意志ではなく「ある種の人々」の思惑
2013年07月31日
という記事では、
太陽系では、太陽、土星、水星、火星、金星、木星、月により六芒星が形作られる。
ことにふれています。
下の図は、18世紀に出版された『薔薇十字の秘密のシンボル』にある図ですが、中世までの神秘主義、あるいは占星術的な考えには、当時はまだ発見されていなかった天王星( 1781年発見)や海王星( 1846年発見)は含まれません。
太陽を中心とした六角のフォーメーション
▲ 上の記事より『薔薇十字の秘密のシンボル』の中に出て来るイラストのひとつ。
話がそれますが、上の図では、「太陽」に「4という数」が割り当てられており、そして、そのシンボルには「〇の中に・がある」ようなものが使われています。
これは日本に漢字が伝わる以前の古代文字であるヲシテ(ホツマ文字)というものの中の、「あ」と同じであることに気づいたりもしました。
▲ ホツマ文字で「あ」を意味するマーク。
まあ、この
「太陽(太陽系の中心)=4(インド最古の文字で十字形)=あ(日本語の冒頭)」
という問題は複雑すぎて、最近はあまり考えていませんが、過去記事の、
・地球は太陽そのもので、その太陽は4であり、かつ日本語の始まりを示すものかもしれない
2012年03月14日
という記事などにも書いたことがあります。
「究極の完全」であるはずの人類の覚醒を阻んでいるものは何か?
何だか話がどんどんズレてきていて、すでに最初のラエリアンとはまったく関係のない話となっていますが、そちらのことはもうどうでもいいです。
いずれにしても、古代から使われる、シンボルとしての六芒星やスヴァスティカ、あるいは、太陽や、その数字の意味といったことを含めまして、古代から中世のインド、ヨーロッパ、中東などの文化、あるいは神秘主義と日本の古代の「何か」が通じていることを感じます。
上のほうに載せましたスヴァスティカの古代の分布を見ましても、「世界全体に共通する何か」があるのだと思います。
そして、この「世界全体に共通する何か」というのは、つまり「宇宙全体に共通する何か」で、さらに言えば、「人類全体に共通する何か」ということにも発展しそうです。
よく思うのですが、仮にこの世に「陰謀」というものがあるとすれば、その最大のものは、
「人間の真実の力を人間自身に気づかせないようにすること」
だと私は考えています。
私はいつでも「現在の人間は究極的な生命の姿」だと考えています。
そのことを古代、あるいは中世の神秘主義などは伝えていたと思いますし、何よりも宗教はストレートに「神と人間は同じもの」と伝えるものが多いです。
旧約聖書「創世記」の第1章には以下のような記述があります。
日本聖書協会からのものです。
創世記 1章 26節
神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。
中国古代神話の人類創造の女神「女媧(ヌーワ)」も、自分と似せて人間を作っています。
仮に「神がそれ以上ない存在」であるならば、人間(今の人類)も究極の存在であっておかしくはないはずなのです。
しかし、今の人間の状態はどうもそのように見えない・・・。
「何か」に阻まれている。
まだわかっていないことは多いです。たとえば、松果体や脾臓といったような機能が明確にわかっていないものや、 DNA の90パーセント以上が「ジャンク」とされているような状態で、多分、私たちは、私たち人間の機能のすべてを知らない、あるいは、使っていない可能性が非常に高いです。
そこが「神と似せて作られたけれど、全部同じではない」部分ではないかと思いますが、しかし、私たちがすべての機能を使う、あるいは気づく方法がどこかにあるはずです。
つまり、「人類が神と同等の究極の生命となる」何かの知恵か方法か行動が。
多くの宗教も、あるいは、ロシア宇宙主義などのすぐれた科学も、あるいは、森田療法などが導こうとしていた「悟り」への道も、あるいは他の「多くの何か」にそれはえがかれているのかもしれません。
何かによって「それを知ることが阻まれている、あるいは、隠されている」のだとすると、「神の産んだ欠陥生命」として私たち人類はこれからも生き続けなければならないわけで、現代の人類がそれを知ることができるかどうかに地球の未来のすべてがかかっていると思えて仕方ありません。
神秘思想家で哲学者のルドルフ・シュタイナーは、『我が人生の歩み』という自伝の中で、世界が現在と同じように「物質だけを見て考える世界が続いた場合」として、以下のように記しています。
自然科学の時代は、人間および民族の生命に及ぶ影響において凋落を意味している。人類がこれから先も発展していくためには、精神的な側面からのまったく新しい価値観が必要とされるだろう。
これまで人間の精神が辿ってきたのと同じ道を、これからも歩み続けるとしたら、それは退化につながることになる。