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2014年07月29日



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シベリアでさらに次々と見つかるクレーターと「現在北極がシベリアに向かって猛スピードで移動している」という状態から浮かびあがる「ポールシフト」の概念



inside-scientists-top.jpg

▲ シベリアで最初に発見されたクレーターに向かうロシアの調査団。人との比較で、クレーターのおよその大きさがわかると思います。2014年7月17日のシベリアン・タイムズより。






 


過去記事、

気温40度の中に降った爆撃のような雹。そして、「世界の終わり」という地名がつくシベリアに突然開いた巨大な穴 : 「ウラジーミルの栄光の国」を襲い続ける異常な気象と現象
 2014年07月16日

から何度か取り上げている「突然シベリアに現れた巨大なシンクホール」ですが、その内部の様子などの詳細な写真や映像が報道され始めています。

また、シベリアではその後「2つめ、3つめの穴」が発見されたりしていまして、そのこともご紹介したいと思いますが、「シベリア」という言葉から思い出した最近のニュースを貼ってから、話を進めてみたいと思います。

上の記事で取り上げました、スミソニアン学術協会のニュースサイトの 7月 14日のニュースです。

smithsonian-news-02.gif
Smithsonian Smart News


このように、シベリアは「今後、北極となっていく」(磁極としての北極)ということを念頭に置いてから、シベリアの「地質の異変」についてお読みいただければ幸いです。

このことは、欧州宇宙機関による地球の磁場の測定によって判明したことですが、やや「不思議」に感じ続けていたことがあったもので、後半そのことについて書かせていただこうかと思っています。

まず、シベリアの穴の最近の写真などをまとめてみます。





シベリアのヤマルで見つかった「第1の」クレーター、あるいはシンクホール

地上からクレーターに近づくと、冒頭の写真のような光景で、草原などもあるなかなか綺麗な風景ですが、穴そのものは空中から見ると、下のようなものです。

hole-001.jpg


そして、地上から近づくと、以下のような風景が現れます。

inside-02.jpg


大きさはまだ正確な計測はおこなわれていませんが、シベリアン・タイムズによりますと、

・楕円の短いほうが 50メートルくらいで、長いほうが 100メートルほど
・深さは 50メートルから 70メートルと推測


とのこと。
中を覗くと、内部の壁はこのような質感です。

inside-permafrost-1.jpg


そして、その底。

insid-crater.jpg


これは、写真だけではちょっとわかりにくいかもしれないですので、動画をアップしておきます。

シベリア・ヤマルに出現したシンクホールの内部の映像




なんというか、この壁の垂直性と、表面の滑らかさは、なんとなく自然にできたものではないような感じさえ受けますが、この最初の調査では、この穴は人工的なものではなく、「自然に形成されたもの」ということが確認されたそうです。

人工的という意味は、それまでいろいろと噂に出ていたような、

・天然ガスのガス田開発の影響
・飛行体、あるいは UFO などが落下した


というような説です。
どちらも、その可能性はないようで、通常の地質活動として説明できるようです。

調査隊のひとり、ロシア科学アカデミーシベリア支局のアンドレイ・プレハノフ( Andrey Plekhanov )博士は、シベリアンタイムズに対し、

「不思議なことはここには何もありません。単純に、内部の圧力と温度の変化によって発生した自然の法則による現象です」

と答えています。

ただ、調査隊隊員で、やはりロシア科学アカデミーシベリア支局の科学者、マリーナ・レイブマン( Marina Leibman )博士は、

「塩とガスの混合物によって起きた地下爆発により形成された」

と考えているようです。




そして、2つめ、3つめと見つかる「シベリアの穴」

その後、昨日(7月28日)のシベリアン・タイムズでは、「シベリアでさらに2つの新たな穴が発見された」ことを報じています。

こちらと、

inside_crater_antipayuta.jpg


こちらです。

inside_big_hole_taymyr.jpg
Siberian Times


それぞれヤマルで発見された第1の穴と比べると小さなもので、上のほうが直径 15メートルほど。

下のほうは、直径 4メートル程度。ただ、こちらの小さなほうは、深さは 60メートルから 100メートルほどあるとされているとのことです。

そして、むしろ、こちらのふたつの方が原因がはっきりしないとのことで、どちらも、専門家たちは、

人工的に作られたものではない

としながら、

しかし、自然に形成されたようにも見えない

というような、読んでいるこちらもどうすればいいのかわからないような意見などが掲載されていますが、上のほうの穴に関しては、昨年(2013年9月27日)、その場所で、光と爆発の目撃情報があるので、天体などの衝突の可能性もあるかもしれません。

そんなわけで、どんどんと穴が開いていくシベリアですが、最初のほうに書きましたように、現在、このシベリアに「北極(磁極としての北極)が向かっている」のですけれど、かつての記事などを読みながら、以前から、やや疑問に思っていたことがありますので、書いておたきいと思います。

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21世紀になって移動の「方向」を変えた北の磁極

3年前の「米国フロリダのタンパ国際空港が磁極の移動の影響で滑走路の閉鎖へ(2011年01月08日)という記事で、当時の英国デイリーメールの記事をご紹介しました。

その記事には、


最新の磁極の移動は、前世紀(1900年代)から実は非常に劇的な変化となっている。磁極は、 1904年に1年につき 14キロメートル程度のスピードで北東への移動が開始されたが、2007年以降は1年間に少なくとも 56キロメートルのスピードで、シベリアへ移動し続けている。



とあります。

しかし、同時に、


最新の計測では、北の磁極はカナダ北部のエルズミア島にあると記録されている。



とあります。

ここで、地理としての北極点を中心とした地図を見てみます。

northpole-map-2014.gif
Mysterious Universe


エルズミア島は、上の地図ではグリーンランドの上のほうにある島です。

ここは北極点から見ると、シベリアとは逆の方向です。

もう少し詳しく、

「現在( 2011年のものですが)の磁極としての北極の位置」

と、

「地理としての北極点の位置」


を示しますと、下のようになります。

pole-shift-before.gif


つまり、20世紀は「北極は、シベリアとは逆の方向に向かって、1100キロも移動していた」ことになります。

ところが、先日の欧州宇宙機関( ESA )の観測では、磁極はシベリアに向かって、移動していることがわかり、また、上の 2011年のデイリーメールにも

2007年以降は1年間に少なくとも 56キロのスピードで、シベリアへ移動し続けている。


という記述があります。

下のような移動方向へと「方向チェンジ」したと理解できます。

poleshift-after.gif


つまり、北極は、21世紀になってから磁場の移動の方向を変えたということになるようです。

私は「磁場の移動は同じ方向に移動していき、結果としてポールシフトにいたる」と漠然と考えていました。下の図は、1831年から 2001年までの 170年間の北の磁極の移動の方向と距離です。

1831-2001.gif


上の図のように一直線に進むものだと思っていたのですが、どうやら、そういうものではなく、

磁極は方向を変更しながら地球を移動する

というようなことのようです。

なんというか、「さまよえる北極」というような言葉がふと浮かんできますが、もうすぐ北の磁極がシベリアに到達すると予測が正しいのであれば、方向の変化はともかくとしても、

移動のスピードが以前とは比較にならないほど増している

ということもわかります。

それは、さきほど載せました下の図で、北極点とエルズミア島、そしてシベリアの距離などを見ると、漠然ではありますが、感覚的に理解できるのではないでしょうか。

pole-shift-before.gif


北の磁極が、北極点の近辺からエルズミア島にまで移動するのに「100年」かかっているのに対して、そこにあった「北極」は、現在、数年間から十数年間ほどで、シベリアに向けて、その何倍かある距離を何倍もの短い期間で移動しようとしているわけです。


上の方で、ロシア科学アカデミーの科学者が、シベリアのクレーターと地下爆発の関係について述べていましたけれど、あまりにも急速な磁極の移動が、地下や地質活動に何の影響も与えないと考えるのも、また難しい感じもします。

ロシアのシベリア地方は人里離れた場所が多いですので、実際には現状で、さらにいろいろな現象が起きているかもしれないですが、今後、北極からシベリア周辺ではさらに様々な現象が起きるかもしれません。

そういえば、最近の記事では、日月神示にふれることが何度かありましたが、以下のような下りもあります。




第04巻 天つ巻 第十四帖

海一つ越えて寒い国に、まことの宝隠してあるのざぞ、これからいよいよとなりたら、神が許してまことの臣民に手柄いたさすぞ、外国人がいくら逆立ちしても、神が隠してゐるのざから手は着けられんぞ、世の元からのことであれど、いよいよが近くなりたら、この方の力で出して見せるぞ、びっくり箱が開けて来るぞ。八月の七日、ひつくのか三。





「海一つ越えて寒い国」というと、ロシアっぽいですが、そこに神が隠した(多分日本にとっての)宝があるというようなことが書かれてあるらしきくだりです。 8月 7日とありますが、そこらあたりに何かわかるのですかね。まあ、 8月 7日は毎年やって来ますけれど(ちなみに私の誕生日)。

いずれにしても、仮に現在、地球の変動が何らかのクライマックスを迎えているというのだとすれば、こういう「異常な速度での磁極の移動」なども多少関係することかもしれません。そして、それは最終的に「地球の磁場の反転」という一大現象へとつながる可能性もあると考えます。



  

2014年07月28日



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china-red-river.gif

▲ このブログでは過去何度か取り上げている比較的お馴染みの現象ですが、先週、またも中国の浙江省温州市で「川の水が突然赤くなる」という現象が起きました。2014年7月25日の Sploid より。






 



死の必然性に意味はなくても流れる血はやはり赤くて

佐世保の女子高生の殺人事件の報道をいくつか読んで、瞬間的に、類似した過去の事件を思い出しているうちに気分が悪くなり、午前中はそのままの気分でした。

何となく、この犯罪から、今から 50年以上前の 1961年に出版されたコリン・ウィルソンの『殺人百科』を思い出します。

この本には、すでに同じような類例がいくらでも見られて、そして、それらの過去の類例を通してみてわかることは、一見大きな意味がありそうなこの類いの犯行には、「まるで動機に意味がないか、あるいはどうしようもないほど下らない理由が多い」ことがほとんどなのです(全部とは言いません)。

私は若い頃、演劇の脚本を書くために『殺人百科』系の本をいろいろと読んだことがありまして、類例はかなり知っているほうだと思います。その中には、たとえば、「××したかった」程度だけの理由の犯罪がどれだけ多かったことか。

メディアなどは、このような事件が起きると、必死で原因や、あるいは「社会と犯罪の関係」などを調べたり論じたりしますけれど、多分それは筋違いで、複雑な答えをそこに見出すことはほとんどできません。

多くの類例は、単に犯行をした人たちに「生命の価値に対しての認識が欠けている」と考える以外のいかなる理由も見当たらないのです。

その上で、今回の事件への感想は、コリン・ウィルソンが『殺人百科』に実存主義の立場から書いた非常に長い前書きの中に記されている下の一節に現れています。


コリン・ウィルソン『殺人百科』 まえがき「殺人の研究」より

一年間をついやしてこの本を編集し終わったとき、私の心をとらえたのは、悲惨な感じとあわれみであった。これは人間のごみ捨て場である。人間が神になることがあるにしても、まず、これを乗り越えなければならない。


コリン・ウィルソンは、実存主義の立場として、

殺人者に欠けているのは、生命の価値の認識である。

として、そして、

もし人間の進化が何らかの意味を持つとすれば、それは、生命を、すべての生命を、より強く愛することである。

としています。

そして、この前書きの中にとても印象的な言葉も記しています。


「人生は、ばかげているかも知れないが、死はもっとばかげている」



ところで、冒頭に中国で「川の水が突然、血の赤に染まった」という報道記事を張りましたのは、そのこと自体を紹介したかったわけではなく、過去記事で、世界中で、「赤く変色する水」のことを書きました、

赤の意味: 再び現れた赤い海と赤い雨
 2012年07月31日

の中で、「血」というものについて書いたことを思いだしたからです、

血を赤く見せているのは、赤血球ですが、血の大きな特徴は、


・血の赤は「鉄」であるということ

・血を赤くする赤血球は人体で「 DNA を持たない部位」であること




などにとても興味を抱いたことがあります。

DNA というのは、細胞核やミトコンドリアなどにあるものだそうですが、人を含めた哺乳類の赤血球は、成長の途中で細胞核とミトコンドリア等の細胞器官を失うので、DNA を持たないのだそうです。

そして、「血は赤い」わけですけれど、この理由は、血を赤くしている赤血球にヘモグロビンが含まれているからで、このヘモグロビンというのは、さらに「ヘム」と「グロビン」というもので構成されるのですが、この中の「ヘム」というのが、赤いのです。

その「ヘム」というのは、鉄の分子のようなものです。

つまり、私たちは、「鉄の存在によって血を色を感じている」ということになります。

また、過去記事の、

人類のボスは誰ですか?
 2014年03月26日

などにも書いたことがありますが、

人間の血液自体が磁場である


ということも、血液が、

・ヘム → 鉄
・グロビン → 反磁性


という組み合わせから構成されていることから生じるわけで、そのあたりは、嶋中雄二さんの著作『太陽活動と景気』に下のように記されています。


「太陽活動と景気」太陽活動と健康・精神 より

血液中のヘモグロビンは鉄と色素の複合体であるヘムと蛋白質であるグロビンから成るが、グロビンは「反磁性」とされているから、本質的には鉄の科学的状態が血液の磁気的性質を発生させていると考えられるのである。



人間という存在自体の全体が磁場である、という見方もできるわけで、たとえば、頭部からは下のような磁場が検出されます。

human-magnetic.jpg
・前田坦(ひろし)著『生物は磁気を感じるか


少し話がそれましたが、問題は「」です。

人が負傷したり、死亡する際の血が流れる場面に接すると、それが現実であっても写真や映像であっても私たちは震撼したり、人によっては興奮したりします。

そして、人の感情を大きく刺激するその「血」は「必ず赤」です。

どうして人間や哺乳類などの血が「赤」となったのか、進化論的な推測や、生物学的な考え方は私にはわからないですが、しかし、ひとつの事実として、

「赤という色は目に見える色の中で最大の波長を持つ」

ということに興味を持ったことはありました。
色の波長の中で可視ギリギリの色が赤なのです。
これを超えると「赤外線」として目には見えません。

light-red-purple.gif
光の届き方と信号の色


その「可視光線として最大の色」が、生物が死ぬ時に流れる色であるということには生物学的な意味とは別に興味を感じたことがあります。

そのあたりのことは、過去記事の、

2012年の「赤」の意味: DNA を持たずに増殖する「赤い雨から採取された細胞」とつながる人間の赤血球
 2012年11月28日


という記事に書かせていただいたことがあります。

そういえぱ、「赤」といえば、

赤い月と黒い太陽: 2014年から 2015年まで「4回連続する皆既月食」がすべてユダヤ教の重要宗教祭事の日とシンクロ。そして、過去の同じ現象の時に「イスラエルの建国」があった
 2014年04月06日

というタイトルの記事から何度か取り上げている、「4回連続する皆既月食」のことや、それと関係している旧約聖書『出エジプト記』に書かれている、

「すべての初子を撃つという厄災」

について、この「赤い月」と「赤い川」、そして、「犠牲の赤い血」の間にも旧約聖書を通して、リンクが生じます。




すべての初子が消えていく厄災

ところで、「赤い月」という意味は、皆既月食では下のように月が血のような赤になるからです。

blood-moon-03.jpg


この「赤い月」とか「黒い太陽」(皆既日食のこと)は、聖書にはよく出てきて、たとえば、「ヨエル書」というものには、

ヨエル書 3章4節
主の日、大いなる恐るべき日が来る前に
太陽は闇に、月は血に変わる。


というくだりがあります。

これは、皆既日食と皆既月食が同じような時に起きることを示しているのかもしれないですが、ちなみに、どうでもいいことかもしれないですが、直近ではそれが起きる時期が 2015年 3月から 4月にかけてあります。

nissan-01.gif


この時の 2015年 4月 4日の皆既月食に時にも、イスラエル最大の祭事である過越(すぎこし)の祭がおこなわれます。

この過越の祭りというのが、「犠牲(の血)を捧げる」ことにより、厄災を避けたことが由来となっている祭事であることは、過去記事、

「神の意志、あるいは悪魔の輪郭」 : 北緯 33度線にある韓国の済州島。そして「血の月」の連続と共にユダヤ教では祭りに突入
 2014年04月18日

などに書いたことがありますので、ご参照しただければ幸いです。

この場合、犠牲となるのは子羊で、その血を「各自の戸の鴨居に塗る」のです。
もちろん子羊の血の色も「赤」です。


そして、旧約聖書『出エジプト記』には、「赤い川」も出てくるのです。

このことは、2012年2月に、「レバノンで血が赤く染まる」という出来事をご紹介した時に書いたことがあります。

river-blood-01.jpg

▲ 過去記事「血の川の出現:原因不明の理由で真っ赤に染まったベイルートの川」より。


ちなみに、私たちにはあまり馴染みのないレバノンですが、この国の宗教構成は下のようになっています。

rever-none1.jpg
Wikipedia


少なからず、キリスト教の聖書とも関連のある国で「川が血の色となった」ことが現地で大きく報道されていたのは、出エジプト記の下の部分があったからではないかと思います。日本聖書協会より。


出エジプト記 7章19-20節

主は更にモーセに言われた。「アロンに言いなさい。『杖を取り、エジプトの水という水の上、河川、水路、池、水たまりの上に手を伸ばし、血に変えなさい』と。エジプトの国中、木や石までも血に浸るであろう。」

モーセとアロンは、主の命じられたとおりにした。彼は杖を振り上げて、ファラオとその家臣の前でナイル川の水を打った。川の水はことごとく血に変わり、川の魚は死に、川は悪臭を放ち、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなった。こうして、エジプトの国中が血に浸った。




ここから、「神による十の厄災」が始まるわけです。

その内容は、

1. ナイル川の水を赤い血に変える。
2. 無数の蛙をエジプトの地に覆わせる。
3. しらみとブヨを大発生させ、エジプトの民や家畜に害を及ぼす。
4. アブの群れによる災害。
5. 牛馬に疫病が拡がる。
6. 人や家畜に膿みや腫れができる。
7. 雷と雹による災害
8. イナゴの猛威
9. 暗闇での災害
10.人から動物に到るまですべての初子の死亡


というもので、結局、いろいろとありますが「10」のことをなすための厄災であるわけです。そして、これを避ける方法が、イスラエルで古くからおこなわれている過越の祭りであり、それは、犠牲の象徴としての血の「赤」なんです。





「善は悪から生まれる」と同じことを述べる日月神示とメリン神父

先日の、

ローマ字「 TASUKETE (たすけて)」から偶然導かれた日月神示や神様と悪魔の関係。そして、バチカンに正式に承認された「国際エクソシスト協会」の存在
 2014年07月26日

という記事とその少し前の記事で、映画『エクソシスト』から偶然、日月神示の「冒頭の原文」に行き着いた話を書きましたが、その後、内容的にも、小説の『エクソシスト』と日月神示では、同じようなことを書いている部分を多く見出します。

たとえば、上の記事では、小説『エクソシスト』で、メリン神父が述べる下の台詞を抜粋しています。


「このような悪からでさえ、善が生じてくる。なんらかの方法でだ。われわれには理解できず、見ることもできない何らかの方法でだ。……おそらく、悪こそ、善を生み出す『るつぼ』であるからだろうな」


そして、日月神示にも下のような箇所が1度ならず出てきます。

ひふみ神示データー「ひふみ神示 第21巻 空の巻」より抜粋しますと、たとえば、


第21巻 空の巻 第八帖

悪も元ただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ



というくだりがあります。

その後の、第十帖には、


第21巻 空の巻 第十帖

此の方 悪が可愛いのぢゃ、御苦労ぢゃったぞ、もう悪の世は済みたぞ、悪の御用 結構であったぞ。早う善に返りて心安く善の御用聞きくれよ。世界から化物出るぞ、この中にも化物出るぞ、よく見分けてくれよ、取違ひ禁物ぞ。



とあります。

この短いふたつの部分だけで読んだ通りに理解させていただければ、

「悪は、そこから善が生まれるための貴重な存在だった」

ということになりそうです。
「此の方 悪が可愛いのぢゃ」と、悪に対しての惜しみない愛情さえ示されています。


しかし、「もう悪の世は済んだ」とも書かれてあります。


善が出現することによって、その「産みの親」だった悪は不要となる世界の出現を示しているようです。

私はこの考え方に納得できる部分もありますし、釈然としない部分もありますが、「どうして悪があるのか」ということに対しての答えを見出すことは、どのように考えても難しいです。


ところで、先の記事には書きませんでしたが、小説「エクソシスト」では、先の台詞に続けて、メリン神父は次のようなことまで述べています。


「そしておそらく、大悪魔(サタン)でさえもが −− その本質に反して −− 何らかの意味で、神の意志を顕示するために働いているともいえるのだ」



そして、これは現実に「エクソシズム(悪魔払い)」の拡大によって、キリスト教会の新しい役割を顕示しようとしている現在のバチカンの存在を思い浮かべます。

vat-exorcist-2.gif
CBC ニュース。訳は過去記事


いずれにしても、この1〜2ヶ月、世界的な出来事でも、個人などの小さな出来事でも、

・血
・悪
・犠牲


というキーワードを感じることがあまりにも多いと思われるのは私だけではないと思います。

果たして、ここから「善」など生まれるのか・・・。
それはわかりません。



  

2014年07月26日



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exorcist-association-top.gif

▲ 2014年7月3日のカナダ CBC ニュースより。






 


エクソシストから辿り着いたのは日月神示の冒頭だった

先日の記事、

世に溢れるアナグラム : ツェッペリンの天国への階段の逆回転での「悪魔と666」。リーガンが語る逆回転のサタンの言葉。そして、セウォル号オーナーの「鏡像」遺書
 2014年07月23日

という、読み直すと何ともとりとめのない長い記事ですが、その後半で、1973年の映画『エクソシスト』についてふれている場所があります。

その内容そのものは記事を読んでいただければ幸いですが、映画のシーンの中の言語研究所のセットの中に、下のように「 TASUKETE (たすけて)」と書かれた看板か横断幕のようなものがあることに気づきました。

tasukete-1.gif


このような描写は原作にはなく、そもそも映画は日本とか日本語などはまったく関係しないものですので、何となく興味を抱き、これはローマ字ではなく、「もしかすると、英語に TASUKETE という単語があったりして」と思って辞書を引いたのですね。

英語辞書 Weblio で TASUKETE と引いてみたのです。当然、該当する英語はなく(笑)、ただ、

「TASUKETE を含む例文一覧」


というものがあり、そこに下のような例文が載せられていたのです。

tasukete-2.gif
Weblio TASUKETE


「・・・なんじゃね、これは・・・」

と思わず呟いたほど訳のわからない英語と、そして日本語訳でした。

日本語の部分は、

「卍も十も九も八きりたすけて七六かしい五くろうのない四かくるから 三たまを二たんにみかいて一すしのま九十を十四て九れ四 いま一十九十六あるか 九の九六八三たまを三かいておらぬ十こせぬ 九の四八まって二十十七一九六てある」


と書かれてあるのですが、どう考えても普通の日本語ではないものです。
そもそも読み方がわからない。

そうしましたら、その後、お知り合いがメールをくださいまして、

「あの日本語は日月神示です。しかも、冒頭の第01巻 上つ巻 第一帖 (一)です」

と教えられたのです。

「日月神示?」

しかし、たとえば、ひふみ神示データー ひふみ神示 第01巻  上つ巻などで確認しますと、その部分は下のように書かれてあります。


「仏もキリストも何も彼もはっきりたすけて七六かしいご苦労のない代が来るから みたまを不断に磨いて一筋の誠を通してくれよ。いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初まって二度とない苦労である。」



では、最初の訳のわからない日本語は何かと申しますと、メールを下さった方によりますと、


> 岡本天明氏が自動書記で書かれたもの、つまり原文を忠実に文字起こしたもの


だそうです。

まあ、それだけの話なんですが、何ともいえない「奇妙さ」を感じたのは事実です。

そもそも、ネットの英語辞書で「 TASUKETE 」なんて検索する人がいるとは思えないわけで、つまり、上のような奇妙な例文に出会うこと自体があり得ないようなできごとではあるわけで、いずれにしても、映画『エクソシスト』の中で、「ふと気づいた美術セットの文字」から、まさか、日月神示の冒頭部分が浮かび上がってくるとは・・・と思った次第です。

このような、

「何かの存在が、自分を偶然に何かの存在へと導いていく」


ということを「実際に感じる」ことは実は多いことでもあり、そして、これは多くの方がそのように自覚的に気づくことも多いのではないかと思われます。

それらは一般的には「偶然」という言葉で語られるわけですけれど、この「偶然」という現象には「大きな(物理学としての意味ではない)力学が存在している」ということと共に、それらの背後にあるものは、

「すべてを意味する意味での《ひとつのもの》かもしれない」


と考えることもあります。

死ぬまでに何度の「偶然」を繰り返して生きていくのかはわからないですが、それらは確実に「過去と未来を結ぶ線」であり、そして線というのは、そこから時間軸を取り払えば、「単なる点」となります。

小さな何もないようなところに自分の人生のすべてが集約される。多分そのあたりが「人生」というものだと思うのですが、変な形而上的なことを書きたいわけではないですので、この話はこのあたりにしておきます。




「悪魔は昔から神さまのコマーシャルなんですわ」と口にしたリーガンの母親

ところで、上の記事「世に溢れるアナグラム…」には、


何しろ、私が小説『エクソシスト』を初めて買ったのが、映画が話題となった後の中学2年の時(1977年)ですので、現在、購入後 37年目になりますが、まだ完読していないという有り様。



と書いていますが、実は上の記事を書いた夜、お酒を飲みながらパラパラめくっているうちに、結局、全部読んでしまいました。

映画のほうのエクソシストでは、カトリック教会から正式に派遣された老神父であるメリン神父という人の悪魔払いの様子が、ひとつの映画のメインとしても描かれますが、小説ではメリン神父が登場するのは、この全ページが文庫本で約 550ページもある長編小説の中の、なんと 470ページ目なのです。

そして、528ページ目には死んでしまう。
わりとほんのちょっとの登場なのです。

しかし、やはり映画同様、小説でもすべての登場人物を圧倒する存在感と「理性と尊厳」を備えた人物であることがわかります。

melin.jpg

▲ 映画『エクソシスト』で、悪魔払いのため聖書を朗読するメリン神父。


ストーリーの最初の方から登場しているカラス神父が、このメリン神父に、

「(悪魔が)人間にとり憑く目的はどこにあるのでしょう

と訊く場面があります。

それに対してのメリン神父の答えは以下のようなものでした。


それは誰にも判らないことだ。……しかし、私はこうみている。つまり、悪霊の目的は、とり憑く犠牲者にあるのではなく、われわれ……われわれ観察者が狙いなんだと。

そしてまた、こうも考えられる。やつの狙いは、われわれを絶望させ、われわれのヒューマニティを打破することにある。

やつはわれわれをして、われわれ自身が究極的には堕落した者、下劣で獣的で、尊厳のかけらもなく、醜悪で無価値な存在であると自覚させようとしている。




悪魔、あるいは悪霊は、「人間が『自分たちは堕落した無価値な存在』と自覚させるため」に、憑依などをおこなうと言っているくだりは、私にとって、過去2千年くらいの間の、

人間の価値を低く考えさせようとしてきた人類(の教育)の歴史


と重なります。

しかし、この話をすると、また長く余談となるので、話を進めます。

さらにメリン神父は後半でこのような言葉も口にします。


「このような悪からでさえ、善が生じてくる。なんらかの方法でだ。われわれには理解できず、見ることもできない何らかの方法でだ。……おそらく、悪こそ、善を生み出す『るつぼ』であるからだろうな」



この言葉は、大変に印象に残ったのですが、その心境をうまく表現することができません。

ところで、さらに、印象深かったのは、小説の最後のほうの部分。悪魔に憑依された女の子リーガンから悪魔が出て行き、悪魔払いの儀式が終わって(カラス神父とメリン神父は共に悪魔払い中に死亡)から数日後のエピローグとしての場面の中で、リーガンの母親は死亡したカラス神父の友人のダイアー神父という人にこのように言います。

ちなみに、リーガンの母親は信仰を持たない無神論者です。


あなたがた神父さんたちは、祭壇の前にぬかずいて、神さまの実在を考えなければならない立場ですわね。だからこそ、神さまは毎夜、百万年の眠りを眠ってらっしゃるんですわ。

そうでなかったら、神さま自身がいらいらなさって、ついには怒りださずにはいられなくなるはずです。わたしのいっていること、判っていただけるかしら?

神さまは何もおっしゃらない。その代わり、悪魔が宣伝の役をつとめます。悪魔は昔から、神さまのコマーシャルなんですわ。




この

> 悪魔は昔から、神さまのコマーシャルなんですわ。

という台詞は 1970年代のアメリカでは禁忌に近そうな言葉に感じますが、実際、映画のほうにはこのやりとりのそのものが出てきません。

悪魔は神さまの宣伝をしている」という響きは信仰をもたれている方にとっては怒りを感じる言葉かもしれないですが、しかし、ここで、冒頭にはりました、「ローマ教皇庁が正式に悪魔払い師の団体を認めた」というような最近の記事をみまして、少なくとも、このこと自体は、

「神の存在のほうからパチカンを知らしめている」

のではなく、

「悪魔の存在のほうからバチカンを知らしめている」

ということにはなります。

短い報道ですので、ご紹介します。

バチカンが承認した悪魔払い団体の名称は、「インターナショナル・アソシエーション・オブ・エクソシスツ( International Association of Exorcists )」ですので、日本語では「国際エクソシスト協会」というような感じでしょうか。





Vatican formally recognizes exorcist association
CBC News 2014.07.03

バチカンは正式にエクソシストの協会を認めた

悪魔払いは 「苦しむ人々に利益をもたらす慈善の形だ」と協会のトップは述べる

エクソシスト(悪魔払い師)たちは今、自分たちで自由に活動できる法的権限を持った。バチカンが、30カ国の 250人からなる、悪魔払いをおこなう司祭たちの協会「ザ・インターナショナル・アソシエーション・オブ・エクソシスツ」を承認したのだ。

最新のバチカンの新聞によると、バチカンの組織のひとつ「聖職者省」( Congregation for the Clergy )は、このエクソシストたちの組織を承認する法令を出し、教会法の下にこの組織を認めることを報告した。

現在のフランシスコ法王は、前任者(ベネディクト16世)よりも、悪魔についてよく話す。そして、昨年は「4人の悪魔に取り憑かれている」とされた男の頭の上に手を載せ、悪魔払いをしたことが認められている。






ということなんですが、記事の「フランシスコ法王が悪魔払いをした」というようなフレーズは、当時多く報じられまして、2013年5月22日の AFP 「法王が悪魔払い?ローマ法王庁が否定」という記事の冒頭は以下のようなものです。


イタリア司教協議会のテレビ局TV 2000が、フランシスコ ローマ法王が車椅子の少年に悪魔払いを行ったと報じたことについて、ローマ法王庁は21日、これを否定した。

テレビ局が撮影した映像には、ペンテコステ(聖霊降臨祭)の式典が行われた19日に、法王が車椅子の少年の頭に少しの間両手を載せる姿が映っている。少年は数秒間体を震わせ、叫ぶかのように口を開けている様子を見せた。

バチカンの広報局長は、「病人や苦難を抱える人に面会した法王がよくされるように、ただその人のために祈るという意図があったにすぎない」と語った。




ところで、冒頭の「エクソシスト協会を承認」の報道の写真を見て、ちょっと「うん?」と思ったのは、そのフランシスコ法王の「顔つき」なんです。

フランシスコ法王というのは、いかにも「いい人そうな顔つき」のような写真が就任時から多いです。

Pope-Francis-waves-to-cro.jpg
Guardian


しかし、上でご紹介しました報道の写真は、6月29日に撮影されたものなんですが、単に厳粛な顔をしているだけなのでしょうけれど、何となく「ちょっと違うイメージになってきてないか?」と思ったりした次第です。

下はちょっと拡大してみたんですけど・・・左の方がフランシスコ法王です。

pope-stn-01.jpg


暑かったか、あるいは強面路線に変更ですかね。
あるいは・・・。


昨年の記事、

最後の法王と呼ばれ続けたベネディクト16世(1): 聖マラキの予言とコナン・ドイルの未来感の時間軸
 2013年02月13日

に書いたことで、「偽書」とされてはいますけれど、12世紀の聖マラキという聖職者の預言では、ベネディクト16世が「最後の法王」ということになっています。


ですので、本来は現在はもはや法王のいない時代のはずなんです。


まあ、奇妙な実在論はともかく、フランシスコ法王になってから起きている様々なこと。
これは過去記事、

「悪魔 vs キリスト教」の戦いが世界中でエスカレートしている
 2014年01月29日

にも書きましたけれど、「受難的」なことが続いているといえないでもない。

2014年1月27日

pope-hato.jpg


2013年2月13日(ベネディクト16世が退位を発表した日)

2012-02-13-thunder.gif



2014年1月16日

rio-03.jpg

▲ ブラジルのリオデジャネイロの「コルコバードの丘のキリスト像」に雷が直撃し、像の指が欠けました。


と、いろいろと続いています。

もちろん、これらも先に書きましたような意味での「偶然の連続」ではあるのでしょう。

そして、ここにきて、バチカンは正式に「エクソシスト協会」を発足させたわけで、小説『エクソシスト』の中の母親の言葉「悪魔は昔から神さまの……」を思い出したりした次第です。

ところで、エクソシストのオープニングシーンとして登場する「イラク北部」では、キリスト教の聖地である「預言者ヨナの墓」が、過激化組織イラク・シリア・イスラム国(ISIS)によって破壊されたという出来事がありました。

クリスチャン・トゥディに短くわかりやすい報道が出ていますので、抜粋しておきたいと思います。


イスラム過激派組織ISIS、預言者ヨナの墓を破壊
クリスチャン・トゥディ 2014.07.22

イスラム過激派組織「イラク・シリア・イスラム国」(ISIS)がイラク北部ニーナワー県で、聖書に登場する予言者ヨナの墓を破壊した、と語った。

ISISはこのところ教会、墓、神殿などの破壊を進めており、イスラム教の聖地メッカまで遠征して、毎年巡礼数百万人が参拝に訪れるカーバ神殿を破壊する計画もあるという。




こちらが預言者ヨナの墓です。

j-d-1.jpg


そして、下の写真が「爆破」された瞬間です。

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YouTube


なんとなく、私たちは、現実の出来事を含めて、「本当に神と悪魔の戦いの渦中にいる」(象徴的な意味でも構いません)のかもしれないとも思います。もっとも、これは結構前から感じていることではありますけれど、もっと顕著になっていくのかもしれません。

何しろ、 聖マラキの予言という、それは確かに「偽書」に書かれてあることとはいえ、本来は、現在は「もはや法王は存在していない世界」なのですから。



  

2014年07月25日



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今回の本題とは関係ないのですが、なんかというか、飛行機の世界はどうなってしまっているのですかね。

マレーシア機の撃墜以降のこの1週間で、

台湾旅客機(7月23日 / 47人死亡)
    [報道]台湾の旅客機墜落で47人死亡(ロイター)

アルジェリア航空機(7月24日 / 116人の安否不明)
    [報道]アルジェリア航空機、墜落(読売新聞)

と、ちょっと考えられない頻度で旅客機の墜落が続いています。
マレーシア機の撃墜から1週間に3度の墜落。
しかも、どれも比較的乗客が多い。

マレーシア機は乗客の半数以上の 154人がオランダ人でしたが、昨日墜落したアルジェリア航空機の乗客は、 50人以上がフランス人だったそう。「西欧地域ではない場所で、西欧人が大量死する」というようなことが続けておきます。

そして、7月23日のニューズウィークには下のような「またも撃墜されたいのかね」と思わざるを得ないような記事が出ていました。

mh-syria.jpg

▲ 2014年7月23日のニューズウィーク日本版「マレーシア航空が今度はシリア上空を飛んでいた」より。






 


少し前に、

「大量の犠牲」の時代に呆然としながら
 2014年07月21日

というような記事を書いたばかりですけれど、その傾向は収まる気配はないのかもしれません。もちろん、仮にそれが「単なる偶然の連続」であるにしても。

いろいろと考えてしまうような感じの流れでもありますけれど、とりあえず、今回はまったく別の話題です。






シベリアのクレーターに調査隊が到着

先週書きました、

気温40度の中に降った爆撃のような雹。そして、「世界の終わり」という地名がつくシベリアに突然開いた巨大な穴 : 「ウラジーミルの栄光の国」を襲い続ける異常な気象と現象
 2014年07月16日

の後半の「『世界の終わり』という地名のつくシベリアに突然開いた穴の正体」というセクションに、ロシアのヤマルという場所に下のような穴が突然開いたことが報じられていたことをご紹介いたしました。

sib-hole-top.gif
Daily Mail


この際には、空中から撮影された写真と映像だけ見られたのですが、7月20日頃、ロシアの科学者たちによる第1回調査チームが現地に到着したことがプラウダなどで報じられていました。

何しろこの「ヤマル」という場所は、地図では下の場所にあるのですが、荒涼とした永久凍土が続くような、まったく人里離れた場所で、ふだんは人などが赴くような場所ではないところのようなんです。

Siberia-Yamal-Peninsula.gif

ここは、下のような風景がえんえんと続く荒涼とした地です。

yamal-001.jpg
Daily Mail


この地がヤマルという地名と同時に「この世の終わり」( The end of the world )という意味のロシア語で呼ばれている理由もわかるような気がします。

この遠い場所に開いた「穴」の調査のために、ロシアの科学者の調査団が今回初めてその場に立ち入ったのですが、空中撮影の写真ではわからなかった、その穴の作りの奇妙さがそこにはありました。

下がその写真です。

調査隊が撮影したヤマルの穴

すべて、プラウダ Mystery of giant sinkhole in Russia's Yamal より。

ru-hole-01.jpg


ru-hole-2.jpg


この岩の紋様のような感じだけでも不思議な感じなんですが、空中撮影での「周囲の風景」と穴を比べてみますと、突然できたこの穴がなんとも異様な感じに思えます。

ru-hole-3.jpg


第1回目の調査でわかったのは、


・クレーター(穴)の直径は約 60メートル
・深さは約 50メートルから 70メートル
・クレーターの底には、氷の湖がある


とのことで、底が「氷の湖」になっているのだそう。ということは、噴火的なものや天然ガスの噴出など「熱を伴いそうな関係の現象」ではないかもしれません。

科学者たちは、土壌や水などのサンプルを採取し、分析するそうですが、今回の調査ではこのクレーターがなぜ突然できたのかはわからないままのようです。

なので、「クレーターができた原因はわからない」というところまでしかご紹介できないのですが、上の写真を見ていて、インドネシアにある神秘的な火山と、その火口を思い出しました。






「三色の湖を持つ山」から思い出す死の神話

その山は、インドネシア・東ヌサ・トゥンガラ州のフローレス島という島にある、クリムトゥ山という火山です。

この火山は3つの火口を持っていて、それぞれが湖となっているのですが、それがまた下のように美しいものなのであります。

クリムトゥ山

Gunung-Kelimutu.jpg

クリムトゥ山 - Wikipedia によりますと、


クリムトゥ山は、インドネシア・フローレス島中部にある火山である。三色の火口湖を持つことで知られている。

西側には深緑色(以前は緑色)のTiwu Ata Mbupu(老人の霊の行く湖)、東側には青緑色(青色)のTiwu Nuwa Muri Koo Fai(若い男女の霊の行く湖)、黒色(赤色)のTiwu Ata Polo(罪人の霊の行く湖)が並んでおり、東側の2つの湖では水中の噴気孔によって湧昇が起こっているとみられる。湖の色は時おり変化している。




ということで、上の火口はその中のひとつなんですが、深緑色のほうなのか、青緑色のほうなのか今ひとつわかりません。この湖の水の色は色が刻々と変化しているようで、同じ場所から撮影されたものでも、日によってなのか、季節によってなのかわからないですけれど、写真によって下のように色が全然違ったりしているんです。

Kelimutu_1.jpg
Indonesia Tourism


Kelimutu.jpg
Kapur News


同じ火山の火口なのに、どうして、それぞれ違う色の湖になるかということについては、「火山ガスの活動に誘発されて湖水中の鉱物に化学反応が起こることにより、色が変化する」ということで説明されているようなんですけれど、しかし、それはそれで何となく、それぞれが色が違う説明にはなっていないような気もしないではないのですが、まあ、それはいいです。

そして興味があるのは、それぞれの火口にインドネシアの人々がつけた名称が、

・老人の霊の行く湖
・若い男女の霊の行く湖
・罪人の霊の行く湖


となっていることでした。

普通に考えれば、「老人の霊」というのが一番多いわけで、その湖に行く人たちが一番多いのでしょうけれど、同時に、ふと、

若い男女の霊の行く湖

という響きは一見美しいけれど、結局、「最も悲しい湖」だということにも気づきます。

最近、いろいろな本を買い込んでしまっていて、しかも、私は一冊読み終えてから次に行くということがどうもできなくて、1ページ読んでは、別の本に手を出す、といようなムチャクチャな読み方をしているのですが、それはともかく、その中に、米国のヌーランドという医師の書いた『人間らしい死にかた』という本があります。

この人は 30年に渡って、9000人の末期患者の最期を看取ってきた人ですが、実際の病院での死の光景と、「人々が頭に描く死の神話」の間に大きな溝があることを書いています。


シャーウィン・B・ヌーランド著『人間らしい死に方』(1994年)より

昨今、われわれは愛する者の死を実際に目撃することがほとんどなくなった。いまや、自宅で死ぬ人は少なく、アメリカ人の少なくとも 80パーセントが病院で息を引き取るのだが、そうしたほとんどすべての患者の様子は、おおむね生前最も親しかった人びとの目から隠されるか、少なくとも死に向かう状況についての詳細は隠されている。

一方、死というプロセスをめぐっては完全な神話ができあがっている。神話の大部分がそうであるように、それは人類すべてに共通な心理的必要からつくられてきたのである。

死にまつわる神話は、一方で恐怖との戦いを、またその一方でその反対の願望をあらわすものだ。それらは、現実の死がどんなものかをめぐるわれわれの恐怖を和らげるのに役立つようになっている。

非常に多くの人びとが「苦しまなくてもすむように」、ぽっくりと死ぬか、眠っているあいだに死ぬことを願っていながら、同時に人びとに囲まれて優雅に最後の時を迎えるというイメージにすがりついている。

われわれは人生の総決算を明確な意識をもって迎えられると信じないではいられない。さもなければ、苦痛のない完全な無意識状態におちいることを望むのである。




とあります。

つまり、人は「自分の死についての理想と希望を持っていて、自分の死は自分が考えている通りになると信じて疑わない」ということで、それは、たとえば、典型的なものとしては、

「愛する人たちに見守られながら、眠るように死んでいく」

というようなことであるようなんですが、実際に病院でヌーランド医師が見続けてきた「人間の最期」は、多くの人びとが、長い期間、苦悶に喘ぎ続け、嘔吐や痙攣などの苦痛の連続の中で衰えて死んでいく現実でした。

あるいは、上に、

「自分は人生の総決算を明確な意識をもって迎えられると信じている」

という人の希望が書かれてありますが、通常の認知症でも、あるいはアルツハイマーなどの場合でも、そこにはすでに自分の明確な意識などは存在ない状態の中で死亡していくというのが現実であり、「神話」を満たして死んでいく人はほぼいない、ということが書かれています。

そこに、このヌーランド医師の苦悩もあるようです。

少し前に、

聖女キューブラー・ロスが「神を呪った」とき : 寿命は長いけれど命そのものが粗末な感じがする今の時代に読んだ聖女の「最期」
 2014年07月14日

という記事を書きましたけれど、最近は「死」ということについて考えます(「悪魔」のことも同じくらいよく考えますけど。てへッ。 ← てへッじゃないだろ)。

人間、年をとると、死について考えることが多くなるのは誰でも同じかもしれないですけれど、それに加えて、先日の、

パンドラの箱が開いてしまったかもしれない2014年
 2014年07月22日

というような時代に住んでいて、つまり、連日「大量死」の報道を見ていれば、それらの出来事が、全世界を覆っていることがわかります。

そして、さらにそこから漂う気配としては、

この今起きている大量死は他人事ではない

ということです。

もちろん、だからといって、暗い気分で生きる必要などありませんが、こういう時代だからこそ、生きることや死ぬことや、自分の希望や理想や「義務」なども含めて「いろいろと考える」ことも悪いことではないかもしれないと思ったりするのです。



  

2014年07月23日



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▲ 最近、死亡して発見されたことが報じられた沈没したフェリー「セウォル号」のオーナーであるユ・ビョンオン容疑者の「遺書」。7月22日の韓国 sisainlive より。文字をすべて左右反転させた「鏡文字」の形式で書いています。ちなみに私は筆記体のハングルが判読できず、どちらがオリジナル(反転させたもの)か今ひとつわからないのですが、赤で囲んだほうがオリジナルではないかと思います。この遺書の内容は、記事の最後にご紹介します。






 


私がどうしても好きになれなかった「天国への階段」に「潜む悪魔」の噂

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YouTube


唐突ですけど、往年のロックバンド Led Zeppelin (レッド・ツェッペリン)をご存じでしょうか。レッド・ツェッペリンは活動したのが 1968年から1980年までで、そして、私が初めて聴いたのは 1976年頃の中学1年生の時でした。

最初に聴いたのはツェッペリンの2枚目のアルバム(ツェッペリンは4枚目までのアルバムはすべて「無題」として、アルバムタイトルをつけませんでした)で、それはそれは当時 13歳の私は大きなショックを受けて、「音楽を聴くこと」に対して、かなりの影響を受けました。

ツェッペリンは、ハードロックバンドでありながら、ブルースからアジア民族音楽、西欧民族音楽にいたるまで様々な要素を曲に取り入れていて、その影響もあり、私も若い頃から、世界中の民族音楽をよく聴きました。

また、ライブでは「テルミン」というロシアの楽器まで使っていました。テルミンというのは、 1919年にロシアの発明家であるレフ・テルミン博士が発明した世界初の電子楽器で、詳しくは、 Wikipedia などに載っています。

theremin.jpg

▲ テルミンを演奏するレフ・テルミン博士。心の時空より。


ちなみに、その中学1年の時に最初に聴いたアルバムの1曲目の、邦題では「胸いっぱいの愛を(リンクは YouTube )」という曲には、途中、テルミンの音も使われていました。

ちなみに、このロシアのテルミン博士という人も謎の人で、「科学者?芸術家?音楽家?スパイ?天才? テルミンの数奇な人生」というサイトに、詳しい経歴が記されていますが、米国に住み、アインシュタインなどと親交もあった科学者でもあったテルミン博士は、 KGB (ソ連国家保安委員会 )に強制的に米国からソ連に送還され、そのままシベリアの強制収容所に送られています。

過去記事の、

太陽と暴動。そして、太陽と戦争
 2014年03月04日

の冒頭に書きました「大衆の興奮も太陽の周期に従っている」という言葉を残したロシアの科学者、チジェフスキー博士も、「太陽が人間活動を牛耳っている」という研究結果がスターリンに嫌われ、シベリアの強制収容所に送られていますので、先進的な科学者はわりと「シベリア送りになりやすい」という側面があったようです。

ちなみに、上記サイトによると、テルミン博士は晩年は、自分の研究に対して理解のあったレーニンを「生き返らせようとする研究(レーニン蘇生計画)」などにも携わっていたそう。

(何だか、話が逸脱してきているぞ)

えーと・・・なんで、こんな話になっているんでしたっけ・・・。

ああ、レッド・ツェッペリン。

そんなわけで、レッド・ツェッペリンを若い頃に聴いた影響は今にいたるまで続いているのですが、そのツェッペリンの中で私が最も「好きになれなかった曲」があるのです。

端的にいえば、嫌いといってもいいのですが、しかし、それがツェッペリンの最大のヒット曲というか、有名な曲でもあるので言いにくいわけで、それは「天国への階段」(1971年)という曲です。


多くのツェッペリンの曲が好きな私が、どうしても今でも生理的に受けつけない曲のひとつなのです。好きになれないのは楽曲としての展開そのもので、歌詞的な意味でのことではないです。歌詞の冒頭は日本語に訳せば、


「輝くものすべてが黄金だと信じる女神が天国への階段を買おうとしている」



という歌詞から始まります。

さて、そのような、私の個人的な好き嫌いはともかくとして、天国への階段 - Wikipedia に次のような記述があります。


なお、「『天国への階段』を逆回転で聴くと悪魔崇拝を勧めるメッセージが聞える」という風説があったが、レッド・ツェッペリンのメンバーは一様にこの風説に対して嫌悪感を表明している。



厳密にいうと、「天国への階段」を逆再生すると、悪魔を讃えているかのような、例えば下のような言葉が連続して聞こえる、というものです。


"Here's to my sweet Satan"
(これは私の愛しきサタンへのものだ)

“Satan He will give those with him 666"
(サタンは666と共に彼らに与える)

"There was a little toolshed where he made us suffer, sad Satan"
(彼らが私たちへの苦しみを作り出す道具小屋がある、悲しきサタンよ)


それらしき噂があることは、私も知っていたのですが、何十年前のテレビ番組か何かなのでしょうけれど、そのことを放映している動画を見つけまして、そこに、日本語を入れてみました。

こちらがその動画です。
時間は1分30秒程度だけピックアップした短いものですので、興味のある方はご覧下さい。




サタンだとか666などの概念は、ブログを書き始めてから興味を持った分野でもありますけれど、最近は、

黒点は完全に消えたけれども、イスラエルの「666戦争」とマレーシア機の既視感の中で予測されてしまうかもしれない今後の世界
 2014年07月18日

のようなタイトルの記事なども書いていたり、半年くらい前ですけれど、

「悪魔 vs キリスト教」の戦いが世界中でエスカレートしている
 2014年01月29日

という記事でも書きました、

「もしかすると、今は悪魔という概念(あるいは実在)との戦争的な時代かもしれない」


といったようなことを感じる時もあったりいたしまして、それで、ふいに自分が好きだったバンドの中で「唯一好きになれなかった曲」の「噂」について思い出して、このようなことを書いた次第でした。

それにしても、逆再生させて、偶然とはいえ、上のテレビに出ている人たちにも一発で聴き取れる程度のクリアな英文が浮き上がるという現象は珍しいと思うのは事実です。「空耳アワー」などのように、最初から文字が提示されていればわかると思いますが、上のテレビ番組を見ても、男性も女性もすぐに聴き取れていることがわかります。

また、どんな言語でもそうでしょうが、通常の回転でも逆回転でもどちらにも意味のある言葉の歌詞を作るというのは、かなり難しいと思います。「天国の階段」の歌詞を作ったロバート・プラント(ボーカル)にそのような言葉遊びの才覚があったとはとても思えません。

なので、メンバー本人たちがこの「噂」に嫌悪していることでもわかるように「一種の偶然で起きたこと」なのだとは思いますが、しかし。

「偶然」という現象には常に「何らかのチカラ」が介入している

ということはあるわけで、「偶然という現象は厳密には存在しない」という概念を持ち出すまでもなく、存在する現象は、原因がどうであれそれは実在している・・・ということだけが事実です。

なので、この件の場合は、バンドのメンバーの意志とは関係のない「何らかの意志による偶然のような出来事」がこの偉大なバンドに降りかかったのかな、と考える方が妥当な気がします。

何しろ、この「天国の階段」の入ったアルバムは今でも世界的に最も売れたアルバムのひとつで、 Wikipedia での数値では、


約5年にわたってトップ200にとどまる大ロングセラーとなった。1990年末にはアメリカ国内での売り上げが1,000万枚の大台に達し、2006年現在、累計2,300万枚。



というアルバムで、まして、「天国の階段」だけに絞れば、ただ聴いたことがあるという人の数は「億」単位の人数になるはずです。悪魔のほうとしても狙いたくなる魅力的な人数だったと思われます。


ところで、この「天国の階段」の歌詞を書いたレッド・ツェッペリンのボーカルだったロバート・プラントは、 Wikipedia によると、ツェッペリン解散後のソロ活動において、


ソロキャリアにおいてのレッド・ツェッペリン楽曲、特に「天国への階段」は過去の栄光を象徴するためか、歌詞の出来が気に入らないとしてライブ演奏を嫌っており



と書かれてありました。

特別意味はないのでしょうけれど(あるかもしれないですけれど)、少なくとも、「本人は自分が書いた『天国への階段』が好きではなかった」ということがわかります。

いずれにしても、レッド・ツェッペリンは今でも私の中では偉大なバンドであり続けることは確かです。

悪魔がどうであろうと、私の「魂」を一発で新しい価値観へ目覚めさせた「胸いっぱいの愛を」がなければ、私は今の人生とまったく違う方向へ歩いていたように思います。

ちなみに私が、ツェッペリンで最も好きというより、今まで最も聴いたであろう曲は、3枚目のアルバムに収められている曲「フレンズ(リンクは YouTube )」です。


ところで、ここで取り上げました「逆回転ボイスと悪魔の関係」は、1973年の映画『エクソシスト』の中でも扱われています。





リーガンに取り憑いた悪魔が使った逆回転ボイス

english-words.jpg
・『エクソシスト』(1973年)より。


映画『エクソシスト』は、ウィリアム・ピーター・ブラッティ原作の小説『エクソシスト』を映画化したものですが、小説にも映画にも「逆さ言葉」が出てきます。

「娘に悪魔が取り憑いた」と主張する母親からの訴えをきいたカラスという名の神父が、悪魔払いの「前段階」として、そのリーガンという女の子が「本当に悪魔に取り憑かれているかどうか」を確かめるテストの際に「逆さ言葉」が女の子から発せられるのです。

なぜ悪魔払いの「前段階」のテストなどが必要かと言いますと、教会では、「悪魔払いの実行が許可されるための条件」というものが厳密に決まっていて、いくつも項目があるのですが、その中に、

「本人が知らないはずの未知の言語をしゃべる」

という項目があるのです。

もう少し厳密に書きますと、カトリックの祭儀について書かれた『天主会典礼書』には「悪魔憑き」について次のような記述があるのだそうです。


悪魔憑きの徴候は次の諸点にあらわれる。異国もしくは古代の言語を自在に駆使し、あるいは他人が語るそれを理解する。未来の出来事を予言し、秘匿されている事実を言い当て、年齢または生得の能力を超えた力を発揮する。



そのため、「本人の知らない言葉」を話すということは重要な項目で、映画エクソシストでも、前段階のテストで神父とリーガンとの会話が記録されますが、その中で、リーガンは聖水をかけられた際に苦しみながら、「未知の言語」を口にするのです。

その後、神父は、言語研究所にこのテープを持ち込み、言葉かどうかの分析を依頼するのですが、映画では分析官は聴いた瞬間に「単なる普通の英語だ」と即断します。30秒ほどのシーンですので、ご覧いただければと思います。




しかし、原作の小説のほうでは、言語分析官は、テープを聴いただけでは言語の種類を判断できず、長い期間の分析が始まります。

言語分析学のひとつに「タイプ・トークン比」というものがあるそうで、これは、千語程度の言葉を調査して、同一語彙の出現度の比率を割り出すものだそうですけれど、小説では、その「タイプ・トークン比」などを用いて、リーガンが口にした言葉を分析していきます。

そして、何日後くらいか小説ではよくわかりませんが、神父は、なかなか届かない鑑定結果に苛立ち、言語研究所の所長に電話をするのですが、下は小説のほうの『エクソシスト』のその際の会話です。


小説『エクソシスト』より

カラスは、期待の気持ちをなかば失って「あの言葉は、どこかの国の言葉ですか」と訊いた。言語研究所のフランク所長はくすくすと笑い出した。

「何がおかしいのです?」イエズス会士は不機嫌そうな声を出した。
「神父、これは、私に対する手のこんだ心理テストではないのかな?」
「おっしゃる意味がわかりかねますが」
「しかし、あの録音テープには、きみの手が加わっているとみた。なぜなら……」
「フランク所長、あれは言葉ですか、言葉ではないのですか?」
「言語であることは間違いない」
カラスは緊張して、「ご冗談ではありますまいね?」
「いうまでもない。大まじめだ」
「では、どこの国の言葉です?」
「英語さ」

しばらく、カラスは無言でいた。そして、口をを切ったときは、声に刺(とげ)があった。

「フランク所長、わたしのお願いは真剣なものでした。それをお考えいただけずに、おもしろがっていられるとは、こんな残念なことはありません」
「まあまあ、神父、待ちたまえ。今、きみの手もとに問題のテープがあるかな?」




と、言語研究所の所長は、電話でカラス神父に、

「そのテープを逆回転して聞いてから、また私に電話をくれたまえ」

と言うのです。そして、神父がテープを逆再生して聞いてみると、言語研究所の所長が言う通りに、そして、上の映画の映像の通りに、それが英語、つまり自分たちの話している言葉と同じものだったことを知り、神父は慄然とするのでした。

その時点ではリーガンは「精神病」であるとする病院からの通知が来ていて、正確には「罪の意志にもとづく強迫観念がヒステリー性夢中遊行症と結合したもの」と診断されていたのでした。カラス神父も、そのように考えていた部分が大きく、それだけに、教会の悪魔払いの許可項目の中の、

「未知の言語を話すか話さないか」

は、リーガンに対して、教会から悪魔払いの許可が出るがどうかの最大のポイントでもあったのです。

しかし、リーガンが話している言葉が「単に逆回転させた英語」であり、未知の言語ではないことがわかったことで、悪魔憑きの要件は満たさないことになります。

これだけでは「ただの特殊才能」であって、悪魔憑きの条件にはならないのです。芸として逆に言葉を話せる人など、この世に少なからずいるのも事実ですし。

しかし、カラス神父が気にしたのはその言葉の内容でした。映画では言葉は短いですが、小説では、多くのことを逆回転の英語で語っています。

たとえば、下のようなことをリーガンは言っています。


「おれには名はない、誰でもない。しかも大勢だ。とにかく、放っておいてくれ。この身体の中で暖まらせてほしい。肉体から虚無へ。放っておいてくれ。このままでいたいのだ」



その後、カラス神父は、ユングの著書『オカルティズム現象の心理と病理』などに類する精神疾患者の臨床例を調べ続けているうちに、リーガンの言葉が「逆回転」させているだけではなく、全体が「アナグラム」(単語や文章の文字を入れ替えることによって全く別の意味にさせる)を駆使して構成されていることを見出します。

そこから浮かび上がる言葉の一節が、


「サタンをわが指導者たらしめず……」



という言葉だったことがわかり、神父は、リーガンが言葉遊びをしているわけでもなく、さらに、彼女を精神疾患に分類することもできないことに気づきます。そして、その後に起きるいくつかの出来事によって神父は「悪魔の存在を確信」します。

映画のエクソシストは面白い映画ですが、小説は、科学的側面(主に医学的側面)と宗教的側面を徹底して追求し続けているもので、映画とは別の面白さがあります。

たとえば、Amazon の書評に下のような書評とは思えないような書評がありますが、確かにそういう思いにさせる部分は多いです。


善なるものに悪が潜み、悪なるものが善を目覚めさせる。
悪が無くならないのは、悪にも意味があるから。
説明の付かない現象を、論理的に説明しようとするのは、虚無への恐怖があるから。
根源的な恐怖に対して、論理で立ち向かおうとすると、ますます追い詰められる。
それに対して、勇気を奮って立ち向かうには、信念が必要だ。
神の愛とは、神を信じ続ける信念に基づく。




ただ、本当に長い小説ですけどね。

何しろ、私が小説『エクソシスト』を初めて買ったのが、映画が話題となった後の中学2年の時(1977年)ですので、現在、購入後 37年目になりますが、まだ完読していないという有り様です。

ところで、今回、映画のほうのエクソシストの上の場面を静止画で見たりしていた時に、この言語研究所の分析スタジオのドアの上に「TASUKETE!(タスケテ)」という横断幕が掲げられていることに気づきました。

tasukete-1.gif


これって「助けて」ですよね。
他に、こういう綴りの英語があるのかもしれないですけど。
ちなみに、原作には言語研究所の室内の様子の描写はないですので、オリジナルの美術のようです。

いちおう、英語辞書 Weblio で引いてみましたけど、「TASUKETE に一致する見出し語は見つかりませんでした」とのことで、ただ、「TASUKETE を含む例文一覧」に下のような、何だかよくわからない例文がありました。

tasukete-2.gif
Weblio TASUKETE


英語のほうも日本語のほうもわからない。
なんの例文だろう?(苦笑)

悪魔のことなんかを調べていると、時折こういった「訳のわからないもの」に出くわすので注意が必要です。


何だかツェッペリンからテルミン、エクソシスト・・・と、話が飛んでいき、長くなりましたが、冒頭に貼りました写真のことを記事の締めとしたいと思います。

これは「逆回転」ではないのですが、「左右反転」という、やはり一種の言葉遊びのような形の遺書を残して死亡した(とされる)冒頭に示したセウォル号のオーナーの話です。





やはり普通ではなかったユ・ビョンオン容疑者

今朝、次のような日本の報道を読みました。
抜粋です。


韓国旅客船沈没事故 遺体は実質的オーナーと確認も依然多くの謎
FNN 2014.07.23

多くの犠牲者を出した、韓国のセウォル号沈没から98日目。
事態は急展開を迎えた。
指名手配されていたセウォル号の実質的オーナー、ユ・ビョンオン容疑者の死亡を、捜査当局が発表した。しかし、この死には、多くの不審な点が残されている。

遺体は6月12日、別荘から2kmほど離れた畑で発見されていた。
遺体は性別がわからないほど腐敗が進み、首と胴体が離れた状態で見つかっている。ところが捜査当局によると、他殺を疑わせる傷はないという。

そしてもう1つ不思議なのが、ユ容疑者が逃亡中に残したとされるメモ。
「鬼ごっこが始まった」などと、捜査当局の追跡をあざ笑うような内容が、なぜか左右を反転させた、鏡文字で書かれていた。




というもので、この中の、

> なぜか左右を反転させた、鏡文字で書かれていた。

という遺書が冒頭の写真です。

この死亡した「とされる」容疑者のユ・ビョンオンという人に関しては、過去記事の、

韓国フェリーの若者たちを「犠牲」に導いた正体…はわからないけれど何となく見えてきそうな「輪郭」
 2014年04月25日

で書きましたけれど、韓国のキリスト教系カルト「救援派」(クウォンパ / 教団の正式名は「キリスト教福音浸礼会」)の代表であるのですが、この救援派の教義というのが、

自分が神から救われていれば、何をやっても(殺人や盗みでも)悔い改める必要がないし、何をやっても天国に行ける


というようなもので、セウォル号あたりの悲劇との結びつきも、このあたりの「異常性」にある部分もあるのではないかと思ったりもしたのですが、それはともかく、上に載せました今朝のニュースにもまた「異常性」ばかりが目につきます。


・6月12日に発見された死体が本人だと判明したと7月22日に発表
・首と胴体が離れた状態で見つかっているのに他殺を疑わせる傷はない
・遺書は鏡文字


特に、今回の上のほうの「逆回転」などのことについての事柄と関係するのは「鏡文字の遺書」です。

鏡文字とは左右反転した文字で、下は鏡文字 - Wikipedia を鏡文字にしたもの(笑)です。

kagami.jpg


見ているだけでも気持ち悪くなるような違和感がありますが、いずれにしても、普通の人に書けるものではないはずです。

「鏡文字で何かを書いてくれ」と言われても書ける人などほとんどいないでしょうが、セウォル号のオーナーであり、カルト教団「救援派」の代表は、そのような遺書を残したのです。

ただ、本当に遺体も遺書も本人のものなのかを含めて、疑問はいろいろあるようなのですが。韓国警察発表では DNA が一致したということで発表したということらしいです。

さて、その遺書とされる文章の、全文ではないですが、韓国のメディアに掲載されている分を訳して載せてみたいと思います。

意味がわかりにくい内容ですが、「今回の自分に対しての捜査劇」に対しての感想のようです。
ちなみに、ハングルだけではなく、漢字も使われていました。

最初の「華奢で弱々しい「大」」というのは多分、現在の韓国の女性大統領のことを言っているのだと思います。




「ユ・ビョンオン容疑者の遺書」(とされるもの)より

w-ih2.jpg
sisainlive

華奢で弱々しい「大」が「太」の男のようなことを起こしはしないだろう。海千山千の体験をしたであろうベテランの男たちがしでかしたことのようだ。彼らの過剰な忠誠にあふれる補助の方法なのだろう。

連日炸裂する放送や報道は、もはや魔女狩りの度を越し、旧時代の人民裁判の映像メディアとして進化してわめき出す韓国民族全体。そして、世の中と私たちの同胞の大きな仲違いの喧伝に悪意の声と共に熱を上げている。

目を閉じて、腕を広げて、いろいろと探す。
私がここに立ったことを知らずに、いろいろと探す。

長い夏に向けての鬼ごっこが始まった。

この純真無垢な幼子のプライドを押さえつけ、世界の時間の中で分針され、大きな針に代わって出す音。生存の節々で、超超超分時の呼吸であることを、この老いた体において精神は決して卑怯者でないことを・・・

私の老年の大きな覚悟と、そして回復する健康を祝す。





(訳者注)翻訳していて意味のわからない部分も多いのですが、こんな一種難解に見える遺書(かもしれないもの)を、鏡文字で書くことのできる人間。

そして、逆さ言葉とアナグラムで本音を語る悪魔。

いろいろな存在がこの世にあるのなら・・・今年は露骨に表に出てきている気がします。



  

2014年07月21日



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連休とのことで、私もいろいろ出かけたり戻ったりしながら、ニュースなどを眺めていますが、どうもニュースが異常に暗く感じられるのは、「大量の子どもの犠牲」の報道をあまりにも目にするからかもしれません。

なので、今回は記事もやや暗いものになってしまいますが、そのことを書かせていただきます。






 


繰り返す「子どもの大量の犠牲」

過去記事の、

赤い月と黒い太陽: 2014年から 2015年まで「4回連続する皆既月食」がすべてユダヤ教の重要宗教祭事の日とシンクロ。そして、過去の同じ現象の時に「イスラエルの建国」があった
 2014年04月06日

以来、

「大量の犠牲」

というキーワードが気になっていることと、そして、先日の、

黒点は完全に消えたけれども、イスラエルの「666戦争」とマレーシア機の既視感の中で予測されてしまうかもしれない今後の世界
 2014年07月18日

という記事にも書きました、その犠牲の対象は、旧約聖書では、

「すべての初子」

となっていることにも気になり続けていたわけですけれど、世の中の動きはそれに準じるような凄惨な方向へと進んでいます。

そして、先日、撃墜されたマレーシア機の「乗客の内訳」を知り、さらにショックを受けています。
下のニュースです。

mh17-passengers.jpg

▲ 2014年7月19日の時事通信「犠牲者に子供80人=「国外の夏休み」暗転−マレーシア機撃墜」より。

ウクライナ東部ドネツク州でマレーシア航空機が撃墜された事件で、現地メディアは18日、乗客乗員298人のうち約80人が子供だったと伝えた。

夏休みを国外で楽しもうとした子供らが多数犠牲となった悲劇に衝撃が広がっている。

ウクライナのテレビは、子供とみられる遺体や燃えるスーツケースなど、ドネツク州の事故現場を放映。インドネシアのガイドブック、現場で回収された多くの子供のパスポートなども映し出された。


乗客だけでみれば、搭乗者の約3分の1ほどが子どもだったというのです。

墜落現場に散らばっている下のような、トランプ、スケッチブック、コミック誌のようなもの、あるいはガイドブック、何かの飾り物、などは多分すべて子どもたちの持ち物だと思われます。

mh17-bag.jpg


いくら、この飛行機が撃墜されたのが「偶然」だったであろう(選ばれて撃墜されたわけではないであろう、という意味)とはいっても、そして、今がホリデーシーズンなので旅行客が多いのも当然だとしても、一般的に乗客の3分の1が子どもたちによって占められているというような航空便はそんなにあるものではないように思います。

最近では、「乗客の大半が子どもか若者の大量事故死」としては、韓国のセウォル号事件もそうでした。

seoul-0427.jpg

▲ 4月27日、合同の焼香所が儲けられたソウル市庁舎。


上の黄色いリボンは、沈没事故に遭った人々の無事を願うため、当時の韓国で運動として流行したもの。

そして、ソウル市庁舎に張られた幕に大きく書かれてある文字は、

「ごめんなさい(미안합니다 / ミアナムニダ)」

です。

ソウル市庁という政府サイドから謝っているということになります。
これは韓国社会においてこれはとても珍しいことに思いました。
良い悪いはともかくとして、韓国は個人も社会もあまり謝らないですしね。

いやまあ・・・しかし、いろいろな国へ昔、行きましたけど、「あまり謝らない国のほうが多い」という気はします。日本人は特に謝る民族で、そこが私は好きです。

私自身も基本的に非常に謝る人で、小さなことなら明らかに相手に落ち度があっても自分のほうから謝ることもあります。まあ、そのへんの考え方は「日本人」というより、人それぞれでしょうけれど。謝るのが大嫌いな日本人もたくさんいるでしょうし。

話が逸れました。

そして、最近の「大量の子どもたちの犠牲」といえば、現在進行中の下の軍事行動です。

gaza-20-jul.jpg

▲ 2014年7月21日の朝日新聞デジタル「イスラエル、ガザ部隊増強 攻撃激化、死者400人超」より。


上の記事には、

> ガザの死者は410人。大半は一般市民で、子どもの犠牲が目立つ。

という記述がありますが、正確な数については、オーストラリアのシドニー・モーニング・ヘラルドの記事によれば、この数日間だけで、 73人の子どもが死亡しています。

というより、写真を見ると、「子ども」という響き以上に、

「赤ちゃんがやたらと犠牲になっている」


という印象を受けるのです。

gaza-babies.jpg

▲ 爆撃によって亡くなった自分の子どもや赤ちゃんを抱いて道を歩く父親たち。 2014年7月19日の英国デイリーメールより。この記事には、他にも数多くのこのような親たちの写真が掲載されています。


どうして、こんな惨事になっているかというと、イスラエルが攻撃しているのが、主に、

・民家
・学校
・病院


だからです。

どうしてそんなことをするのかというと、イスラエル側の理由は存在していて、7月21日の毎日新聞「ガザ:死者400人超える…戦闘激化、医療態勢は崩壊寸前」によりますと、イスラエル軍は、

「ハマスが民家や病院、学校を兵器の保管場所に使っているため、やむを得ず民間施設を攻撃している」


と述べています。

そして、それ(ハマスが民家や病院や学校を兵器の保管場所に使っていること)は確かにある程度、事実でもあります。

学校や病院は、親が優先的に子どもたちを避難させる場所でもありますので、学校や病院が集中的に狙われれば、子どもの被害者が多くて当然ということになります。

・・・どんなに軍事的な理由があるにしても・・・「子どもが集中的に死亡すること」をイスラエルは知っている

さらに、負傷した人たちを治療するのが病院ですが、病院そのものが狙われている状態では、今後状況が良くなるとも思えないです。上の毎日新聞の記事によりますと、ガザ最大の病院「シファ病院」の医師の言葉として、


「重傷者が続々と運び込まれているのに医師が足りない。輸血も麻酔もなくなりつつある。救える命を救えない」


という言葉を掲載しています。

ちなみに、イスラエル軍の爆撃の威力はものすごく、その爆撃が下のように、雨あられと降り注いでいる状態で、その攻撃目標が「子どもの多い学校や病院」というのですから、大義名分が何であれ、救いのない話にしか見えない部分があると言わざるを得ません。

gaza-fires.jpg

▲ ガザの夜空を花火のように照らすフレア(照明弾)。
2014年7月19日の英国デイリーメールより。



先日の記事、「黒点は完全に消えたけれども...」に載せました下の表

2014-passover-top.gif

の事件のうち、

・韓国セウォル号沈没
・マレーシア機撃墜
・イスラエルのガザへの空爆と地上侵攻


が連続するように起きていることを考えてみますと、現在は、「前例のないほど子供と若者の犠牲者の率が高い出来事が続いている時」であることが、ここにきてわかります。




約5年前のガザ攻撃に見る死者の「比率」の異常性

ちなみに、今から5年ほど前の 2009年にも、イスラエルは 22日間にわたり、ガザを攻撃していまして、その時は以下のようなものでした。


ガザ攻撃の犠牲者1434人、3分の2は民間人
ロイター 2009.03.13

パレスチナ自治区の人権団体「パレスチナ人権センター」は、イスラエル軍が昨年(2008年)末から22日間にわたって行ったガザへの大規模軍事作戦によるパレスチナ側の死者が、1434人に達したとの調査結果をまとめた。約3分の2は民間人だったとしている。それによると、犠牲者の内訳は兵士が235人、警察官が239人で、民間人は960人に上った。民間人のうち、288人が子どもで、121人が女性だったという。



さらっと読むと、気づかないかもしれないですが、数字を羅列すると、今回と同じような「異常性」が浮かび上がる状態がわかります。


・兵士の死者  235人
・民間人の死者 960人(うち、子どもが288人)




あるいは、こちらの並べ方の方が決定的にわかりやすいかもしれません。


・兵士の死者  235人
・子どもの死者 288人




兵士の死者より、子どもの死者の数のほうが多い攻撃だったのです。

先にも書きましたけれど、「イスラエル側にいかなる理由があるにしても」、子どもが多く死亡する結果となる攻撃を「意図的に」おこなっていたことがわかります。






「イスラエルの過ち」に関してのウェブボットの当時外れた予測

あまり関係ないことかもしれですが、5年ほど前のウェブボットの未来予測に、「イスラエルに対しての報復と、イスラエル国内でも反乱が起きる」ということについて長く書かれていたくだりがありました。

5年前にはそこに書かれてあるようなことは起きませんでしたが、今回はどうなのでしょうね。

少し抜粋したいと思います。

予測の日付けはすでに過ぎていますので、年や月は省きます。





ALTA レポート 1109 パート 1
ウェブボット 2009年1月3日配信

・「イスラエルが過ちを犯す」とのデータは長い間存在している。犯した過ちによって、各国の国民はイスラエルを犯罪国家として拒否するようになる。

・ 「イスラエルの過ち」は極端さの表現でもある。それは、シオニストが犯す虐殺と極端な残虐性の表現であると同時に、イスラエル国民の極端な失望と苦しみの表現でもある。

・ イスラエル国民は、イスラエルは生存をかけた戦いをしているというプロパガンダを完全に信じ込んでしまっている。しかしながら、その裏でイスラエルのシオニストは、民族浄化と大虐殺を遂行している。

・次第に、イスラエル国民はこれに強く反応するようになり、シオニストの行動を難しくさせる。そして、イスラエル国内でも反乱が発生する。

・ シオニストが過ちを犯すのとほぼ同時期に「洪水」というキーワードがヨーロッパ圏で強くなっている。

・ 自然災害としての「洪水」がヨーロッパを襲うことを示しているがそれだけではない。それは巨大な社会変革の波が「洪水」のようにヨーロッパを席巻することを示している。






ここまでです。

ところで、上のウェブボットに、


多くの内部告発者が現われるとのデータはいまだに強い。内部告発者は、イスラエルに支配された企業や秘密諜報組織、さらに海軍情報部や NASA などから出現する。影の政府からも多くの高官が内部告発者と して出てくる。



という記述がありました。

これも、5年前はそのようなことは起きませんでしたが、現在では、次々と内部告発者が出現しています。

内部告発者といえば、アメリカ国家安全保障局( NSA )のエドワード・スノーデンさんなどが有名ですが、NSA で、かつて、スノーデンさんよりもさらに高い立場にいた人で、911後に NSA を辞職した人が、最近、内部告発者として登場したりしています。

nsa-goal.gif

▲ 2014年7月10日の米国ビジネス・インサイダーより。


それは、ウィリアム・ビニー( William Binney )という人で、最近、彼は各メディアに上のようなこと、すなわち、 「アメリカ国家安全保障局の最終目標は、総人口をコントロールすること」など、様々な内部告発を始めています。

機会があれば、今度ご紹介いたします。



  

2014年07月19日



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imf-magic-7.gif

YouTube より。






 

きな臭い現場の周辺に飛び回る「7」という数字

Yahoo! のニュースか何かで見出しのリンクをクリックしていましたら、「「反日」前のめりの習近平の狙いは何か(ウェッジ 2014.07.15 )」というタイトルの記事が表示されました。

記事の内容は書きたいことと関係ないですので、興味のある方は上のリンクからお読み下さい。

この記事のサブタイトルは、「利用される対象」としての日本 「盧溝橋」77年記念式典の「異例さ」というものでした。

いろいろな年数の区切りの記念式典があるでしょうが、

77年?

と違和感を覚えました。
パチンコ関係の式典でもない限り、このような中途半端な数の式典というのは珍しいです。

あるいは、西洋なら、もしかすると「7絡み」という記念日はあるのかもしれないですけれど、アジアの概念で「 77周年」というのは特別な記念日になるものだとは思えません。記事を読みますと、

日中全面戦争の発端となった1937年の盧溝橋事件から77年を迎えた記念式典が7月7日、北京市郊外の盧溝橋にある中国人民抗日戦争記念館で開かれたのを受け


とあり、また、

77年という中途半端な年に最高指導者の習近平が出席した「異例さ」を安倍政権と中国国内の2方面に訴える意味があったのだ。


とありまして、やはり、77年というのは中途半端という認識でいいようですが、それにしても、盧溝橋事件というのは、「7月7日」に起きたものだったことを知りました。

それで、少し中国の記事を探してみましたら、下のような見出しを見つけました。

rokoukyou-7777.gif
news.takungpao


上のも記事の内容はともかく、中国では、盧溝橋事件を「七七事変」と呼ぶこともあるのだということを知り、それなら「 77周年」という記念式典も理解できないではないなと思った次第です。

「それにしても、77年と7月7日・・・7777・・・か」

と、そのことに目が留まった記事でした。


なぜ「7」に目が留まったか。


先日、マレーシア機がウクライナで撃墜されましたけれど、あの事件に「数秘術の概念」を持ち込んだような投稿が海外で結構ありまして、それを見ていた後だったせいで、「7」という数字に反応したのかもしれません。

たとえば、撃墜されたマレーシア機の特徴には「7」がたくさん含まれます。


・機体のタイプはボーイング777

・フライトナンバーは 17便

・墜落したのは 2014年 7月 17日。一般的な英語表記では「 7/17/14 」となり、この中の 14は「 7 + 7 」。

・この機体の初フライトは 1997年 7月 17日( 7/17/97 )。 97は一桁まで足していけば、「 9 + 7= 16」→「 1 + 6 = 7」と 7 になる。

・この機体の飛行期間は「 1997 年 7月 17日から 2014年 7月 17日」までのジャスト 17年間




というように「 7 と 17 」に溢れています。
数の遊びといわれればそれまでですが、数秘術の計算とは概してこのようなものです。




個人的な関係の「7」の意味

この「 7 」と「 17 」という数字の羅列を無視できないのは、「個人的なこと」にも関係していて、それで印象深いということがあるのかもしれません。

実は、私の子供(男子/9歳)の誕生日が、この「 7 」と「 17 」に囲まれているのです。

子供の誕生日は、

西暦 2005年 7月 7日
平成 17年 7月 7日


西暦の 2005 から 0 をとると、「 2 」と「 5 」になり、「 2 + 5 = 7 」となり、結局、すべてが 7 と 17 なのですね。つまり、うちの子供は今回、撃墜されたマレーシア機と同じ数( 7 と 17 )に支配されているというように見えてしまう、ということも気になった部分でした。

このように一桁になるまで数を足すというのは、数秘術といわれるものの中ではよくあることのようで、私は数秘術のことはほとんど知らないですが、「数秘術」というページには、

num.gif


とあり、すべての数や文字を1から9までの一桁の数字にあてはめます。

「文字」というのは何かというと、アルファベットでは、すべての文字に数字が割り当てられていて、上のサイトによりますと、

7-alphabet.gif
数秘術とは

となるようで、たとえば「7」なら、GとPとYが7の意味を持つということになるようです。

これは例えば、名前なら、その数字と対応するアルファベットの意味する数を、1桁になるまで足すということのようです。

たとえば、 OKA なら、上の表で当てはめれば、

O → 6
K → 2
A → 1


となり、 6 + 2 + 1= 9 というわけで「9」という数字が導かれるというようなことです。

そして、上のサイトを読み進めますと、すべての人には、「核となる4つの数字(コアナンバー)」があるようです。4つのコア・ナンバーについてというページから抜粋します。

ライフ・パス・ナンバー
自分自身が人生をどのような道を通って歩んでいくかを表すとされています。

ディスティニー・ナンバー
今生での自分の人生にはどんな目的があり、自分は生まれながらにどんな使命を与えられているのかといったことを表すとされています。これはさきほど書いた名前をアルファベットに変換して足したもの。

ソウル・ナンバー
「魂の数」。内なる自己を表す数。

パーソナリティー・ナンバー
「人格の数」。「外なる自己」を表す数。



ということになっているのだそう。

掲載するのを忘れていましたが、1から9までの数字の持つ意味は下のようになるそうです。

number.gif
数秘術とは


上のサイトには、下のようにそれぞれのコアナンバーを「自動計算」してくれる機能もありました。下のは私の誕生日です。私のライフ・パス・ナンバーというものは「7」となるようです。

1963-08-07.gif


しかし、個人的なことはどうでもいいとして、さらに「7」と「数」の関係の話を進めます。






IMF専務理事が語る 2014年と数字「7」の深い関係

そして、このあたりまで書いたところで、「7」絡みの話として、冒頭に貼りました今年 1月 15日の国際通貨基金( IMF )専務理事のクリスティーヌ・ラガルドさんのスピーチを思い出したのでした。

専務理事というのは、「 IMF のトップ」です。

その IMF のトップの方が、冒頭に貼りましたように、スピーチの最初のほうで、集まった報道陣を前に、

「私は、魔法の数字「7」についてどのように考えているかを質問することで、あなたがたの数秘術のスキルをテストするつもりです」


というようなことを言っているのですね。

UMP_regional_elections_IlM_2010-02-18_n07.jpg

▲ クリスティーヌ・ラガルド IMF 専務理事。


ちなみに、クリスティーヌ・ラガルドさんという方は、 Wikipedia によりますと下のような経歴の方です。


クリスティーヌ・ラガルド(Christine Lagarde 1956年1月1日 - )は、フランスの政治家、弁護士。現在、国際通貨基金(IMF)専務理事。国民運動連合所属。

2006年には、アメリカの経済誌フォーブスが取り上げた世界最強の女性30に選出されている。反トラスト法、労働法専門の弁護士としても著名であり、ベーカー&マッケンジーの所長に女性で初めて就任した。

2011年6月28日、IMFの理事会にて専務理事に全会一致で選出された。女性として初のトップ就任である。




もう、完ぺきなエリートそのものであるわけですが、その彼女が、IMF のトップとしての年頭の演説で、「数秘術( numerology )」という単語を使っているということに違和感を覚えたのでした。

YouTube のページは、

Occult Message in Speech by Christine Lagarde of IMF
( IMF 専務理事クリスティーヌ・ラガルドの演説の中のオカルト・メッセージ)

です。

YouTube のそのページでは、アップした人が、演説の中で「気になるフレーズが何分何秒のところに出てくるか」ということを書いてくれているので、とてもわかりやすいです。

彼女がどんなことを言っているかを見ると、彼女は「数秘術」という言葉を口にしただけではなく、上のほうに書いたような実際の数秘術の方法を用いて、物事を説明していることがわかります。

いくつかの言葉をビデオから抜き出して日本語にします。
かなり訳しにくい部分も多かったのですが、雰囲気として、ということでご了承下さい。





クリスティーヌ・ラガルドさんの 2014年 1月 15日のナショナル・プレスクラブでの会見より

1分22秒位 - 「私は、魔法の数字「7」についてどのように考えているかを質問することで、あなたがたの数秘術のスキルをテストするつもりです」

1分34秒位 - 「あなたがたのほとんどは7が特別な数であることを知っているでしょう 」

2分24秒位 - 「 2014 という数から 0 をおとすと 14 になる。これは 7 の 2 倍です」

2-24-zero.gif


4分08秒位 - 「今年はブレトンウッズ会議で国際通貨基金( IMF )が設立されて実に 70 周年です。 70 から 0 をとると 7 です」

4分22秒位 - 「そして、今年はベルリンの壁の崩壊から 25 周年になるでしょう」

(注)上のは唐突な感じですが、数秘術の方法から見ますと「 25 周年」の 25 は「 2 + 5 = 7 」というような意味での引き合いのようです。つまり、「7」であると。ちなみに、ベルリンの壁崩壊は 1989年。


4分38秒位 - 「今年は世界金融危機 ( 2007年 ) から7年目を迎えます」

5分08秒位 - 「その後の悲惨な7年間は、弱く脆いものでした」

5分14秒位 - 「私たちは強い7の数々を持っています」

5分43秒位 - 「もし、G7がそれと共に何かを持っているのだとしたら、それは私にはわかりません」

(注)これも何だか訳文自体が意味がわからないですが、「G」というのは、数秘術では下のように「7」をあらわしますので、G7自体が「77」ということを言いたいのではないかと。


7-alphabet-2.gif




そして、ビデオの投稿者は、クリスティーヌ・ラガルドさんがスピーチの中で、「 7月 20日に起きる何かを示唆している」というようなことを示しているようなのですが、その理由は私にはわかりません。

それにしても、先日のマレーシア機の撃墜というのは、事件が起きた時に感じたことよりもはるかに重大なニュースであることが後になってから少しずつ感じられてきます。

今回は、数から思ったことを書き殴るように連ねてしまい、何のまとまりもないものとなってしまいましたが、自分の子供の数ともいえる「7」が動機となって導かれてしまったものとしてお許し下さい。



  

2014年07月16日



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ural-hail-top.gif

▲ 2014年7月14日のロシア・トゥディより。気温 40度を越える海水浴場(正確には川岸)に突然降ってきたのは、大型の雹(ひょう)と雪でした。動画を含めて、詳細は後半に記します。






 



地球の磁場の弱まりと「加速する移動」についての補足

昨日の記事、

急速に消えていく地球の磁場 : 地球の「磁場の反転」は今すぐにでも起きる可能性を示唆する ESA の科学者の言葉
 2014年07月15日

を書いた後、スミソニアン学術協会のニュースサイトでも同じことが取り上げられていることを知りました。スミソニアン学術協会は、アメリカを代表する博物館といえるスミソニアン博物館を運営している学術団体です。

smisonian-pole-shift.gif

▲ 2014年7月14日のスミソニアン・ニュースより。


このスミソニアンのタイトルで気づきますのは、欧州宇宙機関の発表したデータのポイントは、「地球の磁場が急速に弱くなっている」ということなんですが、スミソニアンの記事では、「磁極の移動のことをタイトルにしている」ということで、

北極(磁極としての北極)の位置がもうじきシベリアにまで移動する

というほうを強調している感じとなっています。

スミソニアンの関係者たちは最先端の科学関係者たちであるわけで、過去数百年、北の磁極が移動し続けていることは知っていたはずですので、もしかすると、

「科学者たちの想定を上回るスピードで地球の磁極の移動が進行している」

というような驚きがあったのかもしれません。

そして、今回はその

これから北極となっていくシベリア


での出来事です。






ロシアの栄光と平行して続いている「自然の異常」

さて、その「磁場の移動」と関係あるかどうかはともかく、今、地球のいたるところで、ここ数年はいろいろなことが起きているわけですが、ここ最近では「ロシアでの異常」がとても多いです。

ちなみに、タイトルに「ウラジミールの栄光の国」などと入れていて、はじめてご覧になる方には訳がわからないかと思いますが、過去記事の、

生者と死者の「2人のウラジミール」 : カザフスタンでの国際会議上で「レーニンの霊」との意見交換がおこなわれていた
 2014年04月15日


の中などに書かせていただいていますが、1996年に亡くなった、ブルガリアで最も有名であり、また、ブルガリアで初の「国家指定の公式予言者」だったババ・バンガ(Baba Vanga)という女性の予言者がいまして、彼女が、1979年に、


「すべてのものが、氷が溶けるように消え去るが、ウラジミールの栄光、ロシアの栄光は残る唯一のものである。ロシアは生き残るだけではなく、世界を支配する」



という言葉を残しているのですね。

そして、大体この最近 100年くらいのロシアというのは、

・共産党支配下のソビエト連邦時代

・プーチン大統領支配下のロシア


のふたつの時代にわけられたりしそうな感じなのですが、それぞれの「始祖」といえる人物が下の通りだったりするわけです。

ru-renin-007.jpg

ru-putin-007.jpg


▲ 共に Google 検索 「ウラジーミル・レーニン」、「ウラジーミル・プーチン」より。


「ウラジーミルから始まったソ連と、そして、ウラジーミルから始まった現代のロシア」という「徹頭徹尾のウラジーミル国家」というのが今のロシアであります。


それはさておき、今回は、冒頭に貼りました「気温 40度の真夏のロシアを突然、襲いました雹(ひょう)」のことや、シベリアに突然開いた「正体不明の穴」のことなどについて記したいと思います。

ほんの少し前までは、「自然の異常現象」というのは、中国とアメリカがダントツで多かった印象があるのですが、最近は異常気象に関しても、「ロシアが世界1」となりつつあるのかもしれません。

何しろ、シベリアはもうすぐ「北極」(磁場としての北極)になるのですからね。

そのシベリアは最近異常に暖かいことが多く、「暑さにあえぐ北極」というギャグ的な概念も、今後は台頭してきそうです。今回の出来事も、「気温 40度以上のシベリア」で起きました。





チェリャビンスクの夏の雹

冒頭の写真のロシアの場所は、ウラルという地域にあるチェリャビンスクでのものです。

Chelyabinsk-hail-map.gif

▲ チェリャビンスクの位置。


今回の出来事は、現地にいた人たちが写真や動画などを撮影していて、いろいろと見られますが、雹が降るほんの「 20秒くらい前」までは下のような光景でした。

ru-summer-hail1.jpg
YouTube


チェリャビンスクには海岸はないですので、川岸だと思いますが、多くの市民たちが、暑さから逃れるために水泳をしたり、水遊びをしたりしていたようです。報道では、気温は 40度を大きく越えていたそうです。

それが、1分も経たないうちに、冒頭のように、頭を守らなければならないほどの大きさの雹のために、川から逃げ出すことになります。

ru-summer-hail2.jpg

▲ 頭を手でかばいながら、川から逃げ出す女性。 RT より。


こちらが動画です。

ロシア・ウラル地方で7月のビーチを突如襲った雹の嵐




ちなみに、雹が降った「気温の変化」ですが、


雹と雪が降った時に、気温は急激に 20度以上、低くなった



のだそう。

このような極端な気温の変化を伴い、「 40度の中で雪さえ降り始める」という、現地にいた人たちにとっては、ちょっとした地獄絵図でしたが、幸い、深刻な負傷者はいなかったようです。

また、ロシア・トゥディによると、同じシベリアにあるノヴォシビルスクでも、チェリャビンスクで雹が降った同じ日に、「ゴルフボールからタマゴの大きさの雹が降った」と報じられています。


ところで、チェリャビンスクという地名、ご記憶の方はいらっしゃいますでしょうか。 Wikipedia の「 2013年チェリャビンスク州の隕石落下」という項目を挙げれば、思い出される方もあるかと思いますが、下の写真の 2013年のロシアの隕石落下事故の現場となった地域です。

ru-meteo-2013.jpg
Wikipedia


この隕石については、「大気圏を突破した瞬間」を、欧州の気象衛星によって撮影されているという点も珍しいものでした。

meteo-2013-0215-top.jpg

▲ 2013年2月16日の記事「良い時代と悪い時代(4): 2013年 2月15日に世界各地で同時に太陽の光のように爆発した複数の隕石」より。


かつては、あまりなじみのなかったシベリア地方やチェリャビンスク地方ですが、最近は、「異常な現象」や、あるいは「洪水」などのほうで世界的に有名となっている感じもあります。

次もまた「シベリア」の話です。





「世界の終わり」という地名のつくシベリアに突然開いた穴の正体

これは下の英国デイリーメールで見た記事です。

sib-hole-top.gif

▲ 2014年7月15日の英国デイリーメールより。


これは、タイトルに「困惑する科学者たち」とありますように、原因も何もわかっていないですので、単にご紹介してみただけということになりますけれど、現在の状況、すなわち、「これから北極になっていくというシベリア」という概念と繋げてみますと、何となく異様な感じも漂う写真ではあります。

sib-h-2.jpg

▲ この「穴」は遠くから見ると、このような感じになります。


記事からは「突然発見された」というようなニュアンスが伝わるのですが、具体的に「いつ発見されたのか」というようなことは書かれてはいません。

あるいは調べてみれば、地質学的には普通のできごとなのかもしれないですが、興味深いのが、この場所の地名が、ロシア語で、

「世界の終わり」という地名の場所

なのだそうです。

世界の終わりに穴が開いちゃった・・・と。


この動画も載せておきますね。

ロシア・シベリアに突然開いた直径80メートルの「巨大な穴」




土地が広い国はいろいろなことも起きやすいでしょうけれど、異常気象や異常現象でも、「米ソの対決」という図式が際立っている 2014年であります。



  

2014年07月15日



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現在の地球の磁場は、過去の磁場の反転時と比較しても尋常ではない速度で弱まり続けている

先月書きました、

地球の磁場が弱くなっていることを欧州宇宙機関の地磁気観測衛星が確認
 2014年06月30日

で、欧州宇宙機関( ESA )が、地球の磁場と、そして地球内部からの信号を観測するために飛ばしている観測衛星 SWARM (以下、スウォームと記します)が、


「過去6ヶ月で地球の磁場が非常に早いスピードで弱体化している」ということを観測した



ということについて書きました。

今回はそれについて、

「磁場が弱くなっている原因は、地球の磁場の反転が近いことを示す」

と述べた欧州宇宙機関の科学者の話を取り上げた米国のライヴサイエンスの記事をご紹介します。






 



以下の図は、2014年6月の時点での、過去半年間の地球の磁場の強度の変化です。

magnetic-2014-jun.gif
Livescience


上の図では、青色が濃ければ濃いほど「磁場が弱くなっている」ことを示し、赤色で示される場所は、磁場が強くなっていることを示します。

そのように見ますと、北極からカナダ、アメリカ、そして南米、南極大陸まで、地球の西半分のほとんどの場所で、過去6ヶ月間で磁場が弱くなっていることがおわかりかと思います。

もともと地球の磁場が過去一貫して減少していることは上にリンクしました記事などに、あるいは他の記事などでも記したことがありました。

1880年から2000年までの地球の地磁気の強度変化

poleshift-15.gif


しかし。


その磁場の弱まり方は、科学者たちの予想をはるかに上回っていたようなのです。

すなわち、今回の欧州宇宙機関の人工衛星スウォームによる観測により、

磁場の強度の減少率は、予想していた10倍以上の速さだった


ことがわかったのです。

上の「1880年から2000年までの地球の地磁気の強度変化」を適当に書き直すと、下のようなイメージになるというような感じでしょうか。グラフの傾斜も数値も適当で、イメージとしてのグラフです。

simulation-mag.gif


今回の記事には、以下のようなことが書かれてあります。


人工衛星からのデータでは、現在の磁場の弱まり方のスピードが、過去のそれよりも早いことを示している。

かつて、研究者たちは、「磁場の強度は1世紀において5パーセントの割合で減少していった」と見積もっていた。しかし、今回収集された新たなデータでは、地球の磁場が「 10年ごとに5パーセントずつの割合で強度が減少している」ことがわかった。

これは、従来考えられていたよりも、10倍の速度で地球の磁場の弱体化が進行していることになる。




とあるのです。

この「 10倍」というのは、科学的数値の予測の「誤差」としては、なかなか大きな桁ではないでしょうか。

ちなみに、この予測は、かつての地球の磁場の反転の際の速度に基づいているようです。

地球は、この約3億年くらいの間に、400回程度の磁場の反転を繰り返しているのですが、データ上では、それら過去の時より「今の磁場の弱まり方の速度が尋常ではない」ということなのかもしれません。

もっとも、「磁場の反転(磁場のポールシフト)が加速している」ことは、この 200年程度の短い期間だけでの観測でもわかってはいました

過去記事の、

ドイツの科学研究法人が「急速なポールシフトと気候変動と超巨大火山の噴火が同時に発生していた」ことを証明
 2012年10月18日

では、「地球の磁場の反転の加速」について、下のように記しています。


1831年から2001年の間に、北極の磁極は 1,100キロメートルもロシア方向に向かって移動しています。特に、1970年以降は加速しており、それまで毎年 10キロ程度のポールシフトの進行だったものが、1970年からは約4倍の毎年 40キロずつの移動が確認されているのです。

地球では、過去3億3千万年の間に(回数の誤差はともかく) 400回ほどのポールシフトが起きたとされていて、「地球の磁場の反転」が発生する間の平均的な期間は約 20万年に一度程度になるようです。

なので、磁場の反転や磁場のポールシフト自体は特別な現象ということではないですが、では、何が問題なのかというと、上に書いた、磁場の移動距離と速度が「加速している」という点なのです。




また、これは、あくまで私自身の考えでしかないのですが、「最近起きているさまざまな現象も、急速な磁場の移動と関係した現象なのかもしれない」と思う面はあります。

たとえば、

・急速な気候変動
・増加する火山噴火
・増加する地震


など、一見関係なさそうなことも「関係しているのではないか」と思ったりするのです。

2014年の地震の増加については、最近の記事「 2014年の大地震の数は「平年の2倍以上」となっていた」をご参照下されば幸いです。




磁場が消えるとどうなるのか

また、上にリンクしました記事「地球の磁場が弱くなっていることを…」では、中国科学院の科学者たちが、科学誌に


「磁場が逆転する時、酸素が地球外へ流出していく」



という内容の論文を発表したことにもふれています。

ch-sc-03.gif

▲ 科学誌「アース&プラネタリー・サイエンス・レターズ(Earth & Planetary Science Letters)」より。


つまり、磁場が極端に弱くなったり、あるいは磁場の反転によって、「地球の磁場が消滅する」ときには、これまで言われてきた一般論としては、

地球が太陽放射線など、宇宙からの有害なエネルギーからの保護を失う

とされていて、また、上の最近の発表では、

地球から酸素が外部に流出する

というようなことが言われたりしているのですが、ただ、今回の記事では、以下のように書かれています。


地球の磁場が弱くなったからといって、それが地球に大量絶滅などのような終末的な現象をもたらすという証拠はない。過去の磁場の反転時に大量絶滅は起きてはいないし、地球上が放射線で壊滅的な影響を受けた形跡も見当たらない。

ただ、それでも、研究者たちは、電力網と通信システムが危険にさらされる可能性は高いと考えている。




地球の生命には影響はないだろうけれど、電力・通信などのインフラに影響があるかもしれないと。

しかし、この話題を取り上げるたびに書くことですけれど、


「結局、磁場の反転や、磁場の消滅に伴って起きることは実際に発生してみないとわからない」


ということにはなるようです。

そして、その磁場の減少は急速に加速しており、欧州宇宙機関の言葉からの推測では、「今すぐ磁場の反転が起きてもおかしくはない」とさえ言えそうなのです。





インド洋だけ「磁場が強くなってきている」理由・・・?

ところで、上のほうに貼りました「過去6ヶ月の磁場の強弱の分布」を見ていた時に、ふと関係のない過去記事を思い出しました。

思い出したのは、

アトランティスの伝説に結びつく「失われた大陸」をアフリカ沖のインド洋海底に発見したと国際科学者チームが発表
 2013年02月25日

という記事なんですが、これは、ノルウェー、ドイツ、英国などの科学者チームが、「失われた古代の大陸」と考えられる海底地層を発見したという報道をご紹介したものです。

どうして、そんな記事を思い出したかといいますと、今回の記事で、上に掲載しました図と、過去記事に載せました図とを比較していただくとよろしいかと思います。

2014年の6ヶ月間の磁場の強度の推移(青が弱。赤は強)

magnetic-fields-01.jpg

上で見ると、インド洋のマダガスカルを中心とした周辺だけが、現在の地球の中で「磁場が強くなっている」ことを示しています。

そして、昨年、国際チームが「失われた古代の大陸」を発見したとされる場所が下です。

continental-map-01.gif

▲ 上の記事より。


ほとんど一致しますでしょう。

磁場が強くなってきているということが、地質的にはどのような意味を持つのかは私にはわからないのですが、このインド洋のあたりの海域から、「新しい大地」が浮上したりして(笑)。

まあしかし、日本の西之島も拡大し続けているわけですし、最近では「新しい大地が浮上する」という話もあながち、笑い話としてだけでは済まされない面はあります。

そして、ここでふと思い出しますと、5年くらい前のウェブボットにそのような記載があるんですよ。
抜粋しておきます。


非対称型言語分析報告書 1309 パート 1
ウェブボット 2009年3月7日配信

インド洋に新しい陸地が出現するとのデータがある。この陸地はいまはまだ海底だが、それは海中を航行するときに問題を引き起こす。



まあ、そのような話はともかく、ライヴサイエンスの記事をご紹介したいと思います。

ところで、記事に出てくる科学者の方は「磁場の反転は瞬間的に起きるものではなく、何万年もかかる」というようなニュアンスのことを語っていますが、実際、この 200年で 1000キロ以上の磁場の移動が観測されている中で、「何万年もかかる」という考え方は、すでに現実から逸脱した話のように聞こえないでもないです。

加速するだけした後に、地球の磁場は、それが反転する時は「わりとあっという間に」反転してしまうものなのかもしれないと思ったりもします。

というわけで、ここからが本記事です。




Earth's Magnetic Field Is Weakening 10 Times Faster Now
Livescience 2014.07.08

地球の磁場は現在10倍の速度で弱まっていっている


極めて人体に有害な太陽からの巨大な放射線から地球を守りってくれている地球の磁場が、過去6ヶ月の間に弱まっていることが、スウォーム( SWARM )と呼ばれる欧州宇宙機関( ESA )の人工衛星によって収集したデータによって明らかとなった。

観測によると、インド洋などでは磁場が強くなっている地域も認められたが、最も磁場が弱くなっている地球の西半球では 60万平方キロメートルの範囲で、磁場の減少が確認された。

なぜ地球の磁場が弱まっているのかについては不明な点が多い。

しかし、ひとつの理由として、「地球の磁場が反転する前段階かもしれない」ことを、 ESA のスウォーム・プロジェクトの管理者であるルーン・フロバーガーゲン( Rune Floberghagen )氏は述べる。

事実、衛星のデータは、北の磁極(磁場から見る北極)がシベリアに向かって移動していること示している。

ロバーガーゲン氏は、「このような磁場の反転は瞬間的にに起きるというものではありません。何千年というより、何万年というほどの長い時間で進行します。そして、磁場の反転は過去の地球では何度も起きていました」と、ライヴサイエンスに語った。

科学者たちはすでに北磁極が移動していることを知っている。

かつて、数万年から数十万年のサイクルで、コンパスの針が北ではなく、南を向くようになる磁場の反転の現象は幾度となく起きていた。

磁界の強度が変化すること自体は、通常の磁場の逆転のサイクルの一部ではあるが、しかし、人工衛星からのデータでは、現在の磁場の弱まり方のスピードが、過去のそれよりも早いことを示している。

かつて、研究者たちは、「磁場の強度は1世紀において5パーセントの割合で減少していった」と見積もっていた。

しかし、今回収集された新たなデータでは、地球の磁場が「 10年ごとに5パーセントずつの割合で強度が減少している」ことがわかった。

これは、従来考えられていたよりも、10倍の速度で地球の磁場の弱体化が進行していることになる。

しかし、地球の磁場が弱められたからといって、それが地球に大量絶滅などのような終末的な現象をもたらすという証拠はない。

過去の磁場の反転時に、大量絶滅は起きてはいないし、地球上が放射線で壊滅的な影響を受けた形跡も見当たらない。

ただ、それでも、研究者たちは、電力網と通信システムが危険にさらされる可能性は高いと考えている。

地球の磁場は、太陽風として太陽から噴出される危険な宇宙放射線から地球を保護している。それは地球を包む「見えない泡」のような役目を果たしている。



Magnetosphere_rendition.gif
Wikipedia


スウォーム衛星は地球の磁場の信号を拾うだけでなく、地球内部の核やマントル、地殻、海洋からの信号も拾い上げる。

ESA の科学者たちは、例えば、航空機の計器として、磁場に依存するナビゲーションシステムを作るためにデータを使用することを考えており、あるいは、地震予測をより正確なものに改善すること、あるいは、天然資源が豊富な地球の地下の領域を特定したいというようなことにも期待を寄せている。

科学者たちは、磁場の変動の情報は、大陸のプレート移動している場所の特定に役立つ、それは地震の予測に結びつく可能性を考えている。



  

2014年07月14日



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▲ 今回は写真がほとんどないですので、本文とは関係ないですけど、絵の一枚でもと思いまして。Kanayo Ede の Old Barn という作品です。






 


昨日今日と、少し考え込むことが多く、今回は雑談めいた記事となります。

ここ数日、須原一秀さんという哲学者の書かれた『自死という生き方』という本を、私としてはそれなりに真剣に読んでいました。

須原一秀さんという方に関しては、この本を読むまで私は知らなかったのですが、Wikipedia から抜粋しますと、次のような方です。


須原一秀(1940年 - 2006年)は、日本の哲学者・社会思想研究家。元立命館大学非常勤講師。元龍谷大学非常勤講師。

現代を肯定的に捉え、哲学的思索に裏打ちされた社会思想研究を行う哲学者であったが、本人の遺著『自死という生き方』によれば“一つの哲学的プロジェクトとして”、2006年4月、自宅近くの神社にて自死した。享年67。




つまり、上の『自死という生き方』という本は、本は本として存在しますが、本だけでテーマが完結するのではなく、「自分の死」によって完結するというプロジェクトでした。

そして、 Wikipedia に書かれてある通り、須原さんは本を書き上げた後、自分で決めていた日に自死します。

本人が亡くなったわけですので、この本の編集や加筆を学者仲間などがおこない、内容を補填・編集して出版されたものです。

ところで、この「自死」という言葉はあまり聞き慣れない言葉かもしれないですが、今の日本で使われる「自殺」という言葉のイメージがあまりにも暗いものとして固定されてしまっているので、最近では、

・自死
・自決
・自殺


のそれぞれの言葉を「それぞれ違う意味の単語」として使ってはどうか、という意見はそれなりにあります。須原さんもそれを主張しています。

ところで、どうして上みたいな本を知ったかというと、私は東海林さだおさんのエッセイが十代の終わりの頃から大好きなんですが、そこで知ったのです。

東海林さんのイメージとは違うように思われるかもしれないですが、実は、東海林さだおさんという人は、

「最後は自決で人生を終えようと考えている」

という人なんです。
多分それなりに本気だと思います。

最近、文庫本で出版された、その東海林さだおさんの『花がないのに花見かな』の中に、廃墟愛好家だという栗原亨(とおる)さんという方との対談があり、そのタイトルは「樹海で死ねたら」というものでした。

栗原さんという方は、これまで調査のために 70回以上も樹海の中に入っている方なのだそう。

上の対談も非常に興味深いですけれど、その対談の内容はともかく、その中に、東海林さんが、『自死という生き方』という本を読んでいろいろと思うところがあった……というようなことを書かれているんです。それを読んで、私もすぐに Amazon で探して買ったという次第だったんですね。

それを読んでいるうちに、薄々と最近思っていたことや、「自分の未来」も含めて、昨日から考え込んでしまっている部分があります。





単に放っておいても高齢化で滅びる日本という国

これは上の『自死という生き方』の内容とは関係のないことですが、私の周辺もそうですが、今では多くの人々が、自分が直接介護などに関わったり、あるいは周囲で介護やそれに準じた状態というのを様々に見たり聞いたりしているのではないかと思います。

というより、最近では、この「高齢化社会」というのは、単なる日本の社会問題であるということを越えて、どういったらいいのか、宿痾とでもいうのか、要するに、このままだと、この「高齢化社会の進行で日本自体が滅びるのでは?」とさえ真面目に思うことがよくあります。

経済的な破綻とか、戦争がどうのこうのとか、あるいは天地がひっくり返るような自然災害とか、そんなことがどちらに転ぼうと、単に「放っておけば、そのうち日本は自滅する」というのが明らかであるというようにしか見えないのです。

しかも、それは私の生きているかもしれない間の、ほんの 10年先とか 20年先に起こりうることだと思っています。

いやいや。

そんな小難しい話をしなくとも、たとえば、今、介護をされている方は、

「将来の私もこの人(自分が介護しているお相手)のようになりたい」と思うかどうか

というような話でもいいですし、そうは考えなくともいいのですけれど、2年くらい前の記事で、日本だけではないですが、現在の「普通の」価値観として、


長生きすることは無条件に素晴らしい。(場合によっては健康であろうがなかろうが)



という概念があるというようなことを記したことがありました。

そして、それは社会的に絶対的な思考であり、つまり、


その「長生きすることは素晴らしい」ということに対しての、いかなる反対意見の存在も許されない



という社会であることの事実。

「介護に疲れた人」でも、それを言ってはいけない。

そして、あちこちで現に起きている「共倒れ」(老老介護でどちらも立ちゆかなくなる)。そのうち、子供なども関係してきて、そちらも参加することで三重の共倒れ(仕事をやめたりしての介護で収入の問題が出て来る)なども起きる。

それでも、

「長生きしてくれているから・・・それだけで・・・」

と他人の前では呟かなくてはならない。

今の日本の高齢者がいる家庭で、「高齢者の病気の問題や、介護とは無縁」の家は、むしろ少ないのではないでしょうか。

うちの母方の祖母は、もうかなり昔の話ですが、10年間寝たきりでしたが、うちの母の妹さんが長く介護していました。しかし、介護を続けるうちに、もともと上品で穏やかだった母の妹さん、つまり私の叔母さんの顔の様相が年々やつれ果てていくのを見るのはつらいものでした。

最後の何年間かは、介護を受けているお婆さんご本人は、すでに自分の娘の顔というか、その存在自体を忘れているのです。

下の世話から何から何まで介護する娘さん(私からすれば叔母さん)に対して、

「あなたはどなたですか?」

と言うのです。

こんなような同じ例は今現在おびただしくこの世に存在しているはずです。

そして、今のままだと、こういう事例はどんどん増えていくしかないはずです(減る道理がないので)。
中途半端な健康知識や健康番組などのせいで、体の寿命だけは伸びていく。

私は最近は特に漠然と、「これはもう本当にダメなのではないだろうか」と感じることがあります。そして、これから老境に入っていく私たちのような五十代くらいの人間というのは、「本気で生き方の考え方を変えるべき世代なのではないか」というようには思うようになっていました。

いずれにしても、今の社会が漫然と進行していけば、あと・・・それこそ 30年もすれば、日本は何も機能していない実質的な廃墟となっている可能性さえ感じます。

えーと・・・何だか変な展開となりましたが、今回はその須原一秀さんの『自死という生き方』の中に、キューブラー・ロスという女性の話が長く書かれていまして、そこに何ともいえない感覚を覚えまして、「命」あるいは「死」というものを考える上で、ちょっと書いておきたいと思ったのです。

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聖女キューブラー・ロスが「神を呪った」とき

キューブラー・ロスという方は、終末医療の先駆者であり、40年間以上の中で、数千人の「最期」を看取ってきた人であり、また敬虔なキリスト教徒でもあり、私財を投じて死に向う患者のための施設を作ったりしていた、まさに聖女と呼ばれるにふさわしい人でした。

辞書的な説明は、Wikipedia から抜粋しますと、下のような女性です。


エリザベス・キューブラー・ロス(1926年 - 2004年)は、精神科医。その中で彼女は初めて今日、「死の受容のプロセス」と呼ばれている「キューブラー・ロスモデル」を提唱している。まさに死の間際にある患者とのかかわりや悲哀の考察や悲哀の仕事についての先駆的な業績で知られる。



Kubler-Ross.jpg

▲ キューブラー・ロスさん。


また、 Wikipedia には、


彼女は死への過程のみならず、死後の世界に関心を向けるようになった。幽体離脱を体験し、霊的存在との交流したことなどを著書や講演で語った。



という記述もあり、彼女は「優秀な精神分析医」という冠だけではなく、敬虔なクリスチャンとしての「聖女」としても人々の尊敬を受けるようになっていきます。


人間の最期を真剣に見つめ続け、そして神の愛に生き、魂の再生を信じていた「間違いない聖女だった」彼女の最期はどのようなものだったのか

死の受容のプロセスの「受容」に行き着いたのか。

そのあたりのことが『自死という生き方』にかなり長く書かれています。

ちなみに、 Wikipedia の彼女の説明にあった「死の受容のプロセス」とは、彼女の最も有名な『死ぬ瞬間』という著作に書かれてあるもので、死の受容のプロセスとは、死に近づく患者たちの段階として、




否認
自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。

怒り
なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。

取引
なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。
何かにすがろうという心理状態である。

抑うつ
なにもできなくなる段階である。

受容
最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。





という段階で亡くなっていくとしたものです。

その理論を確立したキューブラー・ロスさんの最期について『自死という生き方』から抜粋します。


『自死という生き方』 8章 - キューブラー・ロス − キリスト教徒の苦悩 より


『死ぬ瞬間』などの著書で世界的に有名な精神科医、キューブラー・ロスは、ターミナルケア(終末医療)の先駆者として、四十数年にわたり数千人の人々の最期を看取ってきた。彼女は死に行く人を励まし、愛の言葉で力づけてきた功績で、聖女とも呼ばれていたのである。

しかしその彼女は、晩年脳梗塞に倒れ、豹変してしまうのである。その様子を伝えるビデオを見た(『最後のレッスン − キューブラー・ロス 死のまぎわの真実』 NHK制作)。

彼女自身あれだけ他人の最期に真剣に接してきたにもかかわらず、そして二十世紀にホスピスに関してあれだけの業績を達成したにもかかわらず、自らの「自然死」の受け入れに関しては、やはり難しいことを表す内容であった。

と言うのも、彼女は死んで天国に召されることをはっきりと望んでおり、その瞬間を楽しげに待ちわびる言動がはっきりと見られたが、しかしその「お迎え」があまりにも遅いことにいらだって、最後には神様を呪いだしてしまったのである。

インタビュアーが、あなたは長い間精神分析を実践してきたので、それが役立っているだろうに、と問いかけると、「精神分析は時間と金の無駄であった」と、にべもない返答がかえってくる。




ということになってしまうのです。

彼女は 1995年に脳梗塞で倒れて、2004年に亡くなりますが、その下りは Wikipedia には、

1995年に脳梗塞に見舞われ左半身麻痺になった。2004年にアリゾナ州のスコットデールの自宅で亡くなった。


とだけ書かれているのですが、実際には、以上のように「神を呪う」という状態にまで陥り、そして、最後の頃には、


「もうこんな生活はたくさん。愛なんてもう、うんざりよ」
「神様はヒトラーだ」
「聖人? よしてよ、ヘドが出る」


などと言い出すようになるのです。

これは、すべて、その NHK のドキュメンタリーに収録されているのだそう。

それでも、1995年に脳梗塞で倒れてから2年後に彼女が書いた手記『人生は廻る輪のように 』には、まだ「神」も「愛」も「魂」も彼女の中にあったことがわかります。

部分部分抜粋します。


キューブラー・ロス『人生は廻る輪のように』より

学ぶために地球に送られてきたわたしたちが、学びのテストに合格したとき、卒業がゆるされる・・・・・究極の学びは、無条件に愛し、愛される方法を身につけることにある・・・・・
自然に死ぬまで生きなければならない・・・・・

どうかもっと多くの人に、もっと多くの愛を与えようとこころがけてほしい。それがわたしの願いだ。
永遠に生きるのは愛だけなのだから。




そして、それから数年後には前述した、

「愛なんてもう、うんざりよ」
「聖人? よしてよ、ヘドが出る」

という言葉が彼女の口から発せられるようになってしまうのです。

彼女は自分の最後に死の受容のプロセスの「受容」に行き着いたのか。
それはわからないです。

しかし、これは彼女に対して否定的な意味で書いているのでははなく、キューブラー・ロスという方があまりにも愛と信仰(神)に真摯であり続けたからだというようにも思います。

ただ、彼女が分析し続けた「臨終の理想」は、現実には「自分の死の場合」はその理論と噛み合わなかった、というだけで・・・。






真剣に「未来への何らかの存続」を考えてみたり

考えてみれば、毎日毎日、世界中で誰かが亡くなっています。
理由や原因はあまりにも様々です。

その中には生前、あるいは活動期に非常に立派だった方もいらっしゃるでしょうし、そうではない人もいるでしょうけれど、さきほど書いた、「高齢化に殺される日本という国」の問題なども含めて、たとえば、私は今、50代になりましたけど、こういう世代の人間は、これから先どのように考えていけばいいのか。

この『自死という生き方』を数日前から少しずつ読んでいて、私は自分がどのようにして生きていけばいいのかわからなくなってきています。

毎朝、やや「鬱」っぽい気分で目覚めることが多いです。
そして、朝起きて、すぐお酒を飲むこともあります。



皆さんは日本はどうなると思われますか?・・・このままの現状で時代が進むと。

あるいは、ご自身はどうなると思われますか?・・・今のままの価値観で進んでいくと。

そこにあるのはどんな未来・・・?

ただ、これらの問題は、本来は「地球最後のニュース」と銘打っている In Deep に多く書くのは適切なことではないと思いますので、今後は書くことはないと思います。

いずれにしても、今回は変な話となってしまいましたが、明日は「地球の磁場の反転が今すぐに起きてもおかしくない」とした欧州宇宙機関( ESA )の報告について書こうと思います。

先日の、

地球の磁場が弱くなっていることを欧州宇宙機関の地磁気観測衛星(SWARM)が確認
 2014年06月30日

と関係する話ですが、さらに「先の話」があったのです。
そのことについて書ければ書こうと思います。

何しろ、私には小さな子どもがいて、今は「自死」など考える余裕もないです。
考えたり書いたりすることが唯一の「擬似死体験」かもしれません。

ま・・・今は。