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2015年05月31日



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日本も含めて「これは壮大なディストピア社会化実験」の進行中なんじゃないかと思いつつ、それもまた仏陀の言う幻想かもしれないし



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▲ 2015年05月25日の英国テレグラフより。タイトルの下のリードは「人と機械の融合は、生物学における最大の進化になるとユヴァル・ノア・ハラリ教授は主張する」です。






 


人間は「不完全な存在だから補う」という科学思考

上の記事は、特に今回の記事の本題ではないのですが、「将来の人間はロボット化により人類史で最大の進化を遂げるだろう」という主張の科学者の記事で、

「ああ、何ともディストピアな話だなあ」

と感じいった次第です。

また、これを言っているのが、イスラエルのエルサレム・ヘブライ大学のユヴァル・ノア・ハラリ教授( Professor Yuval Noah Harari )という方なんですが、英語表記のミドルネームが、ノアの方舟の「ノア」( Noah )と同じだったりする方というのもなかなかでして、また、イスラエルの方ながら、

「人と機械の融合は、生物学における最大の進化になるはずです」

というだけではなく、上の記事では、

「私たち人類のこの数世紀を見ていると、人間は、より強くなり、人間はもはや神の補助を必要としていないように見えます。今、私たちは ”神を必要としない” と言えることでしょう。必要なのは、技術だけです」

という、場合によっては、とんでもなく罰当たりなことを言ったりしているわけですが、ヘブライ大学あたりの最先端の科学教授がこのような見解だと、「ああもう何でもアリなんだなあ」という気もいたします。

人の体をロボット化して強化していくのが、人類最大の進化・・・という発想。

これはですね。

もう、野口晴哉さんとか、ヒポクラテスたちとか、まあシュタイナーとかでもいいですけれど、彼らの霊に教えてあげたいですね。

こういう「人体補完の発想」というのは、人間の体は不完全だから・・・というところに立脚しているもので、たとえば、人間の臓器や各器官を「機械と置き換えて強化する」という方向は、人間の持つ完ぺき性に対しての反逆であるわけで、宗教を持つ人なら、神への反逆でもあるはずです。

この完ぺきな人間を作り出したのは、おそらくは、人によって神と呼んでいるもののような存在(か非存在)なのでしょうから。

まあ、ノア教授は、「今、私たちは、神を必要としない、と言えるでしょう」とおっしゃっているわけですので、「神はもはやいらない」と述べることは自覚の上なんでしょうけれど、この「人間にはたくさん欠けているものがあるから、科学で補っていく」という考え方は、科学と、そして医学の凋落であって、先日の、

アメリカでもヨーロッパでもガン治療の主流が「代替医療」か「治療しない」ことによってガン患者の死亡率がどんどん低下している中で日本は…
 2015年05月29日

という記事など、最近はよく書きます日本での病気の異常な増殖ぶりや、異常な死亡率の増加なども、同じ発想から来ているものだと思います。

現代医学は人間の体を信用していない。

今の医学は、

「人間には、自己治癒力なんてものはないから、抗ガン剤でガン細胞を殺してあげないと、人間は助からない」

という考え方となっていて、でも、その抗ガン剤が「他の細胞にどのようなダメージを与えるか」は、あまり考えない。(人間の細胞にダメージを与えるのは、単なるかぜ薬でも降圧剤でも抗うつ剤でも大体はどんな薬でも同じです)

そのような治療の結果は、書くまでもないと思います。

多くが生還できない。

下のグラフは何度も何度も載せました。

dr-08.gif
厚生労働省


今の世の中では、「ガンだから死ぬのは仕方ない」というような雰囲気がありますが、それは違います。「ガンだから死ぬのではなく、他の何かが原因で死んでしまう」と考えるのが妥当で、そうでないと、死亡率がどんどん改善している他の国との話の整合性がつきません。

少なくとも、ガンに関しては、死亡率がこんなに増加し続けているのは、先進国では日本だけです。

たとえば、今年1月に中国のメディアで下のような報道がありました。


日本のガン死亡率、先進国中で最高に
Japanese.china.org.cn 2014.09.17

米国のがんの年間死亡者数は約57万5000人、日本は約36万5000人となっている。10万人当たりのがんの死亡率を見ると、日本は米国の1.6倍だ。

日本は先進国のうち、がん患者・死亡者が増加を続ける唯一の国になっている。
日本新華僑報が伝えた。

がんが1981年に脳卒中に代わり、日本人最大の死因になってから30年間で、日本のがんの死亡者数は二倍以上に増加している。

先進国は先進的な検査機器と技術を持ち、多くの早期がんを発見できるはずで、患者数が増加するのも理解できる。

しかし先進国は同時に先進的な治療機器と技術を持っており、がんの死亡率を下げられるはずだ。先進国の中でも、日本は「医療技術ナンバーワン」と言える。それでは、なぜ日本のがんの死亡率はこれほど高いのだろうか?



とあり、記事はこの後、日本人の食生活の変化などを上げていますが、日本のガンの増え方は、そのようなことだけで説明できるものではないです。

たとえば、他のわりと身近な国と比べてみても、ガンだけではなく、日本の病気での死亡率が飛び抜けていることが数値でわかります。比較的最近のデータがとりやすい、日本とアメリカと韓国で比較してみます。

下は、韓国、アメリカ、日本の「人口 10万人に対しての死亡率上位5位」です。

2014-kr-5.gif
韓国 Yonhap News


2011-us-5.gif
横浜市衛生研究所


jp-2012-5.gif
厚生労働省 人口動態統計


日本も韓国も死因の1位はガンで、アメリカでもガンは死因の2位ですが、10万人中のガンでの死亡率は、

韓国 149人
米国 185人
日本 286人


と、日本のガンの死亡率は、韓国の倍近くにまでなっているのです。

さきほどの中国のメディア「日本新華僑報」が、

> 先進国の中でも、日本は「医療技術ナンバーワン」と言える。

という国の数値がこれです。

日本で2位の心疾患は、10万人中の死亡率は、

韓国 157人
米国 191人
日本 157人


となっていて、脳血管疾患にしても、10万人中の死亡率は、

韓国 50人
米国 41人
日本 97人


と、日本は、韓国やアメリカの倍程度となっています。

本当に、「日本は医療技術ナンバーワン国家」といえるのかどうなのか・・・と思ってしまっても仕方のない結果ともいえなくはないようなことになってしまってはいます。

おそらくは、ガンに関しては、日本は、「世界で最も高い死亡率を誇っている」と考えていいかと思います。

日本は、

・高度な医療技術
・最先端の高価な薬剤
・最先端の高度な機器での治療


用意して、ついに「世界で最もガンで人が死ぬ国」となってしまった

これがモンティ・パイソンのエピソードなら(似たようなものはありました)笑っていれば済む話ですが、どうにも笑い飛ばせるようなことでもないかもしれないですし。




弥勒の世の到来

少し前に、

シュタイナーが110年前に述べた「頂点は日本です」の意味
 2015年05月27日

という記事で、神秘学での地理上で、日本は地球の頂点に位置するということを書きました。

しかし、そんな日本も、現状としては、病気で(あるいは、薬と治療で)次々と死んでいく上に、若い人も少なく、健全な人も少なく、そして、結構厳しい管理社会だったりもして、ふと気づけば、むかしの映画で描かれた「ディストピア社会」そのもののようにも見えます。

「頂点は頂点かもしれないけれど・・・」

何だか、ディストピアの象徴としての頂点ともなってしまいかねないような寂しさを感じます。

今日は時間のことなどがあり、あまり長い記事を書けないのですが、上のシュタイナーが「日本は頂点です」と書いていた著作『天地の未来―地震・火山・戦争』の最後の方に、「弥勒の世の到来」というセクションがあります。

この言葉を、シュタイナーがドイツ語でどのように表記していたのかはわからないですが、本には「弥勒の世の到来」という章があります。

ここでは、「仏陀の思想」など、東洋的な精神科学のアプローチに多くふれています。

シュタイナーは、他のいろいろな書籍でも、アジア的な精神科学へのアプローチと、西洋的な精神科学へのアプローチのちがいについて、よく述べていまして、シュタイナーが、アジア的なものへも強い情熱、あるいは敬意をもっていたことが、その発言からわかります。

その「弥勒の世の到来」というセクションで、仏陀が悟りを開いた時の境地を語ったところがありますので、ご紹介したいと思います。

お釈迦様は、

「世界は幻影である」

と明確に悟ったようで、これは、直接は関係はないかもしれなくとも、

「恐怖からの解放」についてのメモ(2):現在の地球の人間は何によってコントロールされているのか
 2015年05月25日

の中に、プレアデスという星の人間だと主張する人の言葉として出てきた下の概念も彷彿とさせるところはあります。


プレアデス+かく語りき』より

彼らはホログラフィの挿絵を作り、それは真に迫ったドラマそのものですが、それをポータルを通してあなた方の現実のなかに挿入します。

これをやっている宇宙存在は何十万年も生きている存在であり、人類の周波数はコントロールされているために、人間を騙すことは彼らにとってはまったく簡単なことです。

ホログラフィーの挿絵は、三次元の世界とまったく同じように見えます。それは作られた出来事であり、それをあなた方の現実に、現実のつづきであるかのように挿入します。

それは見ている者の頭脳に影響をおよぼす目的で使われ、見分けるのはとても困難です。

壮大な出来事の一部は本物ですが、一部はホログラフィーの挿絵で、人類の意識をコントロールしやすいように、一つの世界秩序に向けようとする意図でデザインされるでしょう。



私たちの見ているもの、聞いているもの、においを感じているもの、触っているもの、風や風景や人々・・・の一体何がリアルで何がリアルでないのか・・・。

そして、たとえば「ガンで病院に行くとほとんど助からない」のも、これは幻影なのか現実なのか。

お釈迦様は「幻想だ」と言いますが。



シュタイナー『天地の未来』より

仏陀に由来する精神の流れと、キリスト衝動に由来する精神の流れとのあいだには大きな差異があります。対立している、と言っているのではありません。どのように関連すると両者が実り豊かでありうるか、洞察する必要があります。

双方の流れが、将来、共同しなければなりません。そして、キリスト教は精神科学によって実り豊かにされねばなりません。

キリスト教には最初、輪廻の教えが欠けている必要がありました。輪廻の教えはキリスト秘教のなかには含まれていましたが、ある理由から、キリスト公教には受け入れられませんでした。

それに対して、輪廻の教えは仏教の基本原則の一つであり、「苦集滅道」の教えと結び付いています。キリスト教は、苦を克服することを課題としています。

双方の流れの課題だと使命を認識すると、相違をはっきりと見ることができます。仏陀とパウロを考察すると、私たちは主要な相違に気づきます。

ゴータマ仏陀は菩提樹の下で悟ったとき、


世界は幻影である。
世界は現実のものである、とは考察できない。
世界を現実のものと思うのは、大きな幻想である。
人間は元素の領域からの解放に向けて努力しなければならない。
そうすると、もはや名前も事物もない領域、涅槃にいたる。
そこで、人間は初めて幻想から解放される。
幻の世界は苦痛である。
生老病死は苦である。
この領域へと人間を運び込むのは、存在への渇愛である。
この渇愛から解脱すると、人間はもはや受肉する必要がない。

という認識に達しました。

「偉大な仏陀は、どのようにこの教えを説くに至ったのか」と問うことができます。人類の進化の歩みを考察すると、答えが出てきます。






  

2015年05月29日



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Anti-Cancer_Drug.jpg
The human immune system is the best “anti-cancer drugs.”






 


中東呼吸器症候群 / MERS なんて病気は、遠い離れたところのものというようなイメージがあった以上に、何だかもう「過去のもの」として忘れていたような部分もあるのですが、5月27日に「韓国で突然、患者が発生して、患者数が拡大しつつある」ということになっています。

MERS はわりと強力な病気でして、気になるといえば気になりますので、ちょっとそのことを。

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突然、お隣の国へと近づいた中東呼吸器症候群

韓国という国は、以前ほどではないとはいえ、日本との人的な接触を伴う交流が最も大きな国のひとつです。

その「すぐ近くの国」で発生したこの MERS (マーズ)という病気は、致死率が 50%程もある、現在流行している病気の中でも最大の危険性を持つウイルスのひとつです。


MERSコロナウイルス- Wikipedia

2012年9月に初めて報告された(感染者の入院は6月13日、死亡は6月24日。サウジアラビアのジェッダ)。肺炎を主症状としており、死亡率が40-50%前後と非常に高い。

2014年1月17日現在、感染者178人、死亡者75人(うちサウジアラビアでは142人感染、58人死亡)。



という、とて高い致死率を持つ病気で、困るのは、「特別な治療法がない」ことです。

ただ、上の Wikipedia にあります、これまでの世界での患者数の推移を見てもわかる通り、それほど強い感染力はないと私は思っていました。

しかし、今回の韓国での拡大の早さは、以前の MERS と違う感じなのではないのかとも思ったり・・・。

たとえば、韓国の最新のニュースでは、「診察した医師も感染」したようです。

korea-mers-01.gif

▲ 2015年05月27日の韓国 sisaweekly.com より。


そして、こういう状態の中で、最初に発症した患者さんが「広範囲に人と接触した可能性」が出ています。韓国中央日報の記事からです。


8人目のMERS患者、8日間会社・病院に通い数百人接触=韓国
中央日報 2015.05.29

中国に出張に行った40代の男性が中東呼吸器症候群(MERS)感染者だと明らかになる中で、追加感染(3次感染)の懸念が広がっている。

この男性が接触した職場の同僚や同じ航空機に乗った乗客ら数百人に危険範囲が拡大した可能性がある。6人目の患者もいまだに正確な感染経路が分からず不安感を高めている。

このため6人目の患者が感染後に行った首都圏のある大学病院が集中治療室を閉鎖したという変なうわさまで出回っている。



うーん・・・。

感染が広がらなければ、それに越したことはないですが、先ほども書きましたけど、とにかく、日本と韓国は、旅行にしろ、ビジネスにしろ、人と人の交流が強いですから、日本に入ってくるような可能性がなければいいですが。

致死率 50%の伝染性の病気が日本に入ってくるのはさすがに厳しい。

こういうのにかかれば、そりゃ病院に運ばれることになるのでしょうけれど・・・何かこう、以前にもまして、病院というものへの信頼が揺らいでいるところが強くなっていまして。




何がガン患者たちを死に向かわせているのか

何かこう、最近、立て続けに、芸能人の方とかのガンでの訃報を目にします。

それがどなたの訃報記事かというのは別として、読みますと、たとえば、ある方の記事の中には、

> 治療は2週間に1度のペースで、4種類の抗がん剤を2種類ずつ組み合わせる形で行っていた。

とあったり、あるいは、やはり昨日亡くなった別の方の記事では、

> 抗がん剤治療を行うなどして11月5日に退院。抗がん剤治療を継続しながら3カ月後の…

という下りがあったりして、「急激に容体を崩して」亡くなっていく方々の治療が、どれも同じ方向での治療であったことがわかります。

そして・・・この方々は有名人ですので、このように取り上げられていますが、おそらくは、同じようなかたちで、毎日毎日 1,000人ほどが亡くなっていることになると思います。

この「毎日 1,000人」というのは、2014年の日本のガン死亡者の数 36万 7,100人を 365日で割ったものです。

canced-deaths.gif
国立がん研究センター

日本中のガン治療にあたるお医者さんたちは、毎日毎日、3大治療で治らずに死んでいく患者さんたちを夥しく見ているはずなのに、それでも方向性は変わらない。

そして、ガンで亡くなる人の数は、毎年毎年うなぎ登りで増えていて、ここ数十年は減った年がないという。

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厚生労働省


過去記事の、

毎年50兆円が医療費と介護費に消えていく国家の中で「地獄化し続ける老後」…
 2015年05月19日

に、新潟大学名誉教授の安保徹さんの「医学生時代の苦しい経験」を記したことがあります。


安保徹 × 石原結實 対談『体を温め免疫力を高めれば、病気は治る』より

東北大学を卒業した後、青森の県立中央病院で2年間、内科の研修医をやりました。「父のように患者さんを治し、世のため人のために尽くそう」と理想に燃えていました。

でも、夢は無残に打ち砕かれました。

私が勤務していた間、15人のガン患者さんを担当しましたが、一生懸命に手を尽くしても、次々に亡くなっていくのです。生還率はゼロでした。

ほどほど治る患者さんも混じっている環境なら、「たまに亡くなるなら仕方ない」と割り切ることもできるのですが、15人が 15人とも、バタバタと亡くなっていく。強い抗ガン剤を使う結果、あっという間に弱っていくのです。

あまりにも、みんながみんな、具合が悪くなって死んでいくので、「ああ、これはダメだ」と思いました。

自分の無能力にさいなまされ、患者さんへの慰めの言葉も見つからないような状況で、私は絶望し、最後には無気力になってしまいました。

「こんなことを続けて、本当に病人を救えるのだろうか?」と、現代医学に疑問を抱いたのはそのときです。



この若き日の安保医師が思った、

「こんなことを続けて、本当に病人を救えるのだろうか?」

と、今のお医者さん方は思わないのだろうかと・・・。

まあ、別に非難めいたことを書きたいわけではないですが、「本当にこの方法は患者さんに対して効果的なのだろうか」と、ほんの少しだけでも疑問を持つ人たちはいないのだろうか・・・というようなことは、どうしても思ってしまいます。

芸能人の方なら、お金も多少はあるでしょうし、医療関係者の知り合いも多いだろうに、結局は「同じ方向」での治療に進み、そして、ほぼ助からない

今、日本の医師の数は 30万人いて、過去20年間で 50%増えたことが、JB Press の記事に書かれています。

この中で、ガンと向きあう医師の数がどのくらいいるのかはわからないですが、「何万人」に近い単位でいても不思議ではないです。

その「何万人」のほとんどの人たちが、同じ方向でのガン治療を行っている。

しかも、この「3大治療」に固執する傾向は、今では先進国では、おそらくは日本だけではないかと思います。

たとえば、アメリカのガンでの死亡率は、この30年間、劇的に減っていて、ガン患者そのものも減り続けています。

下は、アメリカの死亡率の推移を示すグラフですが、こういう曲線となっていて、今のアメリカのガン死亡率は、1990年代からどんどんと下がり始め、今は 1970年代くらいのレベルまでに戻っています。ガンの死亡率が増え続ける日本とは真逆です。

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アメリカの死因の推移


これは、アメリカが30年くらい前から、放射線治療、抗ガン剤治療、手術などの三大治療から脱しはじめて、食事、健康食品、東洋医学、瞑想、音楽療法などをはじめとした「代替医療」の比重を高くすることを、国家プロジェクトとしておこなったためのようです。

日本の癌治療は、アメリカの20年以上遅れている!」というサイトには、 WHO (世界保健機関)が、医学的根拠があるとして認めている代替え医療、

・栄養免疫学を背景とした食事療法
・機能性食品などのサプリメント療法
・ストレスを減らして免疫力を高める心理療法
・東洋医学(漢方・鍼灸・気功など)
・インド医学(アーユルヴェーダ)


などに関して、現在のアメリカでは、約 60パーセントの医師が代替え医療を推奨しているそうで、その結果は、上のグラフに現れていると思われます。

つまり、抗ガン剤や放射線治療から抜け出したことにより、「ガン死亡者を減らすことにアメリカは成功しつつある」ようなのです。

エビデンスがどうのこうのではなく、三大治療をやめれば、「ガン患者はあまり死ななくなる」ということが、アメリカとヨーロッパの医療で確認されているのに、なぜか、日本では、死にやすくなる方向の医学ばかりになる。

ヨーロッパなどでは、もっと過激で、「ガンには何もしない」という治療法が普通に存在していることが、安保徹さんと船瀬俊介さんの共著『ガンは治るガンは治せる―生命の自然治癒力』(2007年)には書かれています。

スウェーデンのガン治療

早期前立腺ガンの患者 223人を「まったく治療せず」10年間、経過をみた。その間に 124人が死亡しました。しかし、ガン死だったのは、わずか19人。よって、研究者たちは「手術による前立腺全摘は標準的治療とはいえない」と結論付けています。

日本では男性諸兄は前立腺ガンで病院を訪ねると例外なく切られる″。あるいは放射線を浴びせられる。しかし、スウェーデンの医者たちは、これら治療を「必要ない」という。だから、スウェーデンの前立腺ガン治療″は「何もしない」で様子をみるだけ。




カナダのガン治療

肺ガンも、日本では、ほぼ 100%抗ガン剤を盛られ、放射線を当てられ、手術で切られます。ところが、カナダでは、もっとも多い治療法は「何もしない」なのだ。なんと「無治療」が 22%。

最近の研究では、「何もしない患者が、もっとも治りやすい」ことが、わかってきたという。

「手術」は、たったの 6% (日本は 17倍)。抗ガン剤は 5%(日本は 20倍)。「抗ガン剤」と「手術」は 12%(日本は 33倍)。日本では、国際的レベルにくらべて、抗ガン剤は 20倍、手術は 17倍も多い。




アメリカの場合

アメリカ医学界も急激に「三大療法」から代替療法になだれを打っています。まさに 1990年のOTAリポートが、大転換点となったのです。

アメリカ政府の代替療法への予算は、1990年以降の 10年間で、300万ドルから 2億ドルへと、67倍にも激増。すでに六対四で、ガン治療の現場でも代替療法が優位に立っています。

そのためアメリカでのガン死者は年々約 3000人ずつ減り始めています。



また、アメリカついては、以下のような記事もありました。


がん患者の9割強が代替医療を経験〜米国最新がん事情
米国代替医療への道

米国が「がん」に宣戦布告したのは1971年。ヴィクトリーまでの道のりは まだ遠いが、死亡率は年々減少傾向を示している。

がん予防で「納豆」 など日本の伝統食が注目され、既存の西洋医療と代替医療を組み合わせた 治療効果への関心も高まっている。 (略)

がん患者の97%が代替医療を試みる

死亡率減少という朗報に加え、がんと代替医療に関する興味深い調査報告も 最近発表された。フレッド・ハッチンソン癌リサーチセンターの調査報告で、 1997年2月から1998年12月にかけて乳がん、または前立腺がん、大腸がんと診断されたワシントン州西部に住む大人356人を対象に電話でインタビューしたところ、約97%がなんらかの代替医療を利用しており、その結果、ほぼ全員が体調がよくなったと答えたという。



ここで注目すべきは、代替医療によって、

> ほぼ全員が体調がよくなったと答えたという。

部分です。

上の記事によりますと、アメリカの代替医療には、

・マッサージ療法
・バイオフィードバック(体内活動の状態を測定し、その情報を音や形などで示す)
・催眠療法
・イメージ療法(患者の想像力を使った療法)
・クリスタル療法(パワーストーンを使った療法)
・キレーション療法(キレート剤を点滴して行う解毒治療)
・マグネット療法(磁気療法?)
・サプリメント利用
・音楽療法
・瞑想
・ヨガ


などがあるようで、今ひとつわからないものもありますが、アメリカでは、ガン患者の 97%が、これらを利用していたというのです。

ちなみに、上に「音楽療法」というものがありますが、この原点は、聖書にあるようで、新約聖書「サムエル記」というものの中に以下のくだりがあります。

サムエル記上/ 16章 16節

王様、御前に仕えるこの僕どもにお命じになり、竪琴を上手に奏でる者を探させてください。神からの悪霊が王様を襲うとき、おそばで彼の奏でる竪琴が王様の御気分を良くするでしょう。

サムエル記上/ 16章 23節

神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。

竪琴は、最近の話の流れでいえば、ライアーと同系統のものですね。

ライアー(シュタイナーの発案が後に具現化した竪琴)
lyre3.jpg
リラ・コスモス HP




日本が抗ガン剤市場のターゲットにならざるを得ない事情

しかし、上の欧米の「三大療法からの離脱ぶり」を見て、ふと思ったのです。

「ああそうか。アメリカやヨーロッパでは、抗ガン剤があまり売れていないんだ。・・・とすると、抗うつ剤と同様にターゲットにする国は・・・」

そう、日本です。

あるいは、今のアジアの国は、どこでも西洋薬が大好きなので、中国や韓国も大きな市場になるかもしれないですが、それでも、薬漬け大国の日本は最大のマーケットなのだと思います。

なので、売り手としては、

間違っても、日本というこの特大市場を逃していけない。

間違っても、日本で代替え医療とか食事療法が主流になってはいけない。

間違っても、東洋医学やアーユルヴェーダを行う医者が出てきてはいけない。


・・・ということなのかもしれないですね。

残念ですが、製薬会社にとって、今後も日本はどこまでもターゲットになり続けるような気もします。

下は、2013年の医薬品の売り上げ上位10位です。

2013年度決算・医療用医薬品国内売上高ランキング
2013-ksr.gif
2013年度決算・医療用医薬品国内売上高ランキング


1位のプラビックスというのは、血液をさらさらにして、血栓の治療に使う薬だそうですが、1168億円の売り上げです。

あとは、降圧剤が多数ランクインしています。

降圧剤が、

・寝たきり老人や認知症を増加させている可能性
・脳梗塞を増加させる
・ガンを増加させる可能性


については、それらを提唱している医師たちの主張などを、

健康ブームの中でガンが増え続ける理由…
 2015年04月10日

の中で書いていますので、ご参考下されば幸いです。

私自身は、降圧剤というのは、この世にある薬の中で最も不要なもののひとつだと認識しています。

そういえば、うちの父親が降圧剤を飲んでいることを最近知りましたので、何が何でもやめさせるつもりですけれど、もちろん、こんな「降圧剤はやめなさい」などということは、身内以外には言えないですので、どんな薬でも、飲む飲まないはもちろん自己責任ではあります。

私は基本的に、

「一生飲み続けなければなりませんよ」

と言われて処方される薬には「医療の放棄」を感じます。

つまり、「一生飲み続けなければなりませんよ」というのは、処方した医師が、「私にはその病気や症状を根本的に治すことはできませんよ」と言っているに等しいからです。

上の「売り上げランキング」に戻りますと、DPP-4阻害剤というのは糖尿病の薬で、抗リウマチ、鎮痛消炎剤、抗ガン剤、と続きます。

ちなみに、上の表のページでは、売り上げが 100億円以上あった薬をすべてランキングしていますが、抗ガン剤のアバスチン以外にも、

売り上げ 100億円以上の抗ガン剤は 15種類

もランクインしていました。

ちなみに、抗ガン剤は、2014年はさらに売り上げを伸ばしていて、2013年は8位だったアバスチン(売り上げ 754億円)は、医療ニュースのミクス Online によりますと、2014年は「2位」にまで浮上し、売り上げも 1000億円を突破したそうです。


14年の国内医療用薬市場 抗がん剤アバスチンが売上1000億円突破
ミクス Online 2015.02.13

IMSジャパンは2月12日、日本の2014年(14年1月〜12月)の医療用医薬品市場が薬価ベースで 9兆9834億2600万円、前年比1.4%増だったと発表した。

前回薬価改定があった12年は前年比0.7%増だったが、14年は4月の消費税率引き上げ相当分が薬価に加わったこともあり、前回改定時よりも伸び率が大きく出たものとみられる。

製品別売上をみると、抗がん剤アバスチンが売上1000億円を突破し、国内製品売上ランキングで第2位となった。



日本の1年間の薬の売り上げが 9兆9834億・・・。

貨幣経済か資本主義が崩壊でもしない限り、この輪廻から抜け出すのは容易ではなさそうです。

ところで、西洋医療でガン治療を受けた場合でも「ツイていた時」には、生還できることがあるのだなあという話を最近うちの奥さんから聞きました。




ステージ4の末期ガンが見つかってから15年間元気な女性

うちの奥さんは、介護関係の仕事をしていますが、昨日、以下のような会話をしました。

奥さん 「あなたは抗ガン剤は良くないって言うけど、何となくそう思っちゃうことがあった」
わたし 「どんなこと?」
奥さん 「いつも介護に行く女性の方なんだけどね、この間行った時に、『わたし、末期ガンだったのよ』って言うのよ。驚いて『ガンが見つかったんですか?』って訊いたの」
わたし 「うんうん」
奥さん 「そしたら、笑って、『違う違う、15年も前の話よ』って言うの。何でも、喉頭ガンのステージ4の末期だったらしいの」
わたし 「喉頭ガンの末期から 15年?」
奥さん 「その方はね、『ツイていたのかどうかわからないけど、先生もいい人だったし、15年間、再発も転移もないのよ』って言うのね。それで訊いたら、その時の担当医は、『抗ガン剤も放射線治療も必要ありません』って言って、手術だけして、それで終わりだったんだって」
わたし 「あ、そりゃツイてる」
奥さん 「そして、『そんな経験してるから、ガンはそんなにこわくないと思うようになったのよ』って言ってた」
わたし 「でも、喉頭ガンで手術したら、喉に不自由が残るのでは?」
奥さん 「喋るのに少しだけ不便があるけど、生活は大丈夫だって」
わたし 「そういういいお医者さんに会えるのも人徳かね」


この

> 「ガンはそんなにこわくないと思うようになったのよ」

というだけでも、これは一種の覚醒ともいえるような気もします。

もちろん、ガンはどんな治療をしても、あるいは、治療をしなくとも、それで死んでしまうこともあるでしょうけれど、先ほどのスウェーデンの実験にあった、


早期前立腺ガンの患者 223人を、まったく治療せず10年間、経過を経過をみた。
その間に 124人が死亡しました。
しかし、ガン死だったのは、わずか19人。



というのを見ましても、特に高齢の場合、「積極的治療」の意味とは何なのか、ということも問われているような気がします。ガンになりやすい高齢では他にもいろいろと死因はあるわけで、どうやったって、いつかは人は亡くなるのですから、せめて、抗ガン剤での激しい苦痛など経験なしに、そこに辿りつきたいとは思います。

しかし、先ほどの欧米のガン医療の現状を見ましても、アメリカやヨーロッパでは、抗ガン剤などの使用量が相対的に少なくなっているため、その売り上げを「補う」ために、今後も日本では抗ガン剤での医療はさらに継続、あるいは拡大していきそうです。

今ではガンは身近なものです。なってしまった時にどうするかを決めるのは、最終的には自分の意志であるべきだと考えます。そして、なる前からそのことは考えていいはずです。



  

2015年05月28日



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[追記] 5月21日から 5月26日の大量死報道を追加しました(5月29日)。

climate-cia.gif
ALLGOV






 

突然、長く続いた気候の情報公開・共有を停止したCIA

今回は、また、「大量死」関係のことを書こうと思っています。

上の CIA に関してのニュースは、それと直接関係するものではないですが、今のような自然災害が多い時期・時代に、「突然、気候変動に関してのデータ共有(政府機関と科学者たちの間での共有)を停止する」ということには多少不自然な部分を感じる部分もあります。

当事者のアメリカにしても、最近は延々と激しい天候の影響を受け続けているわけで、今が最も気候変動の情報データを科学者たちと共有することが大事な時なのではというときに、「共有を停止した」というのが、やや妙かなと。

アメリカでは、2日ほど前にも、テキサス州で「信じられないような量の豪雨」によって、大きな洪水被害が出ています。

少なくとも15名が死亡し、1000台の車が水没したテキサスの洪水
texas-flood-2015.jpg
ロイター「米テキサス州などで洪水被害拡大、15人死亡 車1000台以上水没」


上の記事の冒頭部分を記しておきます。


CIA Ends Information Sharing with Climate Scientists
ALLGOV 2015.05.26

CIA が気候学者たちとの情報の共有を停止

マザー・ジョーンズ(報道メディア)は、ほぼ四半世紀前に始まった、気候変動を研究する科学者たちと、海洋や大気の収集機密の情報を共有するプログラムを停止することを、アメリカ中央情報局( CIA )が決定したことを伝えた。

今回、終了が決定されたプログラムは「環境分析のための地球データ測定」( MEDEA )プログラムで、約 60人の民間の科学者が、そのデータ情報を共有できるためのセキュリティ・クリアランス(資格)を持っていた。

このプログラムでは、偵察衛星によって収集された海の温度、潮の流れの読み取りや、米海軍の潜水艦による地形データなどの収集も含まれていたという。

この気候変動の脅威に関する多くの情報を、気候の専門家に提供し、共有するプログラムは、 MEDEA 以外のソースからアクセスすることはできない。

CIA は、天候の変化が世界的な競合にどのような影響を与えるかを分析するために、このデータを使用している。CIA など諜報機関は、世界の脅威評価報告書の分析のために科学者たちと提携していると信じられている。



というようなものです。

この CIA などの諜報機関と気象の還啓としましては、以前、

1975年のジュネーブ軍縮会議で米ソが発表した「人工洪水攻撃、人工地震攻撃、極地の氷の融解攻撃、オゾン層破壊攻撃の禁止」…
 2014年02月19日

ベトナム戦争の気象コントロール「ポパイ作戦」とハリケーン縮小計画「ストームフューリー・プロジェクト」以後、アメリカの気象兵器開発は進んでいるのか、いないのか
 2015年02月16日

のような記事で記したことがありますが、アメリカの軍や諜報機関が天候を利用する、あるいは、そのために研究をする、という歴史は長いようで、今ではさらに「進化」しているかもしれません。

さて、このことは今回の本題ではないです。

今回は、

途方もない「大量死の時代」の進行が加速していた : 2015年最初の4ヶ月だけで270件を超える大量死報道があることを知り
 2015年04月30日

に続き、5月に入り、さらに大量死が複雑化していることを含めて、ご紹介したいと思います。先日のアメリカの大量死の記事でも書きましたが、相変わらず「1種類の生き物の大量死」が目立ちます。




「消えていく動物たち」と私たち人間の関係

ところで、昨日の、

シュタイナーが110年前に述べた「頂点は日本です」の意味
 2015年05月27日

という記事は、シュタイナーの地球についての概念を書いたものでしたが、そのシュタイナーは、「その地球で起きるすべての出来事」と「人間の意志」は、

「関係がある」

とする主張を持っていたようです。

たとえば、地震や火山の噴火なども含めて、あらゆることが「人間の意志によって起こりもする」ということのようです。

シュタイナーの 50巻からなる「連続講義録」というものの第一巻を日本語でまとめたものが、『神智学の門前にて』という本なのですが、この中に、

人間の意志は、地上に生起することに関連している。
人間は自分の住む土地を変化させるのである。

という意味の部分が何度か出てきます。

最近とてつもなく増え続けている動物の大量死だとか、ウイルスの蔓延などの出来事も、人間の意志と関係するということになるのでしょうかね。

5月も、4月と並ぶほどの大量死報道が続いています。




拡大する未知のウイルスでの絶滅

なお、今月で印象的な大量死としまして、

パキスタンで 200頭以上のラクダが未知のウイルスで死亡(5月12日報道)

camel-die.gif
Daily Pakistan


カザフスタンで 8万5000頭のサイガ・アンテロープが死亡(5月22日報道)

saiga-antelope-02.gif
National Post


オーストラリアで、カメが未知の病気で「絶滅」に向かっている(5月6日報道)

turtle-extinction.gif
Scientific American

などです。

共通するのは、ウイルス性の疾患での大量死ということなのですが、どれもが「未知のもの」となっています。

カザフスタンのサイガ・アンテロープの大量死については、現在までに、個体数の3分の1が死亡したというカザフスタン政府の発表もあります。

サイガ・アンテロープというのは下のような動物で、まあ、かわいい感じのものなんですが、これが「たった数日間で、8万頭以上が死亡する」という緊急事態となっています。(追記) 5月28日には、死亡数が 12万 5000頭にまでのぼったことが、カザフスタン政府から発表されています。(報道

saiga-antelope.jpg
tumblr

これに関しましては、

カザフスタンで絶滅危惧種のサイガ・アンテロープが「たった数日間で8万頭以上の謎の大量死」
 2015年05月26日

で記事にしています。

オーストラリアの「カメの大量死」についても、この未知のウイルスの致死率は非常に高く、サイエンティフィック・アメリカの記事によりますと、今年3月以来、「感染したカメはすべて死亡」という状況で、これまで大量のカメやウミガメの死亡が確認されていて、しかも、このウイルスが、カメの生息地の 90パーセントの地域で見つかっているのだそうで、このままでは、

「オーストラリアのカメが絶滅してしまう」

という事態が、現実味を帯びてきているようです。

パキスタンのラクダの大量死については、短い報道ですので、翻訳します。



200 camels die of mysterious disease in Noorpur Thal
Daily Pakistan 2015.05.11

ノールプール・タルで、謎の疾患により 200頭のラクダが死亡

地元メディアによると、パキスタン・ノールプール・タル地区で、5月11日までの1週間で、少なくとも 200頭のラクダが、未知のウイルス性疾患で苦しめられた後に死亡している。

地区の畜産当局によれば、ラクダたちは、震えや咳を伴う鼻からの出血に苦しんだ後に、最終的にすべて死亡したという。

また、「村人や貿易商たちは、これまでに 200頭以上のラクダを失ってしまった」と述べた。

これらの地域では、ラクダは、砂漠での走行、水汲み、荷物の運搬、農耕、レジャーなどに幅広く使われているため、ラクダは珍重されており、ラクダは 15万パキスタンルピー( 約17万円)から 20万パキスタンルピー( 約 24万円)という高値で取り引きされている。

地元の長老たちは巨額の損失を回避するために、この謎の病気に対する即時の対処の実行をパンジャブ州政府に求めた。




大型動物たちの未知の病気も蔓延しているようです。

それでは、ここから、5月26日までの世界の主な大量死報道をご紹介します。
すべて報道リンクをつけてあります。

印象的なものには、短い説明を付け加えています。



Mass die-off 2015 May 2015

2015年5月の世界の大量死報道


5月26日 メキシコ - ティファナの海岸に 250 万匹の死んだロブスターが打ち上げられる。報道

million-lobsters-01.jpg
来たるべき地球のかたち


05月26日 米国 - 2ヶ月で 12頭の死亡したクジラが、カリフォルニア州ポイントレイズ国立海岸に打ち上げられる。報道

05月26日 米国 - 原油流出により数千の海洋生物が死亡。報道

california-oil-2.jpg
Reverb Press


05月25日 ニュージーランド - ポロンガハウ・ビーチにクジラが打ち上げられる。報道

05月25日 カザフスタン - サイガ・アンテロープの死亡数が 125,000頭に。報道

05月25日 カザフスタン - キガク川の岸で、70羽のペリカンが死んでいるのが発見される。報道

05月24日 ポルトガル - エヴォラのダムで、数千匹の魚が死亡。報道

05月24日 メキシコ - イスラ・ムヘーレスで大規模な魚の大量死。報道

05月23日 米国 - ソノマ郡で、5週間で7頭の死亡したコククジラが打ち上げられる。報道

05月22日 タイ - ナコーンナーヨック県の川で魚の大量死。報道

05月21日 米国 - 中西部で鳥インフルエンザにより 40万羽が死ぬ。報道

05月21日 カナダ - バラード市の入り江で1万羽の鳥の大量死。報道

05月20日 メキシコ - バハ・カリフォルニアの海岸に大量のクラゲ(カツオノカンムリ)が打ち上げられる。報道

Jellyfish-California-05.gif
Zonalider


05月19日 オーストラリア - マッカイの植物園のラグーンで謎の魚の大量死。報道

05月18日 チリ - ワルペンで数千羽の鳥が死亡しているのが見つかる。報道

05月18日 米国 - ペンシルバニア州リドリーパークで魚の大量死。報道

05月17日 米国 - フランダースベイビーチで何百頭ものウミガメが死体で発見される。報道

05月16日 ロシア - シベリアのカティン湖で、数千匹の魚が死んでいるのが発見される。報道

05月16日 米国 - オハウで数百匹の魚が死んで発見される。報道

05月16日には、米国 - ミネソタ州レンヴィルで 200万羽のニワトリが死亡。報道

05月14日 米国 - ハヴァス湖で、「重度の鈍的外傷」を負って死んでいた 30羽の鳥が発見される。報道

05月14日 ヨーロッパでは、鳥類の3分の1が絶滅の脅威にさらされているという報道。報道

05月14日 ポルトガル - マカオ川が死んだ数百匹の魚で覆われる。報道

05月13日 米国 - サウスダコタ州で鳥インフルエンザにより 12万羽以上の鳥が殺処分。報道

05月13日 カザフスタン - アルマトイ郊外で、サイガアンテロープが謎の死。報道

05月12日 メキシコ - カリフォルニア湾の中で最も重要な保護地域の一つであるロレートで、謎の魚の大量死。報道

05月12日 パキスタン - パンジャブで、謎の疾病により数百頭のラクダが死亡。報道

05月12日 メキシコ - ウルスロ・ガルヴァンの入り江で大規模な魚の大量死。報道

05月12日 中国 - 深センで、魚の大量死。報道

05月12日 イタリア - ロナーテポッツォロの海域で3トンの死んだ魚が見つかる。報道

05月11日 米国 - ミネソタ州で鳥インフルエンザために 600万羽以上の鳥が殺処分。報道

05月11日には、バミューダ諸島 - ハミルトンで魚の大量死。報道

05月11日 中国 - 興賓区( Xingbin )の養魚場で魚の大量死。報道

05月10日 ノルウェー - ロムスダールのフィヨルドが死んだ魚で覆われる。報道

05月09日 ベトナム - ヴァン・コ・ドン川で大規模な魚の大量死。報道

05月08日 日本 - 名古屋にある運河が 10万匹の魚の死体で覆われる。報道

その後、死亡した魚の数は 47万匹だったことが報じられ、さらに、5月20日には「新たな大量死」が同じ運河で起きています。(報道


05月07日 チリ - ペーニャ湾で 30頭以上のイワシクジラが海岸に打ち上げられる。報道

whale-37-chile.gif
Diario Veloz

このチリの海域は、イワシクジラの生息域ではなく、座礁した理由と共に、なぜ、こんなに多数のイワシクジラが、この海域にいたのかということ自体の理由がわかっていないとのことです。


05月07日 ナイジェリア - プラトー州で、鳥インフルエンザにより 40万羽の鳥が殺処分。報道

05月07日 オーストラリア - ニューサウスウェールズ州の洪水で 500頭以上の牛が死亡。報道

05月06日 オーストラリア - ニューサウスウェールズ州のペリンジャー川で、謎の疾患により数千頭のカメが死亡。報道

05月06日 中国 - ショウ州市の川で大量の魚が死亡しているのが見つかる。報道

05月05日 米国 - カリフォルニアで多くのクジラが死亡し続けている。報道

05月05日 アルゼンチン - サンロケ湖で魚の大量死。報道

05月04日 アルゼンチン - トレスアロヨスの海岸に沿って、数百頭のペンギンが、栄養失調で死亡。報道

05月03日 中国 - 青島の川で魚の大量死。報道

05月03日 トルコ - バルケシルで鳥インフルエンザにより7万羽以上の鳥が死亡。報道

05月01日 カーボベルデは - ムルデイラで、座礁した 23頭のクジラのうち 16頭が死亡。報道

05月01日 米国 - アイオワ州で 16万羽が鳥インフルエンザの流行のために死亡。報道




以上です。

今の地球からは、いろいろな生命が消滅し続けているようで、こういうことにも「肯定的態度」で向きあうにはどうしたらいいですかね。

あるいは、これらを「刷新」とか「再生」というキーワードの側面から考えてみる方法などもあり得るのでしょうか。



  

2015年05月27日



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japon-map3.gif
kanpai.fr






 

神秘学での「日本の地理的な位置」

先日の記事、

「恐怖からの解放」についてのメモ(2):現在の地球の人間は何によってコントロールされているのか
 2015年05月25日

では、宇宙の人の主張としてですが、「地球は恐怖によってのコントロール下にある」というようなことを書きまして、その人たちの言うところには、宇宙には

> 人間の恐怖心を食べ物にしている

という、何だか形而上的な存在がいるようなんですが、それについて以下のように記されています。

プレアデス+かく語りき』より

地球において、恐怖の周波数が減少しはじめると、さまざまな宣伝が行われて恐怖心が増大されることになります。

彼らは、地球上で感情的な混乱を宣伝し、拡大するためのさまざまな装置を地球に埋め込んであります。感情的な混乱は彼らのところに送られ、それによって彼らは滋養を与えられます。

というような仕組みになっていることを宇宙の人は語ります。

「恐怖を拡散するためのネタ」は、いくらでもあるでしょうが、地震や火山噴火などの自然災害に関しての喧伝も、ある意味、「恐怖の喧伝」となり得るものなのかとも思います。

最近は、ちょうど、ルドルフ・シュタイナーの『天地の未来 ― 地震・火山・戦争』という、災害や戦争と、人間や悪魔などの関係などについて書かれてある本を、途中まで読んでいるところでした。

それで、読んでいる途中に、シュタイナーの主張では、

「日本は、地球の頂点に位置する」

という記述があり、そういう発想があったことを知りませんでしたので、ご紹介したいと思います。

まあ、そういう記述があったからどうしたと言われればそれまでなのですが、シュタイナーの本を読んでいて、これまで「日本」という単語さえ出てきたのを見たことがなかったのに、いきなり「頂点」とか言われて、少しビックリしたのでした。

これは、シュタイナーが「地球の本当の形」について述べている時に出てきた言葉ですが、シュタイナーは、

「地球は、球体ではなく、四面体だ」

と言っていて、このあたり、ややこしい面もありますので、図で少し解説しておきたいと思います。

四面体というのは、一般的には下のような形をいいます。

4mentai.gif
正四面体


シュタイナーによると、「これらの三角形の平面をいくらか湾曲させ」たものが、地球の形であるようです。

以下は講演の際にシュタイナーが書いたとされる黒板での説明の実物か、あるいは、図を再現したものだと思われます。

中央に描かれているのが、シュタイナーの言う地球となります。

chesta-drawing.jpg
Anthro Med Library


上で書かれている文字を日本語にしますと、以下のようになります。

japan-top.gif
Wellspring


地球で日本が頂点に位置する、ということについては、その部分だけを抜粋しても、よくわからないと思いますので、ちょっと長くなりますが、少し前から抜粋します。

また、実際には書籍に図はないですが、適度に図を添えました。



シュタイナーの 1906年の講演『地震の深層』より


地球は球体であり、球体として形成された、と言われています。しかし、地球が球体であるというのは正しくありません。地球は実際には、本来どのようなものか、説明しようと思います。

地球が球体だというのは空想にすぎません。
地球の形態を正しく思い描きましょう。四面体と呼ばれている形態です。

三角形が四つあります。底辺に三角形があり、さらに三つ三角形があって、ピラミッド形になっています。三角形が四つ境を接しているのが四面体です。

さて、これらの三角形の平面をいくらか湾曲させる、と考えてみてください。そうすると、やや異なってきます。丸くなりますが、まだ固定していません。直線だった三角形の辺は丸くなります。こうして、丸くなった四面体ができます。

このように丸くなった四面体が、私たちの地球なのです。これは、ある程度まで確認できることです。地球四面体の縁を見出すこともできます。地球を平面図で描いてみましょう。

北米・南米があり、その中間に中米があります。そしてアフリカがあり、ヨーロッパがあります。小アジア、ギリシア、イタリア、スペイン、フランス、つまりヨーロッパです。上にはスカンディナヴィア、イギリスがあります。それからアジアです。

下に南極があります。南極のまわりには、たくさんの火山があります。上に北極があります。私たちは線を引くことができます。メキシコ南西部のコリマ山のあるアメリカ中央部から発して、アンデス山脈を通って、南極にいたる線です。地球の縁は丸くなっています。

d-3.gif
Wellspring


つぎに、南極からアフリカを通って、コーカサスの火山にいたる線があります。それからスイスを通り、ライン川を越えていく線です。これらの線は三角形に見えます。この三角形が、四角形の底面に相当します。

四面体の底面をことを考えてみてください。私たちは、どのようにして頂点にいたるでしょうか。地球の反対側に行かなければなりません。そうすると、頂点は日本です。

japan2.gif


四面体の底面の角に中央アメリカ、南極、コーカサスがあります。そして、頂点に日本があります。
このように地球を思い描くと、宇宙のなかの湾曲したピラミッドのようです。

頂点は日本です。

底面には、アフリカ、南米、太平洋の南部全体があります。このような湾曲した四面体、一種のピラミッドとして、地球は宇宙のなかに存在しています。これが地球のもともとの形です。




とあり、さらに続けて、シュタイナーは、


四面体を形成するこれらの線をたどって追っていくと、これらの線に沿って火山があるのが分かります。

チリなどにある南米の火山、南極の周囲にある火山について、みんさんは良く聞くことがあるでしょう。コーカサスには巨大な火山があります。

『ヨーロッパには火山は多くない。しかし、かつて火山があり、それが死火山になったことを、いたるところで証明できる』と、いうことができます。シュレジエンの北からブレスアウへ向かうと、奇妙な弧峰があります。

今日の人々は、この山を恐れています。この山の岩石を調べると、死火山があります。さきほどは底面のみを描きました。いたるところに、日本に向かう線があります。これらの線に沿って、地表に火山があります。

重要な火山を描いていくと、地球の形態ができあがる、ということができます。火山が線をなしており、それらの線が地球が四面体であることを示しています。



と述べていて、特に、

> いたるところに、日本に向かう線があります。これらの線に沿って、地表に火山があります。

という表現は、何だか、「日本は火山の王様」みたいな感じもしないでもない雰囲気もあります。




将来的に地球が分断する場所に引かれた地球の縁のライン

シュタイナーが「地球の縁」と呼んで、線を引いている場所で面白いのは、「重要な火山を描いていくと、地球の形態ができあがる」と言っていることで、確かに、世界の火山の分布を見ますと、シュタイナーの言う地球四面体の縁の部分と合致している場所も多いです。

volcao-map.gif
内閣府 防災情報のページ

上のページには、


世界には約1500の活火山があるといわれており、そのほとんどが環太平洋地帯に分布しています。日本には世界の活火山の約1割があり、世界有数の火山国といえます。


とあり、確かにほとんどの活火山はニュージーランドから始まり、インドネシア、日本、カムチャッカ、千島列島(クリル)、アラスカ、アメリカ西部、南米の西側に連なる環太平洋地帯に集中していますが、ヨーロッパにもわりと火山があることがわかります。

あと、アフリカが意外に多いのですが、アフリカの右側に火山が集中している場所があります。

africa-volcano.gif

シュタイナーの描く「地球の縁」は、このアフリカの火山集中地域を通っているのですが、このことがちょっと驚いたところでもあります。

ここは、大地溝帯という、

将来的に分断されると地質学的に考えられている場所

なのです。

大地溝帯 - Wikipedia

大地溝帯は、主にアフリカ大陸を南北に縦断する巨大な谷で、プレート境界の一つである。大地溝帯の谷は、幅35 - 100km、総延長は7,000kmにのぼる。

今のままで行けば、数十万 - 数百万年後には大地溝帯でアフリカ大陸が分裂すると予想されている。

過去記事の、

イスラエル・ガリラヤ湖が震源となる連続した地震の発生で気づいた「地球上の大陸の分断」の始まる地点
 2013年10月23日

などに書いたことがありますが、この大地溝帯は、アフリカ南部から、中東のイスラエルまで続く巨大な断層で、仮に地球が大きく変化する時には、「ここで地球が分かれる」というニュアンスを持っていると理解しています。

ここに、シュタイナーの「地球の縁」としての線が引かれていることは面白いと思います。

great-lift.gif


大地溝帯でアフリカ大陸が分断される、という学説は、知る限りでは、2005年から 2010年までの研究の間に判明したことではないかと記憶しているのですが、1906年の時点で、シュタイナーがこの大地溝帯が「文字通り地球の縁になるかもしれない」ことを知っていたのかどうか。

非常に見にくい図ですが、地震の分布図(赤で塗られた場所)と、気温の平年差(赤いほど平年より高い)の図の上に、シュタイナーの描く四面体の地球の「縁」を線として書き込んだものがあります。

シュタイナーは「日本が地球の頂点」と述べていますが、他の三角形の頂点の場所を示してみました。

hotcold-world-1.gif
anthromed.org

シュタイナーの地球モデルだと、

・日本
・ギリシャ
・米国


などが、それぞれ「角」ということになりそうです。

この『天地の未来』で示される日本の位置の意味というのは、次のどちらかなのかもしれません。

1. 日本での地震や噴火などの自然災害が世界に影響を与える
2. 世界中の地震や火山噴火が日本に影響を与える


どちらにしても、どうやら日本は「地球の変化を示す頂点」という象徴性を持つのかもしれません。




地震予知は地球のカルマに介入する悪しき事

ところで、シュタイナーは「予知」について、どう考えているのか。

つまり、地震予知とか、そういうものです。

これについては、シュタイナーは完全に「否定」しています。
予測できないということではなく、

「予測していはいけない」

として、たとえば、下のようなことも述べています。


『天地の未来』より

人間がこのような出来事を処理しようとすると、いかに恐ろしい方法で地球全体のカルマに介入することになるか、よく考えてください。

恐ろしい形で反応が生じるでしょう。例外的に、秘儀に参入した者が地震を予知したとき、自分のため、もしくは自分に近い者たちのために、その知識を用いることはできるでしょう。

しかし、その秘儀参入者たちは事態を知りつつ没するにちがいありません。

何千年・何百万年をとおして人類のカルマのなかに存在してきたことがらは、短期間で廃しされたり、無力にされたりしないからです。



地震予知というのは、特殊な能力でそれができる人も「してはいけない」し、それをした人は、「予測できても、地震にやられる」ということになるようです。

そんな感じで、シュタイナーの本に唐突に出てきた「日本」は、神秘学での地質学での、地球の頂点に位置していることを知ったのでした。




33の意味

ところで、この『天地の未来』の最初に、訳者の西川隆範さんの序文があるのですが、その内容には以下のようなことが書かれてありました。

「 33 」という数と関係することです。
過去記事の 33 度については、こちらのリンクからどうぞ。


『未来の地球』諸言より

中世ドイツの神秘哲学者アグリッパ・フォン・ネッテスハイムが作成した「大天使カレンダー」によると、1879年にミカエルの時代が始まる。

人智学の創始者ルドルフ・シュタイナーは、

「天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた」(『ヨハネ黙示録十二章』)

という事件が起こったのはこの年だ、と述べている。

人間の一生は月のリズム(約18年半)に従って変化を遂げていき、社会は太陽のリズム(33年)に従って展開していく。

1879年から 33年が二度めぐったとき、広島、長崎に原爆が落とされ、それからまた 33年が二度めぐったとき、福島の原発事故が発生した。



その後、いろいろとな記述がありますが、序文のラストは以下のように締めくくられています。


1998年( 666 × 3 )に悪魔的存在が地上に誕生し、21世紀前半中にも活動を開始する、とシュタイナー学派は見ている。他方、本書でシュタイナーも語っているが、紀元前 3101年に始まった暗黒時代(カリユガ)の第一期が 1899年に終了し、精神世界への見通しが明るくなってきている。

幾多の困難が今後もやってくるだろうが、全体的には世界は精神化へ向かっている。物欲の時代は終わり、心魂浄化の時代が始まっている。時代の流れを促進するか、物質に固執して混迷を深めるか、個人個人の生活が岐路に立っている。

私たちはいま、比類なき美しい自然に鎮座なさっている神々にふさわしい国土をあらためて築いていく時期を迎えたのではないだろうか。



カリユガというのは、ヒンドゥー教の概念のようで、要するに「悪と破壊の時代」のことを指すようで、カリ・ユガ - Wikipedia によれば、紀元前3102年1月23日より始まった「悪徳の時代」とされ、現在はこの時代の中にいるとされているようです。

それにしても、色々な立場から、たとえば地球とか自然災害などを見ますと、まったく違う側面がいろいろとあって、どちらが正しい正しくないということではなく、様々な価値観が膨らんでいくようで、なかかな楽しいものです。



  

2015年05月26日



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周波数と形の相似
solfeggioo-top.jpg
The Miracle of 528 Hz Solfeggio & Fibonacci Numbers






 



今朝、うちの子どもを起こすために何度か声をかけた後に、子どもが、何だか釈然としない、という様相で起きてきて、怪訝な顔をして周囲を見回しています。

子ども 「あ、そうか。今起きたのか」
わたし 「どしたの?」
子ども 「いや、さっき一度起きたのに、なんで起きているのに、起こされてるのかなと思ったら、そこで目がさめて、本当に起きたのは今だったって気づいた」
わたし 「ああ、夢の中で起きちゃったのね。大人になるとよくあるよ」
子ども 「おとうさんもある?」
わたし 「おとーさんはそんなもんじゃないよ。起きたと思ったら、それが夢の中だったことに気づいて、その後、道を歩いていて、『不思議な夢だったなあ』と考えていたら、そこでまた目がさめたこともある」
子ども 「2回とも夢の中だったの?」
わたし 「・・・と思ったら、また目覚めたりする」
子ども 「なんだかよくわからない」
わたし 「・・・と思ったら、それも夢だったりする・・・ことが大人になると、よくあるよ」
子ども 「ふーん」


この「夢の中で何度目覚めても、現実の目覚めに辿り着かない」というのは、最近は非常に減りましたけれど、以前はよくあることでした。

特に、金縛りというのとは違うと思いますが、「目覚めているのに体が動かない」時などに、つまり、「まぶたを開けることができない」と思ってジタバタしても、まったく体が動かず、しかし、そのうち、フッと体が動いて、目を開けることができるのですが、

「それもまだ夢」

という、この繰り返しが延々と続くことはよくありました。

疲れた時に多かった気がしますので、疲労とか睡眠の質とかが関係しているのだと思います。


ところで、先日の記事、

「恐怖からの解放」についてのメモ(2):現在の地球の人間は何によってコントロールされているのか
 2015年05月25日

では、「他の星の人」の主張としての、この地球の支配構造について、少し書いたのですけれど、実は、その本でやや驚いたのは、そのことではなかったのでした。




「みずがめ座の時代」の概念を知ってから6年経ち

この「他の星の人」というのは、いわゆるプレアデスという星の人なんですが、私は、これまで、プレアデスだとかシリウスだとかの語感はどうにもスビリチュアル過ぎるイメージがあって、何となく近づかなかったですし、興味も湧いたことはあまりありませんでした。

何となく胡散臭い響きのほうが強い。

「大体、そんな遠いところから物理的に地球に来られないし」

とも思っていたのですが(プレアデス星団やその近辺の惑星は、地球から、光の速さで 400年以上かかる距離です)、これに関しては、最近考え方が変わりまして、例えば、過去記事の、

多くの人類の松果体が破壊されようとしている現在に考える「多次元宇宙空間を理解する将来のために松果体を守るべき」時代
 2015年02月22日

などでも書きましたが、

「この宇宙が、多次元宇宙やパラレル・ユニヴァース(平行宇宙)であるとした場合」

は、移動の問題はあまり重要ではなくなることに気づきました。

そして、宇宙が多次元であることや、あるいは無数の平行宇宙が存在していることについては、今では科学的な側面からも、ほとんど否定できなくなっている部分もあるわけで、今後、「宇宙人」とか野口晴哉さんといった概念を考える場合は(野口晴哉さんは関係ないだろ)、何よりも最初に、

多次元宇宙

ということを念頭に置いて、初めて遠い宇宙の存在との接触ということを考えることが可能になるのだと思われます。

それはともかくとして、昨日の記事で抜粋した本は、バーバラ・マーシニアックという人による『プレアデス+かく語りき―地球30万年の夜明け』という本でした。

英語の原題は「 BRINGERS OF THE DAWN 」(夜明けを運ぶ者たち)ですので、語感としてはかなり違う感じもあります。

それで、ザーッと読んでいたのですが、このような本の内容の真偽ということはともかくとして、

「ああ、この本を知るのはタイミング的には今でよかったんだなあ」

と思いました。

なぜかといいますと、この本の中には、

「音」(周波数)は世界のすべてを根本から変えられる

ことや、あるいは、以前たまにテーマにしていました、

男性性社会と女性性社会

についてもかなり長く書かれているのでした。

現在の男性主導型の地球が、今後どのようになっていくかを語っているのです。

このことは、以前の私はずいぶんとよく考えていたものでした。

私がこの「男性性社会と女性性社会」ということを唐突に考えるようになったのは、2011年3月11日の震災の直後でした。

最初に記事にしたのは、震災1週間後の、

人類の大きな希望 : 女性「性」の文明
 2011年03月19日

というものだったと記憶しています。

震災の被災者の方々の姿を拝見しているうちに、

「人間は宇宙の記憶から独立した優れた生き物だ」

ということに気づき、「人類は最強生命」論に突然傾きました。

結局、最近書いているような、野口晴哉さんとか、ヒポクラテスとか、ナイチンゲールや安保徹さんの言うような、「人間は完全な免疫能力を持っている」というようなことも、その「人間が最強である」部分であるわけで、4年前に書いていたことと、それらが結びついていることだとは今まで気づいていませんでした。

「そんなことに気づかないようでは少し困りますね」と野口晴哉さんに言われるかもしれないですが、人間最強生命論はともかく、「女性性の社会」というのは、たとえば、みずがめ座の時代という概念とも多少関係します。

この「みずがめ座の時代」というのは、いわゆる「ニューエイジ」という言葉と繋がっているそうなんですが、私は 2009年頃まで、どちらも聞いたことさえなかったのです。

2009年に、ウェブボットのクリフ・ハイのエッセイで初めて知りました。

私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために(2):平衡を失ったこの魚座の世界のどこかにあるはずの「みずがめ座への意識」
 2013年04月05日

という記事に抜粋したことがあります。


ALTA レポート 1109 パート1 巻末エッセイ
ウェブボット 2009年1月31日

さまざまな人類が住む宇宙はエネルギーの渦が幾重にも重なる円環として見える。当然、われわれの地球もこうした渦を巻くエネルギー場の一つだ。そのエネルギー場は、生命のあるもの、 また、生命のないものそれぞれの小さなエネルギーの渦が織りなす複雑な構造をなしている。

変容はこうした構造で起こる。

変容は人類が生存している宇宙全体で起こっていることだ。その視点からみると一つ一つの惑星は渦を巻くエネルギーの場であり、そこで変容が起こることは花弁が一つずつ分かれて分離するようなイメージでとらえることができる。

実際の変容の過程は、民衆がこれまでの社会の組織や権力に離反し反逆するという形で現われる。変容に抵抗する人々は多く存在する。

次の時代はみずがめ座の時代である。

この星座は水の星座である。したがって、どんなに抵抗する力が強くても、うお座の父権的な組織の崩壊は水と女性的なエネルギーを通して行われるはずだ。



ここには、

・現在の「父権的」な世の中のシステムは崩壊する
・そしてその崩壊は、「女性的なエネルギー」を通して行われる


というようなことが書かれてあります。

そして、私も、その頃から、そうなる時期はわからないながらも、おそらくは、地球は段階的に、女性「性」的なエネルギーが中心の社会となっていくのだろう、と考えていました。

ちなみに、ここでいう「女性性的なエネルギーが中心」というのは、間違っても、今の世の中でいう「女性がたくさん政治家になったり、会社の女性社長や女性役員が増えたり」といったことではなく、そういうこととは、まったく何の関係もないことで、むしろ全然真逆の話です。

「女性政治家や女性首相が増えたり、会社の女性社長や女性役員が増えたり」というのは、典型的な男性型エネルギーの社会の光景です。

「女性性的なエネルギー」というのは、そういう政治だとか企業だとかの概念自体を考えることのない新しい社会へのエネルギーの方向の話です。

でまあ、そのことについても、先ほどの『プレアデス 語りき』には、かなりのスペースを割いて書かれてあったのですね。

プレアデスの人の言うには、女性エネルギー(周波数)が中心の社会ということよりも、

「 5000年前に分裂させられてしまった男性と女性がふたたび統一される」

というような表現をしていました。

男性も女性も、その本来のお互いの意味を取り違えて(そう考えさせるように仕向けられてきた)、この数千年を生きてきていたようなんですね。

いずれにしても、男性「性」と女性「性」が理想的な統一を遂げるというような意味のことを言っていたのだと思います。

また、プレアデスの人は「性意識」、平たくいえば、セックスについても長く持論を述べています。

このプレアデスの人の言う「未来の男性と女性の姿」は大変に面白いものですので、もう少しいろいろと調べてから、記事にしたいと思っています。

さて、さきほど、

「ああ、この本を知るのはタイミング的には今でよかったんだなあ」

と書きましたが、何がいいタイミングだったかというと、「音(周波数)と世界」の関係について、長く語られているのです。私が「音と世界の関係」を知ったのは、つい最近のことです。

「世界は音で作られているのかもしれない」

と初めて思った、あるいは気づいたのは、『ウォーター・サウンド・イメージ』という本を読んだことによるものなのですが、それと同時に 432Hz 調律のことなど知ったりした頃に書きました、

この世の存在は「音そのもの」であるかもしれないことに確信を持てそうな春の夜
 2015年03月22日

という記事の頃でした。

432Hz と 440Hz の音で水に出現する紋様
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Collective Evolution

この「音が世界を作る」ことが、『プレアデス かく語りき』には、明確に、それもかなりのスペースを割いて書かれてあるのでした。

これは、私が、音(周波数)が世界を作っているかもしれない、ということを知らなければ、話がまったくわからなかったはずですが、「音と世界の関係」が、今まで思っていたものとは違ったことが理解され始めた時だっただけに、このプレアデスの人の言葉はそれなりに納得できるものでした。

たとえば、その「今まで思っていたものとは違った」のは、

世界ができて音(周波数)が生まれた

のではなく、

音(周波数)があって世界が生まれた(かもしれない)

ということなどです。




「音」は世界も人間もすべてを変えられる

音に関しての記述は長いですが、下の引用だけでも、多少は、書かれてあることがわかるかと思います。ここには音が世界を形作ることだけではなく、周波数が、身体に影響を与えることも書かれてあります。

たとえば 432Hz の調律などを思い出すと、周波数と人間の身体の関係が非常に密接であることなども思い出せるかと思います。


『プレアデス かく語りき』 第18章 意識の交響曲 より

音が自らを絵に描くという表現も存在します。あなた方も手や身体を動かすとき、音の動きと音の言語を感じます。

音が自らを表現するのを感じることによって、音によるコミュニケーションの豊かさを感じ、すべてのものが、いかに多次元的であるかを感じるのです。音には独自の言語があり、独自のかたちがあります。

音は一定の周波数をもっていて、身体はそれを感じとります。身体は周波数の受容性に反応するように仕かけられています。ベートーベンやモーツァルトのような偉大な音楽家は、安定した性質の情報をもたらすようにコードされていました。

というのは、彼らは地球全体が大きな闇に覆われていたときに音のハーモニックスを受けとったからです。人類の心にある種の記憶を保っておくために、音の低い周波数がこれらの音楽家たちの心で翻訳されたのです。

音は進化するでしょう。

いま、人間はある波長に合わせて声を出すことによって音楽を出す楽器になることができます。人間は、フルート、ピアノ、ハープ、オーボエ、チューバになります。

人間はエネルギーが身体を使って、さまざまな音を出すことを許し、その音を自分でコントロールしたり、音域のコントロールをすることもありません。神が演奏し、人間は皆で一緒に演奏する交響曲を聞いている人々を観察すればよいのです。それはきわめて深遠な経験です。

これらのハーモニックスは、信じられないようなかたちで活用することが可能です。というのは、ハーモニックスは、数多くのことを進化させることができるからです。



とあり、それは人間をどの程度変化させるかというと、


あなたが音によって何を達成しようと意図するかが、もっとも大切なことになるでしょう。もしも、あなたが自分の意図に関して明確でないと、音は自らを包み込んで、本来の能力を超えて成長するという可能性があります。

音は、それ自体がもっている力によって、自分自身を倍にし、さらに四倍にもすることが可能です。音によって何を達成しようと意図するかがきわめて重要です。



のように、

> 自分自身を倍にし、さらに四倍にもする

というようなことが書かれてあったりしますが、何が4倍になるんでしょうか。
体重でしょうか(怖いわ)。

さらに、たとえば「訓練された音」で何ができるかというと、「何でもできる」ということも述べています。

例として、下のようなことを言っています。


原住民の踊り、ラトリング(早口で声を出すこと)、身を震わせたり、サークルを描いて移動する行為は、この波のエネルギーを作り出します。輪になって一緒に音を出したり、光の柱のまわりで音を出すと、あなた方は創造もできないようなことが可能なエネルギーの柱を作ることができます。

それは爆発を引き起こすこともでき、多くの現実を破壊したり、創造することができます。



このプレアデスの人の言葉を野口晴哉さんが聞いたら、「そんなに簡単に爆発を起こされては少し困りますね」と言う気もしました。

最近は、道を歩いていて、「振り返ると、そこに野口晴哉さんが立っていたらどうしよう」という強迫観念が消えません(形而上的な強迫観念かよ)。

野口晴哉さん(1911-1976年)
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野口晴哉公式サイト




ロシア宇宙主義の理想ととプレアデスの理想

それにしても、さらに思うのは、さきほどリンクしました過去記事「私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために(2)」の中に、アレクサンドル・チジェフスキー博士(1897 - 1964年)などの、20世紀初頭のロシアの科学者たちが展開した哲学と自然科学を融合させたロシア宇宙主義について書いたことがあります。

そのロシア宇宙主義の概念の「地球の人間が目指す理想」が、プレアデスの人が言うところの「地球の人間の理想」と、よく似ていることに気づきます。

このロシア宇宙主義の科学者たちが到達を目指していた最終目標の中には、以下のようなものがありました。

・宇宙の現象と人類の感情の関係を物理的に把握すること
・精神的社会の意識での新しいタイプの社会組織を作ること
・生きている人間も死んだ人間もこれから生まれてくる人間もつながっていることを把握すること


これを平易にあらわしますと、

・人間と宇宙がつながっていることを科学的に把握する
・新しい意識での人間社会を作る
・輪廻転生を科学的に把握する


ということになると思うのですが、これはプレアデスの人が言っている理想の地球の未来の光景とさほど変わらないような感じもしたのでした。

話が逸れてしまったかもしれないですが、プレアデスの人が、その真偽ともかくとして、「音の重要性」を熱く語っていたことがとても印象的でした。

ただ、あれなんですよ。

プレアデスの人は地球の人ではないですので、具体的な方法論への言及には乏しい面があります。

つまり、どうすれば具体的な音をそのように活用できるのか、ということです。

たとえば、音の調律を 440Hz ベースではなく、 432Hz ベースにする、とかそういう具体性、あるいは、どのような音色、音階、訓練、が必要かというような具体性については、あまり記されていない気もします。

この点において、宇宙人ではなく地球人であるシュタイナーは、もう少し具体的に「音の訓練」についてふれています。

ただ、シュタイナーの言うことは、宇宙人の言うことよりも難解ですが。




実は難解な音の意味

シュタイナーの本で、音楽と音楽教育について書かれた『音楽の本質と人間の音体験』という著作があります。

これはですね、少なくとも私が持っているシュタイナーの本の中で、最も難解で、もうまったくわからないものの筆頭となっています。

たとえば、ちょっと適当に書き出します。


シュタイナー『音楽の本質と人間の音体験』 音楽教育の基礎 より

事物をありのままに受け入れると、「精神生活に関する古い伝統を受け入れると、いたるところで、人間の七重の本性について語られているのが見出される」と、いうことができます。

身体と心魂と精神のそれぞれが、さらに三つの部分に細分され、その九分節から七分節が導き出されました。

一、 物質体
二、 生命体
三、 感受体  四、 感受魂
        五、 悟性魂
七、 霊我   六、 意識魂
八、 生命霊
九、 霊人

六(意識魂)と七(霊我)は重なっており、三(感受体)と四(感受魂)は重なっています。こうして神智学では人間の七重の本性について語られているのです。

この本は、五度の時代にはけっして書かれなかったでしょう。五度の時代には、七つの音節のなかに惑星の数があり、十二の五度のなかに黄道十二宮の数があることによって、あらゆる霊的体験が与えられたからです。

人類進化は、ほかのなによりも音楽の生成のなかに明瞭に表現されています。ただ、概念を形成することは断念しなければなりません。既にいいましたように、概念によってはうまくいかないのです。



私には、この部分の、

> 人類進化は、ほかのなによりも音楽の生成のなかに明瞭に表現されています。

以外は、どこをどう読んでも、意味もわかりません。

つい、

「シュタイナー君、音楽の話をしたまえ、音楽の話を」

と言いたくなりますが、これが音楽の話なんですよ。

ただ、このシュタイナーの著作には、音階や年齢ごとの音楽教育について、細かく記されていて、人によっては役に立つものなのでしょう。

この優れた音楽教育の著述に、唯一の難点があるとすれば、「その内容がまるで理解できない」ということくらいでしょうか。




自力で辿り着くしかないという

まあしかし、結局、プレアデスの人の意見の示唆にしても、シュタイナーの難解な理論展開にしても「手助け」的なものではあっても、最終的には、自力で何とかしていかなければならないはずです。

その「強力な音のハーモニクス」を自分で生成するための手段も、あるいは、周波数を獲得する方法にしても、最後は自力で得なければならないのだと思います。

参考になるところでは、映画『美しき緑の星』の中で、唯一、「自力で覚醒」した人がいまして、その人などの変転は心の支えになりそうです。

その唯一の人は、「冷めた心」だった産婦人科医の奥さんです。

最初は、夫婦生活の心の営みが破綻した状態で登場し、産婦人科医の男性と、

医者 「どうして、僕と結婚したんだい?」
奥さん「お金のためだったわ」


というような絶望的な会話を交わしたりしていたような冷え切った人間関係と心の中で生きていた女性が、しだいに、自然の世界と、この地球の営みに「美しいもの」だけが見えてくる。

基本的には誰の援助もなく、「1人で」ランチの野菜の美しさに感動し、授乳している母ネコと子ネコたちの姿に感動し、どんどん彼女は変化していきます。場面はどれも大変に短いのでわかりにくいかもしれません。

そして、ついには冷えていた心が解け、旦那さんの産婦人科医を含めて、すべてを美しいものとして受け入れて、人生の再出発が始まるのです。

これを自力で達成した人は、映画では、彼女だけだと思います。

ラスト近く、捨て子の赤ちゃんを嬉しそうに抱きしめる彼女の姿が現れた時点で、この映画は完結したと思いました。

positive-life.jpg
・美しき緑の星

そして、多分、この奥さんは、宇宙人などと出会わなくても、自力で覚醒する道の上にいたのだということを描きたかったようにも思います。そういう意味で、この奥さんのエピソードは、自力で覚醒した地球人という意味で、『美しき緑の星』の裏のメインストーリーです。

私たちが参考にできることとしては、この奥さんが最初に「目覚めた」、ランチの時を真似して、キャベツを眺めてみるとか・・・。

しかし、居酒屋で千切りのキャベツを眺めていると、店主に「食べもせずに、キャベツを眺められていては少し困りますね」と言われて、まさか背後に野口さんが! と思わず振り返ると・・・。

何だかよくわからない締めとなってしまいましたが、とにかく今回は「音」について再認識したことについて書かせていだきました。



  

2015年05月25日



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nuclear-recepter.jpg
Nuclear Receptor






 


私たちが見ているものはリアルか?

最近はフランス映画『美しき緑の星』のことにふれることも多かったんですが、それあたりから、それまで目にしても、さほど気にも留めなかった表現や言葉の中で、わりと引っ掛かってくるようになったものがいくつもあります。

たとえば下は、ある本からの引用で・・・まあ、タイトル名を書くと、語感から、スピ系っぽく見えたり、先行イメージとかがあるのもアレですので、本のタイトルは書かずに引用したいと思います。ちなみに、こちらの本です。

今から二十数年前に書かれたものだと思われます。


人間はエネルギーの読み取り方を学ばなければなりません。人間は、現実を知覚するのに、ただ、目と、耳と、鼻と、口といった感覚以外のものを使うことを学ばなければなりません。

前にもいいましたが、目、耳、鼻、口、感触は”現実を欺くもの”です。あなた方はこれらの感覚によって現実を知覚していると考えますが、実際には、これらの感覚は現実に対するあなた方の知覚を制限しています。

あなた方は、子どものときから、目、耳、鼻、口、感触にたよることによって体験を解釈するようにとの訓練を受けてきました。

いま、体験がいかなるものかを決定するのに、別なかたちの感覚に頼る必要が出てきたのです。あなた方がこれまで過小評価してきたのは感情という知覚です。

感情、それは、知っている自己であり、直感的な自己であり、霊的な自己ですが、地球にあっては周波数コントロールのために攪乱され、あなた方はそれを見失っています。

もしも、あなた方が自分自身の知識を発見し、自分自身の直感的な考え方を発見すれば、誰にもコントロールされることはありません。

何がコントロールされていて、何がコントロールされていないかはどうすれば分かるのでしょうか。地球上でマスターすべきあなた方の体験の一部は、それを学ぶことです。

あなたという存在のもっとも深い中心部に、何ものも揺るがすことのできない本質があって、あなたはそれを発見し、その本質に基づいて行動を開始できます。

生命を尊重することこそがその本質にほかなりません。”あなたはあなたに対して責任があります”。あなたの光を、あなたの肉体を、あなたの体験をあなたの能力の許すかぎり尊重すること、それはあなたに与えられた贈り物です。



私自身は、もともと他の星の人や、その交流などについてまったく興味がなかった人ですが、ここ数日、やや興味を持って読んでいます。

とはいえ、「外の声」は、それが真実であろうと真実でなかろうと、やはり自分の声ではなく、「外の声」ではあるわけで、全身全霊でこういうことに心を投じるのは良いことではないようにも思います。あくまで、「ある異星人の意見」として、軽めに受け取るのがよろしいかと。

さて、この人が言う「あなた方は」というのは、私たち地球の人間のことなんですが、この中に、

> 目、耳、鼻、口、感触は”現実を欺くもの”です。

とあります。

ややわかりにくいかと思いますが、これはどういう意味かというと、これを言っている人の主張によれば、以下のようなところが「その一部」です。


彼らはホログラフィの挿絵を作り、それは真に迫ったドラマそのものですが、それをポータルを通してあなた方の現実のなかに挿入するのです。これをやっている宇宙存在は何十万年も生きている存在であり、人類の周波数はコントロールされているために、人間を騙すことは彼らにとってはまったく簡単なことです。


ここに「ホログラフィ」(ホログラム)という言葉が出てきますが、このホログラフィーは、この人の主張によれば、


ホログラフィーの挿絵は、三次元の世界とまったく同じように見えます。それは作られた出来事であり、それをあなた方の現実に、現実のつづきであるかのように挿入します。それは見ている者の頭脳に影響をおよぼす目的で使われ、見分けるのはとても困難です。

これからの数年間、あなた方はこれを見分けるための練習をする機会を十分に与えられることになるでしょう。(略)

壮大な出来事の一部は本物ですが、一部はホログラフィーの挿絵で、人類の意識をコントロールしやすいように、一つの世界秩序に向けようとする意図でデザインされるでしょう。



この人の主張では、どうやら、この地球には、「見分けるのはとても困難」なリアルではない「像」が多く存在しているということになるようです。

ちなみに、この人は、「社会における究極の暴虐」として以下のように書いています。


社会における究極の暴虐は戒厳令による支配ではありません。意識を心理的に操作することによって支配することこそ究極の暴虐です。意識を心理的に操作して、現実を規定し、その現実のなかにいる存在は自分が檻のなかに閉じ込められていることすら気がつかないのです。


> その現実の中にいる存在は自分が檻のなかに閉じ込められていることすら気がつかない

というようなことになってくると、

「何がリアルなもので、何がリアルなものではないか」は、実はわからない

ということにもなりかねないのですが、しかし、考えてみれば、この「リアルとそうではないもの」については、昔からテーマとなりやすかったものでもありそうです。

私がとても感銘して、ブログのタイトルの由来にもなった、しりあがり寿さんの長編形而上ギャグ漫画『弥次喜多 in DEEP』のテーマも、途中からは、弥次さんと喜多さんが「存在から非存在」への歩みを始める中で、「何がリアルか?」ということが問答される難しい漫画になっていきます。

ホログラムに関して、科学的な話でいえば、過去記事の、

日本人科学者が「宇宙はホログラムである」ことを理論的に証明したその地球の中では…
 2013年12月16日

などでご紹介したことがありますが、「この世は投影されているホログラムに過ぎない」という学説が、科学誌ネイチャーでまともに取り上げたようなこともあり、科学の検証分野としてば「あり得る」ことになっているようです。

hologram-02.gif
nature / THP




恐怖によって支配する理由と「支配される」理由

どうして、唐突にこんなことを考えているかといいますと、先日の記事、

人工の黙示録 :「奇妙な音(アポカリプティック・サウンド)」は確かに鳴っている・・・ただし「意図的である可能性」が急浮上中
 2015年05月23日

を書いた後、何となく釈然としないというか、悶々とした気分が続いたのですね。

それは、この記事やその内容に対してということではなく、「今まで生きてきた社会や、自分を取り囲んでいた人生のメカニズム全般」に対して、「何となく釈然としない」という悶々とした気分が続いていました。

今の世の中はいろいろなことが起きていますが、その中の「何がリアル?」ということも、私たちが五感などの「感覚」に頼っているうちは、その判断は難しいのかなあと。

さきほどの引用から抜粋すれば、

> 人間は、現実を知覚するのに、ただ、目と、耳と、鼻と、口といった感覚以外のものを使うことを学ばなければなりません。

という部分ですね。

先日の「奇妙な音」の記事では、それらの音が「恐怖の感情と関係している」というようなことも書いたのですけれど、

「地球上での恐怖と恐怖心」

というキーワードについて、先ほどの地球人ではないとされる方は、以下のように述べていました。


地球において、恐怖の周波数が減少しはじめると、さまざまな宣伝が行われて恐怖心が増大されることになります。

それは、恐怖の周波数によって滋養をとっている存在たちが食べ物を失うことになるからです。彼らの食べ物を新しい愛の周波数に切り替える前に、恐怖の周波数を強化しようとすることでしょう。

彼らは、地球上で感情的な混乱を宣伝し、拡大するためのさまざまな装置を地球に埋め込んであります。感情的な混乱は彼らのところに送られ、それによって彼らは滋養を与えられます。



ということで、よくはわからないですが、「人間の恐怖(の周波数)を食べている」ような存在がいるようで、人間から恐怖が消えると、その存在たちの「食べるものがなくなっちゃう」(苦笑)ということで、その存在にとっては、

地球から恐怖の感情が消えるのは良くない

ということで、そのために、

地球上に「恐怖が少なくなってくる」と、さまざまな宣伝が行われて恐怖心が増大される

ということになっているようです。

確かに、「恐怖の喧伝」は、どんなジャンルでも多いです。

病気、犯罪、経済、戦争、テロ、自然災害・・・。

これは、過去記事の、

自分が「今生」に生まれた理由がやっとわかったのは嬉しいけれども、恐怖と不安からの解放の前に立ちはだかる「西洋科学的思考」
 2015年04月17日

の最初のセクションの見出しが、「現代の人に蔓延する「不安」と「恐怖」の心」というものでしたが、現代社会は、基本として、「恐怖と不安」が先行していることは事実のように思います。

これは、今の世の中への考え方の「最初が、否定的・消極的な態度から始まっている」ということにもなっているというような気さえします。

そして何よりも、上にリンクした記事にも書きましたが、私自身が、「根源的な恐怖と不安」の中で生きてきたという事実があります。

最近、ほんの少し変わりつつはあるとはいえ、その人生の歴史は否定しようがありません。

しかし・・・。

その自分の経験から、「実は恐怖という観念の発生源は、外側ではなく、自分じゃないだろうか」ということも、薄々とは感じ続けていました。

ふと、最近の、いわゆる「アポカリプティック・サウンド」と同じような音を、そんな概念がなかった 二十数年前に舞台でガンガン流していたことを思い出しました。

それも「恐怖のヴィジョンの極限を再現した舞台」で。

聴き直してみますと、その音の質は、最近の「奇妙な音」と同じ音質の傾向を持っています。

下は、二十数年前の私たちがやっていた劇団のようなものの舞台のラストあたりですが、開始後3秒くらいから入る音ですね。聞き取りにくいですけれど。

self23 - 鬼畜御殿(1990年)



これは、普通に英国のバンドの曲でして、以前、クレアの記事で載せたことのある Coil というバンドの名曲です。

いずれにしても、若い時の私の目に見える「世界」は、いつも上のような悪夢のようなヴィジョンでしたが、その悪夢を徹底して再現して、自分をそこに突入させると「恐怖 vs 恐怖」のぶつかり合いで、どちらも消えてしまっていたことも思い出します。

「恐怖ってのは本当は存在しないのかも」と薄々と思うこともあったのは、そのような経験があったからかもしれません。

中村天風さんは、


神仏と名づけられている宇宙霊なるものの心の中には、真善美以外に、心配や悲観というような消極的な心持ちは、夢にもない。


などというように、恐怖や不安は、「本来的にはこの宇宙に存在しない」というようなことさえ言っているわけですが、しかし、恐怖は現実にあるように思えます。

では、それはどこにある?

というと、やはり、恐怖を生み出しているのは「自分」なのだとしか言えないことにも改めて気づくのです。戦争、自然災害、病気、などのネガティブな現実について、それを恐怖と思うか思わないかは、私たちの中にありそうです。

そういう意味で、先ほどの地球人ではない人の主張する、私たちは外からコントロールされるのではなく、「自分でコントロール」できるようになっていかないといけないというのは本当かもしれないとも思います。というのも、今後の社会では、「恐怖を煽る」局面をさらに数多く目にすることになるような気がするのです。

最近、書くことが多かった、

「肯定的な態度」

への試みは、まさに自分(自我)をコントロールするための最初の一歩なのかもしれません。

おそらくは、今後の世界は、表面上では「恐怖と感じることが自然な出来事」が、派手ではなく、淡々と起きていくような気がしないでもありません。

しかし、それらの恐怖に打ち勝つことさえできれば、先ほどの言葉の主のような、他の星の人などの助言がなくとも、私たち人間は(ほんの少しでも)自由になっていけるものだと思います。



  

2015年05月22日



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TCells.gif
Fight Cancer With Immunotherapy



魂の叫びで治癒が「開始」されたような

私は気質的に強迫観念的な部分が強く、これは簡単に書けば、「〇〇恐怖症」というものに陥りやすかったり、不安障害とか過剰なトラウマに「とらわれ」やすいタイプといっていいかもしれません。

人生の中で、調子の好不調の「波」のようなものはあるにしても、気質は一貫して変わらないものだと思っていましたが、最近、少し変化しつつある自分に気づいています。

キッカケはかなり明白で、半月くらい前でしたか、また本なんですが、医学博士の岩井寛さんという方が、今から 30年ほど前に書かれた『森田療法』という本をパラパラと読んだ頃から、急速に「変化の兆し」が現れています。

これは、先月の終わり頃に書きました、

「恐怖からの解放」についてのメモ
 2015年04月29日

などでも記しました、私が今の「世」の中でおこなわなければならないこととして、

「生まれた時から持つ根源的な恐怖と対峙して、これを消し去る」

ということに少し近づけるかもしれないということとも関係しています。

何十年もウダウダグダグダと停滞していたことに関して、まったくの急転直下の様相ではありますけれど、もちろん、「兆し」だけであって、まだまだではあるのですが。

この『森田療法』という本は、タイトル通り、神経症治療の森田療法に関しての本で、最初の方は理論的な記述が延々と続く、学術本にも近い新書なのですが、特徴としまして、言葉のひとつひとつが異常に胸の中に突き刺さってきます。

この著者の岩井寛さんという方は、この本を書き終えた翌月にガンで死去されるのですが、実は、書いている時に、すでに、目も見えず、耳も聞こえず、動くこともできない状態であり、すべては「口述筆記」で書かれたものでした。

このあたり、うまく書けないですので、Amazon の書評から載せさせていただきます。

私も大体において、同じような感想です。


魂の書

新書本にありがちな平板な概説書かと思い大して期待せずに読み始めたが、さにあらず、筆者の魂のこもった壮絶な書だった。

筆者は、末期癌の病床で視力をも含む体の機能の過半を失いながら、自己の生きる意味を追求するため、口述筆記によって本書を執筆した。

たとえ不安や恐怖に押しつぶされそうになっても、たとえ絶体絶命の状況に置かれても、それを「あるがまま」に受け入れ、自己実現のために一歩でも踏み出していく、そうした森田療法の精神を本書の執筆それ自体により筆者は具現化して見せたのである。

本書の中で紹介される幾多のエピソードは、筆者の人生の記録そのものである。数度の流産経験を経てやっと授かった我が子が、生後間もなくして死亡する。その際、悲しみに満ち溢れつつ、筆者は赤ん坊の死顔を夢中でスケッチブックに描きとめた。傍目には異常とも思えるこの筆者の行動もまた、筆者流に解釈した森田療法の実践であった。

これほど読み手の心を揺さぶる新書本を私は他に知らない。魂の書である。



この著者の最期がどのような状態だったかは、本書の「おわりに」の最後の部分を読むとわかります。


岩井寛『森田療法』おわりに − 生と死を見つめて

現在の筆者はといえば、昨年九月に手術をし、年が明けて二月に、二週間ばかり退院をしたのも束の間のこと、化学療法のために再び入院することになった。

そして、腫瘍が身体中に転移して神経を圧迫し、下半身がまったく動かない状態でいる。つまり、知覚の他に行動の自由さえもぎ取られてしまったといってもよい。

だが、筆者はこのような状態にあってもなお、口述筆記を行っている。

まだ筆者の人間としての知性は覚醒の状態にある。疼痛がいつ筆者の言葉を奪ってしまうか、癌細胞の転移がいつ筆者の脳細胞をめちゃくちゃに破壊してしまうか、それはわからない。

しかし筆者は、自分が可能な限り、目が見えなくても、耳が聞こえなくても、身体が動かなくても、”人間としての自由”を守り通してゆきたいのである。(1986年4月)



この翌月、岩井さんは死去されます。

ちなみに、一応書いておきますが、死に際しても書き続けたからすごいのではなく、単純に「内容がすごくいい」のです。

しかし、この著作が、筆者の魂の書であることは事実であるとしても、「どうして、こんなに体の中にまで文字が沁みていくのだろう」と考えました。

死に際して書かれた本はこの世に数多くありますが、そのすべてが人に死ぬほどの感銘を与えるというわけではありません。ところが、この本からはストレートに神経症(質)の人たちの心の中に飛び込んでくるものが多々あるのです。

いろいろと考えてみたのですが、この本が、

口述筆記

だということは大きいのかなという気はしました。

普通、本というのものは、作者が「頭で考えたこと」を「文字として書き写す」という流れになると思います。途中に「言葉」は介入しないはずです。

要するに、書く内容について、「その文字を口にしながら」書くという人は普通はいないと思われます(まあ、いるかもしれませんが)。

ところが、この岩井さんは、すでに目は見えない、耳もほとんど聞こえない。

・音や視覚の感覚を受けることができない
・体が動かない


という絶望的な状況にいたわけですが、しかし、音も光も受けることはできなくとも、口は動く。

つまり、「ことば」は残っていたのです。

そして、自分の頭の中から、そのまま言葉として口から出たものが記録された。

この本は、「言葉の記録」であり、「コトダマの記録」といってもいいものなのかもしれません。

発売から 30年近くを経て、今でも Amazon の「ストレス・心の病気」カテゴリで、ときに1位であり続けていることも、そのせいなのかなと思います。

というか、長く神経症をやっていたのに、29年間もこの本のことを知らなかった私がひどい。まあ、ギリギリで知ることができてよかったです。

神経症、特に「〇〇恐怖症」的な傾向に陥りやすい方には、「聖書」だと思いますが、そういう気質のない方には、何だかわからない本かもしれません。

なお、最初のほうは難しい理論が続きますので、後半の「神経症の治し方」など、興味のありそうなところから読むほうがいいかもしれません。そのほうが引き込まれる部分があるように思います。

さて、この本の内容のことで長くなりましたが、この岩井寛さんの『森田療法』をご紹介しようと思ったのは、この中に、最近話題としています「肯定的態度」と結びつく場所が各所に出て来るのです。

そして、

「肯定的態度に向かうための現実的な方法」

が書かれていることがあります。

もちろん、岩井さんがそのような「肯定的」というようなことを意識して書いた(述べた)ものではなく、自然とその方向に向かっていたということになります。

フランス映画『美しき緑の星』の中などでも随所で示される「肯定的態度」の基本は、私は「他者に対しての寛容性」だと思っていますが、そこに近いことが、岩井さんの著書に様々に書かれています。

その中のひとつをご紹介します。

この部分も、岩井さんの「口から出た言葉」の記録です。


岩井寛『森田療法』「ゆるし」から「あるがまま」に より

「ゆるし」は、自分自身に向けられると同時に、他者にも向けられる。”人間はこうでなくてはいけない”というような”自己規制”にがんじがらめにされている人が多いが、もっとおおらかに、自由に行動することが許されているはずである。

人生はたかだか七十年か八十年であり、そのなかで窒息するような生き方をするよりも、自由に空気を吸うことが許され、自由に行動することが許されると考えたほうが、人間の本質にそっているはずである。

わずか数千年の歴史の間に、人間は自分たちを縛る法律や規則にがんじがらめにされ、さらに、現代では新しいテクノロジーに束縛され、大きく自由を失いつつある。

それぞれの人間が互いに支障なく生きるために、さまざまな制約が必要になるとしても、心の自由はもっと豊かに広げてよいはずである。

そのためには自分に対する「ゆるし」が必要であって、さまざまな物事に行動を通して賭けてみたり、いろいろなアバンチュールに身を挺してみたらよい。

また、自分に対する「ゆるし」が拡大されればされるほど、他者に対する「ゆるし」も拡大されるのであり、つまらないことにいちいちめくじらを立てたり、やたらに人の行動に気をつかったりすることなく、おおらかな目で人を見やり、人の行動をより豊かに許したらよい。

このような「ゆるし」の人間関係においては、両者の思考範囲や活動範囲は、より豊かに拡がるのであって、そこに暖かい人間としての連帯関係が生まれてくる。



これは、今から 30年くらい前に書かれたものですが、私個人が思い返す部分では、その時代のほうが、少なくとも今よりはずっと自由だったと思います。

それでも、岩井さんの感じ方では、その 30年ほど前の時代は、

> 人間は、大きく自由を失いつつある

ということだったようで、岩井さんが 30年後の今の日本を見たら、さらに驚くのではないのでしょうかね。

確かに、30年前より街もきれいになりましたし、あるいは 30年前より殺人事件等も大幅に減っていて、数字だけ見れば「どんどん平和になっている」といえなくもないです。

1947年から2010年までの殺人事件の数の推移
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年次統計


しかし、殺人は減っていても、人々の心の中は・・・。

配偶者からの暴力に関する相談件数の推移
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内閣府男女共同参画局


児童虐待相談対応件数の推移
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児童虐待相談対応件数


データの数字だけ見てどうこう言えるものではないかもしれないですが、それでもあまり健全な状態とはいえないかもしれない現状もあるのかもしれません。

こういう「配偶者間の暴力」にしてもそうですが、

他者に対する「ゆるし」

あるいは、

他者に対しての寛容性

ということと直接関係していることのようにも思えます。

あるいは、上のグラフのような状態の関係の中では難しいことかもしれないですが、

相手の良いところを努力して見つける

ということとか。

いや、確かに、人間関係がこじれた相手に「良いところを見つける」のは難しいかもしれませんが、「相手をゆるす」ということだけで、かなり違うとは思うのですが。

結局、自由でない社会は、寛容性のとぼしい、ゆるしのとぼしい社会になりやすい、ということはいえるのかもしれません。あるいは、その逆で、寛容性のとぼしい社会では、人々は自由になりにくい。

まあ、難しいことをどうのこうのと言うつもりはないですが、30年くらい前と比べましても、「ますます世の中が窮屈な感じになっている」ような気はしています。

ところで、この『森田療法』の岩井寛さんも、ガンで亡くなったわけですが、やはりお医者様でした。「おわりに」にある記述、

昨年九月に手術をし、年が明けて二月に、二週間ばかり退院をしたのも束の間のこと、化学療法のために再び入院することになった。

というのを見ましても、30年前のこととはいえ、医師でもこの「化学療法の呪縛」から逃れられないことに対しての「切なさ」ということについては、少し前に書きました、

「老いることには意味がある」ことを考えつつも…
 2015年05月13日

で、91歳で血液がんとなった元医師の話などがありますが、多くの立派な医者の方々も「3大療法」や「化学療法」を選択し、自らの体にある「ガンと戦う力」に目を向けない傾向にあるように思います。

まずは、お医者さんたち自らが「自分の体を信じる」という方向に進めば、現代医学の根本的な観念の変化にもつながる可能性はあると思うのですが・・・。

私は、このような「おびただしいガンの時代」であるからこそ、「人間が持つガンへの攻撃力」を信じる時代だと考えるようになりました。




ガンなどない時代から私たちはガンと戦える体を持っていた

最近・・・それも 5月19日のことですから、本当にごく最近、YouTune にアップされ、大きな反響を得ている動画があります。

アップしたのは、英国ケンブリッジ大学で、そのタイトルは、

キラーT細胞(細胞傷害性T細胞):ガンの刺客(Killer T Cell: The Cancer Assassin

というもので、白血球のリンパ球の中にある「キラーT細胞」といわれる、ガン細胞を攻撃してくれる細胞の動きが、特殊な撮影方法によって明らかになったものです。

キラーT細胞の役割は、簡単にいえば、

ウイルスに感染した細胞やガン細胞を認識し、その細胞を殺す

ことにあります。

人間の免疫システムの多くは、血液中の白血球にありますが、その中の「リンパ球」と呼ばれるものの一部に、このキラーT細胞があります。

人間の体の中では、毎日、ガン細胞が生まれていますが、同時に、これらキラーT細胞や、ナチュラルキラー細胞と呼ばれる細胞の働きによって、「そのガン細胞たちは毎日毎日殺されている」のです。

たとえば、キラーT細胞は、私たちの体内に数十億という単位で存在していて、全身のいたる場所で「守護」として働いています。

下の動画は、ケンブリッジ大学の動画の一部です。



私たちの体内では、自分で意識せずとも、このように、毎日、「細胞が、体の中でガン細胞と戦っている」のでした。

なので、体の免疫や体温(高いほどいいです)が正常であるならば、ガンは、細胞以上の組織になることはできないというのが人間の体の基本的なメカニズムのようです。

おもしろいと思うのは、大昔の、たとえば縄文時代や弥生時代とか、それ以前の人間にはあまりガンがなかったと思われるのですが、そんな時代の人間でも、白血球の組成は同じだったはずです。

つまり、大昔から、人間は、その後の時代の「過剰にガンが多い時代に対抗する体内のシステム」を持っていたということになりそうです。

おそらくは、化学物質も発ガン物質もほとんどなく、また、ガンという病気そのものもあまりなかったのではないのかと思われる縄文時代とか弥生時代の人間の体内にも、「ガンと戦うキラーT細胞」はあったはずで、ここから考えますと、

「人間はこの地球に登場して以来、その体はガンの時代を生き抜けるように設計されていた」

という驚異に気づきます。

今のような、過剰なストレス、過剰な化学物質の時代の中でもサバイバルすることのできるためのシステムを、自然ばかりの中で生きていた人間も、すでに体に備えていたわけです。

なので、よほどの環境の激変でなければ、自然に従って生きている限り、人間はそうそう滅びるものではないものなのだと思います。

ただし、

> 自然に従って生きている限り

ということが、現代社会では難しいこともまた事実なのかもしれません。

ストレス、生活時間のサイクルの問題、様々な物質、食べ物の問題、そして、薬。

ガンが劇的に増えている原因は、これらのすべてが作用し合っているのかもしれません。そして、ガンになってしまった場合は、本人の希望次第でしょうが、「抗ガン剤治療」なども始まり、「人間の体の自然」はさらに乱されると理解してもいいのかと思われます。




人間の持つ免疫を思うと、うかつに薬には手が出ないかも

キラーT細胞だけではないですが、免疫として働いてくれている細胞も、やはり「細胞」ですので、人間の細胞の働きを弱くするものを体に入れると、免疫細胞も弱くなり、ガンへの抵抗力も弱くなると考えても構わないようにも思います。

西洋薬に関していえば、わりとどんな薬に関しても、細胞の働きを弱めてしまう作用はあるようにも思いますが、たとえば降圧剤に関しては、松本光正医師の『高血圧はほっとくのが一番』に以下のようにあります。


松本光正『高血圧はほっとくのが一番』より

免疫細胞は、体に入ってきたウイルスなどをやっつけてくれる。それだけでなく、体内に出現したガンや、ガンに発展しそうな異常細胞を見つけて、それを消し去ってくれる。

カルシウム拮抗剤は免疫を弱めてしまう。そのため、普通なら摘み取っていたガンの芽を放置してしまうのだ。

1993年の茨城県の調査によると、降圧剤を飲んでいる人は、飲んでいないに比べて、ガンによる死亡危険度が 1.14倍、しかも、男性に限ると 1.3倍大きいという結果が出ている。



また、「薬を使わない神経科医」として知られる心神診療室院長の高木智司医師は、健康冊子の中で、抗アセチルコリン剤(かぜ薬をはじめとして大部分の薬)が、体に良くない理由として、以下のように記しています。


西洋薬の大部分が、神経伝達によって最終的にアセチルコリンの作用を阻害するから、病気が治らないのです。

しかも、アセチルコリンの働きは実に多様です。細胞膜の重要な成分として膜の機能を調整しているし、脳では体の日内リズムの形成や記憶、感情などを司る働きもしています。

アメリカには、「抗アセチルコリン剤を継続的に服用している高齢者の8割に、軽度の認知障害が認められる」との報告があります。これは、弊害のひとつに過ぎません。抗アセチルコリン剤の常用は老化を促進し、脂肪肝、腎臓の壊死、動脈硬化、脳出血、うつ病、統合失調症、発達障害などの発症リスクを高める事実を知るべきでしょう。



ここに、

> (アセチルコリンは)細胞膜の重要な成分として膜の機能を調整している

という記述があります。

西洋薬(抗コリン剤)のほとんどは、このアセチルコリンの作用を阻害するので、「たくさん飲めば飲むほど、飲む期間が長期に渡れば渡るほど」、体はガンへの抵抗力を弱くする可能性があるのだと思われます。

ちなみに、今年1月には、

抗コリン薬3年超服用で認知症1.5倍
 m3 2015.01.30

という医学ニュースもありました。

記事の中に、

> この抗コリン作用は基本的に末梢神経のものですが、脳への作用も皆無ではありません。

とあり、つまり、抗コリン剤は、脳細胞へのダメージも含め、さまざまな細胞に影響を与えることがわかります。抗コリン剤とは特別な薬ではなく、かぜ薬とか鼻炎薬、花粉症の薬から、めまいの薬、抗不安剤、抗うつ剤など、日常的な薬です。

ものすごく簡単に書けば、

・かぜ薬を飲むたびにガン細胞への攻撃力が弱くなり、ガンと、そして認知症へ近づく
・鼻炎の薬を飲むたびにガン細胞への攻撃力が弱くなり、ガンと、そして認知症へ近づく
・抗不安剤を飲むたびにガン細胞への攻撃力が弱くなり、ガンと、そして認知症へ近づく
・抗うつ剤を飲むたびにガン細胞への攻撃力が弱くなり、ガンと、そして認知症へ近づく
・睡眠薬を飲むたびにガン細胞への攻撃力が弱くなり、ガンと、そして認知症へ近づく


etc… etc…

zzz… zzz… (眠ってどうする)


あ、いや、とにかく、薬があまり良くない理由のひとつとして、上のようなことが言えると思えてきています。

いずれにしても、ケンブリッジ大学の動画にあるように、私たちの多くの細胞が、基本的に、私たちを守るように働いています。

その守護者の大きさは下のようなものです。

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Cambridge University

ガンを攻撃する細胞は、こんな小さなものですが、これが昼夜、自分たちを守ってくれている。

そして、キラーT細胞たちが守り切れないほど体のバランスが崩れた時に、人はガンになりますが、それでも、その「ガン組織化する」という発症過程さえも、過去記事の、

「ガン発生のメカニズムも、また人間に与えられた優れた機能」だということをほんの少しだけ書かせていただきます
 2015年05月12日

にありますように、「発がんは不利な内部状態を克服するための適応応答」だという安保徹博士の意見を知ったりし、ガンもまた「回復過程としての体の反応」だということを知るにいたります。

もちろん、何をどうしても、人間はいつかは死んでしまいます。

それは仕方ないことですが、やはり、どうも私などもそうですが、「人間」という存在の実相をあまりにも軽視して生きていたようで、その真実はすさまじく強いものであることがわかります。

守護者たちのために私たち本体の方ができることは、適切に食べて、適切に運動をして、適切に楽んでストレスを過度にためない(これは大変に重要だと思います)ことだけのような気もします。

そして、自分の体を信じてみることこそが健康を保つための最大のポイントではないのだろうかと最近やっと気づきました。



  

2015年05月21日



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▲ 映画『美しき緑の星』より。食事中に突然キャベツの美しさに気づき、陶然と見続ける女性。






 



難しい「肯定的」な態度の実践

最近たまに話題にいたしますフランス映画『美しき緑の星』を見てから、そこに描かれる「肯定的態度」(どんなことからも、その良い面を見ようという心身的態度)に感心したところがありまして、以前よりも、この「肯定的態度」に関心を持っています。

以前から薄々とは思っていたのですが、あるいは、この「肯定的態度」というのは、理想的な人間社会にとって、わりと大事なことではないかとも思ったりもしています。

何だかんだいっても、今の社会は「否定的態度」が良しとされるもの(科学でも政治でも、批判や討論こそが真実へのルートだとしている点や、他も様々の点)ではあり、それはそれで刺激的ではありますけれど、やっぱり「疲れ」が出てきています。

そして、できれば、子どもたちの世代には、こういうネガティブ攻撃が人生の勝敗を決めていくような社会で生きては欲しくないというような希望もあります。

私自身、若い時から、批判や非難の世界は得意ではないです。

かといって、たとえば、サンマの塩焼きにイチゴジャムとイカの塩辛とコンデンスミルクをかけた料理が出されたら、少し否定的な気持ちにはなるでしょうけれど、さてしかし、「そういう時にも肯定的な態度になれるか」ということなんです。

料理屋で、サンマの塩焼きにイチゴジャムとイカの塩辛とコンデンスミルクをかけた料理が出されても、です。

どう考えても否定的な感情しか出ないようなものを「肯定的に」捉える。

肯定・・・肯定・・・肯定ペンギン(うわッ)。

こういう下らないギャグともいえぬ駄洒落に対しても、人は肯定的な態度でいられるのか。
それとも、ここに至っては「もう許さん!」と怒ってもいいのか(いいと思う)。

難しいところですが、先日の記事、

陸地では数千万羽のニワトリが死に、海では「デッドゾーン」の中であらゆる海洋生物が死に続けるアメリカで
 2015年05月20日

の最後の方に、干ばつに見舞われているアメリカのカリフォルニア州で、自然環境に水とエサが不足していることにより、ネズミが家屋を襲っているという報道をご紹介しました。

rodents-001.gif
CBS


そして、ここに以下のように書きました。


ほしいものは消えていき、あまり喜ばしくないものは増えていく・・・いやいや、ここは、シュタイナーのいう、あるいは、フランス映画『美しき緑の星』で表現される「肯定的な態度の重要性」を思い出すべきかもしれません。

あらゆるものを肯定的な面から見てみる。

「ああ、ネズミさん、何と美しい歯なんでしょう」

「さあ、ネズミさん、どんどん襲ってください」


うーん・・・。

やはり、こう素直には思えないなあ。



と書いたのですが、書いた後に、「たとえば、こういうことについて肯定的に考えることができるとすれば、どんなことだろうか」などと考えました。

「ネズミ・・・ねえ。・・・・・そういえば、『トムとジェリー』のジェリーってネズミだな」

なぜかわからないですが、私が小学校の頃(昭和40年代)の北海道では、夕方のテレビで、毎日のように『トムとジェリー』が(何年もの間)再放送されていて、「真ん中アニメ」と呼ばれるものを含めて、ほとんど全部を見ていて・・・というか、それぞれを何十回も見ていて、そして、幼い頃、そのシュールで残酷な世界を心から楽しんだ記憶があります

後に、モンティ・バイソンとかのスラップスティック(即興ではないドタバタ)とか、あるいは、極端なバイオレンス映画などを好きになったのも、トムとジェリーの影響が大きいと思います。

それはともかく、『トムとジェリー』には、ネズミのキャラクターとしては、ジェリーの他に、捨てネズミ(話によっては従姉妹として登場)の「ニブルス」という小さなネズミがいて、彼らが同時に出てくるエピソードは数多くありますが、それなどを思い出すと、ネズミは確かにかわいい。

それなどを先ほどのニュースに当てはめますと・・・。


rodents-002.gif


うん、これならかわいいし、肯定的に受け取れます。

(それは問題の解決ではなくて、単なる問題のすり替えだろ)


そうか、これじゃダメですか・・・。

この方法論のダメさを、たとえとして書いてみますと、たとえば、シュタイナーの『人間の四つの気質―日常生活のなかの精神科学』に記されている「肯定的な態度」のひとつとして、イエス・キリストが弟子たちに見せた以下の態度があります。


イエスが弟子とともに歩いているとき、彼らは道端に腐敗した犬の死体を見ました。弟子たちはみな、嫌な光景から目を背けました。ただ、イエス・キリストだけが立ち止まって、感慨深く、その犬を見つめました。そして、「なんて美しい歯だろう」と言いました。


この、イエスが腐敗した犬そのものを見つめて、

「なんて美しい歯だろう」

と言ったことと照らし合わせますと、私が上でおこなった『トムとジェリー』置換法は、死んだ犬を見つけた時に、その犬を直視しないで、「その上にキレイなシーツをかぶせ」た後に

「なんてきれいなシーツだろう」

と言うような、物の本質を見えなくしてしまう方法です。
これではダメですね。

ついでに、そこにエッセンシャルオイルをふりかけて、

「なんていい香りだろう」

と、どんどん物の本質を隠していって、ついには、灯油をかけて犬の死体を燃やして、

「なんて暖かい火だろう」

と、どんどん最初の対象を消していき、燃えてすべてが消えた後に、

「なんて何もないのだろう」

と言って去って行くということになるのです(どうなるというのだ)。

こういう誤った方法は少し困りますね(野口晴哉さん風)。

話が何だか変になってきていますが、対象を直視しなければいけない以上、「好きになれないモノに対しての、完全な肯定的な態度」というのは簡単なことではないともいえます。

そういえば、最近、「圧倒的な肯定的態度」に接することがありました。




野口師の「圧倒的」肯定的態度

先日、本が届きました。

もはや届く本のほとんどを読み切れていない状態になっていて、最近は本が届いた時には、

「なんて滑らかな材質の表紙だろう」

というように、表紙と表紙デザインを見るだけで満足することも増えてきました(ちゃんと読めよ)。

そして、価格なども見て、

「なんてリーズナブルな値段だろう」

と満足して、そのまま読まずに本棚に行くことも増えてきました。

そして、本棚を見回して、

「なんと未読の本が多いのだろう」

と感嘆して、1日が終わります。
そして、ポストにはまた何か本が届いています。

未読の本に対しての肯定的な態度はともかく、この日届いたのは『原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論』という本でした。

これは実は、注文した直後に気づいたのですが、「間違って買っちゃった」のでした。

「野口…」と見て、整体の野口晴哉さんの本かと思って、注文した直後に、野口三千三(みちぞう)さんという方の本であることに気づいたのでした。

それにしても、『原初生命体としての人間』という大仰なタイトル。

この野口三千三さんという方は、本のタイトルにもありますように、「野口体操」というものを作り出した方のようなんですね。

野口三千三( 1914 - 1998年)
noguchi-michizou.jpg
野口体操 公式ホームページ

東京芸術大学の教授でもあった方のようで、その「野口体操の理念」は、Wikipedia に以下のようにあります。


野口体操 - Wikipedia

野口体操は野口三千三が指導を開始した健康法、トレーニング法。「人間の潜在的に持っている可能性を最大限に発揮できる状態を準備すること」を目的とする。

野口の身体イメージは

生きている人間のからだは、皮膚という伸び縮み自由な大小無数の穴が開いている袋の中に液体的なものがいっぱい入っていて、その中に骨も内臓も浮かんでいる

というものである。野口の考えでは、合理的な運動は「重さ」と「はずみ」を活かすことで行える。そのためには無駄な力みを捨てて脱力の感覚を磨くことが肝要であるとしている。



ということなんだそうですが、

> 無駄な力みを捨てて脱力の感覚を磨く

というのは、つまり「見た目にはブラ〜ン、ダラ〜ンとした状態」となるようなんですが、演劇などの肉体訓練では、この「脱力の訓練」はよく行われます。緊張以上に脱力が大事と言われていたような気がします。

しかし、この、バッと見には「単にブラ〜ン、ダラ〜ンとしているようにしか見えない」という地点に至るまでの理論的構築は並大抵のものではなかったことが、この『原初生命体としての人間』のはしがき(はじめに)を読むだけでもわかります。

たとえば、野口さんにとって、「体操とは何か」ということに関して、以下のような記述があります。「体操ねえ」と侮っているとアセります。


『原初生命体としての人間』(1972年)はしがきより

素粒子や素領域の研究が、宇宙の根源を探る手がかりになることを疑う者は少ない。が、一人の人間の中身を探ることが、宇宙を探る手がかりとなることを信ずる者が何人いるだろうか。

私は、自分自身の生身のからだの動きを手がかりに、今ここで直接、体験するからだの中身の変化の実感によって、人間(=自分)とは何かを探検する営みを、体操と呼んでいる。

自分というまるごと全体の生きものが、そっくりそのまま実験研究室(アトリエ)であり、研究材料(素材)であり、研究者(制作者)である、というあり方である。

「自分自身という存在にとってからだとは何か」ということに、無性に興味をもち、それを探検する営みに、あえてこだわって生きてきた私は、今、次のように言い直してみる。

「自分の中にある、大自然から分けあたえられた自然の力により、自分の中にある、大自然から分けあたえられた自然の材料によって、自分という自然の中に、自然としての新しい自分を創造する、そのような営みを体操と呼ぶ」



というように、

> 自分という自然の中に、自然としての新しい自分を創造する、そのような営みを体操と呼ぶ

とまで言われては、「ははあ、恐れいりましたッ」と頭を下げざるを得ません。
体操をここまで表現できるのはすごい。

この本はですね、見出しなどを見ていてもですね、「ヒトの乳房はなぜそこに二つあるのか」とか、「丹田・子宮から新しい脚が生まれる」とか、「ことばの誕生で得たもの・失ったもの」など、いろいろな面でおおごとになっていることがわかります。

これはもう、「野口さん」とか呼んではいけないですね。

「師」がふさわしい。

野口師。

私は「先生」という言葉があまり好きではないので、この「師」という言葉は助かります。やや位が高い方には、本当によく合います。

また、ジャイアント馬場師、松田聖子師、おすぎ師とピーコ師などのように、どのような敬称がいいのかわかりにくい方にもよく合います。

さて、その野口さんの(いきなり忘れてるぞ)、野口師の著作の中に、

「見事なほどの肯定的態度」

の記述があるのを目にしたのです。

ちょっと尾籠な話とも関係するのですが、「便」の話です。
いや、これを「尾籠」とかいっているあたりで良くないわけですが、とりあえず、その部分をお読み下さい。


野口三千三『原初生命体としての人間』 息と「生き」 より

大便の臭いについていうならば、どうして、大便の臭いをひとつの括弧でくくって「悪臭」と決めつけてしまわなければならないのか。

いま新しく先入観なしに、ほんとうにそんなに悪臭であるのかを確かめてみる必要があるのではないか。

(略)

いずれにしても、私は、大便そのものが、生きもの特有の親しみのある大変よい香りをもっていることや、柔軟性に富み、なめらかでボリュウムのある線や形、そして動きの美しいものである、ということを強調したい。

今すぐ他の人に共感されるとは思っていないが、なぜそんなに不潔で嫌なものだと憎まれなければならないのであろうか。

私は、私の中からすんなり素直に新しく生まれでたものに対して、ほほえましくて可愛らしく思い、暖かい愛情を感ずるのだが、そしてこれを変態的感覚とは思っていないのだが・・・、どうであろうか。



恐れいりましたッ。

この圧倒的な肯定的態度。

「便」も、人間社会でここまで褒められたことはあまりないのではないでしょうか。ジャパネットたかたの創設社長が商品を褒めるがごとき、対象への賞賛と愛情。

ベン・・・といえば、ディストピア映画の傑作、1987年の映画『バトルランナー』で、主演のアーノルド・シュワルツネッガー師が演じる人物は、ベン・リチャーズという名であることを思い出しました。 ・・・と、これを書いていて、

「なんて意味のないことを書いているんだろう」

と、意味のなさに感嘆しますが、いずれにしても、野口師のような、一種悟った人物から飛び出す肯定的態度に感嘆した次第であります。

running-man-1987.jpg

▲ 映画『バトルランナー』(原題: The Running Man )より。この映画のディストピア世界観は、私自身の舞台美術に大きく影響しました。




肯定的態度の実践として

やや違うかもしれないですが、「肯定的であるべき」ということについては、同じ野口さんでもある日本最初の整体師の野口晴哉さんも著作『風邪の効用 』の中で、「観念の方向性」ということで、何度もふれています。

その部分とは、たとえば、以下のような記述です。

ちなみに、野口晴哉さんのほうは、何となく自分と似ている部分が多くあるように感じていまして、「さん」というように記させていただいています。


野口晴哉『風邪の効用』より

観念はヒョッとした時に確立してしまう。空想が確立するというが、本当は未来の方向が確立するのです。

子供が何かし損ねた時に、「お前はなんて頭が悪いの」と言う。そうすると「ああそうだ」と思ってしまう。「頭が悪いから試験に落ちたのよ、しっかり勉強しなさい」と親は言う。

けれども、すでに頭が悪いと方向づけてしまって、だからしっかり勉強しろと意志の努力を強いるのは、人間の心の構造を知らない人である。

人間は自分のごく小さな動作でも、一旦空想に方向づけられてしまうと、意志では訂正できないのです。だから「頭が悪い」と方向づけて、「しっかり勉強しろ」と言うと、成績が落ちるとか、机に向かうと居眠りばかりするとか、そのうち勉強が嫌いになるというようになっていくわけです。

親は発奮させるつもりで「馬鹿だ」と言うのだけれども、その「馬鹿だ」と言われたことで子供が空想して思い浮かべることは、「俺は馬鹿か、俺の頭のはたらきは悪い、しかし、いくら考えたって、親父が悪いのに俺が良いわけがない、おふくろだって鈍いのだから俺が良いわけない」とか、それを自分で確認してしまう。

もうそうなると、今度はしっかり勉強しようとしても、努力するほど逆になってしまう。



これは、昭和37年( 1962年)に書かれたものですが、それから 53年後の今年、このことがわりと正しいことが、国立青少年教育振興機構という国の機関の調査で明らかになっています。

5月2日の朝日新聞からです。


親「もっと頑張れ」→子の生活力向上せず 調査結果発表
朝日新聞 2015.05.02

「もっと頑張りなさい」と保護者が子どもを叱って励ましても、自立した生活を営む力は向上しない――。そんな結果を国立青少年教育振興機構が発表した。

調査は2012年9〜10月、全国の公立校の小学4〜6年生、中学2年、高校2年と、小4〜小6の保護者を対象に実施。子ども約1万7千人、保護者約7800人から回答を得た。

「自分と違う意見や考えを受け入れる」「ナイフや包丁でリンゴの皮をむく」「上手に気分転換する」などを「生活力」と位置づけて、体験活動や保護者の関わりとの関係を見た。

その結果、小4〜小6では「よく『もっと頑張りなさい』と言う」など、保護者が叱咤激励する度合いが高くても、生活力に違いは見られなかった。

一方、保護者が自分の体験を話したり、「山や森、川や海など自然の中で遊ぶ」といった自然体験や家の手伝い、読書などをしたりする子どもほど生活力が高かったという。



これは要するに、少なくとも小学生の子どものさまざまな能力を伸ばすためには、「やりなさい」とか「頑張りなさい」という言葉にはまったく効果がなく、そうではなく、

・自然の中で遊ぶ
・親が自分の体験を子どもに言う
・家事や読書をする


などが最も子どもの基本的な能力を伸ばすことだということだと思います。

もちろん、他にもいろいろとあるでしょうけれど、野村さんの言うことも、国立青少年教育振興機構の調査も、一種の「肯定的態度の生活の中での実践」という意味では示唆的な気がします。

この調査では生活力のことを言っていて、勉強のことにはふれていませんが、同じだと思います。

1ヶ月くらい前に書きました、

シュタイナーが「子どもへの詰め込み教育は絶望的な社会を作る」といった100年後に、完全なるその社会ができあがった日本…
 2015年04月16日

という記事では、「子どもに対しての詰め込み勉強は、あらゆる方向に悪い作用を及ぼす」ということについて書きました。

その悪い影響は、むしろ大人になってから出るものだと思われます。

記事では、シュタイナーの講演の内容の一部を抜粋しました。


シュタイナーの 1912年の神智学協会会員に向けての講演より

小学校でも詰め込み教育が行われるようになると、その害は想像を絶するものになるでしょう。詰め込み教育の本質は、心魂つまり存在の最奥の核と、詰め込まれるものとの結びつきが、まったくないことです。

心魂が詰め込まれる内容に、関心を持てないからです。

習得したものをしっかりと自分のものにしたい、という気持ちがないのです。人間の心魂と自分が習得するものとのあいだに、興味の絆がわずかしかないのです。

その結果、活動的に公的生活に関わることができなくなります。詰め込まれたものが、自分の職業の課題と内的に結びつかないからです。心魂が、頭の活動から遠く離れているのです。

人間にとって、頭の活動と心魂が遠く離れていること以上に悪いことは、他にありません。


シュタイナーはいつも難しい言い方をしますが、これは簡単に書きますと、

「心底から興味のないことを無理矢理教え込んでも、身につかない」

ということだと思います。

これは、たとえば、受験を経験したすべての方々が「今」を思い返してみると、わかるかと思いますが、受験で無理矢理覚えた項目は忘れていることが多いのではないでしょうか。

今回の話は「肯定的態度」ということから始まったことですが、生活全般において、これらのことを思い出すことは無意味なことではないと思います。

やはり、『美しき緑の星』を見てから、いろいろと思うところはあるようで、細かく自分を変えようとしているようです。

最近は電柱に抱きついて(やめろ)。

映画によって、私も多少、『切断』されたのかもしれません。



掲示板

少し前の記事で少し書きました掲示板を設置しました。

Deep BBS

よくある掲示板ですが、フリーのものではなく、簡単なセキュリティはあるものだとは思います。使い勝手次第では別のものにするかもしれません。

まったく関係のない方が検索などで訪問されても、内容的に訳が分からないかもしれないですので、パスワード認証にしています。パスワードは indeep (半角)です。

何かの際に活用されるようなことがあればいいなと思います。



  

2015年05月20日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





10万羽規模となった米国西海岸のウミドリの大量死
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▲ 2015年1月24日のナショナルジオグラフィックより。






 



人間は動物の大量死には介入できない

今年5月の始めに、

米国アイオワ州で1600万羽以上への鳥インフルエンザの感染拡大により非常事態宣言
 2015年05月04日

というようなことがありました。

タイトルの通りに、アメリカのアイオワ州で 1600万羽という途方もない数の鶏や七面鳥が鳥インフルエンザに感染し、 5月1日にアイオワ州知事が非常事態を宣言したという出来事でした。

5日2日の米国ニューヨーク・ポストの記事によりますと、

> この非常事態宣言は、当局に予防措置を実施する権限を与える。

というものでした。

感染拡大と予防措置のために「州が全権を掌握する」ことによって、さらなる感染を抑えようという試みだったと思われます。

この頃、このアイオワ州と、周辺の5〜6州では、今年3月から、アメリカの歴史上で最悪の鳥インフルエンザのパンデミックが続いていまして、5月1日の時点で、下の図のように、2100万羽の七面鳥と鶏が鳥インフルエンザに感染するという大災害となっていました。

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TRIB LIVE


しかし、アイオワ州での非常事態宣言によって、この異常な流行は、ひとまず終息に向かうだろう・・・と思われていました。

ところが・・・。

下は、非常事態宣言から 18日後の 5月19日のアイオワ州の状態です。

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▲ 2015年05月19日の USA トゥディより。


非常事態の宣言後、感染は終息に向かうどころか、

1600万羽 → 2600万羽

と、1千万羽も感染数が増えている上に、しかも、どうも、非常事態宣言後のほうが、それ以前より感染ペースが早くなっているようにも感じます。

下は、今から1ヶ月前の記事です。


米で鳥インフル530万羽 過去最大、感染拡大阻止急ぐ
日本経済新聞 2015.04.22

米アイオワ州で鳥インフルエンザ(H5N2型)が大量に発生した。米農務省によると、同州オセオラ郡の養鶏場で530万羽が感染した。感染規模は米国内で過去最大。政府は感染拡大の阻止を急いでいる。

米国の鳥インフル発生は2004年にテキサスの養鶏場で7千羽が感染して以来、約10年ぶり。



とありまして、1ヶ月前に 530万羽の感染だったのが、現在その5倍弱あたりの数へと拡大しているという、文字通りの緊急事態となっているようです。

しかも、1ヶ月前の 530万羽の感染も、

> 感染規模は米国内で過去最大

とありますので、現在の感染状況がいかに異常かがよくわかります。

そして、何よりも、この非常事態宣言後に、全力で感染拡大の阻止を試みたであろう状況で、このようなことになってしまっていることを見てみますと、

「人の力で動物の感染症を食い止めることは難しい」

ことがわかります(人間の感染症もですが)。

非常事態宣言の後に、どのような対策が取られてきたのかは具体的にはわかりませんが、常に最大規模でおこなわれるのが「殺処分」ですので、今回もそのようなことになっているのしれません。

世界中で、いろいろな大量死が起き続けているわけですが、アメリカは特に顕著な感じがします。




多くが継続しているアメリカの大量死

冒頭に載せましたのは、アメリカ西海岸で起きていたウミドリの大量死で、以前、

米国オレゴン州の海岸でウミドリが謎の「餓死」での大量死。推定では「数万羽」が死亡
 2015年01月09日

などの記事で記したことがありますが、原因はいまだにわかっていません。

このウミドリも「鳥」ですが、鳥に関しては、他にもいろいろと起きています。

アメリカのアイダホ州では、3月にハクガンという鳥が 2,200羽以上の大量死を起こしていることが発見されました。

しかし、これも原因はわからずに、当局が調査を進めていて、最近、下のような報道がありました。

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▲ 2015年05月18日の Ravalli Republic より。


しかし、この調査は曖昧な結果となったようで、

・リン化亜鉛(殺鼠剤に使われる)
・鳥コレラ


のどちらかによるものだろうということのようです。

殺鼠剤は、農家がネズミの被害を防ぐために撒くものらしいですが、仮に殺鼠剤が原因なら、わりと大きな鳥であるハクガンを数千羽単位で殺すという事態が起きるのなら、他の種類の鳥や動物にも同じような大量死が起きていても不思議ではないですが、そういう報道はありません。「ハクガンだけ」が死んでいる、のです。

この「同一の種類だけが大量死する」というのは、たとえば、さきほどの、西海岸のウミドリも、大量死しているのは、アメリカウミスズメ(学名 : Ptychoramphus aleuticus )という海鳥ですが、他の海鳥は死なずに、「これだけが大量死している」のです。

この海鳥の大量死を報じたパーフェクト・サイエンスの記事には以下のような下りがあります。


考えられる大量死の理由としては、原油の流出や、エサの毒性化などがあるとされる。

しかし、生物学者でもあるパリッシュ氏は、疑問を呈する。というのも、アメリカウミスズメは、他の海鳥たちと同じタイプのエビやプランクトンをエサにしているが、アメリカウミスズメ以外の海鳥たちは影響を受けていないのだ。

科学者たちは原因を見出そうとしているが、現在のところは明確な理由はわかっていない。



原油の流出や、エサの毒性化などのわかりやすい原因なら、「いろいろな生物種が死ぬ」はずなのに、1種類だけが大量死するというのは、大量死の原因を普通の理由だけでは探れないかもしれないことをあらわしているかもしれません。

鳥といえば、これはアメリカではなく、チリですが、5月18日に 1000羽以上の鳥が海岸で死んでいるのが発見されました。

こちらも、ミズナギドリ科というものに属する1種類の鳥の大量死のようです。

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▲ 2015年05月18日の FRANCE24 より。


このチリの場合も、原因がわかっていない「1種類の大量死」となります。

大量死に関してましては、比較的最近の、

途方もない「大量死の時代」の進行が加速していた : 2015年最初の4ヶ月だけで270件を超える大量死報道があることを知り
 2015年04月30日

という記事に、2015年に報道された、おびただしい数の大量死報道をご紹介したことがありますが、一般的には、大量死は夏を中心として増加しますので(海や湖などの水質が藻の発生などにより悪化しやすいため)、これからの季節も増え続けると思います。

最近では、アメリカの西海岸に、「クジラ」が次々と死亡して打ち上げられています。

カリフォルニアの海岸に多数のクジラが死んで打ち上げられている
 2015年05月17日

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・NBC


そのカリフォルニアでは、

カリフォルニアに打ち上げられたアシカの子どもの数が1800頭に達する
 2015年03月25日

など、過去何度か記事にしました「アシカの座礁」も止まっていません。

ガーディアンでは、「海の砂漠の犠牲者」というタイトルで、このアシカの大量死を報じていました。

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▲ 2015年05月08日のガーディアンより。


さて、今年のアメリカの大量死、陸地での鳥インフルエンザは別として、「海」においては、圧倒的に「西」が多いわけですが、この理由が次第に明らかになってきています。

上の記事に「海の砂漠」とありますが、その出現を予測していたかのような現象は、昨年から続いていました。




アメリカ西海岸の海域に出現した「デッドゾーン」

昨年 12月の記事、

太平洋が爆発する? あるいは地球の海がデッドゾーンと化す?: 海水温度の上昇で膨大な量のメタンが太平洋の海底から噴出している
 2014年12月15日

の中で、2014年のアメリカ西海岸の海水温度が、平年に比べて異様なほど高いことを示す図を載せました。

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Climate Observations


最近の、海水温度を見てみますと、さらにその「高い海水温度」の状態が激しくなっているようなのです。

下は、2015年 2月から 3月のアメリカ西海岸の海水温度の平年との差です。

sea-temperature-2015.gif
The Conversation


これが、2014年はどうだったかといいますと、下になります。

sea-temperature-2014.gif


2015年になって「赤い領域」、つまり、異常に海水温度が高い海域が飛躍的に増えていることがわかります。

しかも、 NOAA (アメリカ海洋大気庁)の、海水温度の偏差グラフは、「最大で差異が2度」となっていて、この図でだけでは「平年より2度以上高くはあるけれど、どのくらい高いかよくわからない」ということも言えそうです。

どうにも、アメリカ西海岸周辺の海域は「未知の領域」に踏み込んでいるともいえるようでもあり、これが直接、海洋生物の大量死と関係あるかどうかはわからないにしても、ここまでの激しさですと、「まったく関係がない」とはいえないと思われます。

現在のアメリカ西海岸沖は、もしかすると、生きものが住みにくくなっている海域、すなわち「デッドゾーン」と化しつつある可能性があります。

そして、このアメリカ西海岸の異常に高い海水温度が、このまま続いた場合、生態系の異常がさらに広がる可能性を指摘するメディアも多くなっています。

アメリカ西海岸は、海も大変ですが、陸地に上がれば、そこはもう激しい干ばつが今でも続いているようでして、打開の目処があるのかどうか・・・。

カリフォルニアなどでは、その干ばつのせいで、ネズミたちの水やエサが不足していて、

「ネズミたちが住宅を襲っている」

というようなことも、少し前に報じられていました。

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▲ 2015年04月22日のアメリカ CBS より。


いっぽうでは、海の中で死んでいく動物たちが多数いる中で、たくましく人間たちを襲い続けている動物の一群というものもあるようです。

ほしいものは消えていき、あまり喜ばしくないものは増えていく・・・いやいや、ここはシュタイナーのいう、あるいは、フランス映画『美しき緑の星』で表現される「肯定的な態度の重要性」を思い出すべきかもしれません。

あらゆるものを肯定的な面から見てみる。

「ああ、ネズミさん、何と美しい歯なんでしょう」

「さあ、ネズミさん、どんどん襲ってください」


うーん・・・。

やはり、こう素直には思えないなあ。



  

2015年05月19日



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既存の社会から離れたネットワークとは

先日の記事の中で、栃木で自給自足に近い生活をされている女性の方と、インドネシアで自給自足に近い生活をされている方のことを書いたのですが、インドネシアの方から、ご自宅を撮影した写真を送っていただきました。

こちらです。

ronboku.jpg


インドネシアのロンボク島というビーチリゾートで有名な島で、後ろに見えるのは、富士山と同じくらいの高さを誇るリンジャニ火山です。そのロンボク島の畑地帯にある場所ということで、まるで周囲は人がいないところらしく、近隣は数百メートルくらい離れたところに家が3軒あるのみとか。

まあ、こういうような、自給自足に近い生活をされている方々とか、他にも(都会などでも)いろいろな生き方をしている方なども含めて、学びたいことは多いです。

先日の講演会では、ヤスの備忘録のヤスさんが、

既存の社会ネットワークではない、個々人のネットワークを作ることの重要性

を話してらっしゃいました。

田舎で自給自足は無理でも、たとえば、社会が危うくなった時や「ディストピア型管理社会」になった時など、何らかの方法で、協力というのか共存というのか、そういうことをできるような人と人との結びつきを作っていくことは確かに大事な「時」に近づいている気はいたします。




老後を考えるとき

ま、その(田中角栄さん風)・・・ここで、またこの例えを取り上げるのもどうかと思いますが、前回の記事などでも書いたことがあります「異次元の存在から送られる声の内容」は、やたらと、

「真剣に老後を考えなさい」

と言うらしいのですね(妙に現実的な異次元存在ではあります)。

そりゃ確かに、私なんかも、そろそろ 50? 60? 120? と、自分の年齢も曖昧になるほどのトシとなってきているわけで、「すぐそこにある老後」ということも、わりと事実だったりします。

で、そんな私の場合、何か具体的な老後のビジョンがあるかというと、そもそも、これまでの人生に設計がほとんどなかった、行き当たりばったりの生き方だったわけですから、老後への明確なビジョンなどあるはずないのです。

高齢化問題として、現時点で漠然とではあっても、わかることとして、

現時点で、高齢者の比率は飽和状態

であること。

その中で、

介護が必要な高齢者の数も上限の限界の状態

そして、

その介護費用の負担は国のお金が基本

となっています、

その国の介護費用の負担の増え方は、以下のグラフのような早いペースで上昇し続けています。

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厚生労働省


同じペースで増えていくと、2020年頃を過ぎた頃には、介護費用が 20兆円を超える計算になりますが、介護人口はさらに増えていくとしか思えない現実がある以上、この計算もあながち間違ってはいないということになってしまいそうです。

ちなみに、韓国の 2012年の国家予算が 21兆円、ベルギーの国家予算が 20兆円ということから見ても、この 20兆円という金額は、ちょっとした主要国の国家の総予算と同じ規模です。

そして、日本では子どもが減り続けていますが、これは、「介護する側が減り続けている」ということですので、今後も、若い世代が担う負担は増え続けて、結局、社会全体が少しずつ疲弊していくという循環・・・。

さらにすごいのは「医療費」です。

最近、「薬」のことを書くことが多いですが、日本の医療費の増え方も、過去 50年で見てみますと、ものすごいです。2009年までのものですので、やや古いものですが、現状は変わらないか、さらに加速している気がします。

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厚生労働省


昭和30年( 1955年)の日本の総医療費は 2388億円で、1人あたりの1年間の医療費は 2千700円でした(これは低い)。

それが、平成21年( 2009年)には、医療費全体で 36兆円となり、1人あたりの1年間の医療費は 28万円(これはすごい)となっています。

物価との換算などもあるとはいえ、数字だけでは 100倍を超える増加となっているようです。

ちなみに、2013年度で、医療費は約 40兆円になったことが、日本経済新聞の記事で報じられていましたので、今年あたりは 40兆円を超えそうです。

日本国民が、すぐに病院にかかったり、薬をもらうようになったのは、国民皆保険制度となった 1961年からのようですが、1961年は 昭和36年で、上のグラフを見ると、昭和50年くらいまでの上昇は緩やかなものだったことがわかります。

昭和50年代(1970年〜1980年代)から一気に加速しています。

このように一気に医療費が増加した理由も・・・推測できないでもないですが、とりあえず、事実として、このようなことになっていると。

それにしても、このジャンルで動く金額の大きなこと!

介護で約9兆円。

医療で約 40兆円。

orz…




医療の進歩と共に増え続ける病気

先日の記事で、「あと5年のうちに云々」というようなことを書きましたけれど、確かに、この「介護費」や「医療費」の観点から見ても、どうも5年すら危うい・・・。

しかし、問題は「お金がたくさんかかっている」ということではないです。

それも大きな問題ですが、それでも、これらの医療(薬や化学療法)が、高齢者たちの「心身の健全」を守っているのならば、それでも仕方ない面もありますが、現実には「逆の効果」となっていることが問題です。

そして、それは統計を見れば、事実としかいえないのです。

下は、さきほどの日本の医療費の推移と、死因別に見た死亡率の年次推移を重ねたものです(グラフは、過去記事にあります)。

医療費の推移と死亡率の推移
zouka-2009.gif


この中でも、ガンと肺炎の上昇の曲線は、医療費の増加とよく似ています。

医療費が増大したということは、単純に考えれば、

「患者の数が増えた」
「投薬などが増えた」
「新しくて高価な治療方法が増えた」


などによって起きているのだと思われますが、これが示すところは、つまり、

医療が高度になり、発達すればするほど、ガンや肺炎が増えてきた

ということが、どうしても示されてしまっているというような感じです。

残念ながら、このことは、お医者さんたちご自身も否定できないのではないでしょうか。

「薬を使わない医療」を提唱している新潟大学名誉教授の安保徹博士は、石原結實医師との対談をまとめた本の中で、自身の研修医時代を思い出し、そのことを語っています。

東北大学医学部を卒業し、「たくさんの患者さんたちを救って、世の中のために尽くそう」と、夢に満ちている時でした。しかし、その現実について、安保博士は以下のように述べています。

dr-abo.jpg
安保徹博士


安保徹 × 石原結實 対談より

でも、夢は無残に打ち砕かれました。

私が勤務していた間、15人のガン患者さんを担当しましたが、一生懸命に手を尽くしても、次々に亡くなっていくのです。生還率はゼロでした。

ほどほど治る患者さんも混じっている環境なら、「たまに亡くなるなら仕方ない」と割り切ることもできるのですが、15人が 15人とも、バタバタと亡くなっていく。強い抗ガン剤を使う結果、あっという間に弱っていくのです。

あまりにも、みんながみんな、具合が悪くなって死んでいくので、「ああ、これはダメだ」と思いました。

自分の無能力にさいなまされ、患者さんへの慰めの言葉も見つからないような状況で、私は絶望し、最後には無気力になってしまいました。「こんなことを続けて、本当に病人を救えるのだろうか?」と、現代医学に疑問を抱いたのはそのときです。



安保博士が、東北大学医学部を卒業されたのは 1972年のことですので、この研修医時代というのは、その頃のことだと思いますが、西洋医学のガン治療が、それから 40年間、ほとんど何も変わっていないというのはすごい。




厚生省も密かにプッシュする代替治療

この新潟大学名誉教授の安保博士は、

「ガン発生のメカニズムも、また人間に与えられた優れた機能」だということをほんの少しだけ書かせていただきます
 2015年05月12日

という記事に書きましたが、

発がんは不利な内部状態を克服する解糖系への適応応答である。

ということを述べています。

これが正しければ、風邪は「回復過程である」(野口晴哉さんとかナイチンゲールとかの言葉)と同じく、「ガンも回復過程である」ということも、また言えるのかもしれません。

紀元前5世紀のギリシャの医師ヒポクラテスは、

「人間は自ら治す力をもっている。真の医療とは自然治癒力を発揮させることであり、医者はこの自然治癒力が十分発揮される条件を覚えるだけである」

と述べたとされていますが、さらに突きつめれば、これも何度か記していることかもしれないですが、

「人間の体は基本的に完全にできている」

ということを信ずれば、ガンへの対応もいろいろとあるように思います。

ちなみに、実は、厚生労働省自身が、「補完代替医療」に関しての 40ページ以上の内容を持つガイドブックを出していたりすることをご存じですか。

厚生労働省 がんの補完代替医療ガイドブック

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補完代替医療というのは、西洋医学での放射線や抗がん剤治療といったもの以外のことです。

たとえば、健康食品(プロポリス、アガリクス、漢方など)をはじめとして、厚生労働省のガイドブックには、下の表のように、ハーブやプロバイオティクスから、瞑想、ヨガ、アーユルペーダ、レイキ、ホメオパシー、アロマセラピーなど多くの項目にわたって、比較的丁寧な説明がされています。

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少なくとも、「ガンに対しての、西洋医学以外の治療法にはどのようなものがあるのだろう」ということを知りたいのなら、これを読めば大丈夫だと思います。

そして、その後に、興味があるものを詳しく調べる、ということで大丈夫なほど、丁寧に詳しく解説してくれているガイドブックです。

まあ、一応はお役所のものですので、「代替治療単独ではいけません。手術、放射線、抗がん剤治療と併用しましょう」と書いてありますが、しかし、この執念じみたレポートからは何かを感じます。

国としても、あまりにも膨らむガンの医療費などを考えると、「できれば、代替治療に興味を持ってほしい」と思っているのかもしれません。

それにしても、ガンの代替療法として、瞑想とか呼吸訓練法とか、あるいは、運動、レイキ、ヒーリングタッチ(手かざし)などが、厚生労働省のガイドラインに掲載されているのは、やや驚きました。個人的には、これらは全部効果がありそうな気がします。

私も含めて、今の時代は、いつかはガンになる可能性が高いですからね。

そういう時代に、このガイドラインを見ていると、「ガンになったら、どれを選ぼうか」と、何だかワクワクするような期待感を感じます。できれば、このガイドラインに、音叉療法と、ツボとか爪もみなども入れてほしいです。

しかし、どんな治療法や代替医療にしても、大事なのは「本来の強い人間の免疫システムの力を上げてあげる」ということだと思われます。安保博士は、以下のように「人間の体はパーフェクト」だと述べています。


人の体って自然の産物だから、あまり人為的なことをするより、多少何かあっても、自然にまかせて放っておいたほうがいいんです。

「万物、みな我に備わる」って孟子が言いましたけど、私たちの体の本来、それ自体で完結したパーフェクトな存在です。

それがさまざまな環境の中で揺らいだり、バランスを回復させたりしながら生きている。倒れそうになった起きあがりこぼしが、元に戻るようなものです。

安保徹×石原結實 体を温め免疫力を高めれば、病気は治るより)



ちなみに、現在の「薬漬け」状態について、医療側を非難するのは簡単ですけれど、私は自分の経験でいえば、「薬を求めて病院に行っていた私のような患者側の責任」も大きいと思っています。

私は、乳幼児の頃の小児ぜんそくの発作を薬で抑えていたために、つまり、「薬で生きのびたことができた」という経験のために、長い間・・・それこそ、つい最近まで、「薬があればダイジョブ」という価値観で生きたきた人間でした。

…薬漬け幼児だった私がその後の十数年経験した「免疫回復戦争」の地獄体験記
 2015年04月21日

という記事で書きましたが、その後、十数年にも渡り、後遺症と思しき症状に悩まされた後、二十代からは、パニック障害に対してのベンゾジアゼピン系抗不安剤の薬の服用なども始まり(これがまた効いたから厄介で)、人生のかなりの部分を「薬漬け」で生きました。

それだけに、切実に「薬は毒」という言葉の意味が体感としてわかります。




地獄化する老後

何だか「老後」ということを書いていまして、確かに「老後」などという言葉は、どうにも憂鬱な響きかもしれないですが、先に書きましたように、日本は相当厳しい形の人口比や国家予算構造になっていることも事実で、「お金持ちなら大丈夫」というような過去には通じた図式さえ、近い将来においては通じるのかどうなのか

最近、新郷由起さんという方が書かれた『老人たちの裏社会』という本が、ベストセラーになっているらしいのですが、そのレビュー的な、

『老人たちの裏社会』生き地獄化する余生
 現代ビジネス 2015.05.06

に、いろいろと書かれておりまして、たとえば、 60代以上の老人の「暴行の検挙数」が、1994年と比べて、2013年には 45倍増加の 3048人となったというような、「荒れた高齢者」の現状が書かれているのだそうですが、この著作の最終章の章タイトルは、

生き地獄化する余生

となっています。

現時点で、このような「生き地獄化」という言葉が当てはめられるような老後が、どこにでも転がっているのが現実のようです。そして、先ほどまで書きましたけれど、今後はこれがさらに加速する可能性が高かったりするわけです。

何というかこう・・・ディストピア的な社会が、どんどんと近づいているのは、多分間違いないです。

そういう意味で、「異次元の声」が言うところの「老後を真剣に考えなさい」というのは、結局は、共同体やネットワークなども含めた「自立」ということのように思います。

社会への依存をなるべく減らした生き方。

これに関しては、1人でもできる方はたくさんいるでしょうけれど、私のように無力な人間は1人では難しそうです。

中高年の方々は、周囲や身近な方々とどのようにお互い手助けしながら生きられるのかということを考えることも悪くないことのように思います。

やはり、高齢化するほど、孤立化しやすいですからね。

あくまでも一般論ですけど、ビジネスでの知り合いは友だちにはなりにくいですし、でも、トシをとると、ビジネス以外の知り合いがあまりいないことに気づいたり。それに、そもそも、大人になると「友だち」という関係になりにくいです。

年をとった時に「周囲に誰もいないことに気づく」という状況には簡単に陥りやすい気もします。

私も最近になって、少し先の未来のことを考え始めたばかりです。

なお、そのようなこともありますし、近いうちに SNS か掲示板か迷っていますが、何かコミュニケーションツールを設置しようと考えています。 SNS は何だかややこしいので、昔ながらの掲示板になる気がします。

具体的にはともかく、噴火とか、あと大きな地震などのことも云々ですが、皆さん頑張りましょう。