▲ 2015年05月25日の英国テレグラフより。タイトルの下のリードは「人と機械の融合は、生物学における最大の進化になるとユヴァル・ノア・ハラリ教授は主張する」です。
人間は「不完全な存在だから補う」という科学思考
上の記事は、特に今回の記事の本題ではないのですが、「将来の人間はロボット化により人類史で最大の進化を遂げるだろう」という主張の科学者の記事で、
「ああ、何ともディストピアな話だなあ」
と感じいった次第です。
また、これを言っているのが、イスラエルのエルサレム・ヘブライ大学のユヴァル・ノア・ハラリ教授( Professor Yuval Noah Harari )という方なんですが、英語表記のミドルネームが、ノアの方舟の「ノア」( Noah )と同じだったりする方というのもなかなかでして、また、イスラエルの方ながら、
「人と機械の融合は、生物学における最大の進化になるはずです」
というだけではなく、上の記事では、
「私たち人類のこの数世紀を見ていると、人間は、より強くなり、人間はもはや神の補助を必要としていないように見えます。今、私たちは ”神を必要としない” と言えることでしょう。必要なのは、技術だけです」
という、場合によっては、とんでもなく罰当たりなことを言ったりしているわけですが、ヘブライ大学あたりの最先端の科学教授がこのような見解だと、「ああもう何でもアリなんだなあ」という気もいたします。
人の体をロボット化して強化していくのが、人類最大の進化・・・という発想。
これはですね。
もう、野口晴哉さんとか、ヒポクラテスたちとか、まあシュタイナーとかでもいいですけれど、彼らの霊に教えてあげたいですね。
こういう「人体補完の発想」というのは、人間の体は不完全だから・・・というところに立脚しているもので、たとえば、人間の臓器や各器官を「機械と置き換えて強化する」という方向は、人間の持つ完ぺき性に対しての反逆であるわけで、宗教を持つ人なら、神への反逆でもあるはずです。
この完ぺきな人間を作り出したのは、おそらくは、人によって神と呼んでいるもののような存在(か非存在)なのでしょうから。
まあ、ノア教授は、「今、私たちは、神を必要としない、と言えるでしょう」とおっしゃっているわけですので、「神はもはやいらない」と述べることは自覚の上なんでしょうけれど、この「人間にはたくさん欠けているものがあるから、科学で補っていく」という考え方は、科学と、そして医学の凋落であって、先日の、
・アメリカでもヨーロッパでもガン治療の主流が「代替医療」か「治療しない」ことによってガン患者の死亡率がどんどん低下している中で日本は…
2015年05月29日
という記事など、最近はよく書きます日本での病気の異常な増殖ぶりや、異常な死亡率の増加なども、同じ発想から来ているものだと思います。
現代医学は人間の体を信用していない。
今の医学は、
「人間には、自己治癒力なんてものはないから、抗ガン剤でガン細胞を殺してあげないと、人間は助からない」
という考え方となっていて、でも、その抗ガン剤が「他の細胞にどのようなダメージを与えるか」は、あまり考えない。(人間の細胞にダメージを与えるのは、単なるかぜ薬でも降圧剤でも抗うつ剤でも大体はどんな薬でも同じです)
そのような治療の結果は、書くまでもないと思います。
多くが生還できない。
下のグラフは何度も何度も載せました。
・厚生労働省
今の世の中では、「ガンだから死ぬのは仕方ない」というような雰囲気がありますが、それは違います。「ガンだから死ぬのではなく、他の何かが原因で死んでしまう」と考えるのが妥当で、そうでないと、死亡率がどんどん改善している他の国との話の整合性がつきません。
少なくとも、ガンに関しては、死亡率がこんなに増加し続けているのは、先進国では日本だけです。
たとえば、今年1月に中国のメディアで下のような報道がありました。
日本のガン死亡率、先進国中で最高に
Japanese.china.org.cn 2014.09.17
米国のがんの年間死亡者数は約57万5000人、日本は約36万5000人となっている。10万人当たりのがんの死亡率を見ると、日本は米国の1.6倍だ。
日本は先進国のうち、がん患者・死亡者が増加を続ける唯一の国になっている。
日本新華僑報が伝えた。
がんが1981年に脳卒中に代わり、日本人最大の死因になってから30年間で、日本のがんの死亡者数は二倍以上に増加している。
先進国は先進的な検査機器と技術を持ち、多くの早期がんを発見できるはずで、患者数が増加するのも理解できる。
しかし先進国は同時に先進的な治療機器と技術を持っており、がんの死亡率を下げられるはずだ。先進国の中でも、日本は「医療技術ナンバーワン」と言える。それでは、なぜ日本のがんの死亡率はこれほど高いのだろうか?
とあり、記事はこの後、日本人の食生活の変化などを上げていますが、日本のガンの増え方は、そのようなことだけで説明できるものではないです。
たとえば、他のわりと身近な国と比べてみても、ガンだけではなく、日本の病気での死亡率が飛び抜けていることが数値でわかります。比較的最近のデータがとりやすい、日本とアメリカと韓国で比較してみます。
下は、韓国、アメリカ、日本の「人口 10万人に対しての死亡率上位5位」です。
・韓国 Yonhap News
・横浜市衛生研究所
・厚生労働省 人口動態統計
日本も韓国も死因の1位はガンで、アメリカでもガンは死因の2位ですが、10万人中のガンでの死亡率は、
韓国 149人
米国 185人
日本 286人
と、日本のガンの死亡率は、韓国の倍近くにまでなっているのです。
さきほどの中国のメディア「日本新華僑報」が、
> 先進国の中でも、日本は「医療技術ナンバーワン」と言える。
という国の数値がこれです。
日本で2位の心疾患は、10万人中の死亡率は、
韓国 157人
米国 191人
日本 157人
となっていて、脳血管疾患にしても、10万人中の死亡率は、
韓国 50人
米国 41人
日本 97人
と、日本は、韓国やアメリカの倍程度となっています。
本当に、「日本は医療技術ナンバーワン国家」といえるのかどうなのか・・・と思ってしまっても仕方のない結果ともいえなくはないようなことになってしまってはいます。
おそらくは、ガンに関しては、日本は、「世界で最も高い死亡率を誇っている」と考えていいかと思います。
日本は、
・高度な医療技術
・最先端の高価な薬剤
・最先端の高度な機器での治療
を用意して、ついに「世界で最もガンで人が死ぬ国」となってしまった。
これがモンティ・パイソンのエピソードなら(似たようなものはありました)笑っていれば済む話ですが、どうにも笑い飛ばせるようなことでもないかもしれないですし。
弥勒の世の到来
少し前に、
・シュタイナーが110年前に述べた「頂点は日本です」の意味
2015年05月27日
という記事で、神秘学での地理上で、日本は地球の頂点に位置するということを書きました。
しかし、そんな日本も、現状としては、病気で(あるいは、薬と治療で)次々と死んでいく上に、若い人も少なく、健全な人も少なく、そして、結構厳しい管理社会だったりもして、ふと気づけば、むかしの映画で描かれた「ディストピア社会」そのもののようにも見えます。
「頂点は頂点かもしれないけれど・・・」
何だか、ディストピアの象徴としての頂点ともなってしまいかねないような寂しさを感じます。
今日は時間のことなどがあり、あまり長い記事を書けないのですが、上のシュタイナーが「日本は頂点です」と書いていた著作『天地の未来―地震・火山・戦争』の最後の方に、「弥勒の世の到来」というセクションがあります。
この言葉を、シュタイナーがドイツ語でどのように表記していたのかはわからないですが、本には「弥勒の世の到来」という章があります。
ここでは、「仏陀の思想」など、東洋的な精神科学のアプローチに多くふれています。
シュタイナーは、他のいろいろな書籍でも、アジア的な精神科学へのアプローチと、西洋的な精神科学へのアプローチのちがいについて、よく述べていまして、シュタイナーが、アジア的なものへも強い情熱、あるいは敬意をもっていたことが、その発言からわかります。
その「弥勒の世の到来」というセクションで、仏陀が悟りを開いた時の境地を語ったところがありますので、ご紹介したいと思います。
お釈迦様は、
「世界は幻影である」
と明確に悟ったようで、これは、直接は関係はないかもしれなくとも、
・「恐怖からの解放」についてのメモ(2):現在の地球の人間は何によってコントロールされているのか
2015年05月25日
の中に、プレアデスという星の人間だと主張する人の言葉として出てきた下の概念も彷彿とさせるところはあります。
『プレアデス+かく語りき』より
彼らはホログラフィの挿絵を作り、それは真に迫ったドラマそのものですが、それをポータルを通してあなた方の現実のなかに挿入します。
これをやっている宇宙存在は何十万年も生きている存在であり、人類の周波数はコントロールされているために、人間を騙すことは彼らにとってはまったく簡単なことです。
ホログラフィーの挿絵は、三次元の世界とまったく同じように見えます。それは作られた出来事であり、それをあなた方の現実に、現実のつづきであるかのように挿入します。
それは見ている者の頭脳に影響をおよぼす目的で使われ、見分けるのはとても困難です。
壮大な出来事の一部は本物ですが、一部はホログラフィーの挿絵で、人類の意識をコントロールしやすいように、一つの世界秩序に向けようとする意図でデザインされるでしょう。
私たちの見ているもの、聞いているもの、においを感じているもの、触っているもの、風や風景や人々・・・の一体何がリアルで何がリアルでないのか・・・。
そして、たとえば「ガンで病院に行くとほとんど助からない」のも、これは幻影なのか現実なのか。
お釈迦様は「幻想だ」と言いますが。
シュタイナー『天地の未来』より
仏陀に由来する精神の流れと、キリスト衝動に由来する精神の流れとのあいだには大きな差異があります。対立している、と言っているのではありません。どのように関連すると両者が実り豊かでありうるか、洞察する必要があります。
双方の流れが、将来、共同しなければなりません。そして、キリスト教は精神科学によって実り豊かにされねばなりません。
キリスト教には最初、輪廻の教えが欠けている必要がありました。輪廻の教えはキリスト秘教のなかには含まれていましたが、ある理由から、キリスト公教には受け入れられませんでした。
それに対して、輪廻の教えは仏教の基本原則の一つであり、「苦集滅道」の教えと結び付いています。キリスト教は、苦を克服することを課題としています。
双方の流れの課題だと使命を認識すると、相違をはっきりと見ることができます。仏陀とパウロを考察すると、私たちは主要な相違に気づきます。
ゴータマ仏陀は菩提樹の下で悟ったとき、
世界は幻影である。
世界は現実のものである、とは考察できない。
世界を現実のものと思うのは、大きな幻想である。
人間は元素の領域からの解放に向けて努力しなければならない。
そうすると、もはや名前も事物もない領域、涅槃にいたる。
そこで、人間は初めて幻想から解放される。
幻の世界は苦痛である。
生老病死は苦である。
この領域へと人間を運び込むのは、存在への渇愛である。
この渇愛から解脱すると、人間はもはや受肉する必要がない。
世界は現実のものである、とは考察できない。
世界を現実のものと思うのは、大きな幻想である。
人間は元素の領域からの解放に向けて努力しなければならない。
そうすると、もはや名前も事物もない領域、涅槃にいたる。
そこで、人間は初めて幻想から解放される。
幻の世界は苦痛である。
生老病死は苦である。
この領域へと人間を運び込むのは、存在への渇愛である。
この渇愛から解脱すると、人間はもはや受肉する必要がない。
という認識に達しました。
「偉大な仏陀は、どのようにこの教えを説くに至ったのか」と問うことができます。人類の進化の歩みを考察すると、答えが出てきます。