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2015年05月14日



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2015年4月になり、世界中で「空から聞こえる奇妙なラッパ音」報告が劇的に増加している理由



angels-trumpet.jpg
Strange Sounds






 


報告される「音」の代表的なタイプを最初に提示しておきますので、今回の記事の内容のために、ご参考いただければと思います。これが本当なのかフェイクなのかはわかりませんが、報告される音はこれと同じタイプのものが多いです。

テキサス 2013年





増加し続ける「空に響く謎の音」

3年くらい前に、

世界中で響き渡る音から「ヨハネの黙示録」の天使のラッパを考える
 2012年02月21日

という記事を書いたことがあります。

その 2012年頃は、「空から奇妙な音が聞こえる」という報告が、YouTube などに数多く寄せられ、アメリカやカナダ、あるいはヨーロッパなどでは、一般ニュースでも取り上げるほどの騒ぎとなっていました。

tv-strange-noise.gif
YouTube

tv-noise-02.gif
YouTube


動画投稿サイトでも、ちょっとした「ブーム」となっていた感じがあります。

そのブームに便乗して、フェイク(にせもの)動画も数多く投稿されたりしていたのですが、しかし、世界中の報道などを見ますと、「多数の人が同時に聴いていた」という例が数多くあり、実際の発生件数はわからないながらも、「奇妙な音は実際に鳴っている」と考えざるを得ない部分があります。

たとえば、2011年には、アメリカで、大リーグ中継のテレビの中で、試合中の野球場に「奇妙な音が響き渡る」ということが放映されてしまったりしました。

字幕を入れられなかったのですが、実況とアナウンサーは、野球の実況をしながらも、「この音が不思議でたまらない」いった様子で、音についてコメントし続けています。

2011年 アメリカの大リーグ中継



2011年頃から、そういう「音」に関しての話題があったのですが、この「音」の報告が、今年の4月から5月にかけて、非常に増えているのです。

下は、奇妙な音の報告を継続的におこなっているサイト「ストレンジ・サウンド ( Strange Sound ) 」に掲載されているものです。




2015年 4月から 5月に報告された奇妙な音

2015年05月05日 米国 - ケンタッキー州の上空で奇妙な音(動画
2015年05月05日 カナダ - 上空から奇妙な音(動画
2015年05月05日 北アイルランド - ベルファストでノイズにより住民たちが当惑(動画
2015年04月29日 アイスランド - 奇妙なトランペット・サウンドが空から聞こえる(動画
2015年04月28日 米国 - ウィスコンシン州で奇妙なノイズ(動画
2015年04月25日 カナダ - サスカチュワン州で異音(動画
2015年04月21日 アルゼンチン - サルタで原因不明のノイズ(動画
2015年04月15日 米国 - サンフランシスコでノイズ(動画
2015年04月07日 米国 - ニュージャージー州ジャージーシティで奇妙なサウンド(動画
2015年04月05日 米国 - コロラド州で奇妙な轟音(動画
2015年04月05日 ロシア - 奇妙な音(動画
2015年04月04日 チリ - プエルトモントで奇妙なノイズ(動画
2015年04月04日 日本 - 上空から奇妙な音(動画
2015年04月04日 ドイツ - 奇妙な音(動画
2015年04月02日 アメリカ - デトロイトで奇妙な音(動画





統計は 2009年から取られていますが、今年の3月くらいまでは、月に1〜3ほどの報告数だったのが、4月に入ってから、上のように急速に増加しています。

もちろん、これらはひとつの例で、YouTube を見ますと、おびただしい「音」に関しての動画があります。その中には、フェイクも多く混じっているものと思いますが、すべてがフェイクというのも、また無理がありそうです。

今年に入ってからの Youtube への投稿数の大体の概要としましては、検索のフィルタで、「今年」に条件を絞り、以下のようなキーワードで、件数を割り出してみますと、

・strange sounds in the sky (空の奇妙な音)で検索 → 約 4万5,000件
・strange noise in the sky (空の奇妙なノイズ)で検索 → 約 13万件
・apocalyptic sounds (終末の音)で検索 → 約 4万8000件


というように、今年だけでも、相当の本数の「奇妙な音」に関しての投稿がなされていることがわかります。

そして実は、日本でも非常に投稿数が増えていまして、たとえば、YouTube で、キーワード「アポカリプティックサウンド」などで検索しますと、それなりの数の動画が表示されると思います。

2013年も 2014年も、奇妙な音の報告はずっと継続してはいたのですが、何だか、ここに来て急激に報告が増加したというような感じになっているのですね。




自然世界は「音そのもの」だから

これらの「音」の原因については、いろいろな説や可能性が報じられたことがありますが、決定的な原因の解明といえるものはないのが実際です。

風の音、飛行機の音、機械や工事の音、など、考えられるものはいくつもあったとしても、たとえば、草原でも山の中でも住宅地でも、等しく「同じタイプの音」が聞こえるという原因を追求するのは簡単ではないような気がします。

ただ、私個人としては、これらの「音」が、一種の管楽器系統(ラッパの種類)の音と似ていることなどから、「管楽器は風の制御で音を作り出す」というところに何かいろいろと考えられるところがありそうなのですが…。

ちなみに、過去記事で、私は以下のように書いています。


世界中で響き渡る音から「ヨハネの黙示録」の天使のラッパを考える(3)より

人類史で「管楽器」というものが開発されていった経緯などを考えてみても、それは「自然現象を日常の娯楽に転換していく(風の音を音楽にする)」という試みでもあったわけで、私自身が金管楽器をやっていたという事実と共に、世界で聞こえている(かもしれない)奇妙な音が、その管楽器の性質を持っているということに、なんとなく奇妙な感覚になっています。

ちなみに、上にも書きましたが、管楽器のコアは「風」です。

風と人間の技術が作り出したものです。

そして、弦楽器(ピアノも含む)のコアは「物質(弦)の緊張」の物理です。



ちょっと話がそれるかもしれないですが、「音」というものは、もともと自然界に存在していたもので、それを楽器として、あるいは、「音楽」へと転用したのは、人間の発想と技術であり、そこには、人間の「音への強い想い」というものが存在していたと思われます。

自然の音を自分たちの手にしたいという想い。

そのためには、人間が「自然の音の発生の仕組み」を把握しなければなりません。

どのくらい前に、人はそれをなし得ていたかといいますと、大阪教育大学のウェブサイト内の「音のはじまり」というページには、以下のように書かれています。


■日本

縄文時代 BC.5000では、打製石器を使って狩猟漁労が始まった。そして、動物型や土偶の中には、明かに音を出すことを意識して作られたものがあった。声をあげるのがおもでそのあいまにごく簡素な楽器が奏でられたのだった。今日出土しているのは石笛その他、土笛、土鈴、双口土器及び象形土製品等がある。



というように、7000年前から、人間は(ここでは日本人)自然の原理が「音」に転用できることに気づいて、そして、その技術を体得し、石や土を楽器にしていたことがわかります。

> 今日出土しているのは石笛その他、土笛、土鈴

とありますが、笛は、「物質によって風を制御する」ことによって音が出ます。
鈴は、物質そのものの性質を利用して音を出します。

それぞれが、自然の性質を人間が把握して、音を獲得したものといえます。

まあ、この楽器というものも、過去記事「シュタイナーが「愚か者」扱いされた100年前も、あるいはパラケルススが医学界から追放された500年前も西洋医学の問題は現在と同じだった」の中に、シュタイナーの楽器論を掲載したことがありますが、シュタイナーに言わせますと、楽器というものは、


シュタイナー『音楽の本質と人間の音体験』より

人間の音楽的発展は、そもそもどのようなものでしょうか。霊的なものの体験から発するものです。音楽のなかに霊的なものが現存することから発するのです。霊的なものは失われ、人間は音の形象を保つのです。

のちに人間は音を、霊的なものの名残としての言葉と結び付け、かつてイマジネーションとして有した楽器を物質的素材から作ります。楽器はすべて霊的世界から取って来られたものです。

楽器を作るとき人間は、もはや霊的なものが見えなくなったことによって空になった場所を満たしたのです。その空の場所に楽器を据えたのです。



という大変なことになるのですが、動機はこんな大層なものだったかどうかはわかりませんが、ともかく、人間は、自然の現象の中から「音を抽出して、自分たちで、楽器からその音を作り出す」という、非常に偉大なことをおこなってきました。

もっとも、やはり過去記事の、

宇宙の創造…ひも理論…432Hz…528Hz…ライアー…:数々のシンクロの中で、この世の存在は「音そのもの」であるかもしれないことに…
 2015年03月22日

などで書きましたように、

この世界そのものが音である。

という概念からは、「音」こそ、この自然世界そのものでもあるとも言えるのかもしれません。

ちょっと変な展開になりましたが、何が言いたいのかというと、

「この自然世界では、どんな音でも鳴る可能性がある」

ということです。

しかし、それと同時に、「以前鳴っていなかったような音が世界中で数多く鳴っている」という状況は、おそらくは、「自然世界の何らかの変化を示しているのかもしれない」というように考えることは不自然でもないかもしれません。

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地球の何が変化しているのか

かつて、アゼルバイジャン出身の、エルチン・カリロフ博士( Dr.Prof. Elchin Khalilov )という科学者が、音の原因として、

・地震や火山噴火など一般的に考えられる原因としての音
・太陽活動による磁場が高層大気に影響して発生する「音の重力波」
・地球内部のエネルギー活動が新しい局面に入った


というものを挙げていたことがあります。
下の記事でご紹介しました。

世界中での異常な音は「地球内部の新しいエネルギー活動の始まり」という学説
 2012年02月08日

特に、カリロフ博士は、「地球の内部やコアの活動が新しい局面に入った」ということを主張していたのですが、動画を見ておわかりのように、報告されている多くの音は「空から聞こえている」ということがあります。

また、この音には不思議な特長があって、

「指向性が掴みにくい」

ということがあります。

つまり、「どこから聞こえているのかが、よくわからない」ということです。過去記事「世界中で響き渡る音から「ヨハネの黙示録」の天使のラッパを考える(2)」で、2012年 1月に、アメリカのミシシッピー州で音を聴いた人へのインタビューを翻訳していますが、以下のような下りがあります。


問い:音はどこから聞こえていたと認識されていましたか?

「すべての方向から聞こえているように感じたんです。どの方向を見回しても、その方向から聞こえているという方向がわからないのです。すべての方向から同じ強さで聞こえる」

問い:そのラッパの音は上(空)からも聞こえましたか?

「はい。しかし、上からだけではないのです、四方八方から聞こえるのです。左右上下全部から聞こえるのです。私は音に関してはかなり分析できる人間です。なので、その音に関しても方向などを把握しようとしましたが、やはり私の周囲すべてから聞こえることを感じました。音量自体はものすごく大音量だったというわけではありません」


また、この人は、あまりオカルトを信じる人ではないそうなんですが、

「私自身は、今、人類は新しい人類への進化の途中だと考えてるんです。なので、それが起きると本当に思っていますよ」

というようなことも言っていました。




天使の7つのラッパ

これらの音のことを、日本語で「アポカリプティック・サウンド」(終末の音)と呼ぶ人たちもいるように、世界的に、「終末的な意味合い」と照らし合わされるようなことも多いです。

そのイメージ的な根拠とされることが多いのが、聖書『ヨハネの黙示録』の、第8章から第 11章まで描かれる「天使の7つのラッパ」です。




第一のラッパ:地上の三分の一、木々の三分の一、すべての青草が焼ける

第二のラッパ:海の三分の一が血になり、海の生物の三分の一が死ぬ

第三のラッパ:ニガヨモギという星が落ちて、川の三分の一が苦くなり、人が死ぬ

第四のラッパ:太陽、月、星の三分の一が暗くなる

第五のラッパ:いなごが額に神の刻印がない人を5ヶ月苦しめる

第六のラッパ:四人の天使が人間の三分の一を殺した。生き残った人間は相変わらず悪霊、金、銀、銅、石の偶像を拝んだ

第七のラッパ:この世の国はわれらの主、メシアのものとなった。天の神殿が開かれ、契約の箱が見える。


ヨハネの黙示録 - Wikipedia より。




しかし、まあ、これらと照らし合わせたとしましても、今の地球では、実際には

「まだどれも起きていない」

という現実があります。

第1のラッパの、

> 地上の三分の一、木々の三分の一、すべての青草が焼ける

ということも、ストレートな解釈では、どうイメージしても起きているとは思えないです。

森林火災は確かに多いですけれど、いくらなんでも「3分の1」ということはなさそう。

要するに、「第一のラッパもまだ鳴っていない」と考えるのが妥当なようなのです。

結局、終末的なイメージで考えるより、「自然の音の傾向が変わる」ということは、何らかの地球での自然上での変化の兆しなのではないかと思う部分はあります。

さきほども書きましたけれど、自然もはもともと「音」を持っていて、さまざまな現象がさまざまな音を生み出します。

雷の音……風の音……水の音……。無限に音源が存在する地球ですが、そこには「規則」があります。

風が吹いた時に、水が流れる音はしてはいけないはずです。

つまり、「本来存在しないような地球のメカニズムで鳴るような音は地球では鳴り得ない」はずです。

しかし、それが現実として鳴っているのだとすれば、あるいは、それが急激に増えているというのなら、やはり「何かが変化している」ということのようにも思います。

いろいろな意味で、今の時代が何らかの大きさ変化の中にいるであろうことは感じるのですけれど、それらのことと「音」が関係しているかどうかはともかくとして、変化は必ずしも「終末的」であるわけではないとも思います。

仮にそれが何かの終末的な出来事に結び付いても、悪からは善が生まれます。



  

2015年05月13日



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asteroid-1999-fn5.gif

▲ 2015年05月12日の英国 EXPRESS より。






 


48時間後に通過する地球近傍小惑星 1999 FN53

物騒なタイトルですが、内容を読む限りでは、1999 FN53 」という数百メートル〜1キロメートルほどの大きさの小惑星が 5月14日(日本時間 5月15日)に地球に最接近するという内容です。

近いところを通過するといっても、距離を見ましたら、地球から 1000万キロメートル近くも距離があり、何か地球が影響を受けるという可能性はほとんどゼロだと思います。

しかし、上の記事を少し読んで、

「何かおかしいな」

と思うのでした。

というのも、私は毎日、地球に接近する軌道を持つ小惑星(地球近傍小惑星)の表をスペースウェザーで見ています。そこには、通過する軌道を持つ天体や小惑星がすべて表示されています。

しかし、スペースウェザーの表には、この 1999 FN53 という小惑星は出ていないのです。

2015年5月13日のスペースウェザーより
may-14-asteroid2.gif
Spaceweather


英国エクスプレスは通常のメディアではありますが、娯楽要素が強い傾向がありますので、もしかして、エクスプレスのこの記事はジョーク記事のたぐい? とも思いましたが、NASA 小惑星レーダー・リサーチ( ASTEROID RADAR RESEARCH )には、1999 FN53のページが存在していて、そこには「最接近 2015年05月14日」と書かれていますので、エクスプレスの記事は確かに正しいようです。

下は NASA の該当ページです。

nasa-1999-fn53.gif
NASA

どうして、スペースウェザーはこれを載せなかったのかなあという点においては不思議な気もしますが、いずれにしましても、NASA のデータの最接近距離の計算が正しければ、先ほども書きましたが、地球への影響はまったくないです。

ちなみに、地球近傍天体の最接近距離は「 LD 」という単位を使い、これは 1LD が 月までの距離( 384,401 キロメートル)となりますので、今回の小惑星 1999 FN53 の最接近距離は、

26.5LD × 384,401 キロメートル=10,186,626キロメートル

となり、約 1000万キロという遠い場所を通過していく小惑星で、計算に間違いがないのなら、何の問題もないと思います。

とはいえ、このサイズのものが、いつの日か、地球に衝突するようなことがあれば、それはまあ確かに大惨事ではありますが。

以前、フレッド・ホイル博士の『生命はどこからきたか』にある「彗星の大きさとその衝撃」の表を載せたことがあります。

tnt-1-b1.jpg
・過去記事「良い時代と悪い時代」より。

今回の 1999 FN53 は上の表での 700メートルのものと近いサイズですが、このサイズですと、広島型原爆の5万倍の破壊力があるとしています。

このようなものはどこに落ちても大変でしょうが、特に、「海」に衝突すると、深刻なことになりそうで、たとえば、過去記事の、

高さ1メートルの津波を起こすかもしれない西之島。そして、かつて高さ「100メートル」の津波を起こしたエル・イエロ島。さらには高さ「500メートル」の津波を起こす可能性のあるキラウエア火山
 2014年08月21日

で、今から 13万年前に、カナリア諸島の南西端にあるエル・イエロ島という海底火山の山体崩壊によって、高さ 90メートルの津波がかつて起きた可能性があるということなどを記しました。

地球は海の面積のほうが広いわけですから、大昔の地球でもあったように、衝突する時があれば、衝突する場所は海である可能性も高そうです。

まあ、それはともかく、なぜスペースウェザーが、小惑星 1999 FN53 の情報を載せなかったのかの謎は残ったままでした。

「うっかり記載ミスかな」とも思いましたが、スペースウェザーの記事を書いているのは、NASA の科学者であるトニー・フィリップス博士( Dr. Tony Phillips )という方で、うっかりミスは考えにくいです。

しかし、小惑星のことについては、気にしても仕方ないといえば仕方ないことですので、そういうことがあったことについてのご報告でした。


ところで、話は全然関係ないですが、最近になって

「老いることには意味がある」

ということに気づきはじめまして、今まで、年をとるのは一方的に良くないことだとして、「イヤだなあ」とか思っていたのですが、老いとはそういうものではないようです。




人間の老いというシステムの意味

昨日の、

「ガン発生のメカニズムも、また人間に与えられた優れた機能」だということをほんの少しだけ書かせていただきます
 2015年05月12日

という記事で、「ガンも自然良能」だということを書きましたけれど、「人間に与えられた機能に無駄なものはない」ということが、さらにはっきりと実感されるところです。

ということは、老いるというのは、ただ人が弱っていくことではなく、

「老いることには人間としての意味がある」

ということになりそうです。

ところで、昨日の記事の内容については、新潟大学名誉教授の安保徹さんと石原結實医師との対談本『安保徹×石原結實 体を温め免疫力を高めれば、病気は治る』がわかりやすいと思います。

2005年のもので、それほど新しいものではないですが、お二人の主張はこの頃から今に至るまで、まったく主軸がぶれていませんので、年代は関係ないと思います。

この本には、本当に、目からウロコやらウロボロスやらが落ちまくる(怖いわ)内容が随所で語られています。

さて、この「老いる意味」ということに関して、ちょっと視点を「精神科学」の方から見てみたいと思います。たとえば、シュタイナーの見解は、「老い」ということについて、またひとつ別の側面を見せてくれます。

人間の四つの気質―日常生活のなかの精神科学』に収録されている 1907年のベルリンでの講演「人生設計」で、シュタイナーは、老年期について以下のように述べています。




1907年のシュタイナーのベルリンでの講演「人生設計」より

三十五歳から、人間はますます内面に引きこもります。もはや青年の期待、青年の憧れを持ってはいません。その代わりに、自分自身の判断を有しています。公的生活における力と感じられるものを持っているのです。エーテル体(生命体)に依存している力と能力、記憶がいかに衰え始めるかもわかります。

そして、およそ五十歳頃、物質原則も人間から退きます。骨が弱くなり、組織が緩んでくる年齢に入ります。物質原則はだんだんエーテル原則と結び付きます。

骨、血液、神経が行ったことが、独自の活動を発展させはじめます。人間はますます精神的になります。もちろん、以前の教育が正しくなされていることが、その条件です。

後半生になって、私たちは初めて未来に向かって活動します。人間が高齢になってから自分の内面に形成するものが、未来の器官と身体を形作ります。

内面に形成されたものは、その人の死後、宇宙にも寄与します。その成果は、来世における私たちの前半生において観察できるはずです。





ここに

> 後半生になって、私たちは初めて未来に向かって活動します。人間が高齢になってから自分の内面に形成するものが、未来の器官と身体を形作ります。

とあり、シュタイナーの主張する輪廻転生の観念では、

「高齢になって、はじめて人は次の世(来世)に向かっての活動を始める」

ということらしいのですね。

あんまり関係ないかもしれませんけど、みんなではないでしょうが、若い時に、たとえば、性の問題なども含めて、いろいろな意味でギラギラしていた人でも、年を取れば、どんどんと欲も得もなくなっていくというのが普通ではないでしょうかね。

たとえば、ビートたけしさんは 68歳ですが、先日の芸能ニュースで、

「ここ半年、女性に興味がなくなった。40代は凄かった、最近は女性には興味ない。仲間と飲んでいる方がいい。もっと何十年前にそういう状態だったらもっといい仕事ができた」

というようなことを言っていたりしますが、私などもそうです。

ところが、

> もっと何十年前にそういう状態だったら

というのは、望んでもそうはならないのが人間でもあります。
これは、私自身を考えても、そういうように思います。

多くの高齢者は、次第に、いわゆる「仙人」のような心持ちになっていく。

仙人といえば、昨日の記事でご紹介した安保徹さんの講演会の中でも、「仙人」という言葉が使われていました。

mit-sen-nin.gif


上の図のように、人生の最期は「仙人」となっていますが、これは冗談ではなく、「解糖系」と「ミトコンドリア系」ということに関しての大変に難しい話の流れで、人間は年齢と共に、どんどんと食べなくてもいい体質(ミトコンドリア系)となっていくので、死ぬ直前の頃には「何も食べなくて生きられる時が来る」というようなことを、冗談を交えながら語られていました。

そして、シュタイナーによれば、人間の高齢期という時は、

> 未来の器官と身体を形作る

という時期でもあるようで、人間の最晩年というのは、物質的に仙人のようだったり、精神科学的には来世に足をかけていたりという、どうにも「霊的な存在」として死んでいくものなのかもしれません。




いろいろと悟ることが自然と出てくる老いの世界

少し前に、京都新聞の、

わらじ医者、がんと闘う 死の怖さ、最期まで聞いて
 京都新聞 2015.04.26

という記事を読む機会がありました。

テレビドラマのモデルにもなったことがあるという元医師で、91歳になる早川一光さんという方が、自身が血液がんの一種である多発性骨髄腫にかかり、「医師から患者へ」となったことに関しての話です。

早川さんは、抗がん剤治療を続けながら、在宅医療を受けているのだそう。

少し抜粋します。


「わらじ医者、がんと闘う 死の怖さ、最期まで聞いて」より

多くの人をみとり、老いや死について語ってきたはずだった。しかし、病に向き合うと一変、心が千々に乱れた。布団の中では最期の迎え方をあれこれ考えてしまい、眠れない。食欲が落ち、化学療法を続けるかで気持ちが揺れた。

「僕がこんなに弱い人間とは思わなかった」。

長年の友人である根津医師に嘆いた。

根津医師には時に患者としてのつらさを、時に医師の視点から治療への疑問を率直にぶつける。ある日、こう投げかけた。「治らないのに鎮痛剤で痛みを分からなくするのが今の医療か。本当の医療とは何や」。

根津医師が迷いのない口調で切り返す。

「在宅医療では痛みや苦しみを取ることしかできない。でも、それは生活を守ること。患者のつらさを少しでも和らげる。早川先生自身もやってきた医療ではないのですか」

診察のたびに繰り返される問答。いつしか早川さんはそこに、主治医のあるべき姿を見いだした。「10分でいいから患者の悩みを聞いてほしい。患者の最期までともに歩んでほしい」。患者になったからこそ、たどり着いた答えだった。



というような部分がありまして、まあ、昨日の記事などから、いろいろと思う部分はありますが、治療法についてはともかく、

「治らないのに鎮痛剤で痛みを分からなくするのが今の医療か」

と、かつての同僚でもある医師に言って、返される答えが、

「早川先生自身もやってきた医療ではないのですか」

であること。

医者の立場からも「自分たちがしている医療はガンに有効ではない」とわかっている

この問答は、早川さんが元お医者さんだけに切ないものがありますが、しかし、上の記事では、最後のほうの下りに、

3月19日。診察が終わった後の客間で、早川さんは吹っ切れたようにつぶやいた。

「どうせ避けられないさんずの川や。上手な渡り方を勉強し、みんなに評価を問う。それが僕のこれからの道やないか」

とあり、ここにおいて、この方が一種の「悟りへの道」へと入っていっていることに気づかされます。

> 三途の川の上手な渡り方

というのは、過去記事、

パッチ・アダムス医師の「楽しく人を死なせる」ための真実の医療の戦いの中に見えた「悪から善が生まれる」概念の具体性
 2015年04月19日

で書きましたパッチ・アダムス医師の考え方のひとつである「死ぬ人すべてに短くても楽しい生を」とも、おそらくは通じるところがあるわけですが、しかし、早川さんは「三途の川の上手な渡り方」と、諦観が先に立っていて、すでに「死だけを見ている」感じなのですが、そんなことはないと思うのです・・・。早川さんご自身が「西洋医学はガンに無効」だということを認識しているのなら、他の治療法に目を向けられることを祈っています。

何しろ、せっかく、早川さんが「患者の目線になることができた」ということは、「患者にとって最高の医者になれる可能性」が 91歳になって見えてきたということですから、生きるほうに目を向けて、お元気になっていただきたいです。

ところで、上の早川元医師は、91歳とご高齢ですが、安保徹さんの講演会で、安保さんは以下のように述べられています。


安保徹さんの講演会より

80歳、90歳台の人を解剖すれば、体の中に 5個や 10個のガンの組織が必ず見つかるんですね。お年寄りの人は、(ガンを)見つける必要も何もないんです。勢いがもうないから。

せいぜい、病院に行かないようにして、体を温めていればそれでいいわ。

早く見つけたほうがいいというのは真理なんですけど、やっぱり、今のように、治療が間違っている時は、見つけたほうが不利なんですね。



年を取る、ということは、そのままでいれば、病気も拡大しにくかったりするわけで、生の勢いもなくなるけれど、対抗する病の勢いも弱くなる。

ところが、自然のままでいれば問題ないのに、今の高齢者の方々は薬漬けになっている人があまりにも多く、本来の人間身体の自然の機能がうまく働いていないと思うのです。

それどころか、薬による免疫低下や細胞機能の低下で、本来なるはずのなかった病気や、うつや認知症などをも発症させてしまう。

薬に頼らず、そのままの姿で生きていれば、もちろん苦しい症状などにも見舞われることがありますでしょうけれど、体の免疫は「死ぬ」まで自分たちの見方となってくれるはずです。

そして、最終的には、人は食べなくても生きられる「仙人」の状態で少しの間生きた後に死んでいき、その時の自我が、次の世に直接つながっていく・・・と考えると、穏やかに年をとり、弱っていって自然に死んでいくという「老いのシステム」はとても素晴らしいことなのかもしれません。

50年以上生きて、はじめて「老いることは悪くない」と思えたことに感謝したいと思います。



  

2015年05月12日



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時間や太陽や病気

なんだかこう、いろいろとゴタゴタとするような感じのこともあったりなかったりで、まとまった記事を書く時間がとれません。

いろいろと重なる時は重なるものですが、そんなこともあり、昨日は更新できませんでしたが、今日も短い記事になるかもしれません

体調やメンタルのほうも、なんだかんだといろいろあったりなかったりなんですが(どっちだよ)、まあ、この心身面に関しては、太陽の黒点状況がものすごいことになっていて、ついに 188個にまで増加したという状況になっています。

ss2015-05-12.gif
Spaceweather


上の数字が重なっている黒点活動領域 2339というのは、かなり大きな黒点群となっていて、それぞれの活動領域が、地球の大きさを上回っています。

ar2339.jpg
Spaceweather

それに加えて、大きなコロナホールとよばれる領域が通過していて、地球の地磁気も多少乱れていまして、体調や、メンタルも、なんとなく不安定になりやすい状態かもしれないですね。

ところで、最近、

「ガンもまた、人間に備えられた優れた仕組みである」

というようなことを知り得ました。







 



ガンもまた自然良能だった

以前、

人間にとって最も日常的で慈悲深い治療者は「風邪ウイルス」かもしれないこと。そして、薬漬け幼児だった私がその後の十数年経験した「免疫回復戦争」の地獄体験記
 2015年04月21日

という記事で、「風邪は体を治すためにかかる」ということを知り得たことを記したことがありますが、今度は「ガン」です。

このことは、なかなか複雑な話でもありまして、またいずれ、きちんとした形でも書きたいと思いますが、新潟大学医学部の名誉教授であり、日本自律神経免疫治療研究会の理事長の安保徹さんいう方が述べられていたものです。

キッカケは、偶然 YouTube で、安保さんの講演会を短くまとめたものを目にしたのです。
その中に、以下の文字がスクリーンに映し出されていたのですね。

ガンの仕組.png


ここには、

発がんは不利な内部状態を克服する解糖系への適応応答である

とあり、つまり、安保さんは、ガンは体を守る反応だと言っているのでした。

もう少し正確に書きますと、「ガンは遺伝子の失敗ではなく、人間が過酷な内部環境に適応するための現象」とおっしゃっています。

ちなみに、この安保名誉教授は、サイトのプロフィールにあります通り、過去において、「ヒトNK細胞抗原CD57に関するモノクローナル抗体」というものを作製したり、「胸腺外分化T細胞を発見」したりといった、よくはわからないですが、超エリート医師で、英文論文も 200以上発表している方です。

そして、研究の中で、次第に、

白血球の自律神経支配のメカニズム

というものを解明していき、少しずつ「病気と免疫の関係」を明らかにしていく中で、どうやら、「ある日、悟っちゃった」みたいなんですね。

講演会の中で、

「夜中、15分くらいの間に、ガンのできる仕組みが全部わかっちゃたんです」

というようなことを言われています。

ちなみに、この超エリート医学者である安保名誉教授の現在の、「最善のガンの治療法」というのは、

・病院に行かない
・体を温める(体温を上げる)


と、これだけでした。

また、早期発見の重要性について、早期発見はいいかもしれないけれど、現代のガン医療の治療法そのものが間違っているので、早く見つけないほうがいいとしています。

ところで、私が、この安保名誉教授をとても好きになったのは、講演会でのしゃべり方なんですね。下が私の見た講演会の光景です。




安保さんは青森出身だそうですが、その青森弁を丸出しにして、ゆっくりと話し、また、各所に脱力した笑いを散りばめていまして、話を聞いているだけでも、ストレスがやわらぐような方です。

とにかく「緊張感がまったくない人」なのです。

緊張感のない人が好きなんですよね。
私も緊張感がないので。

こういう方から、

「ガンになったら、病院には行かないで、体を温めていればいいわ」

と青森弁で言われると、「ガンってそんなもんか」と、妙な安心感が与えられるのでありました。

この「人に安心感を与えられる資質」というのは、治療者として大切なことだとも思います。

でも、その講演の内容には、

人類にとって生殖の意味は、20億年前の生命の歴史をやり直している。

というような、難しい話も含まれていまして、うまく説明できないのですが、とてもいい話が後半に多く語られています。10分過ぎからの後半5分間あたりの内容は、単なる医学演説にはとどまらず、「人類とは何か」ということにも踏み込んでいるようなものです。

ちなみに、ガンに対して、(西洋医学の)病院には行かないほうが良くても、「何もしない方がいい」とは言っていません。

安保さんが理事長をつとめる日本自律神経免疫治療研究会に所属する医師たちの治療は、「原則として薬を使わない」となっていて、その方向性は、日本や中国の東洋医学などの概念で免疫を上げるということに主眼が置かれているようです。

抗がん剤や、あるいは他のさまざまな薬剤が免疫を落とすことは、こちらのリンクににあります、「薬」に関しての過去記事などで最近書くことがありましたが、抗がん剤を含めて、薬は人間の免疫を落とす作用があるわけで、人間の自然治癒力を著しく削ぐものだと思われます。

多くのガン患者が抗がん剤で助からない原因は、人間の免疫システムを考えてみれば、当たり前のことなのかもしれません。

日本のガンの死者数の増加が止まらないのも、「早期発見」にも関係があるかもしれません。早期に見つけられて間違った治療(三大療法など)を受けることで、本来なら簡単に治るはずのガンに対抗する免疫力を、患者が失ってしまうというメカニズムで理解できます。

それにしても、今回の「ガンも人間が持つ病気を治すシステム」だということを知って、人間の持つ免疫能力の優秀さをさらに知ります。

人間の身体には無駄な機能はひとつもない、とは以前から思っていたわけですが、まさか「ガンまでも」と思うと、感慨深いものがあります。

同時に、現代医学の本質的な問題も再び浮かび上がります。

現代医学は、病気と症状を、「すべて悪いものとして排除する方向」だけで進んできたわけですが、野口晴哉さんやナイチンゲール(過去記事)が言うように、

「病気とは回復過程なので、自然による回復過程の邪魔をしないことが大事」

という原則の「反対」を、現代医学は進んできたといえます。

紀元前5世紀のギリシャの医師のヒポクラテスも同じことを言っていました。こちらのサイトには、ヒポクラテスの言葉として、


古代ギリシャの医学祖『ヒポクラテス』の言葉に、治療においては『人間は自ら治す力をもっている。真の医療とは自然治癒力を発揮させることであり、医者はこの自然治癒力が十分発揮される条件を覚えるだけである。』と言っています。


というものが紹介されています。

2500年前にはすでにあった医学的見識が、2500年かけて「後退してしまった」のかもしれません。そして、私たちの医療概念は、再び 2500年前へと進化しなければならないところまで来ているような気がします。

というわけで、中途半端な記事となってしまいましたが、今回のことはぜひ書きたいと思ってましたので、書かせていただきました。



  

2015年05月10日



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最近1ヶ月のあいだに南米で起きた主な出来事
south-america-2015.gif






 


ここ最近は、時事ネタが少なかったですが、今回は時事と関連する記事です。

まあ、なんとなく最近は「健康と悪魔のブログ」的な展開が多かったりしたわけですが、次々と知り得たことは、自分にとって、ためになることばかりでした。

しかも、これも自分の体調の問題(めまいくらいなんですけどね)があるから、いろいろと調べたりしているわけでして、もし、このめまいがなかったら、探究心の薄い私などは、何も調べもせず、ボーッとコスタリカのビーチでアイスでもかじって過ごしていたと思います(優雅かよ)。

シュタイナーは「どんな事やどんな物にも肯定的な部分を見つけなさい」と言っていましたが、なるほど、確かにいろいろなことに「良いこと」は含まれている。

敵対の気持ちを感謝の気持ちに変えるというのは、何もそんなに無理しなくとも、できるものなのかもしれないですね。

とはいえ、やっぱり早くスッキリして、コスタリカのビーチで…(優雅かよ)。

今回は、そんなコスタリカもある南米のラインで起きていることなどを見て、

「やっぱり、環太平洋火山帯の地殻変動は活発化しているのかもしれない」

と思ったことなどを記したいと思います。

そして、これからの時代は「どんな事やどんな物にも肯定的な部分を見つける」ことが特に重要になる時代なのかもしれないということとも関係しています。つまり、「自然の異変に肯定的な部分を見出すことができるのだろうか」という試練との関係です。




また南米が怪しい

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▲ 2015年05月08日の AP より。イワシクジラがチリの沿岸に打ち上げられたのは、これが初めて。原因は今のところ不明です。


この1ヶ月くらいの間に、南米では、冒頭に地図に示したようなことが起き続けています。
文字にしますと、

4月14日、ブラジルのリオデジャネイロで 52トンの魚が川に浮かぶ(報道
4月21日、コロンビアのマグダレーナで魚の大量死(報道
4月22日、チリのカルブコ山が 43年ぶりに大噴火(報道
4月25日、ボリビアのチチカカ湖周辺で多数の鳥と動物が死亡しているのが見つかる(報道
4月24日、チリのトーレスデルパイネ国立公園で 400匹の動物が死亡(報道
5月5日、ペルーのソコスバンバで大規模な亀裂が発生(報道
5月8日、ニカラグアのテリカ山で爆発と地震が発生(報道
5月8日、チリのペナス湾の海岸に 20頭のクジラが打ち上げられる(報道


などです。

冒頭の地図を見ていますと、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロでの魚の大量死を別にすると、「南米大陸の西側」に集中して、いろいろなことが起きています。

そして、何というかこう、冒頭の地図を見ていますと、唐突に、東洋医学の概念である「経絡」(けいらく)というようなものを思い出します。

経絡
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これは、古代中国の医学で、人体の中の「気」や「血」など、生きるために必要なものの通り道として考え出されたもので、ツボなどとも通じるものだと思います。

経絡は今では、西洋医学の病院でもこれらの経絡を刺激するという概念の治療がわりと多く行われるようになっています(東洋医学の西洋医学への応用は、現時点では、アメリカのほうがはるかに進んでいるようですが)。

人体では、経絡は「人体での要所的なつながり」といえるものなのですが、今、様々な出来事が起きている南米の西側も、「地球の要所的なつながり」でもあります。

それは、いわゆる「リング・オブ・ファイヤー」と呼ばれる、環太平洋火山帯のことなんですが、とにかく、その環太平洋火山帯の上でいろいろと起きている。

そして、やはり、箱根山とか阿蘇山とか、あるいは、富士山も含めて、地殻活動にいろいろな活動や徴候が見られている日本はその全域が環太平洋火山帯の上にあります。

下の地図で、太平洋を取り囲むピンクの帯が環太平洋火山帯です。

ringof-fire-2015.gif


上の中で、最近特に活動の活発な、

・アリューシャン列島の火山活動
・インド・オーストラリアプレート周辺での火山活動


を白で囲み、また、今回の南米の西側を赤で囲んでいます。

下は、2013年前後にインド・オーストラリアプレート周辺で起きたことを地図に示したものです。

インド・オーストラリアプレート周辺で起きたこと
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トンガ沖に「新しい島」を作った海底火山「フンガ・トンガ-フンガ・ハーパイ」も、インド・オーストラリアプレートのあたりにあります。

2014年末に噴火によってトンガ沖に作られた新しい島
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▲ 過去記事「大陸の隆起の時代…」より。


また、ちょうど1年くらい前、やはり環太平洋火山帯にあるアメリカのアラスカで、「5日間で 270回以上の地震が発生する」という謎の群発地震が起きたりしていました。

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▲ 過去記事「環環太平洋火山帯の目覚め?…」より。


この「地球の経絡」ともいえる環太平洋火山帯の南米周辺では、2011年まで遡っても、以下のような出来事を In Deep でご紹介しました。

south-america-3.gif


特に印象深いものが、上の「D」で、コロンビアのグラマロテという町が、謎の地殻変動により7日間で「消滅」してしまった報道をご紹介しました。

原因不明の地割れと地滑りで破壊され、7日間で地図から消えたコロンビアの町
 2011年01月19日

この町が、その後再興されたのかどうかは定かではないです。




ペルーの亀裂を見て思う、この数年の南米の出来事

冒頭に貼りました「最近の南米での出来事」一覧に、

5月5日、ペルーのソコスバンバで大規模な亀裂が発生

という項目があります。

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▲ 2015年05月06日のペルー El Comercio より。ペルーのソコスバンバという場所で、非常に長く巨大な亀裂が発生し数十の家々を破壊し続けています。

peru-001.jpg
El Comercio


これは、報道では正確な亀裂の長さなどは記されていないのですが、見た感じでは、かなりの距離での亀裂のようで、何十人かの人々が家を破壊されているようです。

そして、南米や北米の環太平洋火山帯上では、この「巨大な亀裂」の報道を、よく見かけます。

2011年7月のメキシコ・チャルコ市の500メートルの亀裂
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2014年8月にメキシコに出現した数キロメートルの亀裂
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Expreso


2014年11月に米国オレゴン州に出現した巨大な亀裂
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▲ 来たるべき地球のかたち「米国オレゴン州に一夜にして「見渡す限りの長さの巨大な亀裂」が出現する」より。

下のふたつの巨大な亀裂に関しては、「一夜にして」できたものです。

この数年は、環太平洋火山帯の上では、特に南米においては、わりとはっきりとした形で、地殻の変動が続いていることをうかがわせるものがあります。

同じような傾向が、3.11以降の日本にも現れている気配があることは否定しようがありません。




日本も環太平洋火山帯上

4月22日に、チリのカルブコ山という火山が 43年ぶりに噴火して、チリ政府は非常事態宣言を発令しました。

噴火したチリのカルブコ山
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Business Insider


このカルブコ山の噴火は、噴煙が1万5千メートルもの上空にまで昇っていて、やや終末的な光景を見せていますが、噴火はともかくとして、地震大国であるチリは、同じように地震大国である日本と「地震の相関関係」を見せるとこともあるようです。

2010年2月27日に、チリでマグニチュード 8.8のチリ地震 (2010年)が発生した1年後に起きたのが、3.11でした。

チリと日本の地震の関係はあるのかないのかわからないですが、「同じ国の中での噴火と巨大地震には相関性があるかもしれない」ことは、過去の例からもうかがえます。

ザ・ジャパン・ニューズという読売新聞の英語版の記事では、東京大学名誉教授であり、気象庁の火山噴火予知連絡会会長の藤井敏嗣さんという方が、

「日本は大地震と噴火の時代に入ったかもしれない」

という発言をしたことが記されています。

japan-era-2015.gif
The Japan News


ただ、この発言は、英語版でしか見当たらず、日本語の読売新聞には、藤井会長のこの「日本は大地震と噴火の時代に入ったかもしれない」というような部分は見つけ出せませんでした。

単に私が探せなかっただけだと思いますが。

ところで、上の記事には、過去の日本の「巨大地震と富士山の噴火の連動」について表組みされています。

貞観地震(869年 / マグニチュード 8.3以上)の起きる5年前に、富士山の大噴火(貞観大噴火 / 864 - 866年)

(貞観大噴火は、文献記録に残る富士山噴火のうちで最大規模の噴火)

宝永地震(1707年 / マグニチュード 8.6)の 49日後に、富士山の噴火(宝永大噴火 / 1707年)

などの「連動」が起きたことが書かれていると同様に、他の国での「環太平洋火山帯での巨大地震と噴火の連動」についても記されています。

チリ地震(1960年 / マグニチュード 9.5)の2日後に、チリのコルドン・カウジェ火山が噴火

アラスカ地震(1964年 / マグニチュード 9.2)の2ヶ月後に、米国トライデント山が噴火

スマトラ地震(2004年 / マグニチュード 9.1)の1年後にインドネシアのメラピ火山の噴火

というような連動があったそうで、まあ、そのあたりの「地震と噴火の関係性」から考えますと、昨年の御嶽山の噴火も、あるいは、何らかの活動を見せている箱根山も、あるいは富士山も、3.11からの、ひとつのラインでつながる部分もあるのかもしれません。

これから、どういう経過を辿っていくのかはわからないですが、ここ数年のさまざまな自然現象を見る限りは、この数年の中の環太平洋火山帯は、全体として活動が増加していると考えることはそれほど無理なことでもないと思われます。

環太平洋火山帯上には、アメリカの西海岸で、かつてマグニチュード9前後の地震を起こした「カスケード沈み込み帯」と呼ばれる地層もあります。

なかなか波乱の先行きも考えられますが、先日の、

アタカマ砂漠に咲き乱れる花に見る「悪から善が生まれる光景」を思えば、極端な少子化も箱根山の群発地震も怖くない・・・かも
 2015年05月05日

という記事で書きましたように、「善は悪から生まれる」とか、あるいは、「破壊がなければ創造もない」というようなことを思いますと、単にそれらの未来を怖れているだけでも仕方ない気もします。

そこに何らかの「肯定的な要素」を見出せるかどうかというのも、多少波乱含みになる可能性もある、これからの時代の中では必要なことかもしれません。

最初のほうに「経絡」という漢方医学の概念を記しましたが、人体では、経絡を刺激すると、さまざまな症状や体質が改善されます。地球の経絡が刺激されると・・・やはり、地球の「状態」も改善されるのかもしれないと思ったり。



  

2015年05月08日



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jacinta-forever.jpg
・ヤシンタ( 1910 - 1920年)。amor eterno







 



聖母の言葉の違和感に気づかされて

以前、

ファティマの聖母から知る「永遠の地獄」への序章
 2015年03月15日

という記事を書いたことがありました。

これは、1917年、ポルトガルのファティマという町で、3人の少女と少年の前に、何度かにわたり、「聖母」と名乗る存在が現れ、いくつかの啓示を子どもたちに授けたとされる出来事で、バチカン(ローマ教皇庁)の公認となっている聖母出現譚でもあります。

バチカンが公認している聖母の出現は Wikipedia によると、歴史上で 12件ありますが、その中でも、ファティマの聖母出現は、最も有名なもののひとつだと思われます。

私は、実は、このファティマの聖母出現の内容を読んだ時に、奇跡ということよりも、むしろ何ともいえない痛々しさと切なさを感じていました。

それは、聖母と複数回の会見をした3人の子どもたち、ルシア(当時9歳)、フランシスコ(8歳)、ヤシンタ(7歳)のうち、特に最も若いヤシンタが、とてつもない苦悩と苦渋の中で亡くなっていった、ということによるところが大きいのですが、いつもヤシンタの苦痛を考えると、暗い気持ちになっていました。

そして、この「苦悩」とか「暗い気持ち」とかいう気持ちを人に抱かせることが神サイドの奇跡…? というような想いはありました。

そして、このところの読書生活の中で、「ふと」気づいたのです。

最近読んでいた本、たとえば、それは、シュタイナーでも中村天風でも、どの人のものでもいいのですが、それらの人々の書く内容は、前回の記事でも書きましたように、「根幹に大体同じ方向性がある」ということがあります。

前回の記事は、健康に関してのものでしたが、どのように同じかといいますと、

・人間は本来、完ぺきな自然治癒能力を持っている
・自然(宇宙 / 神)の法則と人間の関係もまた完ぺき


というようなことです。

そして、健康だけではなく、全体としてのことを言えば、私たち人間の世界は・・・あるいは、これを「自然の法則」といっても、「神の法則」といっても、「宇宙の真理」でも何でもいいのですが、

「すべてが肯定と美と善と真実から成る完ぺきなもので、否定的だったり消極的な部分を持たない」

ということと、

「人間がこの世に存在する目的は、人間が本来持つ完全性を獲得すること」

そして、

「創造すること」

だというようなことです。

この「創造」、つまり、表現や芸術を作り上げるということが、人間がこの世に物質的な存在として生きる上で、どれだけ大事なことかということについて、たとえば、シュタイナーは、以下のような文を書いています。

芸術において人間は、
世界のなかに結びつけられた霊を解放する。
音楽芸術において人間は、
自分自身の中に結びつけられた霊を解放する。


なぜ、人間が創造し続けなければならないかというと 1914年の講演の以下の言葉からシュタイナーの主張がわかります。


シュタイナーの講演『人類の芸術的発展のための変容衝動』より

音楽的創造行為は人間の未来と関係するものです。音楽的創造行為は宇宙のなかでみずからを完成し、深めるために存在するのです。

いくつもの偉大な、天才的な音楽作品が存在するにもかかわらず、それらを試作にすぎないというのは傲慢な感じがすることでしょう。しかし、今日存在する音楽作品は、未来の無限に意味深い音楽的創造行為のための試作なのです。

人間が秘儀参入の本質を知ったとき、未来の音楽作品は意味深い刺激を受けることができるのです。

いつか、秘儀参入の途上で魂が体験する至福と苦悩に満ちた幻滅を通過すると、宇宙の諸事情に関与しているすべての運命を体験し、人間の魂は震撼します。

秘儀参入の途上で体験されるものを音の組み合わせで表現することへと魂を促すものを、震撼のなかで体験します。

こんなに抜粋することもないんですが、要するに、この中の、

> 創造行為は宇宙のなかでみずからを完成し、深めるために存在する

ということで、「自分を完ぺきな存在にするため」に音楽的創造は存在するとシュタイナーは主張しています。音楽以外の創造も同じでしょう。

これは、「苦痛」も同じものとして、シュタイナーは言っています。

アタカマ砂漠に咲き乱れる花に見る「悪から善が生まれる光景」を思えば、極端な少子化も箱根山の群発地震も怖くない・・・かも
 2015年05月05日

という記事に、シュタイナーの 1912年の講演を抜粋していますが、その中に、


賢明な者が不完全な私たちのなかにおり、常に私たちを苦痛へと導いていきます。私たちは内的および外的な苦痛によって、自分の不完全さを取り除き、自分を完全にしていけるからです。


といっていて、つまりは、「苦痛を経験することによって、私たち人間は、本来の完ぺきな人間になれる」と。

中村天風さんなども、この「人間は本来は創造的な存在で、そして、人間は宇宙と同様に完ぺきな存在だが、今の人間は完ぺきになることができていない」ということを何度も語っています。


中村天風『運命を拓く』人間の生命の本来の面目より

なぜ、人間の生命の本来の面目が、創造的にできているのか。

それは、進化と向上を現実化するために、人間に、この本来の面目が与えられているのである。

どんな人間でも、「何ものをも完全にあらしめたい。完全に作り上げたい」という気持ちが、誰にでもあるはずである。すなわち、ものや破壊や消滅を好まず、ものの成就や完成を好むという気持ちには、共通的にいわゆる完全を喜ぶという気持ちが、その心の中にあるはずである。

誰しも代償のない破壊を好むものは、ないはずである。

これもやはり、人間の生命の中にある、自然傾向であるからである。いわば、自然に与えられた活動的能力である。



自分では意識していなくても、人間というのは、自然と「完ぺき」を目指していて、なおかつ「創造的」であるということのようです。

これは、まあ、パッと思い出しますと、意識せず鼻歌をうたっているとか、何となくリズムをとっていたりするとか、なんとなく部屋の模様替えをしてみたり、花を飾ろうと買ってきたり、あるいは、お気に入りの皿やカップが割れると、もうくっつくことはなくとも、割れ目をくっつけて「再生の試み」をしてみたりする・・・。

自然な行為の多くが、「実は人間の無意識の行為の中には、破壊よりも創造のほうに向く傾向」というものが潜んでいることを示しているということかもしれません。

その「創造性」の方向を意識して、思考や行動の中で拡大させていけば、私たちは、それまでと少し違う感覚を持つことができるかもしれない・・・というような。

そして、ここまで引用させていただいたシュタイナーも中村天風さんも、

「肯定的で前向きな思考と態度」

の重大性を何度も述べています。

というより、

「否定的で消極的な思考と態度を捨て去ること」

を言っています。




ヤシンタに向けられた「否定的・消極的な思考」

なぜ、ファティマの聖母について、これらのことが関係するかといいますと、

・人間は創造的になるべき
・肯定的・前向きな態度は重要


という大前提をもとにしますと、ファティマの聖母出現の際の、以下の2点に大きな疑問を感じたのです。ヤシンタ・マルト - Wikipdia から抜粋します。

太字はこちらで入れています。


ヤシンタは優しく、少し情緒的であった。彼女は甘い歌声と踊りの才能を持っていたが、ルシアやフランシスコと共にファティマでの聖母の出現を見るようになると、それら娯楽に供することが罪の機会になると考え、音楽も踊りも止めるようになった



ヤシンタは聖母の三度目の出現時の、地獄の恐ろしい幻視の影響を非常に強く受けた。彼女は、聖母が導いたとして、痛悔と償いを通しての罪な人の回心を願う必要を確信するようになった。三人の子供たち、中でもフランシスコとヤシンタは厳しい苦行をその死まで実践した。


この2点です。

最初は言うまでもなく、

> 甘い歌声と踊りの才能を持っていたが、それら娯楽に供することが罪の機会になると考え、音楽も踊りも止めた

の部分です。

これは、人間の創造性を否定する行動です。とはいえ、6歳か7歳のヤシンタが「地獄の光景」を見せられて、そう思うのは仕方ないかもしれないのですが、しかし、ヤシンタは、ファティマでの聖母出現後も何度も「聖母」と会っています

1917年のファティマの聖母出現から、ヤシンタが亡くなるまでの2年間は、ヤシンタの前に何度も「聖母」が現れていたようです。ファチマの真実(2)というページには、以下の記述があります。

ここでは、ヤシンタはジャシンタと表記されています。


ジャシンタがルシアに語ったところによれば、1919年12月に聖母がジャシンタに御出現になり次のように言われたとのことです。

ジャシンタはリスボンの病院にもう一度入院することになる、ルシアとはもう会えない、両親や兄弟とも会えない、たった一人病院で死ぬと。



1919年は、ファティマの聖母出現から2年ほど経っていますが、このように、ヤシンタの前には、何度も「聖母」が現れていたようです。


しかし。


それはいいとしても、問題は、その「聖母の言葉に漂う気配」です。

「ルシアとはもう会えない、両親や兄弟とも会えない、たった一人病院で死ぬ」

この否定的な響き。

そして、実際に、この「聖母」の言葉通りになるのですが、しかし、「完全の宇宙」の神のグループに属していると思われる聖母が、ほとんど肯定的な言葉を発していないことも気になります。

そして、「人間の完全性を示さず、人間の不完全性ばかりを示す」のです。

まあしかし、それはともかく、このように何度もヤシンタとコンタクトをしていたならば、聖母はヤシンタに、

「歌と踊りはやめなくてもいいのです」

と、どうして言わなかった!

聖母なら、楽しみと創造性がどれだけ人間に大切なことかを知らないわけはないです。

ヤシンタは、スペインかぜ(鳥インフルエンザ)にかかり、壮絶な闘病生活をを続けることになり、


病気は化膿し肋膜炎に発展し、手術で(無麻酔で)二本の肋骨を切断しなくてはいけなくなったが、彼女は痛みに耐え続けた。心臓の状態から麻酔を全く使えず、凄まじい痛みに苦しんだが、彼女はそれを多くの罪人の償い(慰め)へと捧げた。( Wikipedia


というようなことになっていくのですが、もちろん、もはや、この体では踊ることはできないでしょうけれど、歌をうたったり、自分が踊りをしている姿を想像するだけでも、どれだけ気が晴れたことか。

少し前の、

パッチ・アダムス医師の「楽しく人を死なせる」ための真実の医療の戦いの中に見えた「悪から善が生まれる」概念の具体性
 2015年04月19日

という記事で、笑いの治癒効果を医療に取り入れたアメリカの実在のパッチ・アダムス医師について書きましたが、映画化された『パッチ・アダムス』は、人間にとって「楽しい気持ち」がどれだけ大事なことかを描いたもので、また、それは医学的にも正しい(笑うと、多くの体の検査数値が向上し、ガン細胞を殺す NK細胞が増える)といえます。

下は映画『パッチ・アダムス』で、子どもたちを笑わせているアダムス医師(ロビン・ウィリアムズ)です。年の頃が、ヤシンタと同じくらいの女の子です。

patch-adams-05.jpg
・映画『パッチ・アダムス』

おそらくは、ヤシンタは、入院期間にこのように笑うことはほとんどなかったのではないかと思われます。なぜなら、「楽しんだり笑うことは罪になる」と思いこんでいたからです。

多分は、病気にかかってから亡くなるまでの2年ほどを、ほとんど「笑わない生活」で過ごしていたのではないでしょうか。

何度もヤシンタの前に現れた「聖母」が、ひとこと、

「前向きで楽しい気持ちは人間の本性なので、罪にはなりません」

とヤシンタに言っていれば、ほんの少しは気持ちの晴れる時もあったのではないかと。

人生は苦行と共に生きるものではない」ということは、シュタイナーも 1912年の講演で、「人生の喜び」について、以下のように述べています。

この部分の前に、シュタイナーは「楽しみの危険性」ということについて述べていまして、その後の言葉です。


シュタイナー『運命にどう向きあうか』(1912年の講演)より

私は楽しさに反対する説教をしているのではありません。「楽しさを避けろ」と言っているのではなく、「楽しさを平静に受け取るべきだ」と言っているのです。

楽しさを恩恵として受け取る気分を育てるべきなのです。そうすれば、私たちはますます神的なもののなかに浸っていきます。

私は、苦行を説いているのではありません。「楽しさと喜びに対する正しい気分を目覚めさせよう」と、言っているのです。

「楽しさと喜びは、自分を麻痺させ、自己を解消させる。だから、私は楽しさと喜びを避ける」と言う人は、神々から贈られる恩恵を避けているのです。それは誤った苦行、自虐が目指すところです。苦行者、修道士、尼僧の自虐は、絶えず神々を避けることになります。

苦痛を「自分の業によってやってきたもの」と感じ、喜びを「神が私たちに注ぐ恵み」と感じるのが適切です。神が私たちの近くにやってきたしるしが、楽しさと喜びなのです。

世界が私たちにもたらす善いもの、美しいものに直面して、私たちはつぎのように感じなくてはなりません。

「神々は、世界は美しく善いものだ、と見た」と聖書が表現しているとき、人間が輪廻の経過のなかで、最初は善いものだった世界をどのようにしてしまったかを認識しなければなりません。そして、苦痛を精力的に担うことによって改善すべきものを認識する必要があります。



シュタイナーは、

> 「私は楽しさと喜びを避ける」と言う人は、神々から贈られる恩恵を避けている

> 苦行者、修道士、尼僧の自虐は、絶えず神々を避けることになります


と述べています。

これは、ヤシンタを含む3人の子どもがその後に行った「楽しさと喜びを避ける」という生活態度こそが、神々から贈られる「楽しさと喜び」という恩恵を避けているということにつながってしまうという、絶望感に満ちた因果関係を見つけてしまうのでした。

しかし、最後のほうに書きますが、どういう生活態度であっても、このシュタイナーが他の著作で述べていることからうかがいますと、ファティマに出現したのが聖母ではなくとも、ヤシンタには「明るい来世」が待っているはずです。




あまりにも「否定的な」聖母の態度傾向

話を「聖母」に戻しますと、そもそも、ファティマでの聖母が、3人の子どもたちに、「地獄の光景」を見せたり、「バチカンの崩壊の光景」を見せたり、といった「与えるものがネガティブなものばかり」であることも気になります。

下は、聖母が「地獄の光景」を子どもたちに見せた時のことを述懐するルシアの言葉です。


永遠の地獄(ファティマの聖母

聖母は、私達に広い火の海をお見せになりました。それはまさに、地の下にあるもののようでした。この火の中に、サタンと人間の形をした魂とが閉じ込められていました。

この魂は、透き通るように燃え上がる燃えさしのようで、全ては黒く、あるいは、光り輝く青銅色をしていて、大きな炎の中に漂っていました。彼らは自分の中から放つ炎によって、巨大な煙の雲とともに空中に吹き上げられ、ぞっとするような、しかも恐怖に震え上がるような苦痛と絶望の悲鳴とうめき声を上げながら、重さもバランスも失って、火花のように大火の中を四方八方に飛び散っていました。

サタンは、見たこともない奇怪な動物の形をしていたのでそれと分かりましたが、戦慄を覚えさせるような気味の悪い形相をしており、透明で黒い色をしていました。



この地獄の光景を見た子どもたちは「死んでしまうような恐怖」に駆られるのです。

聖母が「恐怖で子どもたちを支配」する・・・。

さらに、下は 1918年頃に、「聖母」がヤシンタに見せたビジョンです。


ヤシンタ・マルト - Wikipedia より

ヤシンタ自身は個人的に何度か聖母や出現や近未来、あの世等を目撃している。

初回は1917年夏であり、もうすぐ起こる次の戦争とする第二次世界大戦について気にかけ、大勢の人が死に、その殆どが死後地獄に堕ちる、と物思いに沈んだ。二回目は1918年10月で、自身が一人で苦しんで死ぬことを予言し、一方で聖母が天国に連れて行く約束をしてくれたことに安堵した。

ファティマの公的出現中も1917年7月13日、彼女はルシア、フランシスコと共に、聖母から、地獄の炎やそこで燃えた炭火のように透き通った姿になって、絶望の叫びをあげながらただ不安定に業火の中を舞うだけの人や悪魔の姿を見せられて、戦慄し、しばしば話題にしていた。



このビジョンに見られる、

> その殆どが死後地獄に堕ちる
> 絶望の叫びをあげながら
> 悪魔の姿を見せられて、戦慄し


などのような「徹底した否定」的傾向。

唯一少しだけ明るい、

> 聖母が天国に連れて行く約束をしてくれたことに

という部分は、後述しますが、キリスト教で信じられていない「人間の宿命」を語っています。

しかし、この「聖母」の見せたビジョンの多くは、その後、現実化していますので、「未来を見せた」という不思議なことが起きたことは間違いありません。

しかし、「ビジョン」というのは、あまりにも非現実的で、また、オカルトに近い性質を持つと思うのですが、そもそも、こういうオカルトってのは、キリスト教的というか、「聖書」的にはダメなことなのでは。


旧約聖書『申命記』18章 9-12節

あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地に入ったとき、あなたは異邦の民の忌みきらうべきならわしを、まねてはならない。

あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。

これらのことを行なう者はみな、主が忌みきらわれるからである。



これに関しまして、クリスチャンはそれを信じないというページによりますと、


聖書は、占いや心霊現象、オカルト現象を「神の忌みきらわれること」として禁じているのです。なぜなら心霊現象にかかわっているのは、悪霊の力だからです。

聖書は、悪霊も不思議なことをすることがあると認めています。そのため私たちが心霊現象に興味を持つことは、きわめて危険です。

それは、気づかないうちに私たちを神の道からそらせ、悪霊の支配下に導くでしょう。クリスチャンは、占い、心霊現象、オカルト現象などが、私たちの幸福に対して何らかの寄与をするという考えを、信じないのです。



ということだそうです。
太字は原文ママです。

そして、上のサイトには別の項目のところに、以下のような記述があります。


神は人の人生の決定権を、個人の自由意志におゆだねになっておられます。

人が自分の人生で刈り取るものは、多くの場合、自分が過去に蒔いたものです。
もしくは、人類全体が蒔いたものです。

神は決して、人の主体性を破ってまで、人の人生を支配しようとはなさいません。

人生を決めているのは、やはり自分です。

神は、人の人生を「宿命」で縛ろうとはなさいません。
キリスト教には、「宿命」という考えはないのです。



私はクリスチャンではないですので、これが本当かどうかはよくわからないですが、聖書を引用してのものですので、ある程度はそのようなものだとすると、ファティマの聖母は、明らかに3人の子どもたちの「宿命」を提示しています。

様々な点から見て、ファティマの聖母の、

・否定的な面だけを強調する言動
・恐怖で子どもたちを支配していること
・天国ではなく地獄だけを見せている
・主の導きではなく、宿命を述べていること
・ビジョンや太陽の異常などオカルト過ぎるやり方


などから、ファティマに出現した存在は「聖母ではないように思えて仕方ない」という思いが強まっています。

神でも主でもいいのですが、その根底は「完全」であり、また、その宇宙の私たちも「完全」である以上、否定的な方向へ人を導くというのは、本筋ではないような気がするのです。

もちろん、聖母でないのならば、ファティマに出現したものが何なのかはわかりません。

仮に見当がついたとしても、うまく書けません。

まあ・・・ファティマに現れた「聖母」の正体はわからないですが、その正体とは無関係に、苦しんだヤシンタは、天国に行く以上に、「とても完全な人間」となって、いつの世にか、おそらくは、あと 900年後くらいに素晴らしい来世を送ることができるだろうことは信じます。

それは、シュタイナーの『神智学の門前にて』という著作の中に、

「輪廻転生の具体的なメカニズム」

が書かれていまして、それを少し読むことで感じたのでした。




死後の人間

もちろん、これはあくまでシュタイナーの主張であり、この世がそのようになっているのかどうかは、死んでみなければわかりません。

死から再受肉までのあいだ、人間はどのような生活を送るのであろうか」というフレーズから始まる「欲界における魂の生活」という章にそのことが書かれてあります。

全体として文章構成が複雑で、うまく抜粋できないですが、死後に人間がまず行くところは「欲望の場所(欲界)」というところだそうです。


シュタイナー『神秘学の門前にて』欲界における魂の生活より

肉体的な器官がなくなったあと、魂に活力を与えるもの、日常の意識を満たしていたもの、身体に負っているもののうち、なにが残るのであろうか。

このことが明らかになったとき、物質体とエーテル体(生命体)を死体として捨てたあとの死後の人生の状態が、どのようなものであるかがわかる。

この状態を欲望の場所、欲界と呼ぶ。しかし、それはどこか外にある場所ではない。わたしたちがいまいるところも欲界であり、死者の霊は絶えず、わたしたちのまわりに漂っている。



ということらしいのですが、人が死ぬと、人間を構成する4つの要素(肉体、生命体、感受体、自我)のうち、肉体と生命体と呼ばれるものは、肉体の「死」と同時に死んでしまうけれど、他のものは残るのだそう。

特に、感受体(アストラル体)は、死後もしばらくは生きている。

これは欲望も司るものですので、「欲望」は、死後も残ると。

ところが、おいしい料理を食べたくても、それを味わう口も舌もない、美しい光景を見たくとも、それを見る目はない。音楽を聴きたくとも、聴く耳がない・・・ということで、「欲望を充たす器官がない状態」となっていて、死後、人々はこれで大変に苦しむのだそうです。

これが、いわゆる「地獄」というものとして語られているものと似たものだとしてもいいのかもしれないですが、シュタイナーによれば、

この欲界の苦しみは、その人の生きていた時の欲望の度合いに応じる

となっていて、また、その「滞在期間」についてもふれられていて、

人生の3分の1の長さ

だけ滞在するのだそうです。

たとえば、75歳で亡くなった人なら、25年間。

ヤシンタは 10歳で亡くなっていますので、3年ほどですね。

しかも、ヤシンタは、自分の課した禁欲的生活で、多分、物質的な欲望も、生への失着の欲望もあまりなかったと思いますので、少なくとも「生きていた時よりはずっと苦痛の少ない状態」で、3年と少しを欲界で過ごした後、つまり、1923年の夏頃には、その欲界を抜け出していたはずです。

ただし、次の世に生まれる、すなわち、シュタイナーの言う「再受肉」の時期はその時期というわけではないようです。

このあたりは、何だかいろいろ難しいのですが、「地球の状態は 2160年で大きく変化する」とのことで、その 2160年の中で「2回受肉をする」とのこと。

つまり、次に生まれかわるまで千年くらいかかるということのようです。

「苦痛の中で人間は完全に近づく」ということがあるのなら、ヤシンタは、相当、完全に近い人間として、次の世で、彼女は素晴らしい人生を過ごすことになると思います。

その時には歌と踊りを忘れないでほしいですが(ただし、シュタイナー説から見ると、ヤシンタは次は男性として生まれます)。

この欲界を通過した後に、いわゆる私たちが「天国」というような概念でとらえている場所に行くらしいのですが、面白いのは、シュタイナーは、

「天国」とは、「人間として誕生する瞬間」

だとしている点です。

つまり、来世に生まれた瞬間が天国に至った瞬間だと。

ただ、このシュタイナーの「誕生の瞬間」という言葉は、少し気になるところがあって、

「じゃあ、誕生しなかった子たちは?」

とも思ったのです。

ファティマの聖母から知る「永遠の地獄」への序章(2) - 毎年5千万人の赤ちゃんが「生まれてこない」現代社会の中のロシア由来のカタストロフ
 2015年03月16日

の後半に記した、「毎年、世界で 5000万人ほどの赤ちゃんが生まれてくることができない」というのが現代の社会でもあるのですが、この子たちは? とかは思います。

それでも、シュタイナーのこの輪廻転生のメカニズムを信じるならば、たとえば、生まれてすぐに亡くなってしまった赤ちゃんたちは、「(欲望がないから)苦痛もなく」、「時間的にあっという間に」この欲界という地獄を抜けられるのだろうということは、何となく救いを感じました。

生前のヤシンタの苦悩を思い、落ち込んでいたりした私でしたが、まあ、そう落ち込むことでもないのかなと思えただけでも、今回はシュタイナーに感謝しておきたいと思います。そして、もちろん、ヤシンタにも。



  

2015年05月07日



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▲ クリミア戦争で兵舎病院で負傷者たちを看護するナイチンゲール。Wikipedia より。









病気の本質


最近、いろいろと本を読んだりしている中で、多くの人たちが言うことが、「大体同じ方向にある」ことを知ります。


それは、「病気も健康もどちらも自然の働きである」というようなことと関係しているのですが、最近、ナイチンゲールという看護の始祖が自著に書いていた内容を知りました。


そこにある一節が、日本最初の整体師である野口晴哉さんや、あるいは、生涯にわたり医学の研究も続けていたシュタイナーや、あるいは、中村天風や森田正馬博士や、他にもいろいろな方がいますが、その方々の言っていたこととほとんど同じであることに気づいたのでした。


ナイチンゲールは、『<看護覚え書』( 1860年)の中で、あとで、ちゃんと抜粋いたしますが、


「病気というものは、回復過程である」


としていて、病気は自然の法則(彼女は「神の法則」と言っています)であるから、看護というのは、


「自然による回復過程の邪魔をしないこと」


だと述べているのです。


これはまさに、



 2015年04月22日


という記事などでふれた、野口晴哉さんの『風邪の効用』( 1962年)にある、


病気が治るのも自然良能であり、病気になるのも自然良能です。

という概念と同じです。


「良能」という言葉は「生まれながらに持っているすぐれた能力」(コトバンク)ということですので、野口さんは、「病気になることは、人間が生まれながらに持っている自然の優れた能力である」と言っていることになります。


ナイチンゲールの場合は、その 100年前に同じことを言っているのでした。


野口晴哉さんの『風邪の効用』によって、はじめて私は、「風邪は体を治しているかもしれない」ということに気づいたのですけれど、「病気全体」となると、なかなか壮観です。


風邪については、実は、若い時から自分で何度もそのこと(風邪を引くたびに体が強くなっていく)を経験しているのに、野口さんの本を読むまで、そのことに気づいていなかったのでした。


病弱だった私自身が、「病気は悪い」という観念だけでグリグリになっていた。


ところで、この「ナイチンゲール」という人について、私は何となく勘違いしていまして、彼女のことにふれておきたいと思います。





ナイチンゲールという人の「天性」


この「ナイチンゲール」という人については、子どものころに、多分誰でも読まされるような「伝記」みたいなので知った記憶はあります。


しかし、それよりも男の子たちの間では「ナイチンゲールは無いチン・・・」で始まる駄洒落のほうが印象深いものかもしれませんし、あるいは、「ナイチンゲールは内藤陳ゲ・・・」というような駄洒落を言って、理解できない周囲の子どもたちから糾弾を受ける子どもたちもいました。


そもそも、ナイチンゲールの伝記の内容を、よくは覚えていなくて、「最初の看護師さん?」くらいの印象しかなかったのですが、ナイチンゲール - Wikipedia を見ますと、


東京都出身。プロレタリア文学作家内藤辰雄を父に持つ。7-8歳の頃には高円寺駅の前でゴザを敷き、父と共に読み古しの本の叩き売りをしていた。

高円寺? ああ、これは、内藤陳 - Wikipedia でした。


こういう間違いをそのままにしておくのは少し困りますね(野口晴哉さん風)。


さて、ナイチンゲールですが、1853年に始まるクリミア戦争で、英国軍に看護師として従軍し、そこでの活躍により有名になるのですが、何となくあるイメージ「白衣の天使」というようなイメージとは少し違い、Wikipedia によれば、ナイチンゲールという人は、



超人的な仕事ぶりと必要であれば相手が誰であろうと直言を厭わない果敢な姿勢により、交渉相手となる陸軍・政府関係者はナイチンゲールに敬意を示し、また恐れもした。

オールド・バーリントン通りにあったナイチンゲールの住居兼事務所は関係者の間で敬意と揶揄の双方の意味を込めて「小陸軍省」とあだ名された。


というような人だったようです。


そして、実際、彼女の手腕は、具体的な数値として達せられます(ナイチンゲールは、イギリスにおける統計学の基礎を築いた人でもあります)。たとえば、まだ細菌学が確立していなかった時代なのに、「感染症対策」において、他に類を見ない抜群の効果のある看護対策をとっていたこともわかります。


ナイチンゲールが従軍する前の 1855年までは、兵舎病院での死亡率は 42パーセントに達していたそうなのですが、



新陸軍省は、ナイチンゲールの報告どおり、病院内を衛生的に保つことを命令した。この命令の実施により、2月に約42%まで跳ね上がっていた死亡率は4月に14.5%、5月に5%になったことが後に判明した。

兵舎病院での死者は、大多数が傷ではなく、病院内の不衛生(蔓延する感染症)によるものだったと後に推測された。


この「死亡率を 42パーセントから、3ヶ月間で 5パーセントにまで減らす」というのは、看護の領域というより、これこそ医学だと思います。


というか、その時のお医者さんは何をしていたのかということにもなりますが。


「医学に最も必要なのは愛だけれども、そこに知恵と技術が伴わないと、人を助けることはできない」と言っていたのはシュタイナーですが・・・というか、誤った引用になると良くないですので、抜粋します。



1907年のシュタイナーの講演「病気と治療」より

だれかが脚を折って道路に倒れているとき、愛情に満ちた人々がその人のまわりに立っていても、その人を助けることはできません。

しかし、骨折の治療法を知っている医者がやってきて、知恵によって同情を行為へと移すことができると、骨を折った人は助けられます。

ものごとを認識し、何かをできる能力を持った賢者であることが、人を助けるために必要な基盤なのです。

かつて賢明な存在者たちが知恵を注ぎだしたので、世界には常に知恵が存在しています。知恵は頂点にいたると、すべてを包括する愛になります。愛が未来の世界で、私たちを照らすことでしょう。

知恵は愛の母なのです。知恵に満ちた精神は、偉大な治療家です。ですから、キリストつまり愛は、聖霊つまり治療する霊から生まれたのです。


最後のほうは、キリストなどという単語も出てきて、大変な展開となっていますが、いずれにしても、「愛に満ちているだけでは治せない」ということを言っていると思います。


ナイチンゲールは、「衛生と感染症の関しての知恵があった」ので、英国軍兵舎病院の死亡率を 42パーセントから 5パーセントに下げることができたということなんでしょうけれど、それにしても、まだ、微生物学が確定していなかった 1855年に、なぜナイチンゲールが、「衛生の方法」ということを知り得ていたのかは、なかなかの謎です。


微生物学の歴史 - Wikipedia を見てみますと、


1857年 - ルイ・パスツールが「すべての発酵過程は微生物活動に基づくものである」ということを発表した。

1876年 - ロベルト・コッホによって炭疽の原因となる細菌(炭疽菌)が分離され、その病原性が証明された。

とあり、ナイチンゲールが英国陸軍省に兵舎病院の衛生改善を申し出た 1855年頃は「感染症が細菌から起きる」という観念は一般的ではなかったと考えるのが妥当です。衛生状態をよくすることが死亡率の低下につながるという概念も一般的ではなかったように思います。


また、医者にもその概念がなかったから、医者は死亡率を下げられなかったとも考えられます。しかし、ナイチンゲールは気づいた、と。


いろいろと立派な人はこの世にいますけれど、偉人としてあげられる人たちには、何らかの「天性」があるのかもしれないですね。


ただ、ナイチンゲールは、晩年は苦しかったようです。



37歳(1857年)の時に心臓発作で倒れてしまい、その後は慢性疲労症候群に由来すると考えられる虚脱状態に悩まされた。死去するまでの約50年間はほとんどベッドの上で過ごし、本の原稿や手紙を書くことが活動の柱となった。


さて、そのナイチンゲールの『看護覚え書』からです。





ナイチンゲール『看護覚え書』( 1860年)より

およそ病気というものは、その経過のいずれの期間においても、多かれ少なかれ回復過程であり、それは必ずしも苦しみを伴わない。

つまり病気とは、何週間、何ヶ月、時には何年も前から起こっていながら気づかれなかった病変あるいは、衰弱の過程を修復しようとする自然の努力のあらわれであり、その病気の結末は、病気に先行する過程が進行している間にすでに決定されている。

自然によってすすめられる病気という回復過程は、「新鮮な空気、陽光、暖かさ、静けさ、 清潔さ、食事を与える際の規則正しさや世話」が欠けることによって、「妨害され」、その結果「痛みや苦痛、あるいは過程そのものの中断」 がおこる。

看護としてなすべきことは、自然によってすすめられる回復過程を邪魔している要素を取り除くことである。

自然による回復過程の「邪魔をしないこと」、それは回復を促す自然のはたらきに従うということを意味する。自然のはたらきに従うということは、自然法則、われわれの身体と、 神がそれをおかれたこの世界との関係について神が定めた法則に従うことを意味する。





ここまでです。


ちなみに、


> 自然によってすすめられる回復過程を邪魔している要素


とありますが、現代で当てはまる最大のものが「薬」だと私は考えます。


ナイチンゲールは、つまり、「回復過程=症状を無理に抑えてはいけない」と言っているわけですが、現代医学はその逆の方向にあります。




「病気」に関してのナイチンゲールから後藤艮山までの系譜


看護師の始祖であるナイチンゲールは、


> 病気とは、衰弱の過程を修復しようとする自然の努力のあらわれ


であると言っています。


そして、日本の整体の始祖である野口晴哉さんは以下のように語っています。



野口晴哉『風邪の効用』( 1962年)より

病気が治るのも自然良能であり、病気になるのも自然良能です。

新陳代謝して生きている人間に建設と破壊が行われるのは当然ですから、建設作業だけを自然良能視しようとするというのは、破壊を恐れ、毀(こぼ)れた体のまま無事を保とうと考える臆病な人間です。

生命を保つためには自然のはたらきを活かすことの方が、人智をつくすより以上のことであるということを考えてみるべきでしょう。


シュタイナーも、1928年の講演で、ほぼ同じことを述べています。



シュタイナーの 1928年のイギリスでの講演『病気と治療』より

今日、すでに人間は、医学においての認識の限界にいたっています。「病気とは、何なのか」という問いに、今日の科学的認識は、どのようなものでしょうか。

それは頭の先から足の先まで、自然のプロセスです。

では病気のとき、肝臓、腎臓、頭、心臓で生じるプロセスはどのようなものでしょうか。自然のプロセスです。健康なプロセスは自然のプロセスです。病気のプロセスも自然のプロセスです。


また、江戸時代の医者に、後藤艮山(こんざん)という人がいたそうなのですが、この人は、


「瞑眩せざれば病は癒えず」


と言っていたそう。


瞑眩(めんげん)というのは、一般的な意味では「めまい」となりますが、日本や中国の医学では、「好転反応」のことだそうで、つまり、熱が出たり、発疹ができることです。


また、今では「毒出しの際の反応」という意味でも使われているようです。


後藤艮山の「瞑眩せざれば病は癒えず」というのは、つまり、高熱や症状があれば、病は治るという意味でよいのだと思われます。


と、ここで、これは、ナイチンゲールの「病気は回復である」と同じ意味であることに気づきます。


まあしかし、この「瞑眩」という言葉、めまいそのものの意味でもあるわけで、私も、相変わらずめまいはそのままなんですが、これも「回復である」というようにとらえるのがいいのでしょうかね。


野口晴哉さんは、「健康も病気もどちらも自然良能である」と言っていましたが、森田療法の森田正馬博士も『神経質の本態と療法』の中で、


頭痛、眩暈も、必ず起こるべくして起こる弥陀(みだ)の配剤であれば、煩悶、恐怖も必ずあるべくしてある自然法則の支配によるものである。

と言っています。


「自然に従う必要性」を、森田博士は強く述べます。


あるいは、ジャイアント馬場師も以下のように言っています。


「成り行きと言うと無責任なイメージを持つけど、これほど強いものはない。つまり、自然の流れに逆らわずに正直に生きるってこと」Naver


baba1.jpg




ついに、稀代の看護師であったナイチンゲールから、稀代のプロレスラーであったジャイアント馬場という「二大師」がつながったようです。


ちなみに、江戸時代の後藤艮山のことを知ったのは、免疫療法をおこなっていた福田稔医師(昨年亡くなられました)の以下のブログででした。「熱は最高の治療者」であることがここでも書かれます。



高熱は急激に治癒力を上げる最強の反応
薬のいらない人生 2015.03.19

「瞑眩(メンゲン)せざれば病は癒えず」これは江戸時代の名医・後藤艮山が残した言葉であり、私の座右の銘の一つです。

一般に好転反応と呼ばれることの多い瞑眩は、血流が回復する際に生じる、毒だし反応を示します。体内にたまった毒が排泄される過程にでは、多かれ少なかれ発熱、湿疹などの不快な症状を伴います。

しかし、そこを乗り越え、体が浄化されないと、持ち前の治癒力(免疫力)を発揮できません。瞑眩が起こらなければ、病気は治らないのです。

体は、毒出しを助ける治療を求めています。しかし、体に備わる治癒力を軽視してきた現代医学には、瞑眩という概念はありません。

そこで、湿疹や発熱などの瞑眩を悪者として不要な治療をくり返し、逆に体の毒を増やして、治るはずの病気を治らなくしているわけです。

今、私たちに必要なのは、こうした過剰な医療からの自律です。


この福田稔医師は「医学は薬からの脱却が必要」ということを強く主張していた方で、亡くなったことは残念ですが、今は同じような主張を持つお医者さんがわりとたくさんいることも最近知りまして、それが全体のムーブメントになるかどうかはわからないですが、少しずつでも変わればいいと思います。


ナイチンゲールさんの言っていた「病気は回復である」という概念を無視して、「とにかく症状を消せばいい」と走ってきた西洋医学の結末は、下のグラフでも一目瞭然だと思います。


dr-01d.gif




このグラフが示す事実の意味を考える時期ではないでしょうか。


医療技術は日々進んでいるのに、病人と病死が増え続けている」という意味をです。


このグラフは、今の医学が「基本的には病気を治していない」ことをよく示していると思いますし、そしておそらくは、「現代の医学がむしろ病気を増やしている面もある」ことは、先月の、



 2015年04月10日


などでも書きましたように、ある程度は間違いのないところのようにも思います。


なお、私は「治療しないのがいい」とは、まったく思っていません。


最近は、「病気は放置するのがいい」というような主張もあるらしいのですが、今回の記事に出てきたナイチンゲールやシュタイナー、野口晴哉さんたちのように「治療」を一生懸命考えていた人たちを見ますと、「治療」は大事なことだと思います。


現代の西洋医学には、その「根本」に過ちにも似た考え方がありそうで、そこを修正することができれば、日本には素晴らしい設備と、高度な医療技術と、あるいは人により残っている「医道」の精神が、きっとあるのですから、治療をとんでもなく良い方向に軌道を変えられる可能性はあるのではないでしょうかね。


今、上のグラフを下向きに変えられるかどうか、ギリギリのところにいるような気がしています。




  

2015年05月05日



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▲ 2015年05月03日の南米チリの 24horas より。アントファガスタ県は、アカタマ砂漠を有します。






 



世界最下位を更新中の日本の子どもの比率

今日は、こどもの日ですけれど、ニュースを見れば、


子どもの数 34年連続の減少
NHK 2015.05.04

5日は「こどもの日」です。総務省の推計によりますと、先月1日現在の15歳未満の子どもの数は、過去最少だった去年よりも16万人少ない、およそ1617万人で、34年連続の減少となりました。


というのが報じられていました。

子どもの数自体も、毎年減り続けているのですが、「人口に占める子どもの割合」がすごい。

全人口に対しての子ども( 12歳まで)の占める比率が、約 60年間で「3分の1」になっています。

kids-2014b.gif
朝日新聞

グラフを見ると、1970年代には、子どもが増えていた時もあったようですが、1980年代からは一直線に「減少のみ」となっています。1980年代からの 30年間で、大体 1,200万人くらい、子どもの数が減っている計算になりますかね。

日本の未来 : 子どもに関しての、そして、高齢者に関しての統計データから受けた衝撃
 2015年01月28日

という記事で、日本は「人口に占める 15歳以下の子どもの率では世界最下位」であることなどもご紹介したことがあります。

子供の人口の割合ランキング(191カ国中)
under-15b.gif
WHO 子供(15歳未満)の人口の割合ランキング・国別順位

これは 2010年の時点の調査ですが、ドイツ、日本、カタールの3カ国が 191位の最下位で並んでいました。ししかし、日本の今年の子どもの割合は、NHK によれば、

去年を0.1ポイント下回る12.7%

ということですので、その後のドイツとカタールの人口動勢次第では、単独での最下位になっているかもしれません。

ちなみに、日本は「人口に占める 60歳以上の割合」では、世界一位です。

60歳以上の割合ランキング(191カ国中)
over-60b.gif


これも、今年はさらに引き離した一位になっていそうです。
ここまでくると、日本は、単なる少子高齢化ではなく、「超少子化」であり、「超高齢化」であるといえそうです。

なんかもう日本すごいですね。

このあたりは、もう行くところまで行くしかないようにも思えてきます。

何しろ、34年間もこの傾向がノンストップで続いているということは、対策も政策も効果がないということでもありそうで、とにかく、「弾ける」ところまで進むしかないのかもしれません。

さてしかし、何事も「良い→悪い」、「悪い→良い」というのは循環しているものなのかもしれないと、最近よく思うのですが・・・というか、「そもそも悪がなければ、善は生まれ得ない」というようなことも含めて、たとえば、過去記事の、

ローマ字「 TASUKETE (たすけて)」から偶然導かれた日月神示や神様と悪魔の関係…
 2014年07月26日

に小説『エクソシスト』に登場する悪魔払い師、メリン神父の悪魔の所業に対しての以下の台詞を記したことがあります。

「このような悪からでさえ、善が生じてくる。なんらかの方法でだ。われわれには理解できず、見ることもできない何らかの方法でだ。……おそらく、悪こそ、善を生み出す『るつぼ』であるからだろうな」

このような言葉も、最近は別の意味で改めて強く響くのです。

あるいは、日月神示の、

第21巻 空の巻 第八帖

悪も元ただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ

などもそうですが、冒頭に貼りましたアタカマ砂漠の報道と写真もそのような示唆を含んでいます。




アカタマ砂漠の未曾有の災害が生み出したもの

3月の終わりに、

世界で最も雨の少ないチリのアタカマ砂漠が「1日で7年間分の雨」に見舞われ大洪水…
 2015年03月30日

という記事を書いたことがありました。

今年の3月の終わり頃は、南米の天候がカオス化していまして、以下のようなことが立て続けに起きていました。

south-america-03c.gif
・Google Map

この中の、「チリのアタカマ砂漠で、半日で7年間分の雨が降り、大洪水」という出来事。

アタカマ砂漠という場所は、アタカマ砂漠 - Wikipediaに、


世界でも最も乾燥した砂漠であり、40年間まったく雨が降らなかった地域もある。


と記載されているような場所なのですが、そこで、記録に残っている歴史の中では起きたことがないのではないかというような、信じられない豪雨と大洪水に見舞われるという出来事が起きたのです。

少なくとも、7名の方が亡くなっています。

3月25日のことでした。

洪水で破壊された町
atacama-floods-01.jpg
euronews


この洪水は、大変な被害をアタカマ砂漠の周辺に残したわけですが、冒頭のチリの報道は、以下のようなものでした。


アントファガスタ(アタカマ砂漠を有する県)では、3月の豪雨の後、植物の芽が出始め、その後、砂漠の丘一面が「花が咲き乱れる砂漠」となり、異常な量の花が咲き乱れ、砂漠一面が緑になった。


ということなのだそうなのです。

つまり、あの壊滅的な洪水が、「花の園と化した砂漠」を導いたのでした。

基本的には年中不毛な、いつもは下の写真のようなアタカマ砂漠。

いつものアタカマ砂漠

atacama-desert.jpg
Fodors

それが現在は、どのくらいの範囲の地域でだかは報道に記載されていないのでわからないですが、少なくとも、アタカマ砂漠の一部は下のようになっているのでありました。

現在のアタカマ砂漠

Flowering-desert-p1.jpg
24horas


Flowering-desert-p2.jpg


Flowering-desert-p3.jpg


ちなみに、この現象は、フラワーリング・デザート( Flowering Desert / 花咲く砂漠)と呼ばれるものだそうです。

洪水は確かに大きな災害なのですけれど、その後に、ふだんそこにはない美しい光景が現れる、という出来事に何となく思うところがあったのでした。




苦痛に満ちているように見えるところでも、世界は叡智に満ちている

ところで、最近は、日々の出来事の中に、

「悪の中に善を見出すことができるかどうか」

ということを意識したりしますが、シュタイナーは「心魂の調和を築く方法」として、その中に、「肯定的な態度の練習」というものを挙げています。

つまり、「あらゆる存在や事物、経験に対して、善いところや優れたところ、美しいところ、つまり肯定的なものを探し出す練習」ということで、たとえば、シュタイナーは『人間の四つの気質―日常生活のなかの精神科学』に収録されている講演で、以下の例を挙げています。


この心魂の特性は、イエス・キリストに関するペルシアの伝説に、最もよく述べられています。

イエスが弟子たちとともに歩いているとき、彼らは道端に腐敗した犬の死体を見ました。弟子たちはみな、嫌な光景から目を背けました。ただイエス・キリストだけが立ち止まって、感慨深く、その犬を見つめました。

そして、「なんて美しい歯だろう」と、言いました。ほかの者たちが醜いもの、嫌なものを見たのに対して、イエスは美しいものを探したのです。



というものです。

この「肯定的な態度」は、ものごとだけではなく、すべてのこと、すなわち、経験、感情、出来事などに対しての練習だそうです。

この「肯定的態度」は、さきほど書きました、

・悪こそ、善を生み出す(メリン神父)
・悪憎むでないぞ(日月神示)


というようなところとも基本としては似たものだと思います。

そして、たとえばですが、最初に書きました、「日本の少子化」の中に、何か善いところや優れたところや美しいものを見いだせるか・・・というようなことでもあります。

あるいは、今、箱根山( 3000年噴火していません)の群発地震がえらいことになっていて、この1ヵ月で、そろそろ「 1000回の群発地震」というようなことになっていますが、こういうことに肯定的な見方をすることはできるのかな、と。



1000回の群発地震の渦中の箱根山

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▲ 2015年05月05日の 神奈川県温泉地学研究所 最新の震源分布 より。


特に、ここ数日の増え方はかなりのもので、昨日 5月4日が下のように 762回でしたので、昨日から今日で 214回も地震が発生していたことになります。

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これが噴火と関係しているものなのかどうかはわからないですが、何にしても、私たちは昨年の御嶽山の噴火を経験したばかりです。つまり、「突然噴火する」ということを見ているわけで。

そして、このような箱根山の群発地震にも、不安や心配ではなく、何か善いところや優れたところや美しいものを見いだせるか・・・ということです。いや、見いださなければならないというのが、シュタイナーの主張なのでしょうね。

というわけで、また話が逸れてしまっていますが、先日の、

ネパール大地震での上層大気圏に変化から見る「地震の原因は宇宙にある」こと。そして、恐怖からの解放について「倉田百三氏との苦痛の同体験」
 2015年05月03日

という記事の最後のほうに書きました、シュタイナーが「苦痛」に関して述べた講演を抜粋して、今回は締めたいと思います。

この中に、


私たちの中にいる賢明な者が、常に私たちを苦痛へと導いている。


という内容があり、ちょっと圧巻だったと同時に、目からウナギが落ちた感じでした(こわいわ)。

では、ここからです。




シュタイナー『運命にどう向きあうか』(1912年の講演)より


業に向かい合うと、「私たちが出会う苦痛は、すべて私たちの不完全さが求めたものだ」という確信にいたります。すなわち、私たちが前世から持ち越してきた不完全さが、苦痛を求めたのです。

そのような不完全さが私たちのなかに存在するので、私たちよりも賢明な者が私たちの内におり、苦痛への道を探し求めるのです。「私たちよりもずっと賢明な者が私たちの内にいる」というのが、人生の秘密です。

私たちが通常の生活で、「私」と言っているものには、賢明さが欠けています。この「賢明さの欠けている者」は、放っておくと、苦痛を求めたり、快楽を求めたりします。

「賢明な者」は、私たちの通常の意識が入っていけない、意識の深みに安らいでいます。この賢明な者は、軽々しい快楽から私たちの目をそらせます。

そして、私たちが知らぬ間に、苦痛への道を進む不思議な力を、私たちの内に燃え上がらせます。「私たちが知らぬ間に」とは、どういうことでしょう。

賢明な者は、賢明さの欠ける者よりも力が大きいのです。

賢明な者が不完全な私たちのなかにおり、常に私たちを苦痛へと導いていきます。私たちは内的および外的な苦痛によって、自分の不完全さを取り除き、自分を完全にしていけるからです。

人生の特別な瞬間なら、

「外部の騒がしさ、および騒いでいる私を度外視しよう。私の苦痛に目を向け、内なる賢者が不思議な力によって私を苦痛に導いたのを感じよう。私が不完全さを克服していないので、苦痛が課せられたのだ」

と、私たちは思うことができます。

そうすると、「苦痛に満ちているように見えるところでも、世界は叡智に満ちている」と、感じるようになるでしょう。

このようなことを、繰り返し訓練すると、私たちの心魂のなかに種子のようなものが撒かれるのが分かります。

そして、私たちの内にある陰鬱な感情、虚弱な気分が、明朗な気分、力の感情に変化します。人生の特別の瞬間から、調和的な心魂と力強い人間が現れてきます。



  

2015年05月03日



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5月に入って、私の住む地域は天気も晴れ上がり、穏やかなゴールデンウィークとなっています。

このような清々しい中の話題といいますと、どうしても「病気」と「恐怖」ということになりそうです(そうなのかよ)。

実は、最近読んだ本の中に、神経症がひどかった時代の自分と似た体験をしている方の談話を読みまして、「そういやあ、こんなことあったなあ」と思い出しまして、ちょっと記しておきたいなあと。

その前に、先日のネパールでの大きな地震について、NASA の記録で知ったことがあります。
そして、その記録は、

「やっぱり、地震には上(宇宙)からの影響がありそう」

という考えをさらに深めるもののようにも思いましたので、ちょっとふれておきたいと思います。




ネパール地震でも 3.11 と同じ「電離層の変化」が記録

4年前の、

衝撃のデータ: 3月11日の地震の前に観測された日本上空の赤外線と電子量の急激な変化
 2011年05月20日

という記事で、


マグニチュード9の地震があった前日までに、日本上空の赤外線量と電離層の電子量が増大したことがデータ上で確かめられた。


という米国マサチューセッツ工科大学「テクノロジー・レビュー」の 2011年5月18日の記事を翻訳してご紹介したことがあります。

下の図は、2011年3月5日から 3月12日までの日本列島上空の赤外線のエネルギー量の変化ですが、地震発生前日の 3月10日に、赤外線のエネルギー量が異常な増え方をしていたことがわかります。

2011年3月5日から3月12日までの赤外線のエネルギー量の変化
311-electron-1b.gif
MIT

この赤外線の放出は、地震直前にピークに達しました。

地震発生3日前ほどは震源地周辺での「電子数」も異常な増加を示しました。

また、2010年1月にハイチで発生したマグニチュード7の地震の前にも、衛星によって、超低周波無線信号の大きな増加を示していたことがわかっています。

つまり、最近のデータが示すことは、

巨大地震が起きる「前」に、「高層上空」に変化が見られる。

ということになりそうです。

しかも、3.11 の場合は、「地震の後」ではなく「前」です。

そして、今回のネパール大地震でも、チベット自治区に設置されている GPS 受信機が「電子数の急激な上昇」を記録しました。

報告したのは NASA です。

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NASA


今回の地震の場合は、地震後の変化を示していますが、やはり高層大気に変化が現れていたことになります。

ただ、この現象に関しては、たとえば、マサチューセッツ工科大学などの見解は、「上から」の影響ではありません。さきほどの記事から抜粋すれば、


これらの観測は 「地圏 −大気圏−電離圏結合 ( Lithosphere-Atmosphere-Ionosphere Coupling )」と呼ばれる考え方と一致している。

この考え方は、地震の前日は、断層の大きなストレスがラドンの大量の放出を引き起こすという考えだ。



ということで、地震直前に「断層から放出したラドン」が、高層大気に影響を与えているのではないか、という考え方です。

しかし、私は「地震は上(宇宙)からの影響がトリガーとなっている」と考えています。

理由はいろいろとありますが、過去記事の、

コラム・地震のトリガーについて
 2011年05月21日

に書きましたように、「地震」という現象は爆発的な自然現象で、このような爆発的な反応現象には、トリガーとなる化学的な刺激が必要だという考え方があります。

それについては、「太陽活動と地震・噴火の活動に関しての2つの考え方」という記事に、東京工業大学大学院教授の丸山茂徳さんが、

地震のトリガーが「宇宙線」である可能性

について述べているこを書きましたが、丸山教授は、

「地震の起きるシステムは今まで「力学的」として語られていたが、そうではなく、問題はあくまでトリガー(引き金)であり、つまり、地震は化学的(ケミカル)な反応現象」

だと述べています。

そして、地震ほど巨大な現象のトリガーとなりうるためには、

・非常に高エネルギーであること
・地球の内部に干渉できること


であることが必要だとすると、高エネルギーの上に、どんなものでも通過していく宇宙線以外は考えられないということのようです。

さらに、「地震の原因が上(宇宙)から来ている」とする理由のひとつとして、

3月11日の地震は宇宙空間に近い高層大気にも影響を及ぼしていた
 2011年08月10日

という記事に書きましたように、3.11の地震の際には、上空 80キロメートルから 1,000キロメートルくらいの「超高層大気領域」という場所でも変化が観測されていたことがわかっています。

超高層大気領域というのは下のように、「要するに宇宙空間」です。

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JAXA

そして、2011年3月11日の赤外線の変化を見てもわかる通り、上空の変化は、地震発生の「後」に記録されたものではありません。地震発生より「前」から記録されています。

上空の電子数と赤外線エネルギーの変化は地震の前から記録されていたのですから、普通に考えれば、「地震によって変化した」のではないというようには思うのですが。

さらに、巨大地震の前には、宇宙空間そのもので変化が起きる事例もあります。

謎の「光る雲」がどんどん高度を落としてきている
 2012年06月26日

という記事で書きましたが、

銀雲

と呼ばれる、宇宙空間で見られる銀色の雲のことがあり、宇宙飛行士たちの間で、「この銀雲が現れると、地球で大きな地震が起きる」ことが語り伝えられていました。

宇宙ステーション「ミール」で長期のミッションをおこなったロシア人宇宙飛行士のワレリー・ポリャコフさんが、その銀雲を見るたびに、地上で壊滅的な地震が起きたことを「忘れられない現象」として著作『地球を離れた2年間』に記しています。

まあ、地震の前に、地下からのラドンの放出はあるのかもしれないですが、それがあったとしても、それが超高層大気圏や、あるいは、宇宙空間そのものにまで上昇するというのは、どうも考えにくいことのような気もしまして(地球には物質を高層大気に上昇させる力は基本的にないため)、素直に、

地震の前には、宇宙からの何らかのエネルギーが地球に影響を与える

と考えるほうが妥当のように思います。

そして、この考え方から研究を進めれば、巨大な地震に限定すれば、予知に近いことができる可能性も感じます。

現在は、衛星や GPS により、地球の多くの地域の上空の電子数の変化や、赤外線エネルギーの変化を記録できると思いますので、3.11のように「極端な数値の変化」があれば、それは、「危険な可能性がある」というような。

まあ、そんな単純な話ではないかもしれないですが、最近の記録的な大地震では、多くが「高層上空での変化」が記録されているということは事実ですので、何か予防的な見識につながればいいですね。

というわけで、地震の話を書かせていただきましたが、連休中でもありますし、あまり堅い話題だけでも重いですので、「苦悩と絶望と恐怖」の話題でも軽く書かせていただこうかと思います(その話題の方が重いって)。




人が「物質の統覚と認識」を失うとき

先日の、

「恐怖からの解放」についてのメモ
 2015年04月29日

という記事で、日本の神経症治療法であり、人生の再教育法でもある森田療法を生み出した、森田正馬博士のことに少しふれました。

私自身が、若い頃(からの)神経症で、二十代の頃に森田療法に関しての本を読みまして、少し気が楽になったことがあるのでした。ただし、私自身は森田療法を受けたことはありません。

そのことについて、日付けを見ると、ちょうど1年ほど前の、

パニック障害 30年目の年に思い出す森田正馬の「あるがまま」と谷口雅春の「さとり」のリンク
 2014年05月07日

という記事に、発症するまでの経緯みたいなものを書いたことがあります。

しかし、私の神経症の多才な症状の具体的なことについては、わかりいいものではないですので、書いても仕方ないと思っている面もありまして書いてはいません。

しかし、最近読んだ本の中に、私と比較的よく似た症例の方の談話がありました。

本は、森田正馬博士が、月に1度、患者たちと話し合った会での問答の記録が収められた『自覚と悟りへの道―神経質に悩む人のために』というもので、この本をまとめた水谷啓二さんという方の前書きには以下のようにあります。

水谷さんも森田療法を受けていた患者でした。


『自覚と悟りへの道』まえがきより

森田博士の家では、月に1回「形外会」という会合が開かれ、みんなが自分のありのままをさらけ出して話し合い、博士の批評をもとめることにしていたが、それに出席することが私どもにとっては何よりの楽しみであった。

当時東大の学生であり、博士の家に下宿させていだいた私は、記録係として会場に小さな机をもち出し、座談の内容を筆記し、あとで清書して博士のお手許に届けるのが役目であった。(略)

私どもはその当時から、この記録は遠く後世に残るにちがいないし、また残すべきものであると信じて、できるだけくわしい記録をとるのに努力した。



この水谷さんという方は、その後、「生活の発見会」という森田療法の非医学者による診療所を創設したそうですが、生活の発見会によりますと、


1956年(昭和31年)共同通信社の記者だった水谷啓二が、自宅を解放し主催したのが啓心会(啓心寮と啓心会診療所)で、これが発見会の母体となりました。


ということのようで、水谷さんご本人は 1970年に亡くなったそうです。

その水谷さんが記録して後世に残してくれた、この『自覚と悟りへの道』にある、森田博士や患者の言葉の記録は、まさに水谷さんが書かれているように「この記録は遠く後世に残るにちがいないし、また残すべきものである」といえるものです。

この本の中には数多くの患者(この患者たちは退院後に森田博士のような医師を目指す人が多かったようで、後に多くの精神科医を輩出し、また、多くの著名人が出ました)の方の話が出ていますが、患者の中に、倉田百三さんという方がいました。

この人の語っているところが、私の体験と似ていまして、一種ほろ苦い青春時代を思い出してしまいました。

倉田百三さんというのは、倉田百三 - Wikipedia によりますと、大正、昭和初期に活躍した日本の劇作家、評論家だそうです。

その倉田百三さんもまた神経症を患い、森田博士のもとで入院治療を受けていたようで、『自覚と悟りへの道』の中でも、かなりのページを割いて、倉田さんと森田博士の問答が書かれています。

非常に長いものですが、その中のほんの一部を抜粋してみます。

私も同じような苦痛の中にいたことがありました。
いや、今でも基本的にはそのころと同じなのかもしれません。

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・倉田百三( 1891 - 1943年)



『自覚と悟りへの道』より倉田百三氏の言葉より


私がある対象を見ている時、ふとその対象が動くように感じました。そんなはずはないと思って注視すると、だんだんはっきりと動き出します。

これは! と思って、その動くのを止めようとすると、ますますひどく動き出して、ぐるぐる廻りをはじめました。またか! と私は頭を抱えて苦しみました。ふと、私は、この廻るのが対象でなくて、眼そのものであったらどうだろう、と思いました。すると、とつぜんおそるべき観念が念頭にうかびました。

「もし、眼が眼自身を見たらどうであろう」

私は慄然とし、その瞬間つぎのような推理をしてしまったのです。

「われわれが眠ることができるためには、まぶたをとじなければならない。もし、まぶたがないならば、眼はいやでも物を見ないわけにはゆかないだろう。では、ひとみは、なぜまぶたを見ないのであろうか」

すると、まぶたの裏が見えるのです。見まいとしても、これは見ないわけにはゆきません。もうのがれる道はない! 私は永久に、不断に、何ものかを見ていなければならないのです。したがって眠ることができません。




ここにあるような、

> まぶたの裏が見えることが怖くて眠ることができない

などというのは、何とも異常に響くかもしれませんが、体の部位は様々でも、こういう「思考の矛盾」は神経症者ではごく普通のことだと思います。

それで、倉田さんはその後、不眠は治るのですが、不眠が治った後に「新たな症状」が出始めます。

これが私の経験と何となく似ているのでした。

抜粋を続けます。



『自覚と悟りへの道』より倉田百三氏の言葉より


私は藤沢の家に帰って、病父の枕頭に座っていました。父は眠っていました。そのとき私は思いました。

「私はもう大丈夫であろうか、あの障害はどうなったのだろう」

すると、部屋のふすまの模様が、以前のように動くように見え出しました。気のせいだと思ってもう一度見ると、ますます動いて見えるのです。心を静めて、理性と意志の力でそれが静止していることを信じようとするのですが、ダメです。そうすればするほど、動きは激しくなるばかりです。また強迫観念だ!

それからは、あらゆる対象が動揺し、回転し出しました。世界にただの一つも静止しているものがないのです。土地も畳も波のように動揺します。机上のあらゆる物体、インクつぼからペン軸にいたるまで、みんな動くのです。

本を開けばあらゆる活字が動揺し、回転します。目をつむれば目の内部が動揺し、回転するのが見えるのです。それは、堪えがたいものでありました。

しかしもはや、それを避けようとする気はありません。ただ、あらゆる物象が回転するまで堪えられる日のくるのを、待つばかりでありますが、その日はなかなかやってきません。じっさい、世の中のあらゆるものがぐるぐるまわるまで堪えられるようになるということは、想像できないことでありました。

のちには、その回転が不規則運動になってきました。エジプトの彫刻をのせてある台が、不意に回転をやめたかと思うと、あらぬ方向に動き出しました。ハッと思うつぎの瞬間には、思いもよらない方向に動転します。運命に意志があって、とくに私を憎んでいるのではないか、とさえ思いました。




ここまでです。

この中の、

> 土地も畳も波のように動揺します。

というのも、わりと神経症にはポピュラーじゃないでしょうかね。私も普通にありました。
道路や風景がグネ〜と曲がって見えたりとか。

絵画に「叫び」とかありますけど、あんな世界ですね。あれ描いた人は多分神経症です。

あと、

> 運命に意志があって、とくに私を憎んでいるのではないか、とさえ思いました。

というのは、私もそうでしたけれど、神経症の方は、苦しい時に多くの方が思うことではないでしょうかね。

だから、みんなではないでしょうけれど、神経症の人とか、あるいは何らかのメンタルの問題がある人は、どこかの時点で「神」とか「この世」を考えることが多くなる気がします。

そして、名前は神でも何でもいいですが、まずは「恨んで」、「憎んで」、「罵倒する」というようなところから始まりやすいと思います。私もそうでした。

自分でも自分に起きている症状が異常なことは十分わかっていて、しかも、正気を失っているならまだしも、「完全に理性的」な中でこのようなことを経験しなければならないというのは相当つらいことです。

まあ・・・しかしですね。

少し前に、

ブラック・フラミンゴが現れた地球。そして、数百万人の「ベンゾジアゼピン依存症」が作られている日本(私も危なかったのです)
 2015年04月12日

で書かせていただきました、ベンゾジアゼピン系の精神薬

上の記事では、実際に長く飲んでいた私の体験を含めて、この薬の問題点を書いたのですが、しかしですね・・・これが例えば、倉田さんみたいな重い症状の人でも、

「効く時は一発で効いてしまう」

ことがあるのです(あまり効かないことも当然あります)。

私がそうでした。
しかし、だからこそ、やめられなくなってしまうのです。

医者というより「薬が私を治してくれた」という事実は、強い暗示に変化していき、「薬=救世主」という想いがどんどん自分の中に定着していきます。

そのこともあり、ベンゾジアゼピン系の薬が劇的に効いた人であればあるほど、なかなかやめることができないという悪い循環に陥ります。

しかし、最初は劇的に効いていたベンゾジアゼピン薬も、そのうち効かなくなってくるのですよ。

森田博士の時代は、ベンゾジアゼピン系の薬はありませんでしたが、しかし、どんな薬でも、森田博士は「薬の効果は一時的で、生涯にわたり神経症を完治させる役には立たない」と言っていますので、どんな薬でも、「とん服」以上の役割を持たせてはいけないと今は思います。

この「薬」というのは「物質」であるわけですが、病気を薬などで治すことについて、谷口雅春さんは、『生命の実相 (第1巻)』 (1962年)の中で、「薬(物質)」によって、病気が治ったという暗示を受けることが、人間の完全性を損なうとして、

物質的方法によって病気が治ったということから出発して、生命は物質によって生かしも殺しもできるものなのだという誤れる暗示を受けることになり、自己の生命の霊妙さの自覚が失われてしまう

と述べています。

まあ、薬の話はともかく、倉田百三さんは先ほどのように苦しい状態に陥ったわけですけれど、Wikipedia の経歴を見ますと、



1927年(昭和2年)、神経症を患い、森田正馬の治療を受ける。

1933年(昭和8年)、この頃より親鸞研究を通して日本主義に傾き、日本主義団体の国民協会結成に携わり、機関紙の編集長となる。



とあり、あれほどひどい症状であったにも関わらず、発症後から数年後には活動を再開していたようで、また、倉田さんの著書一覧を見ますと、1932年に『神経質者の天国 - 治らずに治つた私の体験』という本を記していますので、森田療法で「治った」ようです。

それにしても、森田博士は、倉田さんをはじめとして、患者の人たちにどのような答えを返しているのか、とお思いの方もいらっしゃるかと思います。つまり、「どうやって悟りの境地に導いているのか」と。

実は、森田博士は「普通のこと」を言うだけなのです。

倉田百三さんの長い言葉の後に、森田博士の長い回答があります。
そのほんの一部を抜粋します。

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・森田正馬( 1874 - 1938年)


森田博士から倉田百三氏への言葉より

まぶたの裏側が見えて苦しいという強迫観念も、その出発点がすでに間違っております。倉田さんは、眠ることができるためには、”まぶたをとじなければならない”といいますが、私どもは眼にゴミが入ると反射的にマタタキをし、眠くなれば自然にまぶたがたれます。

それは私どもの身体にそなわった自然の機能でありまして、”眠るために”というような目的意識があってすることではありません。また、かりにまぶたの裏をみつめていたとしても、疲れてくれば自然に眠るのであります。



こういう、何とも当たり前のことを淡々と語るわけですが、神経症者は、この「当たり前のこと」が、日常の思想から欠落していることがよくあるのです。それは、その人の持つ見識や知識とは関係ありません。

談話の後半では、森田博士は以下のように言います。


森田博士から倉田百三氏への言葉より

強迫観念から解脱するのに大切なことは、”自然に服従し、境遇に従順である”ことであります。

私どものいろいろな気分は、おこるべき原因があっておこるものでありますから、それをどうすることもできません。それが心の自然であってみれば、抵抗しないで受け入れてゆくよりほかはありません。それが、”自然に服従する”ということであります。

また強迫観念の苦しさのために、会社や学校を休んだり、やめたりしてはいけません。強迫観念は、禅でいうところの ”顚倒夢想(てんどうむそう)”の世界に迷いこんだものでありますから、それを現実の世界にひきもどすには、それぞれの人の置かれた境遇にしたがい、毎日の仕事あるいは勉強に全力をつくすことが必要であります。



ここに唐突に、「顚倒夢想」などという言葉が出てきます。




顛倒夢想と涅槃

これは、般若心経の中の、

遠離一切顛倒夢想 究境涅槃(おんりいっさい てんどうむそう くきょうねはん)

という一節にあるもののようで、お釈迦様が言った言葉のようです。

上の意味は、

「顛倒夢想がすべて消えたら苦の全く起こり得ない涅槃の心境になれる」

というようなことだそう。

逆にいうと、この「顛倒夢想」がある限りは、その人に「苦が沸き起こる」と。

で、この「顛倒夢想」とはどんな意味なのかといいますと、こちらのサイトによりますと、

顛倒夢想
宇宙から観て自分にとって、為(ため)に成るのに嫌い(悪い)、また、為にならずダメに成るのに好き(良い)と感じて、それが完全な固定観念になっている勘違いの感覚。

言い換えると、建設的なのに嫌い、破壊的なのに好きと感じる感覚で、全くの無自覚。良いと信じて知らない内に自分に不幸を導く、本人には全く無自覚な心の癖。

普通平均200〜300個、人によっては400〜500個位抱えている。

とのこと。

要するに、「自分では正しいと思って、行い続けているけれど、それは真理から見れば正しくない」というような「真理とは逆の考え」のことですかね。

お釈迦様は、その「真理とは逆の考え」がすべて消えたら苦の全く起こり得ない「涅槃」の心境になれると。

現代社会の多くの人々が持つ、「理由のない恐怖」とか「迷信を怖れる気持ち」とか、「とらわれ」とか、多くのものが、この「顛倒夢想」と同じものだと考えてもいいのだと思います。

そして、この「間違った思い込み」をひとつずつ捨て去ることが大事だと。

まあ、お釈迦様はそう言いますけれど、普通の人でも何百と持っている「真理とは逆の考え」をそう簡単に全部消すことはなかなかできなそうではあります。

ところで、「涅槃」という言葉も気軽に使ってますけど、どんな意味でしたっけ?

涅槃は、サンスクリット後で「ニルヴァーナ」であるということくらいしか知らないことに気づきました。


涅槃 - Wikipedia

涅槃は、「さとり」〔証、悟、覚〕と同じ意味であるとされる。しかし、ニルヴァーナの字義は「吹き消すこと」「吹き消した状態」であり、すなわち煩悩(ぼんのう)の火を吹き消した状態を指すのが本義である。

その意味で、滅とか寂滅とか寂静と訳された。



難しいのう・・・。

最初に地震のことを書いたりしていて、何だか長くなってしまいました。

本当は、この、苦痛や恐怖の問題として、シュタイナーの 1912年の講演『運命にどう向きあうか』の中に、「苦とは何か」というようなことが述べられていて、その内容をご紹介しようと思っていたのですが、後日にさせていただきます。この講演は、『人間の四つの気質―日常生活のなかの精神科学』という本に収められています。

ただ、その講演から、


私たちは内的および外的な苦痛によって、自分の不完全さを取り除き、自分を完全にしていける


という部分は書いておたきいと思います。

どうやら、シュタイナーは、

「苦痛というものは、人間から不完全さを取り除き、完全になるためのもの」

と定義しているようです。

ちなみに、シュタイナーは、「私たちが前世から持ち越してきた不完全さが、苦痛を求めたのです」とも言っていますが、この主張から見れば、「人間の不完全さ」というものは、次に、また次に、と伝わっていくものらしいですので、どこかの世で「完全」に近づく努力をしなければ、この苦痛の輪廻は消えないものなのかもしれません。

まあ、森田博士は前世の話など興味はなかったかもしれないですが、森田博士の説く「悟り」は、その「完全」に近づくための手段の示唆でもあるのかもしれないと感じた次第でもあります。