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2015年06月30日



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「肯定的記憶」の役割 : ノーベル賞受賞学者・利根川進 MIT 教授が発表した「幸せな記憶を呼び起こすことがうつ病を好転させる」こと



happier-memories-depression.gif

▲ 2015年06月17日の米国マサチューセッツ工科大学 MIT News より。






 


ノーベル賞受賞者が導いた「肯定的記憶」の働き

最近になって、以前よりもさらに「肯定的な思考」と「肯定的な言葉」の重要性を感じている次第ですが、少し前に読んだ記事で、

肯定的な記憶や言葉が、人間の精神状態を現実的に良い方向に支配する

という可能性を示唆するものがありましたので、ご紹介したいと思います。

米国マサチューセッツ工科大学( MIT )の教授であると同時に、さまざまな研究所の所長でもあり、また、1987年に、ノーベル生理学・医学賞を受賞している日本の科学者、利根川進さんが、

「幸せな記憶が、うつ症状を改善させる」

ことを研究により明らかにしたというものです。

これは、曖昧な話ではなく、記事中に、


繰り返し(楽しい)記憶を活性化すると、海馬の中にある歯状回( Dentate Gyrus )と呼ばれる部位の一部に新しい脳細胞の形成を引き起こす


とありますように、幸せな記憶は、「新しい脳細胞の形成」を引き起こすのです。

この実験はマウスでのものなのですが、脳の海馬の中にある「歯状回」という部位に、物理的に、つまり強制的に「過去の楽しい記憶」をインプットすることで、そのマウスたちは、うつ症状が改善したというものです。

アメリカの医学系報道ではかなりの扱いですので、相当大きな発見のようです。

歯状回
Dentate-Gyrus.gif
actioforma.net


さて、このような「脳に物理的な介入をする」という、この方法そのものについては、今の私は、人工的な医療行為は基本的には好ましくはないと思っているのでアレですが、今回の記事から知ったことは、この方法のことではなく、その根底にあるものです。

つまり、

「幸せな記憶を呼び戻すことで、曖昧にではなく、うつ症状が完全に改善するこことがほぼ明らかになった」という事実

は、病院での治療や投薬といったものではなく、「うつ病患者の方々ご本人と、周囲の人たちが自ら治療者となることができる」という明るい兆しが見えることについてです。

今回の研究者のひとりによりますと、うつ病の人は「肯定的な記憶を呼び戻すことを阻害されている」のだそうです。

つまり、うつ病になってしまうと、楽しい記憶はあっても、その記憶自体を引き出しにくい。

だったら、本人もですが、周囲などが「強制的に楽しい記憶を呼び起こそうと努力するだけで、うつ病はかなり改善させられる可能性がある」ということのようにも思います。

そして何よりも大事なことは、今回の論文の主筆の科学者も、

「ポジティブな記憶を与えた場合、彼らをうつ病から防ぐことにもなる」

ということも言っているように、うつ病になっていない人でも、

日頃から幸せな記憶、楽しい記憶、肯定的な記憶を呼び起こすことと、肯定的な想いを抱くことは、うつ病の予防にもなる可能性がある

ということだと思います。

つまり、昨日の、

日本式ファイト・クラブ:この世こそ極楽であることに感謝し、激動でも素晴らしい時代を死ぬまで生きる
 2015年06月29日

に書きましたように、

実際の現実の状況に左右されてネガティブになることには意味がない

というように、どんなにネガティブな状況下でも、肯定的な記憶と思考と言葉で向きあうようにすれば、「マインドまでやられることはない」ということがわかります。

この宇宙は、あるいは神は、人間の身体に強力な自己免疫力を持たせたと同時に、その精神にも強力なバリアを持たせていたことに気づきます。

誰にでも多かれ少なかれある

「幸せな記憶」
「楽しい記憶」
「ポジティブな記憶」


それらは、風邪ウイルスが私たちの身体を守ってくれるように、私たちの精神を守ってくれているのですから、それらの肯定的な記憶を大事に、いつでも肯定的な記憶を引き出せるようにすることも重要だと思います。

記憶の種類は何でも構わないと思います。

そして、ここから思うことは、

「肯定的な言葉を発することも、おそらくは異常に重要」

だということです。

肯定的な記憶が人をうつ病から遠ざけるのだとすれば、肯定的な言葉を周囲に出すことで、少なくとも自分の周囲のメンタルも多少は健全でいられるかもしれない。

周囲がメンタル的に健全で肯定的ならば、そこから自分に戻ってくる言葉も、それほどネガティブなものにはならないのではないかと思います。

つまり、自分が周囲に放つ「言葉」は、結局、自分のいる環境と、そして自分自身に戻ってくるものであり、それだけに、できるだけ肯定的な「言葉」を出すようにするのは、一種の究極のサバイバルのような気もします。




最新の脳科学は「記憶は作り替えることができる」

ところで、今回の MIT のニュースリリース記事の中には、気になる部分もあります。

下のような記述があるのです。


最近、彼ら研究者たちは、そのエングラム(定の記憶を保存する脳細胞のクラスター)に「偽の記憶」を植えつけることができることを示した。

そして彼らは、特定の記憶の感情的な関連付けを「ポジティブからネガティブ」へと切り替えること、あるいは「ネガティブからポジティブ」へと切り替えることができることも示した。



何と、今の脳科学では、

・ニセの記憶を植えつけることができる

・記憶を「ポジティブなものからネガティブなもの」へと変えることができる


のです!

これ・・・脳に直接介入しない方法でおこなうことができれば(たとえば、光とか周波数とか)、自分では記憶だと思っているその記憶そのものが「実際とは違うもの」である可能性などもあるのかもしれません。

目に見えるものはホログラフ(ニセモノ)で、記憶もニセモノだとしたら、何を信じればいいのやら・・・。

と、ここで大事なのは、それが事実だろうと、ニセモノだろうと、「肯定的にのぞむ」ということかもしれません。風景も記憶もニセモノでも、考えること、あるいは自我はニセモノではないです。

考えている「今」だけは真実なのだから、たとえ、周囲のすべてがニセモノであっても、自分で「幸せな記憶」を呼び起こすことはできるはずです。もし、幸せな記憶がないのであれば、「作ってしまえばいい」かもしれません。ニセモノ 対 ニセモノですよ。

こちらには考えることのできる自我があります。
肯定的な記憶なんて、簡単にひょいっと創造してしまえばいいです。

今回のマサチューセッツ工科大学のプレスリリース記事は、かなり長いですので、あまりいろいろと余計なことを書かないで、本文に入ろうかと思います。

ただ、その前に、中村天風さんの下の肯定的態度についての言葉を掲げておきます。


中村天風『運命を拓く』より

習慣として、何でもいいから、感謝と喜びで人生を考えるよう習慣づけよう。この心がけが、宿命統制にすこぶる効果があるということがわかるなら、宿命統制ということがさほど困難でないと悟れることと思う。

まことに、真理こそ絶対である。

そこで、感謝と歓喜の心で人生を活きるのには、宇宙霊の心を、自己の心となさねばならない。宇宙霊の心は、絶対積極であり、真と善と美のみである。

感謝と歓喜に満ちた善き言葉と行為は、人生の花園に善き幸福という実を結ぶ種子である。

だから、常に最高の運命を招くべく、いかなるときにも、すべてを感謝と歓喜に振りかえるよう、積極的な態度を、心を命じて活きるようにしよう。これが宇宙法則に従順に従うことになり、またそうするなら、宇宙法則も当然、我々によき運命を与えてくれるに決まっている。



それでは、ここから本文記事です。

そして、実験で苦労されたマウスたちにも感謝したいと思います。




Recalling happier memories can reverse depression
MIT News 2015.06.17


より幸せな記憶を呼び戻すことで、うつ病を改善させられる


マサチューセッツ工科大学( MIT )の科学者たちは、うつ病の患者に対して、発症前に形成された幸せな記憶を再活性化させることにより、マウスのうつ病の症状を治すことができることを示した。

これは、人工的に「肯定的な思い出」を再活性化することにより、従来の抗うつ剤に代わるものを提供することができる可能性がある。

6月18日に発行された科学誌ネイチャーに記載された知見は、この、うつ病患者が楽しい体験を思い出すことが推奨される心理療法を成功させることが可能であることについての説明を提供している。

研究者たちは、記憶が保存されている脳細胞の操作による、うつ病治療の新しい方法を提案する。

また、既存のほとんどの抗うつ剤は、脳全体へ影響するための副作用があるが、研究者たちは、この新しい方法の治療は副作用がほとんどないと確信している。

マサチューセッツ工科大学の教授であり、理化学研究所脳科学総合研究センターの代表を務める利根川進教授は、以下のように述べる。

「脳の中のうまく機能していない記憶回路の部位を特定、あるいは、その部位を活性化させることは有益な結果をもたらすでしょう。この方法は、脳内のどこにでも薬物機能してしまう薬物療法ではない、脳回路の特定の部位をターゲットにした新しい医療技術が開発される可能性があるのです」

これと同じ干渉をヒトに対しておこなうことは現段階では不可能だが、「この種の分析は、特定の疾患を対象として、その場所に関する情報を提供します」と、利根川教授は述べる。

今回の論文の主筆は、大学院生スティーブ・ラミレス氏だ。



記憶のコントロール

2012年に、利根川教授、ラミレス氏と同僚たちは、特定の記憶を保存する脳細胞のクラスターを特定し、それを再活性化できることを報告した。脳細胞のクラスターは、エングラム( engram / 記憶痕跡)と呼ばれる。

最近、彼ら研究者たちは、そのエングラムに「偽の記憶」を植えつけることができることを示した。

そして彼らは、特定の記憶の感情的な関連付けを「ポジティブからネガティブ」へと切り替えること、あるいは「ネガティブからポジティブ」へと切り替えることができることも示した。

彼らの最新の研究では、既存の記憶を再活性化する能力を、うつ病を治療するために利用できる可能性を発見しようとしていた。

これを行うために、研究者たちは、マウスに初めて「楽しい体験」を浴びせた。

すべてのマウスはオスで、このオスをメスと遊ばせて楽しい記憶をつくった。

この間、記憶痕跡をエンコードした海馬中の細胞を、青色の光に応答して神経細胞を活性化する光感受性タンパク質で標識した。

ポジティブな記憶を形成した後、研究者たちは、マウスを慢性的なストレスにさらすことによって、マウスにおいて、うつ様症状を誘導した。

これらのマウスは、困難な状況に直面したときに簡単にあきらめてしまい、楽しむことができないというような、人間のうつ病とよく似た症状を示した。

しかし、そのマウスたちに、過去の楽しい記憶を持つニューロンを最活性化することで、うつの症状を改善させることを見出した。

これらのマウスは、それまで、長い間うつ状態であったことなどはなかったように振る舞ったが、それは楽しい記憶が活性化されている間の時間と比例した。

別の組の実験では、研究者たちは、マウスが抑うつ行動のためのテストを受ける前に、5日間、一日2回、15分間、ポジティブな記憶を再活性化することによって、より長時間の症状が改善することが見出された。

繰り返し記憶を活性化すると、海馬の中にある歯状回( Dentate Gyrus )と呼ばれる部位の一部に新しい脳細胞の形成を引き起こすことを研究者たちは発見した。


「脳の力を活用する」

主筆のラミレス氏は言う。

「うつ病に苦しむ人々は、脳内に肯定的な経験の記憶を持ってはいるのですが、それらを呼び戻すために必要な脳の部分が壊れているのです。私たちがマウスの実験で行ったことは、その回路を迂回して、強制的に楽しい記憶へとジャンプさせるということでした」

「私たちは脳の力を利用し、脳自身の中から、そのポジティブな記憶の活性化を強制的におこなったわけですが、あなた方は、人に対して、強制的ではなく自然にポジティブな記憶を与えた場合、彼らをうつ病から防ぐことにもなると考えられます」

利根川教授は、今回の研究は、一部のうつ病患者の心理療法の方法について、科学的な説明を与えることができることを示唆していると述べる。

「うつ状態は、肯定的な経験を呼び起こすことを抑制しています。精神科医は、心理療法で、肯定的な記憶を上書きしようとしているのです」

同時に、この調査結果は、うつ病治療の新しい方法を開発する可能性のアプローチを提供すると研究者たちは語る。

科学者たちが特定の脳の回路を刺激するための、脳内への器具等の挿入を必要としない方法を開発することができれば、光遺伝学を使用して、今回の研究と同様の効果を得ることができるかもしれない。

これが達成する一つとしては、脳の特定の部分に電気刺激を送り、脳ペースメーカーの注入を必要とする深部脳刺激の、より標的化した形態となり得る。

深部脳刺激は、パーキンソン病、うつ病、強迫性障害などを治療するために、ときどき用いられる。

今回の研究は、理研脳科学総合研究センター、ハワード・ヒューズ医学研究所、および JPB財団 によって資金を供給されている。



  

2015年06月29日



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budda-satori-clare.jpg「人間はもとより、禽獣虫魚も山川草木もみな成仏して、それぞれに大光明を放っており、昨日まで穢土(えど)と思っていたこの娑婆世界が、そのまま極楽浄土であることに気が付いた。このように開悟すれば娑婆即浄土であり、大調和の世界である」

(仏陀が悟りを得た時に叫んだとされる言葉 / 西光寺 - 極楽浄土より)







 




ホワイトハウスのダブルレインボウ

少し前に、

宇宙にも地球にも「虹の現象」が広がっている。そして、その虹はイスラエルの伝説では「地獄の釜」の象徴でもあり
 2015年06月24日

という記事で、「最近、いろいろな場所で虹に関しての報道がある」ことや、虹にまつわる伝説の中には、イスラエルのもののように「虹の下には地獄の釜がある」というようなものもあることなどを書きました。

その後、検索してみると、その時にもご紹介した「二重の虹」が、この1週間ほどは各地で見られていたようなのですね。全部がリアルタイムのものではないでしょうけれど、わりと全世界で、「二重の虹」が出現していたようです。

double-rainbow.jpg
Google


そんな中で、印象的だったのは、アメリカのホワイトハウスの上空に、二重の虹が出現したという投稿を見たことだったかもしれません。6月26日のことです。

white-house-rainbow.jpg
patheos.com


写真はあまりはっきりとしていないので、ダブル・レインボウと書きこまれていないとわからないような淡い二重の虹ですが、いずれにしても、「ホワイトハウスの真上で虹が輝いた」ということは、イスラエルの伝説に従えば、

「ホワイトハウスに地獄の釜が登場した」

というようなことにもなるのかもしれません。


さて、しかし、今日のテーマは、それらのこととはまったく関係なく、前回の記事の、

世界に溢れる「未来への否定的な態度」から肯定的姿勢を学べるか。ギリシャのデフォルト、中国市場の崩壊、戦争の足音、小惑星衝突…etc
 2015年06月28日

などのような世の中を生きていることをどう捉えるかというような話として、資料的にいくつか提示しておきたいと思います。

冒頭に載せましたのは、お釈迦様が悟りを開いた時の言葉だそうで、つまりは、

「今、生きているこの世界こそが極楽浄土だと気づいた」

ということになります。

死後の世界や、他の場所に極楽があるのではなく、この世こそが輝く極楽だと気づいたことが、お釈迦様の悟りとなったようです。


西光寺 - 法話 極楽浄土 より

真如の世界には生前と死後の区別が無いのです。
般若心経の「不生不滅」の意味はそのことを言っているのです。
あの世とこの世の区別が無いということは地獄や極楽はあの世にもこの世にも在るということです。

この世に生きている私たち自身の今のそのままの心が、地獄から最高は極楽浄土まで行ったり来たりしているのです。
地獄も極楽もすべてこの身の内にあるのです。

遠い遠いと思って旅してきました極楽への旅は「ここ」こそ極楽だったのです。



私もおおむねこのことを思って生きています。

もっとも、私の場合は、地獄も大きく同居しているわけですが。



今の時代は恐怖と不安をさえも訓練に活用できる幸福な時代

金融崩壊、経済破壊、戦争、自然災害、環境汚染、食品汚染、人心の荒廃、増え続ける病気、薬害、少子高齢化社会……と、いわゆる懸念とされている問題は山ほどあります。

しかし、冷静に考えれば、これほどネガティブな案件が世に満ち溢れている時代は、そうはないわけで、そこを考えると、肯定的態度の訓練にこれほど適した世の中はないとも言えます。

その観点からは、

「なんて恵まれた時代を生きているんだ」

と思わざるを得ません。

イエス・キリストもシュタイナーも中村天風さんも野口晴哉さんもお釈迦様も、あの人もこの人も、多くの賢人やプロレスラーの(プロレスラーはまあいい)誰もが口を揃えて言うことは、

「すべてを肯定的に考えなさい」

ということだと思います。

それは、肯定的な時代に生まれた時にそう考えるのではなく、どんな険悪な時代、それはたとえば、そこにもここにも核兵器が落ちまくるような時代に生まれても、

「ああ、素晴らしい毎日だなあ・・・と思え!

と、先の賢人たちは私たちに「命令」しています。

思える、とか、思えない、とかの選択ではなく、前向きに、明るく、楽しく、勇気をもって、肯定的に考え「なければならない」と私たちは命じられているのです。

イエス・キリストやお釈迦様などに関係した宗教に帰依しているのなら、それは、宗教上の義務でしょうし、私のように無宗教なら、自分自身でそれを心に留め置かなければなりません。

根本的に今までの考え方は間違っていたかもしれません。

平和だから素晴らしい。
健康だから素晴らしい。
自然が多くて素晴らしい。


それはそれで良いとしても、では、その逆の状況に放り込まれた時、人はどのように考えるでしょうか。

おそらくは上の「逆」の方向に考え始める。

そして、「思考は現実化する」という概念でいえば、世の中は「素晴らしくない」と感じられる世界になっていく

さらには、

平和だから素晴らしい。
健康だから素晴らしい。
自然が多くて素晴らしい。


この問題点がどこかおわかりでしょうか。

「《自分の存在の素晴らしさ》を一義的な発想としていない」点です。

基本は、この世は、「自分がいるから素晴らしい」ということ以外では語りにくい面があるかもしれません。

やや考えにくいことかもしれないですが、ここは、お釈迦様を信じてみましょう。

先ほど並べましたような「金融崩壊、経済破壊、戦争……」に対して、一般的に抱く感情はどのようなものでしょうか。

それは、

「恐怖」

だと思われます。

そして、今の世の中は、報道でも、病気の喧伝を含めたメディアなどでも、「恐怖を先行させて広める」ということが一般的であるため、自分の頭で理解する前から、「それは怖い」ということになりやすい社会です。

しかし、「恐怖」という観念がどれだけ「本当の恐怖を人にもたらすか」ということに関して、いくつか、他の方の言っていることを載せてみたいと思います。

これに関しては、多くの人が同じようなことを言いますが、自分の持っている資料の中で、特に「まったく同じこと」を言っているおふたりがいます。

ひとりが自称プレアデスの人である方、もうお一方は、日本で最初のヨガの行者であり、現在までも多くの信奉者を持つ中村天風さんです。

おふたりとも、「恐怖の観念を自分の中に持つことによって、そこに実際に恐怖がやって来てしまう」ということを書いています。

では、まず自称宇宙人のほうから(だんだん呼称が大ざっぱになってきてるぞ)。

プレアデス+地球をひらく鍵』という本からの抜粋です。




『プレアデス+地球をひらく鍵』光体の定着より

恐れる気持ちこそ最大の敵です。あなたに恐れの気持ちが出てきたとき、あなたの力は失われるということを忘れないでください。

あなたが何かを恐れているとすれば、それは頭上に大きな看板をかかげて、「大歓迎! 私はあなたを待っています!」と恐れているものに呼びかけているようなものです。

恐怖心をライフスタイルそのものにしてしまって、人生を恐れているという気持ちを放送しているかのような生き方をすると、あなたの身体は閉鎖され、生命力は殺されてしまいます。

これがストレスを生み、病気を引き起こし、年をとる原因をつくり出します。
あなたの思いがあなたの現実を作り出します

恐怖心のなかで生活していると、すべてのものを追い払ってしまいます。あなた自身の力をも追い払ってしまいます。

あなたの論理的な考えにとって非常に馴染みのない何かに直面するときには、明確な意図、途方もない勇気、そして自分は絶対に安全なんだという気持ちと、平然とした気持ちを持たなければなりません。






次は中村天風さんの歴代の講演をまとめた『運命を拓く』からです。




中村天風『運命を拓く』より

どんな精神統一の下手な人でも、「おっかないなあ、怖ろしいなあ」と思ったときは、本人自身は気が付いていないかもしれないけれども、その恐怖の程度が深まれば深まるほど、恐怖観念が発動して、その観念は知らず知らずの間に確実に集中されるであろう。

だから、「おっかないなあ」と思った事柄は、どんな物覚えの悪い人間でも、たとえ思った時間は瞬間であったとしても、終生忘れていないであろう。

さあ、そこで考えてみよう。

一生忘れないような深刻な記憶に出来るくらいに、瞬間的でも、観念が集中されたとすると、それが宇宙霊の力を受け入れる”鋳型”が用意されたことになる。

そのとき出来上がっている”鋳型”というものが、良かろうと、悪かろうと、極めて確実な”すがた”が出来上がったことになる。

そうすると、その恐怖している事柄が、やがて事実となって現実化してくる。否、むしろ、そうなるのが当然である。

何はさておき、有意義な人生を活きるには、どんな場合があろうとも、恐怖観念で物事に応接しないようにすることが、本当に戒むべき人生の鉄則である。

感情というものは、その種類が、いかなるものであろうと、我々の肉体や、人格に影響せずにはいられないように出来ているのである。

だから、常に感謝と歓喜という積極的な感情を持っていれば、肉体や人格に積極的な、非常に大きな、良い影響を与えるけれども、反対に、怒ったり、怖れたり、悲しんだりする、消極的な感情や情念は、実に悪い影響を持っている。

中でも、この恐怖というものは、恐ろしいほどの印象力を持っている。印象力を持っているのであるから、早晩、その怖れている事柄が、現実になって、形象化されるのが当然である。





自称宇宙人と中村天風さんは、「上から目線」という点でも共通していますが、それはともかく、特に中村天風さんの言葉というのは、この他にも、いろいろな部分で、よく考えさせてくれます。

中村さんは、「人間は形としては存在しない」ということも喝破されていて、


中村天風『運命を拓く』より

繰り返していうが、人間の生命の本体というものは、形ある肉体ではない。ちょっと考えると、形のある肉体であるかのごとく見えるが、実は形の見えない気の中にあるのである。

だから、完全に、生命を活かす計画の成就は、生命の本体たる霊という気を、完全なる姿で、この生命を確保しなければならない。



ということを何度もおっしゃっています。

中村さんのいう、

> その恐怖している事柄が、やがて事実となって現実化してくる

というのは、生まれつき不安と恐怖観念の強い私は何度も経験しています。

そして、逆の「恐怖がなければ恐怖はやって来ない」ということも、これも、具体的に書くと長くなりますので、今は省略しますが、何度も経験しています。

考えてみれば、私の若い時・・・まあ今も多少そうですが、その趣味傾向といえば、パンクやノイズなどのアンダーグラウンド音楽に、前衛だったりグロテスクだったりするアンダーグラウンド・アートだったり、映画にしても、妙な映画や恐怖映画、グロテスク映画を山ほど見たりといったように、私は、

「ほぼ完全なネガティブ傾向を持つ人間」

であります。

では、世の中から見れば、ネガティブにしか捉えられない、それらの文化や表現が、私たち自身にとってネガティブだったかというと、そんなことは全然ないわけです。

ムチャクチャな表現や音楽を聴いて、心から幸せな気分になったり、「明日も何とか生きよう」と思って過ごせたりしたのです。

人は誰でも、ちゃんと「その人に対応した幸せと肯定的なコトやモノ」が自然と与えられるようになっていると思いましたし、あらゆる人は、目指さなくとも、それぞれが自然とその方向に導かれていくはずです。

それを見逃さないことと、自然に受け入れることが大事だと思います。

思えば、人生というのは、悲観的になっている部分以外では、実に素晴らしいものだったということが今となってわかります。

「悲観的になっている部分」として、私の「壁」となっていたのは、いつも「病気」でした。

若い時は、

…薬漬け幼児だった私がその後の十数年経験した「免疫回復戦争」の地獄体験記
 2015年04月21日

に書きましたように、小児ぜんそくや、風邪の連続。

青年期からは、「メンタル」のほうも加わり、今でも継続中ですが、神経症と強迫症をずっと持っています。

しかし、「風邪」に関しては、上の記事にも書きましたように、風邪は、ただ私をいじめるために引かせていたのではなく、

「風邪のウイルスは幼い私を助けるために一生懸命、風邪を引かせていた」

のです。

多分、今思えば、ぜんそくの薬は強烈な「遮断薬」ですから、子どもの時から私は平熱が低い状態だったように思います。度重なる発熱がなければ、もっと大きな病気をして、おそらくは若くして死んでいたと思います。

風邪ウイルスが二十代までの私を救ってくれたことに、野口晴哉さんの『風邪の効用』を読んで知るに至り、

「病気というのは完全に肯定的な存在だった」

ことを知ります。

この風邪の効用について知ったのは、ほんの2ヶ月ほど前のことです。

最近、私が社会の急変の可能性について妙に述べるのは、「最近の自分自身に起きることの量とスピードがこの3ヶ月間ほどで極端になってきている」こともあります。

良い意味とか悪い意味とかではなく、「最終局面」を感じます。

それはともかく、病気が肯定的なものだというのならば、若い時から関わりあっている神経症も「肯定的以外の何ものでもない」とは思います。

しかし、これはそう完全にそう思うわけにも感じるわけにもいかない段階で止まっていますが。インストタントな方法はない、ということもわかっています。

メンタル系の病気にとっては、その最終的な治療法は、さきほどの中村天風さんの言葉の、

繰り返していうが、人間の生命の本体というものは、形ある肉体ではない。

という観念を「論理的に」獲得することにありそうです。

これは「何となく」では駄目だと思います。

この世というのは、どんなことも極めて論理的であり、理性的な道筋でのみ、すべてが解決すると最近の私は思っています。

まあしかし、これはまた私個人の話となってしまいましたので、それはいいです。

自分の病気のことは、いつかは自分で何とかなるはずです。
何しろ、「病気はすべて肯定的なもの」なのですから。

何の記事だかわからなくなってきましたが、とにかく、こんな否定的な世の中に生きていられることは、まさに肯定的思考の訓練の場としては最高なのですから、私たちは今の世の中に生きられることを死ぬほど感謝しなければいけないと思った次第です。




混乱の中でも日本人の庶民は死を恐れなかった

締めに、ふたつの文章を載せておきたいと思います。

ひとつは、先ほども登場しました自称宇宙人が語る「地球の混乱」の話。

「これからの混乱にはいかなる準備も役に立たない」と言っています。

もうひとつは、1857年(安政3年)から、長崎で海軍の教官として、幕臣たちに教えたオランダの海軍軍人のカッテンディーケ( 1816 - 1866年)という人の文章です。私たち日本人はもともとは「死をまったく怖れず、死さえも笑い飛ばす」人たちだったことが示されます。


『プレアデス+地球をひらく鍵』より

エネルギーが加速されると、あなた方の惑星にさまざまな破壊がもたらされ、一夜にして起こる急激な変化ともあいまって、非常な混乱が生じることになるでしょう。

あなた方の記録に残る歴史において、これほどのエネルギーが地球に満ちたこともなければ、現在あるような意識が地球に存在したこともありません。

したがって、これから訪れるものに対していかなる準備もすることはできません。まったく何もできません。さまざまな出来事によって引き起こされる急激な変化は、あなた方の想像力をはるかに超えたものです。

あなたの最善のあり方に焦点をしぼり、あなた自身が周囲のさまざまな蓋然性に影響をおよぼすということを知ってください。あなた自身にとっても、これは大きな変化を引き起こす機会となるだろうことを知ってください。

あなたの松果体は、光のエネルギーの注入によって活性化されつつあり、これによって新しい可能性のヴィジョンが解放されるでしょう。このヴィジョンにおいては、平和と自由が心のなかで感じられ、認識されるでしょう。



150年前の日本人の死生観

1897年の葬儀の様子
15-soushiki2.jpg
日本人自らが撮影した 120年前の日本の光景

逝きし世の面影』より

彼らにはいつでも死ぬ用意があった。侍の話ではない。ふつうの庶民がそうだったのである。

カッテンディーケは言う。

「日本人の死を恐れないことは別格である。むろん日本人とて、その近親の死に対して悲しまないというようなことはないが、現世からあの世に移ることは、ごく平気に考えているようだ」。

「彼らはその肉親の死について、まるで茶飯事のように話し、地震火事その他を茶化してしまう。……私は長崎の町の付近で散歩の途次、たびたび葬儀を見た。中にはすこぶる著名の士のそれさえ見たが、棺は我々の考えでは、非常に嫌な方法で担がれ、あかたもお祭り騒ぎのように戯れていた」。

ヴェルナーも長崎で葬列に出会い、参列者が「快活に軽口を飛ばし、笑い声をたてて」いるのを見た。

「死は日本人にとって忌むべきことではけっしてない。日本人は死の訪れを避けがたいことと考え、ふだんから心の準備をしているのだ」と、彼は思わずにはいられなかった。



  

2015年06月28日



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▲ 2015年06月08日の英国 Yahoo! News より。






 



予測不能の示唆「バタフライ効果」

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Zero Hedge

前回、

なぜ、アメリカから超富裕層たちは逃げ出しているのか…
 2015年06月26日

という記事を書きまして、「今」のこの期間というか時代というのかは、わりと強力な変化の瞬間に近い場所なのかもしれない、というようなことを感じたりしたわけですが、その記事を書いた後に、「ギリシャのデフォルト濃厚」というような報道が出ていました。

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ユーロ圏、ギリシャ金融支援打ち切り決定 デフォルトが現実味
FNN 2015.06.28

財政危機に直面するギリシャは、緊縮策受け入れの是非を問う国民投票の実施を議会で承認し、金融支援の延長を求めましたが、EU側はこれを拒否、支援を今月末の期限に終わらせる方針を示し、ギリシャがデフォルト(債務不履行)に陥る可能性が高まっています。

「ギリシャの現在の状況を考えると、残念ながら金融支援は30日の夜に終わらせると結論づけなければなりません」(ユーロ圏財務相会合 デイセルブルム議長)

これにより、ギリシャがデフォルトに陥る可能性が極めて高くなりました。

一方、ギリシャ議会は7月5日に国民投票を行うことを承認しました。ただ、国民投票を実施する前にデフォルトに陥る可能性が高く、これを回避する手だてはほぼ尽きた感があります。



まあ、事前にこれだけ報道されていれば、実際にデフォルトしても、ショックは少ないかもしれないですが、これまで延々と「デフォルトしそう→大丈夫」を繰り返していたわけで、本当にデフォルトすれば、まったく影響がないとはいえないのかもしれません。

ギリシャでは、現金を引き出そうと市民たちが銀行や ATM に長い列を作っている様子が伝えられています。

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BBC


もう少し事態が進むと、ATM の支払い停止とか、取り付け騒ぎとかの話になるのかもしれませんし、ならないのかもしれません。

そして、このギリシャの件とは関係ないのですが、「中国の株式市場がムチャクチャになっている」というのもあります。

特に、上海総合という株式指数が、6月26日には「 7.4パーセント」の急落というのか暴落というのか、そういうことになっています。

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世界の株価指数


この 7.4パーセントの急落という率はかなりもので、最近の日経平均にあてはめますと、1500円くらいの暴落を演じるのと同じことになり、普通の下落とは言い難い面はあります。

しかも、最近、中国の株式市場は、こんなような値動きを繰り返していて、

「なんかヘンなことになってきている」

とは実は誰しも思っているところに、確定したわけではないとはいえ、ギリシャのデフォルトなどで、何だかやっぱりいろいろ荒れるのかもしれないですし、荒れないのかもしれません(それは誰にもわかりません)。

前回の記事には、アメリカの金融ブログ「ゼロヘッジ」の記事をご紹介したのですが、そのゼロヘッジの最新の記事は「ギリシャのバタフライ効果( The Greek Butterfly Effect」というタイトルのものでした。

その出だしは以下のようなものです。


長い時間、何も起こらない時間が何度も過ぎていった。
そして、突然、一度にすべてが発生する。ダムの決壊のように。
それはゆっくりと築き上げられ、瞬間的に弾ける。



ちなみに、「バタフライ効果」というのは、バタフライ効果 - Wikipedia によりますと、

バタフライ効果とは、力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化がなかった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象。

気象学者のエドワード・ローレンツによる、蝶がはばたく程度の非常に小さな撹乱でも遠くの場所の気象に影響を与えるか?という問いかけと、もしそれが正しければ、観測誤差をなくすことができない限り、正確な長期予測は根本的に困難になる、という数値予報の研究から出てきた提言に由来する。

というもので、このエドワード・ローレンツという気象学者が、1972年に、

「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?」

というタイトルの講演をおこなったことが「バタフライ効果」という表現の由来となったのだそう。

ブラジルの蝶とテキサスの竜巻
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難しそうですが、要するに「1匹の蝶の羽ばたきが、他の地域の竜巻の発生に関係するかどうか」というようなカオス的な考えの意味は、「予測することができない系統のことを述べている」話だと思われます。




2015年という年がどうなるかはわからないけれど

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▲ 2014年10月03日の記事「西暦が始まって以来の「4回連続する皆既月食」(テトラッド)の発生はたった8回。そして、その時に起きていたこと」より。


考えてみれば、この 2014年から 2015年というのは、もともと「荒れそうな気配で進みそう」だということは、過去記事などで書いていたことでした。

昨年4月の、

赤い月と黒い太陽: 2014年から 2015年まで「4回連続する皆既月食」がすべてユダヤ教の重要宗教祭事の日とシンクロ…
 2014年04月06日

という記事から何度か記していますが、今は、「テトラッド」という「皆既月食が4回連続で起きる」という下の時期の中にいます。

passover-2014-2015-06.gif


それがどうしたといわれれば、確かに何がどうということもないわけですが、過去の同じような時期は、いろいろな混乱が起きていたということも、ある期間に関しては事実でもあります。

また、現在を除けば、過去 1000年で3回ほどしか起きていない現象のうちの2回が、イスラエルの「過越」(すぎこし)という祭事と、「仮庵(かりいお)の祭り」と日にちをシンクロさせていて、また、過去のその時には、中東とイスラエルをめぐる戦争のシンクロが起きています。


第一次中東戦争 (1948-1949年)
(※)イスラエルでの名前は「イスラエル独立戦争」

1949年04月13日 皆既月食 過越
1949年10月07日 皆既月食 仮庵の祭り
1950年04月02日 皆既月食 過越
1950年09月26日 皆既月食 仮庵の祭り




第三次中東戦争(1967年)
(※)イスラエルでの名前は「六日戦争」

1967年04月24日 皆既月食 過越
1967年10月07日 皆既月食 仮庵の祭り
1968年04月13日 皆既月食 過越
1968年10月06日 皆既月食 仮庵の祭り



ちなみに、上の2つのテトラッドの時期は、

・朝鮮戦争(1950 - 1953年)
・ベトナム戦争(1960 - 1975年)


という大きな戦争とも重なっています。

最近のテトラッドの期間は「戦争」とのクロスが大きいです。

そういえば、2014年4月15日から始まった現在のテトラッドの期間が終わるのは、今年 9月28日ですが、その 9月28日が絡む「非常に否定的な噂」に関しての報道を最近読みました。

少し前のイギリスの Yahoo! News に出ていた冒頭に貼りましたニュースです。

非常に適当な感じの噂や予測なんですが、9月28日という日付けがテトラッドの終わりの日とシンクロしたことには興味を引きましたので、ご紹介したいと思います。

信憑性は基本的にない内容で、報道自体もそのようなスタンスではありますが、内容がどうのこうのというよりも、「世界に溢れる未来への否定的な態度」に私たちがどのような態度で望むか、とか、あるいは、

「地球はどういう経過を踏むのであれ、変わらなければならない」

ということについてどう立ち向かうかということに関しては、最近、世界に否定的なストーリーが数多く飛び交っていることは、むしろ「考える」いい機会になるとも思います。

あらゆるタイプのストーリーや事実の中から「自分にとっての真実の出来事」を拾っていく作業をして生きるというのも、それほど無駄なことでもないのかもしれません。

あるいは、それこそすべてが「ホログラフ」なのかもしれないというような話も現代物理学の中には確かにあるのですから。

私たちが、「何を見て」、「何を考えるか」ということを考えるために良い時期に生きられていることは幸いだと思います。

では、ここから Yahoo! News の記事です。




The World Is Going To End In September (Apparently)
Yahoo! News(英国) 2015.06.08

世界は9月に終わるらしい(どうやら)


地球と衝突する軌道を持つ巨大な彗星があると陰謀論者たちは言う

最近、陰謀論者たちは、巨大な彗星が地球に衝突するコースをとっており、今年9月に地球の文明は消滅するという主張を繰り返している。

日付としては 9月22日から 9月28日までの間の任意の時間が予測されているという。となると、あと3ヶ月ということになる。

聖書の預言を信じるプロテスタントにおけるキリスト教終末論(携挙 / Rapture )者たちは、長く、この「世界の終わり」について様々なウェブサイトで説を展開し続けて、それを信じる人々も多い。

また、彼らは、この世界の終わりについて、世界の政治家たちはすでに知っているが、パニックを避けるために一般大衆には公表していないと主張する。

さて、こんな話を聞くと、火星にでも逃げたくなるかもしれないが、NASA の談話はその不安を和らげてくれる。

NASA のスポークスマンこのように述べている:

「私たち NASA は、地球へ衝突する軌道を持ついかなる彗星も小惑星も知らない上に、そもそも、そのような衝突が起きる可能性は極めて小さいのです」

「私たちが言える最良の言葉としては、そのような巨大な天体が地球に衝突する可能性については、少なくとも次の数百年はないということです」

そのような天体の衝突による絶滅を信じない陰謀論者たちもいるが、その中には、CERN の大型ハドロン衝突型加速器( LHC )によって、地球のすべてが吹き飛ばされると確信している人々もいる。

あるブロガーは、「 CERN のロゴは、円の中に獣の印666がある」として、 LHC による地球の滅亡を予測した。

CERNのロゴと666
CERN666.gif
deviantart.com


プロテスタントのキリスト教終末論では、主イエス・キリストの再臨において起こると信じられている、地上にあるすべての真のクリスチャンが空中で主と会い、不死の体を与えられ、体のよみがえりを経験するとされる。

キリスト教系放送局のアナウンサー、ハロルド・キャンプ氏は、「審判の日」が、2011年5月21日に起きると宣言したことがあるが、それはまだ起きていない。





ここまでです。

きっと、これからの世の中は、もっともっと否定的なニュースやストーリー、あるいは現実の出来事が増えてきます。

そこからが私たちの心の持ちようの正念場だと思います。



  

2015年06月26日



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▲ 2015年01月26日の英国ミラーより。






 


世界に何が起ころうとしているのか

否定的ニュースには事欠かない最近ですが、そのような中で「気になるランク」が高いものとして、「アメリカから国外へスーパーリッチやエリートたちが逃げ出している」というものがあります。

これは今年に入ってから繰り返し語られているものではあり、たとえば冒頭の記事は、今年1月の英国の報道ですが、最近、「アメリカ発」のものとして多く見かけるようになりました。最近のヤスの備忘録の記事でも、このことにふれられていました。

冒頭の記事は新しいものではないですが、これらのことをリークしている人物の「国際社会での地位の高さ」もいろいろと気にさせるところでもあります。冒頭の記事の「インサイダー」は、ジョージ・ソロス氏が資金提供する「新経済思考研究所」(The Institute for New Economic Thinking)という経済研究所の所長であるロバート・ジョンソン氏という人でした。

新経済思考研究所は、リーマンショック後に設立されたもので、かなり大層な組織でもありそうです。


新経済思考研究所を創設 ノーベル賞受賞者らが発表
ビジネスEX 2009.10.28

経済危機が示す政策面の挑戦と経済理論への新鮮なアプローチを発展させる必要に応えて、学術、政策立案、民間分野のトップリーダーのグループが28日、新経済思考研究所(INET)の創立を発表した。

INETの創立諮問会議のメンバーにはノーベル賞受賞者のジョージ・アカロフ、ジェームズ・マーリーズ…(略)



この新経済思考研究所の現在の代表者が、ダボス会議(世界経済フォーラムが毎年1月にスイスのダボスで開催する年次総会)の場でのインタビューに対して、

「多くのヘッジファンドマネジャーたちが脱出を計画している」

という発言をしたのでした。

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▲ 2015年ダボス会議。左が新経済思考研究所のロバート・ジョンソン所長。 YouTube


そ最近になり、いろいろと金融や経済について緊迫度が増しているようなものが増えてきました。

下はつい最近の英国テレグラフの記事ですが、「今は(銀行に預けたりではなく)現金を身近に持ちなさい」というファンド・マネージャーからの警告などが書かれています。

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▲ 2015年06月20日の英国テレグラフより。

上の記事では、そのファンド・マネージャーは「起きる出来事は全世界的になる」ということも述べています。

さて、一体、今何が起きていて、これから何が起きる必要があるのか。

そして、どうしてアメリカのスーパーリッチたちは逃げているのか。

今回は、新しい記事ではないですが、アメリカの金融ブログ「ゼロヘッジ」の「彼らは何を知っているのか? なぜ、こんなに多くの超富裕層が逃げ出しているのか?」というタイトルの記事をご紹介したいと思います。

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Zero Hedge


ここに書かれてあることは、「アメリカの最近の富裕層の行動」というものがよくわかる興味深いものです。どうも、今のアメリカの富裕層は「サバイバル・モード」に突入しているようなのです。

ところで、このゼロヘッジというのは、人気のある金融系ブログですが、この作者の方は、男性か女性かはわからないですが、自分の名前を、

「タイラー・ダーデン( Tyler Durden )」

としていることに最近はじめて気づきました。

そして、ご自身の顔アイコンも、

Tyler-Durden.gif


を使っています。

「ああ、なるほど」

と思いました。



新しい暗黒時代を目指して

何が「ああ、なるほど」なのかと申しますと、この「タイラー・ダーデン」という名前を持つ人物は、20世紀を代表する恋愛映画のひとつで、エドワード・ノートン主演の『ファイト・クラブ』という映画で、ブラット・ピットが演じたキャラクターなのです。

fight-club-002.jpg
・『ファイト・クラブ』

これを知った時に、

「ゼロヘッジを書いている人は、多分、金融も経済も全部壊れればいいと思っているんだ」

と思うに至ります。

というのも、この『ファイト・クラブ』には、小説の原作があるのですが、登場人物たちの目的は、

・消費社会を終わらせること
・金融システムを消滅させること


などを行うことにより、

「新しい暗黒時代」を作り出し、「人類の文明の歩みを遅くする」

ことなのです。

この目的を達成させるための計画名が「騒乱計画(メイヘム計画)」。

映画そのものは、そのような深い意味を越えて、ひたすら爽快な展開で最後まで楽しませてくれますが、原作では、そのような意志があったようです。

もう6年も前ですが、クレアなひとときの、

都心で夢見たメイヘム計画による「歴史の消去」の日は来るか
 2009年12月23日

という記事にそのことを書いたことがあります。

その記事にも書いていますが、この映画を見終えた時の快感というのは、


「もしかすると《家や車や家具を持っていないと、ちゃんとした社会的人間ではない、という強迫観念》から、自分たちも逃れられる日が来るのかもしれない


という「感覚」を残してくれたことです。

金融崩壊も経済混乱も良いことではないです。

しかし、何らかの理由で、心から本気で「新しい世界」を目指したいと「考えて」いるのなら、この世は、創造と破壊の繰り返しである以上、

「創造と現状維持だけという世界はあり得ない」

ということは言えます。

それどころか、「創造のためには何よりも破壊が必要である」としているものも数多くあります。


破壊神

ヒンドゥー教の宗教的観念では宇宙は生成と消滅を繰り返すとされる。再生と消滅の循環において“死、破壊”こそが万物の支配者であり、消滅を経て宇宙は清らかで秩序ある姿に帰り、新たな創造が始まるのだ。破壊無くして創造はなく、破壊と共に再生を願う性格と機能を備えた存在こそが「破壊神」なのである。


これからどんなことが起きるのかは、スーパーリッチではない私たちにはわからないことですが、ゼロヘッジの記事には、多少の示唆があります。

どんな地球上のシステムにも「破壊」の日は来ます。
それならそれで、積極的な気持ちで立ち向かいたいところです。

というわけで、少しだけ話が逸れましたが、ゼロヘッジの記事です。

なお、現在のアメリカでは、ここに「戦争」というキーワードが含まれたり、いろいろな要素があるのかもしれないですが、どんな形式をとるにしても、「変化」は、おそらくは必ず訪れるということのようにも思います。

そして、その変化は将来的に考えれば好ましいものであるに違いないと確信しましょう。




What Do They Know? Why Are So Many Of The Super Wealthy Preparing Bug Out Locations?
Zero Hedge 2015.01.31


彼らは何を知っているのか? なぜ、こんなに多くの超富裕層が逃げ出しているのか?


その時に備えて、多くのスーパーリッチたちが静かに逃避する準備を進めている。

彼らは遠い国に農場を購入したり深い地下壕を購入したりすることによって、生存するための財産を蓄えている。

実際、ダボス会議で、世界経済フォーラムの著名なインサイダーは、「非常に権力のある人々が、彼らが非常に脅えていると私に話した」と言い、また、「世界中のヘッジファンド・マネージャーが、ニュージーランドのような場所に自家用の滑走路と農場を購入している」と語り、聴衆たちに衝撃を与えた。

彼らはいったい何を知っているのか。

なぜ、多くの超富裕層が突然、逃避の準備をしているのか。

世界のエリートたちが終末の日の準備を始めたとなると、非常に厄介なサインといえる。そして、今のエリートたちは、これまでにないような災害のための準備をしているように見えるのだ。

さきほど書いた新経済思考研究所のロバート・ジョンソンがダボス会議で聴衆に語ったこと・・・。

格差と不平等の拡大と、市民の不安などから、世界中のスーパーリッチは、すでにそれらの「結果」に対しての準備を進めている。世界中のヘッジファンド・マネージャーたちが、すでに逃走を計画していたことがダボスで明らかにされている。

彼らはニュージーランドなどに滑走路や農場を購入している。

ロバート・ジョンソンはさらに、「エリートたちが、ファーガソンなど、社会不安の増加や、暴力の増加の証拠を示し、彼らは非常に怖れている」ことを述べた。

エリートたちの一部が、ニュージーランドなど地球の反対側に行こうとしているのに対して、「地下へ逃避」することを計画しているエリートたちもいる。

例えば、カンザス州の地下にある退役したミサイルのサイロは、不動産開発業者が「高級サバイバル・コンドミニアム」に建て替えた。

ウォールストリート・ジャーナルによれば、そのコンドミニアムは「サバイバル・コンドミニアム・コンプレックス」と呼ばれ、価格は、150万ドル(1億8000万円)から 300万ドル(3億6000万円)までで、75名まで収容可能だ。

購入者には、医者、科学者や起業家なども含まれていると開発者のラリー・ホール氏は述べる。ホール氏は、2008年にカンザス州で最初のミサイル・サイロを購入し、2012年に竣工した。

その1年後には物件はすべて完売した。

ホール氏は現在、次のコンドミニアムに取り組む計画を立てており、テキサス州や、他の場所の建設も検討していると言う。

元核ミサイル地区は、アメリカ陸軍工兵隊の監督の下で構築されており、構造はもともと核爆弾の直撃に耐えられるように設計されている。

内部と地上は、 16000ポンド( 7257キログラム)の重量がある装甲ドアで密閉することができる。また、水の処理施設、空気処理施設、最先端のコンピュータ・ネットワークと、代替の発電能力を備えているという。

他の富裕層たちは、自宅を、ハイテク・セキュリティ要塞へと変えている。

これらのサービスを提供するアメリカのビジネスは、著しく高騰を続けている。

全米の富裕層たちが、侵入者などから自分の愛する家族を守るために、何百万ドル(数億円)かけ、黙示録的な自然災害から守るためのホーム・セキュリティはますますSF的になってきている。

懸念する住宅所有者たちに未来的な小道具、そして、金額では見積もることのできない安心を提供している企業の数々は、現在、高価な地下壕やパニックルーム、そして、個人認識ソフトウェアの需要が高まっていることを明らかにした。

ポラック+パートナーズ社の代表は、経済誌フォーブスに、「セキュリティは、常に富裕層の顧客には重要だったが、過去5年で、ホーム・セキュリティへの支出がさらに著しく成長している」と述べた。
 
では、なぜ、これらの裕福な人々のすべてはそのように心配しているのか。

真実は、彼らは何が起こるのかを見ることができるということだ。

彼らは、アメリカの何百万人もの人々が、中流階級より下のクラスに落ちることを見ることができる。アメリカ社会が何千もの異なった方法で破壊されることを彼らは見ることができる。

彼らは、アメリカの人々の怒りや不満が、かつてないレベルにまで上昇していることを見ることができる。

そして、彼らは次の経済危機の直撃が、怒りの爆発をおこさせる可能性があることを見ることができる。

経済は今のところ、しばらくの間かなり安定しているにもかかわらず、経済的な苦しみを経験する人々が増加する兆しにあふれている。

例えば、ロサンゼルスタイムズは、ロサンゼルス地域にホームレスの野営地が急速に拡大していることを報告している。

この2年間で、道路の野営地は、彼らの歴史的な境界だったロサンゼルスのダウンタウンから飛び出し、高速道路を抜け、南ロサンゼルスのエコーパークの地下通路まで埋まっている。

ロサンゼルス・ホームレス・サービス局( Los Angeles Homeless Services Authority )によると、ホームレスの道路の野営地は、2013年の 479地点から、2014年には 767地点と、60%上昇した。

私たちは今、エリートたち以外の多くの人々が少しずつ貧しくなっている時間の中を生きている。この世界は、上位1%の人々が、全世界の富の 50%近くを持っている。そして、その裕福層の富は毎年増え続ける構造だ。

エリートたちは、最終的にこれが「弾ける」ことを知っている。
それが起きた時に右往左往したくないのだ。

本当の危機が訪れたとき、何が起きるだろうか?

エリートたちが逃避の準備を進めていても、彼らを責めることは難しい。

誰も噴火の際に火口の真ん中にいたくはない気持ちはわかる。

私たちの人生は劇的に変化しようとしている。
そして、その嵐の徴候に満ち溢れている。

もし、あなたが、アメリカを直撃するかもしれない事態に対して、まだ何も準備をしていないのなら、今すぐ準備を始めることを望む。



  

2015年06月25日



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藤野での田植え会でいただいたイネ
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いま、エネルギーの相剋が進行しています。小競り合いといってもよいし、大戦争といってもよいでしょう。この戦いはさらに拡大するでしょう。

なぜなら、この戦いは、だれの周波数がこの惑星を支配し、誰があなた方人間を所有し、操作し、訓練するのかということがかかった戦争だからです。

人間の変装をした周波数であるあなたは、誰なのでしょうか。そして、このときにあって、あなたの仕事は具体的にどのようなものでしょうか。


(『プレアデス+かく語りき』より)




地面を求めて

先日、藤野での田植え会にお招きいただきました。

その際、素足で田植えをしたのですが、田植えが終わったあとも、しばらく素足で過ごしていました。そして、つくづく、

「素足で地面に立つのはいいなあ」

と思っていまして、そして、それとは別に、いろんな人や「人のようなもの」たちから「地面の上に立つことの重要性」を聞いたりしていました。

たとえば、最近たまに出てくる自称プレアデスの人は、本の中で、以下のように述べたと書かれてあります。また、他のそのようなタイプの人は、植物にふれることの重要性を語っていました。私のような神経症とかの人は、植物や農作物を育てることが大事なんだそう。


『プレアデス+かく語りき』より

あなた方の多くはより高い領域に到達したいと願うあまり、ここ地球での仕事を忘れて、その高みにとどまっていたいと願っています。あなた方は地球にしっかりと根を下ろすことを学ばなければなりません。地球に根を下ろすことの必要性をあなた方は分かっていないようです。(略)

あなた自身を大地に根を下ろさせるための一つの方法は、外に行って地面に座ることです。外に行って、自然のなかにいてみてください。木の傍らにしばらく立つか座ってみてください。

椅子を日の当たる場所にもっていって、太陽の光を一身にあびながら本でも読んでみて下さい。あるいは、泳ぎにいって、足を水に浸してごらんなさい。こうしたものは、すべて自然の基本要素です。それが大地を形成しています。



どうということのない文章にも見えますが、この少し後に続くのが、冒頭に載せました「いま、エネルギーの相剋が進行しています。小競り合いといってもよいし…」のくだりなのですから、おおごと関連ではあります。

大地に根を下ろすこと・・・。

言い方は命令口調であるとはいえ、自分のふだんの生活を振り返ってみると、「地面の上にいる状態がとても少ない」ことは明白です。そして、都市部の多くの人たちはそうなのではないでしょうか。

私たちは、ほとんどすべてをコンクリートかアスファルトの上で過ごしています。

道路はほぼすべてアスファルトだし、家に畑や広い庭があるのならば、そこに立つこともできるでしょうが、集合住宅では、立てるような土の部分はありません。

住んでいる家や部屋の建物自体も、基本コンクリート主体であるように思われ、その上に立ったり座ったりしていて、多くの人びとは土の上に立つ状態の時間がとても少ない生活をしている上に、その生活が何十年も続いたりしている。

そりゃ、健康にしても精神にしても、いろいろ悪くもなりそうです。

有史以来、人間が・・・少なくとも日本人が、こんなにも地面の上で過ごさない期間を過ごしているというのは、今の時代がおそらく初めてだと思われ、そういう意味では、私たちは、おそろしく自然と切り離された生活を何十年も続けているということにも気づきます。

そんなこともあり、田植えの翌日から「地面の上を素足で歩けるところが近くにあるだろうか」と探して歩いてみましたが、小さな子ども公園はいくつもありますが、「子ども用の公園で素足で立っている中年男性」という図式は、ちょっと困ったリアクションを受ける可能性があります。

そんなわけで、地面に素足で立ったり座ったりしたいのなら、隣駅にある「航空公園」という大きな公園まで行くしかありません。ここは自宅から歩いて往復1時間くらいですので、たまに行っています。

所沢 航空公園
Suoi-Tien.JPG
Suoi Tien

あ、違った。

これは、ベトナムのスイ・ティエン公園というテーマパークで、下のポスターを見て以来、1度行ってみたいと思っている公園でした(すごそうですよね)。

suoi-tien-2.jpg
cungmua.com


まあ、実際の航空公園のほうの写真は載せる必要もないんですが、木も草も地面も豊富にある公園で、最近は、そこで地面に座ったり素足になったりしています。

この公園の周辺には、防衛医科大学病院や、日本最大のリハビリセンターのひとつである国立身体障害者リハビリセンターなど、大規模な医療施設が建ち並んでいて、そのどこもが相当な緑に囲まれていることもあり、この周辺一帯が非常に緑の多い地帯となっています。

もう3〜4年住んでいるのに、引きこもりがちな生活をしていたせいなのか、自分の住んでいる場所のすぐ近隣がこんなに自然にあふれているとは最近まで知りませんでした。

大量の木や植物、そして、たくさんの鳥たちの鳴き声。

空をみれば、自衛隊の軍用機が爆音を上げて飛び交う日常もあります。

こういう自然の多い環境ですから、「運動をしているご老人たち」が多い。
特に、ウォーキングしている人がとても多いです。

映画『美しき緑の星』の宇宙人のごとく、「運動、運動、また運動」というように、取り憑かれたように歩いたり走ったりし続ける人たち

中には、

「お、あの人は地面から少し浮いているのでは」

というように、地面から足が少し浮いて、そのまま水平移動しているようなご老人もいて、運動に対しての達観ぶりを感じさせます。

また、集団で体操をしているグループもあり、ことごとく高齢者の方々ですが、中には「体操なのに微動だにしていない」おばあさんなどもいて、修行中のヨーダのような威光を放っていました。

「負けるわけにはいかない」

と、私はつぶやき、高齢者たちの運動熱に叱咤激励され、対抗して歩く。

「それにしても高齢者の多いこと・・・」

と改めて実感します。




未来への否定的なニュースがあふれる中で

この「高齢者」ということに関して、最近は、肯定的ではない報道が多いです。


高齢者の9割が貧困化 「下流老人」に陥る5つのパターン
週刊朝日 2015年7月3日号

高齢者の貧困が問題になっている。内閣府調査の<世帯の高齢期への経済的備え>で、60〜64歳で貯蓄が「十分だと思う」と答えた人は3.6%。「かなり足りないと思う」と答えた人はその10倍、35.5%だった。

「老後の貧困は、ひとごとではないのです」

そう警鐘を鳴らすのは、生活困窮者支援のNPO法人「ほっとプラス」の代表理事で社会福祉士の藤田孝典さんだ。6月半ばに出版した新刊『下流老人』で、「このままだと高齢者の9割が貧困化し、貧困に苦しむ若者も増える」と書く。



というような「このままだと9割が貧困化」というような語感は、肯定的になりづらいですが、上の記事の中には、


藤田さんが警察で保護した60代の男性は、不動産会社社長で、バブル期は資産が2億円あった。だが土地が転売できず破綻。

この元不動産会社社長は「食いっぱぐれるはずがない」「老後の心配無用」と年金も払っていなかったという。



というような部分がありますが、不動産といえば、先日の野村総研の予測の報道。


野村総研が2033年の空き家率予測、3軒に1軒は空き家に!?
新建ハウジング 2015.06.23

野村総合研究所(東京都千代田区)は、3年後(2018年)、8年後(2023年)、13年後(2028年)、18年後(2033年)の総住宅数・空き家数・空き家率の予測を発表した。

同研究所は、2030年度までに新設住宅着工数が53万戸に減少すると予測。さらに、それを上回るスピードで世帯数の減少が見込まれるとした。

これらから、既存住宅の除却や、住宅用途以外への有効活用が進まなければ、2033年の総住宅数は約7100万戸に増大、空き家数は約2150万戸、空き家率は30.2%に上昇すると予測。



この記事では「2033年には3軒に1軒は空き家」とありますが、記事のグラフを見ますと、そんな遠い年月ではなくとも、あと数年で「5軒に1軒が空き家」、12年くらいで「4軒に1軒が空き家」というような予測となっていることがわかります。

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日本がそんなに空き家だらけになるというのも肯定的なニュースではないですが、「空き家」関係では、さらに、こちらはすでに法律が施行されているもので、否定的な報道があります。


法改正で税金6倍に 「空き家」大量売りで始まる不動産大暴落
日刊ゲンダイ 2015.02.17

首都圏の不動産業者がこう言う。

「今年2月末から“空き家対策特別措置法”が施行される。これまで“空き家”の固定資産税は、更地の6分の1と低く抑えられていましたが、5月以降は負担が6倍にハネ上がる。増税をきっかけに誰も住んでいない空き家を“売却”したり“賃貸”に回す所有者が続出するとみられているのです」

驚くのは、空き家の数だ。総務省の調べでは、全国の空き家は820万軒を突破。7軒に1軒は誰も住んでいない。東京でも、空き家率は10・9%に達し、軒数にすると81万7200軒と、世田谷区と大田区にあるすべての住宅を足した数より多いのだ。



今年2月から施行されている「空き家対策特措法」により、「特定空き家」と位置づけられた空き家に対しては、固定資産税が今までの「6倍」になるのだとか。

家を持っている方々もそうでしょうが、「空き家を持っている方々」となると、圧倒的に高齢者の方々のほうが多いような気もしまして、このあたりも高齢者に関係して否定的なニュースといえます。

どうして、こんなニュースを並べたのかといいますと、毎日、散歩中にたくさんの高齢者を見る中で、これらのようなことを思い出し、

「これらのニュースの中から肯定的な部分を見つけられるだろうか」

と思った次第です。

もっとも、これらのニュースの中には、たちどころに肯定的な部分が見えてくるものもありますが、なかなか見えにくいものもあります。

暗いニュースに当たるたびに肯定的な見解ができるようになれば、暗いニュースも楽しくなるかもしれません(それでいいのか、という意見もあるかもしれませんが)。

そういえば、ここ最近は、海外で「この世の終わり」系の報道をよく見かけるようになりました。

そうだ・・・。次回あたりから、「肯定的解釈の確認」というようなことを含めて、そういうニュースも少しご紹介していこうかと思います。

最近はあまり否定的な報道を取り上げていなかったのですが、報道自体は存在するのですから、それを無視するという私の態度は少し困りますね。

今も昔もいつでも世界は、終末の予測に満ちています。
それらを楽しく見聞きできれば・・・。

ところで、ちょっと思い出したことがありますので、話を冒頭の「田植え」に戻させていただきます。




イネやミジンコの役割

冒頭の写真は、田植えの際にいただいたイネで(田植えでは余ったイネは捨てるしかないそうです)、今はベランダで育てています。まだ田植えから 10日目くらいなんですが、結構な勢いで成長していまして、「さすが遺伝子数の王者」と感心した次第です。

イネは人間より遺伝子数が多いんですよね。

hito-genom.gif
naoru.com


人間が生きるために絶対に必要なイネやトウモロコシなどが、人間より多くの遺伝子数を持っているというのは、何とも理に適っています。「構造上、人間よりすぐれたもの(イネ)だから、人間は安心して、それに食の基本を任せることができる」というような。

そういえば、田植えには、 In Deep の記事を読まれて来て下さった方が何名様かいらっしゃいまして、その中で、東京・渋谷の道玄坂で『カフェ ベルチュ』というワインバーを経営されている方がいらっしゃったのですが、その方は、「数年前、突然、植物と微生物に目覚めた」とおっしゃっていました。私もそうでした。

そして、おそらくは、ご自宅にだと思うのですが、プランクトンの生態系というのか、様々なプランクトンが生きている環境をご自身で作ってらっしゃるそうなんです。

それで、その方が藤野に田植えに来た理由のひとつが、

「動物性プランクトンを手に入れるため」

なのだとおっしゃっていました。

どういうことかわかりませんでしたので、お訊きしましたら、

「都会の淡水には動物性プランクトンがいないんですよ」

ということなんです。

もちろん、都市部にもいるところにはいるのでしょうけれど、少なくとも東京の中心部は、動物性プランクトンがあまりいない環境のようです。それで、藤野などの山間部といってもいい場所には、動物性のプランクトンもたくさんいるだろうと、田んぼの泥と水をわけていただいたそうです。

どうして、こんなことを思い出して書いているかというと、動物ブランクトンでよく知られているものに「ミジンコ」がいます。

ミジンコ
Daphnia-pulex.jpg
Wikipedia

このミジンコも、イネ同様に、ヒトより遺伝子数が「多い」んですよ。


ミジンコの遺伝子、ヒトを8000個上回る インディアナ大など
AFP 2011.02.09

池や湖に生息し、交尾なしで繁殖できるミジンコは、ヒトよりも多い生物最多の遺伝子を持っている。ミジンコの全遺伝情報(ゲノム)を解読した米インディアナ大などの国際研究チームが、米科学誌サイエンスに論文を発表した。

遺伝子の数はヒトの約2万3000個に対し、ミジンコは約3万1000個だった。なおミジンコは、甲殻類では初めてゲノムが解読された。



ミジンコは遺伝子数で、人間を超えている。

ヒトより遺伝子数がはるかに多いイネやトウモロコシは人間が生きる上で基本的な食糧として重要な役割を果たしている・・・というあたりから見ると、ヒトより遺伝子数の多いミジンコも、おそらくは、人間に対して何らかの重要な役割を果たしているような気がしたのです。

ボディサイズと遺伝子数の比較
hito-ine-mijinko.gif
gallery4share


それにしても、その道玄坂でワインバーをされている方は、それまでの人生は植物や微生物などにまったく興味がなかったのに、あるとき突然興味が出てきたということをおっしゃっていましたが、私も取り憑かれたように植物が好きになったのは「突然」、あるいは「ある日」でして、今から5〜6年前だったでしょうかね。

ある日突然、「おおお、植物ってこんなにいいのか」と。

映画『美しき緑の星』で、お医者さんの奥さんが突然、キャベツに魅入るシーンがありますが、あんな感じだったかもしれないです。

la-belle-003.jpg
・美しき緑の星


しかし、いくら植物が好きでも、集合住宅ではその願望全体を叶えることはできません。

植物を育てるといっても、ベランダですので限界がある上に、うちの子どもはどういうわけか、道端などのいわゆる雑草と呼ばれる植物の「種」をよく持ち帰るのです。

春過ぎに、子どもが持ってきたいろいろな種をそれぞれわけて植えましたら、見事にすべて芽を出しまして、ベランダはいわゆる雑草に占拠されつつあります。

しかし、これら雑草と呼ばれる植物たちは確かに強く、これで、ある程度の花でも咲くのなら、こんなに育てやすい植物はないかもなあとも思います。

どれもこれも名前もわからなければ、この先どのくらいの大きさまで育つのかもわからないですが、占領されすぎないように育てたいと思います。

最近はイネも加わり、ベランダも賑やかになっています。



  

2015年06月24日



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今日( 6月24日)、NASA が、下のような写真を発表しました。

2015年6月24日に発表されたコンパス座の「宇宙の虹」
Circinus-NASA.jpg
・NASA NASA’s Chandra Captures X-Ray Echoes Pinpointing Distant Neutron Star


これは、コンパス座という全天で4番目に小さな星座で起きていることで、NASA のプレスリリースは、これが起きた原理として、「中性子星が超新星爆発を起こし、そのフレアによって宇宙空間に広がった粒子にX線が反射したもの」としています。

発生原理はともかく、かくも見事に宇宙空間に「虹」が現れたというのは印象的でした。






 



宇宙に出現した巨大な虹の示すことは?

この前の日曜日( 6月21日)、夕方、電車で新宿へと向かっている車内から、久しぶりに大きな虹を見まして、しかもそれは「フッと出現して、わりとすぐに間に消える」という虹で、それが印象的だったこともあり、虹のことについては気にかけていました。

その少し前の 6月17日には、オーストラリアのシドニーで、非常にクリアな「二重の虹」が出たことが報じられていました。

シドニー 2015年6月17日
double-rainbow-sydney.jpg
strangesounds.org


二重の虹そのものは特別に珍しいものではないですが、ものすごくよく出るというものでもないです。

さらに、 6月9日には、タイのバンコクで「空が虹色に染まる」というような見出しの報道がされていました。

バンコク 2015年6月9日
fire-rainbow-bangkok-.jpg
TNN


このバンコクの現象は、彩雲(さいうん)と呼ばれるもので、頻繁に空を見上げていれば、かなりよく目にするものですが、しかし、ここまで広範囲に染まって見えることは、そう頻繁にはなさそうです。

むかし、

虹という「地獄の門」の彼方に
 2012年11月20日

という記事で、

イスラエルには、「虹が地獄の釜と関係する」という伝説がある

ということを知ったことを記したことがあります。

イスラエルの伝説では、

「虹が見えればその下は地獄の釜」

ということで、少なくとも、かの地においては、虹はそれほど縁起のいいものではないということを知り、そういう価値観の場所もあるのだなあと。

ちなみに、この話に行き着いた話の途中には、イスラエルの天気予報で、「晴れ、ときどき虹」という天気予報があったことなどもあるのでした。

下がその時の天気予報です。

下段の真ん中は 2012年11月20日を指し、そこが「虹」の予報となっています。

israel-weather-2012-11-20.gif


もちろん、イスラエルの天気予報でも普通では「虹」なんて予報はなくて、この時だけの特別な予報でした。

上の 2012年11月20日あたりは、今振り返ると、イスラエルのガザ攻撃が激しくなっていた時だったようです。

gaza-2012-11.jpg
シリアニュ−ス 2012年11月20日


停戦への合意に至ったのは 2012年11月23日でした。

まあ、イスラエルの「虹が見えればその下は地獄の釜」という伝説が正しいのかどうかはわからないですが、この1週間は、やたらと「虹とふれた時期」で、そして、宇宙には巨大な虹。

漠然と、

「虹の期間に入ったのだなあ」

というような気がしたのでした。

ちなみに、「虹」という漢字は「虫偏」なんですが、この「虫」というのは、古代中国では「ヘビ」のことを表していたのだそう。ちなみに、虫の本来の漢字は、ヘビが3つの「蟲」となります。

古代中国では、虹は、「天に住む大蛇や竜」が作り出すものと考えられていたそうで、虹という現象を「ヘビや龍系の現象」としてとらえられていたようです。




「いっさいは空(くう)」

ところで、さきほどリンクしました過去記事、「虹という地獄の門の彼方に」には、旧約聖書の「コヘレトの言葉(伝道の書)」というものから引用していまして、このコヘレトの言葉というものを忘れていましたが、これを読みますと、最近の記事などでたびたび触れます、

「この世は存在しない」

ということを強く主張している下りがみられることに今となって気づきました。


コヘレトの言葉(伝道の書) 第1章2-11節

伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。
日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。
風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。
すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。
先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。
「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。
前の者のことは覚えられることがない、また、きたるべき後の者のことも、後に起る者はこれを覚えることがない。



空を「そら」と読むと大変難解なことになりますが、「くう」と読めば、

空の空、空の空、いっさいは空である

という言葉はいろいろと響きます。



大も小も、その源は

ちなみに、冒頭の「宇宙の虹」を撮影したのは NASA のチャンドラX線観測衛星という人工衛星で、打ち上げられて以来、さまざまな「宇宙の姿」を撮影し続けてきました。

今回、チャンドラ衛星がこれまで撮影してきた宇宙の写真を少し見ていまして、

「宇宙も周波数っぽい」

という感じがしたのでした。

前回の記事、

世界は振動からできている:微細な震えの積み重ねからできている「日常の隠された風景」が MITの研究者による新しいビデオ解析で明らかに
 2015年06月23日

の途中くらいに、「音(周波数)が水面に描く模様」と「微生物の形」が何となく似ていることにちょっとふれたのですが、この世にある「小さなもの」と「大きなもの」のうちで、微生物は小さなもののほうです。

この小さなものも、さらに小さくなって、ウイルスあたりになりますと、「音の紋様」と区別することが難しい場合もあります。

たとえば、下はどちらかが「音によって水に描かれた紋様」で、どちらかが「ウイルス」です。
モノクロにした、これらを一瞬で判別できるでしょうか。

helpes-virus.jpg
Herpes Simplex Virus Gallery


22hz-image.jpg
watersoundimages.com


パッと見る分には、もうどちらがどちらやら。

これは上が「単純ヘルペス・ウイルス」で、下は「 22Hz の周波数が水に描く紋様」です。

それにしても、この点に注意して、ウイルスを見ていると、ウイルスの形というのは「音そのもの」というようなものが多いです。

まるで、ウォーター・サウンド・イメージをそのまま見ているかのよう。

下はいくつかのウイルスで、それぞれ3Dレンダリングをしたり、再描写イラストなどですが、実に美しいものが多いです。

インフルエンザ・ウイルス
influenza-virus-3d.jpg
how stuff works


手足口病を起こすウイルス
foot-mouth.gif
guardian


シミアン・ウイルス40(人猿共通感染ウイルス)
Symian-virus.jpg
wikimedia


見れば見るほど、ウイルスってのは、「周波数でパッと出来ちゃった感の強い存在」であることがわかります。

宇宙のどこかで「パッと」出来て、パンスペルミア説のように、そこから宇宙の各所へ飛散していけば、宇宙で(地球で)次から次へと新しい病気が登場するのも不思議ではない気さえします。

まあしかし、最近知り得た「症状も発熱も自然良能である」という観点から見れば、これらのウイルスも、たとえば、風邪を起こすウイルスを考えてみても、

「ウイルスは人間のために存在する」

ということになりそうで、そして、さらにいえば、過去記事「ウイルスが人を選ぶのか? 人がウイルスを選ぶのか?」という記事などでも記しましたが、フレッド・ホイル博士は生前、

「ウイルスが人間に入りこむのではなく、人間自身が自らに取り込むウイルスを選んでいる」

という説を持っていましたが、そのこととも関係しそうです。

なぜか人間がウイルスを選んで取り込むのかというと「ウイルスを取り込むことによって、人類自身を進化させるために」ということをホイル博士は述べていました。

しかし、とはいっても、感染して病となり苦しむような厄介でしかないようなものを、なぜ、人類は自ら取り込むようなメカニズムを持っているのか。

それに関しては、フレッド・ホイル博士は、ややクールですが、『生命(DNA)は宇宙を流れる』の中で下のように述べています。


フレッド・ホイル著『 DNA は宇宙を流れる』より

こういう考えはどうも腑に落ちないと思われる方もあるだろう。ウイルスに感染した人は苦しい目にあうから、どうしても「ウイルス=悪者」という先入観を持ってしまうからだ。

けれども、個体の苦しみは、種の利益とは関係ない。問題になるのは、100万の失敗のほうではなく、ときどきそれがうまく行くという事実の方なのだ。



要するに「人類全体の進化のため」にウイルスを取り込むというメカニズムが存在すると、ホイル博士は述べているようです。

この「人間が自らウイルスを取り込んでいる」といいうホイル博士の主張を知ったのはずいぶん以前ですが、やはり、「でも、風邪にしても、苦しむことがわかっていてウイルスを取り込むことに何の意味が?」と思い続けていた疑問を解いてくれたのが、野口晴哉さんだったんですね。

過去記事の、

人間にとって最も日常的で慈悲深い治療者は「風邪ウイルス」かもしれない…
 2015年04月21日

に書きましたが、

「風邪を引くことそのものが治療行為」

という野口さんの言葉によって、すべての疑問が解けてきたのでした。

ホイル博士の言うように、人類の進化のためという側面はあるかもしれないですが、もっと日常的に私たち人間は「ウイルスを利用させてもらって健康を維持している」と。

この地球にあるすべてのものが人間のために存在している、という説がありますけれど、そういう意見も補強してくれるものだと思います。

あるいは多くの宗教などにある、「この世が神の造られたものならば、神は無駄なものなどお造りになるはずがないのだから、この世に無駄なものなどあり得ない」というようなことの答えの一部にもなるかもしれません。

微生物からウイルスに話が逸れて、えらいことになってしまいましたが、冒頭の虹を撮影した NASA のチャンドラ人工衛星の話に戻ります。




どれだけ大きくなっても基本は同じ

さて、ここまで「周波数が創り出す紋様と似た小さなもの」のことを書いてきましたが、チャンドラ衛星などが撮影する対象は星座だったり、銀河だったりという、とても「大きな」ものです。

そして、チャンドラ衛星が過去に撮影した宇宙の写真を見ますと、「大」も「小」も関係ないことが何となくわかります。

それは、前回の記事で、この世は「小さな振動が重ね合わさり、大きな振動を描き出す」ということがわかってきていることを書きましたが、それはどこまで大きくなっても、おそらくは同じなのだと思います。

周波数によって水面に浮かぶ様々な紋様
water-sound-images-mono.jpg
・『ウォーター・サウンド・イメージ


超新星爆発の残骸 E0102-72.3
E0102-72-3.jpg
WIRED


銀河
milkey-way-340.jpg
銀河


話がいろいろと逸れてしまいましたが、基本的には

「どうやら虹の期間がやってきたかもしれない」

という話でした。

虹は良い象徴なのか悪い象徴なのか。
まあしかし、虹も周波数そのものではあります。



  

2015年06月23日



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Hidden-World-top.gif
Vice






 


超否定的な態度の末から生まれるかもしれない新しい宇宙

さきほど、昨日の記事「「革命」(1)」を読んでいて、「うーん・・・」と唸っていました。

というのも、昨日の午前中は風邪でまだ結構ボーッとしていて、その時に書いたせいなのか、何を書いたか内容をあんまり覚えていないんですよ。

それで読み直したりしていましたが、まあ・・・これは「勢い」ですね。

その勢いの源はどこにあるかというと、何ともわからないです。
得体の知れないものですね。

まあしかし、源はわからないとはいえ、私は格別、心の弱い人間ですから、いつもそこからの脱肛、じゃくて、脱皮を求めて生きているという部分はあります。

掲示板を見ましたら、

自分は子どもの頃から、臆病で
心の闇の暗がりに、いないはずの鬼を見て恐れてばかり。
空に輝く星や、虫の声に目を向ければ
暗闇も楽しんで、朝がくるまで安らかに眠れるのに。
いないはずの鬼もいると思い込むことで
その時から存在してしまう。

と書き込まれてくださっている方がいらっしゃいまして、「ああ、私の子どもの頃も同じだったなあ」と、つくづく思いました。

私も、かなり小さな時から、暗闇の中には魔物しか見ないタイプで、そこにいる星や鳥たちの姿は魔物に消されるタイプでした。

「肯定的態度」という言葉がありますが、逆ですね。

否定。

この世に対しての徹底した否定的態度。
もともと、私はそこが出発点となっています。

エジソンは「1+1=2」だと教師に主張して怒られましたが、私は、「1+1は?」と訊かれたら、「否」と、回答そのものを拒否するタイプでした。

この「全否定」という態度は、前回の記事で書きました埴谷雄高さんも似ていて、長編小説『死霊』(しれい)は、

「AはAではない」(私は私ではないし、これはこれではない)

という「自動律(同一律)の全否定」から始まるもので、小説そのものの出発点が否定です。

その埴谷さんの目指しているものは「存在の革命」という言葉で表されるもので、埴谷さんは、自分のやりたい(やりたかった)ことを次のように表現しています。




NHK教育 ETV特集 埴谷雄高 独白「死霊」の世界(1995年) より

埴谷 全部基本の基本からひっくり変えそうとしているわけですけれども、それがうまくいくかどうかそんなことはわかりません。ただ、気迫としては社会革命にも通じるようなものをここではやっているわけです。

存在の革命は、社会革命も除いてはいないわけですよ。ただし、その社会革命家のインチキもいろいろ弾劾しているわけですよ。ただ、弾劾するほうが多くて大変なんですよ。

いま少しわかってきたということは、なんとか言っておかないと駄目だということです。偶然、ソビエトの崩壊の場合は僕が生きている間にあった。

この『死霊』は、僕が死んでから出るアンドロメダの兄弟がやってくれるかどうか分かりませんけれども、だれかにもう少しやってもらいたいですね。

無限の夢想から、無限の夢からこうなりたいと思う無限の夢、夢想から今度は新しい宇宙が生まれるということですね。ただし、うまくいけばの話で、それこそアンドロメダの向こうからだれかがやってきて、それがうまくいけばですよ。






自分はとにかく全否定して、すべて(の既存の概念)を破壊する」ので、次にやる人は、そのゼロのところから、

「無限の夢想から新しい宇宙が生まれる」

というところまでやってほしいと。

そのように言って、埴谷さんは、この放送の2年後に 87歳で亡くなっています。

で、この「次にやる人」なんですけどね、

「それは全員」

ということが、前回の「革命」というタイトルの記事だったのだと思います。

「ひとりひとりが自在に考えること自体が革命そのものだ」と。

というわけで、何となく無意識的に書いた記事を読んで、いろいろと思ったのでありました。

今回は、冒頭の科学ニュースをご紹介したいと思います。
多少、最近のいくつかの記事と関連する部分もあるかもしれないです。




世界が周波数からできているのなら

3月に、

宇宙の創造…ひも理論…432Hz…528Hz…ライアー…:数々のシンクロの中で、この世の存在は「音そのもの」であるかもしれないことに確信を持てそうな春の夜
 2015年03月22日

という記事を書いて以来、

周波数、あるいは音がこの世を作っているのではないか

ということを思っていました。

周波数によって水面に浮かぶ様々な紋様
water-sound-0623.jpg
・『ウォーター・サウンド・イメージ


何だか、微生物くらいなら周波数で一発で生まれてきそうな(そりゃ無理そうですが)。
それでもその気配を漂わせる微生物たち。

さまざまな海中のプランクトン
plankton-001.jpg
オーストラリア博物館


それで、最近では、プレアデスなどという大層な存在までも絡んできまして、

プレアデスという場所の人も「世界は音によって完全に変えることができる」と言っていたことから改めて思う「周波数と世界の関係」
 2015年05月26日

のタイトルにありますように、周波数で「すべて」を変えられるというような主張もあるわけです。

「すべて」というのなら、それはすべてのはずで、つまり、「意志や自我や精神も周波数なのかもしれない」ということも考えられないわけではないような気がするのです。

それなら、「良い周波数は個人からでも発せられるはず」というような話になりますと、前回の記事「革命(1)」などとも通じる話になってしまうのですが・・・ああ、そうか、全然意識していませんでしたけれど、

世界は周波数からできている

というのと、

考えることの重要性

というのは、ここらで結びつくような、結びつかないような・・・。

思考はおそらくは何らかの周波数を伴っていそうなわけで、こう考えると、

「雰囲気」

などというものがどうして出現するかとか、どうして生じるのかよくわからない「感情の共有性」というものも理解できるのかもしれないという気もします。

おそらくですが、

ひとりが良い感情(周波数を)も持つことは、全体に広がっていく可能性がある

ということなのかもしれません。

もちろん、「悪い感情(周波数)」も同じだと思われます。

このあたりも「考えること自体が革命になる」という、まあ、やや無意識に書きました説の補強に・・・なっているのかいないのか。

そろそろ今回の記事にいきますが、これは、マサチューセッツ工科大学のふたりの教授が、ビデオ解析の新しい方法で、


この世は、ふだんは私たちには感じることもない、目で見ることもできない微細な振動、あるいは、ゆらぎで構成されていることを視覚化することに成功した。


というものです。



この世は無数の小さな「揺れ」の重なりで構成されている

記事のタイトルは、「新しいアルゴリズムが、通常では感知できない動きの隠された世界を明らかに」というもので、「アルゴリズム」というような言葉が出てきて、これはよくわからないのですが、国立情報学院研究所の「アルゴリズムってなんでしょか」というページでわかりやすく解説されています。


「アルゴリズム」というのは、コンピューターで計算を行うときの「計算方法」のことなんですが、広く考えれば、何か物事を行うときの「やり方」のことだと言っていいでしょう。

その「やり方」を工夫して、より良いやり方を見つけよう、というのが、アルゴリズムの研究です。同じ計算を行うんだったら、いい方法でやればより速く計算できますね、ということです。



という、つまり、何かについての「やり方」ということのようです。

ですので、ビデオ解析「新しいやり方」を取り入れたことにより、「見えない世界」が見えてきた、ということになりそうです。

翻訳の前に一応どんな感じのことを言っているのということを写真と動画で示しておきますと、たとえば、下は、マサチューセッツ工科大学の教授たちによる、「ダイナミック・ビデオモーション倍率」という手法の説明の一部です。

何かの料金所のようなごく普通の風景ですが、ゲートは普通に見ると揺れてはいません。

DVMAG-original-1n.gif
YouTube


これが私たちが普通に見る光景です。
それをいろいろと解析したり分離したりします。

magnified-foreground-01.gif


いろいろと説明がありますが、細かいところはともかく、普通の風景の中にあるこの料金所のゲートは、現実の世界は、下のように、とんでもない微細な「揺れ」の繰り返しを続けていて、そして、これこそが現実の風景のようなのです。



この世にある、おそらくは「何もかも」が、このように小さな揺れによって成り立っていて、それが大きな動きの根底にあるということのようです。

ここから記事です。

例によって、科学記事は間違いが多いと思います。
そのあたり勘案されまして、お読みいただければ幸いです。




A New Algorithm Reveals the Hidden World of Imperceptible Motion
Vice 2015.06.21

新しいアルゴリズムが通常では感知できない動きの「隠された世界」を明らかに

Algorithm.jpg


世界は、感じることも、見ることもできない動きに満ちている。

その感じることも見ることもできない動きとは「微細な震えと振動」だ。

それらは、より大きな摂動(惑星などがその引力によって他の惑星などの運動を乱すこと)に飲み込まれる。これらの微細な震えや振動は大きな力によって消されるのではなく、視界から隠されている。

この意味するところは、これらの震えや振動を理論的に取得して、観測可能にすることができるということでもある。

しかし、これは非常に難しい仕事で、同時に優れた信号処理の問題ともいえる。

もう何年もの間、マサチューセッツ工科大学( MIT )のウィリアム・フリーマン( William Freeman )教授と、フリード・デュランド( Frédo Durand )教授の2人は、それぞれビデオ処理のアルゴリズムを熱心に研究してきた。

両教授のビデオ処理では、非常に大きな動きから、構造物の最も小さい動きを分離することができる。

アルゴリズムに手を加え、人間の波動を見ることができるようにした上に、防音ガラスを通って運ばれた振動から人間の音声の内容を再構築することを可能とした。

しかし、これらには仮定上の制限があり、それは、すべての動きが、多くて一般的な動きより、むしろ小さな動きであることだ。

大きなものの一部である小さな動きは、分離することが困難だ。

両教授の最新のアルゴリズムは、『大運動の存在下でのビデオ倍率( Video Magnification in Presence of Large Motions )』というタイトルの論文の中で、ボストンでおこなわれた「コンピュータ・ヴィジョンとパターン認識会議( Computer Vision and Pattern Recognition conference )」において発表された。

その大まかな概要は次の通りだ。


世界は肉眼で見ることが困難な小さな時間変動でいっぱいだ。

皮膚の色の変化は血液循環として生じ、構造物はいつの間にか風に揺れ、人間の頭はそれぞれの心拍数でぐらつく。

これらに気づくには、通常は変動が小さすぎるが、このような変動は、計算拡大することにより、小さな動きの魅惑的で意味のある「世界」を明らかにすることができる。

現在のビデオ倍率アプローチを前提とすると、目的の物体は非常に小さな動きを持っている。しかし、多くの興味深いディフォーメーション(変形)がその内部で起きており、または、より大きな動きによってディフォーメーションが発生する。

たとえば、私たちは大きな身体運動を行うと、私たちの肌は微妙に変形する。
料金所のゲートは、大きな回転運動に加えて小さな振動を示す。マイクロサッカード(無意識の眼球運動)は、しばしば大きな眼球運動と組み合わされる。

また、ビデオや物体は、標準映像拡大技法では、対象の動きに加えて、手の震えが増幅される。

大きな動きが含まれているビデオに適用される場合、現在の倍率技術では、ハロー(光輪)や波紋のような大きな成果物をもたらし、この場合、小さな動きは大きな運動とその成果物の陰に隠れされているので、見ることが難しい。

フリーマン教授とデュランド教授のこの方法は、ダイナミック・ビデオモーション倍率( Dynamic Video Motion Magnification )の略で DVMAG と呼ばれる。

この方法により、ユーザは、ビデオ内の関心のある特定の領域を選択することができる他、別の層にシーンを分解することができる。




  

2015年06月22日



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BBC-Life-4.jpg
coverdude


今日は風邪でまだ療養中というか、「風邪の経過を今ふたたびきちんと感じてみる」ということに没頭しようと思っていますが、ふと気づいた「あること」がありますので、書いておきたいと思います。

ややおおげさなタイトルをつけていますが、それほどおおげさな話ではないです。


「革命の意味」に翻然と気づき

最近の記事の流れ、例えば、

「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認
 2015年06月06日

に記しました概念である「この世は、人間が認識してはじめて存在する」ということ、あるいは、そこから導かれます、

この世も自分も基本的には存在しない

ことが前提となる話です。

その後書きました、

「学ぶのをやめて考えなさい」 - 人間自身の無限の能力を語るジェイコブ・バーネット師 TED講演 全語録
 2015年06月17日

では 13歳の少年バーネットさんが述べました、

考えることがすべての《創造》の始まり

であることをご紹介していますが、そのふたつの記事から辿ることのできる結論のようなことについてを書きたいと思っています。

ジェイコブ・バーネット(1998年 - )
jacob-17.jpg
YouTube


あるいは、前回の記事に書きました、野口晴哉さんの言葉


nogichi-s1.gif

世界が変わったのではない。自分が変わったのである。
自分が変われば世界は変わる。



などを、ひとつの流れとして考えてみますと、「革命」という概念が、この一連の流れの中に隠されていることがわかります。

あるいはこの流れは、中村天風さんの以下の言葉がある程度代弁しているのかもしれません。下は中村天風さんの講演集『運命を拓く』の最初の章からです。

中村天風(1876 - 1968年)
nakamura.jpg
天風会


中村天風『運命を拓く』 朝旦偈辞(ちょうたんげじ) より

どんなことがあっても忘れてはならないのは、心というものは、万物を生み出す宇宙本体の有する無限の力を、自分の生命の中へ受け入れるパイプと同様である、ということである。パイプに穴が開いていたら、洩れてしまう。だから、そっぽを向いていたら何もならない。

今まで気付かずにいたかもしれないけれども、人生の一切は、健康であろうと運命であろうと、肉体も、心も、また環境も、すべてが人の心によって創られているものである。



ここで天風さんが言う「すべてが人の心によって創られている」という「すべて」とは、言葉の通り、「すべて」であると解釈して構わないと思われ、つまり「個人の運命だけではなく、世界全部が人の心によって創られる」ということになるように思います。

ここから辿りつく「本当の革命というものの正体」は、かなり単純なことであることにも気づきます。

革命とは「ひとりひとりが考えること」

であり、それがすべてだと思うのです。

どんなことを考えるかは自由でしょうし、あるいは「自由でなければいけない」のかもしれません。
考える内容は何でもいいのですが、大事なのは「自分の考えに基づいたものである」ことです。
それが最も大事なことだと思います。

学ぶことは大事かもしれないですが、人から学んで習得したことだけを考え続ける限りは、そのことを探究はできても、「完全に新しいもの」は出てこないとバーネットさんは語ります。




一日に5分でも10分でも「真剣に」考える

私たちは日頃、いろいろと考えているようでも、実際には、現代社会では「独自に」考えている時間はそれほどではなく、あるいは、真面目にいろいろなことを考えている人になればなるほど、「学ぶことに気を取られて」考える時間を削られている傾向もあるかもしれません。

あるいは、開いた時間を積極的に娯楽や読書やテレビなどに費やしている方は、それらに身を投じている時間は、「自発的に考えている時間ではない」ということにもなります。

もちろん、娯楽や本やテレビをすべて止めるなどという馬鹿げたことを勧めているわけではないです。そして、そんな必要もないわけで、することは、1日に 5分でも 10分でも、ほんの少し「考える時間」を当てるだけで何かが劇的に変わるはずです。

つまり、


《革命の準備》

毎日の生活の中に「ほんの少しだけ考える時間を作る」



ということになります。

これはある意味、真理だと思われます。
他の「方法」はどう考えても思いつきません。

あらゆる行動も、言動も、革命の意味としては「考えること」以上のものではないと考えられます。

そして、この「革命の準備」が何ヶ月に及ぼうと、何年、何十年に及ぼうと、それは構わないのだと思います。かのニュートンでさえ、「科学の革命」を果たすことはできても、この世の真理には到達できませんでした。

晩年、ニュートンは以下のように述べています。

「私は時折、普通よりすべすべした小石や奇麗な貝殻を見つけて子供のように夢中になってきたけれど、私の目の前には依然として真理の大海が発見されずに横たわっていた」( Wikipedia

晩年のニュートン( 1642 - 1727年)
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THP


仮に、「真理に辿りついた時に、革命の準備が終わる」のだとすれば、ニュートンでさえ準備までで終わったのですから、人生が「革命の準備だけで終わる」のは、ごく普通のことだと思います。人生は基本的には繰り返しますので、あまり気にする必要はないはずです。

なお、考える時には、「理論的に考えて考えて考え抜く」ということが大事な気がします。

徹底した理詰め。

整合性と科学と「常識」を考えの基準として、非常識やオカルトの考えを排除する。

もちろん、考える時以外に、娯楽としてオカルトやスピリチュアルと親しむことには罪はないかもしれないですが、娯楽以上にはあまり必要のないことにも思います。

多くの書や賢人たちの言葉は、迷信や非常識にふれないように教えていたことを、少なくとも「考える時には」思い出すべきです。




旧約聖書『申命記』 18章9-14節

あなたが、あなたの神、主の与えられる土地に入ったならば、その国々のいとうべき習慣を見習ってはならない。

あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、 呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。

これらのことを行う者をすべて、主はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるであろう。

あなたは、あなたの神、主と共にあって全き者でなければならない。

あなたが追い払おうとしているこれらの国々の民は、卜者や占い師に尋ねるが、あなたの神、主はあなたがそうすることをお許しにならない。






そして、考える時には、「考えが次々と変転することは望ましくない」ということもあります。

ひとつのことを考えている時は、それ以外の考えが入り込まないようにしたほうが良いはずです。
参考として、『人間の四つの気質―日常生活のなかの精神科学』に収録されている 1909年のシュタイナーの講演から抜粋します。


シュタイナーの1909年の講演『実践的な思考方法』より

人間が半時間、横になって休憩するとき、たいてい思考を戯れに任せることになります。そうすると、何百、何千という考えが紡ぎ出されます。

あるいは、人生の心配事に関わり合っている人がいるとします。その心配事は意識のなかに忍び込み、その人はその心配事に煩わされます。そうなると、決して正しい時に正しいことを思いつけません。正しい時に正しいことを思いつきたいなら、つぎのように行わなくてはなりません。

半時間休息できるとき、

「自分自身が選んだ対象を、意識のなかに置くことにしよう。以前に体験したこと、例えば二年前に散歩の途中で経験したことについて考えてみよう。当時体験したことを、自分の意志によって思考の対象として、それについて五分間考えてみよう。その五分間は、他のことを一切考えない。思考の対象を、自分で選ぶのだ」

と、思わなくてはなりません。



このように、考えることについては何でもいいようです。

要は、思考の対象を選ぶことによって、「自分の意志を自分で支えることを体得する」ことを学習すれば、最初はその個人の理想に対して、そして、それはついには、社会の理想に結びついていくものだとも考えられます。

もちろん、自分や社会を理想的にしたいのなら、考えることについては、理詰めであると同時に「肯定的」でなければならないことは明白です。中村天風さんは、この宇宙の基本には「美と真と善しかない」とおっしゃっていますが(悪や憎など、それ以外を創り出すのは宇宙霊ではないもの)、それをベースに考えれば、悲しみとか憎しみとかの感情を入り込ませることは無用のようです。

これらの4つのこと、つまり、

1. 独自で考えること
2. 肯定的な方向に考えること
3. 常識的な視点から理詰めで考えること
4. ひとつの考えに集中すること


があれば、その内容はどんなものでもいいと思われます。

1日のうちに考える時間を、ほんの少し設ける。
これだけのことで、個人も世の中も良くなるはずです。

「この世はそんな簡単なものではない」と思われるかもしれないですが、智恵者たちの言葉や、量子力学などから見れば、この世のメカニズムはそのようなものであるというように考えるのが自然です。

野口晴哉さんの、
世界が変わったのではない。自分が変わったのである。
自分が変われば世界は変わる。

という言葉は例えではなく、現実とはそういうことなのだと述べていると感じます。




「存在の革命」への答え

20年くらい前、当時はまったくテレビを見ない生活だったんですが、偶然、夜、NHK教育をつけた際、作家の埴谷雄高さんが 50年間に渡り書き続け、ついに未完で終わった長編小説『死霊』(しれい)に関しての特別番組を5夜連続で放映していたところに出くわしたことがあります。

当時、うちはテレビを録画できませんでしたので、録画できる友人に電話して、放送を録画してもらいました。その中で、埴谷さんは、この『死霊』という小説の最終目的は「存在の革命」だとおっしゃっていました。

埴谷さんは若い時に政治運動をおこなっていて、その経験から「社会革命ではだめだ」という考えになっていきます。

埴谷雄高(1909年 - 1997年)
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NHK教育 ETV特集 埴谷雄高 独白「死霊」の世界(1995年) より

埴谷 それは社会革命だけでは駄目だと思ったからです。マルクス主義と共産党というのは、社会だけ革命すればよいと思った。しかし、それでは駄目だということがよく分かった。

存在の革命、存在自体に向かって「畜生、お前、こういうもんじゃだめだ」というふうにやらなければならないと。人間が食物連鎖で物を食べる以上、そういうものを全部克服しなければ駄目です。食物連鎖も、イワシならイワシが人間に食べられて、恨みがこもっている目で見ている。

そのイワシの恨みもちゃんと受け止めておいて書かなきゃ駄目なんですよ。それを全部超えないと。これは大変なんです。

『死霊』のなかで、三輪与志(よし)というのは、タコを噛んだときに初めて食べるのをやめるんですよ。初めて生き物を噛んだ実感がタコを噛んだときに出た。そして手を自分で握ってみるんですよ。

これは要するに、悪い時代に僕は生まれちゃったんですよ、あなた。

(記者)悪い時代に生まれたというのはどういうことですか?

埴谷 あたかも社会革命ができるかのごとき時代に生まれあわせたということです。社会革命だけでは駄目だと思ったら、存在まで革命しなくちゃならないということになった。

とてもそんなことはできないですよ。できないけれども、文学ならやれると思ったのが運の尽きですよ。文学ならやれると思ったから。






上の埴谷さんの言葉は、NHK から出版された『埴谷雄高・独白「死霊」の世界』に収録されています。

埴谷さんは、「現実にはそんなことはできない」とおっしゃっていましたが、冷静に考えれば、

「存在の革命はできる」

ということに気づいた次第で、埴谷さんのこの独白に衝撃を受けて以来、20年を経て、「存在の革命」への答えのようなものが示すことができたことは嬉しいです。

ちなみに、タイトルに(1)という番号をつけていますが、連続してこのことを書くという意味ではないです。あるいは、「革命」というタイトルの連番は(1)で終わりかもしれません。

それでは、風邪の経過を観察するために休息します。



  

2015年06月20日



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着物を洗濯する女性たち(1897年 / 箱根村)
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Japan, Described and Illustrated by the Japanese






 



久しぶりに風邪を引きまして

実に軽いものなんですが、ひさしぶりに風邪を引きましたところ、夢枕に野口晴哉さんが現れ、こちらを見ています。

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・野口晴哉(1911年 - 1976年)

そして、

「風邪を引きましたね」

と言った後に、空中で爆発して消えました(どんな派手な消え方だよ)。

4月に、野口晴哉さんの『風邪の効用』という本を読んで、初めて、「風邪をひくということは、人間に備えられた偉大な治癒メカニズムである」ことを知り、

「風邪の症状は、人体の日常的で最大の治療者」

という認識を初めて得て、

人間にとって最も日常的で慈悲深い治療者は「風邪ウイルス」かもしれない…
 2015年04月21日

などの記事を書きました。

しかし、それ以来、自分自身が風邪を引く機会に恵まれませんでした。

というより、最近は本当に風邪を引かなくなっていたのですが、『風邪の効用』には以下のようにあります。


風邪をひかない人は身体が鈍くなっている人です。 身体が鈍くなると病気や異常なども感じなくなり自分は健康だと思っている。 そういう人は得てして大病で突然倒れるというようになるそうです 。


と、野口さんに脅されていたこともあり、「風邪を引きたいなあ」と思っていたので、風邪を引いたことは嬉しいのですけれど、ただ、熱が出てくれません。

風邪を引く場合は、熱が出ることが最も大事なことであるようなんです。

ガンの自然療法をしているドイツ医科大学のイセルス教授という方などは、

「世界には二人の名医がいる。それは食欲不振と発熱だ」

とまで言っていて(渡部昇一・石原結實共著『東洋の智恵は長寿の智恵』より)、熱をしばらく出していない私はアセるわけでした。しかし、いろいろと発熱を促したのですが、熱には至りませんでした。

ところで、先ほど、野口晴哉さんで検索していましたら、野口さんの語録を「ツイート」しているページを見つけまして、もちろん、亡くなったご本人がされているわけではないでしょうが、それは、

野口晴哉bot

というページです。

そこを眺めていましたら、先日の記事、

本来の日本はすべての人々に「切断プログラム」で愛と覚醒を与えられる国だったことを思い出し…
 2015年06月18日

という記事に書きました

不可能に思える未来像でも、ひとりひとりが「考える」ことで実現できる

という概念に近いことが語られている言葉がたくさんあることに気づきました。

いくつか抜粋してみたいと思います。


野口晴哉さん語録


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世界が広くとも、
一人一人の覚悟がきまれば、
そのようになる。
今、実現しなくとも、
いつかは必ずそうなる。




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自分でつくった観念のため、不可能なことだと決めてしまってはならない。
一箇のパンを百人で食べても余ることは、百箇のパンを一人で食べてしまうことより実現し易い。




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世界が変わったのではない。自分が変わったのである。
自分が変われば世界は変わる。
自分の世界の中心はあくまでも自分であり、自分以外の誰もが動かせないものなのだ。



それにしても、野口晴哉さんは、他にも、いろいろなことをおっしゃっています。


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電球を割って光源を探しているのが
今までの病理学と解剖学だ。
しかし、体は影、実在してはいない。
無いものが病んでいる訳が無い。
体にこだわっていてはいのちは見えない。
いのちは体にあるのではない。



というように、

「体というものは存在していないのだから、ないものが病むはずがない」

ということを言っていて、このことについては、拡大していけば、

日本も含めて「これは壮大なディストピア社会化実験」の進行中なんじゃないかと思いつつ、それもまた仏陀の言う幻想かもしれないし
 2015年05月31日

という記事に書きました、お釈迦様の至った見解である、


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世界は幻影である。
世界は現実のものである、とは考察できない。
世界を現実のものと思うのは、大きな幻想である。
人間は元素の領域からの解放に向けて努力しなければならない。
そうすると、もはや名前も事物もない領域、涅槃にいたる。
そこで、人間は初めて幻想から解放される。
幻の世界は苦痛である。
生老病死は苦である。



や、あるいは、「人間によって観測されるまでは、この世の現実は存在しない」という記事に書きました量子力学などにも通じるものなのかもしれません。

それらの境地は、なかなか体得はできませんけれども。

あとは、教育についても、野口さんは、


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人間の価値は、その自発的行動にある。
教育の目標は、自発性を養うことにある。
自発の行為だけが、人間の自然の動きである。



と、「まったく、そうなんだよなあ」と納得させられることを述べられています。

今の教育は全般としてこの逆(基本が詰め込み教育なので、子どもたちの自発性が養われない)ですから、なかなか健やかな心身の状態になりにくいような気はして、「ああ、困ったことだなあ」と思ったりしていたのですが、しかし、このような否定的な考え方も、野口さんに言わせれば、


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希望せよ 実現してもしなくても希望しつづけよ
活力の源泉として必ず働く



というように、肯定的な態度を、各所で勧めています。

勧めています、というより、「肯定的であること以外に真実はない」ということを述べています。

整体の大師である野口さんと共に、格闘の大師といえるアントニオ猪木師も、


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不安だらけの人生だから
ちょっと足を止めて自然に語りかけてみる
「元気ですかーっ!」
自然は何も言わないけれど
ただ優しく微笑みかえしてくれた
元気が一番
今日もサンタモニカの一日が始まる

アントニオ猪木語録



と、なぜサンタモニカなのかは今ひとつわからないですが、肯定的な態度を勧めてらっしゃいます。

そして、このアントニオ猪木師が「自然が、ただ優しく微笑みかえしてくれた」という状態を体感できたことは、猪木師が肯定的態度を獲得していることを、野口さんの言葉から知ることができます。


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この世にどんなことが起ころうと、どんな時にもいつも楽々悠々息しつづけよう。
そしてこの心ができた瞬間から、小鳥は楽しくさえずり、花は嬉しそうに咲き、風は爽やかに吹きすぎる。



ここに、日本の整体のチャンピオンと、日本のプロレスのチャンピオンが精神的タッグを組むという歴史的な快挙を見せるのであります。




かつて、世界で最も人々が自由だった日本という国

最近たまに引用させていただく『逝きし世の面影』という本の中に、江戸末期から明治中期くらいの日本が、外国人から見て、どれだけ自由な国だったかということを示すものがいくつも語られています。

1820年から 1829年まで、出島のオランダ商館に勤務していたフィッセルという人は、著書に以下のように書いているそうです。


フィッセルの著作より

日本人は完全な専制主義の下に生活しており、したがって何の幸福も享受していないと普通想像されている。ところが私は彼ら日本人と交際してみて、まったく反対の現象を経験した。

専制主義はこの国では、ただ名目だけであって実際には存在しない。

自分たちの義務を遂行する日本人たちは、完全に自由であり独立的である。奴隷制度という言葉はまだ知られておらず、封建的奉仕という関係さえも報酬なしには行われない。

勤勉な職人は高い尊敬を受けており、下層階級のものもほぼ満足している。

日本では、上級者と下級者との間の関係は丁寧で温和であり、それを見れば、一般に満足と信頼が行きわたっていることを知ることができよう。



また、日本や東洋の宗教や美術を研究したエミール・ギメという人は、当時の日本について、

「なぜ主人があんなに醜く、召使いがこれほど美しいのか」

と記していたり、他の多くの外国人たちの言葉からも、当時の日本は、身分の高い人たちではなく、

身分が低い人たちや庶民が生き生きとして輝いていた国

であったことがはっきりとわかります。

これは先日の記事に書きました、メアリー・フレーザー英国大使夫人の、

「この国の下層の人々は、天が創造し給うたさまざまな下層の人間たちのなかで、もっとも生き生きとして愉快な人々」

という言葉からも伺えます。

そして、人の数としては、今も昔も圧倒的に上流階級より「大衆」が多いわけで、つまり、人口の大多数である大衆の人たちが豊かに生き生きと暮らしていたのですから、国全体が生き生きとしていたのも、ある意味では当然なのかもしれません。

そして、ここには、

「ひとりひとりの考え方」で、その国全体の方向付けができあがる

という意味が含まれていることにも気づきます。

『逝きし世の面影』には、「子どもの楽園」という章があるのですが、このように、当時の日本は「子どもにとって楽園のような国」だったことや、当時の日本での「女性の存在感の大きさ」について語られているように、もう、本当にいい国だったようです。

当時、日本にやって来た多くの外国人(というか、白人)たちは、日本の大衆の生き生きとした様子に、一様に感動し、また、「奴隷という言葉のない国」の在り方に驚きました。

だったのなら、本来なら、当時の日本人の生き方と考え方のほうこそ、当時の彼ら白人たちの文化のほうに伝えるべきだったのが、それが本末転倒となって現在に至ってしまっています。

これはネイティブ・アメリカンの文明と西洋文明の関係など、世界中のあらゆる文明に言えることだとは思いますが、つまり、

「西洋の文明と価値観が、東洋に伝わってしまった」という、間違いが起きた

ということに今となって気づくという感じですかね。

私はそれが明治維新の頃かと思っていましたが、実際には、その転機は「戦後」だったようです。




和服のこと

掲示板で、「着物」についての歓談のスレッドがありますが、それを最初に書いた方によりますと、


最近沢村貞子さん(明治41年-平成8年)の随筆を出版されているだけ全部読んで思ったのは、第二次世界大戦が終わる頃までは、江戸らしさは残っていたということです。

もちろん、鹿鳴館で貴婦人がドレスを着たり、大正デモクラシーの頃は女学生が袴にブーツで闊歩したりしていましたが、庶民はふだんは着物を着ていましたし、日本髪も今ほど特別な髪型ではなかったのです。



とのことです。

確かに、考えてみますと、戦後ずいぶんと経ちました私が子どもの頃でも、つまり、昭和 40年代くらいでも、母方も父方もお祖母ちゃんたちは普段着は着物や割烹着でした。お祖母ちゃんたちの洋服姿は、多分見たことがないです。

その世代がいなくなったあたりから、着物文化は途絶したのかもしれません。

着物を着たからどうだということではないでしょうけれど、「服装」はその民族を語る上で、ある程度は大事ですしね。

シュタイナーは、1924年2月13日に、

「なぜ服を着るか」

というタイトルの講演をおこなっています。

そして、シュタイナーは、その講演で服飾は本来、「民族の集団的心魂」を表していると語っています(『人間の四つの気質―日常生活のなかの精神科学』に収録されています)。

それはともかく、今は、全世界が、ほぼ洋服というような感じですし。

ちなみに、私は 10年くらい前から、家の中では寒い冬以外は、甚平や作務衣などの和服で過ごしていて、夜はほぼ毎日、和服です。

なので、夜、お酒を飲む時は下のような感じになっています。

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日本人自らが撮影した 120年前の日本の光景

そして、この格好のまま寝ます。

また、あまり関係ないかもしれないですが、私は椅子とテーブルの生活ができず、この数十年、ずっと床に座る生活です。食事はちゃぶ台、パソコンも座卓です。床に座る生活は、洋服より和服が楽なんです。

実際、これらの生活に慣れると、部屋で洋服で過ごすのは難しいです。

本当は近場の外出などは甚平か作務衣にしたいのですが、今住んでいるあたりでは、和服で外出している男性をほとんど見ません。

かつて住んでいた西荻窪は、若者もご老人も結構、和服で歩いていたので、甚平や浴衣で歩くことに、それほど違和感のない街でした。

下のは、検索して出てきました、西荻窪のかつて私の住んでところからすぐのところにあった民家を改装したカフェです。このあたりには、下のようなお若い和服の女性も和服の男性もわりといました。

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着物ライフ愉しみまくり♪

先ほど書きましたような、シュタイナーが言う「服飾は「民族の集団的心魂」を表している」ということがある程度正しいのだとすれば、第二次世界大戦が終わるまで長く続いた「和服時代」と、上に書きましたような「世界で最も生き生きとした国だった日本」との関係も、完全に無関係とは言えない気も少しだけします。

もし、よろしければ、過去記事で何度か取り上げました「 120年前の日本」の写真のすべてが、

Japan, Described and Illustrated by the Japanese
(日本人によって撮影され彩色された日本)

というページにありますので、ご覧いただければと思います。

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どの写真も、被写体の多くが庶民ですが、きわめて穏やかな顔立ちを見ることができると思います。

今の写真撮影でありがちな「カメラを向けられた時に作る恣意的な笑顔」などもなく(白人文化のように、笑顔を強迫する文明は実は戦闘的だと思います)、淡々としていて、穏やかとしか言いようのない表情を見て取れるのではないでしょうか。

おそらくは気持ちの安定は、「見かけ」にも影響するのだと思います。

そして、私たちがこの時代に回帰することは、野口さんの言葉をお借りしなくとも、決して不可能ではないはずです。

まずは、ひとりひとりが「必ずそうなる」と心底思うことからすべてが始まるはずです。



  

2015年06月18日



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1897年頃の日本の路上の花売り
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▲ 過去記事「日本人自らが撮影した 120年前の日本の光景」より。






 



「地球は地球でやる」、あるいは「日本は日本でやる」ために私たちがするべきこと


最近は、日本について、やや悲観的なことを書くことがあります。

「そのうち日本から子どもが消えちゃうんじゃないか」と思わせる日本をめぐる統計グラフ…
 2015年01月30日

なぜ日本は「変」に? それを知るには150年前の日本を見てみるか、あるいは、シュタイナーの「唯物論に破壊される世界」という100年前の言葉を思い出してみるか
 2015年06月10日

という記事などがそうですが、今気づきますが、こういうネガティブな発想こそ、

私自身が、「情報を受け取るだけで、それを良くしようと考えていない」という証拠

となるものです。

我ながら、「いかに考えていないか」ということを思い知らされます。

前回の記事、

ついに登場した私の救世主に気づく:「学ぶのをやめて考えなさい」 - 人間自身の無限の能力を語るジェイコブ・バーネット師 …
 2015年06月17日

で、バーネット超大師(マグマ大使かよ)は、

「知っていることを すべて 忘れ、再創造しろ」

とおっしゃってくれているわけで、大師は数学や物理の話をしていたので、勉学のことのように思われるかもしれないですが、大師は「すべて」についてのことを語っているはずです。

日本・・・といえば、上にリンクしました「なぜ日本は「変」に?…」でもご紹介しました『逝きし世の面影』という、幕末から明治の日本を訪れた外国人たちが、日本という国の素晴らしさに感嘆している多数の事例が書かれている本の時代の日本。

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結構厚い本で、類例は夥しいですが、たとえば、1889年(明治22年)に、イギリス大使として来日したヒュー・フレーザーという人の奥さんだったメアリー・フレーザーさんという方は、日本に滞在していた時の心境などを数多く残していますが、たとえば、下は、彼女の日本滞在時のご自分の心境描写のいくつかです。

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・メアリー・フレーザー英国公使夫人




メアリー・フレーザー夫人の日記より

「ただただ、陽気な笑いの発作がこみ上げるばかりでした。涙を出さずにはおさまらない、喜ばしく、たわいない笑いでした。突然、人生が嬉しく愛しいものに見え始めました」

「道すがら刻一刻と新しい光景が開け、新たな疑問もわいてきて、今まで想像されたこともない詩情とか、ちょっとした新鮮な楽しみなどを日常のなかに開示してくれる」

「この国の下層の人々は、天が創造し給うたさまざまな下層の人間たちのなかで、もっとも生き生きとして愉快な人々」





100年ちょっと前は、日本という国は、ここに来た外国人たちを「徹底した愛と、肯定的な態度に導いてしまう」という、映画『美しき緑の星』の「切断プログラム」のような国だったのです。

「そこにいるだけで切断される」。そんな国。

そして、その土地に住んでいたのは、120年前でも、今と基本は変わらない日本人です。

「この国の下層の人々は・・・もっとも生き生きとして愉快な人々」という下りなどは、ピラミッド型の階級社会と比較すれば、「パラダイス」の観念以外の何ものでもないです。

「下層」かどうかはわからないですが、当時の労働者たちは下みたいな人たちでした。

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過去記事

これは「労働者の休日」と題された 1897年頃の写真ですけれど、何となく「あんたらは、平日もそんなんだろ」という気がする好きな写真の1枚です。

しかし、たった 100年ほど前までパラダイスだった国が、今はやや地獄に向けて傾きだしている感もあるのですけれど、それは「不可能性ばかり」を見ていたからです。

実際には「過去に同じような人が実現できていたことを取り戻す」ことなど、本来は簡単なはずです。ですので、日本はパラダイスに戻ることができると確信して話を続けます。

いずれにしても、昨日の記事のバーネット大師の言葉の本当の意味を理解するまで、私はどうも「不可能性」にとらわれすぎていたようです。

「どうにもならない」

「もうだめだ」

「どうすることもできない」


このあたりの観念が無意味なものだということについては、バーネット大師も、あるいは、中村天風さんなども、「不可能性や限界線を築くことの無意味さ」を言っているように思います。「すべては実現可能なこと」だと多くの人が言っているのですから、すべてのことは実現可能だと考える他はないようです

病気もそうです。

あるいは何でもそうです。

なので、

「たった1人の(ひとりひとりの)」の「行動ではなく」、「考え」だけで、「すべてを変えることは可能」

だと考えるようにすることにしました。

こう考えることは難しいですが、そう考えるようにしました。

それでも、やはり、個人の力で日本全体を変えることなどできない?

そんなあなたにプレアデス。

こちらの記事で、一方的に宣戦布告して以来、交戦中の自称プレアデスの人ですが(苦笑)、その方の言う話のひとつをご紹介しておきたいと思います。

相変わらずの上から口調ですが、内容は私たちが「地球は地球でやる」ために、大変に必要なことが書かれているような気がいたします。


プレアデス人の言葉 vs 地球人の言葉




『プレアデス+かく語りき』 第21章 三次元で進化することにコミットする より

私たちの観点からすると、あなた方は、皆、すべてを知っています。あなた方がしなければならないのは、あなたという存在のなかに貯蔵されている記憶を活性化することだけです。

あなた方のなかには、人生を体験するなかで呻き声をあげ、次のように悲鳴をあげているのが、私たちにも聞こえます。「ときには、助けてほしい」。それでは、あなた方が歩むことのできる道、絶対うまくいく公式を提案しましょう。

その公式はきわめて単純なものです。瞬間瞬間、毎日毎日、あなたが何を体験したいかを明確に、首尾一貫してデザインすることです。おそらく、あなたが望むことは誰か別な人の境界線、限界線を敷いた考えからすれば、不可能の範疇に属するかもしれません。

自分がいかなることにも値する存在であることを優雅に受け止めながら、あなた自身のなかに、何があなたを幸せをもたらしてくれるのかの答えを探してください。

あなたに上昇感を体験させ、接続感を感じさせ、生き生きと躍動させてくれるのは何でしょうか。あなたが人間の身体に入っているそのときに、地球に平和をもたらすどのような体験をあなたは望むのでしょうか。

それがどのようなものであれ、いまこの瞬間から、それを願いはじめてください。

何度も強調しますが、あなた方は肉体的な存在を超えた存在です。あなた方は数多くの現実に同時に存在し、数多くの指導霊に見守られています。

ですから、何を意図するかについてもっと明確になる必要があります。あなた方は何がほしいのですか。はっきりいってください。あなたが意図することが何であるか明確になってください。”私は意図する”という言葉にはものすごい力が秘められています。





この、自称プレアデスの人の言うことには、かつての地球人と似た内容を含むことに気づきます。

19世紀のセルビアの予言者、ミタール・タラビッチの言葉です。

その部分をご紹介します。

訳は、2010年02月19日のヤスの備忘録の記事から拝借しています。

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・ミタール・タラビッチ(1829 - 1899年)




ミハール・タラピッチの予言(部分)

人間は地中深くに井戸を堀り、彼らに光とスピードと動力を与える金を掘り出す。そして、地球は悲しみの涙を流すのだ。

なぜなら、地中ではなく地球の表面にこそ金と光が存在するからだ。地球は、自らに開けられたこの傷口のために苦しむだろう。人々は畑で働くのではなく、正しい場所や間違った場所などあらゆる場所を掘削する。

だが、本物のエネルギー源は自らの周囲にある。

エネルギー源は「見えないの?あなたの周囲にある。私をとって」などと言うことはできない。長い年月がたってからやっと人間はこのエネルギー源の存在を思い出し、地中に多くの穴を開けたことがいかに馬鹿げていたのか後悔するようになる。

このエネルギー源は人間の中にも存在しているが、それを発見し取り出すには長い歳月がかかる。だから人間は、自分自身の本来の姿を知ることなく、長い年月を生きるのだ。

高い教育を受けた人々が現れる。彼らは本を通して多くのことを考え、自分たちがなんでもできると思い込む。

彼らの存在は、人間が自分自身の真の姿に気づくことの大きな障害になる。

だが、人間が一度この気づきを得ると、こうした教育ある人々の言葉に聞き入っていた自分自身がいかに大きな錯覚に陥っていたのか自覚するようになる。この本来の知識はあまりに単純なので、これをもっと早く発見しなかったことを後悔する。

人間は、何も知らないのに自分を全能だと思い込み、あらゆる馬鹿げたことをする。

人間の魂は悪魔にのっとられるのではない。もっと悪いものにのっとられるのだ。

人間の信じているものには真実などいっさいないのに、自分たちの信じる幻想こそが真実だと思い込むのである。

人々はきれいな空気を嫌い、神々しいさわやかさと美しさは、人間が作った上下関係の階層関係のもとで見えなくなってしまう。だれも彼らを強制するわけではない。

人間は自分の自由意思からこうしたことを行うのだ。





ここまでです。

このミハール・タラビッチ(長いですので、以下「タラさん」とさせていただきます ← 軽いな)の予言のこの部分は、まさに「現在の社会」という感じがしないでもないのですが、ここにある、

このエネルギー源は人間の中にも存在している

というフレーズは、さきほどの自称プレアデスの方の言う、

あなた方は、皆、すべてを知っています。あなた方がしなければならないのは、あなたという存在のなかに貯蔵されている記憶を活性化することだけです。

というものと似たニュアンスを感じます。

そして、

人間は、自分自身の本来の姿を知ることなく、長い年月を生きるのだ。

というのも、プレアデスの人が地球人にうながしていることと大体同じですが、それでも、この書き方では「地球の人間もいつかは気づく」ということのようです。

また、

高い教育を受けた人々が現れる。彼らは本を通して多くのことを考え、自分たちがなんでもできると思い込む。

彼らの存在は、人間が自分自身の真の姿に気づくことの大きな障害になる。

というように、「本を通して多くのことを考える」ような人たち、まあ、つまり私のような人たちは、「人間が自分自身の真の姿に気づくことの大きな障害」になると言っています。

では、どうしたらいいかというと、前回の、バーネット師の

「学ぶな」

というひとことに行き着くわけですが、他にも、大師の、

「知っていることを「すべて」忘れ、再創造しろ」

「あなた方はみんな間違っている」

「既存のものを受け入れないで、自分なりの創造的な仕方で考えなければいけない」


という言葉は、そのまま今の私たちに対する「実践的な言葉」として響きます。




自分から「限界線」を取り除く努力

もちろん、私もそうですが、突然「学ぶことをすべてストップする」ことは難しいです。
しかし、生活の中で、「考える比率を増やす」ことはできるはずです。

また、私の場合は書くこと自体が考えることにつながっていますので、「書いている時に思考を停止させないように」したいと思っています。

多くの人びとが、学ぶことより考えることを重視するようになる。

みんな、お釈迦様のように、達磨大師のように、中村天風さんのように、とにかく考える。

この偉人たちもみんな同じ人間ですから、私たちがこのような人たちになれないということはないと思います。いや、誰でも同じようになれるはずです。

「人間のデキが最初から違う」というような考え方もあるかもしれないですが、バーネット大師は、「天才なんかいない(人間は最初から能力を振り分けられているのではない)」としています。

人間は、「もと」ではなく、「考えるか、考えないかで変化していく」と言っています。

進化といってもいいかもしれません。

私たちは「進化」するためにこの地にいるはずです。
生物学的な進化ではなく、存在としての進化です。

自称プレアデスの人は、地球人が「不可能だと最初から決めていることが多い」として、

おそらく、あなたが望むことは誰か別な人の境界線、限界線を敷いた考えからすれば、不可能の範疇に属するかもしれません。

と言っていますが、それに呼応するかのように、地球人であるアントニオ猪木師は、

「限界なんて言葉はこの世の中にはない、限界と言うから限界ができるんだ」 アントニオ猪木語録

と、限界線を引かない地球人がいることも示します。

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・アントニオ猪木師


私たちには不可能はないんだということを「考える」。

今は不幸にして戦争相手ですが(勝手に戦争にしてんだろ)、自称プレアデスの人が言うように、私たち、地球の人間は、

肉体的な存在を超えた存在

であり、

その行動に限界線はない

として、タラさんが言っていた

> 人間は、自分自身の本来の姿を知ることなく、長い年月を生きるのだ。

という「その年月を越えた時」に、私たちはおそらく何かを得ることになるのでしょうけれど、それまで私たちは考えなければいけない。

マグマ大使・・・じゃないや、バーナンキ・・・じゃなくて、師匠の名前忘れちゃいましたけれど、彼が言うように、既存の考えからいかに抜け出すかが今は最も大事なことで、それが少しずつでもできれば、とりあえずは「日本」としておきますが、あるいは地球そのものの未来を肯定的に変化させられるのだと思います。

メアリー・フレーザー英国公使夫人が、120年前の日本の滞在で、

「突然、人生が嬉しく愛しいものに見え始めました」

というような「切断」を人に与えられる国にきっと戻ることができるはずです。