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2015年06月17日



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「学ぶのをやめて考えなさい」 - 人間自身の無限の能力を語るジェイコブ・バーネット師 TED講演 全語録



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Your Neural Network






 



団欒中の覚醒

私は自分の人生で、好きな人はたくさんいても、「尊敬する」という人は基本的にいない、というか、そういう対象を作らないように生きてきましたが(自由が好きな人間が「自分からこの世の自由と平等性を否定してどうする」という感じのことです)、ちょっと尊敬したくなる人物が意外なところから出現したことに気づきました。

昨日の記事、

「私たちは何か大きなものの上にいる」:地球とすべての宇宙と接続を持つ可能性がある巨大な「プラズマの輪」の存在が証明される
 2015年06月16日

で、世界的な講演会の主催グループ TED で 2012年に講演した ジェイコブ・バーネットさんという、当時 13歳の少年の話を少し書きました。

昨日の記事を書いた時は、この講演会の動画は、パソコンでかなり適当に見ただけだったのですが、昨日の夜、もう一度見ようと、家族で食事をしている時にテレビ画面に写し、大きな画面で、今度はすべての言葉をちゃんと見ていたのですね。

そうしましたところ、彼は、私たち人類の「進化」と「未来の人類社会の理想」に関与する、きわめて重大なことを言っていることに気づいたのです。

もちろん、ジェイコブさん本人はそんなことに気づいていないかもしれません。

しかし、彼が講演会で、物理の歴史を語る際に引き合いに出した、ニュートンやアインシュタイン、そして、ジェイコブさん自身に共通してあったこと、つまり、

学ぶことをやめて、考えだし創りだしたときから、すべては新しくなった

という言葉と、その概念。

「学ぶこと」は人間を発展させない

「考えること」こそが人間の進化を進める

というふたつのこと。

最近の In Deep を読まれていた方なら少しおわかりかもしれないですが、最近の私は以前にもまして、本などで「学ぶばかり」でした。

しかし、現実には、学んでいる時は考えることが止まってしまうのです(本の内容を考えることは「考えている」状態ではないです。基本的に自由な考えではない=ゼロからの発想が止まっている状態ですので)

たとえば、私にしても「恐怖」がどうのこうの、「不安」がどうだの「対峙」がどうだの言っていますが、本を読んで学ぼうとしたりしている。そのような態度では少し困りますね、とジェイソンさんは言っているわけです。

いや、実は、この「学ぶことの弊害」と「考えることが大事」なことは、ずいぶん若い時から体感的にはわかっていたのです。学ぶことを続けていると、人間は自由に考えられなくなる。

たとえば、賢人たちはどうして悟りに辿り着いたかと・・・。

お釈迦様は本などで学び続けた?

達磨大師は知識を学び続けた?

中村天風さんは学校で学び続けた?

否。

彼らが悟りに導くまでにしたことは「考えること」だけだと思われます。

ここに「私たちが大きく勘違いしている」明白な真理が見えないでしょうか。

あるいは、「勘違いさせられ続けてきた」と言い換えてもいいです。

それがまさか、偶然知ったこのアメリカの当時 13歳の少年のビデオの言葉で悟らされるとは!

そして、ジェイソンさん・・・いや、バーネット師は以下のことを講演の最後の方で強く語ります。

「ニュートンもアインシュタインも(自分も)天才ではない。天才なんていない。学ぶことをやめて、考えて、創り出してこそ成し遂げられる」




人類は飛躍的に進化することができる

実はこれに関しては、バーネット師匠の言葉で知るに至った、

人類が内在している能力に関する秘密

と、そして、未来の人類の在り方ということを絡めて、

人類が「劇的に進化」して、「劇的に能力を上げる方法」

について、いろいろなことを書きたいのですが、今回はそんなことより、このバーネット師の講演会の言葉を全部書き出すことにしました。

いいところだけを抜き出してもいいのですが、私が「いいところ」と思う場所と、他の方々や、あるいは師匠が「いいところ」と思うところは違う可能性があるからです。

20分近くの講演ですので、確かに大変ですし、相当長くなるかもしれないですので、読む方々も大変だとは思うのですが、一部のジョークなど以外は、すべてを書き写すことにしました。

私にとっては、写経みたいなものです。

くどいようですが、(あくまで私の考えでは)ここには、人類が、プレアデスの人など比較にならないほど飛躍的に進化する道が穏やかに示唆されています。

たとえば、講演の最後の3分間ほどで「まとめ」のようなことを述べていますが、この部分だけでも「人類全員が果てしない能力を獲得する方法」がさりげなくが示されていることがおわかりになるのではないでしょうか。




これは単に、自閉症から数学・物理学者になった少年の話ではなく、2歳で「切断」されて覚醒した本人からの福音と思えます。

師匠本人はそのことに気づいていないと思われますが。

少なくとも、これは私のショック体験で、師匠の講演を聞いた後に「恐怖と不安の正体」に少し近づいた自分を感じます。

ちなみに、バーネット師匠の記事を教えて下さったのは、私の講演会の打ち上げに来ていただいていた、栃木で自給自足をされている女性(農作業中、マムシに噛まれて救急搬送された経験あり)でした。この方が教えて下さらなければ、多分、知らないままだったと思います。

さかのぼれば、講演会に、あるいは打ち上げに、この方が来て下さっていなければ、私は今回のショック体験をできずに、スルーしていた可能性が高いです。

いや、さかのぼれば、出版の話がなければ・・・いや、あの人と出会っていなければ・・・それなら、あの方と知り合っていなければ・・・いや、あのことがなければ、あのことがあったから・・・いや、私が生まれていなければ・・・。

まあ、カルマは尽きませんが、ありがたいことだと思います。

これ以上、私がうだうだと何かを書いても仕方ないですので、書きたいことは今度にしまして、早速内容を書き写します。

師匠のギャグは、ややわかりにくいところもありますが、基本的にはそのまま訳して載せています。
語感や雰囲気などを出すために YouTube の訳とは微妙に違います。

ここからです。




Forget what you know | Jacob Barnett | TEDxTeen

知っていることを忘れなさい
ジェイコブ・バーネット TED 講演会



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・ジェイコブ・バーネット師匠


ハーイ、ジェイコブ・バーネットです。
楽しんでる?

ぼくは今日、「知っていることなんて今すぐ忘れてしまえ」ということを言うためにここに来ているんです。

まず、みんながわからなければならないことは、たとえば、みんなは宿題をするよね?
宿題はやらなきゃならないことだと思ってる。

宿題をちゃんとやっていれば、良い成績がもらえ、素敵なご褒美がもらえる。

ちょっとしたお小遣いとか、いいものがもらえると思っていないかい?

それは間違いなんだ!

「みんなは間違っている」というのが、ぼくの言いたいことなんです。

うまく行かせようと思ったら、すべて自分独自の見方をしなきゃならない。

どういうことかというと、考える時には、既存のものを受け入れないで、自分なりの創造的な仕方で考えなければいけないってことなんですよ。

ものを見る時には、美術でも歴史でも音楽でも何でもいいけれど、自分にしかできない見方をする。

ここで、ぼくの数学の見方をお見せしましょう。

たとえば、これは 32 で、回転は、足し算、引き算、かけ算などを表しています。


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さて、今日、ぼくがここに立っている理由は、量子力学の話をするためです。

今日やることは、シュレーディンガー方程式を、時間に対して不変な要素に分解して、それを格子と、その中の1個の粒子という、境界条件に対して解くということです。

じゃあ始めます!

講義ノートがあるので回してほしいんですが、2列にわけるので、どなたか取りに来ていただけますか?

ちょっと待って下さい。その前に、ひとつ言っておきたいことがあるので。

(と言って、その講義ノートをすべて放り投げる)


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(笑)

ぼくは皆さんを量子力学でビビらせに来たわけじゃないんです。

もっと簡単なことを考えましょう。

「円」というものがわかる人は、どのくらいいますか?

では、なぜ、円は重要なのでしょうか。

クッキーの形だからでしょうか?
スケボーの車輪の形でもありますね。
何より重要なのは、Xbox 360 に命を吹き込む形だからですよね(笑)。

学校では円についてどう習うでしょうか。

π・r 2乗とか、丸いとか・・・他にありますか?

まあ、それくらいだよね(笑)。

円について、ちよっとおもしろいことをお教えしましょう。

ジョンソンの定理っていいます。

定理っていうより、数学者のものの見方です。

ジョンソンが言ったのは、3つの同じ大きさの円を重ね合わせて、6本の青い線が … 円を青で描いたとしてですが、6本の線が1点で交わるようにしたとき、円が交わる他の3点は、同じ大きさの円の上にあるということです。


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これはπ・r 2乗とは違う新しいことです。

なぜなら、ジョンソンは、「円はπ・r 2乗で丸い。それで終わり」というようには考えずに、数学を作ったわけです。彼独自の見方をして、そうしたんです。

ここにいるみんながみんな数学の才能に恵まれているわけではないことは知っているので(笑)、もっとおもしろい話をしましょう。

中高生以上の皆さんなら、アイザック・ニュートンを知っていると思います。

あの、プリズムとかで、何かやった人です。

ニュートンは 1965年に、ケンブリッジ大学にいました。

歴史が得意な人は知っているでしょうが、ペストの流行のため、ケンブリッジ大学は閉鎖されました。

ニュートンは学ぶことができなくなったのです。

学ぶのをやめて、おそらく寮に閉じこもり、飼い猫と一緒にペストから逃げていたのでしょう。

学ぶことはできなくとも、考えることをやめたくはありませんでした。

それで、ニュートンは天体物理の問題を考えることにしました。

特に、地球を回る月の軌道を計算したかったんだと思います。


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ニュートンがやったのは、この問題を解くために微積分を作り、運動の3法則を見つけ、万有引力の法則を見つけ、法則を検証するために、反射望遠鏡と光学を作り、そういったものすごいことを「学べなかった2年の間に」やったんです。

当時、ニュートンが学べなかったのは、ぼくらみんなにとって、とてもいいことだったのです。

学ぶことをやめたことで、自分で考え始め、新しい科学を作ったんです

よかったですよね。

そのおかげで、あの物理学理論があるんですから(笑)。

ニュートンは学者になったり、オールAを取ったり、成績優秀者リストに載ったり、教授のお気に入りになることはできたかもしれないですが、もし、あの時に、学ぶことを「やめなければ」何も創ることはなかったでしょう。

理論を新しく生み出すときに、ニュートンは自分で考え始め、独自の見方で物事を見る必要があったんです。


最初に自己紹介をやらなかったので、ぼくの自己紹介をきちんとしておきたいと思います。

11年前(2歳のとき)、ぼくは自閉症と診断されました。

ぼくは物事に極端に集中してしまうため、周囲からぼくは何も考えていないように見えたようです。

だから、ぼくは、「ここに光が反射しているから、光源は上。そして、ぼくの影はここだから、光はあっちから来る」と思って見上げると、その通りという感じだったんですね(笑)。

そんなことで、周囲は、ぼくは学ぶことができない子どもだと思ったんです。

じっと空を見上げ続けているだけで、ぼくが何もしていないように見えたので、みんなは、ぼくが何も学ばず、何も考えず、何も話さず、靴紐も結ばず・・・あ、それは当たっているかも。いつもサンダルだから(笑)。


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(バーネット師はいつもビーチサンダルのようです。この日の講演会でも)


でも、ぼくはその頃、大きな本屋に行って教科書を買い、本のデータからケプラーの法則を導いたんです。ぼくが何も学びも考えもしないと思われていた時にです。

他の人から見たら、ぼくは芳しくなくて、普通の2〜4歳の子どもがするような、フィンガーペイントだとか、お話とかをやらなかったんです。

それで彼らがやったのは、僕に特殊教育をほどこすということでしたが、それはものすごく特殊でした。何しろ何も教えなかったんですから(笑)。

それで、ぼくは学ぶのをやめなければなりませんでした。

特殊教育のために、学ぶ方法がなかったんです。

そんなわけで、ぼくは何も学ぶことができませんでした。

でも、その時に、影の付き方だとか、そんなことを考えるようになり、それが今、天体物理学とか物理学とか数学が好きな理由だと思います。

学ぶのをやめたことが、今日のぼくがある理由なんです。


じゃあ、重力の話をしましょう。

ニュートンの後に何があったのかというと、ニュートンの後 200年くらいすると、物理学者がニュートンによる軌道をチェックするのに十分な実験技術が発展しました。

ニュートンの予想によれば、水星の軌道は長円です。科学者は「楕円」と言っていますけれど、しかし、望遠鏡を向けてみると、それは違うことがわかりました。

これです(左はニュートンによる水星の軌道。右が正しいらしいです)。


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まあ、科学者の方なら、この絵がすごい誇張だってわかるでしょうけれども。

いずれにしても、何と! ニュートンは正しくなかったのです。
史上最高の物理学者であり、最高の頭脳が間違ってたんです。

彼は間違った!(笑)

だから別の人間が必要になるわけです。
ニュートンがやったようなことをやる人間が。

知っていることを「すべて」忘れ、すべてを創り直すのです。


「再創造」です。


その人物が、アルバート・アインシュタインです。

アルバート・アインシュタインも行き詰まりました。
あまりうまくいってなかったんです。

アインシュタインはユダヤ人で、ナチスが台頭する前のドイツで大学の職を得られませんでした。それで、彼は特許事務所で働いたのです。理論物理とは関係のない仕事です。

あのアインシュタインがです!

それで、アインシュタインには突如として考える時間がたくさんできたのです。

学ぶことをやめなければなりませんでしたが、考える時間は、たっぷりとあったのです。

それで彼がやったことは・・・彼は思考実験が好きで、あらゆる違う考え方を試したんです。

アインシュタインは想像してみました。

自分が2人の友だちとトランポリンの上にいて・・・うーん・・・アインシュタインに友だち2人は多すぎますかね(笑)。

アインシュタインは1人の友だちと一緒に、トランポリンの上でテニスかなんかして遊んでいたんだと思います。

何しろ物理学者ですから、運動神経がそんなに良くなくて(笑)、テニスボールを掴み損ねて、ボールが周辺にゴロゴロ転がったとします。

これを見て、アインシュタインは叫びます。

「摩擦がなければ、これが重力だ!」と。

「これが重力なんだ!」と気づいたんです。

それで、とてもクレージーな動きを予想したんです(下の図)。


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そのクレージーな動きは、別のクレージーなことと一致したんです。

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アインシュタインは独自の見方、独自の考え方をすることによって、問題を解いたんです。

学ぶことをやめて、考えることを始め、創り始めたんです。


ぼくの昔の話に戻りましょう。

ぼくは周囲からは芳しく見えなくて、隅に放っておかれたという話でした。

3年前のことですが、サボりたい数学の授業があったので、そうできるようにするためやることにしたのは、代数と三角法と、その他、中高で習う数学と大学1年の解析を、すべて2週間で勉強してしまうということです。

そうしたら、あとはサボっていられますから。
10歳の時でした(笑)。

当時、大学への願書が受理されました。これも 10歳の時でした。
それで面接試験を受けに行かなければなりませんでした。大学に入るのに必要なんです。

面接を受けに行ったとき、駐車場に払うための硬貨をたくさん持っていたのですが、それを何と、面接官の部屋で床に全部ぶちまけてしまいました。

このことで、ぼくは常識を欠いているという印象を持たれて、入学は丸々1学期保留されることになったのです。

それで、ぼくは学ぶことをやめなければなりませんでした。

それで何をしたか。

学ぶのをやめて、テレビゲームで遊んでいたのか?

違う!

ぼくは「形」について考え始めたのです。

そのとき、ぼくは、天体物理学のある問題について考えていました。


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当時、天体物理にとても興味があったんです。
もちろん、今も興味があります。

次の2週間、いろいろな形について考え、その問題について考え、そうしたら問題が解けたのです。

天体物理の問題を解いたわけですが、それは基本的に、アインシュタインやニュートンに起きていたのと同じことです(学ぶことができなくなり、考えるようになったこと)。

まだ発表していないので、正確にどういう問題なのかは言いませんけれど、論文が出たら、それとわかるでしょう。

ぼくは、そういった問題を考えるのに、量販店で売られている 500枚組の安い紙を使っていましたが、考えているのが、多次元の話だったので、紙がすぐ足りなくなるのです。

紙を切らすと、ホワイトボードに移動しましたが、ホワイトボードなんて、すぐにいっぱいです。

それで今度は家の窓に移動しました。

それからぼくはマジックリンと戦うことになります。あの邪悪なマジックリンに、ぼくの数式が消されてしまいます。

そのうち、ぼくが公園とかに遊びに行かないで、窓に変な図形ばかり描いていることに、両親が気づきました。


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ぼくがやろうとしていたことは、基本的に反証です。

ニュートンみたくはなりたくないですので。

100年も経ってから、間違いを証明されるなんてごめんです。

それで窓に行って、反証しようとしたんですが、できませんでした。

その後、両親は、ぼくが公園に行くべきだと考えて、プリンストン大学から誰か呼んできて、ぼくに対しての「反証」をしてもらうことになったのですが、ぼくのやっていることはどうやら正しそうだということになって、両親の計画はうまくいきませんでした。

公園はナシになりました(笑)。

ぼくは、学ぶことをやめなければならなかったことによって考え始め、問題を解いたんです。

その後、微積分のビデオを制作することにしたんです。微積分を学びたいというような変人も3人くらいはいるかもしれないし(笑)。

それで作ったんですが、12歳で微積分のビデオを作っているということで注目され始めました。


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最初に取り上げたのは、インディアナポリス・スター紙で、一面で取り上げられました。写真が出ていますが、この時、ぼくはサンドイッチを食べていました(笑)。

おいしかったです。

それ以来、ぼくの微積分のビデオが大人気になりました。そもそも微積分のビデオが人気になるなんて誰が思ったでしょうかね(笑)。

外国語にも翻訳されました。それから、フォックステレビの人から連絡があって、その人の窓に書くことができることになりました。フォックステレビは窓がすごく広くて良かったですね(笑)。

それから、いろいろな変な人が家に訪ねてくるようになりました(笑)。
これは CBS 60 ミニッツのモーリー・セーファーです。


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写真をよく見ると、ぼくは今と同じサンダルを履いていますね(笑)。


まとめみたいなことをしましょう。

アインシュタインやジョンソンやニュートンといった、ぼくがこの講演で取り上げてきた人たちは、みんな天才だったんでしょうか?

それが彼らを特別にしていたものなのか?

天才だったからできたのでしょうか?

それはちがう!
絶対に!

天才だからじゃないんです!

この人たちはみんな「学ぶところから考えるところ」へと、そして「創るところ」へと変化を辿っているんです。

メディアはそれを単に天才だと言っていますけれど。

まあ、彼らの IQ が比較的高かったのは確かでしょうけれど、しかし IQ が高くても、こういったことが何もできない人たちもたくさんいて、例えば、ただ円周率を 20万桁とか覚えて、それでおしまいとか。

なぜ他の数字を覚えないのか疑問です。たとえば、今ぼくが着ている黄金比(φ)などを(笑)。


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ぼくは、そもそも、このようなところに立つことを期待されていませんでした。

言葉を話すようにはならないと言われていましたから。

あの時のセラピストたちがどこかでこれを見たら卒倒すると思いますよ(笑)。

ぼくは、話せないと思われ、学べないと思われていましたが、今日ここに立っています。そして、何百人ものニューヨークの人を前に話しています。


今日の話から皆さんに持ち帰ってほしいことは何か?

皆さんにやっていただきたいことは、次の 24時間、まあ、土曜日ですが学校があったりとか、いろいろとある人もいるでしょうが、次の 24時間は、学ばないで下さい!

これから 24時間、学ぶことを禁止します。

その代わりにやってほしいのは、何かの分野に・・・皆さんは何か好きなことがありますよね? ここで少し話しただけのぼくは、皆さんが何に興味あるのかわからないですが、みんな何か好きなことがあって、それが何かは、自分でわかっていることでしょう。

その分野について学ぶかわりに、その分野について考えてほしいのです。

その分野の学生になる代わりに、「分野そのもの」になってほしいのです。

音楽でも建築でも科学でも何でもいいです。

その分野について考えてほしい。

そうすれば、あなたは何かを創り出すことができるかもしれないのです。



  

2015年06月16日



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クレオなひととき - 天文物理学の歴史的発見をした人物は

先日、下のような見出しのニュースを見つけました。

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▲ 2015年06月15日の The Watchers より。

この「太陽と地球の電気的な接続が確認される」という見出しは何とも目立つものではありますが、記事をよく読むと、2週間ほど前、オーストラリアの普通の学生さんが「天文物理学上の世紀の発見」を発表しまして、その発見に対しての独自解釈というようなもののようです。

この記事の基となった、オーストラリアの学生さんによる「世紀の発見」というのは、下のように報じられたものです。

plasma-tube-earth.gif
news.com.au


地球が「巨大なプラズマのチューブの上に浮いている」、あるいは、そのプラズマに「包まれている」というような状態であることが証明され、そして、このチューブは外宇宙とつながっていると考えられるのです。

このプラズマのチューブの高層大気のイメージは下のようなものです。

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CAASTRO


このニュースはとても興味深いものですので、最初にご紹介しておきたいと思います。
オーストラリアのメディア news.com.au の記事です。

ちなみに、発見したクレオ・ロイさんというのは女性です。彼女は普通の学生さんなんですが、その学生さんが「 60年来、天文物理会が証明できなかったことを証明した」という点にもニュース性があります。

ここからです。






 




Aussie student proves existence of plasma tubes floating above Earth
news.com.au 2015.05.02

オーストラリアの学生が地球上空に浮くプラズマ・チューブの存在を証明

オーストラリアで、目には見えない、巨大で移動するプラズマチューブが、地球の上空を埋め尽くしていることが発見された。

当初は天体物理学会内での懐疑的な見方があった所見だが、オーストラリア・シドニー大学の学生クレオ・ロイ(23歳)さんが、この現象が存在することを証明した。

ロイさんは西オーストラリアの奥地で電波望遠鏡を使用し、3Dで宇宙空間を表示することで、地球の大気が、これらの筒状の複雑で不思議な形状のプラズマ構造で埋められていることを証明したのだ。


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CAASTRO


大気によって作られたこれらの多層管は太陽光によってイオン化されている。

全天天体物理学オーストラリア研究会議センター( CAASTRO )に所属するロイさんは、

「 60年以上もの間、科学者たちは、これらの構造が存在していることを確信してきたのです。しかし、今回がそれをイメージングした最初となり、私たちはこれらが本当に存在することの視覚的証拠を提供しました」

と述べる。

「私たちは、地上 600キロ程の上部電離層を測定しました。それらはプラズマ圏に上向きに連なっているように見えます。これは、中性大気(電離していなくて電気的に中性の大気)が終わるくらいの場所で、そこから宇宙空間のプラズマに移行しています」

「高密度プラズマのストライプと、低密度プラズマのストライプと交差する場所で、私たちは上空に印象的なパターンを見ます。このパターンがゆっくりと地球の磁力線に美しく整列します」


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そして、ロイさんはこう言った。

「私たちは、何か大きな上にいるのかもしれないと気付かされるのです」



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・クレオ・ロイ( Cleo Loi )さん。


マーチソン・ワイドフィールド・アレイ( Murchison Widefield Array / MWA )という遠隔望遠鏡を使用したことが、ロイさんが画期的な発見をするキッカケとなった。

この望遠鏡は、南天全体を覆う大規模探査を行い、3Dの表示することができる非常にエキサイティングで画期的な技術を持つ。


マーチソン・ワイドフィールド・アレイ( MWA )
MWA.jpg


ロイさんは、この研究は最初、望遠鏡の画像の欠陥を指摘されて受理されなかったことを私たちに話した。

「彼らは、このタイプ(マーチソン・ワイドフィールド・アレイ)の望遠鏡画像を見たことがなく、データを見たこともありませんでした」と、ロイさんは言う。

「多くの人たちは、これが単に撮影上に問題があり、このようなエキサイティングな事象は存在しないと確信しているようでしたが、それは私が単なる学生だったことも関係しているかもしれないと思い、不思議な気持ちになりました。しかし、私は観測に慎重でしたし、そこで何かが起きていることを確信していました。」

「電離層内のイオン化のパターンは非常に構造化されていることがわかり、これらは地球の磁場と整列している管状の構造の中を流れます。それらのチューブはその後、自らの調和で移動するのです」

ロイさんは、漂流するプラズマチューブは、天文データ、特に衛星ベースのナビゲーションシステムのデータを歪める可能性があると述べる。これはまた、我々が銀河や星、ガス雲の挙動を再評価しなければならないことも意味しているかもしれない。

CAASTRO の科学者で、シドニー大学物理校のマーフィー博士( Dr Murphy )は、以下のように述べている。

「今回のクレオの偉大な功績は、これを発見したということだけではありません。科学界の他のジャンルの人々にこのプラズマ・チューブの存在を確信させたということが偉大なのです。特別な科学背景を持たない一般の学生がこのような発見をしたということは、何とも印象的な成果であると言えます」





という記事です。

このように、最初のうちは、このクレオさんのデータは、彼女がこの分野の専門家でもない単なる学生さんだったこともあるのかもしれないですが、あまり相手にされなかったようなんですが、最新鋭の望遠鏡の使用によって、クレオさんの歴史的な発見は、陽の目を見ることになったのです。

この発見は、

地球は、宇宙から延びている(あるいは広がっている)と考えられる「プラズマのチューブ」の上に乗っかっていることがわかった

ということで、プラズマ・チューブがどこまで広がっているか、あるいは、どこから始まっているかということはわからないにしても、

地球が、外宇宙と直接的な(物理的な)接続を持っている

ことがひとつ明らかになったわけで、クレオさんの発見は考えている以上に大きなものだと思います。

専門家ほど固定観念に縛られていない人の方がいろいろと発見するのかもしれませんね。

精神的な宇宙と共に、「物理的な宇宙の姿」というのも、この数年は飛躍的に変化していて、たった数年前の宇宙の「標準形」とはずいぶんと違ったものになってきている感じがあります。

銀河のイメージなんてのも何だか昔とは違うものになってきていたり。

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▲ NASA のフェルミ線望遠鏡の観測により明らかとなった天の川銀河の中心の構造。過去記事「天の川銀河の中央から「太陽の 400万倍のエネルギー」の超巨大フレアが…」より。


このプラズマチューブの記事とは全然関係ないことですけど、クレオさんのような一種の天才を見まして、あるニュースというか、記事を思い出しました。




「何も学んではいけません。 自分の興味のある分野について考えてください」

その記事は、

アインシュタイン以上のIQを持つ、自閉症の少年のスピーチ。「大切なのは学びじゃない」
 Tabi Labo

というものです。

TED という世界的講演会をおこなう団体があります。

TED (カンファレンス) - Wikipedia

カナダのバンクーバーで、毎年大規模な世界的講演会を主催している非営利団体のこと。

TEDが主催している講演会の名称をTED Conference(テド・カンファレンス)と言い、学術・エンターテイメント・デザインなど様々な分野の人物がプレゼンテーションを行なう。

というもので、さまざまな著名人の世界的講演会も行われます。

そして、先ほどの記事は、この TED で 2012年に講演をおこなった、ジェイコブ・バーネットさんという「 13歳の少年」の講演内容について訳されています。

ジェイコブ・バーネットさんは下の方で、 13歳ですので、まあ少年です。

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YouTube


ジェイコブさんは、2歳の時に医師から「自閉症」と診断され、特別養育クラスに入れられました。本人の講演会の言葉ではこうなります。


ジェイコブ・バーネット TED での講演会より

僕は約11年前、自閉症と診断されました。細かいことへのこだわりが強く、何も考えていないように見えたのです。

まわりの人から、僕は一生学習できないし、考えることもできないし、靴ひもを結ぶことすらできないと言われたのです。

でも、その年に本屋で教科書を買い、そこに載っていたデータからケプラーの法則について考えていました。




2歳くらいからケプラーの法則を考えていることからわかるように、医師の診断はどうであれ、数学や物理に異常な興味を持っていたようで、結局、ジェイコブさんは 10歳で大学に合格。

その 10歳の時にジェイコブさんはどんな毎日だったかというと、


ジェイコブ・バーネット TED での講演会より

僕はある天体物理学の問題に取り組みました。しばらく後に、その答えを導き出したのですが、まだ発表されていないので、どんな問題だったかはお話しできませんが論文が発表されたら分かるでしょう。

その時僕はたくさんのことを考えていたので、オフィス用品店で買った500枚の紙は、すぐに使い切ってしまいました。紙が無くなったので、次はホワイトボードに書きました。でも、それもすぐに埋まってしまいました。なので、窓に書くことにしました。

僕の方程式は窓拭き洗剤に消されるところでしたが…(笑)。


そして、ジェイコブさんは。その後、

「微分積分をしたい人のために、分かりやすく説明したビデオ」

というものを作成( 12歳の時)します。

これが 200万人に視聴されるという大ヒットとなり、しかも、それを作ったのが 12歳の少年だとわかり、有名になったのだそう。まあしかし、12歳とはいえ、大学(プリンストン大学)2年生ですし、それほど不思議なことではないでしょうが。

それでまあ、こういう天才肌の人は時代に何人かはいますので、そのこと自体はいいのですが、ジェイコブさんが講演で最後のほうに言っていた言葉に深く納得しまして、私は先日、同じことを自分の子どもに言ったのです。

下がジェイコブさんの発言です。


ジェイコブ・バーネット TED での講演会より

さて、ここから皆さんにやってほしいことがあります。

今から24時間、何も学んではいけません。そのかわりに何をしてほしいかというと、自分の興味のある分野について考えてください。その分野の生徒になる代わりに、自分でその分野を発掘してほしいのです。

それが音楽であろうと、建築、科学と何であろうと考えてほしいのです。この24時間でもあなたが何か、新しいものを創造できるかもしれませんよ。ありがとうございました。



この講演の言葉から「ありがとうございました」を除いた部分を、子どもに言ってみると、

「うーん・・・考えたことなかったけど・・・音楽かなあ」

など、とても曖昧ながら、少し考えていました。

何も学んではいけません。 代わりに何をしてほしいかというと、自分の興味のある分野について考えてください。

というのは、本当なら、小学校で先生方から子どもたちに言ってあげてほしい言葉ですけど、それは確かに難しいですので、親がたまに言っていげるのもいいかと思います。

なお、このジェイコブさんの講演会の様子は、日本語字幕つきで YouTube にあります。

Forget what you know | Jacob Barnett | TEDxTeen

字幕は、画面の右下の「字幕ボタン」を押すと表示されます。
赤く囲んだ部分です。

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視聴数も多いです。

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心魂と学習

ジェイコブさんはここで、過去記事、

シュタイナーが「子どもへの詰め込み教育は絶望的な社会を作る」といった100年後に、完全なるその社会ができあがった日本…
 2015年04月16日

の中でご紹介した、シュタイナーの言う「学習の内容と自分自身との興味のリンクがなければ、それは身につかない」という意味のことと、本質的に同じことを言っています。

特に小さな時は、できれば人は、興味のあることだけを考えるべきだとは思います。その学習の内容が、いかに素晴らしいものであっても、「興味のないこと」を詰め込まれた場合、それは本質的にその人の中に入っていかない。

このことは、受験を経験してから数十年経った方なら、何となく実感できるのではないでしょうか。「受験で覚えたことのほとんどを覚えていない」と(全員がそうだというわけではないですが)。

シュタイナーの『人間の四つの気質―日常生活のなかの精神科学』に収録されている、その部分を掲載しておきます。


シュタイナーの 1912年の神智学協会会員に向けての講演より

小学校でも詰め込み教育が行われるようになると、その害は想像を絶するものになるでしょう。

詰め込み教育の本質は、心魂つまり存在の最奥の核と、詰め込まれるものとの結びつきが、まったくないことです。心魂は詰め込まれる内容に、関心を持てないからです。

習得したものをしっかりと自分のものにしたい、という気持ちがないのです。人間の心魂と自分が習得するものとのあいだに、興味の絆がわずかしかないのです。

その結果、活動的に公的生活に関わることができなくなります。詰め込まれたものが、自分の職業の課題と内的に結びつかないからです。心魂が、頭の活動から遠く離れているのです。

人間にとって、頭の活動と心魂が遠く離れていること以上に悪いことは、他にありません。



ジェイコブさんが幼児の時に考え続けていたような、ケプラーの法則とか微分積分とか、そんな大層な話でなくとも、日常の些細なことで十分でしょうけれど、「なるべくなら、子どもたちは興味のあることを中心に考えたりおこなったりする」ことが大事なことのように思います。

今回は、オーストラリアのクレオさんと、アメリカのジェイソンさんという2人の「発見者」のことを書きましたが、その上で、クレオさんの発見した、

「地球を取り巻く宇宙の構造の真実」

は、私たちの物理的な宇宙認識がまたひとつ変化する大きな発見でした。



  

2015年06月15日



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素足の田植えの日

昨日( 6月14日)は、神奈川県の藤野のわりと山奥の田んぼの田植え会に参加させていただきました。渓谷近くのキャンプ場横ということで、子どもたちもそうですが、私たち大人も同心になった気分で遊んでいました。

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chiebukuro.yahoo


あ、違う。
童心に帰った気分で無邪気に過ごしていました。

農業を初めて2年目という真鍋さんは、性格ルックスともども、とても穏やかな感じの方で、田植え会のほうも穏やかに進みました。 In Deep を読んで下さっているという方もいらっしゃいまして、ほんの少しの時間でしたが、お話などもさせていだきました。

そういえば、私は写真とかの記録をあまり残さない人で、場所がとてもいいところでしたので、写真の1枚でも載せたいと思っていたのにすみません。

一緒に行った友人はスマホを持っているので、あとで聞きますと、

「息子が田んぼの前でお尻その他下半身を出している写真ならありますが」

とのことで、ちょっと載せられないようです。

それにしても、田植えは裸足でおこなったのですが、素足で泥の中に足を入れるのが、あんなに気持ちいいとは思いませんでした。うちの子どもも「気持ちいい」と、結構熱心に田植えをしていました。

当たり前といえば当たり前かもしれないですが、自然と直にふれるのは、やはりいいですね。

今は日本はかなりの地方でも、畑など直接土のある場所へ出ていかないと、道路はほとんどアスファルトで舗装されていて、建物もコンクリートだったりすることが多いですから、

「コンクリートの上を延々と移動して生活している」

という生活が日本人の基本の生活となりつつあります。

これはこれで便利な生活ですが、ここにワンクッション「土の上に立つ」とか「木や植物」とふれるなどが加わるだけでも、おそらくは、日本人の体と精神状態は今よりだいぶん良くなるように思います。

いずれにしても、昨日お会いできた皆様はありがとうございました。

ところで、先日の記事、

プレアデスの人たちへの宣戦布告
 2015年06月14日

という物騒なタイトルの記事では、『美しき緑の星』の冒頭シーンの「」の意味にふれてみたりしました。

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これに関して、「見ること」の意味について少しふれてみたいと思いました。




「見ることの意味」と「見る方法」

この話の前提としては、それこそ、自称プレアデスの人たちには、「私たちの見ているものの多くが事実でもなく、幻影かホログラフのように捏造されたもの」というような主張が存在するので、「私たちが日々、目でみているものの意味」を考えたくなるという部分があります。


『プレアデス+かく語りき』より

彼らはホログラフィの挿絵を作り、それは真に迫ったドラマそのものですが、それをポータルを通してあなた方の現実のなかに挿入するのです。

これをやっている宇宙存在は何十万年も生きている存在であり、人類の周波数はコントロールされているために、人間を騙すことは彼らにとってはまったく簡単なことです。

ホログラフィーの挿絵は、三次元の世界とまったく同じように見えます。それは作られた出来事であり、それをあなた方の現実に、現実のつづきであるかのように挿入します。それは見ている者の頭脳に影響をおよぼす目的で使われ、見分けるのはとても困難です。



というような主張です。

上の抜粋は、

『美しき緑の星』の宇宙人たちは私たちの「何から何を」切断しているのか?
 2015年06月08日

に載せたものです。

さて、それはたとえば、具体的にはどのようなものによるのか、というのは、それはもう様々なものらしいですが、上と同じプレアデス本から抜粋いたします。

このように「宣戦布告」しながらも、その主張を大いに利用させていただくという主体性のなさが、私たちの特徴でもあります。




『プレアデス+かく語りき』第8章 究極の暴虐のおよばないところ より

あなた方の感情的な肉体を主食としている存在がいるということは前にもいいました。彼らにとってテレビがいかに巧妙な道具となっているか分かるでしょうか。

世界中で、何十億人という人間が、テレビで何かを見ては感情のジュースを大気圏に吐き出しています。あなた方を怒らせるために、戦争を作り出す必要はもうありません。映画を作ればよいのですから話は簡単です。

テレビを見る必要のある人たちは、彼ら自身の頭脳のなかにある豊かな情報源、そして、また、彼らのまわりにあって、いつでも入手できる情報源を活用していません。

まったくの話、もしあなた方が進化したいと願うのならば、新聞を読まないでください。ラジオを聞かないでください。テレビを見ないでください。

ある一定の期間、マスコミを完全にシャットアウトして、混乱、焦慮、ストレス、多忙、無用なさまざまな誘惑の周波数から自分を解放すれば、明確になり始めるでしょう。

そうすれば、あなた方自身の内部で進行していることに耳を傾けるとができ、この世界のなかで迷子になることなく、この世界をフルに生きることができるようになるでしょう。

あなた方は明確になるでしょう。






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▲ 映画『美しき緑の星』より、未来の地球の「復興前の混乱期」と呼ばれる描写。人々による電気製品や薬などのボイコット運動が始まるとされる時代。


また、こちらは出典はうまく書くことができないのですが、「ある存在」とでも言うのか、そういう人も、やはり、神を見る幻想や、神経症や精神病などが「作られている」ことを述べていましたが、これについては今回はふれません。




見えているものの中にある「見えないものと意志との関係」

さて、前回の記事でふれた「見る」ということについては、自称プレアデスの人たちも、映画『美しき緑の星』の人たちも、あまり語ってはくれません。

ところで、シュタイナーは、『いかにして高次の世界を認識するか』の中で、何度も「見ることの重要性」を述べています。

しかし、彼の言う「見る」ということについては、多くが、

見えないものを見る努力

という、やや難解な事柄について書かれます。

たとえば、「秘儀参入の初段階」というセクションには、

「植物の小さな種を目の前に置いて下さい」

というフレーズから始まる「秘儀参入の前段階の訓練」(本訓練ではない)として、植物の種をどのような心境で観察するか、ということについて、次のように述べています。

シュタイナーにかかると、たかが種を見る行為もおおごとであることがわかります。

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・アサガオの種。丸々太るアサガオの種子 より


シュタイナー『いかにして高次の世界を認識するか』より

「植物の種の中には、将来、種から成長してくるものが、すでに隠された形で(植物全体の『力』として)存在している。人工的に本物そっくりに作られた種のなかには、この力は存在していない。しかし『私の目には』本物の種も、人工の種も、同じように見える。つまり本物の種には、それをまねて作られた人工の種のなかには存在していない何かが、『目に見えない形で』含まれているのである」

では、このような目に見えないものに感情と思考を向けてみて下さい、そして次のように考えて下さい。

「このような目に見えないものは、将来目に見える植物に変化する。そのとき私は目の前に、その形と色を見ることになるだろう」

そして、次のような思考の中に没頭して下さい。

「『目に見えないものが目に見えるものになる』。もし私が『思考する』ことができないならば、将来、目に見えるようになるものが、このように予感となって現れることはないだろう」



というように、難解ではありますが、

「目に見えないもの」と「目に見えるもの」と「思考」との関係

をどんなものを見る時にも大事にしなくてはならないというようなことを言っているのだと思います。

他にも、シュタイナーは多くの類例を挙げて、「目に見えないものと、目に見えるものの関係性に着目する」ことを述べています。

そして、シュタイナーは、同書籍の別の部分で、

霊的な真理を知る人は、日常生活において霊的なまなざしの前にかけられているヴェールを取り去らなければなりません。

という、「この世界は真実の上にヴェールがかけられている」とする、自称プレアデスの人などによる主張と同じようなことを、やはり幾度となく述べます。

また、

高次の秘密のなかに足を踏み入れるとき、私たちは、物質体の感覚によって生み出される幻影をとおして、通常の人間には隠されている事物を見ることになります。

と、「見えていなかったもの」も、訓練次第で、「見えるようになる」ということが書かれてあるのが、この『いかにして高次の世界を認識するか』という書籍ですが、ここでシュタイナーの語る「高次の世界を認識する道のり」は、異常に厳しくて遠いことも、この本からわかります。

シュタイナーは、安易な方法によって霊的な世界を認識する方法(そういうものもあるらしいです)危険性に関して多く述べています。

そのためか、シュタイナーのこの本で展開される「修行の方法」は、非常に険しい道です。「書籍の1章をクリアするのに 50年くらいかかる」(まあ、ゲームではないですが)人がいても不思議ではないです。

数十年間の人生程度では少し無理な感じで、何度かの世を経てはじめて近づけるか、あるいは、何百の世とか。

そういう意味で、このシュタイナーの『いかにして高次の世界を認識するか』は、実践本としては、私たちにはあまり意味がないかもしれないですが、「この世の真実」を(興味本位でも)知るためには、いいものだとは思います。




自分自身で自分を探しなさい

さて、今回のタイトルの「自己切断プログラム発動のために」というのは、特に具体的なものを示そうと思ってのことではないです。

何というか、いろいろな人たちの主張や考え方の中で「表現上は整合性がありそうな部分」をいくつか掲示しながら、それらが積もり積もって、いつか、自分にも他の方々にも役に立つようなことがあればいいなと思ってのこと、という程度のものではあります。

そういえば、「役に立つ」といえば、自称プレアデスの人は、

あなた方のすべてが、アメリカ・インディアンの教えに触れることができるように意図することを勧めます。

と述べています。

この「アメリカ・インディアンの教え」に関しては、たしかに、普通の生活の中でも大事にしたい内容もあり、

2015年からの未来を考えるために知っておきたい 「アメリカ先住民の倫理の智恵」
 クレアなひととき 2015年01月11日

に載せたものを掲載しておきます。

この3番目に「自分自身で自分を探しなさい」とありますが、最近の私の考え方も、この考え方が芽生えてきているからかもしれません。




The Wisdom of The Native Americans

アメリカ先住民の智恵

1. 祈りのために太陽と共に立ち上がりなさい。1人で祈りなさい。何度も何度も祈りなさい。あなたが話しかける時だけ、大いなる精霊は聞いてくださる。

2. 行き先を見失った人々への寛容さが必要だ。魂を失った人々の無知、うぬぼれ、怒り、嫉妬と強欲。あなたは、彼らが道を見いだせるように祈りなさい。

3. 自分自身で自分を探しなさい。他の人々にあなたの行き先を作ることを許してはならない。その道はあなたの道であり、あなたひとりの道だ。他の人々があなたと一緒にその道を歩くことはできても、誰もその道をあなたのために歩くことはできない。

4.あなたの家の訪問客へのもてなしをおおいに考えなさい。 訪問客には最高の食事と最高の寝床を与えなさい。そして、彼らに対して最大の尊重と敬意を持って接しなさい。

5. あなたのものではないものを自分のものにしてはいけない。他の人々からも、集団からも、大自然からも、そして、文化からもだ。自分で得たものか与えられたものでなければ、それはあなたのものではない。

6. この地球にあるすべてのものを尊敬しなさい。人であろうと、植物であろうと。

7. 他の人たちの考え、希望、言葉を尊重しなさい。決して、その言葉を遮ったり、笑ったり、無礼な態度で接してはいけない。この世のひとりひとりのすべての人間が、その人自身の表現を持つ権利がある。

8. 他人について悪く言ってはいけない。ネガティブなエネルギーがあなたに戻ってくる時には、宇宙に放出されて増殖してかえってくる。

9. すべての人間は間違いを犯す。間違いを許しなさい。

10. 悲観的な考えが心と体と魂の病を引き起こす。楽観を学びなさい。

11. 大自然は私の「ため」にあるわけではない。私たちは「その一部」なのだ。大自然はあなたのこの世界の家族の一部だ。

12. 子どもたちは私たちの未来の種子だ。植物は子どもたちの心を愛し、子どもたちを知恵と人生の教訓で潤わせる。子どもたちが成長する時には、そのスペースを与える。

13. 他の人の心を傷つけることを避けるように。その痛みの毒はあなたにかえってくる。

14. いつでも誠実でいるように。正直であることは、その人が宇宙とひとつであるかどうかのテストなのだ。

15. 自分自身の均衡を保つこと。自己の精神的な均衡、魂的な均衡、感情の均衡、そして、肉体的な均衡。これらはすべて強く、純粋で、健康でなければならない。精神を強くするために身体を鍛えなさい。感情的な苦痛を癒やすために魂的に豊かに成長しなさい。

16. あなたがどのように在るか、あるいはどのように反応するかの意志決定を意識的に行いなさい。あなたの行動のすべてにあなたが責任を持ちなさい。

17. 他の人々のプライバシーと個人的な空間を尊重しなさい。他の人々の財産には決して触れてはいけない。特に、神聖で宗教的なものに関しては。他人のそのようなものに触れることは禁止されている。

18. まず最初に自分自身に対して真実でありなさい。あなた自身があなたを育み、助けられなければ、あなたが他人を育み、助けることはできないのだ。

19. 他の人々の宗教的な信念を尊重しなさい。あなたの信念を他の人々に押しつけてはならない。

20. あなたの幸運を他の人々と共有しなさい。慈愛と関わりなさい。



  

2015年06月14日



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映画の内容とリンクしない『美しき緑の星』の最初の場面
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自分の人生は常に「自死の試行」みたいなものだった

今日、田んぼに行かせていただくのですが、一緒に行くのは、かつて、劇団のようなものを、たまに名前の出てくるジローさん共々、初期の頃から一緒にやっていたヨシハラさんという男性で、今四十代の彼が十代の時からの知り合いです。

「暴走する若者」を演じさせると非常に迫力のある人でしたが、今は私同様、相当な子煩悩(親バカ=バカ親)の父親となっています。

それにしても、この彼との出会い方も「そんな出会い方があるかよ」というような不思議性を持つものでしたが、それだけに気が合って、若いときから中年になるまで、遊ぶのも一緒によく遊びました。

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・田植えに一緒に行く人の30年前の舞台。ナイフは本物なので怖かったです。


淡々と「劇団のようなもの」と書いていますけれど、興味本位で入った人たちは、私たちのその団体の本番のあまりにも無茶さに、多くの人たちは2度と戻りませんでした。

それはそうだなと思います。

何しろ、この劇団のようなものがやっていたこと自体が、「まるで自死を目指している無謀な集団」のようなものだった面もあるからです。

もともとが、この劇団のようなものは、私自身の「神への挑戦」でした。

「殺せるものなら殺してみやがれ」

という「宇宙への挑戦状」と、その信念から始めたものだったのですから、自分が生き残れるかどうかの試みだったともいえます。

しかし、とりあえず、このセルフ23 という「生存実験プログラム」では、私をはじめ、全員が生き残り、それどころか、とても生きている実感を体験できる楽しい青春時代を過ごすことができました。




宇宙の消滅プログラムと寄り添って30年

ちなみに、この「殺せるものなら殺してみやがれ」というのは、私が 21歳の時に決心した「神と呼ばれるもの」への宣言でした。

宇宙の「自殺」を食い止めるべきかそうではないのか?
 2011年05月10日

という記事は、震災の後に、

宇宙は自身の自死プログラムを自分の計画そのものに組み入れている

ということに気づいた時に書いたもので、自死というのは、つまり「消滅」のことですが、宇宙の存在の有無を作用しているのは人間かもしれないという考えに基づいています。

これは、最近、

《特報》「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認
 2015年06月06日

という記事を書かせていただいたことがありましたが、量子論などの科学的な面で認識されてきている面はありますけれど、科学はどうでもいいのです。

それを知らなくても、たとえば、何の科学も知らない二十代の私が、「宇宙との関係は、やるかやられるかだ!」と明確に頭にそのヴィジョンを描くという「宇宙への強い認識が宇宙の存在を大きくも小さくもする」というような体験をしています。

しかし、その時点では「否定的な感情」から成立していたのですけれど、これは 2011年の震災以降、少しずつ、「宇宙に同情的」な心境に変化してきました。

さきほどリンクした記事で、私は下のように書いています。


記事『宇宙の「自殺」を食い止めるべきかそうではないのか?』( 2011年05月10日)より

「このまま何もせずにいれば、いつかはその宇宙の自殺プログラムというものは多分、作動するんだろうなあ」。

そうは思います。

その場合、どうするか。

まず、

「宇宙の自殺は、人類存在にとっては、さほど脅威なわけではないはずで、放っておくという選択がひとつ」

つまり、「勝手に消滅しろ」という選択。

なんとなく「宇宙の消滅」というのは人類にとっても一大事に思えるかもしれないですが、「そうでもない」ということは理詰めで説明できるはずです。なので、放っておく(消滅するままにしておく)という選択も一応成り立つように思います。

もうひとつが、「それ(宇宙の消滅)を止めてみる」という選択。

しかし、私は考えたんですが、私には「そのプログラムを止めてみる」気が今はあまりないのですよ。以前何度か書いていますが、私は若い頃に神経症とパニック障害に苦しむだけ苦しんでいる中で、宇宙を模した紙に、

「殺せるものなら殺してみやがれ」

と書いて、そこにナイフを刺し、その方向の生き方を決意したことがあります。

つまり、いまだに宇宙とは対立関係が続いている・・・と、自分では思っていたのですよ。

しかし、今となってみると、どうも「自分と宇宙の立場は思ってきたものとは違うのかも」と今、感じます。

「宇宙の計画に消滅ブログラムが含まれている」というのは何とも悲しい話で、誰もが「万能の宇宙」と呼んでいる存在そのものが、最初から自分の計画とプログラムに疑心暗鬼だったのか自信がなかったのかはわからないですが、「最初から」自分が消滅するための自殺プログラムも同時に埋め込んでいる。

このことに関しては多くの方々にもわかっていただきたいと思います。宇宙は相当に悲しい気持ちを併せ持つ存在として誕生した可能性を感じます。

それも、その消滅プログラムは「人間」の中に入っているはず。



これは、当時、どこまで意識していたかわからないすですが、

「人間が宇宙の認識をやめれば、宇宙は消える」

ということを書いていたのだと思われます。

地球と人間の輪廻転生は永遠ですが、宇宙が消えれば、その永遠性が消えるのかどうかは曖昧ですが、多分、消えるのでしょう。

となると、善は消えますが、悪も消える。

喜びは消えますが、悲しみも消える。

さて・・・。

何だかあれですが、今回のタイトルは「プレアデス人への宣戦布告」などというものになっていますが、まあ、最近、いろいろとご縁がありまして、今まで読んだことのないプレアデス関係の本などを読んだりする機会に恵まれました。

あるいは・・・書き方が難しいのですが、ストレートに書けば、比較的親しい方の関係で、プレアデスの人とおぼしき人と関係を持っているという感じの方がいらっしゃるのですね。

さらにいえば、最近よく話題にするフランス映画『美しき緑の星』ですけれど、これはもう、私はずいぶんと見ているのですが、それらを含めて、今回のタイトルに行き着きました。

「宣戦布告」というのは、単に大げさですが、なぜ、そんな物言いとなったのか。


その人々がみんな、地球の人間を「下」に見ているからです。

見下している。

否定的な態度を露骨にしている。


なるほど、その人たちは、優れた文明、優れた自然との調和、優れた知性と優れた愛の観念などを持っているのかもしれない。

・・・だったら、それを持っていない地球人を下に見てもいいと?

プレアデスの人たちの言葉について書かれた多くの書籍、あるいは、映画『美しき緑の星』の冒頭の中で繰り返し語られる「地球の人間の否定」。

ひどい場面に至っては、集会の場面で、

宇宙人の男性 「(地球の人間は)パソコンばかりいじっているので、脳が萎縮しているんだ」
宇宙人の女性 「もとからでしょう」
群衆     「うひゃひゃひゃ」

と、地球人が、あからさまに差別的な笑い種にされているシーンもあります。


そりゃ、確かに今の地球は良くないかもしれないけれど、どうして上から目線?


そんな中で、少しずつ、

「地球は地球でやる」

という思いを強くしていった次第です。

ダメならダメでいいです。

地球の進展が何百万年か停滞するかもしれないけれど、それもまた、地球の永遠の歴史の中では大した問題ではないと思われます。

これは、鎖国を夢見る私が、

「日本は日本でやる」

と思い続ける概念と少し似たものかもしれません。

ところで、勘違いされるとあれなのですが、『美しき緑の星』は、解釈が難しいだけで、もちろんいい映画なのです。




どうも謎の『美しき緑の森』のオープニング

なんだかんだと、『美しき緑の星』は、十数回見ているのですが、この映画は、先ほど書きましたように、地球人に対しての「否定的態度」が過度なのですけれど、それでも、そこから想うのは、むしろ、「地球人は自分でしなさい」というメッセージが含まれているのかもしれないな、ということです。

ちなみに、この『美しき緑の星』で、もっとも奇妙な部分がどこにあるかおわかりでしょうか。

普通、映画のオープニングシーンというのは、その映画のストーリーに何らかの関わりを持つか、象徴的な意味で関係する、というのが普通です。

ところが、この映画のオープニングは、

・何かの動物の眼のアップ
・狼のような動物の眼のアップ
・水が流れる
・少女のような人間の眼のアップ
・木の葉が風に揺れる
・馬のような動物の眼のアップ
・少年のような人間の眼のアップ


などが繰り返されるシーンで始まりますが、この中の「動物の眼のアップ」は、本編のストーリーにはまったく出てきません。

そもそも、動物自体がストーリーにほとんど出てこない上に、「眼」について語られることは(医師の奥さんが「自然を見て覚醒する」場面の他は)ないです。

なぜ、動物の「眼」の接写で映画が始まるのかは、最後まで見てもまったくわからないのです。

『美しき緑の星』のオープニングシーン

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この映画は、単なる出来損ないであるのでなければ(単に出来損ないの作品である可能性は十分にあります)、おそらくは、「眼」、あるいは「見ること」について何かを語ろうとしていた。

でも、やめた・・・ということのようです。

本編には「眼」の話など出ません。

「眼」の意味。

見る、ことの意味。

松果体とか、そういう話の前に「眼で見る」こと。

話がよくわからないほうに来ましたが、地球が精神的に崩壊することは、宇宙全体に対して強い影響があるのかもしれなくて、それで、プレアデスの人もそうですけれど、いろいろと干渉してくれているのかもしれないですが、大丈夫。

自爆するなら自爆する。

私の「殺せるものなら殺してみやがれ」モードは継続中で、そして、この自死プログラムはこれまで否定的ではなく肯定的に推移してきました。

なので、地球は大丈夫。
助けは不要。
自力で再生できます。

私たちも(他の宇宙の人類と同様に)この宇宙を意識で形成しているメンバーであることは間違いないわけで、その地がどれだけ地獄であっても、他からの干渉で変化する意味はないと思われます。

今の地球の生活は、「一生が戦い」のような感じに思えることもあるかもしれないですが、先日の記事に書きましたように、「限りなき戦い」のように続く戦いもそれはそれでよいです。

遠い未来に、とんでもなく良い来世を私たちは自力で獲得すると確信していれば、それでよいのだと思います。



  

2015年06月12日



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▲ レッド・ツェッペリンが設立したスワンソング・レコード社のロゴとなった元絵。19世紀の画家ウィリアム・リマーが 1869年に描いた、ギリシア神話のアポロの物語をテーマにした「夜」( Evening / The Fall of Day )という作品です。 feelnumb より。











今回の記事は、前置きで何となくバンドのレッド・ツェッペリンのことを書いていましたら、話が複雑化してきて、前置きのレベルの長さではなくなってしまいましたので、その内容だけにしました。


単なる音楽の話になって申し訳ないですが、ただ、途中に貼りましたレッド・ツェッペリンの「限りなき戦い」 432Hz 変換バージョンはとても耳に優しいと思いますので、お聴きいただれば幸いです。




あのアナグラムもマーケティングだったのかも


最近、下のような記事を見ました。


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レッド・ツェッペリンという英国のバンドとオカルトの関係を記事にしたものですが、このレッド・ツェッペリンは、全世界で3億枚のアルバムを売り上げた、世界で最も影響力の強かったロックバンドのひとつですが、何より、私自身が中学1年の時に聴いたツェッペリンの2枚目のアルバムの最初の1曲目に、それまでの人生(小学生でしたが)で最大の衝撃を受けて、音楽観が一変したという経験をしています(邦題で「胸いっぱいの愛を」という曲で、YouTube ではこちらです)。


この「胸いっぱいの愛を」を聴いた時の驚きの違和感は、おそらくは、ギターとベースとのチューニングを意図的に「微妙に」ずらしているように聞こえるところからきていたと思います。


その上、途中からは、テルミン( 20世紀初頭にロシアで発明された世界最初の電子楽器)は使われるわ、コンガのリズムは鳴り響くわ、ミックスは混沌としてくるわで、「何だかやりたい放題だなあ」と思った曲でした。


それにしても、ツェッペリンは、なぜか冒頭の記事のような「オカルトや黒魔術との関係」を書かれることが多いです。


In Deep の過去記事、



 2014年07月23日


も、そういう話を記事にしたものでした。


しかし、あの記事以降、考えたのは、それらも含めて、レッド・ツェッペリンの「イメージ戦略」にも多大な貢献を果たしたマネージャーのピーター・グラントという人の商業的手腕の一貫だったように思います。


peter grant


▲ 左からレッド・ツェッペリンのギタリストのジミー・ペイジ、中央がマネージャーのピーター・グラント、右がボーカルのロバート・プラント。Snipview



ピーター・グラント - Wikipedia には、彼が、ツェッペリンのマネージャーとして行った「革新的マネジメント」と「マーケティング手腕」などが書かれていますが、このようにあります。


極力メディア露出を控えると同時に乱痴気騒ぎやスキャンダルの噂を広めることにより、神秘的で危険なロックスターとしてのパブリックイメージを見事に創出し、ツェッペリンファンであることをあたかも危険で刺激的な秘密のクラブに属しているかのように演出して見せたことも、ピーターの功績であったといえるであろう。

これらのマーケティング戦略に、神秘性を高めるための黒魔術的なニュアンスを振りまくイメージ戦略なども入っていたのではないか、と考える方が妥当な気がします。


メンバーを徹底的に「神秘的な集団」とするイメージ戦略。


さきほどの、ツェッペリンの天国への階段の逆回転での「悪魔と666」…も、あるいは「わざと」だった可能性もあると思えてきています。





というのも、上で説明されている「天国の階段」が収録されたアルバム(タイトルなし)は、レッド・ツェッペリンの中で最も売れたアルバムで、全世界で 3700万枚以上売れています。


このアルバムは確かに、収録曲も非常に優れているのですが、それと共に、マネージャーのピーター・グラントは、他のバンドは決してやらないような、巧妙で非常に知的な「販売戦略」をとっています。


上に「タイトルなし」と書きましたが、このアルバムにはタイトルがない上に、


「ジャケットに文字をひとつも載せなかった」


のでした。


表にも裏にも内側にもどこにも。


さきほどの Wikipedia には、以下のような記載があります。



ジャケットに一切の文字の無いレッド・ツェッペリン4枚目のアルバム(便宜的に「IV」と表記する)発売の際、自殺行為であると大反対したレコード会社の重役達をなだめすかし、且つ、「IV」の発売を予めファンの間に提示しておくことで「名前が無い」ことを逆に話題に変えてみせ、商業的にマイナスであったものを見事にプラスに昇華している。


表ジャケットは、薪を背負った老人の絵画が壁にかけられた様子で、見開きのジャケット裏は、その壁の向こうの街が開発されている様子。


レッド・ツェッペリン4枚目のアルバム・ジャケット

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レッド・ツェッペリン4枚目のアルバムの内ジャケット

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内ジャケットは横向きになっていますが、タロットカードの9番のカード「隠者」です。


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文字がないというのは、つまり、バンド名も、アルバム名も、当然、メンバーの名前なども一切なく、メンバーの綴りは「オカルト的なマーク」で描かれました。


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・メンバーの4人の表記(左からペイジ、ジョーンズ、ボーナム、プラント)。



これらのほとんど(あるいはすべて)は、マネージャーのマーケティング戦略の一環で、また、「バンドのイメージ付け」作戦などでもあります。


そして、ツェッペリンはさらにどんどん有名になっていき、この名前のないアルバムは、当時のロックアルバムとしては考えられない、全世界で 3000万枚を超えるスーパーセールスを記録することになります。


アメリカだけで 2300万枚売れたそうですが、1971年当時のアメリカの人口は2億人程度でしたので、「アメリカでは 10人に1人が買っていた」ということになりそうです。


しかし、購買層は若者中心でしょうから、若者に限れば、数人に1人が買っていた、というようなことになっていたかもしれません。


いずれにしても、優れた音楽性と同時に、マネージャーの手腕で、レッド・ツェッペリンのアルバムはトータルで3億枚を売り上げることなるだけではなく、どんな大会場でのコンサートでも、チケットは1時間足らずで売り切れるという超人気状態を解散まで維持できていたのでした。


アルバムが3億枚が売れる、というのは、国によりレコードの価格は違うでしょうけれど、昔の日本では、LP というのは1枚 2500円くらいしましたから、レッド・ツェッペリンはアルバム売り上げだけでも、おそらくは全世界で 7000億円以上のセールスを計上していたと思われます。


今から 40年前の「 7000億円」という金銭表示の破壊力は、しかし、マイケル・ジャクソン(アルバム 10億枚を売り上げる)で完成した、音楽をビジネスへと完全に囲い込む「悪魔の囁き」にもなったと思いますけれど。





若い時に最も好きだった「限りなき戦い」を


あるいは・・・まあ、これは蛇足ですが、レッド・ツェッペリンが商業的にも音楽的にも成功した理由のひとつとして、もしかすると、「その活動時期が太陽活動とピッタリと一致していた」ということも今でなら言えるかもしれません。


レッド・ツェッペリンの活動時期は、1968年から 実質的には 1979年までとなっていますが、これは実は「サイクル20の太陽活動最大期から、次のサイクル21の太陽活動最大期」と一致することに気づいたんですよ。


cycle20-21b.gif




このレッド・ツェッペリンというバンドが、「黒点の数が最も多い年にデビュー」して、「黒点の数が最も多い時に活動を停止させていった」という奇妙な偶然が・・・そう、もちろんこんなことは単なる偶然ですが、それがわかります。


これからバンド・デビューなどを考えている方は、太陽活動最大期にデビューするといいかもしれませんね。まあ・・・次は 2026年あたりになりますが、今なら駆け込み OK かもしれません。


あるいは「次の太陽活動最大期は来ない」という可能性もありますけれど。


太陽の話はともかく、レッド・ツェッペリンのバンドの解散はドラマーの事故死によるものでしたが、ツェッペリンの周辺には確かに事故で亡くなる人なども多く、それが原因でオカルトと結びつけられていた面もありそうです。


しかし、レッド・ツェッペリンの音楽性からオカルトとの関係を見出しにくいのは、彼らの音楽は実際には、黒魔術系のような存在の「反対」にあるようなものが多く、「自由の概念」と「生きている人間の世界」ということを強く認識させられる音楽が多いためです。


実際、彼らがアルバムを作る際に使用した楽器は、ギター、ベース、ドラムというところから、マンドリン、バンジョー、ダルシマーといった生演奏楽器から、テルミン、シンセサイザーなど多岐に渡りました。


私は、特に、ツェッペリンでマンドリンが使われている曲が好きでした。

マンドリンが使われている曲はかなりの数に上ります。


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▲ 今年 71歳になるレッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジが自宅前でマンドリンを弾いている様子。bleakcinema.com



その中でも、レッド・ツェッペリンのすべての曲の中でも数少ない「マンドリンとアコースティックギターだけの演奏」で作られている「ザ・バトル・オブ・エバーモア( The Battle of Evermore )」という曲が、中学生の時に私に驚きをもたらしたと共に、その後もずっとツェッペリンの中で最も好きな曲です。


これは先ほどの4枚目の「タイトルのない」アルバムに収録されています。


邦題は「限りなき戦い」で、特に政治的な意味はないですが、「長く続く戦争」について歌っています。


下は途中から訳したものです。





レッド・ツェッペリン - 限りなき戦い (1971年)/ 途中から

戦争は繰り返し行われ
君に剣を取らせ、その剣を放たせる

空には善も悪もどちらも満ちているが
人間がそれを知ることは決してない

夜は長く、時間の連なりはゆっくりと過ぎる
朝日に眩んだ目で東からの来光を待つ

戦いでの痛みより
戦いを終えた後の悲しみは大きい

太鼓の音は城を揺るがし
指輪の生霊が黒い馬にまたがる

弓をかかげて歌うんだ
以前よりも真っ直ぐに弓を射るんだ

夜の炎は何の慰みにもならない
それは顔を冷たく照らすだけ

夜の闇の中で踊るんだ
朝日に向かって歌うんだ

魔法の呪文が金色で書かれている
均衡を取り戻すために

取り戻すんだ

ついに太陽は輝き
青い雲はちぎれ
闇のドラゴンから炎があがり
太陽の光が彼らの目をくらます





先日の In Deep の記事に載せました、シュタイナーの 1915年2月の『第一次世界大戦の霊的背景』という講演の「長い大きな戦い」の内容を少し思い出してしまいました。


この「限りなき戦い」は、432hz で聴くのにとても適した曲だということを知るに至りましたので、432Hz に変換したものを貼っておきます。


Led Zeppelin - Battle of Evermore ( 432Hz Convert )




これを初めて聴いたのも、私が中学1年の時で、まだ歌謡曲と普通のロックみたいなものしか知らない私は、「この世の中にはこんな曲もあるんだ」と感心した記憶があります。


まあ、この曲自体は、メンバーでふざけている時に偶然できたものらしいですが。



限りなき戦い - Wikipedia

レコーディング・エンジニアのアンディ・ジョーンズが次のような内容の証言をしている。

「ある夜、ヘッドリィ・グランジ(録音に使っていた古邸宅)の暖炉の周りでお茶を飲んでいたとき、ジョン・ポール・ジョーンズのマンドリンを手に取っていたずらしていたペイジが、突然リフを弾き始めた。自分はあわてて手持ちの機材でその演奏を録音した。するとプラントもそれに合わせていきなり歌い始めた。こうして何もない無の状態からあの曲が生まれたんだ」


夢のような話ですが、しかし、それが本当に偶然かどうかは別として、わりとこの世のいろいろは偶然にできたもののほうが良かったりすることは、よくあることのようにも思います。


そして、この曲は、オリジナル( 440Hz)と 432Hz 変換でものすごく違いを感じる曲のひとつです。


もう別の曲といってもいいほど感じ方が変わります。


432Hz にしますと、マンドリンの音がものすごくやわらかく響くようになるのです。

音質はいじっていないのに不思議ですが、確かにやわらかい響きに変わります。


432Hz を聴いた後、オリジナルの 440Hz を聴くと、キンキンした高音が耳につく曲となってしまって、「もう 440Hz のほうは聴けない」というほど変わります。


上の「限りなき戦い」は完全なアコースティック・ソングですが、レッド・ツェッペリンは、ハードロック・バンドとして人気を獲得したわけで、その本筋はハードロック・・・と言いたいところですが、私にとってはやや違う部分があります。


考えてみると、私の好きなツェッペリンの曲にはアコースティックが多いです。


私が若い頃、好きだった上位3は、


1番好きなのは、先ほどの「限りなき戦い」で、

2番目は「フレンズ」という曲( YouTube )、

3番目は「ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー」という曲( YouTube


というような感じで、これらは全部アコースティックです。


2番目の「フレンズ」は、中学生の時から長く友人でしたが、その後、いわゆる諜報員として海外に行ってしまったコバヤシくん(クレアの過去記事を参照して下さい)と、部屋でよくふたりで演奏したものでした。


3番目の「ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー( Hats off to Harper )」という曲もやりたい放題の曲で、当時は「理解不能な曲」と言われていましたが、私は大好きで聴きまくってました。


これはイギリスでカリスマ的な支持を得ていた反抗的フォーク歌手のロイ・ハーパーという人に敬意を表した曲なのだそう。





音楽から静寂の世へ


それにしても、若い時にハードロック的な嗜好で聴いていた感が強かったレッド・ツェッペリンも、今は貴重な「 432Hz 適応音楽」のひとつとなったりしているというのは感慨深いです。


そして、そういう人々の多くは年老いてきていまして、リスナーだった私たちのほうも年老いてきていまして、静かにひとつのカルチャー世代が消えていくと。


では、次のカルチャーはどんなものになるかというと、それはもう「音楽」の方向ではなく、「静寂」の方向のカルチャーなのかもしれないと思ったり。


フランス映画『美しき緑の星』のラストは、宇宙人たちが「静寂の集会」というものをおこなっている場面で終わりますが、それは彼等が音楽の時代から静寂の時代に移行したからこそ、のようですが、いわゆる賢人たちには「静寂の重要性」ということを語る人も多いです。


確かに今の世の中は「音」が多すぎますからね。


特に、私の住んでいるあたりなど、空軍基地が近いせいで、


「静かに 528Hz の音叉でも聴こう」


と、チーンと慣らしていると、頭上をゴゴゴ…と軍用の自衛隊機が大音量を残して次々と飛んでいく日常だったりしますので、「明るい中での静寂の獲得」はなかなか難しいです。


まあしかし、現実として、私たちは「音と音楽のある世」に生まれてきたのだから、それを素直に楽しんで消えていくのもいいのかなと思ったりしています。



  

2015年06月11日



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The Twin Powers






 



講演会の打ち上げの席で

3月と5月におこなわせていただきました講演会では、打ち上げもたくさんの方が残ってくださったのですが、実は結構多才な顔ぶれというのか、いろいろな職種や立場の方々が来てくださっていました。

とはいえ、あまりそれらのことを具体的に書いてしまうと、会社や顧客の方などから、

「あのような頭のおかしなブログを毎日読んでいるのは少し困りますね」

と、野口晴哉さんふうの叱責等を受けては申し訳ないと思いまして、具体的なことは極力書きませんでした。

最初の3月の講演会の打ち上げで、その中に、かのライブドアの最初の立ち上げ人のうちのひとりという方がいらしたんですね。

私の前に座られていたので結構いろいろとお話しをしたのですが、私が「今はどんなお仕事をされているんですか?」とお聞きましたら、いろいろと説明してくださったのですが、その時には、私の頭ではどうしても理解できませんでした。

そうしましたら、最近、メディア「トカナ」に、その方のインタビューが掲載されていたのです。それを読みまして、やっと何となくではあっても、その方のお仕事が漠然とわかったのですが、その記事は、

ライブドア立ち上げメンバーが語る「悟りとコミュニケーションの科学」! 大手企業が注目する、石山喜章の最新ビジネスとは?
 TOCANA 2015.05.26

というものです。

この中に出てくる石山さんという方がその方でした。

石山さんは何年も In Deep を読んでくださっているようで、恐縮な限りですが(あと、講演会の打ち上げで知ったのは、震災直後頃から読まれていただいている方が多いということでした。何だか本当にありがとうございます)上の、インタビュー記事の中に、「あ、これ知りたい」と、非常に惹きつけられる内容のことが書かれてあったのです。

そこには、まさに、私にとっての「恐怖から解放」への道筋として模索していることに対しての、何らかの形で提示されていると感じたのです。

今回はその上の記事について少しご紹介したいと思います。

ところで、数日前のスペースウェザーにギョッとするようなデータが掲載されていました。
そのことをちょっと記しておきます。




地球上空の火球に何が?

下は、NASA の全天火球ネットワークNASA’s All Sky Fireball Network )という、地球上空を通過した火球に関しての報告データが毎日掲載されているものですが、2015年06月09日の火球報告が、

148 個

という、ちょっと信じがたいものとなっていました。

fireball-network-0609.gif

▲ 2015年06月09日の Spaceweather より。

現在は流星群はなく、148個のほぼすべてが「独立した火球」ということになります。

これについては、ふだんはどの程度の数かといいますと、流星群などのない通常では、数個から多くても 20とかその程度のものです。

たとえば、6月に入ってからの火球の報告数は下のようなります。

2015年06月01日から09日までの火球の報告数

6月1日  22個
6月2日  11個
6月3日  13個
6月4日  10個
6月5日   3個
6月6日   5個
6月7日  14個
6月8日   4個
6月9日  148個


そして、翌日の 6月10日の表示は・・・。

no-data-0610.gif

▲ 2015年06月10日の Spaceweather より。


このデータが利用不可になるのを見たことがないですが、現在も表示は上のままです。不思議なのは、スペースウェザーも NASA 全天火球ネットワークも、このことに言及していない点です。

機器の故障等なら一言あってもいいと思うのですが(これは一応 NASA の正式部門です)。

毎日見ているデータだけに、消えてしまうのは寂しいですが、それ以上に、6月9日の 148個の火球について、説明してくれるといいなあと思っています。

通常時の多さとしては異常ですし、それに、6月9日のデータは図と数が一致していないなど奇妙な点が多いですが、これも単に何かの故障などに関する話かもしれません。

まあ、復旧待ち、コメント待ち、ということにしておきたいと思います。




恐怖からの解放メソッドX

何が「メソッドX」なのかわかりませんが、最近、たまにこの「恐怖からの解放」ということをテーマに書いています。

この「恐怖からの解放」シリーズは、最初の記事が、

自分が「今生」に生まれた理由がやっとわかったのは嬉しいけれども、恐怖と不安からの解放の前に立ちはだかる「西洋科学的思考」
 2015年04月17日

というもので、この頃、中村天風さんの講演の本を読んでいるうちに、ふと、

「私が生まれた意味」は「自分の根源的な恐怖と対峙して、これを消し去る」こと

だということに、何となく気づいたことから始まります。

その後、

「恐怖からの解放」についてのメモ
 2015年04月29日

「恐怖からの解放」についてのメモ(2):現在の地球の人間は何によってコントロールされているのか
 2015年05月25日

というようなタイトルで書いていますが、下のほうの「地球の人間は何によってコントロールされているのか」に至っては、自称プレアデス人の方の言葉まで飛び出して、

「私たちが見たり聞いたり感じたりしている現実は本来は存在しないかもしれない」

というような混沌とした段階に突入しています。これはつまり、私たちが恐怖する対象自体が創作されているものであり、現実ではないかもしれないというようなことです。

しかし、いずれにしても、私個人の恐怖からの解放はまだまだであります。

先日もちょっと思うところがありまして、「恐怖からの解放」シリーズを書こうとしていたのですが、その時、タイトルを書いた瞬間にタイプミスで、

「強風からの解放」

と打ってしまい、「強風から解放されてどうする」と、そこでプッと吹きだしてしまい、恐怖やら何やらわからなくなって書くのをやめたということがありましたが、このタイプミスはなかなかの示唆をしめしてくれております。

たとえば、一歩間違えますと、

「京風からの解放」

という、初夏の京都の小旅行からの帰り道、ふと食べた江戸前寿司が美味しくて・・・という風情も醸し出すという何とものどかな初夏であります(何の話だ)。

ともかく、そんな中で、先ほどの石山さんのインタビューを目にしたのでした。




潜在意識を自分の力でコントロールする

それにしても、最近の企業研修はずいぶん変化しているのですね。

先ほどのインタビュー記事の出だしの本文は以下のように始まっていました。


グーグルやインテルなど欧米の大手企業がこぞって社員研修に瞑想を取り入れていることが広く知られるようになってから、日本の大企業でも瞑想を取り入れる流れが進んでいる。

最近では、楽天のグローバル人材育成研修に瞑想プログラムが取り入れられるようになり、日本郵船の幹部研修でも3日目には京都のお寺で一日座禅を組むようになった。



大手企業では研修に「瞑想」を取り入れているところが多いのですねえ。
知らなかったです。

それはともかく、先ほどのインタビューの4ページ目から、下のような文章が続きます。


石山氏は「宇宙のはじまりより前に存在していたサムシング・グレイトや5次元世界のことが、論理とイメージで明確に説明できるようになる」という観術(ノ・ジェス創案)を取り入れ、人材育成や組織開発に活用するようになったという。

石山「認識を次元上昇させて、物の見方を変えるんです」

潜在意識を自分の力でマネージメントできるようになる。そうなれば、うつ病やノイローゼにそもそもかからないし、かかっている人やその恐れがある人は自分で治療できてしまう。それが「心を経営する」というキャッチコピーに込めた想いだそうだ。

石山「自ら潜在意識をマネジメントできる人が増えれば、もっとワクワクする世界が始まると思うんですよね」



これを読んで、「うーむ」と唸りました。

この中の、

> 潜在意識を自分の力でマネージメントできるようになる

について、私が目指したいと思っているのは、まさにここなんです。

また、この概念は、言葉や表現は違いますが、シュタイナーが「自分の意識を完全に自分のコントロール下に置くこと(眠っている間の意識や夢さえもコントロール下に)として非常に大事なこととして語っていることと同一のものでもあります。

私自身は、そのやり方について完全に行き詰まっていた面があります。

私は、

「認識の次元上昇」

という概念とか、あるいは、

「悟り」

という呼び方でもいいのでしょうけれど、これらを「計算的にくくれないもの」として捉えていたわけで、あるいは、これらを「右脳的なもの」として認識しすぎていました。

もちろん、これらは確かに右脳的なものなのかもしれないですが、自称プレアデス人の方の話などにも出てくるのですが、実際には、ある程度、理路整然としているものかもしれないとは思うこともありました。

それは映画『美しき緑の星』での、たとえば、宇宙人たちの高度な通信手段にしても「切断プログラム」などの特殊能力にしても、それらは一見、右脳的に見えたとしても、彼らが「空間数理学」などと呼ぶものなど、高度な学校教育の末に体得しているものであって、自然に身につくものではないとして描かれているあたりにも感じます。

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▲ 映画『美しき緑の星』より。草原で空間数理学の授業を受ける子どもたち。


あるいは、「洗剤意識」(洗剤に意識持たしてどうする)、もとい、「潜在意識」のコントロールは、中村天風さんや野口晴哉さん、そして森田博士などの本で「頭の中ではわかっている」のですけど、具体的な手段が漠然としかわからない。

イメージとしてはわかるけれども、「ここから先の一歩」のようなものが非常に曖昧な像としてしか描けずに、進むことができないでいるというような面はあります。

なので、上の石山さんがおっしゃっているような、

「サムシング・グレイトや5次元世界のことが、論理とイメージで明確に説明できるようになる」

というようなことができればですね、それは確かに痛快なわけです。

講演会はともかく、いろいろな方とも、「また飲み会はやりたいですね」と、打ち上げの時に話していたりしたので、また石山さんとお会いした時には、何かお聞きできればと思っています。

なお、上との関連で、石山さんは、

theAnswer

というサイトを 2008年にまとめられているようです。

ところで、このインタビューが掲載されたトカナ編集長の角さんも講演会の打ち上げに参加してくれました。角さんはとてもかわいらしい感じの素敵な女性でした(不思議なほど見た目が若いのです)。

いずれにしましても、若い時から長く強迫性の不安神経症やパニック障害を持っていた私は、この「潜在意識のコントロール」を切望し続けていた感もあり、もしかすると 30年来の試みになっている気もするのですが、こういう形で、もしかしたら、何かのキッカケになるかもしれないことと面したのは驚きです。

何だか最近は、自分の行動と周囲、とか、自分の願望と環境、などに比較的良いシンクロが起きている感じが、ほんの少しですが、いたします。このシンクロは素直に嬉しいです。




人類のカルマ

ところで、恐怖や不安を誘発する要素というのは、いろいろとあるわけですが、その傍には多くの場合、「死」という観念があると思います。

本当はそういうように「負」の面ばかりにとらわれることは良くないとはわかっていても、病気にしろ、災害にしろ、この「死」が見え隠れするものはどうしても気になる。そして、そこには恐怖と不安がつきまいやすい。

最近たまにご紹介しますシュタイナーの『天地の未来―地震・火山・戦争』という本ですが、ここに「人類のカルマ」という項目がありまして、もし私たちが自然災害の被害に遭うのだとすれば、その仕組みというようなものが書かれています。

この本は、これからの、もしかすると、やや激しい時代となるかもしれない中では、ためになる部分もありまして、お勧めしたいのですが、現在は Amazon でも価格が高騰しているようでして、ちょっと気軽にお勧めできない感じです。

そんなこともあり、気になった内容はできるだけご紹介したいと思っています。

今回は「人類のカルマと災害」を書いた部分の一部を抜粋しておきたいと思います。

この記述の中にある、アーリマン、アトランティス、レムリアについては、わからない部分もあるかと思いますので、それぞれの説明を Wikipedia から掲載しておきます。

アーリマン(アンラ・マンユ

ゾロアスター教に登場する悪神。善悪二元論のゾロアスター教において、最高善とする神アフラ・マズダーに対抗し、絶対悪として表される。

アトランティス

アトランティスは、古代ギリシアの哲学者プラトンが著書『ティマイオス』及び『クリティアス』の中で記述した、大陸と呼べるほどの大きさを持った島と、そこに繁栄した王国のことである。強大な軍事力を背景に世界の覇権を握ろうとしたものの、ゼウスの怒りに触れて海中に沈められたとされている。

レムリア
神智学協会創設者の1人、ブラヴァツキー夫人によって1888年に刊行された著書『シークレット・ドクトリン』において登場した。レムリア大陸における文明が地球上の他の文明より盛んであった時代は、第3根本人種、レムリア時代などと呼ばれるなどと述べた。





シュタイナー『天地の未来』 人類のカルマ より


光輝く善良な存在たちが全世界に幸いをもたらしたころ、地球との関連から押し出された存在に結び付いたさまざまな力が地球に作用しました。

私たちは、かつて人間から取り上げられた火の働きの余韻を、火が引き起こす恐ろしい自然現象のなかに認識できます。

アトランティス時代以来、人類のカルマと関連しているアーリマンのカルマをとおして引き起こされたものに襲われた者たちに何らかの罪があるのだ、と言うべきではありません。それは人類全体のカルマに関連しており、個々人もそのカルマを共に担ったのです。

太古の人類の破局の名残りのように思われるものを、私たちは目にします。レムリア時代に、火に働きかける力が人間から取り上げられました。

それ以前は、人間は火に働きかけることができました。そのため、レムリアは人間の火のような情念によって崩壊しました。今は地下にある火が、昔は地表から下方に退いたのです。

原初の火から抽出されたのが、今日の無機的な火、鉱物的な火です。この火は、空気と水をとおって進む力、人間の情念をとおしてアトランティスの破局を引き起こした力と結び付きます。

これがアトランティスの大災害を呼び起こした、人類全体のカルマです。その名残りが残っています。この名残りが、アトランティスの大災害の余韻を呼び起こします。火山噴火と地震は、アトランティスの大災害の余韻に他なりません。

このような災害に遭った人に向かって、「たとえ一部分であっても、あなたに原因がある。私は同情すべきではない」と言わないようにする必要があります。

その人はみずから運命を招いたのだと考えて、その人を助けないのはよくありません。カルマが私たちに求めるのは、私たちがその人を助けることです。

私たちの助けがその人のカルマのなかに書き込まれ、その人のカルマが好都合な方向に向かうのは確かです。

カルマに基づく世界の見通しが、私たちに同情心を呼び起こすにちがいありません。人類全体のカルマに、個々人が苦しむのです。全人類がそのような出来事を引き起こすのです。

私たちはそのような運命を自分自身の運命と見なす必要があります。

こうして、不幸に苦しむ人々や、災害に見舞われた人々に対する同情的な理解が生まれます。

「私たちは自由意志で行動しているので、人を助けない」と言うのではなく、「私たちは人類のカルマのなかにいる。人類に責任のあることは、私たちにも責任がある」と知るべきなのです。



  

2015年06月10日



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1897年の京都の嵐山の写真
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▲ 過去記事「日本人自らが撮影した 120年前の日本の光景」より。






 



この20年で急速に異常度が増す日本

昨晩、食事の準備などの時に、うちの奥さんが、

「最近、ヘンな犯罪多いね」

と言います。

 「まあでも、ここ何年もずっとそうだけど」
 「ヘンな人も増えている気がする」
 「それも何年も同じ気がする」
 「最近は特にそう思う」
 「まあ、確かに、30年 40年前はこんなにヘンじゃなかったかも」


というような会話をしていましたが、確かに、昔から、変だったりする人はいたでしょうし、異常だったりする事件はあったでしょうけれど、今は何だかそれが日常的になっているかなあと、奥さんの言葉を聞いて改めて思います。

数字を見る限りは、実際に特に、この 10年 20年は何だかおかしいです。


10年で48倍!急増する「高齢者の暴力事件」
IRORIO 2014.10.01

65歳以上の高齢者犯罪の検挙数は、ここ10年で、傷害は9倍、暴行はなんと48倍にも増加しているという。

他の世代と比べて極めて高い増加率で、平成11年までは横ばいだったものの、その後一気に急増。しかし、その原因は不明で、警察庁も調査に乗り出しているのだとか。

また、検挙される高齢者の3分の2が初犯で、これまで犯罪に縁がなかった人が高齢になって事件を起こすことが多いそうだ。



この記事に、

> しかし、その原因は不明で

とありますが、他の異常な数字も、おそらくは明確な理由を見出しにくい部分はあるかと思います。

過去記事の、

私たち人間は太古の昔から「数十億の守護細胞」にガンから守られている…
 2015年05月22日

に載せたグラフなども、この 10年 20年の説明のつかない「異常」を示しているように思います。

配偶者からの暴力に関する相談件数の推移
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内閣府男女共同参画局


児童虐待相談対応件数の推移
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児童虐待相談対応件数


これらのグラフを載せました記事で、岩井寛さんという医師が口述筆記により書き上げた、「コトダマの記録」といってもいい『森田療法』という著作の内容をご紹介しました。

そこで岩井医師は、現代の日本の社会について、

「人間は、大きく自由を失いつつある」

と記しています。

「現代」といっても、これが書かれたのは今から 30年ほど前ですので、その時代で、すでに岩井さんは「社会が硬直している」と感じていたようです。


岩井寛『森田療法』より

”人間はこうでなくてはいけない”というような”自己規制”にがんじがらめにされている人が多いが、もっとおおらかに、自由に行動することが許されているはずである。

人生はたかだか七十年か八十年であり、そのなかで窒息するような生き方をするよりも、自由に空気を吸うことが許され、自由に行動することが許されると考えたほうが、人間の本質にそっているはずである。



そして、自分に対する「ゆるし」が拡大されればされるほど、他者に対する「ゆるし」も拡大され、人に対しての「寛容性」も増すはずだと岩井さんは言っています。

この「他の人や、自分とは違う価値観に対しての寛容性」が広がることは、あらゆる「差別」や「排除」や「敵対」といったものも減らしていけることにつながると思われます。しかし現実には、最近の世界は、この「差別や排除や敵対」というものが、むしろ拡大している部分が目につきます。

シュタイナーは、第一次世界大戦下の 1915年 2月の講演『第一次世界大戦の霊的背景』の中で、以下のようなことを述べています。

今から 100年前に言ったことですが、100年後に生きる私たちにはちょっと絶望的な響きも含まれています。

なお、シュタイナーによれば、今(具体的な年代の括りはわかりません)は「第五文明期」(ポスト・アトランティス時代と位置づけられているそう)ということです。これは、『天地の未来―地震・火山・戦争』という著作に収録されています。

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・ルドルフ・シュタイナー( 1861 - 1925年)




1915年2月の講演『第一次世界大戦の霊的背景』より

ポスト・アトランティス時代の第六文明期における課題は、精神を自分のなかではなく、周囲に漂うものとして認識すること、精神を元素界のなかで認識することです。

第六文明期の課題は、物質的周囲における精神認識を用意することです。それは、精神を純粋に元素的な生命において認識する古い先祖返り的な力が蓄えられていないと、達成困難になります。

しかし、激しい戦いが生じるでしょう。

白人は、精神をますます深く自らの存在のなかに受け取る途上にいます。黄色人種は、精神が身体から離れていた時代、精神が人体の外に探究された時代を保っています。

そのため、白人がさまざまな地域の有色人類と激しく戦うことで、第五文明期から第六文明気への移行がなされます。

白人と有色人類とのあいだでなされるこの戦いに先行するものが、白人と有色人類とのあいだの大きな戦いの決着がつくまで歴史を動かしていくでしょう。






この他に、この講演で、シュタイナーは、「ゲルマン世界とスラブ世界の戦い」のことを述べている他「東洋が第六文明期の生成に果たす役割」も述べていて、そのくだりは大変長くて、うまく抜粋できないですが、その軸はどうやら、

東洋が西洋文化を拒絶し始める

ところにあるようです。

基本的に、シュタイナーは、アジアを含む東洋などの人々は、過去の精神性の強い人類の「記憶」が保たれていると考えていたようで(おごった書き方をすれば、それは過去の日本人には顕著だと私は思っています)、過去記事の、

「頂点の日本」から何が始まる? 地震に関する奇妙なことが続く中で読むシュタイナーの「弥勒の世界の到来」では、地球が助かるかどうかは私たちの「進化」次第だと
 2015年06月02日

などでご紹介しました「弥勒の世界」というような概念や、お釈迦様の説法、あるいは、インドのヨガの思想なども長く述べています。

いずれにしても、シュタイナーは 100年前に、その後の社会として、「あらゆる対立と戦いの中で次の時代に進んでいく」というようなことを述べていたということになるようで、確かに、この 100年間は現在も含めて、まったく激しい対立と争いの中を歴史は進んでいます。

ただし、同時にシュタイナーは、これらの混乱を、

「外的な幻影に捉われた混乱」

としていて、このことに「気づけば」無駄な混乱は収まるとも言っていますが、その兆しはどうにもまだのようです。

あるいは、さきほどの岩井寛さんの言葉にある「ゆるし」というものが、周囲に対して適用できればいいのかもしれないですが、「ゆるし」なんてのも、自分に対しても他人に対しても、むしろ薄くなってきているような気もしないではないです。

そして、日本に関しては、記事の最初のほうに挙げました「この 10年 20年のさまざまな異常」というものの原因とか解消とかを考えないと、第六文明も何もあったものではなく、「みんなが異常な精神状態で、異常な行いばかり」の文明に突き進むなことになってしまいかねない面も感じます。




なぜ日本の神経症と精神疾患は増えたか

そういえば、さきほどの岩井寛さんは、精神科、特に「神経症」を専門としていた医師でらっしゃいましたが、シュタイナーの講演で、その「神経症」についてふれられているものがあります。

神智学の門前にて』にある、1905年頃の講演だと思うのですが、その中に、

「これから、神経症と精神病が激しく増加する」

と述べていたくだりがありました。

そして、その原因は「唯物論」だと断言しています。

まあ、私自身が神経症であり、長く薬を飲んでいたわけですが、過去記事、

…数百万人の「ベンゾジアゼピン依存症」が作られている日本(私も危なかったのです)
 2015年04月12日

という記事にも書きましたが、神経症や不安症などに「必ず」処方される、ベンゾジアゼピン系と言われる薬をはじめとした精神系の薬の投与量は、うなぎ登りに増え続けています。

mental-health-01.gif
向精神薬の売り上げ


上は 2006年までのものですが、その後も増え続けています。しかし、問題は、このこともまた「この 10年 20年での話」ということのほうでして、たとえば、さきほどの岩井寛さんが「日本は自由を失っている」と書かれた 30年前には、それでもまだ「多くの人が精神系の薬剤とは無縁だった」こともわかります。

私は、このシュタイナーの「唯物論が悪い」という主張は正しいと感じるのですが、抜粋してみます。

ここで「神経質」と書かれているのが、現代の神経症です。




シュタイナー『神智学の門前にて』人間の生活におけるカルマの法則の働き より

今日、百年前にはほとんど知られていなかった病気が広まっている。知られていないことはなかったとしても、広まってはいなかった病気である。神経質(神経症)である。

この独特な病気は、18世紀の唯物論的な世界観の結果である。唯物論的な思考習慣なしには、神経質はけっして生じなかったであろう。

もし、唯物論がまだ何十年もつづくなら、唯物論は民族の健康に破壊的な働きかけをするだろうということを、秘密の導師は知っている。

もし、唯物論的な思考習慣が抑止されないなら、やがて人間は神経質になるだけではなく、子どもも震えながら生まれてくるようになる。

子どもは周囲の世界を感じるだけではなく、どのような周囲の環境にも苦痛を感じるようになる。

特に精神病が非常な早さで広まる。狂気の流行病が、何十年か先に現れるだろう。精神病の流行によって、人類の進化は妨害されようとしている。

このような未来の世界像ゆえに、人類の隠れた導師たち、叡智のマイスターたちは、霊的な叡智を一般の人類に注ぎ込まねばならない必要性に迫られているのである。





この中の、

> 子どもも震えながら生まれてくるようになる。

> 子どもは周囲の世界を感じるだけではなく、どのような周囲の環境にも苦痛を感じるようになる。


という世界は、まるで現代の日本のようで、多少切なくなります。

「震えながら生まれてくるようになる」というのとは違うことですけれど、

「そのうち日本から子どもが消えちゃうんじゃないか」と思わせる日本をめぐる統計グラフと、それと同じ曲線を描くいくつかの統計
 2015年01月30日

では、日本の子どもや赤ちゃんに関する、やや暗いデータを載せていますが、この10年 20年は、世界の中でも、子どもに関するデータでは日本の悪化が著しいです。




逝きし世の面影

思えば、日本という国は、

「世界でもっとも唯物論とか西洋的価値観とは長く離れて生きてきた民族のひとつ」

だったように思います。

そういえば、ずいぶん前の記事ですが、震災後1ヶ月くらいの時に書きました、

どんなに愛される資格があるのかを私たちは知らない
 2011年04月14日

という記事で、『逝きし世の面影』という本をご紹介したことがありました。

japan-edo.jpg

これは、逝きし世の面影というサイトから説明を借りれば、


この本の内容をひとくちに言えば、「幕末・維新の時代に訪れた外国人が見た古きよき日本の姿」と言うことができます。しかし、それは単に近代化される前の遅れた社会に見られる素朴さということではなく、世界的にも著しく文化の発達した国家、国民が作り上げた希有な文明と呼ぶべきものなのです。

当時の日本の社会が、いかに世界の目から見て異質のものであり、また汚れのない美しいものであったかが忍ばれる内容となっています。

その文明は、明治維新後の西欧化の荒波によって、いまや完全に崩壊させられ、まさに過去の幻影となってしまいましたが、私たちはこの国がかつて有していた素晴らしい社会の姿を胸に焼き付けておく必要があります。



というものです。

あるいは、このような概念は、当時、日本を訪れた多くの外国人たちの感想にも現れています。

1860年に、通商条約の締結のために来日した当時のプロシアという国の使節団の人物は報告書に、日本人についてこう書いています。

「どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいのかもしれない」

先ほどの『逝きし世の面影』のAmazon のレビュー には以下のような書き込みがあります。


日本は先進国の仲間入りを果たし、国際的には一流の国になったが、果たして欧米の尺度で動いている今日のこのシステムを今後も続けていくことが、日本人にとって幸せなのか、考えさせられてしまう。


また、私はさきほどの記事でこのように書いています。


その後の 100年で日本の状況はかなり変わってしまった。最近の日本と日本人が「どうみても健康で幸福な民族」かどうかは、かなり微妙で、それだけに今の時期は考えてみるいい機会なのではないかとも思います。


震災後に感じた、この「西洋文明化の違和感」は、消えていません。

100年、あるいは 150年以上前の日本の感覚に戻れるなら戻る・・・。

そして、このことは、西洋人であるシュタイナーの 100年前の言葉によって、それが曖昧な願望のレベルではなく、私たち、あるいは私たちの一部は、積極的に唯物論的思考と西洋的価値観から脱却していくことが必要なのかもしれないと今は観念します。

西洋文明と西洋的な価値観が雪崩を打って流入してして百数十年。

もはや、日本人は限界に見えます。

ところで、先ほどリンクしました過去記事「どんなに愛される資格があるのかを私たちは知らない」のタイトルの由来は、1876年(明治9年)と1899年の二度、日本に来日したフランスの画家のレガメという人が「日本と日本人への思い」を書いた『日本素描紀行』という著作にあるもので、今回の締めは、その抜粋をご紹介したいと思います。

140年前の日本の姿です。


レガメ「日本素描紀行」(1876年)より

私は、午後三時から始めた貧しい人々の住む地域の散策から戻って来た。魚屋や八百屋の店先は、夕食のため、たいへん賑わっている。この時刻の盛んな活気は、やがて人気のない街の静けさに移っていくのだろう。

私は、深く感動して、頭をかしげて戻る。たった今見たすべてのことに、心の奥底まで動かされ、あの誠実な人たちと、手まねでしか話せなかったことが、たいへんもどかしい。

勇気があって機嫌よくというのが、陽気で仕事熱心なこのすばらしい人々のモットーであるらしい。

女性たちは慎ましく優しく、子供たちは楽しげで、皮肉のかげりのない健康な笑い声をあげ、必要なときには注意深い。すべての人が、日中は、家の中でと同じように通りでも生活をしている。

彼らは、私がどんなに彼らが好きであるのか、おそらく知るまい。また、自分たちに、どんなに愛される資格があるのかも知らない。





  

2015年06月08日



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水素原子の原子軌道のイメージ
atom-kidou.jpg
水素原子の原子軌道

周波数によって水面に浮かぶ様々な紋様
water-sound-0608.jpg
・『 ウォーター・サウンド・イメージ






 



「切断」という名称にした意味

最近話題にさせていただくことの多いフランス映画『美しき緑の恐怖』・・・うーん惜しい。『美しきあなたはパトリシア』、うーん、もうタイトルはどうでもいいですが、この『美しき緑の星』(合ってる合ってる)、私は5回くらい見ているんですよ。

最近はパソコンの動画もテレビで見られますので、大画面で何度か見ているのですが、この映画は、説明的なところでは丁寧ではない部分があります。平たく言うと「ストーリーラインが破綻している」と考えられる部分がわりとありまして、一度見ただけでは何だかよくわからない面もあります。

もっともわかりにくいのは、「切断(弱)」の説明が一瞬しか出てこない点です。

途中から出てくる「切断(強)」をされた人間が、たちまちのうちに変化してしまうのは、まあ何となくわかるのですが、宇宙人ミラさんが地球に来たばかりの時に、彼女と出会った人々が(少し遅れて)みんな変化していってしまうあたりが最初はよくわかりませんでした。

そうしましたら、最初に見たとき、「数秒のシーン」をちゃんと見ていなかったのですね。

その、ほんの数秒のシーンを見逃すか、ボーッと見ていると、その後も多分わからないままになると思います。

ミラさんが地球に来る前に、他の宇宙人の人から地球での行動のレクチャーを受けている場面です。

disconnect-001.jpg


disconnect-002.jpg
・映画『美しき緑の星


この、

「弱は人と会うだけで働く」

という2秒くらいの台詞を見逃すと、パリの街の前半の描写は、何がなんだかわからないことになるかと思われます。

この一瞬の説明だけでパリの街全域で起きる騒動を代弁するというのは、なかなか大胆ですが、そういう「説明をあまりしない」部分がとても多い映画です。

そもそも、

「切断」

というネーミングは何ぞや。

宇宙人のミラさんから「切断プログラム」を受けた地球人は、その全員が、自然と人間に対する愛に目覚め、あらゆるものの中から「肯定的な要素」を見つけ、否定的な感情が消えて、人生が「開いて」いきます。

要するに、新しい人間性(あるいは正しい人間性)に「目覚める」のです。

ということなら、覚醒へと導く方法に「切断」という名前がつけられているのはどうしてなのか。

「覚醒プログラム」でも「慈愛光線プログラム」でも「人と自然を愛して世の中を肯定的に見てもらおうプログラム」でも、何だかそういうようなもののほうが、映画としては、わかりやすいと思います。

なのに、愛を導く方法の名前が「切断」プログラム。

最初は、日本語の訳の問題なのかと思いましたが、聞いていると、フランス語ですが、ディスコネクト( disconnect )と聞こえます。

英語の方のディスコネクトの意味は、


disconnect - weblio 英和辞典

1a〈…の〉接続を断つ,〈…を〉断ち切る,離す.

b〈…の〉電源を切る; 〈電話などを〉切る.

c〈…を〉〔…から〕断ち切る,切り離す〈from〉.



とありまして、「切断」くらいの日本語になるのは妥当であることがわかります。

では、何から何を切断しているのか?
あるいは、何から何が切断されると私たちは「目覚める」のか。

考え方のひとつとして、

「恐怖からの解放」についてのメモ(2):現在の地球の人間は何によってコントロールされているのか
 2015年05月25日

という記事でご紹介いたしました、『プレアデス+かく語りき―地球30万年の夜明け』という本に載せられている、やはり宇宙人グループの一人であるプレアデスの人と自称されている方が言っていた以下のフレーズを思い出します。


『プレアデス+かく語りき』より

彼らはホログラフィの挿絵を作り、それは真に迫ったドラマそのものですが、それをポータルを通してあなた方の現実のなかに挿入するのです。

これをやっている宇宙存在は何十万年も生きている存在であり、人類の周波数はコントロールされているために、人間を騙すことは彼らにとってはまったく簡単なことです。

ホログラフィーの挿絵は、三次元の世界とまったく同じように見えます。それは作られた出来事であり、それをあなた方の現実に、現実のつづきであるかのように挿入します。

それは見ている者の頭脳に影響をおよぼす目的で使われ、見分けるのはとても困難です。

壮大な出来事の一部は本物ですが、一部はホログラフィーの挿絵で、人類の意識をコントロールしやすいように、一つの世界秩序に向けようとする意図でデザインされるでしょう。



要するに、この方向の考え方が現実にあるとした場合、

人間をコントロールしている否定的な周波数(それは現実に見えるホログラムを作り出している)などを「切断」する。

という考え方です。

自称プレアデスの人は、私たち地球人間に対して、


目、耳、鼻、口、感触は”現実を欺くもの”です。

あなた方はこれらの感覚によって現実を知覚していると考えますが、実際には、これらの感覚は現実に対するあなた方の知覚を制限しています。



と言っていて、私たちが見ている現実は、おそらくは「ウソが多い」ということを言いたいようです。

下の女性は、上の人と同じプレアデスの人だということらしい「自称グループ」の一員のようでして、英語で Semijase という方です。日本語表記では、セムヤーセとか、セミヤーゼとか、セムジャーゼとか、いろいろあるようです。

semjase.jpg
semjase.net


『美しき緑の星』で地球にやってきたミラさんとはだいぶん印象が違う感じです。

パリにやってきた宇宙人ミラさん
midori-03.jpg
・『美しき緑の星』

この後、ミラさんは「踏まないようにしなくちゃ」と否定的な見解を述べますが、私たち地球人にはもっとエライ人がいます。過去記事、

『美しき緑の星』で描かれる「どんなものにも良い部分を見いだす」という完全な肯定的な態度について考えてみる
 2015年05月21日

という記事でご紹介しました「野口体操」の創始者である野口三千三(みちぞう)大師(ここは大師と呼ばせていただきます)は、著作『原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論』の中で、

野口三千三『原初生命体としての人間』より

いずれにしても、私は、大便そのものが、生きもの特有の親しみのある大変よい香りをもっていることや、柔軟性に富み、なめらかでボリュウムのある線や形、そして動きの美しいものである、ということを強調したい。

という絶対的肯定の態度、すべてのものへの愛、を教えて下さっているのであります。

まあ、便の話はともかくとして、プレアデスの人だと自称されている方々が言うような、

現在の地球は悪い周波数でコントロールされている

というようなものを「切断」してくれる、という考え方は、何となくあるかなあ、とは思いました。

その他となると何だろう。

何を切断すれば、人間は目覚めるでしょうか。




存在の学問、量子力学

たとえば、先日の、

《特報》「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認
 2015年06月06日

という記事では、

この世は人間が認識してはじめて存在する。

という、かなりのおおごとが実験で証明されたことをご紹介しました。

「認識」というのは複雑で、見たり聞いたり感じたり知ったり思ったりすることだけではないですが、単純な例えとして、上の記事の内容は、

inai-inai.gif
・キャラクターは『いないいないばあ』より


baa.gif


というような記事でした(そんな記事だったのかよ)。

いずれにしましても、上の記事では、原子以外の「形や質量を持った存在」(あるいは、おそらくは音や匂いや感覚なども)は、人間の認識によって形作られているという可能性を示したものですが、しかし、そこまで話が拡大しなくとも、たとえば、その次の段階なのかもしれないですが、

数々のシンクロの中で、この世の存在は「音そのもの」であるかもしれないことに確信を…
 2015年03月22日

という記事などから、たびたび書いています音と世界の関係、つまり「大戸屋がこの世を作り上げているのかもしれない」・・・ああ、大戸屋じゃないや、

「音がこの世を作り上げているのかもしれない」

という概念と結びつくようにも思います。

ここには、「周波数」という概念が関係します。

そして、周波数の「それぞれの持つゆらぎ」のようなものこそ、この世界の形や音や、あるいは、人間の器官や精神や健康に至るまで司っているのではないかということは、つい最近になって初めて思ったのですが、思っていたことではあります。

しかし、私は、

「宇宙って真空だから、音も揺らぎもないよなあ」

と思っていたのです。

つまり、この「音が世界を作っている」というのは、古典物理学での真空(エネルギーがない)である宇宙では通用しないんだよなあ・・・と、しょんぼりとお酒を飲んでいるうちに元気になりました(どっちだよ)。

ところがです。

それこそ、先日の記事「「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」…」で、ご紹介しました早稲田大学名誉教授の並木美喜雄さんの『量子力学入門』という著作をその後購入しまして、これがまた全体的にとても難しい本で、私に普通に読めるようなものでもなく、適当なところをめくったりしていたのですが、そこに面白いことが書いてあるのを見つけたのでした。


並木美喜雄著『量子力学入門』より

古典論(量子力学を含まない物理学)の最低エネルギー状態ではすべての電磁振動は消滅する。この状態を電磁場に関する古典論の真空という。

量子論でも、最低エネルギー状態を真空と呼ぶが、それはゼロではないゼロ点振動をもち、大層騒がしい真空である。

そのゼロ点振動「真空電磁場の揺らぎ」、または単に真空の揺らぎという。

真空の揺らぎは大きな物理的効果を持つ。(略)

現代素粒子物理学は真空にもっと複雑な物質性を与えつつある。また、現代宇宙論は真空の揺らぎが宇宙の創造・発展に重要な影響を与えたらしいと推測している。



なんと、量子力学では、真空であることは「何もない状態とは見なしていない」ということで、そこには「ゆらぎが存在する」ようなのです。




真空の中から「突然出現する」原子たち

これについて調べようとしましたら「無 - Wikipedia 」などという項目が検索されました。「無」なんていう Wikipedia 項目を読むのはこれが初めてです。

そして、その中に以下の記述がありました。


無 - Wikipedia より

古典物理学において、物理的に何も無い空間を真空と呼び、真空は完全な無であると考えられてきたが、現代物理学においては、真空のゆらぎによって、何も無いはずの真空から電子と陽電子のペアが、突然出現することが認められている。

このことによって、現代物理学では完全な無(絶対無)というものは物理的に存在しないとされている。




> 何もないはずの真空から電子と陽電子のペアが、突然出現する

これを読んで、思わず「ひぃぃ」と叫んでしまった私ですが、いずれにしても、真空であるということは、少なくとも量子力学の世界では、「ものの出現と存在」については関係ないもののようです。

それにしてもこの並木美喜雄さんの『量子力学入門』。

完全な科学本で、内容のほとんどを私には理解できないのですが、たとえば、その目次。
第1章のタイトルが、

プロローグ − 「存在」とは何か?

で、最終章第10章が、

エピローグ − 再び「存在」について

というように、量子力学という学問が「存在の学問」であることを思わせてくれる雰囲気があります。

そして、この本は帯が下のようになっています。

atom-01.jpg


ここにも「波なのか? 粒子なのか?」とあり、「波」と「粒子」の二重性を持っているということは、何だかやはり大変なことのようで、この『量子力学入門』のテーマとなっているようです。

ちなみに、先ほどの「無 - Wikipedia 」には、以下のような記述もありました。


古典物理学の法則が通用する範囲は、宇宙の大きさからせいぜい原子や分子の大きさのレベルまでである。原子内または原子間では古典物理学の法則は破れており、現象の正確な記述ができない。

光は本質的に量子的な振る舞いを示すため、古典物理学では電磁波をうまく扱うことができない。量子論と違って、古典物理学は完全な決定論である。



> 原子内または原子間では古典物理学の法則は破れており

とあり、原子がこの世を作る最小単位で、かつ基本の単位だとした場合、「それが通用しない物理学」というのが古典物理学、つまり量子力学を含まない物理学ということで、それが今でも主流というのはどうなんでしょうかね。

原子を説明できないのでは、宇宙を説明できないのでは、と思ってしまいました。

ただ、「量子論と違って、古典物理学は完全な決定論」とされていて、この決定論とは、Wikipedia によれば、

あらゆる出来事は、その出来事に先行する出来事のみによって決定している、とする立場。

とあり、つまり、量子力学は「そうではない」ということになります。

となると、決定論ではない量子力学(たとえば、人間が認識してから物質が確定するなどの概念)での宇宙は、古来からの物理学のような因果律がないため、「きわめて自由な宇宙」を描けてしまう可能性があります。

それは楽しいことではあっても、やや混乱を招くことではあるかもしれません。

いや!

このような古い概念からの「切断」こそが大事なのかもしれません。

こんなことにこだわるのも、私たち地球人は宇宙人などの力によるものではなく、自力で「覚醒」を果たさなければならないと思うからです。多くの宗教や哲学同様に、新しい科学の概念もその一助になるのではないかと思います(量子力学は難しいですが)。

切断の話から何だかえらいことになってしまいましたが、確かに『美しき緑の星』には謎の部分を含めて、考える部分が多いのは確かです。



  

2015年06月06日



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宇宙は、自身の存在を認識してくれる「人間の登場」を待ち続ける

Reality-Doesnt-Exist23.gif
NDTV






 

この世は人間が認識するまでは存在しない

今回ご紹介するニュースは最近の中でも、個人的に非常に大きなものです。

とても簡単に書けば、

1970年代に量子物理学者によって予測されていた説が、実験で証明された

というもので、その予測されていた説とは、

この世は、人間に観測(認識)されるまで存在しない

というものです。

つまり、「そのあたりにあるすべても宇宙も何もかもが、人間が認識してはじめて存在する」ということが証明された実験ということになります。

(何も存在しないという書き方は正しくなく、「原子はある」のですが、いわゆる私たちの生活での、一般的な認識での「存在」という意味にとらえていただくと幸いです)

この実験結果の論文が掲載されたのは、科学誌ネイチャーのオンライン版です。

Wheelers-delayed-choice-gedanken-experiment.gif
・nature Wheeler's delayed-choice gedanken experiment with a single atom


ただ、上のネイチャーの論文タイトルの「単一原子とホイーラーの遅延選択思考実験(ゲダンケン・エクスペリメント)」というのを見ただけでもおわかりのように、今回は内容は本当に難しくて、これを紹介していた報道記事をご紹介しようと思うのですが、何度読んでも意味があまりわかりません。

本当は昨日、今回の記事をアップするつもりでしたが、翻訳が全然できなくて今にいたります。

まあ、一応翻訳したという程度で、内容はおそらくは、物理学的にはまったく間違っていると思いますが、その内容を理解するために、いくつか読みましたサイトをまずご紹介したいと思います。

まず、今回の実験の名称は、すでに 1978年に理論付けされていまして、

「ホイーラーの遅延選択実験」

という、ジョン・ホイーラーという物理学者が提唱したものです。

このジョン・ホイーラーという人は、


ジョン・ホイーラー - Wikipedia

アルベルト・アインシュタインの共同研究者として、統一場理論の構築に取り組んだ。そして、一般相対性理論、量子重力理論の理論研究で多くの足跡を残した。

1960年代には、中性子星と重力崩壊の理論的分析を行ない、相対論的天体物理学の先駆者となった。

宇宙の波動関数を記述するホイーラー・ドウィット方程式は、量子重力研究の先駆的成果の一つである。また、ワームホール(1957年)や、ブラックホール(1967年)の命名者でもある。




と、いろいろとしていた方のようですが、この経歴を見る限り、量子学の足がかりを作った一人であるようです。

ジョン・ホイーラー( 1911年 - 2008年)
John-Wheeler.jpg
John Wheeler's Interview


そして、この物理学者が 1978年に「この実験で、あることが証明されるはずだ」と予測した実験が「ホイーラーの遅延選択実験」というもので、この実験で証明されることは、

「この世は人間に記録(観測)されるまでは存在しない」

ということだというのです。

これに関しては、ホィーラーの遅延選択実験というページに、理論物理学者で、早稲田大学名誉教授の並木美喜さんという方が記した『量子力学入門<』という書籍の内容が記されています。

実験の内容そのものに関しては、その説明にあります以下の記述のようなもので、とにかく、さっぱりわかりません。


da-db.gif

実験(a)では、M1によって二つに分けられた光パルスが通路AとBを通って別々に検出器DAとDBに導かれる。平均光子数一個(以下)のパルスごとの実験だから、DAが光子を検出すれば、DBが光子を捕捉することはない。

という例を見ましてもわかるように、私たちにはまったくわからないといっていいものです。

ですので、実験の内容については省略しまして、その実験の結果として、その後、どんなことが導かれたかということを、並木美喜さんの記述から抜粋させていただきます。


並木美喜著『量子力学入門』(1992年)より

実験の方は1986年頃アメリカとドイツで実行され、ホィーラーの予想通りの結果が出た。

そこで彼は強調する。「”記録”されるまでは”現象”はない」と。

”現象”を「粒子」と「波動」に局限するかぎり、おそらくは彼は正しいだろう。だが、「現象」という言葉を最大限に拡張解釈し、何段階か飛躍してこの言明を言い換えればどうなるか?

あるいは「宇宙は人間の登場と人間による認知を待っていた」という断言すら生まれるかも知れない。

なぜならば、宇宙という「現象」は人間が観測して≪記録≫するまでは存在しないのだから!

この断言を許すと、人間は森羅万象を決定する最高位の存在になってしまう。

話としては大層面白い。決定論的な古典的自然観とはあまりにも違う。

宇宙は人間に合わせて、または人間のためにできているという考えを「人間原理」ということにすれば、これは「人間原理」の極端な姿だ。

読者の皆さんはどのように受け取られるだろうか?



このように、並木名誉教授の文体は、「自分で書きながら、その内容に驚いている」ことを感じさせるものです。

確かに、上の文章にあります様々な記述、

> 宇宙は人間の登場と人間による認知を待っていた

> 人間は森羅万象を決定する最高位の存在になってしまう

> 宇宙は人間に合わせて、または人間のためにできている


という考え方は、現在の自然科学とは相容れないものがあるかもしれません。

しかし、これは、このブログで、過去何度も出てきた概念でもあります。
だからこそ、大きなニュースでもあります。




宇宙は人間の登場を待っていた

かつて、何度か引用させていただいた私宛てのメールがあります。

中世の薔薇十字の理論の実践者であり、また、シュタイナーの研究者でもあった「ねるさん」という方が、 2011年 3月 11日の震災の直後に私に送ってくれたメールです。

それらのことは、過去記事、

量子物理学者が証明しようとする「死後の世界と来世」。そして「宇宙は人間の認識がなくては存在しない」こと
 2013年11月19日

の中など、過去何度か引用させていただきましたが、再度引用させていただきます。

まさに、今回の実験で証明されたことそのものの概念が書かれています。
最初に掲載したのは震災6日後の「人類が獲得した「予知できない」能力」という記事でした。



現代人の知性とその可能性

人間の知性はいまや他の存在たちにとっての希望です。
自然のなかに生きていた神々はもういません。

自然は、もはや自動的に運行する機械に過ぎないのです。科学によって自然を観察しても生命は見つかりません。自分を探してのぞき込んでも、見つかるのはただの影にすぎません。

今や人類はそれ以前とは異なります。神々は人類に運命を委ねたからです。宇宙の知性は、ある時期から人間の側に移行しました。以前のように自然を探すことによって見いだせるのは死んでしまった法則だけです。

人間は、自分が宇宙の意志であるという事実を自覚するとき、やっと宇宙と自分自身の本当の姿を見つけます。それは神々が与えてくれるものではなく、人間の判断行為の中にのみ見いだされるものです。

宇宙は最終的な結論として人間を選びました。

この奇跡の只中にいる人間自身がこのことに気づいていません。空に輝く物質的な太陽とおなじ力が人間の内部にも働いているという事実をです。自分自身の知性がこれから大きく変容する可能性があることに人間は気づかなければなりません。宇宙の命運が掛かっていることを知らなくてはなりません。

過去の光は人間の内部に移行しました。自分の思考が宇宙の意志であることを自覚すると、想像をはるかに超えた数の存在たちが闇から救出されます。動物たちは大気圏の外から人類を見守ってくれます。植物たちはこの地上で人類を助けてくれます。鉱物たちは自らを思考の材料として提供してくれるはずです。

だから宇宙に生きる全ての存在たちのために、人間は、今、行動しなければなりません。




ここまでです。

2011年の震災直後は、私も考えが大きく変化した時でした。

震災3日目に書きました、

決意の涙 : 東京 DAY3
 2011年03月13日

という記事に、圧倒される自然災害を目の当たりにして、私は以下のようなことを書いています。


2011年03月13日の In Deep 記事より

宇宙がどのように生まれたのかは今はわかっていませんが、中世の神秘学などの言葉を借りると、順番としては、

・ことば
・存在
・認識


というように来たように思います。

今、私たちが「宇宙」とか「存在」と考えているものは、実は我々が認識しているために存在しています。

これは難しい話ではないのですよ。

・見ないと見えない
・聞かないと聞こえない


というようにいくと、

・認識しないと存在しない

という流れにはなるように思います。

埴谷雄高さんが言っていた「存在の革命」という言葉を、私なりに究極的な革命として、書けば、

・認識の否定

というものがあると思います。

とても間違ったことであることはわかりますが、ただ単に「宇宙の圧倒」に我々がいつまでも引きずられているわけにはいかない。



ということを書いていまして、今このように読み返してみるとわかりづらいですが、これは何を書いているかといいますと、

私たち人間は宇宙の存在を消すこともできる

ということに震災直後に気づいたことを、やんわり遠回しに書いています。

3.11の理由を宇宙が明確にしない限り、私たちは宇宙の存在を消し去ることができると。

地球も宇宙も消えて、意識と言葉(あるいは音)だけがこの世に残る。

創世のやり直し。

その後も、この 2011年は、「この世は存在しているのかいないのか」ということについて考えることが多かったです。

DNAの存在から見れば「私たちは実際には存在していない」かもしれない
 2011年06月14日

という記事、あるいは、クレアなひとときでも、

覚醒とは何か(2) 意志のある場所とその消滅
 クレアなひととき 2011年11月01日

覚醒とは何か(3) 人類に芽生えたかすかな希望[同一の存在の可能性に向けて]
 クレアなひととき 2011年11月02日

などで、繰り返し、

「宇宙に対しての人類の認識」が、「宇宙が存在するため」の唯一の拠り所かもしれない

ということを書いています。

この 2011年の頃は、何というのか無意識で記事を書いている時も多くて、読み返すまでは覚えていないようなものが多いのですが、少なくとも、そのようなことをどこかで思い続けていたようです。

あるいは、ごく最近の記事、

「恐怖からの解放」についてのメモ(2):現在の地球の人間は何によってコントロールされているのか
 2015年05月25日

などで、自称プレアデスの人が言う、


目、耳、鼻、口、感触は”現実を欺くもの”です。あなた方はこれらの感覚によって現実を知覚していると考えますが、実際には、これらの感覚は現実に対するあなた方の知覚を制限しています。


という内容は、私たちの宇宙に対しての感覚的な把握が、目、耳、鼻、口、感触の「以外」にもあることを示していて、人間と宇宙の関わりについては、人間の方から積極的に変化させることができることを現してもいるような気もします。

最近、書くことのある「肯定的な態度」にしても、それをおこなうのは自分自身であって、つまり、

「自分が変わって、初めて、周囲の風景が変わる」

ということを端的に物語っている気もします。

あるいは、考え方次第で、この世はとても美しいものでもあるし、あるいは、そうではないものであるということも、たとえば、フランス映画『美しき緑の星』などで語られていることでもあります。

この世のすべては不変に見えても、現実としては、人間の感情や認識で、どんどんと変化する

それまで何も感じなかった対象がどんどん変化する。

まあ、 In Deep というブログそのものが、「この世は存在するのか」ということを、ひとつのテーマとして持っているものでもあります。

30年目のエレキな春 : 精神圏へ移行する人類の覚醒後の姿を夢想させてくれた『弥次喜多 In Deep 』と作者への感謝
 2014年04月28日

という記事に書いたことがありますが、ブログの In Deep というタイトルは、しりあがり寿さんの痛快形而上アクション時代劇ギャグ漫画(どんなジャンルだ)である『弥次喜多 in DEEP』の印象からいただいたものです。

この漫画では、生きている弥次さん喜多さんが創造神へと変化し、ついには宇宙へと変化していく長い過程を経た後、ある一人の少年が、

「宇宙って存在しないのではないのか」

ということに気づき、それどころか、

「この世には実は何も存在していないのではないのか」

ということにも気づいてしまい、それでも少年は前へと歩いていくところで物語は終わります。

yajikita-in-deep2.gif

▲ この世には何も存在していないことに気づいた「千年ムスコ」という名前の少年。これに対して、「存在しない宇宙の象徴となっている弥次さん喜多さん」は少年に「そうだ」という旨を述べます。


そんなわけで、この「宇宙は存在しない」ということについては、自分自身の信念は強いままなのですが、今回のように、科学的実験で証明されるというのは、それはそれでひとつの大きなことだと思った次第です。

ここから報道記事ですが、先ほども書きましたように、実験内容はよくわかりませんですが、なるべく自分自身で理解しやすいように、かなり直訳とは遠いものとなっていますので、翻訳内容は参考程度にお考えいただけると幸いです。

特に、後半は自分で書いていても、何語を書いているのかわからないほどでした。




Quantum Experiment Confirms Reality Doesn't Exist Until Measured
NDTV 2015.06.02


観測されるまで現実は存在しないことを量子実験が確認


オーストラリアの科学者たちが、量子物理学での予測を証明するための有名なある実験を行い、その実験は成功した。

その予測とは「観測されるまで、現実は存在しない」というものだ。

オーストラリア国立大学( ANU )の物理学者たちは、ジョン・ホイーラーの遅延選択思考実験と呼ばれる実験を行った。それは粒子のように動く、あるいは、波動のように動く選択権を与えられている移動物体に関しての実験だ。

ホイーラーの実験は、その後、どの時点で物体が「それが波動か粒子か」を決定しているのかを問う。

常識的には、私たちがそれを観測する方法がどのようなものであろうと、その物体が波動のようなものか、粒子のようなものかということは、それぞれ最初から物体として独立していて、測定法と、その物体が何かということは無関係だといえる。

ところが、量子物理学者たちは、あなたたちが、その物体を波動の挙動(干渉)、として観測するか、あるいは、粒子の挙動(無干渉)として観測するかによって、その最終的な実際の観測記録が違ってくると予測してきた。

そして、この予測について、オーストラリア国立大学のチームが実験で証明することに成功したのだ。

オーストラリア国立大学の物理学工学研究所のアンドリュー・トラスコット( Andrew Truscott )准教授は、

「この実験は観測がすべてであることを証明しました。量子レベルでは、あなたがそれを見ていないのなら、それは存在しない、ということになります」

と述べる。

この実験の結果は、非常に小さなものに支配されているとする量子理論の妥当性を確認することになる。そして、この理論は、 LED 、レーザーおよびコンピュータチップ等の多くのテクノロジーの開発を可能にしてきたと研究者たちは言う。

オーストラリア国立大学のチームが成功した今回の実験は、ホイーラーがこの実験を提唱した 1978年には、実験を行うことがほぼ不可能と思われていた。

トラスコット准教授のチームの実験は、最初に「ボース=アインシュタイン凝縮」として知られる停止状態の中で、ヘリウム原子の集合体によって物体が補足され、それらは、最後の単一の原子が残るまで排出された。

単一の原子は、その後、対向伝搬レーザー光を介して落下した。これは、固体の格子が光を散乱するのと同じ方法での格子パターンを形成した。

その軌跡を再結合するために第二の光格子をランダムに加えると、これは、建設的に、あるいは、破壊的な干渉へとつながった。

第二の光格子が加えられなかった場合には、干渉は観察されなかった。それは、あたかも、原子が一つの軌跡のみを選択したかのようだった。しかし、原子が交差点を通過した後、格子が追加されたかどうかを決定する唯一の乱数が生成されたのだ。

トラスコット准教授は、「原子は特定の軌跡を取り、あるいは、将来の記録が原子の軌跡に影響を与えることを受け入れた、ということになります」と語る。

「原子は、AからBへと旅をしたのではないのです。彼らは、その旅の最後に、それらが波動か、あるいは粒子か、どちらかの振る舞いが観測された時に、初めて彼らに、それが波動か、あるいは粒子かという存在がもたらされたのです」と准教授は述べた。

この実験結果は、科学誌ネイチャーに掲載されている。





(訳者注)ここまです。本当に途中からは読んでもまったくわからなくてすみません(苦笑)。

要するに、後半に書かれてあることは、

原子は、観測された結果があった時に、はじめてその物質の特性が決まる

ということだと思います。

ということは、物質は「観測されるまでは特性がない(つまり、存在しない)」ということになることを、この実験は導いたようです。

しかし、今の社会(唯物論的な理論で構築されている社会)で、私たちはこのような見解を信じることは難しいです。

それが変換するためには、シュタイナーが「唯物論的な認識から精神的な人類へと進化しなければならない」と述べていたようなことや、あるいは、チジェフスキー博士が言うように(過去記事「私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために…」)

「人間が精神圏へ移行する」

というような未来があったとする場合、私たちの宇宙への認識もまた変化して、その場合、それはもう想像も絶する素晴らしい宇宙が出現しそうな気もします。

自由な人間の認識に基づいた「変幻自在な宇宙」です。

そして、これが弥勒の世界というものかもしれないということにも気づきます。



  

2015年06月02日



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・『薔薇十字の秘密のシンボル』(1758年)より






 


「頂点は日本」だから・・・

先日の 5月30日のマグニチュード 8.1 という、わりと壊滅的なエネルギーだった小笠原沖の地震ですけれど、私は昔から「震源の深さ」に興味があったこともあり、震源の深さが 500キロメートル以上(正確には 682キロメートル)というのを見た時に、

「この規模の地震で、この深さは珍しいのでは?」

と思いましたが、翌日の産経新聞に以下のような記事がありました。


【小笠原で震度5強】震源を682キロに修正、気象庁「M8クラスで世界最深の地震」
産経新聞 2013.05.31

小笠原諸島の母島(東京都)と神奈川県二宮町で震度5強を観測した地震で気象庁は31日、地震の規模を示すマグニチュード(M)を8・5から8・1に、震源の深さも約590キロから682キロに、それぞれ修正した。

気象庁によると、1900年以降のM8以上では、世界最深の地震だとしている。




深さ 682キロメートルの地震というのは、あまり見ないもので、まして、マグニチュード8というような規模の地震がこのような深い場所で起きたということに対しては、むしろ「不思議」な感じを持っています。

おそらくは、多くの地震の専門家の方々も、こういう地震の存在(深いところでの大地震)は、想像もしていなかったことなのではないでしょうか。

このような「震源の深い地震」というと、南太平洋のフィジー周辺の海域は、深い地震が多いところですが、そのフィジーで今、「謎の震動」が起きています。

これは、

地球で最も震源の深い地震が起きやすい南太平洋のフィジーが「謎の揺れ」に見舞われている
 2015年06月01日

という記事を書きまして、その中にアメリカ地質調査所( USGS )の最近のデータを載せていますが、理由はわからないですが、フィジーでは、震源の深い地震が頻繁に起きます。

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USGS

しかし、今回の日本のマグニチュード8の地震は、これらよりもはるかに深く、そして、このような震源の深さで起きた地震としては、記録に残る中では最大の規模だったのです。

もちろん、地震は震源が浅くなればなるほど、震度は大きくなる(地表へのエネルギーの影響が増大する)傾向にありますから、もし、この地震が地下 10キロメートル以内などで起きていたら、それはそれは大惨事になっていたわけで、深い地震で助かったことは事実です。

こんな規模の地震が浅い震源で起きていたら、関東から九州までの広い範囲が、大きな津波に見舞われていたでしょうし。


しかし・・・ですね。


今回の地震での深刻な被害はあまりなかったとはいえ、こんな深いところでマグニチュード8クラスの地震が起きたということはプレートや地質状況全体に対しての影響はないのだろうかと、どうしても思ってしまいます。

図で見ると、今回の地震が日本の周辺にどういう力と影響を与えたかがわかるような気がします。下の図は、読売新聞の英語メディア Japan Times のものです。

plate-japan.gif
・Japan Times Depth of quake caused widespread shaking


こう・・・何というのか、

「深いところから、地表に向けての広範囲にグッとエネルギーを加えられた」

というようなイメージには見えないでしょうか。

何らかの親分が、「もっと頑張りなさい」と、プレートにエネルギーを注ぎ込んだような雰囲気を感じてしまいます。

これは、日本に対してだけのことで書いているのではなく、つい最近の、

シュタイナーが110年前に述べた「頂点は日本です」の意味
 2015年05月27日

に書きましたように、どういう意味かはよくわからなくても、

「頂点は日本です」

「地震と火山の話」の時に、シュタイナーは言っているのです。

シュタイナーが1906年の講演で書いた図
chesta-drawing2.jpg
Anthro Med Library

上の記事で、私は、


この『天地の未来』で示される日本の位置の意味というのは、次のどちらかなのかもしれません。

1. 日本での地震や噴火などの自然災害が世界に影響を与える
2. 世界中の地震や火山噴火が日本に影響を与える



というようなことを書きましたが、自分にとっては非常に不思議な 5月30日の「震源の深さ680キロメートルの場所でのマグニチュード8の地震」という象徴的な出来事が気になっています。

このシュタイナーの「頂点は日本です」という講演は、シュタイナーの災害と戦争に関しての講演を収録した『天地の未来―地震・火山・戦争』という著作に収められているのですが、これが今、Amazon でも事実上、購入できないような高値( 6月2日時点で最も安い古本で1万8千円)となっていて、そのうち安くなるとは思いますが、この本には、

「人間社会と自然災害の関係」

ということや、

「地震で亡くなった人間の死後と再生」

のこと、あるいは、

「戦争で亡くなった人たちの死後と再生」

のことなど、正しいかどうかは別として、いろいろな意味で興味深いことがたくさん書かれていますので、再版していただれればと思います。

そして、5月30日のマグニチュード8の日本の地震以来ということではないのでしょうけれど、

「世界中で急に地震が増え始めている」

という雰囲気もあるのです。

「雰囲気」と書いたのは、報道でやたらと目につくだけで、きちんとデータをとったわけではないからです。

また、日本で地震のあった 5月30日には、オーストラリアで「地震の公式データが翌日削除された」というようなことも話題になったりしています。

これは、

消された地震:M8.1の地震が日本で起きた30分後にオーストラリアで発生したM4.0の地震データが翌日インターネット上からすべて消滅
 2015年06月02日

に書きましたが、なかなか興味深い出来事ですので、よろしければお読みいただければ幸いです。

au-earthquake.gif


まあ・・・「何かいろいろと変な感じ」はあります。

雰囲気のことはともかく、先日の異常な深さでの強い地震は、おそらくは、日本列島の全体に何らかの力を加えたかもしれず、そして、シュタイナー曰く「地質的に頂点である日本」の影響は、全世界に及ぶ可能性も考えてしまうというような感じです。

今日も、

「ウオーキングなんてやってる場合じゃないかな」

と、ウォーキングをしながら考えていたのですが、明日も歩きます。
そして、飲んで食べて寝ます(日常かよ)。




シュタイナーが語る「弥勒の世界の到来」

上のほうで、シュタイナーが自然災害と人間社会、そして、「地球の未来」についての講演を収録した『天地の未来』が、とんでもない価格になっていて、入手が難しくなっていると書きましたが、この本の最後のほうのセクションに、

弥勒の世界の到来

というセクションがあります。

今回はそこをご紹介させていただこうかと思います。
このセクションはこのような時代に読んでおきたいセクションだと思うからです。

タイトルには「弥勒」とありますが、シュタイナーはドイツ語で講演をしていたと思いますので、マイトレーヤ( Maitreya )というように言っていたように思うのですが、Wikipedia には、シュタイナーの提唱する神智学でのマイトレーヤの意味が載っています。


マイトレーヤ (神智学) - Wikipedia

マイトレーヤと言う名は彼の師が与えた名であり、「幸いなる者」や「喜びと幸せをもたらす者」を意味する。

彼は日本において弥勒菩薩、仏教においてマイトレーヤというブッダ、キリスト教においてキリスト、ユダヤ教においてメシア、ヒンドゥー教においてカルキというアヴァターラ、イスラム教においてマフディーというイマームとして知られている。



シュタイナーはこの講演で、仏陀とかキリストなどの名前を出しますが、上ような意味であり、宗教的な意味での仏陀とかキリスト、という意味ではないようです。

このセクションは、最初は、仏陀の話から始まります。

最近の記事の、

日本も含めて「これは壮大なディストピア社会化実験」の進行中なんじゃないかと思いつつ、それもまた仏陀の言う幻想かもしれないし
 2015年05月31日

に書きました、お釈迦様の悟りの認識、つまり、

世界は幻影である。
世界は現実のものである、とは考察できない。
世界を現実のものと思うのは、大きな幻想である。
人間は元素の領域からの解放に向けて努力しなければならない。
そうすると、もはや名前も事物もない領域、涅槃にいたる。
そこで、人間は初めて幻想から解放される。

を述べた後に、シュタイナーは西洋での精神科学、つまり「キリスト」の話に移行していきます。

今回は、この「弥勒の世界の到来」の最終章「エーテル視力」と題されたセクションを抜粋しようと思います。

少し長い抜粋となるかもしれませんが、ご紹介します。

なお、文中で気にするところとしましては、

> いま人間は、キリストを見ることを学ぶべきです。

というようにあり、シュタイナーは「キリストを学ぶ」と言っているのではなく、

「キリストを見ること」を学ぶ

と言っている複雑な部分に注意したいと思いました。

また、やはり文中に、

> 「私ではなく、私のなかのキリスト」と言うことのできる人々が、植物の力を組み合わせることができるようになるでしょう。

とあり、これはイメージとして難しいですが、過去記事、

1785年の「薔薇十字の秘密のシンボル」の冒頭に出てくる数字
 2012年03月09日

などでご紹介したことがある 1758年に発行された『薔薇十字の秘密のシンボル』( Geheime Figuren der Rosenkreuzer )の中にある下のイラストのイメージでとらえると、何となく雰囲気だけでも掴めるような気もしないでもないような。

『薔薇十字の秘密のシンボル』より
christ-001.jpg


gott-001.gif


この『薔薇十字の秘密のシンボル』は、米国ウィスコンシン大学が所蔵していますが、下のリンクから、ドイツ語サイトですが、どなたでもダウンロードできます。

Die geheimen Figuren der Rosenkreuzer

このページの一番下の Weblinks からダウンロードできます。

ros-7.gif


なお、この講演の中で、シュタイナーは希望的なことだけを言っているわけではありません。

講演は、人類がなすべきこと(進化)をなさなかった場合は、

> 地球は唯物論のなかに沈没し、人類は大きな災害ののちに、この地上で、あるいは次の惑星ですべてを新たに始めねばならないでしょう。

で締めくくられています。

このシュタイナーの講演から 110年が経ちますが、人類は進化できていますでしょうか。

それでは、ここからです。



『天地の未来』 弥勒の世界の到来 より

エーテル視力

キリストは絶えず私たちの周囲にいる、と言われてきました。「私は世界の終わりまで、いつも君たちとともにいる」と、キリストは言っています。いま人間は、キリストを見ることを学ぶべきです。

そして、私たちが見えるものは真実ある、と信じるのです。このようなことが 20世紀中に始まり、これから2千年のあいだに多くのの人びとがこのような体験をするでしょう。

たとえば、「私たちは地球をどう見るか」と問いましょう。科学は地球を、カント=ラプラス理論(注/1755年に発表された「太陽系の生成」などについての「星雲説」と呼ばれる説)などによって、機械的・物理的・化学的に叙述しています。

いま、私たちはこの領域で見解の転換を迎えようとしています。地球は単に鉱物的な力ではなく、植物的な力、つまりエーテル的な力に由来するという見解が登場するでしょう。

植物は地球を中心に向け、上部は太陽と関係しています。この力が、地球を地球たらしめています。重力は二次的なものです。

石炭がかつて植物であったように、植物は鉱物以前に存在していました。この事実はまもなく発見されるでしょう。

植物が地球に形態と実体を与えています。その実体から鉱物的な地面が発生します。この教えは、ゲーテの植物形態学に端を発します。しかし、彼の教えは理解されませんでした。

人間は次第にエーテルを見るようになっていきます。エーテルは植物に特有のものです。植物界の成長力を、人間は自分のうちに受け取るようになるでしょう。そうすると、いまキリストを見ることを妨げている力から人間は解放されます。精神科学は、そのために協力します。

しかし、物質からエーテルへの上昇は人間の内面と関係しないと思っている限り、このようなことは不可能です。

実験室では、人間が道徳的に高いか低いかは、どちらでもいいことです。しかし、エーテル力を扱うときは、そうではありません。道徳的な要素が、製造品のなかに入っていきます。人間がいまのままにとどまっていると、この能力を発展させるのは不可能です。まず、実験台が祭壇にならねばなりません。

ゲーテは子どものころ、自然の産物で集めて作った小さな祭壇の上に置いた香蝋燭に集光レンズを使って日の出の光で点火しました。

まもなく、「私ではなく、私のなかのキリスト」と言うことのできる人々が、植物の力を組み合わせることができるようになるでしょう。いま人々は、鉱物的な力を組み合わせています。

人間の内部は、外界と相互作用をします。外的なものは、私たちの目が澄んでいるか濁っているかによって、姿を変えます。

20世紀のうちに、そしてこれから2千年後のあいだに、人々はキリストのエーテル形姿を見るにいたるでしょう。人々はエーテル地球を見るようになるでしょう。エーテル地球から植物界は生じました。

人間の善良な内面とは異なった影響を周囲におよぼすということも、人々は認識するでしょう。このエーテル的な科学を司るのは、およそ3千年後に下生して成仏する弥勒菩薩です。

弥勒という名は、「善良な志操の仏」という意味です。弥勒仏は人間に、善良な志操の意味を明らかにします。そうして、人間は自分がどの方向に行くべきかを知るべきでしょう。

抽象的な理想の代わりに、前進する進化に相応する具体的な理想が現れるでしょう。

そのようなことが達成されなかったら、地球は唯物論のなかに沈没し、人類は大きな災害ののちに、この地上で、あるいは次の惑星ですべてを新たに始めねばならないでしょう。