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2015年08月19日



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とても慌ただしくも重大な2日間に



Planet-enter.jpg
cosmosmagazine.com






 


少し更新に間が開きました。

実はこの間に、私は少し不思議な体験をしました。

その場で、はじめて会った方(外国の方々)から、非常に示唆深い言葉をいただきまして、自分の中での「力の制御」に対して、少し光が見えた感じがしています。

そして、「体の健全」が恐怖や不安のコントロールを含む「精神世界の健全」と、やはり直結するのかもしれないと、ますます思います。

今回のことについては、書ける時がきたら書かせていただこうと思いますが、今はとにかく、ずっと続いている「自分戦争」の中の修行といっていいのか、日々の生活の改変といっていいのかわからないですが、そういうことを続けています。

どこまで行っても、孤独な戦いではありますが、今とはとにかく、ひたすら孤独にやり続けるしかないのだとも思います。

先日の、

[必見のデータ]砂糖も大量摂取OK、塩も大量摂取OK、食用油も大量摂取OKを示しながら「健康と心の関係」を如実に描き出す「美しき緑の長野県」
 2015年08月15日

という記事の続きというのか、またいくつかのデータで興味深いことがありましたので、データをまとめていたのですが、完成した記事にまとめるまでの時間を作ることができませんでした。明日、更新できると思います。

そういえば、それとは関係ないですが、

人間より多くの遺伝子数を持つイネとミジンコに感謝しながら、高齢化社会をめぐる暗いニュースから肯定的な側面を探りだそうと
 2015年06月25日

という記事で、藤野で農家をされている方から田植えのお誘いがあり、行ったことなどを書きました。

その時、余ったイネをいただいて、家のベランダに鉢植えしたのですね。

2015年6月25日のベランダのイネ
ine-first.jpg


その後、上の状態は本数が多すぎということで、数本に絞って、置いているのですが、今日、ふと「花みたいなもの」に気づきました。

8月19日のイネのモミっぽいもの
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「これに花が咲いたら、もしかしたら、コメになる?」

と、状況を見守っています。

そんな感じですが、昨日今日は普通に記事を更新できませんでしたが、しかし、確かに不思議でも、とても良い体験をできたことは嬉しかったです。



  

2015年08月17日



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▲ 2015年08月16日の中国 shanghaiist より。






 


中国で相次ぐさまざまな混沌

先日 8月12日に発生した中国・天津での大爆発は、爆発の規模自体もとても大きなものだったのですが、しかし、この爆発が「経済にかなりのダメージを与える」ということは、事故の直後には想定しませんでした。

この爆発のあった場所は、世界第4位の貿易量を誇る「天津港」だったということで、その巨大な港が、現在、完全に機能が停止しているのです。


中国天津港、大爆発で機能停止 日本企業、物流停滞の恐れ
Blogos 2015.08.15

日本貿易振興機構(ジェトロ)は14日、中国天津市の港湾部で12日起きた大規模爆発の影響で「天津港全体の機能がほぼ止まっている」と明らかにした。天津港は中国の主要港の一つで、日本など各国企業の物流が滞る恐れがあるほか、中国経済に悪影響が出ることが懸念される。

事故をめぐっては、消火活動の問題点が指摘されているほか、住宅地の近くに危険な化学物質の倉庫設置を許可した当局への批判が高まっており、習近平指導部は危機感を募らせている。



この天津という都市は、北京、天津、河北省を合わせた総人口1億人を超える大首都構想の中核拠点だそうで、また、この天津港というのも、浙江省寧波、上海、シンガポールに次ぐ世界4位の巨大貿易港だそうで、それに加えて、爆発のあった場所には「自由貿易試験区」というものがあり、港湾施設の整備が進んでいたらしく、今回のダメージは予想以上のもののようです。

そして、「 このまま天津港が使えなければ、東南アジアや欧州向け輸出が完全に止まる 」(日本経済新聞)とされているそうで、中国だけの問題ではなく、日本を含めて、かなり広範囲な影響となるようです。

通常の爆発でしたら、中国式人海戦術的な復旧作業で、比較的早く港も再開させられるのでしょうけれど、「猛毒の化学物質」が流出していることが確認された状況では、なかなか元通りになるには時間がかかりそうです。

それで、この天津の爆発事故がどういう原因によるものなのか、あるいは、実際の被害者の数も、おそらくわからないままに進みそうですが、何だかこの数日間の中国はひたすら荒れているのですね。

天津の爆発があった同じ日には、中国遼寧省で工業用タンクが爆発しました。

8月12日 遼寧省 鞍山 工業用タンクが爆発

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▲ 2015年08月13日の即時新聞より。


そして、青島市でも。

8月16日 山東省 青島市 黄島 ゴム倉庫で火災

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▲ 2015年08月17日の news.southcn.com より。


これは爆発ではなく、火災なんですが、報道によると、隣に「液化石油ガス( LPG )の補給所」があるらしいんですね。

それで、ここまでは火災や爆発なんですが、自然災害も大規模なのが、天津の事故と同じ日の前後に起きているのです。天津港での爆発と同じ 8月12日には、陝西省で 64人が行方不明となる大規模な地滑り。

8月12日 陝西省 商洛 地滑り

china-landslide.gif

▲ 2015年08月12日の kazinform より。


さらに、天津の爆発の翌日 8月13日には、香港に近い東莞市で、高層ビルのすぐ隣に巨大なシンクホール(陥没穴)が発生して、数千人が避難するという出来事がありました。

これは動画がありまして、かなり大規模な穴が、わりと一瞬に作られる様子がわかります。

8月13日 広東省 東莞市 シンクホール




このシンクホールについては、地球の記録の「混乱に陥る夏の中国:天津の爆発、陝西省の地滑りに続いて、香港近くの都市部で大規模シンクホール」という記事に、写真などを載せています。

いくら広い国とはいえ、8月12日からの数日間の中国は、何だか荒れ過ぎな感じが漂います。

自然災害のほうはともかく、「中国と周辺国の経済活動の波乱」の原因のひとつとなってしまうかもしれない天津の爆発などを見ますと、あまり関係ないことですが、少し前の、

サイバー黙示録:激化するアメリカと中国の「完全なる戦争」の中で
 2015年08月05日

という、中国とアメリカが現在さかんにサイバー攻撃を相互に行っていることなども思い出したりします。

そして、冒頭の中国の報道のように、天津の爆発の原因や死者数などについて、様々なうわさが流れる中で、中国当局は、いくつかのサイトを強制的に閉鎖する、という行動に出ています。

冒頭の記事を簡単にご紹介しておきます。




China suspends or closes 50 websites for 'spreading rumors' about Tianjin blasts
shanghaiist 2015.08.16


中国政府は、天津での爆発について「うわさを広めた」として、50のウェブサイトを停止、あるいは閉鎖した


中国の検閲当局は、天津での大規模な爆発に見舞われた後、「危険な誤報」を流すウェブを浄化しようと努力している。

その仕事の印象的な効果として、当局はすでに、悪質なネット犯罪者たちに対しての処罰を発表している。

8月15日遅く、中国のサイバースペース管理局( CAC )は、未確認の情報を公開し、デマを広め、パニックを引き起こしたとして、50 のウェブサイトを非難する声明を出したことを新華社が報じた。

これらのウェブサイトの中には「天津の爆発で、少なくとも 1,000名が死亡した」という内容の記事も含まれていた。

また、「天津のショッピングモールでは略奪が発生した」というものや、「天津の政治家のトップに変化があった」などと記されていた。

CAC は、これらのデマが、社会に悪い影響を与えると述べ、その中の 18 のサイトのライセンスを失効させ、サイトを閉鎖した。他の 32 のサイトは表示を停止した。

また、報道によれば、「爆発で 1,300 名が死亡した」とする内容を BBS に書き込んだとして、男性のインターネットユーザーが当局に逮捕され、5日間の刑務所行きを命じられたことを報じている。

また、今週初めに広がった「爆発での化学汚染物質が北京に向かっている」といううわさを中国検閲当局は封じ込め、それは、海(おそらく韓国)に向かうだろうと述べた。

中国検閲当局は、ウェイボー(中国版ツイッター)上での投稿の削除も行い続けている。

最も削除されている投稿は、現場で消火に当たった消防士の言葉として、水に反応する有毒な化学物質があることについてだ。これは雑誌のインタビューからの引用で、削除されるまでに約1万回リツイートされた。

汚染物質の正体についての憶測投稿も、順次削除されている。





ここまでです。

このように、中国当局もいろいろこちらの方でも奮闘しているようです。
株価のほうでも奮闘していますし、いろいろと奮闘しなければならないことは多いようです。



2014年から2015年という大量死の時代に

しかし、中国を含めて、この現在の 2015 年という年が、これまでのサイクル的な繰り返しを見れば、いろいろ波乱の要素は多いと予測されるということはあります。

世界に溢れる「未来への否定的な態度」から肯定的姿勢を学べるか。ギリシャのデフォルト、中国市場の崩壊、戦争の足音、小惑星衝突…
 2015年06月28日

という記事に、下の図を載せました。

20世紀以降のテトラッドで起こった主な出来事
tetrad-2000-top2.gif


これは、現在の私たちは「テトラッド」という4回続く皆既月食( 2014年4月15日から 2015年9月28日まで)の最中にいるのですが、20世紀に入ってから2回あったテトラッドの年には、イスラエル国家が認められ、そして、中国という国家が誕生しました。

あるいは、朝鮮戦争もベトナム戦争もこれらの時に激戦を迎えました。

このテトラッドに関しましては、

赤い月と黒い太陽: 2014年から 2015年まで「4回連続する皆既月食」がすべてユダヤ教の重要宗教祭事の日とシンクロ。そして、過去の同じ現象の時に「イスラエルの建国」があった
 2014年04月06日

という記事以来、たびたび、このことにふれてきましたが、20世紀以降のテトラッドの時期は、全体として、

人類の大量死の時代だった。

ということがいえまして、そして、おそらく、この1年4ヶ月くらいの間の現在のテトラッドの時代もまた、激しい大量死の時代だったといえそうな気がします。

激しい事故も多い時期でした。

・韓国セウォウル号の沈没(293名死亡 / 2014年4月16日)
・マレーシア機370便の失踪(239名行方不明 / 2014年3月8日)
・北朝鮮・平壌でマンション崩壊(約500名死亡 / 2014年5月13日 / 記事
・マレーシア機が墜落される(298名死亡 / 2014年7月17日)
・台湾の復興航空機が墜落(48名死亡 / 2014年7月23日)
・台湾・高尾での大爆発(23名死亡 / 2014年7月25日 / 記事
・エアアジア8501便の失踪(162名死亡 / 2014年12月28日)


北朝鮮のマンション倒壊事故を伝える中国紙
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他にも挙げればキリがないでしょうけれど、いろいろな大きな事故がありました。

セウォウル号や、マレーシア機の2つの事故のように、結局、その原因などの真相はわからないままのものも多かった気がします。

マレーシア機に関しては、闇の組織「黒い手」なんてのが話題になり、記事にしたこともありました。

闇の組織「黒い手」:マレーシア機MH370便の失踪前に警告を出していたベトナム人女優と、エアアジア8501便の「事故」を事前に警告した中国人の正体
 2014年12月30日

そういえば、この騒動の発端は、それこそ「中国語」だったことを思い出します。「マレーシア機の次は、エアアジア機が危ない」という書き込みが BBS になされ、その2週間後、実際に、乗員乗客 162名を乗せたエアアジア機が消息を絶つという出来事があったのでした。

2014年12月15日の中国のBBS
ch-blog2.gif
tianya.cn


その他、

・イスラエル軍のガザへの侵攻
・ウクライナ騒乱
・シリア、イラク他、各地での内戦
・ IS (イスラム国)の樹立
・タイの軍事クーデター


なども、この1年4ヶ月の間に起きたことです。

この「騒乱のテトラッド」も、あと1ヶ月と少しで期間が終わります。

そして、経済だの金融だの、あるいは火山だ地震だ、気象だ、というようなことに関しても、その「9月」というのは荒れそうな感じはあります。

ただでさえ、いろいろと厳しい中国、韓国、そして日本などの金融・経済状況に加えて、今回の天津港の爆発で、一部の物流が途絶える可能性が出てきたりと、この秋に大きな変化があるかもしれないことは、普通に考えても想像できます。

あるいは、「予言」などということを取り出せば、

ブルガリア政府が国家機密を解除し公開された「ババ・バンガの2015年の予言」の内容と公開の背景
 2014年11月24日

という記事の中に、ブルガリアの預言者ババ・バンガが以下のように語ったことが記されています。抜粋です。


ババ・バンガの2015年の予言

バンガによれば、2015年は、世界的なカタストロフを巻き起こす出来事がある。しかし、それは地球のすべての人類文明を脅かすものではないという。

バンガは現在の世界の2つの終焉について語る。
ひとつは、最後の氷河期以前の区切りだ。
もうひとつの時代の終焉は、2015年の中盤にやってくるという。

それがどのような悲劇なのかは謎のままだが、多くの犠牲者が出る。

また、バンガは、2015年に世界は深刻な経済危機に陥るだろうとしている。これは2つの大国間の緊張の原因となる。世界的な利害関係での紛争と、人が作り出した戦争に起因される大きな地球の変化がある。

このことが地球規模での破壊につながり、世界地図は書き換えられるだろう。



というような 2015年も4ヶ月と少し。

そんな波乱含みの展開となりながら進むのか、それとも、わりとすんなり穏やかに次の年へと進むのか。

それはわからないですが、9月という月は緊張感が出そうです。

しかし、どんな激しい状況になっていく可能性があるにしても、最近の記事にありますように、なるべく否定的に考えないというのは、これからの複雑な未来を「自立」して生きていくには大切なことだと思います。

アメリカ先住民のホピ族には、「生き残るための11の智恵」というものがあり、その中には以下のようなものがあります。

このようにすれば、厳しい時でも生きのびることができるということのようです。


Hopi Survival Guide

ホピの生き残るための智恵からの抜粋

「質素に生きなさい。物質文明に溺れてしまってはならない」
「自給自足しなさい」
「優先すべきものを見直して、慎重に選択しなさい」
「心で思うことは、そのことを実行することと同じだと思いなさい」
「命を尊重し、環境を神聖なものとする態度を持ちなさい」



それに加えまして、賢人たちの言う、

「否定的な感情を持つことを避けること」

ということなどを考えながら、最近の中国の一連の出来事や、世界の現状と未来を見つめてみたいと思います。



  

2015年08月15日



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長野県・高遠城址公園の桜
nagano-sakura.jpg
4travel.jp






 



最もガン死亡率が低く長寿の県がどこか初めて知った日

前回の、

認知症大国・日本の彼岸(1) …
 2015年08月14日

で、本題とは関係ないながら、私の出身地である北海道の「うつ病の多さ」、「肺ガンの死亡者数の多さ」に驚いていましたが、その「肺ガンの死者数」の県別ランキングを見ている時に、ダントツで死亡者数が少ない県がありました。

長野県です。

nagano-cancer-001.gif
肺がん死亡率


そして、さらに他のガンを見てみますと、長野県はどれも驚くほど死亡者数が少ないのでした。


長野県のガン死亡率の順位の一部
 
胃ガン  45位
大腸ガン 43位
食堂ガン 43位
胆嚢ガン 44位
肝臓ガン 46位
肺ガン  47位


となっていまして、そして、ガン全体となりますと、

長野県のガン死亡率 47県中 47位

となりまして、何だか、やたらと健康そうな空気が漂います。

しかし、面白いのは、長野県は「ガンでの死亡者」は少ないながら、ガン患者そのものが少ないわけではないのです。ガン患者数の都道府県の比較では、47県中 6位と、ガン患者自体は、むしろ多いのです。

しかも、たとえば、脳梗塞での死亡者数は、47県中 4位となっていて、病気自体が少ないわけではないようなのです。

それなのに、その長野県民たちの「生きること」に関しての実態は・・・。

たとえば、平均寿命の上位3県。

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平均寿命:男性ランキング[2010年]


平均寿命:男性ランキング[2010年]

1位 長野県 80.88歳
2位 滋賀県 80.58歳
3位 福井県 80.47歳

47位 青森県 77.28歳


上は、男性ですが、女性も1位です。

長野県が、かなりダントツの平均寿命1位であることがわかります。

私は、長寿日本一っていうのは、漠然と、沖縄なんかが1番かと思っていましたが、現在の沖縄の平均寿命は 47県中 29位で、今や平均より低いのでした。

さらに、人口10万人あたりの死亡者数を比較した死亡率のランキング。

これは数値が低ければ低いほど、「亡くなる人が少ない」ということになります。


年齢調整死亡率(男性)ランキング

1位  青森県 662.4人
--
45位 福井県 499.9人
46位 滋賀県 496.4人
47位 長野県 477.3人


と、長野県は、死亡率がすべての県の中で最も低いです。

とにかく、「死ににくい長野県民」たち。

ダイ・ハード長野県民。

象が乗っても大丈夫(いや)。

そんなスーパー県民たちはどんな生活をしているのか。

「長野県ねえ」

とイメージしてみましたが、どうもわかりません。
そこで、他のランキングをいろいろと調べてみることにしました。

意外なランキングでは、長野県は、名字が「小林さん」の人の数が日本で1番多いそうで、長野県には 69,000人の「小林さん」がいるのだそうですが、これが関係しているのか(いや)。

では、たとえば、長野県の人たちは、どんなものをどのように食べているのか。

果たして、それは健康的なものなのか。

最近、私は、少し前の、

オカ氏の異常な愛情 または私は如何にして心配するのをやめて恐怖を愛するようになったか
 2015年08月08日

という記事や、あるいは、他にもいくつかの記事の中で、

「健康というものは、食事や健康法だけで作られるものではないかも」

という考えが出てきていまして、つまり、「楽しい心」や「感謝する心」というものがなければ、真の健康には至らない、つまり、「健康は食事から作られるだけではなく、心の持ち方が最も重要」だと思っている部分があるのですけれど、そういう観点からも、この長寿の人たちの食事は気になります。





長寿の国の食べ方は

長野県民の食生活を調べていくうちに驚いたというのか、奇妙に思えたのは、長野県は、体に悪いと言われることの多い「あるモノの摂取量がダントツで多いのでありました。

それは・・・。

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砂糖消費量[2008年]

砂糖消費量

1位 長野県 9,772グラム
2位 長崎県 8,999グラム
3位 宮崎県 8,953グラム

45位 福井県 5,109グラム
46位 埼玉県 5,030グラム
47位 東京都 4,963グラム

そうなんですね。

砂糖なんです。

この統計は、1年間の世帯当たりの砂糖の購入量を県別に比較したものですけれど、長野県の砂糖の消費量は群を抜いています。

最も砂糖の消費量が少ないのが東京というのは意外ですが、長野は、東京の倍ほどの砂糖を消費しています。

・長野県の人は砂糖をたくさん消費している
・それで、「ガンの死亡者がとても少なくて、とても長寿」


ということになるようです。

うーん・・・。

砂糖に関しては、このブログでも、

米国カリフォルニア大学のチームが過去の膨大な科学論文の研究の結果、「砂糖は毒である」という結論をまとめる…
 2015年02月12日

という記事などで、砂糖の有害性が確認されたことを記したことがあります。

特に、心臓系や生活習慣病などの慢性疾患との関連が示されました。

しかし、どうやら、大量に砂糖を摂取していると考えるしかない長野県の人々は、少なくとも、ガンでの死亡者は、日本で最も少ない。

じゃあ、長野の人は「」はどうか。

塩も、「とりすぎは健康に良くない」とする説はたくさんあります。

長寿の国の人びとは、塩をあまりとっていないのか、あるいは、大量に塩をとっているのか。

下は1年間の食塩の消費量の県別の偏差をあらわしたものです。

nagano-salt.gif
食塩消費量


1位から3位までこそ東北ですが、長野県は、塩の消費量が第4位であり、東北を除けば、ダントツで食塩を消費していることがわかります。

どうも、これを見ているだけでは、

日本で最も長寿で、ガン死亡者の少ない県は「砂糖を大量摂取して塩を大量摂取」している

という生活をしていることになってしまいます。

ちなみに、「味噌」も、長野県が消費ナンバー1です。


seasoning_a30.png
illpop.com

1年間の味噌の消費量ランキング

1位 長野県 11,901グラム
2位 秋田県 10,463グラム
3位 青森県  9,800グラム

45位 兵庫県 4,558グラム
46位 大阪府 4,382グラム
47位 和歌山県 3,258グラム


長野県は、和歌山県の3倍以上、味噌を消費しています。
同じ日本で、この差は結構すごいですね。

長野県は、醤油の消費量も8位で、塩、味噌、醤油と合わせれば、相当な塩分をとっているといえそうです。

ただ、同じ塩分系調味料でも、

・ソース消費量(46位)
・ケチャップ消費量(45位)


と、これらのものはあまり摂取していないようですが、塩や味噌に比べて、日常的なものでもないですしね。たとえば、うちなどでは、ソースもケチャップも、月に1度使うかどうかといった感じです。

ところで、最近、牛乳なんかも体に悪いって言われることもありますよね。

私もややそう思っているところがあります。

そうか、きっと、長野県の人は牛乳をあんまり飲まないんだ。

と、見てみますと・・・。


牛乳消費量ランキング

1位 埼玉県 105.87リットル
2位 奈良県 105.14リットル
3位 長野県 101.93リットル
--
47位 高知県 65.12リットル

長野県は第3位。

どうやら「牛乳もがぶ飲み」であります。

最近は「」のことも、よく言われますよね。

腸が体の健康を考える上でとても大切だと。
特にサラダオイルなどの食用油は過剰にとらない方がいいと。

そうか、きっと、長野県の人は油をあまりとらないんだ。


sald-oil.gif
dhaepasupple.com

食用油消費量ランキング

1位 福島県 13,071グラム
2位 山口県 12,920グラム
3位 長野県 12,100グラム


と、ここでも長野県は、1位ではないものの、第3位であります。
油もガブガブ飲んでいるようです(飲んじゃいないだろ)。

ちなみに、食用油の使用量が少ない県は、

45位 千葉県 6,906グラム
46位 香川県 6,802グラム
47位 東京都 6,639グラム

となっていて、日本では東京が最も食用油の消費が少ないのでありました。

東京というところは、砂糖もあまり使わない、油もあまり使わない・・・というより、多分、東京は一人暮らしなども多いですから、自炊自体の率が比較的少なく、東京は食事自体が外食や中食が多いことが理由かもしれません。

それにしても、塩と砂糖、味噌、牛乳、食用油を大量に摂取する長野県の人たちが長寿で、ガン死亡率がとても少ないという事実が浮き彫りになります。

ただ、他の項目を見ますと、たとえば、下のふたつの項目は、かろうじて、いわゆる一般的な健康論に通じる部分はあります。

まず、野菜の摂取量。

nagano-vegitables.gif
・野菜摂取量ランキング

野菜摂取量(男性)ランキング[2010年]

1位 長野県 379グラム
2位 新潟県 360グラム
3位 山形県 352グラム
--
47位 徳島県 245グラム

上は男性のものですが、女性の野菜摂取量も長野県が第1位です。

そして、長野県の人は肉をあまり食べません。

肉全体の消費量も 44位と、肉の消費量は全体として低いですが、特に牛肉となりますと、圧倒的に消費量が低いです。

この「牛肉消費量」は上位3県も意外というのか、興味深いです。


牛肉消費量ランキング[2013年]

1位 奈良県 10,617グラム
2位 京都府 10,415グラム
3位 大阪府 10,380グラム

45位 群馬県 6,628グラム
46位 長野県 3,385グラム
47位 新潟県 2,958グラム


46位の長野県は 45位の群馬県の半分となっていて、長野県と新潟県の2つの県の圧倒的な牛肉消費量の少なさがわかります。

牛肉消費量の上位が、奈良、京都、と続くのは意外な感じですが、奈良県は 47位の新潟県の3倍以上も牛肉を食べているようです。

奈良県は、さきほどの「牛乳消費量」でも全国2位でしたので、「牛に関係するもの」と関係が深いのかもしれません。

この奈良県のランキングもなかなか興味深くて、奈良は、国宝や史跡、重要文化財の数が1位であるということは理解できるのですが、他に、奈良の1位は、

奈良県のランキング上位のいくつか

・コーヒー消費量(1位)
・ピアノ普及率(1位)
・小学生長時間テレビ視聴率(1位)
・パソコン普及率(1位)
・中学生通塾率(1位)
・1世帯あたりの貯蓄額(1位)


などとなっていて、うーん・・・奈良県もイメージと何だか違うなあ。

まあしかし、奈良県の探究はまた今度にしておいて、長野県に戻ります。

まず、長寿県である長野県は「小林」という名字が日本で1番多い(まあ、それはもういい)。

そして、食べ物では、

・砂糖消費量ナンバー1
・塩、食用油、牛乳もガブ飲み


という、一見すると、健康と相反するような食生活をしている一方で、

・野菜摂取量ナンバー1
・肉の消費量がきわめて低い


ということがあることがわかります。

ちなみに、お酒に関しては、長野県のアルコール消費量は 20位と、やや多いといった程度ですが、日本酒となると、全国5位の消費量で、お酒も決して消費量が少ないとはいえないようです。

巷のさまざまな健康論に沿うのは、野菜の摂取量が多いことくらいなのですが、しかし、その野菜の摂取量の県ごとの差というのは、それほど大きな差ではなく、それと比べますと、砂糖や塩、油、牛乳の消費量の差はかなりのもので、野菜だけではどうも理由になりづらい気がするのです。

そして、その後、私は意地になって、長野県のさまざまなランキングを見ていて「ある方向」が見えてきたのでした。

そして、やはり思ったのは、食べ物は健康に関わる「一部」でしかないと。

人間の健康を支えているのは「心」だと。

そして、おそらく長野県の人たちは自然にそれを達成していると。




他人のために生きて、自らも日々を楽しむ人びと

長野県松本市の河童橋
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河童橋


長野県のランキングの1位の項目で最初に目についたのは、下のいくつかの項目でした。


小学生地域行事参加率ランキング[2014年]

1位 長野県 89.9%
2位 山形県 86.6%
3位 岩手県 85.0%

45位 徳島県 57.4%
46位 東京都 56.2%
47位 沖縄県 51.1%



ボランティア活動参加率ランキング[2006年]

1位 長野県 3.7%
1位 島根県 3.7%
1位 広島県 3.7%
1位 鳥取県 3.7%

46位 青森県 1.7%
46位 秋田県 1.7%


他にも、たとえば、青年海外協力隊の隊員数でも長野県は第3位で、他のいくつかも見ていますと、どうやら長野県の人たちは、

他人のために何かをすることが好きで、また、地域行事に積極的に参加する

ことがわかります。

そういうような風土というか、雰囲気になりますと、必然的に、殺人などの犯罪は少ないのではないだろうかと見てみますと、


殺人事件被害者数[2012年] 人口10万人あたり

1位  大阪府 0.583人

45位 富山県 0.277人
46位 東京都 0.205人
47位 長野県 0.197人


となっていて、長野は全国で最も殺人事件が少ないようです。

長野の殺人事件の数は、1位の大阪の3分の1程度です。

ちなみに、大阪は、「重要犯罪認知件数」、「「性犯罪認知件数」、「刑法犯認知件数」などがすべて1位ですが、それについての論評は避けます。

そして、長野県の人たちが「自然に沿った生活習慣をしている傾向」が伺えるのが、


中学生早寝早起き率[2013年]

1位 長野県
2位 青森県
3位 宮崎県

47位 大阪府

です。

中学生でこれなら、それ以降もある程度は、早く眠り、早くに起きるという生活が持続している大人も多いような気がします。

この「規則正しい生活」は、健康状態と多少関係ありそうですね。

他にも、長野の若者たちには下のようなデータがあります。


小学生携帯電話・スマートフォン所有率[2014年]

1位  東京都 65.0%

45位 岩手県 40.4%
46位 長野県 40.0%
47位 秋田県 36.2%


そしてですね、以下のそれぞれのランキングが、長野の人びとが、いかに「仕事以外の楽しみを享受しているか」を表しているような気がするのです。

「博物館の軒数」、「美術館の軒数」、「映画館の軒数」のランキングです。


博物館数ランキング[2008年] 人口10万人あたり

1位 長野県 11.53軒
2位 島根県  9.28軒
3位 岐阜県  8.16軒

47位 大阪府  0.96軒



美術館数ランキング[2008年] 人口10万人あたり

1位 長野県 4.92軒
2位 山梨県 3.33軒
3位 石川県 3.00軒

47位 埼玉県 0.18軒

埼玉・・・ orz...


映画館数ランキング[2009年] 人口10万人あたり

1位 東京都 0.86軒
2位 長野県 0.83軒
3位 山梨県 0.82軒

47位 富山県 0.18軒


長野県は、博物館の数が大阪府の 10倍以上、美術館の数が埼玉県の 25倍以上、映画館は東京都と並ぶ率の軒数を誇っている・・・。

もしかすると、長野県人というのは、超「道楽人」の集団なのではないだろうか・・・。

長野県民が楽しみを追求している人びとであることは、次のランキングにも示されています。


楽器購入額ランキング[2011年]

1位 石川県 4,707円
2位 長野県 4,517円
3位 奈良県 4,408円

47位 島根県  371円

girl-guitar.gif
kanohonoka


楽器の購入額って、県によってこんなに違うんですね。

1位と 47位の差は、10倍で済まないですよ。

また、長野の人は植物も好きなようです。


園芸用品購入量[2012年]

1位 三重県 11,203円
2位 長野県 11,154円
3位 茨城県 11,112円

47位 大阪府  3,253円






子どもへの愛はお金で示せるものではないかもしれないけれど

そして、私はひとつのデータを見つけてしまったのです。

私は以前、

「革命」(3) - 革命的行動の最上位は「子どもたちへの無条件の愛」を獲得した社会に戻すこと
 2015年07月12日

という記事で、自分の住む地を理想的な社会にするために真っ先におこなうべきことで、しかも、確実にそれは良い未来に影響することとして、

「子どもたちへの無条件で絶対的な愛を、大人が持つこと」

だというようなことを書いたことがありました。

この長野県のランキングのデータは、お金の絡む話ですので、絶対的な愛ということとは違うとは思いますが、「その一端」を表しているのではないでしょうか。


子どもへの仕送り額[2011年]

1位 長野県 183,984円
2位 山口県 162,898円
3位 徳島県 162,595円
--
45位 兵庫県  28,606円
46位 大阪府  22,758円
47位 京都府  22,758円

上位3県と 45位より下の3県の差!

その中でも長野県はダントツで仕送り額が多く、社会構造的なものもあるににしても、1ヶ月 18万円も子どもに仕送りをしたら、親の方の生活は大丈夫なのか、と心配するほどの額です。

いや、これは平均だから、もっと多く送っている人がいるということになりそうです。

これらの金額の多い少ないは、良い悪いということと関係することではないですが、少なくとも、長野の人たちの多くは、かなりの愛情を子どもたちに注いでいるということは言えそうな気がします。

「そうか、そうか、そういうことか」

と、私はこのあたりで頷きました。

健康や長寿を導くのは、食べ物だけを見ていてもわからない。

長野県がナンバー1か上位である数々、

・映画館の数
・美術館の数
・博物館の数
・楽器購入額
・園芸材料購入量
・ボランティア参加率
・早寝早起き
・子どもの行事参加率


が示すことは、長野県の人たちの生活は、その構造が、

・人生を楽しむ
・他人のことを考え、そのために何かする
・規則正しい生活をする


ことに自然となっているのだと思います。

そして、

・家族(子ども)を徹底的に愛して生活する

という、簡単なようだけれど、今の世の中では少し希薄になっているような気もしないでもない部分を大切にする生き方。

おそらく、そのように生きている長野の人びとは、他と比べて、ストレスの少ない生活をしていると思います。

食べ物にしても、むしろ「自由に楽しく食べる」ということが、塩、砂糖、食用油などの調味料過多に向かっている理由なのかもしれません。

あとは、長野県は、脳梗塞の多さをクリアすれば、「スーバー県民」になれるかもしれないです。

ちなみに、他に、長野県が1位だったのは、

・地震の回数(1位)
・別荘数(1位)
・日帰り温泉の数(1位)
・りんご消費量(1位)
・おそば屋さんの店舗数(1位)


などがあります。

地震は、2014年の1年間で、震度1以上の地震が 67,876回もあったそうで、2014年に関しては、下のようにダントツです。


地震の回数[2014年] 震度1以上

1位 長野県 67,876回
2位 東京都 28,743回
3位 茨城県 16,207回
--
47位 佐賀県   447回


日本で1番地震が多いということは、少なくとも、人が住んでいる場所では、「世界で1番地震が多い場所」が長野県ということもいえます。

これはすごいことですよ。
年間に6万回以上の有感地震があるような、地震のない国の人からみれば想像もできない場所で、精神的に健やかに生活している。

そして、長野県が最も「低い」か、下の方だったものは以下のものがあります。

・生活保護受給者(45位)
・DV保護命令済件数(45位)
・年間雨日数(47位)
・書道教室数(47位)
・キャンディー消費量(46位)


長野県って、日本で1番、雨の日が少ないんですね。

ところで、最近、東洋経済で「「楽観的」というだけで、10年も寿命が伸びる」というタイトルの、オックスフォード大学の教授の研究についての一連の記事を読んだのですが、「心」が人の健康状態や「命」にまで与える影響は、実に計り知れないものであることがわかります。

また、自分の体の状態に対して、常に肯定的でいることがどれだけ大事かも理解できます。

今回の記事の内容とは関係ないですが、そういう意味では、私は、今の医学の「ガンの告知」というものは基本的にやめるべきだと思います。ガンの告知だけで死んでしまう人がいる、という例があることを知るべきです。

それはともかく、今まで長野県に注目したことがなかったですが、いろいろと勉強になる面がある場所なのかもしれないということを今回初めて知りました。



  

2015年08月14日



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見たこともない経験したこともない社会が10年後に現れる

先日、初対面の男性と用事でお会いしていた時、大体、私と同じくらいの年齢のその人も割と長くパニック障害で、薬を飲み続けているとおっしゃっていました。

それで私は、

「精神系の薬はどんなものであれ、長く連用していると、物忘れなんかが結構キツくなる可能性がありますよ」

と言うと、その方は、「いやあ、最近、物忘れがちょっと冗談にならないほどのことがあるんですよ。関係あるのかなあ」とおっしゃっていました。

物忘れに効果のある方法に関しては、手近なところで、

人体を神と同等と見る西洋医学の理想的な未来。そして、抗コリン剤の氾濫でおそらく認知症が増え続ける今後のための「認知症と物忘れの治し方」
 2015年04月03日

という記事の後ろのほうの「物忘れがひどくなった時に」というセクションで、

眠る前に、寝室をエッセンシャルオイル(精油)を噴霧させて、香りが充満した部屋で眠る

という方法をご紹介したことがありました。

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これは、当時、うちの奥さんが、わりと冗談にならないような物忘れをすることが続いていて(手帳に書いてあるのに、仕事の待ち合わせがあることそのものを忘れたり)、私もやや心配になり、偶然ついていたテレビ番組で知った、この方法を試してみたのです。

それで、1ヶ月目くらいから、彼女の物忘れが少なくとも「冗談で済む」程度のものまで改善しまして、効果のある実感がありました。

この治療法の原理は、脳の海馬と「匂い」の関係にあると考えられますが、実は、脳の海馬は、「匂いにだけ反応するのです。海馬と扁桃体は音には反応しないで匂いに反応するという記事には、

においと記憶には密接な関係があり、五感の中で嗅覚だけが海馬や扁桃体と直結しているそうだ。においが記憶力を高める鍵になるということか。

とありますが、「においが記憶力を高める」というのは確かだと今は思います。

就寝前のエッセンシャルオイルを始めて1年半くらいか、それ以上経つと思いますが、今後もずっと続けようと思っています。

とまあ、このことをその時に会った方に言うと、興味深そうにしていました。

まあ、私も若い時からずいぶんと薬を飲みましたが、同じような人が多いと思われる今の世の中は 40代、50代くらいでも「記憶に関して危うくなっている」という人たちが結構いるような気がします。

理由は、下は、ひとつの例ですが、「薬を飲む人がこの 20年ほどで急増した」ことが、大なり小なり関係していることは間違いないと思われます。

抗うつ剤市場規模の推移
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サイエンスジャーナル 治験薬年報 ai Report 2011


上の抗うつ剤の例では 10年ちょっとで、下手すれば 10倍に迫る増え方です。

しかも、他の精神系の薬や、あるいは、あらゆるジャンルの薬の消費もほとんどがうなぎ登りで、アメリカの調査でも、こちらの記事に、アメリカの大規模調査の報道を載せていますが、

認知症およびアルツハイマー病の発症と、抗コリン作用薬の使用状況の関係を調べたところ、抗コリン作用薬を長期間にわたって多く使用するほど認知症のリスクが増していた。

というように、薬と認知症の関係が次第にはっきりとしてきています。

抗コリン作用薬というのは、市販のかぜ薬から、痛み止め、多くの精神薬、あるいは湿布や目薬など、ほとんどの西洋薬が含まれます。

特に、毎日継続して飲むようなものが良くないようです。

私も過去、ものすごくたくさん薬を飲む生活をしていたので、リスク要因を十分に持っているわけですが、私個人のことはともかくとして、日本人全体の、様々な薬の消費が下げ止まらない中、この先、私たちは、

未曾有の認知症大国の中で生きていく

ことは避けられないと思います。

厚生労働省の予測では、10年後( 2025 年)の日本の認知症高齢者の数は「 700万人」とされていますが、それはこれまでの増加を元にした推計で、日本の薬の消費の過去 10年くらいの「激増」ぶりを見ていると、認知症の高齢者の人々の数は上振れすると思います。

つまり、10年後の日本の認知症の高齢者の数は 800万人以上になっていても不思議ではないと考えます。

10年後は、私の子どもが成人を迎える年ですが、なかなかエキサイトな時代に突入する中で大人になっていくということのようです。

そんなわけで、終始一貫したテーマはないかもしれないですが、認知症と高齢化を突き進む日本のいくつかの報道やデータを見ながら、日本の未来を想像したいと思います。





北海道出身の私が考え込んでしまったデータ

ところで、先日、いろいろとグラフなどを見ていましたら、北海道出身の私には、少し興味深いデータを見つけました。

下は「人口1万人あたりのうつ病の患者数の県別の順位」を色で示したものです。赤くなればなるほど、うつ病の患者数が多く、青くなればなるほど、少ないことを示します。

人口1万人あたりのうつ病の患者数の県別の順位
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都道府県別統計とランキングで見る県民性


北海道がダントツで真っ赤です。

正確には、人口1万人あたりのうつ病患者数(小数点以下は省きました)が、

1位 北海道 138人

となり、2位が鳥取県、3位が島根県となっています。

その逆に、もっともうつ病患者数が少ないのが岡山県で、人口1万人あたりのうつ病患者数は 41人。
北海道は、岡山県の3倍以上のうつ病患者率を有しているということになります。

どんな病気にしても、同じ国の中で「3倍」の差があるというのはすごいです。

北海道のうつ病患者の割合は、人口の約 1.38%だというところから単純に計算すると、たとえば、札幌の人口は 191万人ほどですが、札幌だけで2万6千人ほどのうつ病患者がいるということになってしまいます。

うーん、なぜ、北海道に多いのか。

北海道出身の私にも、ここまで他と差がある理由が想像できません。

「日照や雪の多さと関係あるのでは」という意見もあるそうですが、しかし、上の地図の分布を見ていますと、同じような気候の青森は特に多くはないし、うつ病の多い地域は全国バラバラに広がっていて、気候や日照が関係あるとは思えません。

そして、

「うつ病だけではなく、精神疾患全般ではどうなんだろう?」

と、厚生労働省の統計を見てみますと・・・こちらもなんですね。

これは、精神疾患での入院患者の数ですが、精神疾患に関しても、北海道は何もかも上位で、特に精神科の病院の数は全国第1位なのです。

全部の県を載せるのはサイズ的に難しいですので、上位の県だけですが、下のグラフがそれを示しています。

精神科の入院形態別患者数
mental-hokkaido.gif
厚生労働省 平成20年度 入院形態別患者数


「うーん」と私は唸りました。

北海道は、好きな部分もそうでもない部分もそれぞれありますが、うつ病とか精神疾患がこんなに高いレベルで広がっているとは考えたことがなかったです。

あと、北海道って、何だか空気も良くて、何かこう、みんな肺とかもきれいな感じがするじゃないですか。そこに下みたいな統計もあります。赤ければ赤いほど、高い死亡率を示します。

人口10万人あたりの肺ガン死亡率の県別統計:男性(2012年)
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都道府県別統計とランキングで見る県民性


ここでは、1位こそ青森県(人口 10万人あたり 29人)ですが、北海道は第2位で、以下、鳥取、和歌山、大阪と続きます。

最も少ない長野県は 18人ですので、かなりの差があります。

理由については、時事通信などによれば、

塩分の多い食事、喫煙率の高さなどが関係している可能性があるという。

とのことですが、塩分はよくわからないにしても、喫煙率は、確かに北海道は日本で1位で、国民生活基礎調査(2014年)によれば、喫煙率の県別上位は、

1位 北海道 27.7%
2位 青森県 25.9%
3位 福島県 25.0%


となっていますけれど、しかし、タバコと肺ガンの関係は怪しいですからねえ。

なんといっても、この数十年、「喫煙率が下がれば下がるほど、肺ガンの死者は増えている」という現実があります。

1950年代からの喫煙率と肺ガン死亡者数の推移
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喫煙率と肺がん死亡数


これは、タバコが良いとか悪いとかを表していることではないですが、肺ガンとタバコは「無関係」ということを示しているように見えてしまうのですが、どうなんですかね。

まあしかし、肺ガンの話はいいとして、うつ病や、精神疾患で入院している人の数が北海道に極めて多いという理由は、今ひとつ、その原因となりそうなものを想像しにくいです。

そもそも、冒頭のような図を見つけたのは、「認知症が多い県はどこなんだろう」と、ふと思って調べていましたら、このようなことになってしまった次第です。

そして、冒頭に書きましたように、「薬の服用と認知症の関係は強い」ということを考えてみますと、現時点で、うつ病にしても精神疾患にしても、あるいは他の様々な病気も含めて、そういう人々が多い地域は、将来の認知症の増加とも関係してしまうはずです。

東京都健康長寿医療センター研究所の 2012年の資料に「2035年におけるわが国の都道府県別認知症高齢者数」という予測値の分布図が出ていましたが、これもやはり北海道が高いのですね。

2035年の都道府県別の認知症の高齢者の予測値
2035-hokkaido.gif
認知症の総合アセスメント


東京が一番となっていますが、実数の予測ですので、人口が多い東京が一番になるのは自然で、しかし、東京の4割ほどの人口(約 547万人)の北海道の認知症率が高いというのは目立っています。

まあ・・・北海道の話が長引いてしまいましたが、たとえば、「 10 年」なんてのはあっという間だったりするものですけれど、今から 10年後の 2025年には「壮絶な人口構成」が現れるという予測が出ているのです。




圧倒的な人口構造の日本の未来

10年後の 2025年の日本の認知症の高齢者の数については以下のように予測されています。


認知症患者は2025年に700万人を突破。65歳以上の5人に1人
認知症ねっと 2015.01.09

厚生労働省は7日、全国で認知症を患う人の数が2025年には700万人を超えるとの推計値を発表した。65歳以上の高齢者のうち、5人に1人が認知症に罹患する計算となる。

認知症高齢者の数は2012年の時点で全国に約462万人と推計されており、約10年で1.5倍にも増える見通しだ。



となっていて、厚生労働省などの予測値では、今後の日本の人口構造がどのようになっていくかということに対して、日本の人口は、 2013年に 1億 2730万人だったのが、2025年には、1億 1662万人になるとしています。

今より 1000万人くらい減るということでいいのですかね。

そして、14歳以下の若者の数は、2025年には、今より 200万人くらい減っているということのようなんです。もちろん、出生率がさらに下がれば、さらに減ると思いますが、まあ、そういうことになりそうであると。

その間に、認知症の高齢者の数は、200万以上増えると予測されていますから、

若者が減った部分を認知症の高齢者が人口比として埋める構図

が浮き彫りになります。

これはですね、肯定的に考えれば、お年寄りがたくさんいる社会ということで、とてもいいことなのかもしれないですが、そういう方面の肯定的というよりは、もう

社会の破壊へと向かう人口比

が 2025年、今からたった 10年後には出現することになるようです。

そして、2050年(という年まで辿りつくかどうかは別として)という頃になると、全体の日本の人口は、今より 4000万人減少して、65歳以上の人口(予測 3460万人)が、14歳以下の人口(予測 791万人)の5倍近くに達する<
ということになります。

この「若者と高齢者の人口比」の過去 65年に関しては、厚生労働省のグラフを見ていると、切ない気分になる部分があります。

どんどんどんどん若い人たちは減り続け、どんどんどんどん高齢者人口は増え続ける。

しかも、10年後には、その高齢者の5人に1人が認知症です。

戦後のたった70年くらいでこうなっちゃったんですよね。

何がこんなことにさせたかの理由は様々でしょうが、高齢者問題は仕方ない面もあるとはいえ、認知症がこんなに増えるほうに関しては「自然ではない」ということはいえます。

日本でこんなにも認知症が増えた理由に関しては、ある程度言えるのは、

・薬
・慢性的な運動不足を含む「気」と血流の滞り
・松果体の石灰化


などが関係しているのは間違いないと思います。

これらに共通するのは「文明化によって生じたもの」という点です。

人々は歩かなくなり、動かなくなり、病気は薬で症状だけ取り去り、多大な化学物質は松果体を石灰化させて、土とふれる機会が減り、ストレスは溜まり続ける。

ガンも認知症も文明病だと思います。

この世から今の文明が消えれば、大半は消失するタイプの病気だと思うのです。

そして、やはり先ほど書きましたけれど、薬の消費が下げ止まる気配はない・・・という現状を考えますと、これから認知症がさらに増えるのは確実だと考えられそうです。

さらに、分子標的薬など(免疫の親である白血球のマクロファージをやっつけてしまうような)新しい薬が次々と発売されていますので、細胞へのダメージは今後も増加すると思います。

ですので、認知症の高齢者の方の増え方もさらに上放れし、あるいは「指数関数的」に増えていく可能性もあるのではないでしょうか。

なお、松果体とアルツハイマー病の関係は、

多くの人類の松果体が破壊されようとしている現在に考える「多次元宇宙空間を理解する将来のために松果体を守るべき」時代
 2015年02月22日

ソルフェジオ周波数 528Hz に石灰化した松果体を正常に戻す可能性がある?
 2015年02月07日

などに書いたことがあります。

また、今回のような記事を読まれましても「暗い気持ちになってはいけない」ということに関しましても、「幸せな記憶とうつ病の関係」に関しての米国マサチューセッツ工科大学の研究について、

「肯定的記憶」の役割 : ノーベル賞受賞学者・利根川進 MIT 教授が発表した「幸せな記憶を呼び起こすことがうつ病を好転させる」こと
 2015年06月30日

に記したことがあります。

日本にもたらされた、もうじきやってくる「壊滅的な人口構成」も、逆に見れば、「創造のための破壊」という未来の地球への最終段階ともとらえられる面もあるかもしれません。

そして、この状態を作りだした元凶が、戦後から始まった現代文明であることは間違いないと確信できる中で、それでも、今のこの文明を存続させる意義はあるのかどうかという、ひとりひとりの「考え」を促すことにもつながることではないかとも思うのです。



  

2015年08月12日



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風邪は自分自身が必要のために引き入れているのだから

毎年決まったように 8月7日が私の誕生日なのですが(毎年違ったらこわいわ)、その翌日あたりから風邪を引いて今にいたります。

これが引き始めは、過去数十年で最強クラスの「喉の痛み」で始まりまして、最初は水を飲むのもやっとのほどでした。

「ああ、こういう喉の痛みは子どもの時以来だなあ」

と、感慨深く思いながら、前回の記事「地球を作り替えるために「悪に感謝する」こと。そして…」を思い出し、

「この痛みにも感謝しなきゃならんのかねえ。難儀じゃのう」

と呟く日々でした。

ただ、最近は「風邪を引く」ということの意味の中に、「穏やかに治す楽しみ」というものも加わりまして、どうせ、ここまで症状の激しい風邪(口惜しいことに熱は大した出ませんでしたが)は、そうそうケロッと治るものでもないでしょうし、どのようにしようかと考えるのはなかなか楽しくはあります。

それに加えて、何だかいろいろやることも多く、なかなか思うようにならないうちに、あっという間に1日が終わります。

「風邪がはやっているのかなあ」と調べてみても、子どもの病気では、手足口病など大流行しているものもあるようですが、普通の風邪が特に、はやっているようなものもないようですが、ただ、何よりも、風邪も含めて、ウイルスというのは、ウイルスが人間に侵入するのではなく、

「人間のほうがウイルスを体に取り入れている」

というものである限り、風邪は必然で引いているというか、「自分から積極的に引いている」という生きるための作業であることは言えるかもしれません。

この「人間のほうがウイルスを体に取り入れている」については、過去記事の、

21世紀のパンデミック: ウイルスが人を選ぶのか? 人がウイルスを選ぶのか?
 2013年04月08日

の中で、フレッド・ホイル博士の著作『 生命(DNA)は宇宙を流れる』から抜粋したことがあります。

下はその一部です。


フレッド・ホイル著『 DNA は宇宙を流れる』 進化のメカニズム より

われわれが「ウイルスは宇宙から来た」と言うと、決まって、「地球外からやってきたウイルスが、どうして地球の宿主を知っているのか?」と反論される。

ウイルスが増殖するには宿主となる生きた細胞が必要不可欠だが、インフルエンザ・ウイルスをはじめとする一部のウイルスは、特定の動物の特定の細胞や器官にしか感染しないという、きわめて気難しいところがあるからだ。

したがって、彼らが言っているのは、「地球外からきたウイルスが、地球で見つけるべき生物、あるいはその細胞を知っているのは、なぜか?」ということなのだ。

この問いに対しても、われわれは答えを用意している。ウイルスが宿主を選ぶという彼らの前提が間違っているのだ。

われわれは、宿主のほうがウイルスを選んでいるのだと考えている。

地球にはじめて落ちてくるウイルスが、あらかじめどんな宿主に遭遇するか知るよしもないことは当然だ。けれども、宿主たるわれわれは、もともと宇宙からやってきたバクテリアから進化した存在であり、このような事態に備えた機構を持っているはずなのだ。それが免疫機構なのだとわれわれは考えている。

これは、ウイルスについての従来の見方を、根本からくつがえす考え方だ。



ということで、ウイルスに関しても「人間が主体」ということで、たとえば、風邪、あるいは「熱」は体を治している(参考過去記事)ということを最近知るに至り、「病気の症状は本来は、体を回復させている良い現象」であることがわかったわけです。

こういう面から考えますと、人間が(意識レベルではないですけれど)自分でウイルスを取り込むということには、それほど違和感がない気もします。

私も、何らかの「必然」で風邪を引いたわけで、そのあたりの必然の源を考えたりしています。

そういえば、風邪関係で検索していたら、医療系の情報サイトに下のような記事が出ていました。
アメリカでも、風邪に対しての抗生物質の処方が増加しているようです。


風邪に無駄な抗生物質を処方? 減らそうと努力しても年々増加 より
Medエッジ 2015.08.11

研究グループは、2005年から2012年の間に、急性呼吸器感染症と診断を受けた人のうち細菌の感染率が低く、主にウイルスを原因とする症状の軽い人を対象として、どのような薬が処方されていたのか傾向を調査した。

抗生物質を処方された人の割合を調べたところ、結果として2005年67.5%から2012年において69.2%となっており増えていた。マクロライド系の抗生物質の処方は特に増えており36.8%から47.0%となっていた。

マクロライド系抗生物質は、副作用も少なく幅広い細菌に使用できることから使用が広まっているが、最近では子どもへ多く処方され過ぎることに心配の声も上がっている。



これは、文中の

> 主にウイルスを原因とする症状の軽い人を対象として

とあるのが肝で、抗生物質はウイルスには効きません。
それなのに出しているという不毛性の話です。

抗生物質は細菌を相手にしているものですので、ウイルスでの風邪に抗生物質を投与しても意味がない・・・だけならいいのですが、意味がないだけではなく害があります。ウイルスを相手にできない抗生物質が体内に入った場合、「人間がもともと持つ細菌や微生物を殺していく」ということになってしまうようなのですね。

どのように考えても、風邪に抗生物質は無駄なのですが、しかし、たとえば、日本でも、医者もそうかもしれないですが、「親が、風邪の子どもに抗生物質を欲しがる」例が多いようです。


にしむら小児科「乳幼児の抗生物質投与について」より

当院の外来にも様々な患者さんが来ます。
熱が出たから抗生物質を下さい、というお母さんもいます。

こちらは戸惑います。なぜ? 抗生物質など飲んでも良いことは一つもないのに?

だけど、お母さんの意思は固く、抗生物質を出さないと、他の病院に行ってもらいに行く始末です。

いかなるカゼも自然治癒するのです。

カゼ⇒自然治癒 は普通の経過ですね。

しかし カゼ⇒抗生物質⇒治癒 としたらどうでしょう?

誰でも抗生物質を飲んだから治った、、と思いますよね。

これは“関連性の錯誤”という心理的エラーです.カゼを引いたときにいつでも抗生物質を飲んでいると、心理的エラーを繰り返すことになり,カゼが自然に治るというのを信じられなくなるのです。



このお医者さんは、抗生物質というより、子どもに対しての風邪薬全般を否定されていますが、それでも、親は欲しがる傾向にあるようです。




子どもや赤ちゃんへの医療が未来に落とす影

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philanews.com


日本でも、かなりの割合で、風邪に対して抗生物質が処方されるのが現実ですが、少し調べてみますと、最近では、先ほどのように、小児科のお医者さんなどで「風邪に抗生物質の投与はダメです」と述べている方々は多いです。

さきほどの、にしむら小児科のサイトでは、「乳幼児への抗生物質投与がいかに有害なものか」を、大変長く丁寧に説明してくれていますが、その最も大きな理由は、

人の体は、もともとが細菌によって守られている

ということです。

抗生物質は、その人体にもともとある細菌を攻撃してしまうのです。

この小児科のお医者さんの文章が気に入って、他のページも見てみますと、下のような記述に辿りつきました。


食物アレルギーが増えたわけ

食物アレルギーが増えています。昨年末に大規模な調査を行ったのですが、なんと1歳のお子さんの4名に1人は卵を制限しています。その他の牛乳や小麦、大豆などを制限している子どももたくさんいました。中にはアレルギーの原因になるものは一切食べてないという子も。

もちろん、親御さんの判断でアレルギーが怖いから食べさせていないわけです。

この状況はあまりにもおかしいですね。なぜこうなってしまったか、できるだけわかりやすく解説します。



これが書かれたのは最近のことのようで、つまり、昨年というのは 2014年のことだと思うのですが、

「1歳のお子さんの4名に1人は卵を制限」・・・?

4人に1人の子どもがアレルギーで卵を制限されている?
小麦、大豆などのアレルギーの赤ちゃんがたくさん?

実際、東京都が 2014年におこなった、アレルギー疾患のある子供に関する調査をしました〜3歳児全都調査と保育施設等を対象とした施設調査〜には、

> 3歳までに何らかのアレルギーの症状が有り、かつ診断されている児は約4割であった

という記述があり、非常に高いアレルギー率となっているのですが、これは、さきほどの小児科のお医者さんが、「なぜこうなってしまったか、できるだけわかりやすく解説します」と書いてありますように、実は文字通りの話とは少し違うようです。

花粉症の人などが行う RAST 検査というアレルゲンを調べる検査があるそうなのですが、大人はともかく、赤ちゃんで「検査で高い反応が出る」ことは特別なことではないそうなのです。

それでも、親は、赤ちゃんのアレルギーを気にしているわけですから、検査した結果、高い数値などが出た場合、医師から「では、その食べ物を制限していきましょう」と言われれば、そういう「〇〇を食べさせない」という育て方をすることになる。

ところが、このやり方は、どうやら「その子に一生に及ぶ間違いを歩ませてしまう」可能性があるのかもしれないのです。

RAST検査
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にしむら小児科


いずれにしても、このように RAST 検査が赤ちゃんに広がった結果が先ほどの現状、つまり、

「4人に1人の乳幼児が卵を食べない。あるいは、多くが小麦と大豆を食べない」

という異常事態につながっているようです。

しかし、上の文書を書いたにしむら小児科の医師によれば、赤ちゃんの時からの食事制限は間違った方法で、赤ちゃんの時だからこそ、赤ちゃんには「少量ずつ食べさせて慣れさせること」こそが大事だと述べています。

しかし、現実は下のようなことになっていると医師は書きます。

まれに、子どもをアレルギーにしたくないからと、原因となりそうな食物を多種類除去している保護者がいます。

しかし、それは逆にアレルギーを作っているようなものです。免疫システムは生後6ヶ月から2歳くらいまでがもっとも活発に活動します。この時期に不要な除去をすることは,赤ちゃんの生涯にまで影響してしまうかもしれません。

> それは逆にアレルギーを作っているようなものです

というようなことになり、一番大事な免疫システムの構築段階の赤ちゃんの時代に「その免疫の構築ができなくなってしまう」ということにつながる可能性があるようです。

赤ちゃんの食物アレルギーを防ぐもっとも確実な方法は、結局は「食べさせる」ということだそうです。

文書のシメは、

保護者は不安感からアレルギー検査を求める、医師の方もリスクを避けるために除去食を勧める。しかし、本当に考えてあげなければいけないのは、子どもの未来です。健全な成長と発達のために、何をしなければいけないのか、良く考える必要がありますね。

さて、そろそろ結論です。食物アレルギーが増えたのは、多くの人がRAST検査を希望し、除去しなさいという指導が普通になってしまったからです。“子どものため”と熱心にアクションすることは、かえって子どもを苦しめることも多いのですが、食物アレルギーはその典型例です。

となっていました。

最近の小学生などで、重度の食物アレルギーがものすごく増えている原因もそのあたりにあるのかもしれないですね。赤ちゃんの時に行った「除去食」で、正常な免疫システムが作られなかった、という部分はあるかもしれません。

先の文章は、全体として、かなり専門的で長いですが、小さなお子さんをお持ちで、アレルギーが気になる方は読まれるとよろしいかと思います。こちらがリンクです。

もちろん、子どものアレルギーに関しても、いろいろな医学的なさまざまな考えがあると思いますが、いかにも西洋医学的な「不要なものは除去すればいい」という発想は、あまりいいとは感じません。


ああ・・・気づくと・・・これは、自分の風邪のことを、ちょっと余談として書こうとしたら、えらい長さになってしまいました。


それにしても、乳幼児の4人に1人がタマゴを食べていないというのも、何だか大変ですが、「小麦と大豆を制限している」って子どもたちも、やっぱり、それらは慣れさせていかないと、世の中で生きていけないですよ。

医療は、もちろん、良い面もたくさんあるでしょうけれど、先ほどの「子どもへの抗生物質投与」にしても、RAST検査の反応で、赤ちゃんの時から食事制限を始めることで免疫力の構築に問題を発生させ、一生をアレルギーで過ごすことになるかもしれないことをしてしまっている、ということもそうですが、こういうことが起きている根源は、悪意というより、

人間の本質的な強さを信じていない医療

という根源から、

人間の自己治癒力より「薬」と「検査」の方が優れている

という現代医療が「何を神様としているか」ということの問題でもありそうです。

主軸は薬ではなく人間(人間自身が自己治療マシン)であり、ヒポクラテスの言うように、「人間の自己治癒力を高めるのが医療」という方向がやはり正しいと確信します。

ちなみに、風邪薬以外でも、精神系の薬に関しても、厚生労働省の医師への調査では、「小学校入学前でも精神薬を処方する」と答えた医師が「全体の3割ほどもいる」というような統計もあります。

子どもへの精神薬投与に関する医師へのアンケート
mental-kid.gif
子どもの薬物療法


大人でさえ大きな副作用と強烈な依存性に陥る精神薬を幼稚園の子どもにも出すと平気で答える人たち・・・。

このような現実とかもありますが、これを避けることができるのは、基本的には親の考えと行動だけです。

参考記事:ブラック・フラミンゴが現れた地球。そして、数百万人の「ベンゾジアゼピン依存症」が作られている日本(私も危なかったのです)

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子どもが薬をいやがる事実を考えてみると

思えば、私は幼児の頃から小児ぜんそくでしたが、薬は嫌いでした。

うちの子どもも、ほとんど飲んだことはないとはいえ、薬が嫌いで、ほぼまったく受けつけないので、諦めたことがありました。

今思えば、こういう「赤ちゃんや子どもが病院の薬をいやがる」というのは、実はとても自然な反応かもしれないということもわかります。苦いとかそういう以前に(というか、最近の子ども用の薬というのは苦くないものが多いはずです)、

「それは体に入れたくない」

という人間的な本能の反応なのかもしれないですね。

たとえば、下みたいな記事があります。

子どもが飲み薬を嫌がる 約6割の親が経験 散剤で最も多く 日本調剤まとめ
ミクス online 2015.07.27

日本調剤はこのほど、乳幼児を持つ親の約6割が、子どもが飲み薬を嫌がったり、飲まなかったりした経験があるとの意識調査結果を公表した。薬を嫌がる子どもは年齢が上がるほど多い傾向で、3歳以上で嫌がったケースは7割近くとなった。嫌がった薬で最も多いのが散剤(84%)、次いでシロップ(38%)だった。

> 薬を嫌がる子どもは年齢が上がるほど多い傾向

とあり、自我の確立と共に本格的に薬をいやがるようになっていく。

・・・ですが、多くの日本人が、かつての私のように大人になったら薬漬けになりますが。

まあ、まだ5歳くらいまでの子どもたちは、社会的教育を受けていないので、「病院という権威」などないですし、「人間として必要な本能だけで生きている」のだとすると、子どもが薬をいやがるというのは、とても重要なことかもしれないです。

それが、大人になるにつれて、平気で薬を大量に飲むようになるのは、社会で生きていく上で、「病院は権威である」とたたき込まれて、

「病院にいけば病気は治る」という幻想

を植えつけられてしまうからかもしれません。

最近の記事もそうですけど、「病気は自分で治すもの」だという、これが幻想でも構わないですが、この意識を持つこと持たないことでは、人生に対しての見方が本当に違いますよ。

子どもと本能といえば、安保徹さんの『著作』の中に、

なぜ、子どもはピーマンが嫌いなのか」

ということが書かれてある部分がありました。

peaman.jpg
ピーマン


安保徹『人が病気になるたった2つの原因』より

子供がピーマンや人参のようなクセのある野菜を苦手にするのは、解毒作用を司るミトコンドリア系がまだ未熟なために、クセのある野菜に含まれるポリフェノールを上手に処理できないからです。

無理やり好き嫌いを改めさせようとしても、子供が嫌がるのは、わがままだからではなく、本能的な反応とともにミトコンドリア系が整っていくので、放っておいても自然にクセのあるものも食べられるようになる。このことがわかっていれば、お母さんのストレスも軽減するでしょう。



ということで、この下りから考えると、好きで食べているのであれば問題はないでしょうが、小さな子に、嫌がっているのを無理やりピーマンなどを食べさせることは、むしろ健康にも良くなさそうです。

私自身、小さな頃は野菜なんか全然食べなかったですが、成長するにつれて、嫌いものはひとつもないというふうになりましたので、放っておけば問題ないと私も思っています。

あるいは、かつて、知り合いでいた過度な偏食の人たちは、むしろ小さな時に無理やり食べさせられていたようなことが多かったそうで、何事も自然がいいとは思います。

うわあ、何だか余談のままここまで来てしまいました。

まあしかし、風邪を引いている時くらい、余談で突っ走るのもいいかなと。

次回あたりから普通の更新に戻ることができると思います。



  

2015年08月10日



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新約聖書『ルカによる福音書』 17章20-21節

神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。

また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。









 




自分の心が生み出す「悪」を消滅させるには

前回の記事などで、『幸せはガンがくれた』に出てくる、ガンを自然退縮させた方々の「言葉」に大変感動したことを書いたのですが、その感動は、当然ながら「病気が治ってよかった」というものではありません。

この本に出てくる人々の言葉は凄絶な「気づき」を私に与えてくれました。

この本の中には、「ガンに感謝し、ガンであることが嬉しくなってきた頃から自然退縮が始まる」というような感じの人の話が多く載せられていますが、ガンが自分の体内で起きている反応であることは事実であると同時に、ガンになる原因も、この本を読む限りは、ほとんどが「原因は自分にある」ことがわかります。

ガンというのは全部が「自分そのもの」です。

その、何もかも自分から始まるガンを悪だと考えること自体が、それは自己否定そのものであり、正しい態度ではないことがわかるのです。

ガンを含めて、体に起きるすべての反応、すべての病気の原因はほとんどが自分にあり、そのすべては「回復」を示しているものなのですから、どんな病気でも症状でも、それは難しくとも、できるだけ感謝し、受け入れるべきだと思うようになったのです。

ガン細胞
cancer-cell4.jpg
ctjsc.com

私たちの人生で教えられてきた価値観は、大抵の場合は、

「病気は悪いものが侵入して起きる悪いものだから、ひたすら憎んでよし!」

というものだったと思います。

「病気=自然良能」と教えられたことは、少なくとも私はないです。

しかし、今になって知ることは、病気は自然良能であるばかりではなく、病気以外のすべてのものについても、本来の私たちの世界というのは、かつての多くの賢人たちが言うように、

この宇宙に否定的なものや出来事は存在しない

というのが真理だとすると、「悪いものが存在しているように見える」のは、それは「作りだしている」に他ならないはずです。

誰が作りだしているのかということには、いろいろな意見があるでしょうけれど、最も大きな「悪の生産拠点」は「自分」だと思います。

お化けを恐いと思う人と、全然恐くない人がいる。
高いところが恐い人と、全然恐くない人がいる。
残酷なシーンを見て、恐いと思う人と、全然恐いと思わない人がいる。

恐怖の対象が、おおむね人によりバラバラであることを見てもわかるように、恐怖は「その人の中で作られる」もので、この世に絶対的な恐怖はないです。

「不安」も同じで、この世界には本来は不安などないです。

うーん・・・どうもうまく説明できていないですが、たとえば、冒頭に新約聖書『ルカによる福音書』17章の部分を抜粋していますが、イエス・キリストは、この箇所で、「神の国はあなたがたの中にある」と言っています。

つまり、

「神の国は人間の中にある」

と、イエス・キリストは、はっきりと述べているのです。

「神の国」とは、つまり「神々の発生源」ともいえなくはないのではないでしょうか。

人間はその内の中に「神の発生源を存在させている」。

自らの中に神の発生源を内包している存在である人間の中から生じるものに「悪」が入り込む余地があるでしょうか。本来、すべてが「善」のはずです。

あるいは、それらは、

善と悪の正体

という記事で書きましたけれど、「相反するふたつの存在」であるのかもしれず、確かに、私たち人間の中には「悪」と「善」が対立して存在しているものなのかもしれないですが、『幸せはガンがくれた』に出てくるガン自然退縮者の方々の言葉でわかることは、

悪に感謝すれば、悪は(本来の善の姿に戻り)消える

ということです。

そして、この「原則」は、病気だけではなく、「この世のすべて」について当てはまるのではないかと感じたのです。

前回の記事

オカ氏の異常な愛情 または私は如何にして心配するのをやめて恐怖を愛するようになったか

で引用させていだいた、ガンの自然退縮者の沢本さんのお言葉、


「変な言い方だけど、陶酔に変えていったのよ。痛い、だからこれは気持ちがいいというふうにしていった。痛みが気持ちいいんだって、自分に言ってたの。そうしたら、ちょっと言葉で表せないくらいなんだけど、痛みが、単なる痛みじゃなくなったの。通りいっぺんじゃないのよ」

「どう言っていいんだか分からないけど、ともかく違うのよ、痛みが。あっ、今日も来たよ、ありがとう、ありがとうって。本当に心からね、それが思えた日に、スパッと抜けた、痛みが。本当に、見事に、スパッと抜けたのよ」



これが、「宇宙のすべてに当てはまる」のだと確信したのです。

感謝すれば、悪がスパッと消えると。

その記事で私は、

ここに至って気づいたことは、感謝するという思想の本当の意味は「すべてと一体化する」ための実践方法のひとつだということでした。この意味は、つまりは、「感謝」と「この世の正体の把握」には密接な関係があるというようなことだと思うに至ったのです。

というようなことを書いていますが、この意味は、

悪に感謝することができることが、この地球の性質を変化させられる最大の行動かもしれない

と思ったということになります。

私たちがこれから見ていく先の世界、それの呼び方は、新しい地球でも未来の地球でも新しい次元でも何でもいいのですが、地球を「まったく新しい場所」にするためには、「悪に感謝する」という感覚を掴めるまで努力しなければならないということを感じたのです。

そして、たとえば、「未来の地球」が、日月神示にあるような、

第21巻 空の巻 第十帖

此の方 悪が可愛いのぢゃ、御苦労ぢゃったぞ、もう悪の世は済みたぞ、悪の御用 結構であったぞ。早う善に返りて心安く善の御用聞きくれよ。世界から化物出るぞ、この中にも化物出るぞ、よく見分けてくれよ、取違ひ禁物ぞ。

というように「もう悪の世は済みたぞ」という世になるためにも、今こそ「悪を憎む」という概念から、何とか少しずつでも、「悪に感謝する」という方向に転換していければいいなと、少なくとも自分自身は思ったりしています。

たとえば、中村天風さんやシュタイナーなども、「恐怖や不安は無駄なもの」とは何度も言いますが、天風さんやシュタイナーのような方なら、それを捨て去ることは簡単なのかもしれないですが、私のような不安だらけの人間には難しいことなのです。

その私のような人間に「恐怖や不安を消す」ための具体的な示唆をしてくれたのが、本に出てきた沢本さんの言葉であり、あるいは他の方々の言葉でした。

私たちが沢本さんたちから学んだこの気高い智恵を現実の生活に活かすためには、「ガン」というキーワードを他のものに変えればいいのだと思います。

たとえば、私なら、

・恐怖に感謝する
・不安に感謝する


ということを努めて実践するのです。

最初はできないのが当たり前なのですから、それで何の問題もないです。
重要なことは「それらを憎まない」ことだと思います。

もちろん、すぐに何かが変わることはないでしょうが、半年、1年、10年、20年もすれば、少しは何かが変わるかもしれません。

また、これらは「感覚的な作業」に見えるかもしれないですが、沢本さんのご体験を読めば、極めて「理詰め」の方法論であることがわかります。

あの沢本さんの言葉は、数冊の聖典を読むほどの智恵だと思います。





「絶望してはいけない」

ところで、『ルカによる福音書』 17章のワンフレーズをどうして知っていたのかといいますと、1940年のチャールズ・チャップリンの映画『独裁者』の有名な6分間の演説シーンに出てくるのです。

今の時代に見直すと、75年前よりも、むしろ今の時代に対して響く、なかなか良い内容のスピーチですので、記しておきます。

すべてチャップリン自身によって書かれたものです。




チャップリン『独裁者』演説シーンより

chaplin-Great-Dictator.jpg


申し訳ない
私は皇帝になりたくない
私は誰も支配したくないのだ
できることなら助けたい
ユダヤ人も、ユダヤ人以外も、黒人も、白人も

人類は互いに助け合うべきなのだ
人間とは本来はそういうものなのだ
人間は、他人の幸福を願って生きるものだ
他人の不幸を願ったり、互いに憎み合ったりしてはならない

この世界には全人類が暮らせる場所があり、大地は富に満ちている
人生の生き方は自由で美しく楽しいものであるべきだ
しかし、私たちは生き方を見失ってしまっている
貪欲が人類を毒し、憎悪をもたらし、悲劇と流血へと私たちを行進させた

私たちはスピードを手にしたが、それによって自分たちの意志を孤立させた
機械は貧富の差を作り、知識を得たことにより人類は懐疑的になった
思想だけがあって感情がなく、人間性が失われた

賢さよりも、優しさや愛と思いやりが必要なのだ
思いやりがないと暴力だけが残り、すべてが失われてしまう。

飛行機やラジオが私たちの距離を縮めたが、それらの発明の本質は、人間の良心に呼びかけて、世界がひとつになれることを呼びかける力があることだ

今も私の声は世界中の何百万人もの人々のもとに届いている
その中には、絶望している人たちもいるはずだ
男性たち、女性たち、子供たち、罪のない人たちを拷問し、投獄する組織の犠牲者のもとにも私の声は届いている

私の声が聞こえる人たちに言いたい

「絶望してはいけない」

私たちに覆いかぶさっている貪欲はやがて過ぎ去り、恐怖もやがて消える
それらの貪欲や恐怖は、人類の進化を恐れる者たちの嫌悪なのだ

憎しみは消え去り、独裁者の獣たちは死に絶える
人々から奪いとられた権力は、ふたたび人々のもとに返されるだろう
自由は決して滅ばない!

兵士諸君!
獣たちの犠牲になるな!
やつらは諸君を欺き、見下し、奴隷にし、人生を操り、諸君を家畜のように追い回している
諸君が何をして、何を考えて、何を感じるかさえも指図し、そして、諸君に対して、食べる物まで制限する者たちは、諸君を単なるコマとして扱うのだ!

やつらは人間ではない!
心も頭も機械に等しい!
諸君は、そのような機械の心を持った機械人間たちの犠牲になってはならない

諸君は機械ではない!
諸君は家畜ではない!
諸君は人間だ!
心に愛を抱く人間なのだ!

憎んではいけない
愛されない者だけが憎むのだ

独裁を排し、自由のために戦え!

神の王国は人間の中にある
すべての人間の中にあるのだ!
諸君すべての中に神の国があるのだ!

すべての諸君は幸福を生み出す力を持っている
人生は美しく自由であり、素晴らしいものなのだ!
それを創り出す力を諸君は持っている!

民主国家の名のもとに、その力を集結させよう!
良い世界の実現のために戦おう!
若い人たちには希望を与え、老人たちには安定を与えよう

獣たちも同じ約束をしながら権力を伸ばしてきた
しかし、獣たちは約束を守らないし、これからも同じだろう
やつらは野心を満たし、大衆を奴隷にした!

今こそ戦おう!
約束を実現させるために!
世界に自由をもたらし、国境を取り除き、この世から貪欲と憎悪を追放しよう!

良識のために戦おう
文化の進歩が全人類を幸福に導く世界になるために戦おう

兵士諸君!
民主国家のために団結しよう!





ここまでです。

このシーンの日本語字幕版は、YouTube にもあります。
上の訳とは少し違いますが、意味の流れとしては同じです。




これは、当時のナチス・ドイツの独裁政治を批判したものとされていますが、どうも、今こう眺めていますと、「そういうことではないかもしれない」という気もしないでもないです。

このチャップリンの言葉は、今の私たちの日本も含む「民主主義といわれている社会」そのものに言えることなのではないかという気もしますが、それはともかく、チャップリンもまた、

人生の生き方は本来は自由で美しく楽しいもの

と言っていて、そして、チャップリンは、それが「心も頭も機械のような者たち」によって、変えられてしまったとしています。

しかし、チャップリンは、それと戦うことによって、新しい地球を取り戻すことを説いていますが、先ほどの観念でいえば、「その獣たちに感謝して、獣の存在を消してしまう」というほうが合理的なのかもしれません。

ところで、

「獣」

という「心も頭も機械のような支配者」たちが、今の世の中にもいるとしたら、それは、どんな者たちだと思われますか?

私はこの時期の、終戦や原爆の日などに、繰り返しニュースで流れる「完全に画一の受け答えをする一般の人々」を見ていて、あるいは、「負」ばかりを未来へつなごうとするこことが美化されている光景を見て考えてしまうところがあります。

それはともかく、ごく自然な形で、ずいぶん以前から、常に私たちは「価値観を統一化されてきた」というような部分はあります。知らない間に同じ方向にならわされる。「自主的に考える」ことが認められない。

しかし、そのことは今回の記事とは関係のない話ですので、ふれませんが、この「獣の正体」にしても、私も含めて、他人の意見ではなく、「自分で考える」ことが大事だと思います。

それと、チャップリンは、

> (今の人々は)思想だけがあって感情がなく、人間性が失われた

> 賢さよりも、優しさや愛と思いやりが必要なのだ


と言っていますが、このチャップリンの言葉から 75年経った今は、さらに、「思いやりより知識」、「思いやりより財産」の傾向が激しくなっていますが、これに関しても、『幸せはガンがくれた』に出てくる方々の言葉を読んでわかるのは、

「どんな世の中に住んでいても、その人の心が幸せもその逆も作るのだから、自分の幸せと生きている環境は関係がない」

ことも、より確信できた感じです。




ガンを経て「理想的な人物像」となった女性に想う未来の地球

たとえば、『幸せはガンがくれた』に出てくる片山さんという女性。

小さな頃から優等生で、教室ではいつでも責任のある役割のトップを率先しておこなうタイプで、社会人になってからも、どんなに無理をしてでも頑張り、体も心もボロボロになるまで、トップクラスの営業成績を上げ続けるような人でした。

家庭環境も、厳しい父を憎んでいたりしたこともあるような、いろいろなことがあった方ですが、ガンになった後、ふと、それらの「ガチガチに凝り固まった厳しすぎる生き方がガンにつながった」とことに気づいて、急に肩から力が抜けたそうです。

そして、取材時には体調も良くなり、また、下のような話をするような人に「進化」していました。


『幸せはガンがくれた』 片山紀子さんの話より

「今は、以前の自分とはまったく違う自分を生きているような気がします。本当に、以前の私は、病気をするまでの私は、すごく闘争的だったし、格好はよかったかもしれないけれど、ひどく背伸びして、いつもぜいぜいあえいでいて……」

「今の私は、ボケッとして、のんびりして、自分の、一本一本の手足を、確実に自分のものにして……こうやって、なんにもしないで、ひととき、ひとときをじっくり楽しみながら……もう私はガンになったのだから、こうあるべきとか、こうしなければとか、もうそういう考え方しなくてもいいのよって」

「家族にも、父にも優しくなれて、今はなんか、やっぱりみんな幸せでいてもらいたいと、なんでもいいから幸せでいてもらいたいと、それはすごく思います」



片山さんは他にもたくさん語られていますが、とにかく「何ちゅー悟りの境地なんだ・・・」と思わされます。驚くほどの「安寧の極地」の中にいることも読み取れます。

先ほどのチャップリンの言葉に、

> 人間は、他人の幸福を願って生きるもの

というフレーズがありますが、片山さんもまた、みんなの幸せを明確に願っているという、理想的な人間に生まれ変わっている。

「自分の心」さえ、このようになっていれば、世の中がどんな環境になろうと、やはり幸福なままだと思うんですよ。

この片山さんをはじめ、さまざまな方々は、

「悪(だと思っていたこと)に感謝する」

ということを始めてから、上のような・・・「悟り」としか言いようのない境地で、新しい自分を生きている。

今後、地球や世界の現実的な状況が、カオスに陥ったり、むちゃくちゃなことになったとしても、大事なのは、それら外部での現象ではなく、「自分の内部こそが大事」だということをご理解いただければ幸いです。

すべての人が、片山さんのように、まず自分も幸せで、そして、他人の幸せを望み続ける毎日を送ることができる地球がやってくるかもしれない・・・ということだったら嬉しいですね。

私自身も、世の中ぎりぎり「かもしれない」ところで、この「感謝することの意味」とを知ってよかったと思います。

悪に感謝することは難しいかもしれないですけれど、ひとつの修行だと思っています。



  

2015年08月08日



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感謝するという意識の真意は「すべてと一体化するため」の実践方法であることに気づいた日


今回のタイトルは、1964年のアメリカ映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』のパクりですが、私が最も好きな娯楽映画のタイトルをつけたくなるほど感動的な「必然」がありました。


ところで、昨日の記事、



 2015年08月07日


の中で、『幸せはガンがくれた ― 心が治した12人の記録』という本の内容のご紹介で、誤解されかねない流れがあったので、少し書いておきたいと思いますが、その中で、1985年に医学誌『ランセット』に発表された、ロンドン王立大学病院の医師たちによる論文で、下のような心理的傾向グループごとの 13年生存率の違いを記しました。



1. ガンへの闘争心を持ち続けた人たち(生存率約 80 %)
2. ガンであることを否定する人たち (生存率約 50 %)
3. ガンを消極的に受け入れた人たち (生存率約 30 %)
4. 無力・絶望に陥ってしまった人たち(生存率約 20 %)


この中の「最も生存率が高かったグループ」の説明の中に、グラフでは「闘争心」とあるので、そのままにしたのですが、「闘争心」だけでは、どうも「ガンを敵にする」というイメージがありまして、少なくとも、この『幸せはガンがくれた』という本の全体的な主旨とは大きく違うものですので、「ガンの際に、闘争心を持つことが良い」と伝わってしまったのでしたら、それは本意ではないことを記しておきたいと思います。


ガンは敵でも憎むものでもないです。


そして、この本の主旨は、


「ガンになった人が、ガンになったことを愛するようになった軌跡」


の例が多く書かれている本だと思っていただければいいのではないかと思います。


そして、読み進めるにつれて、この中に出てくる、ある女性の「体験」に、私は、頭を 50キロのハンマーで殴られたような衝撃を(死ぬわ)、まあ、死なない程度のハンマーで殴られたような衝撃を受けたのでした。


そして、そこから私は、コンクリートブロック 10個をロープで巻きつけられ、東京湾に投げ捨てられたかのような(死ぬわ)、まあ、とにかく、大変な「意識革命」を自分にもたらすことができるかもしれない目覚めの「淵」にいるかもしれないことを感じるようになることができたのです。


そのことを少し記したいと思います。





絶対的な「感謝」の心


この『幸せはガンがくれた』には感動的な記述が多いのですが、特に、最終章の「12章 ガンからの贈り物 − 料理教室の人たち」という章の感動度は相当なもので、そこを読むことだけでも価値があるかもしれません。


ガンを憎むとか愛するとか、そういう地平を飛び越えて、「ガンになったからこそ今の自分の幸せが掴めた」というような、ガンが治った後もなお、「ずっとガンに感謝し続けている人たち」がたくさん登場します。


「料理教室の人たち」の料理教室とは、東京世田谷にある「あなたと健康社」というところの料理教室で、調べますと、今でもありまして、戦後から自然食、玄米食などを推進してきた東城百合子さんという方が母体となっている料理教室のようです。


今はどうなのだかわからないですが、本の中では、この料理教室には、ガンなどの病気になった人たちが、食事改善のためにやって来るそうです。


東城百合子さんという方は、Google などで調べてみると、大変に高名な方のようです。


東城百合子さん(90歳)

togo-yuriko.jpg



そして、『幸せはガンがくれた』の中では、著者が料理教室に集っている中で、ガンが自然退縮した人たちに取材をするのですが、その中のひとりの方の言葉のあるフレーズに、私は驚いたのです。


それは、


「ガンの苦痛に感謝するようになるまで」


が語られているのでした。


その方は、沢本三枝子さんという、取材時 49歳の方で、その 15年前に、子宮ガンと診断され、その後、ガンを自然退縮させた方でした。


沢本さんは栄養士だったのですが、自らの経験から既存の栄養学に疑問を持っていたことと、「病気は医者が治すものではない」という信念を持っていたせいで、西洋医学の医療は最初から一切受けず、食事を玄米食に変えるなどをしたけれども、ガンは悪化するばかりでした。


そして、痛みは極限に達します。


沢本さんの言い方では、その痛さは、


「もう、ものすごい痛みでね、立っていられないくらいなの。猛烈な、生半可じゃない。買物に行くでしょ、買物かごを持っていても、痛みで落としてしまって、そのまま人の声が耳に入らないぐらいの痛さだった。でもね、ここで寝込んだら私は駄目になると思ったのよ」

というほどのものでしたが、おそらくは、ガンはかなり進行・悪化していたのかもしれません。


そんな日々を送っていた時に、沢本さんは、一人の肺ガンの患者と出会います。


その肺ガンの人は、病院から余命1年と宣告されたそうですが、その時に「治療に大事なのは心だ」とふいに思い、手術の前日に病院を脱出し、その後6年間、何事もなく生きているという人だそうですが、その肺ガンの人が、沢本さんに言った言葉によって彼女は変わることができたのです。


そして、私もまた、その言葉によって「変わることができるかもしれない」と今思っているのです。


ここからが抜粋です。





「幸せはガンがくれた」 12章 ガンからの贈り物 - 料理教室の人たち より


happy-cancer.jpg



「その人が言うのよ。痛くてしょうがない時には、すべて受け入れるんだって。自分にすべて受けることだって言うの。『どう受けるのか分からないよ、こんな痛み。もうなんとかしてほしい』って言ったらね、『自分もものすごく苦しかった。だけど受けたよ、全部ね』って」


「それでも私は分からない。そしたら、『とにかく痛みがきた時は、ああ、ありがとう、と言うことだよ』って言うのよ。私は分からなくてね、この痛み、コンチクショウ、コンチクショウと思ってたからね。闘って、やっつけてやろうと」


「でも、ある日ね、その人の、増田さんっていうんだけど、増田さんの言葉を何回も何回も自分に言い聞かせていた時に思ったのよ。闘うのやめてみようって。やめて、負けるんだったら負けてもいいのかなあって。よーし、今この一時をね、感謝をもって痛みを受ければいいって思った」


「もちろんいろんな手当てはやりながらだけど、神様ありがとうって。私、別に宗教はないんだけど、この痛みは、きっと私を育てるためにくれたんだと。増田さんは、そのこと教えてくれたんだって分かったの。徐々によ、最初からいっぺんにじゃなくて」


「それから、変な言い方だけど、陶酔に変えていったのよ。痛い、だからこれは気持ちがいいというふうにしていった。痛みが気持ちいいんだって、自分に言ってたの。そうしたら、ちょっと言葉で表せないくらいなんだけど、痛みが、単なる痛みじゃなくなったの。通りいっぺんじゃないのよ」


「どう言っていいんだか分からないけど、ともかく違うのよ、痛みが。だから徐々に徐々にね。あっ、今日も来たよ、ありがとう、ありがとうって。本当に心からね、それが思えた日に、スパッと抜けた、痛みが。本当に、見事に、スパッと抜けたのよ。その間がすごく長かったですけどね、やっぱり」


痛みを忘れて、すでに7年ほどになるという。

そして4年前、人間ドックで精密な検査を受けた。結果は、異常なし、であった。





ここまでです。


この中の


「闘うのやめてみようって。負けるんだったら負けてもいいのかなあって」


という言葉。


これが、私の中にスーッと入ってきて、涙が出そうになったのでした。


さらには、


「(痛みを)陶酔に変えていったのよ。痛い、だからこれは気持ちがいいというふうにしていった」


というフレーズも、また、私が「具体的な表現として求めていた」ものなのです。


こういうような、たとえば、「苦痛に感謝する」というのは、文字で書くのは簡単です。


あるいは、私のように、不安神経症だったり、様々な恐怖症だったりするものなら、


「恐怖に感謝する」

「不安に感謝する」


とか、どんなことでもいいのですが、文字でだけで書くのなら簡単ですが、私の中に、感謝する対象に「苦痛」というのはなかったので、苦痛とどう付き合うかでわからなくなり始めていました。


それが、その沢本さんの言葉で翻然と悟ったわけです。


そういう意味では、この沢本さんは救世主みたいなもんですが、多くの人にとって、この言葉は救世主的な言葉として響くのではないでしょうか。


もちろん、このことを知ったからといって、実行することは、そう簡単なことではないし、沢本さんも、「だから徐々に徐々にね」と言っていますが、実際には、かなりの時間がかかったと思います。


しかし、釈迦やイエス・キリストでもない沢本さん、つまり、私たち同様の普通の人が、このような激しい悟りを得たという「事実」は勇気づけられる材料とはなりはしないでしょうか。


ところで、後に沢本さんは「なぜ自分はガンになったのか」を考えるうちに、自分の性格にその原因があることを自分で突き止めます。きまじめすぎる性格などがそうですが、そういう「性格」や「気質」、沢本さんは「心」と言っていますが、そういうところまで変えないと、病気は治せないもののようです。


気質や性格が変わることに時間がかかるのは当たり前ですので、沢本さんもずいぶんと時間がかかったと思われます。しかし、結果として、


「痛みに感謝する」


ところから始まり、結局、ガンは沢本さんの性格までを変え、そして、ガンになった後は、それまでギクシャクしていた家庭も旦那さんの性格も変わり、何もかも幸せになったらしいです。


つまり、この本に書かれてあるのは、


「ガンが自然に治ってめでたい」


という話ではなく、


「ガンになったおかげで、私は幸せに生きる方法を見つけた(ガンになっていなかったら、不幸なままだった)」


という、ものすごく積極的な人生を体験した人たちの証言集なんです。


で、そのような本の中にあった「痛みに感謝する」という模索は、私自身の今模索している生き方と非常にリンクすることに気づいて、まったく、もう本当に今、この本に感謝しています。


「恐怖に感謝する」

「不安に感謝する」


という考え方は、実際、私の中になかったのですよ。


「克服する」とか、神経症治療の森田正馬さんの提唱した(不安や恐怖に対しての)「あるがまま」ということばかりで。


もっと積極的な、「それに感謝する」という考えはなかった。


考えてみれば、不安も恐怖も自分の心の中で作りだしているものなのですから、「不安も恐怖も自分そのもの」だということを考えると、不安や恐怖や痛みに感謝することは不思議でも何でもないということもいえそうです。


それに、実際、私は、自分が持つ過度な「不安」と過度な「恐怖」こそが、自分をさまざまな創作に駆り立ててきたことも事実ですし、このようなブログの出発点も、まさに不安と恐怖そのものです。なので、本当の意味でも感謝しなければならない存在であることは知ってはいましたけれど、その「感謝」を形にしなければならない、ということをはっきりと教えられた感じです。


いずれにしても、この沢本さんの言葉・・・というより、この言葉が出ていたこの『幸せはガンがくれた』の著者の川竹文夫さんに感謝したいです。


もちろん、「破壊のための自分戦争」は、そっちはそっちで推し進めなければならないですが。


そして、ここに至って気づいたことは、感謝するという思想の本当の意味は「すべてと一体化する」ための実践方法のひとつだということでした。この意味は、つまりは、「感謝」と「この世の正体の把握」には密接な関係があるというようなことだと思うに至ったのです。


しかし、このことについては長くなりそうですので、別の時に書いてみたいと思います。


実はこの「苦痛に感謝する」という「現実的な輪郭」については、少し前の記事、



 2015年07月29日


の「リアルバービー人形」アンバー・グスマンさんの、一種狂気とも思える「自分の肉体が萎縮していくすることに感謝して陶酔する」という概念に直面した時にも何かを感じたのです。


しかし、今回はっきりとそれが見えてきたというのか。


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苦痛もまた必要だから起きている


考えてみれば、西洋医学が「苦痛(症状)だけ消せば、病気自体は治らなくても、それでいい」というものになってしまったのは、その根底に、今の私たち人間社会が、


「苦痛はとにかく悪いもの」と考えている


ことと、それに加えて、


「この世に偶然はなく、起きることはすべて必然」


という摂理を忘れているからかもしれないとは思います。


実際には、苦痛は多くの場合(おそらくは全部)、体の回復を示しているもので、悪いものではありません。


「起きることは全部が必然」というのは、たとえば、先ほどの料理教室の章に出てくる別の女性のお言葉に下のようなものがありました。冒頭に「先生」とあるのは、東城百合子さんのことです。



『幸せはガンがくれた』より

「先生がおっしゃった言葉で、私にとって決定的だったのは、偶然ということはあり得ない。全部必然だって、必然で世の中すべて動いているというふうにおっしゃったのです」

「私はそれまで、できたら、ガンになったのは偶然、たまたまだったんだと思いたかったわけです。でも先生は、必然だとおっしゃる。ということは、必然ということは、私にとって、ガンはすごく必要で起きたことだったのです」

「そう思った時に、やっぱり病気の捉え方が百八十度転換しました。必然で起きたことならば、ここから、私は何かを学べということなんだなって」


ちなみに、この女性もまた、ガンになった原因に「自分の性質」があることに気づきます。


というのも、この女性は、ガンになる前からずっと、添加物の入った食品は避けて、肉は一切食べず、当然、タバコも吸わない、という「健康に徹底的に気をつかった生活」をするような真面目な人でした。


なので、ご自分がガンになった時、「なぜ私が?」と思ったそうですが、そのガチガチに凝り固まった生き方に問題があったと気づくのです。


どんな健康法も「思い詰めたように」行うと、むしろストレスになって良くない面はありそうです。安保徹さんも著作の中で、徹底した自然食の実践者やマクロビオティックの人たちが次々とガンになっていくことを書いていましたし、先日の記事の坂本龍一さんも、マクロビオティックの実践者であり、過去にはヴィーガン(完全菜食主義)だったこともあったそうです。


良い食事=健康、というだけのことではないようです。


話が逸れましたが、この料理教室にいる安永和代さんという方の話の内容は、あまりにも何もかも良い方に転がってしまって、何もいえなくなるほどです。


この方の場合は、旦那さんが工場を経営していたのですが、経営もままならず、夫婦関係もギスギスし、いつも家族はイライラしていて、ついに旦那さんはガンになってしまい、工場も手放すはめになります。


普通の想定下ですと、「不幸への転落の図式そのもの」ですが、その後のこのご夫婦は・・・。





『幸せはガンがくれた』より


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「私、あの時、主人が病気して本当によかったと思いました。ああ、これで、生まれ変われるって。だから今はね、私、主人を子育てしている気持ちでいるんですよ」


「だから絶えずこう、スキンシップして。勤めに出る時もですね、私、毎日玄関に出ていって『肇さん、行ってらっしゃい』って、こうするんですよ、こう、ね」


恋人が、ひしと抱き合うように、和代さんは、毎朝の儀式を再現してみせる。


「『肇さん、行ってらっしゃい』と言うと、この人、『うん』としか言わない。『うん、じゃないでしょう』と私が言うと、『和代、ありがとう』って、そして出ていくんですよ。本当に幸せですよ。病気する前だったら、「うるさい」って叱られますよ」


「夜、帰ってくる時は、バス停で待ち合わせて、横浜からずっと歩いて帰るのです。手をつないで、夜空を見ながら。そうしますと、ご近所の人が、『あ、安永さん、本当に手つないで歩いてる』なんて」


「主人は『俺の人生、ずいぶんと変わった』って言うから、『よかったじゃないの、よかったよかった』って、ずっと手をつないでね」





ここまでです。


まあ・・・何歳のご夫婦か知らないですが( 50歳くらいのようです)、ここまで、のろけられると「ああ、そうですか!」と言い放ちたくもなりますが、このように、ガンになったからこそ幸せを得られた人ばかりの描写を見ていますと、ガンになる、ということは「悪い方の必然ではなく、良い方の必然」なのかもしれないとさえ思えてきます。


同じ本からの抜粋だらけになってしまいましたが、「病気」というものが、実は人間生活にとって「非常に積極的な存在」であるかもしれないということを知ることができたと同時に、今回知り得た「苦痛に感謝する」という概念は、自分自身をも変えることができるかもしれないという希望に結びつきます。


この「痛みへの感謝」のことを語っていた沢本さんは、以下のようなことも言っていました。



「変われるのよ、人は。変わろうと思えばね、変われる」



なんというか・・・今回の記事を読まれた方は・・・というと僭越ですが、つまり、沢本さんの言葉を実践しようと思えるのなら、読まれたすべての方が、ガンになっても治るでしょうし(どんな治療法を選択しても)、そもそも大きな病気にはならないのではないかとさえ思えます。



  

2015年08月07日



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ルドルフ・シュタイナー『いかにして高次の世界を認識するか』
「神秘学の訓練のための条件」より

第1の条件は、「あなたの体と霊の健康を促進するように注意を払いなさい」というものです。

確かに私たちは、はじめのうちは、みずからの健康状態を自分で決定することはできないかもしれません。しかし誰でも体と霊の健康を促進するように努めることは可能です。

健全な認識は健全な人間のなかからのみ、生じます。健康でないからという理由で、ある人が神秘学の訓練から排除されることはありません。しかし神秘学の訓練では、学徒は、少なくとも健全に生活する意志をもつように求められるのです。

私たちは、自分自身の体と霊の健康を促進するという点において、可能な限り自立しなくてはなりません。


上のシュタイナーの言葉の中に、


> みずからの健康状態を自分で決定する


とあります。


最近、川竹文夫さんという方が書かれた『幸せはガンがくれた ― 心が治した12人の記録』という、ガンの自然退縮について調べられた本を知りまして、最近、パラパラと読んでいましたら、この本は大変に素晴らしい内容であると共に、先ほどのシュタイナーの言う「みずからの健康状態を自分で決定する」ということが、たとえば日々の具体的な生活の中でどういうことかも知ることができるものでした。


その一方で、「日本のガン治療シーンを覆い尽くす暗いシステム」のことにも気づかざるを得ません。





無視され続ける「ガンの自然退縮」例


どういうことかといいますと、まず、この『幸せはガンがくれた ― 心が治した12人の記録』という著作の第一版は 1995年に出版されていた、つまり今から 20年前です。


さらに、この川竹文夫さんという方の著者経歴を抜粋しますと、



1946年、徳島県生まれ。NHK 文化番組部を経て、現職。1990年、腎臓ガンを発病。その体験をきっかけに、ガンの自然退縮や生還者の取材を始める。

1993年、NHK 教育テレビスペシャル『人間はなぜ治るのか』を制作。

自らの心の力によって絶望から生還し、真の健康と新しい人生を築いたガン患者たちの喜びに満ちた証言は、多くのガン患者の間でコピーが繰り返されている。


となっています。


「現職」というのは、現在やってらっしゃるガン治療に関しての NPO の代表の職のことですが、


> 多くのガン患者の間でコピーが繰り返されている。


という番組は、今は多分見ることはできません。


この NHK 教育テレビスペシャル『人間はなぜ治るのか』は、1993年に放映されたものらしいですので、一応、NHK アーカイブで検索してみましたが、まあ、ないです。


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「存在しないもの」とされているようです。


先ほど書きました「暗いシステム」というのは以下の現実と関係するようなことです・・・。



・この著者は NHK の番組制作職員だった
・番組は「ガンの自然退縮の事実を描いた」番組だった
・そして、実際に、その NHK で作られた「ガンの自然退縮」の番組はガン患者たちの希望となっていた
・NHK の番組は苦しんでいる人たちに「何らかの啓蒙」を促す役割があってほしい・・・
・けれど、この番組から「20年」経ち、この世のガン治療は、さらに三大療法が主流となり、そして、その結果の下のようなガンの死者数。

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厚生労働省 人口動態統計


ということになっているのです。


「メディア」とは一体何か、と、ふと思います。


いや別に、この番組自体が取り上げられることはなくとも、他の番組でもいいのですが、「現実にガンの自然退縮」の人たちは数多くいるのに、なぜ、それをメジャーメディアは封殺するような態度で臨んでいるのか


そして、いまだに一般人も著名人も含めて、三大療法で次々とガンで亡くなっている人が増えていることは事実なのに、少しも顧みられないのはなぜなのか。


「何だか、ガンの自然退縮の話題ってまるで《放送タブー》みたいなもんじゃないか」


と思います。


しかし、現実としては、ガンの自然退縮は、その 20年以上前から、なんら特別なことではなかったことが当時のアメリカの心理学者の研究でわかります。


これも、『幸せはガンがくれた』の中にある記述です。



川竹文夫『幸せはガンがくれた』より

自然退縮の400人

アメリカの著名な心理学者エルマー・グリーンは、ほかの二人の学者が医学文献の中から集めた4百例の自然退縮を分析、その生還に共通する要素を探り当てようとした。

結果はどうであったか……。

「全員に共通することは、必ず何かの方法を固く信じていたということです。ある人は、人参ジュースが、ガンを殺すと思い続けていましたし、ある人は、グレープフルーツジュースが、また別な人は、高山での生活が、ガンを殺してくれると信じていたんです」

「4千個のパンが、ガンを殺すと信じた人もいます。もちろん、4千個のパンに、ガンを殺す力はありませんがね。しかし、もしあなたが、心からそう信じることができるなら、きっと、そうなるに違いありません。パンでガンを殺すことができるのです」

「深く信じる心は、脳の中の視床下部を通じて免疫機能を左右し、高めます。病気に対する態度を変え、心を変え、感情を変えるなら、身体の免疫システムは、必ずそれに反応するのです」

「いいですか……。4百人が、それぞれに試みた方法は、実に様々でした。結局、一番大切なことは、どんな方法を試みるかということよりも、何かをどこまで信じられるかということなんです。信仰で治ることがあるのも、そのためなのです」

ガンはまさに、心の病。心で治すものだと言うのである。


それぞれの方法についてはともかく、当時、アメリカには、400例などの自然退縮のデータベースが存在していたことがわかります。


しかし、これらの例は、アメリカ医学界でどのように扱われていたかというと、アメリカの医学博士ケリー・ターナーさんの『がんが自然に治る生き方』を紹介しているプレジデントの記事の冒頭に以下のようにあります。


「寛解」は、この場合、「自然退縮」と同義でも構わないと思います。



「治った」人の1000件以上の医学論文

寛解症例の研究に着手してまず驚いたのは、1000件超の医学論文において、2種類の人々がほぼ黙殺されていたことでした。

一つは、劇的に寛解した患者本人の一群です。大多数の論文では、患者自身が劇的な寛解の原因をどう考えているかについて一切言及していませんでした。(略)

医学論文で黙殺されていたもう一群は、代替療法の治療者たちです。

がんからの劇的な寛解は、当然のことながらほとんどの場合、現代医療では打つ手がなくなった患者に起きています。

それなのに、西洋医学外の治療者や代替療法の治療者たちががん治療にどう取り組んできたのかを誰も調べてきませんでした。この事実にわたしは驚きました。


ということで、つまり、おそらく数千などにのぼると思われる「自然退縮の例」は、


「なかったこと」


にされたまま今に至ります。


今の日本の医学界もそうだと思います。


そして、日本で 20年以上も前に、NHK で(3回連続)放映された後、果たして新聞でもテレビでも、メジャーメディアが本気でそのことに取り組んできたことがあったでしょうか。


もう少し、すべてにおいて、何というか「良心」のメカニズムが働いていれば、何かがすこしはちがったような気はするのです。



しかし、一方で、これからの地球を生きる私たちはそんな過去のことにとらわれていては仕方ないです。



これまでの 20年が同じだったのなら「今後も同じ」と考えて、つまり、


「自分から積極的に智惠を掴み取らないと、流される」


というようなことになるのかもしれません。

少なくとも、ガンや病気に関しては。



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積極的心理状態の壮絶な効果


冒頭のシュタイナーの言葉には、


> 可能な限り自立しなくてはなりません。


と、「自立」とありますが、その後に「しなければなりません」とあるように、こういうこともボーッと、ぼんやりしていては流されます。


先日の記事で、「自分戦争」などという言葉を使いましたが、私だけではなく、誰でも必要なことだと思います。


自分の中にある「無知をよしとする要素」とは戦わなければならないと思います。


「戦う」というのは、積極性の極地でもあります。


たとえば、1985年に医学誌『ランセット』に、ロンドン王立大学病院のふたりの医師によって発表された論文に以下のグラフがあります。


ガン告知を受けた乳ガン患者の、その際の「それぞれの心理的反応」と、その後の 13年間の生存率を示したものです。


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・『幸せはガンがくれた』



この研究では、ガン患者の心理的反応を下の4つのグループにわけています。





1. 告知後、ガンと徹底的に闘う気持ちを持ち続けた人たちのグループ

2. 事実がどうであれ、あくまで自分はガンではないと思い込んでいる人たち

3. 自分がガンになったという事実を仕方なく受け入れているが、なんら積極的な態度をとらない人たち

4. ガンになったという事実に対して、無力感に陥り、絶望してしまった人たち





わりと明らかな生存率のちがいが出ていることがわかりますが、しかし、ここで考えたいのは、「闘う」という、日本語的な意味のニュアンスのほうではなく、さきほどのアメリカの心理学者の研究での結論である、


> 全員に共通することは、必ず何かの方法を固く信じていたということです。


という言葉や、あと、ケリー・ターナー博士は、


> 治療法は自分で決める


とあったように、「闘う」というより、「病気に積極的に関わる」ということが大事なのだと思います。


医者の言いなりとか、そういうような「受身」にならない。


あるいは「考えない」というのも良くないと思います。


それが、放射線治療であれ、人参ジュースであれ、サプリメントであれ、音楽療法であれ、4千個のパンでガンを殺すとかいう、どうにもよくわからない治療法にしろ、治っている人たちは「治ることを確信している」ということです。


ところが、今の医療では、患者は医者から、「〇〇治療を受けないと、大変なことになりますよ」と脅され、自然と患者は、


> 無力感に陥り、絶望してしまう


ということになっている場合が多いのではないでしょうか。

この時点で、生存率がグッと下がるのは、先ほどのグラフにある通りです。


そして、そういうように意志が弱くなっている中で、


治療法を医者に丸投げしてしまう

ということで漫然と抗ガン剤を飲まされ、漫然と放射線治療を受ける。


これでは治らないと思います。


とにかく、ガンに限りませんが、「1にも2にも希望・肯定的・積極的」ということがどれだけ大事かということについて、先ほどの『幸せはガンがくれた』から、ひとつエピソードをご紹介したいと思います。


この話は、「ことば」の重要性を示しています。





台湾の荘博士の奇跡的な言葉


取材時に 78歳だった坂本やす子さんという方は、その 40年前の三十代の時にガンと宣告されたのですが、その後、ガンが自然退縮して 40年が経っています。


この坂本さんという方はいろいろと苦労した方のようで、病院では手術を勧められたのですが、経済的に手術や病院の治療は無理で、もうほとんど諦めて、毎日、自暴自棄になって生きていたのだそう。


ある日、荘淑キ(実際は漢字です)という、台湾で有名な若き女性医学者が東京で健康診断を行うことを新聞で知ります。しかし、坂本さんにはお金はなく、「とにかく頼むしかない」と荘博士のところに行くと、診察してもらえたのだそうです。


坂本さんご本人による、その時の感想です。



『幸せはガンがくれた』より

「『治りますよ』って言うんですよ。きれいな女の先生が、私の目の前で『治りますよ』って言うでしょ。もう、その時の言葉のありがたいことと言ったら、もうそこで救われた感じがしたわね、私は」

「『先生、私の病気治りますか』って、聞いたら、『治りますよ』ってね、また優しく言うんだね。それで、じき先生はアメリカに行かなければならないっておっしゃったの。それで、『先生がアメリカに行く前に、私の病気治りますかしら』と言ったら、また『治りますよ』って、優しい顔で微笑んでくださって、もう本当に嬉しくて……」

「あの荘先生の優しい眼差しというものは、病めるもの、心の病めるものには、ほんっとうっに、救いだったね。救いそのものだった」

「優しい言葉でもって『治りますよ』って言われた時には、ここでしか自分は救われないという気持ちだったね」

「あの一言で治ったんだね。あの一言で、もう、治るーって思っちゃったのね。先生の言うことさえ聞いていりゃ絶対治るーって、信じた」


それで本当にガンは治っちゃったそうです。


何だか妙に私はこのくだりに感動してしまいました。


この坂本さんの場合は、「治療法への確信ではなく」、荘博士の「言葉」とご本人への絶対的な信頼感、そして何よりも「治りますよ」というストレートに肯定的な言葉も良かったのだと思います。


この点において、坂本さんに「治ると確信させた」ようです。


著作の中では、その荘博士にもインタビューしていますが、なんと、荘博士、40年前の日本での出来事も、坂本さんの名前もおぼえていました。



荘博士の言葉

「ガンは別に恐いものではないのです。自分で作ったものなのですから、自分で治せます。そうでしょ。それが、自然治癒力というものですね。ですから、ガンを作りたくないと決心すれば治ります」

「坂本さんには、そういうことを話したと思います。ただね、その頃は私、日本語があまりできませんでしたので、細かいことを言うよりも ”治りますよ” と言ってました」


ちなみに、これらのこと(荘先生が言葉で坂本さんを治した)のは今から 60年くらい前の話ですよ。


なんだか、すべてが良いほうに転がっている。「日本語があまりできない」というのも、この場合、良い方に転んでしまっています。


「この荘さんってのは、ただ者ではないのでは」


と思い、調べますと、台湾では大変に有名な方のようで、検索しますと、数多くヒットします。


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「ご健在なんだろうか」


と、台湾の Wikipedia を見ますと、今年 2015年2月4日に、96歳で亡くなられたようです。


そして、私は Wikipedia での、彼女の「最期」にショックを受けたのでした。



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2015年2月4日、荘淑キは、台湾の桃園市 龍潭区で昼食を食べた後、椅子に座って休憩していた時に、突然、息が止まり、安らかに死去した。享年 96歳。


どうやら、荘さんは普通に暮らしている中で「スッと消えるように亡くなった」ようなんです。


なんという理想的な最期・・・。


「これぞ健康に生きて健康に死ぬという、人類の手本みたいな生き方だ」


と、やや感嘆していましたが、この方は、日本との関わりも強い方のようで、下のような女性自身の記事がありました。見出しの「女医」というのが、荘さんです。



美智子さま “交流33年” 女医が明かす「極秘相談」
女性自身 2011.12.27

「美智子さまの女官から母にお手紙をいただいたのは、震災の直後でした。手紙には美智子さまのご体調のことが綴られていたのです。膝のお痛みや、手のしびれなどを切々と訴えられていたそうで……」

そう語るのは、荘安子さん。 美智子さまと長年の交流がある台湾の女性医師・荘淑キ(そう しゅくき)さんのお嬢さんだ。震災直後の3月、荘淑キさんのもとに、美智子さまの体調改善のアドバイスを求める手紙が送られてきたという。

美智子さまと荘淑キさんの交流は33年前にさかのぼる。’78年、皇太子妃だった美智子さまが、荘さんを東宮御所に呼ばれたのだ。

当時、健康を損なわれ、体重が激減していた美智子さまは、荘さんの著書も読まれ、彼女に助言を求められた。

さらに‘93年に美智子さまが失声症になられたときにも御所から連絡があり、荘さんはすぐに駆けつけ、ストレス軽減の方法を提案している。


というように、美智子さまの健康をも長く受け持たれていたそう。


うーん・・・いろんな人がいますねえ。


私自身は、そういう医学者等に出会ったことはないですが、ガンの自然退縮を経験した人、あるいは荘さんのような優れた人など「そういう人が現実にいた」というだけで、何と生きることに希望が出ることか。



  

2015年08月06日



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若者たちと対話するハイデマリーさん(緑の服の女性)
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Living without Money






 


主要国ではおそらく「ほぼ、たったひとり」の生き方をするドイツ人女性

何となく今日は調子が普通とはちがうなと思っていましたら、どうやら風邪らしきものを引いたようで、風邪ならお風呂と 40度くらいのお風呂に何度か入ったり、あと、首の後ろをカイロで温めたりして過ごしています。

暑い日の日中の風呂上がりはなかなか気持ちいいです。

なんだかんだと、1週間だか続いている猛暑日も、日中は冷房なしで乗り切り、さらにほぼ毎日1時間歩いていましたが、やっぱり体もどこか疲れていたのかもしれないですね。

そんなわけで、今日はそんなにいろいろと書けないかもしれないのですけれど、ある日本語記事を読みまして、私はこの人のことを知らなかっただけに、とても驚きまして、ぜひご紹介したいと思いました。

それは、「お金をまったく持たずに20年生活してきた」女性の話です。

この話のものすごいところは、

農村部での自給自足とかの方向ではなく、通常の都市生活をお金なしでおこなっている

ということです。

私を含め、多くの人びとが、「そんなことは不可能だ」と思ってしまうことを体現しているのです。

これこそが「人間存在の強さの勝利」であり、「人間には不可能という概念はない」ということを示す最高のひとつの現実の例だと思います。

先にその記事を載せておきたいと思います。

少し長い記事ですが、省略する部分があまりありませんでしたので、ほぼ全体の抜粋となります。

ここからです。




金銭を持たない生活を実践 ドイツ人女性
大紀元 2015.07.30

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・ハイデマリーさん


現代の都市社会において、お金も財産も持たずに普通に生活している人がいる。

こう言われても、すぐには信じ難いと思う人が大多数だろう。

少ない収入をやりくりして必死に生活している人からすれば、金銭がなければ一日だって生きられないと考えるのが普通だからだ。

しかし、お金を一切持たずに20年近く都市で生活してきた人がいる。今年74歳になる、ハイデマリー・シュヴェルマー(Heidimarie Schwermer)さんというドイツ人の女性だ。


幼少期の辛い経験

1942年、ハイデマリーさんは東プロイセンでコーヒー工場を経営する裕福な家庭の三番目の子供として生まれた。

二人の兄とともに家政婦の世話を受け、2歳まで何不自由ない暮らしをしていたが、第二次世界大戦の戦火は彼女の郷里にも広がった。父が軍隊に召集されると財産はすべて没収され、母は子供たちを連れて逃亡生活を始めた。

裕福な家庭の子供から、逃げ回る貧乏人へ―この大きな落差によって、幼い彼女の心の中に金銭に対する不気味な影が刻まれたのである。


20年間金銭なしの生活

成長したハイデマリーさんは、小学校の教師になった。ドイツでは、教職は安定的な収入を得られる職業だ。しかし、彼女は15年間の教師生活に自ら終止符を打ち、心理療法士に転職した。

1996年、54歳になったハイデマリーさんは人生の大きな転機を迎えた。

それは、ラジオから流れてきたニュースを偶然耳にしたことがきっかけだった。

「カナダで、ある会社が突然倒産し、失業した人たちが相互扶助によって生活する仕組みを作った。皆がそれぞれの技能を生かして互いに助け合い、物々交換の形で必要なものを得るため、お金がなくても生活を営むことが可能となっている」。

このニュースを聞き、ハイデマリーさんは自分も金銭を持たない生活に挑戦してみようと思い立ったという。

当時の彼女は離婚して独り身。二人の娘もすでに家庭を持っていたため、生活様式を自由に選択できる状況にあった。

ハイデマリーさんは高収入の職を辞し、個人財産をすべて処分した。お金は一銭残らず他人に与えて、家も財産もない生活を始めたのだ。

家事や庭仕事など住み込みの労働をする代わりに食糧と生活必需品を得て、「金銭は一切もらわない」というルールを作った。

フランス語を教える代わりに携帯電話カードを入手し、店の掃除をする報酬として果物と野菜をもらい、眼鏡屋さんが飼っている猫の世話をして眼鏡をもらい、旅行へ行く友達の家の留守番をすることで暫く住む場所を確保した。

心理療法士の経験を生かしてカウンセリングも時々行ったが、「金銭をもらわない」という原則は常に守った。

最初は、お金を持たずに生きていけるかどうかを試すため、一年間だけ実践してみるつもりだった。しかし、いざ始めてみると、金銭の束縛のない状態はとても気楽で、かえって充実した生活を送ることができると実感した。

この生活を止めたくなくなったハイデマリーさんは以後20年近くずっと、金銭を一切持たずに生きてきたのである。


大金を手にしても他人に配る

ハイデマリーさんのこの挑戦は出版社に注目され、一冊の本に纏められて出版された。すると大きな反響を呼び、彼女は一躍有名人となった。

外国の出版社からも翻訳本が出版され、テレビに頻繁に出演し、講演の要請もあちこちから入った。しかしハイデマリーさんは、こうした状況下においても「報酬を金銭でもらわない」という原則を守り続けた。

例外として手にした多額の原稿料はすべて、街で出会った人やシングルマザーに配ったのである。

有名になったこの機会にお金をたくさん稼ぎ、必要としている人達に配ろうと考えたこともあったというハイデマリーさん。しかし、そんなことをしてもあまり意味がないとすぐに気付いた。

「そういった行動は焼け石に水で、問題の根本的な解決にはなりません。たとえ一時的にお金を手にしても人々は永遠に満足せず、求め続けるのです。社会構造そのものを工夫すべきなのです」と話す。

彼女は、金銭に左右されない価値の体系を見つけたいのだ。


金銭の奴隷にはならない

健康保険に加入していないハイデマリーさんは、身体には普段から特別に気を配っている。

数年前、自転車で転んで尾骨を傷つけた際は、起き上がるのが大変なほどの痛みに襲われても病院の世話にはならず、暫く休養して自然に良くなるのを待った。

「3週間ベッドに横たわっていましたが、少しも不安は感じませんでした。鎮痛剤も一切使わず、痛みが消えるまでゆっくり待ちました。この経験によって、根気よく待つということを学ぶことができ、今思い返してみると誇らしい感じすらするのです」。

当時を振り返って、彼女はこう話す。

「一部の人には、私の生き方は挑戦的だと思われるかもしれません。しかし一方で、私が一つの提案をしたと受け止めている人もいると思います。この10年以上の経験から、お金を持たずに生活することは実行可能なことであり、しかもとても快適であると、私は断言できます」。

「多くの人が常に不安や恐怖を感じながら生きていますが、私は、恐怖や不安というものを、自分の身体の中で生きている別の生命であると見なしています。別の生命だから、必ずしも自分に必要な部分ではない…そう感じる時、恐怖は自ずと離れていきます」。

「私は知っています。神様が私達を導いてくださっていることを。だから恐れる必要は全くないのです。真剣に、ただ真剣に、人間の生きる目的を体得しようとすれば、すべてがうまくいきます。お金を手に入れてもいつか消えてなくなるかもしれません。人は、金銭の奴隷になる必要はないのです」

お金がいくらあっても、不満や不安を感じる人は少なくない。一方で、金銭を一切持たなくても、充実した日々を過ごしている人がいる。金銭に執着して人生の目標を見失っている人は、ハイデマリーさんが実践している生活様式を参考にするといいだろう。






ここまでです。

もう、この方の言うことは、最近の In Deep のカテゴリー「革命」の記事や、それ以前から書くことのあった、

不安や恐怖といった感情は不要で無駄なものだ

ということや、

すべてを肯定的にとらえること

ということすべてが彼女の言葉の中にあらわれていると思われませんか?

> お金を持たずに生活することは実行可能なことであり、しかもとても快適

> 私は、恐怖や不安というものを、自分の身体の中で生きている別の生命であると見なしています。別の生命だから、必ずしも自分に必要な部分ではない…そう感じる時、恐怖は自ずと離れていきます

> 私は知っています。神様が私達を導いてくださっていることを。

> 真剣に、ただ真剣に、人間の生きる目的を体得しようとすれば、すべてがうまくいきます

> 人は、金銭の奴隷になる必要はないのです


ここまで私たちに勇気を与えてくれる言葉はそうないです。
しかも、実践が伴っているのですから。

そして、大事なことは、このハイデマリーさんが「お金を使わない生活をしているからすごい」のではなく(もちろん、そのこと自体は大変に素晴らしいことですが)、

自分の《考え》だけで、自分に《革命》を起こした

という点です。

学んで起こしたことではないです。

そして、自分だけの革命は、結果的に周囲に影響を及ぼしています。

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Living without Money


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未来の地球への革命実践は女性から始まる

おそらく、主要国などで「完全にお金を使わない生活」をしている人は、もしかすると、彼女の他に現在「一人もいない」かもしれません。

それほど、現在の「普通の文明」には貨幣制度が強力に組み込まれています。

しかも、特にヨーロッパの貨幣制度の歴史は古いわけで、そこから「ひとりで抜け出す」なんて…。
私も「そんなことは不可能だ」と思っていましたもの。

彼女はそれをなしえて、20年間も楽しく生きている。

これはまごうことなき革命であり、そして、彼女の行動を見て、

「やはり革命は自分の心の中でだけ起きるものだ」

という確信を強くします。

そして、こちらの記事に書きました、野口晴哉さんの言葉も思い出します。


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世界が広くとも、
一人一人の覚悟がきまれば、
そのようになる。
今、実現しなくとも、
いつかは必ずそうなる。




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世界が変わったのではない。自分が変わったのである。
自分が変われば世界は変わる。
自分の世界の中心はあくまでも自分であり、自分以外の誰もが動かせないものなのだ。



タイトルに「自分戦争」というように書きましたが、春くらいからのこの数ヶ月間、私の中では常に「戦争」が起きています

その戦争の相手は、ハイデマリーさんが上で、

「私は、恐怖や不安というものを、自分の身体の中で生きている別の生命であると見なしています」

といっているものといえるかもしれないですし、またちがうかもしれないですが、とにかく、

「自分という存在と戦えるのは自分だけ」

だということに気づいてから、激しい戦争が続いています。

多くは内部(心の)戦争ですけれど、内部だけではなく、今はだいぶいいですけれど、体のいろいろな症状があった時は、顔と丹田に入れうる限り力を入れて、口をギリギリさせながら記事を書いていたことなんかもありました。

しかし、今は In Deep の記事を書いていると、まるでご褒美のように「次に知りたいと思っていた何かの知恵が転がってくる」ということも続いています。

だから書いています、というか、書いていられます。

中村天風さんも野口晴哉さんもシュタイナーも、プレアデスの姐さんも、映画『美しき緑の星』も、こちらの記事に書きました「学ぶのをやめなさい」という大きな指示をくれた、ジェイコブ・バーネットさんも、こちらの記事の消耗生疾患のリアルバービーさんも、オランダの植物発電の話も、「薬をやめなさい」という革命的な示唆をくれた安保徹さんの主張も、すべて、それまで知らないことばかりでした。

しかも、それらは、「知らないまま生き続けていたら、人生ちょっとアレだったかもしれない」という人物たちやその知恵ばかりなのです。

これらを知るキッカケになったのは、今年2月に見舞われた歩行できなくなるほどの「めまい」でした。

それは本当に厳しいもので、しかし、そんなに厳しいものだったからこそ、私は、たぶん初めて「自分の体と真剣に向きあうことができた」ようです。

ですから、本当にこのめまいにも感謝するしかないのです。

話をハイデマリーさんに戻しますと、今の私に「お金を持たない生活」をする気はありません。
子どもがいる生活にそれを持ち込むことはするつもりはないです。

しかし、ハイデマリーさんの行動を見ていれば、

「やろうと思えば、お金のない生活、お金のない世界はいつでもできるんだ」

という、未来に対しての、とんでもない肯定的な光景が思い浮かべられるではないのでしょうか。

それにしても、このハイデマリーさんも女性。

精度97%の「2030年までのミニ氷河期突入」予測は、その発表の元となったロシア人女性物理学者の「太陽活動の解析予測の実績」から実現確実な状勢に
 2015年07月22日

という記事でご紹介したミニ氷河期に至る理論の基礎を見出したのも、物理学者のヘレン・ポポワ博士というロシア人女性でした。

オランダの植物発電をビジネスとして確立したプラント-e 社の CEO もマージョレイン・ヘルダーさんという女性でした。こちらの記事で書きました。ガンの自然退縮の研究をおこなっている医学博士のケリー・ターナーさんも女性でした。

未来の地球に役立つ実践(本などでの知識ではなく)は、女性から始まっているのですかね。

そういえば、昔のウェブボットでは、次の地球の文化の形成は、みずがめ座的な、つまり女性的な力によって行われることが何度も何度も書かれていました。

たとえば、下のようなものです。


ALTA レポート 来たるべき未来の形
ウェブボット 2009年6月17日配信

地球的な規模の広域自給自足経済圏(SOC 自己組織化集団)の形成が一気に進む。この最初のものは女性を中核とした共同体である。

彼らは、自分たちの家族の健康の維持と食料の確保の必要からそのようなコミュニティーを形成する。そして、彼らは自分たちのやり方が新しい経済システムを作る方法であることを自覚するようになる。



予測というより、クリフ・ハイの希望に近いものだったのかもしれませんが、最近の地球で起きているさまざまなことの流れを見ていると、女性たちの「考え」が、未来の地球へ直接的につながるような気がします。

そして、それらを糧としながらも、私の中の「自分戦争」は続きます。



  

2015年08月05日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。





cyberattacks-biginning.gif
Epoch Times






 



すでに泥沼化している「米中戦争」

ヤスの備忘録の記事に、セキュリティー専門会社による、サイバー攻撃の実態をリアルタイムで表示する「ノース( NORSE )」というサービスのリンクが貼られていました。

上のリンクで表示されるページの右上にある「 LIVE ATTACKS 」(サイバー攻撃中継)というボタンをクリックすると、リアルタイムのサイバー攻撃の状態をうかがうことができます。

下の動画のような感じのものです。




このリアルタイム表示が気に入って、暇な時にボーッと眺めているのですが、基本的には、これを見ていると、

「アメリカと中国はもう戦争そのものの状態」

であることが強く実感できます。

特に、中国からアメリカへのサイバー攻撃の数は普通ではないです。

時には、下みたいな「大攻撃」も見られます。

cyber-us-china.gif
・NORSE


この「アメリカ中国サイバー戦争」が、今後さらに激烈になっていくことも最近の流れから予想できるところでもあります。

アメリカ政府は、先日、史上最大規模のハッカー被害に遭っていますが、それに対しての報復を最近決めたようなんですね。


米政府職員の情報流出、新たに2150万人 史上最大規模
日本経済新聞 2015.07.10

中国系ハッカーの犯行か

米人事管理局は9日、サイバー攻撃で新たに2150万人の政府機関職員や契約業者らの経歴情報が盗まれたと発表した。6月に発覚した連邦政府職員(最大420万人)の個人情報盗難事件とは別だが、同じく中国系ハッカーの犯行とみられる。

史上最大の政府職員の情報流出とみて、人事管理局と連邦捜査局(FBI)、国土安全保障省は捜査を進める。

流出したのは、現在や過去に政府の職員か契約業者だった1970万人と、180万人の配偶者・同居者らの情報。主に2000年以降の登録申請者が対象とみられる。



これに対して、アメリカ政府は下のようなことを決めたのだそう。


中国によるハッキングにアメリカが報復を決意、サイバー抑止力による「第2の冷戦」到来か
GIGAZINE 2015.08.03

アメリカ政府関係者400万人の個人情報が大量に流出したことを受けて、「アメリカ政府はついに、攻撃元の中国への報復を決意した」とニューヨークタイムズが報じています。これまで攻撃を受け続けてきたアメリカが自ら攻撃力を示すことにより、冷戦期に核抑止力が働いていたのと同じように、サイバー抑止力が働く「第2の冷戦」時代が来るのかもしれません。


これらは、個人情報を盗むとか、そちら方面のハッキングですが、現実的には、現在の「何でもコンピュータ管理されている世界」では、どんなことでもできるということも原則的には事実です。

上に「冷戦」という文字がありますが、昔の冷戦とは違って、「今は、サイバー攻撃でどんなことでも起こせる」という時代になってきている雰囲気も強いです。

たとえば、以前、「スタクスネット」というコンピュータウイルス(ワーム)について何度か記したことがあります。

コンピュータウイルスというよりは、「インフラ破壊ウイルス」といったほうがいいかもしれません。

このスタクスネットは、もちろんサイバー攻撃に適用することができるものですが、どういうことができるかというと、2010年10月01日の AFP の記事の内容を記しておきますと、


Stuxnet 'cyber superweapon' moves to China

AFP の「”スーパーサイバー兵器” スタクスネットの照準が中国に向けられる」より

スタクスネットは工業の中心に位置するような機械を制御するコンピュータに侵入することができるという点で世界中の専門家が恐れている。

攻撃者はポンプやモーターや警報などの重要なシステムの制御を乗っ取ることができるのだ。

技術的には、工場のボイラーを爆発させたり、ガスのパイプラインを破壊したり、あるいは、原子力設備を故障させる原因を発生させることができる。

このウイルスは、給水、石油採掘装置、発電所などで使用されているドイツのメジャー多国籍企業シーメンス社の特定のシステムを標的にする。



そして、さらに高度な能力を持つ「フレーム」というウイルスについても、

地球文明を破壊する威力を持つウイルス「フレーム」が歩き始めた
 2012年06月10日

という記事で、2012年6月7日のロシアの声の報道をご紹介しています。


ロシアの声「カスペルスキー氏:サイバー感染の拡大が世界を脅かしている」より

カスペルスキー氏は、多くの国が、さらに危険な作用を持つフレームと同様のウイルスを作成できる状態にあると述べ、ウイルスの作成費は1億ドルと試算した。そして、サイバー兵器の感染が拡大し、世界中のコンピュータに入り込む恐れがあると述べた。

カスペルスキー氏は、可能性のあるサイバー感染の影響として、全面的なインターネットのブラックアウト(インターネットの停止)と重要なインフラ施設への攻撃の2つのシナリオを描いた。

カスペルスキー氏は、「残念ながら世界にはまだこのような攻撃から完全に身を守る手段がない」と述べ、サイバー脅威に対して防御するには、 Windows や Linux などの有名な OS の使用を止めることだと語った。



こういうことが報道されていたのが3〜5年前ですが、こういう悪意のあるプログラムを実際に「使用」するには、何をおいても「まず、相手のコンピュータやシステムの内部に送り込まなくてはならない」わけで、その準備ができてしまえば、あとは「わりと何でもできる」のではないかと思います。

ウイルスを送り込むことについては、相手がどれだけセキュリティの高そうな機関であっても、「それらを管轄しているのは基本的に、すべて人間である」というところから、時間はかかるかもしれないけれども、プログラムを侵入させることは、それほど難しいことではないということは、今年初めまでに、

銀行から 1200億円にのぼる現金の盗難事件

を引き起こした「カルバナク」( Carbanak )と呼ばれる集団と、その犯行の手口を、

カルバナクの衝撃 : サイバー攻撃での世界の金融システム崩壊が早いか、それともNHKが特集した「預金封鎖」がそれより早いのか
 2015年02月19日

という記事に書いたことがあります。

数カ国の人種から構成される彼らの手口は下のようなものです。


カルバナクの攻撃方法

・ターゲットの銀行の銀行員に、同僚からのメッセージを偽ったメールを送信する。
   ↓
・その銀行員がメール読もうと開いた場合、悪質なプログラムが、銀行員のパソコンにダウンロードされる。
   ↓
・これを起点として、ハッカー集団は銀行のネットワーク内に侵入。
   ↓
・銀行員のパソコンから、送金システムや ATM 処理を行う担当者を探しだす。
   ↓
・ATM の処理担当者が判明した後、ハッカーはその担当者のパソコンに侵入し、遠隔操作できるソフトを不正にインストール。
   ↓
・ATM 担当者がパソコンでどのような操作をしたか、あるいは、どんな文字列を打ち込んだかが、すべてハッカー集団に筒抜け状態に。
   ↓
・送金の手順をハッカー集団が把握。
   ↓
・アメリカや中国の銀行に偽の口座を用意し、その口座へターゲットの銀行から送金。
   ↓
・待機していた人物が、ATM からお金を下ろす。



というもので、かかる時間はともかく、

「こんなに簡単に銀行のシステムに侵入できて、コンピュータを乗っ取り、あらゆる情報を入手できてしまうという現実」

に衝撃を受けたのです。

これは「銀行だから」ということで衝撃を受けたのではないです。
「銀行も突破できるのなら、どんな機関へでも送り込むことができる」ということに気づいた衝撃でした。

つまりは、この事件は、同じ手順で、

どんな設備のコンピュータにも悪質なプログラムを送り込むことが可能

だということを示してしまっているわけで、電力会社でも通信会社でも軍事基地でも、あるいは、今の時代は飛行機から遊園地から何から何までがコンピュータ制御であるわけですが、それらを乗っ取ることも難しくはないということです。

もちろん、原発でも、証券取引所でも、考え得るどんな場所にでも、悪質なプログラムを送り込むことが可能だということです。


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極限までコンピュータ化が進んだ文明は崩壊も一瞬

そして、もしかすると、そういうプログラムがすでに送り込まれていて「スタンバイ状態」になっているところもあるかもしれない・・・というより、かなりの数のそういうものがすでに潜んでいるような気はします。

世界中でたびたび起きる、システム障害や、大規模停電なども、「もしかすると」そういうことも関係していないとも言えないのかもしれない。

2015年7月8日 ニューヨーク証券取引所でシステム障害
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THP


2015年7月8日 ユナイテッド航空でシステム障害

ユナイテッド航空、システム障害で一時運航停止
AFP 2015.07.09

米ユナイテッド航空がコンピューターの故障により一時運航停止となり、朝のラッシュ時の空港は数千人の旅客で混雑した。ユナイテッド航空でこうしたトラブルが起きるのはこの6週間で2度目。



2015年4月1日 トルコ全土で大規模停電
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CNN


それに、何というのか、この2年ほどは、飛行機にしても大型船などにしても、こう「変な事故」みたいなものも多いような気もしないでもないです。

あと、最近は「車がハッキングされて、外から運転をコントロールされる」というようなことが簡単になされてしまうことも露呈しています。

つまり、自分で運転しているのに、第三者がその車を暴走させられたりできるということなのです。


ハッカーは遠隔操作で車を暴走させられる
ニューズウィーク 2015.07.23

乗っ取り可能なことが明らかになって、自動車会社も対策に乗り出した

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運転中に突然ラジオががなり、ワイパーが暴れてエアコンから冷風が吹き出し、ついにはエンスト......。

ハッカーの手にかかれば、離れたところを走行中の自動車も簡単に乗っ取れることが実証実験で確認された。時速70マイル(時速約112キロ)で高速走行中のジープ・チェロキーを止めることもできたのだ。(略)

英シンクタンク・王立国際問題研究所のサイバーセキュリティの専門家、キャロライン・バイロンによると、車のハッキングはさまざまな犯罪に利用される可能性がある。「事故を起こして、ドライバーを殺害することも可能だ。データを盗むこともできる。車の電子機器に記録されたデータには重要な個人情報が含まれるため、被害も深刻になりかねない」



これは、コンピュータによって電子制御されている乗り物「すべて」に同じような脆弱性がある可能性が存在しているということも示します。

世の中の多くのものがコンピュータ制御になればなるほど、実はこういう危うさが常につきまとうわけで、先ほども書きましたけれど、インフラから通信から乗り物から、何から何までコンピュータ制御されている時代の中で、先ほどの NORSE が示しているように、世界では、サイバー攻撃が「絶え間なく」行われ続けている。

もし仮に何らかの「暴走」や「間違い」が起きた時には、実際の戦争など比較にならないほど、強大な破壊をもたらすはずです。

この点から見ると、私たちの今の社会は、

社会システムの完全崩壊に向かうためにコンピュータ化されていった

という意味では、コンピュータ化もまた「新しい世界」の創造のための破壊の役割を持って、この世に生まれた自然良能なのかもしれません。

ちなみに、日本に対してのサイバー攻撃がどれくらい起きているかというと、2014年 1年間で「 256 億件」です。


2014年の日本へのサイバー攻撃関連通信は前年比倍増
IT pro 2015.02.18

情報通信研究機構(NICT)は2015年2月17日、日本の官公庁・企業に対するサイバー攻撃観測・分析のために運用しているシステム「ニクター」の2014年の集計結果を公表した。サイバー攻撃関連通信は2014年に約256億6000万件で、2013年の約128億8000万件からほぼ倍増した。


単純に計算して、

「日本は、毎日 7000万件以上のサイバー攻撃を受けている」

ということになります。

なんかもうすごい時代ですよね。
むしろワクワクしてきます。

では、冒頭のエポック・タイムズの記事をご紹介します。

中国政府が「アメリカ人のデータベース」を作っている中で、ハッカーたちを支援している可能性などについて書かれています。




Recent Cyberattacks Only the Beginning, as State Hackers Target Data on Americans
Epoch Times 2015.08.03


国家ハッカーたちがアメリカ人のデータを狙う中、最近のサイバー攻撃は単に始まりにすぎない


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▲ 2015年7月8日にシステム障害を起こしたユナイテッド航空。


サイバー攻撃の様相に変化の傾向が現れてきている。最近、数千万人単位のアメリカ人の個人情報がハッキングされたが、これは単なる始まりに過ぎないだろう。国家所属のハッカーたちはそのターゲットを変え始めたのだ。

ごく最近になり、ハッカーたちの行動が、中国軍が知的財産や金銭的な利益のためなどに使用することができるアメリカ人の個人データをターゲットにしていることと関係してきていることがわかった。

セキュリティ・サービスをおこなう「トゥルシールド・セキュリティ社」の代表のエリック・ダヴァンスキー氏は、「私たちは、彼らハッカーのターゲットがパラダイム・シフト(劇的な変化)を起こしていることを見ているのです」と述べる。

最近のハッキング被害の中で目立ったものとしては、 2150万人の米国連邦政府職員従業員の人事管理事務所への攻撃がある。ハッカーたちは、その前に、ヘルスケア企業アンセム社から「 8000万人」のアメリカ人の個人情報を盗んだ。

ダヴァンスキー氏は、「ハッカーたちは、サイバー攻撃の傾向を変えたのです。そして、この攻撃が止まるようには思えません」と語る。

メインターゲットは、連邦政府職員の個人情報で、これが頻繁に使用される可能性が高いと氏は言う。

おそらく、中国政府は、ハッカーたちが、スパイ活動の標的とすることができる人たちの個人情報の、より完全なプロファイルを得るための支援をしている。

以前、情報筋が私たちに、中国共産党は、アメリカ人のデータベースを作っている件について話したことがある。

情報源によれば、中国共産党は中国国内のスパイプログラムと同じソフトウェアを使用しており、ほぼすべての中国の商業サービスと警察や諜報機関からアメリカ人に関しての社会信用システムの情報を収集している。



出現パターン

この中国ハッカーグループの最新の目標は、ユナイテッド航空のサイバー攻撃である可能性が出ている。ブルームバーグは、ハッカーたちが乗客のフライトレコードが含まれている飛行データをハッキングしたことを 7月29日に報じた。

ユナイテッド航空は明らかに攻撃を否定し、「憶測に基づいたものであり、私たちは、皆様の個人情報が安全であることをお客様に保証することができます」と声明を出したが、デヴァンスキー氏は、これらの最近の攻撃のいくつかが中国からおこなわれているという非常に強い可能性を指摘する。

デヴァンスキー氏の会社のシステムは、攻撃が中国からやって来たものだという強力な証拠を持つという。

氏は、最近の攻撃は「同じ方向からやって来ており、同じトロイの木馬(悪質なプログラム)が使われている」と言う。その証拠のいくつかは、氏が指摘し、他のセキュリティ研究者によって発見された。

サイバー攻撃は、「サクラ( Sakula )」として知られる既知の特定の遠隔操作されたトロイの木馬が用いられていた。ハッカーたちは、サクラを用いて、感染したコンピュータのコントロール権を奪取することができるのだ。

トロイの木馬「サクラ」は、ディープ・パンダ( Deep Panda )、公理( Axiom )、およびグループ72( Group 72 )を含む中国のいくつかのハッカーたちのグループによって使用されている。

ハッカーグループ「ディープ・パンダ」は、セキュリティ会社クラウド・ストライクス社によって 2014年11月に確認された。このとき、開示されていないアメリカの防衛請負業者、ヘルスケア企業、政府機関、およびテクノロジー企業のリストが被害に遭ったとストライクス社は報告している。

現在、ターゲットになるデータのタイプについて、新たな懸念が浮上している。

それは、政府職員などだけではなく、コンピュータの前にいる一般のすべてのアメリカ人のデータが狙われている可能性があるのだ。

デヴァンスキー氏は、すでに多くのウェブサイトやインターネット・サービス上で、人々は多くの機密データを保持していることを指摘する。

「私たちは、今、私たちが直面している問題への準備がまったくできていないのです」

そして、

「人々に関する個人情報データを持っているあらゆる組織は、今すぐ、ハッキングから防御でき、反応できる能力をつけなければなりません。今すぐにです」

と述べた。