内モンゴルにゴーストタウン建設、686億円投じ人影「ほぼゼロ」
サーチナ 2010年04月02日
写真は、東方熱線より。
内モンゴル自治区オルドス市で5年の歳月を使って建設された、総面積32平方キロメートルの高級住宅地「康巴什」が、「とにかく入居者がいない」として問題視されている。網易新聞が報じた。
オルドス市は内モンゴル自治区南部にある。カシミアや石炭の生産などの産業で、1人当たりのGDPは2007年末に北京や上海を上回った。「康巴什」は主に、富裕層をターゲットに作られた。1戸建ての高級住宅が並び、広い通りも整然と配置された。オフィスビル、行政センター、博物館、映画館、図書館、スポーツ施設も備わっている。プロジェクトには、これまで50億元(約686億円)を投じた。
「100万人の居住圏を創出した」というが、入居者が集まらない。オルドス市周囲には砂漠化した土地も多く、こまめな道路清掃は欠かせない。そのため、「清掃作業員の方が多い」との声が、もっぱら。はるか遠くまで見渡せる大通りに人も自動車もない光景に、「まるで人類滅亡のSF映画」との悪口も。
オルドス市の旧市街地は東勝区(旧東勝市市街地)。行政センターが移転したこともあり、市当局は公務員の「康巴什」への引越しを促すなど、懸命の努力。とりあえず効果は出はじめ、最新の統計では、同地区の人口は2万8600人までに増加。ただし、受け入れ予定人口と比較すれば3%未満だ。現在は閉ざされた門に「物件、売ります」の張り紙があるだけの飲食店なども目立つ。営業を始めたが、商売にならなかったという。
同地区委員会によると、「康巴什」の建設は始まったばかり。最終的には、現在の10倍以上の352平方キロメートルの広さにすると、強気の姿勢を崩さない。東京23区の5割強に相当する“大都市”を建設する、壮大なるプロジェクトだ。
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◆解説◆
オルドス市は、モンゴル民族のまとまった居住地としては唯一、黄河の南側に存在する。本来は部族名で「宮廷の人々」を意味するとされる。
「オルドス」の名は、チンギス・ハンの死後(1162頃−1227年)、生前の宮廷を霊廟として守った集団であることに由来するとされる。元代(1279−1368年)のオルドス部族は現在のモンゴル国北東部のケレルン(ヘレルン)川流域に居住していたが、明代(1368−1644年)には南下して現在の内モンゴル自治区の南西部に達した。
同市内にはチンギス・ハンの霊廟があるが、遺体が眠っているわけではない。