2010年09月28日



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「私は死者に衝き動かされている」: 1万人の死者の検死を手がけたタイの法医学者ポーンティップ博士の生涯と展望



(訳者注) 2007年の比較的古いニュースですが、とても感動しましたので、訳しました。わりと長いです。


Thailand's 'Doctor Death' transforms police work
ABC ニュース 2007.12.03

タイの「死のドクター」が警察に変化をもたらす

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・「ドクター・デス」ことタイの法医学者ポーンティップ博士。2004年のスマトラ地震の津波災害では世界で最大の検死活動を行った。


タイの法医学の第一人者であるポーンティップ・ロジャナスナン氏は、30年のキャリアを持ち、その間に10,000体以上の死体を検死した。彼女は、死者たちの魂たちが彼女の守護天使となっていると信じていると語った。

「死者の魂が私を守っているのです」と、ポーンティップ博士は言う。彼女はタイで、「ドクター・デス(死の博士)」として知られている。

深紅の口紅とマルチカラーに染めたヘアスタイルを持つポーンティップ博士は、彼女が死者の魂たちの意志に導かれて、これまで、警察のいじめと死の脅迫に耐え続けてきたという。

今年52歳になるポーンティップ博士は、死者の魂を「彼ら」と呼び、そして、こう言った。

「彼ら死者の魂は、私に2つのことを遂行することを望んでいます。まず最初に、タイの法医学が改善することを望んでいる。そして、第2に彼ら魂は、タイの行方不明者のための研究所を設置することを望んでいます」。

ポーンティップ博士は、通常の何千もの死体の検死に加え、2004年のスマトラ大地震の津波の悲劇の際に大規模な法医学活動を率いた。

また、ポーンティップ博士は、タイでの犯罪捜査に DNA 鑑定を初めて導入した人物だ。彼女は、タイでの男性優位的な犯罪に対しての司法機関を設立した。しかし、この非常にパワフルな職業はこれまで過小評価されてきた。

タイには、検死結果に疑問を呈し、メディアに登場する医者たちの存在があるが、それらの人がタイでの捜査活動に大きな影響を与える。それにより、彼女は、今までいやがらせやイジメ、あるいは、訴訟の対象となってきた。

「警察は、私のことが好きではありません。私のことを悪く言ったりと、いろいろです。多分、彼ら警察は科学捜査が警察のパワーを削ぐと考えていて、そういう対象として私は見られているようです」と、ポーンティップ博士は言う。


当局との闘い

例えば、警察が科学調査を嫌っている例として、博士は3年前に起きたある事件のことを語った。その事件は、妻を殺した疑いのあった男性が、自宅で5発の銃弾を撃ち込まれて死亡していた事件だった。

警察は彼が自殺したとした。しかし、ポーンティップ博士はその意見に反対した。

「現場には自殺としての整合性は見つかりませんでした。血液が飛び散った位置とパターン、そして、そこに対しての被害者の銃の位置は、それが殺人であることを示していました」と博士は言った。

ポーンティップ博士はテレビで警官の説明を否定したが、直後に彼女は上級警官から「単に有名になりたいだけだ」と告訴され、警官たちの軽蔑と嘲笑の対象とさせられた。

「私が欲しいのは真実だけです。そして、市民の人たちにも現在のタイの刑事司法制度を考えてもらいたい」と博士は言う。

タイの法廷は、その事件が殺人であるという決定を下した。しかし、その結果にも関わらず、法廷はタイ警察のポーンティップ博士に対しての名誉毀損の告訴を棄却しなかった。

彼女がこれまでにもっとも困難を経験した例としては、 1999年に起きた事件がある。タイで有名だった富裕層の議員ハントーン・タマワッタナ氏が、彼の弟のベッドルームで右手に銃を持って死んでいた事件だった。

警察は、ハントーン氏が自殺したと発表した。しかし、ポーンティップ博士の検死報告によって、ハントーン氏が銃で撃たれただけではなく、硬い物で頭を殴られていたかもしれないことが判明した。

「遺体の位置、血液の飛び散った痕跡のパターン、そして、彼の持っていた銃の位置はすべて、これが殺人であることを示していました」と博士は言う。

ハントーン事件の調査の中で、ポーンティップ博士は、彼女が事件の捜査から手を引かないと「明日の朝にお前は死んでいる」という死の脅迫を受けた。しかし、ポーンティップ博士は、降参しなかった。ちなみに、彼女は、甲状腺ガンと大腸ガンの2つのガンとの闘病を経験して、助かった経験を持つ。

「父は、私に強くあれと教えました」と彼女は言った。彼女の両親は父母共に科学者だった。

ハントーン事件では、その後、ハントーン議員の弟に殺人の容疑がかけられたが、9月に行われた刑事裁判での評決で彼は無罪で釈放されたと、タイの新聞で報じられた。


注目を集めだした博士の貢献

2002年、ポーンティップ博士は、タイ政府に、法科学へ真摯に取り組むことを目的とした法医学研究所の設立を強く提唱した。

2003年、タイのプーミポン国王は、彼女の長年に渡るマヒドール大学病院での教育と彼女の公共事業に対しての労力に対して表彰した。

しかし、2004年12月のスマトラ地震での津波災害の際には、彼女に対して、前例のない法医学活動を一切させなかったと博士は言う。

インド洋の津波がアンダマン海岸に沿って、プーケットや他のタイのリゾート地を襲い、およそ 5,400人の人々が亡くなった。そのうちの半分は休暇で訪れていた外国人だった。ポーンティップ博士はただちに現場に急行し、死者の身元確認にあたった。そして、この作業はこれまでの世界での最大の検死作業となった。

「私は助けたかった。しかし、事前の調整が何もなく、難しかった」。

「津波から学んだもっとも重要な知見は、我々が大規模な自然災害を受けた際には、様々な政府機関と協調して行動することのできる特別な組織の必要性でした」とポーンティップ博士は言った。


DNA データベースの導入

ポーンティップ博士は、現在は当局とイスラム教徒の抗争が続いているタイ南部に活動拠点を置いている。そこでは、2004年1月から毎日のように続いている銃撃や爆弾によって何千人もの人々が亡くなっている。

仏教徒が中心であるタイでは、マレーシアに接している地域で分離主義者を生み出し、暴力が再燃している。

「タイ南部には問題が多い。まるで戦争のようです。私はこの国を何とか助けたい」とポーンティップ博士は言う。

博士は、容疑者と犠牲者の身元特定のために南部の自治体で DNA のデータベースの作成を手がけた。彼女の法医学チームが多くの場合は、軍隊と共に活動している。警察はほとんど協力しないという。

「上級警官は、役人たちに私と会話をしないように命令しました。しかし、誰にも私の活動を止めることはできないのです」

また、彼女は、イスラム学校の教師と生徒からも DNA のサンプルを集めた、これは、イスラム学校の人たちが犯罪者として間違って訴えられた場合の証拠とするためだ。

博士は、銀行家の夫との間に 15歳になる一人娘を持っている。

「娘は私がタイ南部で働いていることを快く思っていません。私の安全を心配しています。」


意志はまだ熱く

しかし、ポーンティップ博士には最大の目的がある。それは、タイに行方不明者のための国立協会を立ち上げることだ。

「この組織を作ることは、私の次のゴールです。また、これは私と共にいる死者の魂の第2の願望なのです」と彼女が言った。

タイでは毎年、何百もの身元不明の死体が見つかる。タイ南部と、ミャンマーに接した北部では特に多いと博士は言う。

「この5年から10年、これらの未確認死体のほとんどすべてが調査なしで焼却処理されています。私はそれを止めさせたい」と彼女は言う。

彼女は人生で、生きている人間よりも多く死んだ人間と会っている。そして、ポーンティップ博士は、死者からとても多くのことを学んだという。

「私たち人間は自分の命をコントロールすることはできません。だからこそ、私はいつも幸せでありたいと思っています」と彼女は言った。