
▲ 12月09日に黒点と磁気フィラメントによってできた「顔」。

▲ アステカ神話の太陽神トナティウ。神話では現在の太陽そのものの存在で、この神の舌(黒曜石のナイフ)が宇宙を形作る4つの要素と一致する時、現在の第5の太陽滅亡の日となるのだそう。その日はアステカ文明の暦では2011年12月24日。
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(筆者注) 今回は訳記事ではないです。
12月09日に書きました記事「「太陽が笑った」: 目は黒点で口は磁気フィラメント」は、このタイトル通りに、黒点と磁気フィラメントによって太陽の表面に顔のようなものが出たという話でした。その時にはそれだけの話で、だからどうしたというような展開ではなかったです。
その後、記事を読まれた方からメールをいただきました。
「あの顔はトナティウと似ている」と。
・・・トナティウ・・・。
うーむ、知らない。
最近だけじゃないですが、とにかく私は何も知らないので(実は極めて詳しく知っているジャンルを持ってはいるんですが、そのジャンルは一般にはまるで役に立たないものであります)、何でもかんでも初耳のことが多く、それだけに翻訳にしろ何にしろいろいろと知ることができるのは楽しいことです。昔書いたことがあるのですが、「無知の快感」というのがあって、知らないことを知っていく快感はかなりのもので、中毒性があります。
そういうわけで、今回、トナティウについて調べてみますと、これがなかなか印象深い話でしたので、少し書いておこうと思いました。簡単にいうと、トナティウというのはアステカ神話に出てくる太陽神のことで、「現在の太陽そのもの」なのだそう。
神精妖名辞典より抜粋。
トナティウ
メソアメリカ中央部における太陽神。
トナティウは生命の供給者であり、神話の中で五回変わった太陽のうち現在天上にある第五の太陽そのものであり、アステカの20ある暦日の19日目であるキアウィトル(雨)の守護神であり、さらにトナルテウクティン(夜の神々)の4番目でもある。
トラルテクートリやウィツィロポチトリと同様に人間の生贄を頻繁に要求する神であり、多くの心臓と血がこの神に捧げられた。
またトナティウ自身もテクシステカトルとナナウトツィンの犠牲によって生まれた神である。生まれたトナティウ=第五の太陽はそのままでは動かず、生贄の血を要求した。これをなだめるために神々はケツァルコアトルを呼び、彼の黒曜石のナイフで自分達の心臓を取り出させた。
アステカ文明などについて何か一気に分かるのはないのかなと、さらに探していたましたら、雑誌「ムー」の「アステカ・カレンダー」特集ページをそのままアップしてくれているページがありました。
アステカのカレンダーは中心に今回の話題の太陽神トナティウが描かれているもので、マヤカレンダーなどと同じように数十億年前の地球誕生から第7の時代が終わり、人類が進化するところまでが描かれているのだそう。
下の抜粋記事はムー NO.15 「総力特集=大洪水伝説と地球大異変の驚異」という刊からのもので、発行されたのは何と1982年2月。30年近く前です。
元記事はかなり長く、要点だけを抜粋して編集しましたので、全文をお読みになりたい方は下のリンクからお読み下さい。
太陽の石アステックカレンダーを解読する
学研ムー 1982年02月
5つの時代と進化を表す“太陽の石”
アステカの遺跡は、スペイン人の侵略によって破壊され、わずかに残っているだけだが、その中で最も貴重とされるのは、1790年12月17日に発掘されて以来、「科学への桃戦」と呼ばれている大陽の石、アステックカレンダーである。

調査研究の対象として重要なものの一つであり、多くのスペシャリストたちがカレンダーや古代文明の文献、天文学的データ等と比較研究しているが、それから得られるインフォメーションや予言などは、実に現代に起こる数々の出来事と驚くほど一致している。
点と線で表す彼らの数学は、近代的なコンピュータやそろばんとよく比較されるが、アステカ宇宙起源論(コスモゴニー)でいう、数十億年前の地球誕生までさかのぼることを可能にする。
このカレンダーの計算は、9つのおもな輪に分け、それらを回してコンピュータで答えを出す方法で行われる。まず、巨大な石の中央部には、地球の誕生から5つの太陽(時代)とその進化が表されている。中心にある円は現在の時代を示す第5の太陽であり、その周囲に第1、第2、第3、第4の太陽が表現されている。
それぞれの惑星は、動物や植物と同じように、生まれ、育ち、老い、そして死にいたる。たとえば月は死んだ惑星であることは、すでに証明ずみのことである。
アステックカレンダーには、地球の7つの太陽(時代)以後のプロセスまで表されている。

太陽神トナティウの舌が語る各エポック
アステックカレンダーの中心にあるのは、第5の太陽であると同時に、太陽神トナティウである。
この中心の太陽神は、天文学的見地ばかりでなく、哲学的見地からみても、人生の中心は、人生の目的はこの太陽人間になることであり、その周囲のものは、すべてそのための手段として使われるという意味に解釈できる。
中心の太陽神は舌を出している。黒曜石のナイフと呼ばれるこの舌は、「言葉」すなわち「創造の言葉」を表す。太陽神の左右にはワシの爪につかまれた心臓があるが、これは純粋な愛による犠牲の意味である。
太陽神の回りにある4つの太陽は、それぞれジャガー、土の象徴、第1の太陽、風・火・水という、宇宙を形づくる4つの要素の表現でもある。そしてこの4つの要素は常に動き続け、4の運動(ナウイオリン)を表すわけである。
さて、第1の太陽はジャガーのシンボル、オセロトナティウであるが、古文書や文献にあるアステカ神話によると、この第1の太陽の子どもたちは、ジャガーに食べられてしまったという。地理的な位置としては、現在の南極および北極にある。
地球の軸の変化とともに大異変が起こり、新しい時代が始まる。風の神、エヘカトルトナティウで表される第2の太陽。この時代の人類は、男女両性(アンドロギヌス)の形をとり、ちょうと細胞分裂と同じ方法で生殖再生を行った。地理的には今日のグリーンランド、北極付近の半円状地域にあたる。
各時代は、地球の軸の変化とともに起きる大異変によって終わるが、一部の人類考古学者たちの説によると、1つの太陽(時代)は、1天体年にあたるという。すなわち、地球が太陽の回りを1周するのが365日の1地球年、それと同時にわれわれの太陽系宇宙も天空を1周するわけだが、天空の 12の星座を1周する約 2万6000年を1天体年という。
レムリアとアトランチスの滅亡
第2の太陽滅亡後、新しく生まれた第3の太陽は、レムリア、すなわちムー大陸の時代。地理的には、現在のオーストラリア、オセアニア、イースター島を含めた南太平洋地域、南アフリカなどに位置する。
このムー大陸の住民は巨人だったといわれる。またこの巨大なレムリア人は、両性具有(ハーマフロダイト)であったといわれ、男女両性とちがって、子孫をふやすためには2人の協力が必要となってくる。どちらの子宮に子を宿すかを決めなけれ
ばならない。そして、レムリア時代後期には、創世紀のアダムとイヴに表現される生の分離が起こることになる。
レムリアは、火のシンボル、キアウトナティウで象徴され、文字どおり火の雨によって滅亡したと伝えられる。
第4の太陽は、水の大陽、アトナティウ。現在の大西洋の大部分を占めていたといわれ、北はアゾレス群島から南はブラジルにまでおよぶ。その名はアトランティス大陸。
このアトランティス大陸は、何度か地震をともなった大洪水にみまわれ、島々は海の底へと沈んでいった。そして最期に残ったのがポセイドン島、ギリシアの哲学者プラトンがその書の中で鮮明に述べている、アトランチス大陸の中で最期に残った島である。
水の太陽に示されるとおり、このアトランティス大陸は、海の底に沈んでしまったが、それはマヤの聖なる書「ポポル・ヴフ」にも記されている。世界各地に残る伝説や聖書の大洪水、ノアの箱船に示される時代である。
第5の太陽滅亡の日 2011年12月24日
第5の太陽は、中央のトナティウ。われわれの現在住むこの時代である。身長ののサイズが1メートル50センチから80センチであるわれわれは、地球誕生以来、最も背の低い人類と言えよう。
この第5の太陽の初期黄金時代には、自然、科学、芸術、宗教が完全に調和のとれたすばらしい時代であった、と古文書(コデックス)に記されている。
その文明は頂点へ達したが、神々の都テオティワカンやユカタン半島、、グアテマラのマヤ地域の住民たちはなぜか消えてしまった。古文書は次のように続く。
赤と黒の墨の人々(古文書は大部分、赤と黒の墨で書かれたことから、英知を持つ人の意)が行ってしまうとこの星は無知と暗闇で満たされ、退廃の歴史が始まった。人身御供が行われ始め、戦争は世界各地で絶えることなく続き、空気や環境は汚染され、そして現在の黙示録的住民時代にまで至る。
アステックカレンダーの中心の現在の太陽がさし示す舌、つまり針となる黒曜石のナイフが、宇宙を形作る4つの要素すなわち4の運動と一致する時、いよいよこの第5の太陽滅亡の日となるのである。その日は2011年12月24日。
われわれ第5の人類最期の日である。
(筆者注) これら古代のメソアメリカ文明は、現在でのメキシコを中心とした中南米に発展したもので、 Wikipedia からだけでも、これだけあります。
・オルメカ文明
・テオティワカン文明
・マヤ文明
・トルテカ文明
・サポテカ文明
・ミシュテカ文明
・タラスカ王国
・アステカ帝国
そして、このハイレベルの文明を誇った現在のメキシコの状況は、以前書いた下の記事に少し現れていると思います。
・メキシコの殺し屋へのインタビュー (2010年11月25日)