2011年01月07日



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この世の終わりをみんなで考える新年



昨年来の海外の、特に米国の BBS を見ていますと、明らかに「終末的なニュースには目をギラギラと輝かせる人たちがいる」ということがわかります。私も大差ない人間ですけれど。

で、今回の鳥と魚の大量死(その後も続いていて、今度は、WWF イタリア支部報告のファエンツァで大規模な鳩の大量死のニュースなども)でも、

「これってこの世の終わりでは?」

と、ギラギラとした書き込みが散見されます。
「絶望の中の希望」、あるいはその逆。
そういう意志がいろんなところに見え隠れします。

今回ご紹介するものはそういうもののひとつで、米国の BBS にあった「これは世界の終わりなのか?」というタイトルの投稿で、最近のニュースの羅列だけでも読む価値があります。


余談:終末と無常

ところで、「終末とは何か」という問題に関して、難しいことや論争はともかく、私のもっとも納得のいくひとつの「終末の真実」としては、現代のキリスト教神学においてもっとも偉大な神学者のひとりとして数えられるカール・バルトという人の 1919年頃に著作で示した「終末は既に神によってもたらされている」という認識です。聖書では「終末にキリストは現れない」し、そもそも触れられていない。遅延しているとすれば、それはキリストの再臨ではなく、

我々の覚醒が遅延している

と。

つまり、ひとつの神学では、私たち人類が覚醒した時が終末ということのようです。
人類が死ぬとか死なないとか地球や宇宙がどうなるとかは関係ありません。
覚醒した時がすなわち終末。
これがもっともわかりやすくて、好きな終末論のひとつです。
もっといえば、お釈迦様などは、

 > 時間に終わりがあるか、ないかという問いに対し、意味のない議論であるとして「答えない」という態度をとっている

のだそうで(Wikipediaによる)、さらなる大物ぶりを見せていたりもします。思えば、私の好きなパンスペルミア説研究の第一人者だった故フレッド・ホイル博士は晩年、お釈迦様の思想にずいぶんとはまっていました。
昔、ホイル博士の著作「生命はどこからきたか」から書き写したものがあります。

(ここから転載)

(「科学は、ユダヤ - キリスト教の世界観によって徹底的に曲げられ貶められてきた」として、続いての記述です。)


-- 「生命はどこからきたか」 第十五章の最終ページより --

 しかしながら現代の科学者はもはやキリスト教の独占状態ではない。われわれは非キリスト教的起源を持つ科学的、技術的文化の急速な出現を日本や東アジア地域に目の当たりにしている。

 これら新しい文化が影響力を持って広がり成長していくとき、何がそうさせるのかと思うだろう。日本では重要な文化的影響力を持つ仏教は寛大で比較的教義に拘束されない。ゴータマ・ブッダは真実を見いだすことの重要性を強調した。彼の弟子に対する教えが墓碑に刻まれている。

「自分に忠実に生きなさい。真実の光をともし続けよ。真実においてのみ拒否しなさい。あなたの隣の誰かのために拒否するのではない。今、この先、生きる人々が知を望むなら偉大な達成が得られるだろう」(「マハパリニッチ・スッタ」 No.16)

 これは現在でも将来有望な若い科学者への良い助言となる。紀元前六世紀に、ブッダの世界観はすでにコペルニクス革命以後に入っていた。彼は宇宙が、各々がわれわれの惑星系と似た数十億の ”小さな宇宙” から成り立っていると記している。ブッダの対話形式になっている古い仏教の教典のなかに無限の宇宙について述べられている。

「無数の太陽、無数の月、・・・、無数のジャムブディパス、無数のアパラゴヤナス、無数のウッタラクラス、無数のブッダビデバス」

 ジャムブディパスとは当時の北インドの人々が知る限りの人の住んでいる地域を表す単語である。この対話から、ブッダが生命と意識(彼はすべての生命に意識があると考えていた)を宇宙的表現 -- 宇宙の構造に全体として結びついていて別々にできないものと捉えていたことは充分に明らかである。

 古代の伝統的仏教は数多くの点でわれわれがこの本で議論した方向へのコペルニクス革命を発展させるのに適した考え方であると思われる。もしそうした考え方が広がれば、少なくとも中世の足かせから解放された科学となるだろう。


(転載ここまで)


あるいは、私たち日本人は、幼い頃に「方丈記」なんてのも習っています。しかも教師から「覚えろ」と言われたりした記憶があります。


行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。


こんな概念を教わった民族が現在の世の終わりごときを恐れるのはおかしいようにも最近は思います。「行く川のながれ」には磁場も磁極も太陽系も銀河系も生命存在も含まれるでしょう。素晴らしい日本文学。

ずいぶんと前置きが長くなってしまって、申し訳ありません。
さて、本文です。
ちなみに、下の記事を書いた人はアメリカ人です。

文集のリンクは全部オリジナルのままですので、すべて英語記事ですが、すべての事件をリンクしてくれていますので、事件ファイルとして役に立ちそうです。





Is This the End of the World?
Before It's News 2011.01.06

これはこの世の終わりなのかい?

新しい年を迎えたけれど、そりゃひどいもんだ。
鳥は死ぬ、魚は死ぬ、カニは死ぬ。
それに洪水だわ、凍結だわで気候もムチャクチャ。
あと、前米国副大統領のゾンビなんてのも出てきてるわな。

まあしかし、これをいったん置いておいて、今年がどれだけひどい年になるかを考えてみたよ。

◎ 鳥がこの1週間で各地でバタバタと死んでいる。最初はアーカンソー、次にルイジアナで真似した鳥がバッタバタと死んでった。今は、テキサス東部からケンタッキーに次のお亡くなりさんたちが集結中だ。

birds.jpg


◎ 魚も死んでる。しかも、大量だ。まず、神の天罰が下ったかのようにルイジアナで大量死。そうしたら、悪魔もフロリダで頑張っちゃって。でも、大量死なんてのは普通のことなんだよ。

fish-us.jpg

(訳者注) 上の「大量死なんてのは普通のこと」のリンク先にあるグラフ。「1960年から2010年までの世界での鳥の大量死報道」の数です。

bird_death-s.png



◎ 数日前にイギリスではカニが 40,000匹死んで打ち上げられた。水が冷たくすぎて、カニたちは低体温症で死んだらしい。

crabs-uk.jpg


◎ オーストラリアのひどい洪水は、たくさんの毒ヘビとワニを国中に拡大させることになった。これらは生きているままオーストラリアのあちこちに広がっている。

crocodile.jpg


◎ カナダじゃ川がグリーンになっちまった。

river.jpg


◎ マルハナバチはいなくなってしまった

bee.jpg


◎ サンフランシスコじゃ、車椅子に乗った人が警官に撃たれた

POLICE-SHOOTING.jpg


◎ それに何だかすごい寒いんだよ。月曜にはロサンゼルスで雪が降ったんだぜ。ラスベガスでも雪!

◎ ああ、ニュースを見てみなよ。また魚が死んでら。それも大量に。


--
参考資料:

(訳者注) 厳密には資料ではないですが、上の前置きで、鴨長明の「無常」という概念と、また

 > 「絶望の中の希望」、あるいはその逆。

ということを書いて、ふと思い出したのですが、中国の歌手、王菲(フェイ・ウォン)の歌に「無常」(1996年 中国)という歌があり、その中に、まさに「喜びの中の絶望」というフレーズがあります。

歌詞の最後は「把希望留給失望」という歌詞で、これは「これは失望のための希望なのかも」というような意味です。
下に日本語で歌詞を書きました。作詞はフェイ・ウォン本人によるものです。

無常



歌詞(訳は私による適当な気分的な訳です)

無常/作詞・作曲・編曲:王菲

夜風がかすかに涼しい
木が月光の中で揺れている
小さな何かが空を舞っている
そして私がここにいる

水の流れ
いい花の香りがして
一面の夜の景色がとても気持ちいい

喜びの中には憂いもある
陰があってこそ光がある
その度合いは誰にもわからないの

野や山や丘
美しい
でも美しさの中に凄みがあるのを知ってる

無常
この世のすべては常に変わる

あなたはあの山の色に染まった湖の光を見ている
そして あの青空の白楊の木を見ている
ひたすらに茫然としているあなた

あなたは青空の青い波を見ている
そして 夕焼けの光を見ている
慌ただしく見ているあなた

これは失望のための希望なのかも