2011年02月11日



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パンデミックの新たな段階?: 中国・北京での H1N1 新型インフルエンザの死亡率が2%に達した件について当局が懸命に否定



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北京市衛生局が公表した「新型インフルエンザ(H1N1)の死亡率が2%に達していることを示していることに懸念を抱いた市民への質問に、当局が「死亡率はそんなに高くないし、爆発的流行の徴候もない」と述べたという記事です。

このニュースを紹介したのは「ちょっとしたこわさ」が文章の中に散りばめられていたからです。

私がこのニュースの中でもっとも怖かったのは、2%という数値ではなく(高いにしろ低いにしろ、いい加減であることは確かだと思いますので)、北京市の衛生局副主任が、市民を安心させるために言ったのだと思う、この言葉です。

「感染状況は昨年よりはるかに低い」

という言葉。

これを読んで、「ああ、これは1920年のスペイン風邪の時と似ている」と漠然と思ったのでした。
2年くらい前だったか、資料として記したことがあるスペイン風邪の記事からの「日本での」感染状況のデータの抜粋です。

1918年の第一回目の流行では、日本国民の約半分(人口 5500万人のうちの 2100万人)が新型インフルエンザに感染しました。


東京都健康安全研究センター年報の日本におけるスペインかぜの精密分析より

流行期間は1918年から1920年

死亡者数

流行期間は2年間で2回あり、それぞれの患者数と死亡者数(当時の日本の人口は約5500万人)。

1回目の流行(1918年8月から1919年7月)
患者数21,168,398名,死亡者数257,363名,対患者死亡率1.22%
(およそで患者数2100万人、死亡者数25万人)

2回目の流行(1919年8月から1920年7月)
患者数2,412,097名,死亡者数127,666名,対患者死亡率5.29%
(およそで患者数240万人、死亡者数12万人)

2回目の流行で死亡率が飛躍的にアップしていますが、「流行性感冒」というところからの引き合いでは「患者數ハ前流行ニ比シ約其ノ十分ノ一ニ過キサルモ其病性ハ遙ニ猛烈ニシテ」という記述があり、つまり「患者数は少なかったけれど、症状がはるかに重くなっていた」ということらしいです。




スペイン風邪の時は「次の年に毒性が大幅にアップして」戻ってきています。
ただ、感染者数は大幅に減っており、これは(推定では)前年に感染した人(症状が軽く済んだ等などの人)が免疫をつけたためだと思われます。

あと、こわいというか何というか、記事の

 > 昨年、北京市は約170万人に新型インフルエンザワクチンを接種した。

にも、いろいろと思うところはあります。
現在、北京では感染が拡大局面。
ワクチンの効果は・・・。

ただ、ワクチンに関しての効果は賛否いろいろありますので、ふれるつもりはありません。


上のクレアの記事は参考資料として記事の下に全文抜粋しておきます。

現時点では、新型はそんなに心配することではないと思うのですが(それもわからないですが)、先日、「エジプトの混乱でもっとも恐れること : H5N1患者の拡大の中での100万人集会 (2011年02月03日)」というもので記事にしました鳥インフルエンザ(H5N1)も決して遠い将来のことではないと考えていますので、複合でパンデミックが発生したら、ちょっと厄介かなと。

あ!  そういえば、1918年から1920年のスペイン風邪の大流行の時に、記録で残っている中では、ほぼ唯一、スペイン風邪による死者を出さなかった療養所があったんですよ。

いつだったか、書いたような、書こうとしてヤメたような・・・あやふやなんですが、それはコーンフレークで有名な米国の19世紀の医学博士のケロッグ博士(ウィキペディア)のサナトリウムです。彼のサナトリウムは、感染者多数の中で、死者を一名も出さなかったはずです。薬や対象治療をいっさい行わず、「ひたすら汗と便を出し続ける」療法でした。

もし書いたのが見つかったらアップしてみますね。
サイトカイン・ストーム(インフルエンザ治療で致死に至りやすい)なんかを考えると、ケロッグ博士の「治療しない」という治療法は興味深い療法です。




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中広網 2011年02月10日

北京当局は新型インフルエンザの死亡率が2%に達したことを否定し、大規模な流行にはならないと語った

2月9日、北京の衛生局は、インフルエンザに関しての数値を公表した。

今年の初めから、H1N1 新型インフルエンザの症例が 195例報告されており、このうち、4例が死亡したと発表した。

これを見た報道陣から質問が出た。

「この当局公表の数値を見る限りでは、北京での新型インフルエンザ死亡率は2%に近いのではないか?」と。

この点については、北京の伝染病管理局はこのように答えた。

「この患者の数値には、市の統計管理方法により、B型インフルエンザなどの患者で、新型インフルエンザの特定ができない場合が含まれており、実際の新型インフルエンザの患者数は195人よりかなり多いと思われる。なので、死亡率は2%より低くなるはずだ」。


死亡率の2%は「数え間違い」

北京市の衛生局が発表した2月8日のデータでは、今年の始めからの H1N1 の新型インフルエンザの確定診断が下された患者数を 195とし、そのうちの4名が亡くなったと報告している。

死亡したすべての患者は春節(中国の旧正月)の期間中に死亡した。

このデータを見て、恐怖を感じる読者の方もいるかもしれない。
何しろ、200人のうち4人が亡くなったというのは、「死亡率2%」という非常に高い致死率を示しているように見えるからだ。

「新型インフルエンザのパンデミックの新しいラウンドが始まるのではないのか」と思われる方もいるかもしれない。


これに関しては、北京市の衛生当局の副主任が、計算の表示上の問題を正式に述べており、現在のインフルエンザの統計の取り方では正確な死亡率を計算することはできないという。

新型と旧型のそれぞれのインフルエンザの症状と風邪などでの診断が混同する中で、今回の数値はひとつの小さな例に過ぎないという。

正確な死亡率は現時点では計算できないというが、しかし、インフルエンザの流行状況は昨年よりはるかに低いという。


新型インフルエンザの大規模な流行は考えられない

衛生当局は、「今年の北京市での新型の流行のメインは、 H1N1 と共に H3N2 がベースだが、市でインフルエンザの症状を訴える患者の数は、1月中旬以降、春節を契機に跳ね上がっている」と述べる。

患者の遺伝子配列から新型インフルエンザウイルスが確認されているが、ウイルスの突然変異はまだ発見されていない。

昨年、北京市は約170万人に新型インフルエンザワクチンを接種した。







関連資料


1918年の死のインフルエンザ
クレアなひととき 2009年4月27日

日経BPの2006年の記事に多くの若者を殺した「パンデミック」の真実というのがあります。これは本の紹介記事ですが、この中に、1918年のウイルスを「死のインフルエンザウイルス」と表現している部分があって、「ああ、これはいい表現だなあ」と思いました。

鳥インフルエンザだの豚インフルエンザだのパンデミックだのはどうも本質的な実感が湧かない感じがしないでもないです。

さて、発生してしまったものはもう仕方ないとしても、今起きていることがパンデミックだった場合、これからワタシたちはどの程度の規模と期間の付き合いとなるのか。

最近の新型インフルエンザの流行の中では一番近いように素人目に見える1918年のスペイン風邪をもう一度調べてみると、結局、スペイン風邪のことについてはまだよくわかっていないという事実に行き着きます。

原因等もですが、何より被害の状況が不明な部分が多い。

やはり第一次大戦中ということで、各国は「自国の被害状況」をひたすら隠していたようで(これは戦時中では仕方ないことかもしれません)、そのまま現在に至っているようです。

発生源からして書いてあるものによってバラバラで、アメリカ、中国、アフリカ、インド、フランスと様々で、今でも断定されてはいない模様です。

病原体がA/H1N1型だと判明したのも、鳥インフルエンザに由来するものだったと推定されるとされたのも、こちらによると、つい最近の1997年のことらしいです。

また、症状については、2007年にサルでスペイン風邪を再現する実験を日本の東京大学医科学研究所がやっていますが(サルも災難ですが)、通常のインフルエンザと違うのは、「肺への強烈な影響」という点のようです。

これは発生当時の米軍の記録にも咳や吐血が全体的に見られたそうで、肺炎や重い気管支炎など、肺が直接ダメージを受けることを示しているようです。

予防方法はないわけなので、治療は肺炎への対症療法ということなのかもしれません。
この分野は日本でもよく進んでいるであろうジャンルなので、確かに現段階の先進国では、それほど今回のインフルエンザは恐れるものではないのかもしれません。ただし、先にも書きましたが、その医療態勢がない国と地域では厳しいことになるかもしれません。


どうして青年層の死亡者数が多いのか

スペイン風邪で特徴的なのは、「死亡年齢層の偏り」で、通常のインフルエンザの場合は、老人や乳幼児など体力の弱いほうが危険にさらされやすい傾向があるのですが、スペイン風邪では、「20代と30代が多く死ぬ」という状況となっていたようです。

これが一番の不思議というか、解せない点なのですが、これについても理由ははっきりとは断定できていないようです。

一般的にはサイトカイン・ストーム(サイトカインというのはホルモンみたいなもの)という免疫の仕組みで「そうなるのじゃないか」ということらしいですが、確定されているものではありません。謎は謎だと思われます。

まあ、しかし、原因はともかく、1918年のスペイン風邪の時にこの二十代三十代が集中的に死亡したというのは事実ではあります。


「日本におけるスペインかぜの精密分析」よりわかること

1918年の新型インフルエンザの流行に関して、東京都健康安全研究センター年報の日本におけるスペインかぜの精密分析に当時の状況を知るのにとても参考になるデータが記されています。
当時の日本でのスペイン風邪の流行に関するデータです。


流行期間は1918年から1920年

死亡者数

1918年 男子34,488名,女子35,336名
1919年 男子21,415名,女子20,571名
1920年 男子53,555名,女子54,873名

となっています。
男女の死亡率はほぼ同じのようです。

流行期間は2年間で2回あり、それぞれの患者数と死亡者数は、(当時の日本の人口は約5500万人)

1回目の流行(1918年8月から1919年7月)
患者数21,168,398名,死亡者数257,363名,対患者死亡率1.22%
(およそで患者数2100万人、死亡者数25万人)

2回目の流行(1919年8月から1920年7月)
患者数2,412,097名,死亡者数127,666名,対患者死亡率5.29%
(およそで患者数240万人、死亡者数12万人)

2回目の流行で死亡率が飛躍的にアップしていますが、「流行性感冒」というところからの引き合いでは「患者數ハ前流行ニ比シ約其ノ十分ノ一ニ過キサルモ其病性ハ遙ニ猛烈ニシテ」という記述があり、つまり「患者数は少なかったけれど、症状がはるかに重くなっていた」ということらしいです。

多分、1年のうちのウイルスの「進化」だと思われます。


死亡者年齢の分布

興味深いのは年齢の分布で、男子と女子では若干違うのですが、

男子
1917-19年 21-23歳の年齢域で死亡者数のピーク
1920-22年 33-35歳の年齢域で死亡者数のピーク

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女子
1917-19年 24-26歳の年齢域で死亡者数のピーク
1920-22年 24-26歳の年齢域で死亡者数のピーク

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となっています。

どうしてかはわかりようがないですが、前述したサイトカイン・ストームというのも関係しているのかもしれません。

いずれにしても、今回のインフルエンザが似たようなタイプのものだった場合、二十代を中心とした青年層に被害が集まるということも考えられるのかもしれません。

また、地域の流行の広がり方の地図もあり、これは実際にサイトでご覧いただいた方がわかりやすいと思いますが、強烈です。

たとえば、1918年10月から11月のたった1カ月。
茶色になればなるほど死亡者数が多いと言うことです。

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10月に九州で患者が確認された時には他のほとんどの地域は青(死亡者がほとんどいない)か緑(32人から64人)だったものが、翌月の11月にはほぼ日本列島の全域が茶色(死亡者2048人以上)や濃い茶(死亡者4096人以上)になっています。

絶望的な感染力の強さを示しているような気がします。
当時より人口が密集していて流通の発達している現在では、これはかなり脅威的に見える分布図です。



1918年のアメリカでは


アメリカも感染者と死者について比較的詳しい数字が残されているようです。こちらのサイトによると、こういう記録があるようです。

1918年8月 ボストンで患者60人
1918年9月 ボストンで63人死亡、ハーバード大学で5000人が発症、マサチューセッツ州で非常事態宣言
1918年10月 この月だけでアメリカでは195000人がインフルエンザにかかったとされる。
10月2日 ボストンで202人死亡
10月6日 フィラデルフィア市で289人が死亡
10月15日 ニューヨークで851人死亡
1918年11月 11月21日までにサンフランシスコで2122人が死亡したと発表

結局、アメリカでは85万人がスペイン風邪で亡くなりました。

そんなわけで、「1918年のスペイン風邪」のことについて少し調べてみました。今回のインフルエンザはあくまで今回のもので、当時と同じではありません。
しかし、どこかに類似点がある可能性もあります。

現在、当時より進んでいるのは対症療法の医療技術だけで、他に関しては1918年とそれほど変わらないかもしれません。