2011年03月02日



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生命の種子: 分析により隕石の原子の地球起源が否定される



地球の生命は宇宙に起源があることが普通に報じられるようになった時代への感慨

(訳者注) もともとこのブログを始めた理由のひとつは、「地球の生命の起源はすべて宇宙からのものだ」ということについて私は知りたく、それに関連するニュースをクリップする目的でした。そのうち、自分でも英語を少し理解するようになったりして、このブログも昨年まではそれに関するニュース(パンスペルミア説、左型のアミノ酸、地球にいる極限環境微生物などに関するニュース)の紹介が多かったと思います。

しかし、途中から自分の考えは完全に固まって、もうそれ(生命の宇宙起源)以外の考えはなくなり、つまり、自分の中では「完結した」ものとなりました。なので、それに関するニュースはもはや驚くものではなくなってしまい、あまりご紹介しなくなりました。

地球の生命はその構成単位であるアミノ酸から、あるいは DNA を持つ生命に至るまで、過去にはすべて宇宙から来たもので、そして「今も」来ていることを私は確信しています。というか、他の可能性はもはやあまりないように思います。


この半年ほどでその関連で書いた記事をいくつかリンクしてみます。
古いものから日付順です。


パンスペルミアと極限環境微生物関連の過去記事

フレッド・ホイル博士の霊に捧げる:インドに降った赤い雨の中の細胞が 121度の温度の下で繁殖し、銀河にある光と同じ光線スペクトルを発した (2010年09月07日)

米国ローレンス・リバモア国立研究所でも地球の生命が宇宙から来たアミノ酸だという研究発表 (2010年09月16日)

1億年の冬眠サイクルをもつとされるバクテリアがスヴァールバル島沖合の海底で発見される (2010年09月21日)

大気圏の生き物(参考記事:1980年代のチャンドラ博士によるシミュレーション実験等) (2010年10月05日)

地球のすべての生命は地球外のゾンビたちかもしれない: 死骸の遺伝情報が新しい命を導く (2010年11月12日)

微生物による地球環境支配の姿: 海洋地殻深部より炭素を変換するバクテリアが発見される (2010年11月22日)

地球上で見つかった「炭素ベースではない」まったく新しい生命 (2010年12月03日)


今回のテレグラフの記事をご紹介したのは、その内容そのものというより、テレグラフのような、いわゆる高級紙とされるメディアで、これに関する口調がすでに「地球の生命は宇宙から来たのかもしれない」という口調ではなく、「来た」と断定口調となっていることです。予想以上に速やかな考え方の移項が見られるように思って、嬉しい気持ちもあります。


これに関連することとして、まあ・・・あまりいい考え方の方向ではなかったと今では思うのですが、以前、ブログでこのことに関して、「確率の面」から書いたことがありました。参考資料とはならないとは思いますが、記事の下に記しておきます。

当時はとにかく、「宇宙は生命から来た」ことを自分でいろいろな面から確認したくて必死だったんですね。

何しろ、私が「宇宙は生命から来た」という考えを持ってからまだ1年も経っていないのです。
私にとってはつい最近の知見なのです。

偶然見つけた、チャンドラ・ウィクラマシンゲ博士の記事を読んで、1度読んだ瞬間に「ああ、これはすべてその通りだ」と体の芯から感動し、それまでの数十年間の考え方は瞬間的に消えました。私はなんでも(人生でも考え方でも趣味さえも)行き当たりばったりですので、人生の興味のほとんどが偶然の出会いだけでここまで来ました。


なお、今回の記事でもっとも注目したいこのニュースの筆者の言葉は「地球に衝突した隕石は、存在していた生命を一掃したのではなく、むしろ地球で生命の存在が開始されたきっかけを作った」という部分です。つまり、最近も小惑星の衝突の予測などの推測ニュースも相次いでいますが、それは「隕石も小惑星も、生命を滅ぼすことに主軸があるのではなく、新しい生命の開始に関係があるという可能性」について書いているように感じます。

仮に人類は消えてしまっても、さらに新しい生命の開始がそれ(隕石など)によって始まるという可能性は私も考えます。大体、何も起きなくても人の寿命なんて70何年とかそんなものですし、それなら、新しい生命のために心の準備をするのも悪くないのかなあとか。

まあ、新しい生命といっても、バクテリアとかの微生物の可能性は高そうですが。

35-fossil.jpg

▲ 35億年前の岩石から見つかった古代生物の化石。

それでは、ここから記事です
短いのですけどね。




Further evidence that meteorites sowed the seeds of life on Earth
テレグラフ(英国) 2011.03.01

隕石が地球に「生活の種子」をまいたという更なる証拠


40億年前、地球に衝突した隕石は、存在していた生命を一掃したのではなく、むしろ地球で生命の存在が開始されたきっかけを作ったということが研究で示された。

今、科学者たちは、その時代に地球に衝突した南極の隕石の破片の調査から、その時の状態が地球の生命の初動の状況を作り出したと考えている。


原始の状況の下でのその破片のアンモニアが生命の基本的な素材であるアミノ酸を発したということはわかっており、研究者たちは、そのアンモニアの中での窒素原子を分析し、原子の同位元素が現在地球で見つかるものとマッチしないことを断定した。そして、アンモニアが(現在の実験の中で)生じたものだという可能性を破棄した。

化石の形をした地球での生命の最も初期のものは 38億年前にさかのぼる。

地球の生命がどのように始まったのかを正確に知る者は誰もいない。しかし、最初は、地球上の苛酷な熱と圧力に満ちた環境の中で、化学的な反応によって生じたということが知られている。

そして、今回のアリゾナ州立大学での調査結果は、その化学的反応に関する物質が宇宙からもたらされたことを示す。

「地球の生命に必要だった物質」を宇宙がもたらしたといえるのかもしれない。

この研究結果は、米国科学アカデミーが発行する米国科学アカデミー紀要で発表された。

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(訳者注) 「米国科学アカデミー紀要」は 1914年に創刊された国科学アカデミー発行の機関誌で、によると、「総合学術雑誌として、ネイチャー、サイエンスと並び重要なもの。また、独立採算制でスポンサーを持たない」とのことです。


参考記事:


(注) 参考資料ではないのですが、数ヶ月前の自分を知るためにも転載してみました。

ちなみに、下の記事を書いたのは昨年の3月ですが、その後あたりから植物に突然ハマり出した私は、「部屋のジャングル化」ということに突入していったことを当時書いていました。それは現在も進んではいますが、その後、数ヶ月で工夫して狭い部屋で何とか植物と共存しています。
最近は、自分のこれを書いている周辺の光景も変わってきました。

これはパソコンの横を今、携帯で撮影したものです。ここは数ヶ月前はパソコンの周辺機器と音楽機器などが積まれていました。
今は野原化が進んでいます。

room-0302.jpg


まあ、一応キレイにはしていますので、今のところ奥さんと子どもには文句は言われていませんが、生活環境が植物に制圧される時も近そうです(ベランダとかはすでにヤバい)。

というわけで、昔の記事からの抜粋です。


(ここから転載)



地球の成り立ち(1) - 生命の確率
クレアなひととき 2010年03月29日

麻雀とアミノ酸の配列

一般の日常生活では、そんなに分母の大きめの確率とふれることはないと思いますが、わりと確率と近いところにいる人々がいます。それは、ギャンブルをする人たちです。パチンコ、パチスロから、麻雀、チンチロリン、競馬などもそうですが、あらゆる部分でギャンブルの場で人は「確率」と対峙します。

私は今はギャンブルは全然やらないですが、高校の頃から三十代の頃まではギャンブルばかりやっていました。「ギャンブルのために働いている」というような日々で、そんな大人は今も昔もゴロゴロるでしょうが、そういうダメ人間たちのひとりですね。

個々のギャンブルの「確率への依存度」の高低はありますが(人為的な要素が絡む競輪などや、ストック系パチスロでは確率依存度が低いなど)、ギャンブルのブログではないので、そのあたりはまあ適当でいいです。いずれにしても、ギャンブルやゲームの多くでは「確率の低いものに高い配当が出る」傾向があります。

たとえば、麻雀というゲームがあります。
136枚あまりのパイを14枚で上がる形にしていくものです。このたかが「麻雀」でさえ、プレイヤーが直面する確率にはものすごいものがあります。こちらのページにありますが、その組み合わせの総数は、

425京 305兆 291億 6821万 6000

もあります。
兆の上の「京」という単位が出て来ます。
また、14枚の組み合わせでの「上がり」と呼ばれる最終的な組み合わせの数も、

12兆 8590億 7820万 7674

あります。

麻雀には「役」というものがありますが、これは狙う狙わないの意志の問題があり、確率は計算できないのですが、計算できる役に「天和」(テンホー)という、配られた時にすでに上がっているという役があります。
この発生確率を上のページのままに書くと、

4250305029168216000 分 の 12859078207674

だそうです(笑)。

33万分の1ということですが、上のように、「 4250305029168216000 分 の 12859078207674 」と書くと、なんだかものすごいものがあります。

このくらいの確率でも、私程度の人間は結構「スゴイ」と思ってしまうのですが、さて、ここから話は少し飛躍しますが、私たちは子どもの頃、中学などの生物や、あるいは科学などで、地球の生命は「無機物が偶然に組み合わさって自然に有機物ができた」と教えられてきました。

私もずっとそう思っていましたし、「生命の発生って奇跡だなあ」などと思っていたのですが、しかし、最近わかったのですが、「奇跡すぎる」のです。

ここからの数字は、フレッド・ホイル博士の著作からもってきたものと、私がいろいろと持ってきたものが合わさっていて、厳密には違っているところもあるかもしれませんが、10兆や100兆くらいの誤差は何でもないとしてお読み下さい。


生き物とは

肉眼では見えないような小さなバクテリアのような生き物でも、構成は結構複雑で、真ん中に核酸というコアがあって、そこにいろんなタンパク質やら何やらがくっついてできています。うめぼしのおにぎりで、「梅が核酸で、ご飯や塩や海苔がタンパク質」というようなものです。

320px-Average_prokaryote_cell-_en.svg.jpg

Wikipedia よりバクテリアの構造。


ume-1.jpg

▲ 梅干しのおにぎりの構造。このおにぎりも、「意志なくランダムに作られること」はほぼ不可能。



バクテリアなんて大きさも構造も大したもんでないと思われると思います。しかし、この「大したもんではない」ものが「無機物から偶然に」出来上がるための確率はどのくらいのものなのか。

ホイル博士は著作「生命 ( DNA ) は宇宙を流れる」で、「100個のアミノ酸からなる酵素を、完全にランダムな選択の過程によって作ると」ということで、その確率がどのくらいかを説明しています。要するに、「無機物をテキトーに組み合わせて有機物が出来る確率」です。

酵素というのは生命を構成する上での、まあ基本ということのようで、上のバクテリアについているうちの小さなひとつで、おにぎりで言うコメです。コメのないおにぎりはおにぎりではありません。

おにぎりついでに書くと、「完全にランダムな選択の過程によって」というのは、たとえば、上の梅干しのおにぎりでいうと、目隠しをしてスーパーマーケットに入って、商品を選ばずに手当たり次第に手にしたものをくっつけていって、「ちゃんとした梅干しのおにぎりができる確率」というような比喩でもいいかもしれません(いいのかよ)。これだけでも難しそうなことはおわかりかと思います。

おにぎりはともかく、「100個のアミノ酸からなる酵素を、完全にランダムな選択の過程によって作る」その確率

生物のからだを作るのに使われるアミノ酸は20種類だそうで、その中で、特定の機能を持つ酵素を作るためのアミノ酸の配列はすべて決まっているのだそうです。

つまり、

100のうち最初の1つのアミノ酸は20種類の中からひとつ選ばれます。
「20分の1」の確率から正しく選ばれなければならないわけです。

ひとつめですでに確率は

20分の1

2つめも20分の1。

3つめも20分の1・・・と、100個まですべて20分の1の確率を最後まで正しく選んで構成していかなかいと、機能するための「生き物の素」というのはできないのだそうです。これは、パチンコで言うと、「大当たり確率20分の1のパチンコ100台を打って、全部1回転目に当たる」という感じです(お、なんかわかりやすいかも)。

その確率。

10の130乗分の 1

数字として書いてみようと思いましたが・・・、

1000000.jpg

やっばり無理でした(笑)。
よくわかんない。

まあ、このうち、似たようなアミノ酸で代用して構成することを考えて、もう少し確率は甘くなるようですが、さて、しかし、この「10の130乗分の1」の確率を乗り越えても、まだやっと「ほんの小さな酵素がひとつできただけ」なのです。

生き物・・・たとえば、私たち人間もそうですが、上の果てしない確率をくぐり抜けて、「この世に偶然」誕生した「有機物」、すなわち酵素というものですが、これがどれだけ必要かというと、大体「2000個以上の酵素から生き物は構成されている」らしいのです。

そして、自然発生説では、これらがすべて「偶然に起きた」としているわけです。

その確率。
最初に出た数字の「10の130乗分の1」からみると、

10の130乗分の1 × 2000

から見ると、すなわち、

10の26000乗分の1

ということになります。
これもパチンコで言うと、「大当たり確率20分の1のパチンコ2000000台を打って、全部1回転目に当たる

もうゼロがどれだけ続くのか想像もできない数字ですが、兆とか京の出る幕ではないように思います。

そして、ここまでは単に「酵素が出来る確率」というだけで、ここから生命には他に様々なものが必要だと思われます。つまり、自然発生と自然の生物の化学進化というのは、「大当たり確率20分の1のパチンコ100兆台を打つことを100兆回繰り返して、全部1回転目に当たる」というような(もうここまで来ると数字は適当)話で、ここで、ふと

・・・?

と思ってしまうのです。

この「超天文学的数字の確率」というのは、いくら何でもおとぎ話にもならないレベルの話なのではないだろうかと・・・。

私は揶揄とか非難とかではなく、真剣な意味で、あるいは純粋な意味で、この分野の科学者の方々に聞いてみたいのですが、それは、


世界の科学者や生物学者の人たちは本当にこの「地球では無機物から有機物が偶然生まれたということを心底信じているのだろうか?

ということです。
ここに何か疑問は感じられないのだろうかと。

私は科学の素人です。生物学も進化論も詳しくは知りません。

しかし、そんな私にとっても、「10の26000乗分の1」を何度も繰り返さなければならないような確率で生命が無機物から発生し、またそれを乗算するような確率で生物が進化してきたということは「ありえない」としか思えないのです。

確率論はギャンブルをやっているとわかりますが、意外と厳密なものです。

たかだか 46億年の歴史しかない地球で、それを何兆回繰り返しても届かないような確率の中に生命の発祥の秘密があるというのはどうなのでしょう。

この「確率の疑問」こそが地球の成り立ちというシリーズを書きたかった原動力です。パチンコや麻雀を甘く見てはいけません。あれらはこの世に存在する「確率の冷徹さ」をまざまざと見せてくれます。

「この世は現実」であり、おとぎ話は通用しないはずです。

では、どうして人類史の中で「無機物から有機物がランダムにできた」というおとぎ話が通じてしまったのか。

この出発点の疑問が解ければ、この「地球の成り立ち」シリーズは続ける必要はないのです。上の細かい数字の間違いは別としても、全体としてそこにある確率が偶然で済む分母でないことは、科学にお詳しい方のほうがおわかりになるのではないでしょうか。



(転載ここまで。)