2011年03月12日
昨日のブログを更新した後、街に出ている時に地震に遭いました。
子どもが幼稚園にいたので、とにかく走って幼稚園にまで駆けつけると、幼稚園では先生方がホールの真ん中で懸命に子どもたちを守ってくれていました。初めて知ったのですが、その幼稚園の建物はかなり強度の耐震設計をしているとかで、たしかに花瓶ひとつ倒れておらず、耐震設計というもののすごさを知りました。このあたりの普通の家では家具などが軒並み倒壊していました。
少し安心したのは子どもたちの多くが意外と元気だったことです。
不安げな顔をしている子はいたものの、泣いている子はひとりもおらず、それどころが私のところに何人かの男の子たちがやってきて、「船に乗ってるみたいだったよ」と、みんなで揺れているところの真似をしたりしていました。
私自身が PTSD (トラウマのキツイやつ)の人でしたが、地震などの災害でもここまで大きなものだと、子どもたちの心の傷は「心の傷」などという軽い言い方では住まないほど長く続きます。あるいは、落ちついてから出てきます。数週間後や数ヶ月後から始まることがあります。不眠、鬱、パニック障害、症状は様々ですが、それは非常に長く本人を苦しませることになります。
被害を受けてしまった方々には今回はまだ被害の全容もわからず、またあまりにもひどい災害で、半端なお見舞いの言葉は書けません。
ちなみに、私の奥さんの姉の夫婦が福島にいて、まだ連絡はとれておらず、私の妹の家族も千葉に住んでおり、避難したようですが、現時点ではどうなったかよくわかりません。
そして、これは書くべきかどうかを考えのたのですが、大災害が起きたからといって、書くのをやめれば、それもまた良くないことですので、関連項目を一言で書かせていただきます。
それは要するに、最近の地質異常の記事で、私は執拗にプレートが出ている地図を載せていましたが、今回のこの大きな地震が他のプレートに影響を与えたかもしれないという可能性を考えざるを得ないということです。
これは近いうちに地震が起きるという意味ではなく、以前も書きましたが、また、今回の地震でもわかることですが、「超巨大地震は想定されている場所以外のどこでも起こり得る」ということで、先月記しましたこちらの資料を示しておきます。
・(資料) 1700 年前に日本列島を襲ったかもしれない超巨大地震の再来の可能性の検討
極めて遺憾ながら、簡単に示しますと、
この 1700年前の震源域のプレートが刺激された可能性はないのだろうか? ということを考えざるを得ないということです。「そんなことはない」とは言えない可能性が確かに内在します。
今回、被害に遭われている方には、お見舞いの言葉よりも今はとにかく頑張って下さいとしか言いようがありません。余震、防寒、そして、数日後からは食糧と飲料水、排泄処理などの問題、さらにその後は(日本全域に関わる)経済や政治機能の問題になってくるかもしれません。
でも、何がどうあっても、がんばってくださいとしか言えないですし、そして、この言葉は自分にも言っていくしかないと思います。
人間は生きていくだけが目的ではなくても、ギリギリまで生きることに頑張ることも生命のひとつの宿命だと思います。そして、多分、ある程度は私も含めて、くまなく多くの人たちがこれから経験することとなるかもしれません。今の地球を見ていると、それは誰にも否定できないのではないでしょうか。
でも、その際、ただ恐怖に見舞われて過ごすという考え方ではなく、たとえば、昨日の幼稚園の男の子たちのように、「ぜーんぜん怖くなかったよ。船に乗ってる時みたいにこうやってやりすごせばいいんだよ」と、私に踊って見せてくれていたように乗り切れれば、そこに可能性もあるのかもしれません。
中途半端に経験豊富な私たち大人より、経験のない子どもたちはまだ「何が恐怖か」の知識を持っていないことが昨日の幼稚園で少しわかりました。
だから、そこに少しだけ希望はあるように感じます。
子どもたちを守りつつも、大人たちはその子どもたちに多くを教わりながらがんばっていくしかないのだと思っています。
タグ:未来の子どもたち
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拡大する自然災害