2011年03月14日
今日あたりから計画停電が始まるとか始まらないとかで、始まれば、私の地域は朝と晩の一日に6時間近く停電することになりそうです。なので、ブログの更新などもできるときにやっておかないと。
昨日書いた中の「圧倒」ということに関しては、同じように感じている人は多いようで、メールも頂きましたが、同じ表現ではなくとも、そのような雰囲気を頻繁に感じました。つまり、災害に対しての「形容がない」のです。言葉で何も表現できない。
昨日は街中をずいぶんと歩いて見て回りましたが、いろいろなところで、おばさんたちなどが「がんばりましょうね」と言っているのを耳にしました。
今朝はニュースで駅の混雑のことを言っており、午前9時頃、駅まで見に行ってみると、人だかりができており、入場制限がおこなわれていました。
まあしかし、予想できていたせいもあるのか、みんなそれほど深刻な感じではなく、隣に立っていた男性は苦笑しながら携帯の相手に、「ホームにも入れねーのに、会社になんか時間通りにつくわけないから、何とかさんに言っといて」と話していました。
反対側に立っていた2人組の女性は、「でもさ、池袋まで行っても、そこから電車動いてないみたいよ。どうしようか」とか話していて、「それは行かないほうがいいのでは」と思うような人たちもいましたが、なんとなく普通に諦めてる感じがありました。
話によると、隣町の吉祥寺駅は修羅場になっているとのことでしたが。
平等の理想形
昨日書いた宇宙へのことに関してですが、今日はあまり長く書けないですが、勘違いしていただきたくないのは、「宇宙を憎む」いうことではないということです。
最も大事なことは、
「私たち人類ひとりひとりは本来は宇宙と対等な立場だ」
ということを私たち人類も理解し、また宇宙にも理解してもらう。
私は実は最終的には、いわゆる「悪魔」と呼ばれるものにもこのことを理解してほしいと思っています。
悪魔のことを書いた時にも私は「憎む」という概念を書いたことはないですが、今回の不幸を経験して、さらに思いましたが、今、私の中で増大している意識は、「憎しみの対極にあるもの」であることを実感しています。
人類自身がそのことを理解し、そして、宇宙にも悪魔にもそのことを理解してもらえば、少し宇宙は進化すると思っています。
もちろん、それは私の中の宇宙の話で、他にもいろいろとあるのでしょうけれど、「ペアである自分」の中に書いた、「宇宙は自分の中にある」というのなら、そのペア(「自分」と「自分の中にある宇宙」のこと)が対等でなければ、バランスが悪いことになります。
今後・・・まあ、書ける時までですし、少しずつになるかもしれないですが、
「宇宙と対等である人類のこと」や、そして、「本来、誰でも人類はきわめて優れた能力を持つ生き物であること」を書きたいと思っています。
それがいい悪いではなく、鳥や蟻から見れば、文字を書いたり、じゃんけんができたり、料理をしたり、そして顔で笑ったり泣いたりできる「人類」というのは、とんでもない高度な能力の持ち主のはずです。
それら多くの人々が持っている「単純な人間の特徴」こそが宇宙で最高に近い生命のひとつの姿だと私は最近思います。
それを越えた能力、つまり、様々な超能力や不思議な力、それは「個性」なのだと思います。
足の速い人やたくさん食べられる人がいるように、未来を見られたり、前世を見られたり、宇宙人と交信できる人たちがいる。
それらを優れているとして、ただ崇拝するのではなく、「キミは足が速くていいよね」というのと同じように、対等に平等に楽しく自分と同じ地平で生きて過ごすのがいちばん気楽だし、それは楽しい生き方のように思います。
そういうことを断片的に書いてみたいと思っています。
書ける時までですが。
インターネットだっていつまで繋がっているかわからないですし。
それにしても、停電が始まりそうですので、今日は電池を探しに行きたいですが、どこにあるやら。
タグ:ペアの宇宙
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人類の覚醒と真実