2011年03月17日



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アカシックレコードからの脱却と独立を果たした奇跡の生命



何日かぶりに吉祥寺まで歩いてみました。
昨日以来、とにかく寒くなり、完全に冬模様となっています。

ここ数日は毎日毎日、いろいろなところの光景を見るためと、物を調達するために一日数時間歩いていますが、しかし、実際はここ2年ほどは実によくこの街を歩いていました。

もともとの私は、夜、飲みに歩く以外はあまり外に出ない人間でした。

しかも、いわゆる移動手段というものが苦手なんです。車に乗るのは嫌いで、もちろん持っていませんし、自転車もあることはありますが、嫌いなので十数年乗っていないのではないでしょうか。電車も乗らないで済むなら済ませたい。幸い外で仕事をしていないので、ツイている時は2カ月くらい何の移動手段も利用しないで終わらせられることもあります。

私にとって、「移動とは歩くこと」で、私が異常に自分の街とその周囲だけで用事を済ませていることにはこの理由があります。

そして、私のような「移動文明に馴染めない人」が今の日本の中で暮らせる場所というのは、実は東京くらいしかないのです。徒歩1時間以内でほとんどの用事を済ませられ、必要なものはほぼ手に入るというような場所は他にはあまりないようです。私は実家が北海道ですが、車のない人が生きていくことは難しいですし、多分、他の大部分の地方はそうでしょう。

なので、やはり私はこの東京から立ち去ろうという気にはならないのです。そして、できればこの東京で死にたいと思っています。
どこの土地よりも、私にとってはこの街はやさしい街でした。

東京というか・・・まあ東京に来てから、ほぼ西荻窪というところにしか住んでいないので、正確には「西荻窪という街は」ということになりそうですが。

なので、この街が地図から消えたり廃墟になったりした時のためにと2年くらい前からいろいろと見てまわっていたのです。今となれば、見ておいてよかったと思います。


そういえば、前回の記事で「お酒でも用意したほうがいいのでは」と書いたのですが、お酒は放射能影響から見ると良くないというメールをいただきました。

私は、いままでさんざんお酒にはお世話になってきましたので(パニック障害だったために、薬とお酒がなければ電車にも乗れない時代がありました。私はお酒に命を救われています)、お酒に殺されるのなら私は嬉しいですが、多くの人は違うと思いますので、気にされる方はお気をつけ下さい。

なお、他の現実的な問題として、ATM を含むすべての金融機関とシステムが怪しくなっています。どうすればいいかというのはわかりませんので、各自考えられる範囲で行動下さい。



神社のこと

私の家から徒歩でいける範囲には神社がいくつかあり、そのうちの荻窪八幡という神社があるのですが、そこの鳥居が先日の地震で崩壊しました。

一昨日それを見に行き、なかなかショッキングな光景で、携帯で何枚か写真に撮ったのですが、それをこのブログなどに掲載しようと、携帯から自分のサーバに送信しようとした時、わりと珍しい現象ですが、携帯がフリーズしました。電源も落とせなくなり、バッテリーパックを取り出し強制再起動して、もう一度送信しようとすると、またフリーズしました。

連続して携帯がフリーズしたのは初めてのことでしたので、「これは載せるなということだな」と素直に諦めましたので、写真は載せませんが、あるいは、最近のコロンビアの記事あたりからの流れを考えると、何かイヤなものが写っていたのかもしれません。


私は信心深くはないですが、神社に行くのはわりと好きで、行ってもお祈りも願い事もしないですが、境内の中で挨拶くらいはして戻ってきます。確かに神社というのは不思議なことが起こりやすいのは確かで、井草八幡宮という神社が近くて、かなり頻繁に行くのですが、以前、そこの長い並木道に入った瞬間に目の前に鳩が降りてきて歩き出しました。
近づくと、飛び立つのですが、2メートルほど先にまた降り立つ歩いて行く。

「お、こいつ、道案内のつもりかよ」

と、面白く感じて、ずっと鳩の後をついていくと、そのまま何百メートルもずっと鳩は私の前を歩き続け、そして、境内に入る門のところまで来ました。そして・・・何と鳩は境内のほうには向かわずに、そのまま出口の道のほうに歩いていくのでした。

「おいおい、それじゃ、オレが境内に入れないじゃないの」

と思いましたが、鳩がそっちに行くなら仕方ないと、結局、鳩の後についてそのまま神社を出ることになりました。そして、鳩は飛び立ちました。


「あの鳩は、オレに境内に入ってほしくなかったのかなあ」


とかいろいろ考えましたが、基本的に私は起きていることに逆らわない人ですので、そのまま神社から去りました。このあたり、神経症の治療法として有名な森田療法の森田博士の言っていた「なすがまま」というようなことを何十年も実行しているからかもしれません。


不思議といえば、井草八幡宮は毎年、初詣に行く場所で、ここではかならず酒を飲むのですが、縁日で売っている単なるワンカップが非常に美味しくて、毎年けっこう飲んでしまいます。

「いやあ、ここのはうまいねえ」と売っていたおにいさんに言うと、「まあ・・・ただのワンカップっスけど」と言われたことがありますが、本当にうまいのです。


それらの神社も震災後にいくつか見てまわりましたが、人もあまりおらず、何となく物寂しいものがありました。こういう時こそ、みんな来るものかと思っていましたが、案外そうでもないようで、ふだんより人がいません。


昨年以来は特によく神社に行くようになりましたが、その理由は「大きな木が見られるから」でした。植物が好きですが、大きなものを見られる場所はこのあたりでは神社くらいしかないのです。



完ぺきな生命


前回までの記事などで書いていることは、正直、すでに私自身が書いているというようにも思えません。書いた後に読み終わって自分で驚く部分があります。

とはいえ、キーボードを打っているのは自分ですので、続けてみます。

今回は余談が長くなりすぎたので、さっき歩いている時に思ったことを短く書いてみます。

前回までに

・人類は宇宙が作り出した最高の生命の形である

ということ、そして、

・そのひとつが「未来を予知しない能力」だ

というようなことを書きました。


その流れの中で、私はある「今までの人類史での決定的な思い違い」に気付いたのです。


ちゃんと書けるかどうかわかりませんが、たとえば、人間以外の他の動物が人間に憧れを持つとしたら、それはこういうことがあると思います。


・人間は夢や希望を持つことができる


これは「未来を予知できない」ことによって人類が獲得した能力です。

これはどんな些細な生活の中での楽しみとも関連していて、たとえば、夜の街へ飲みに行ったり遊びに行ったりする男性なら、「今日、すてきな女の子と知り合って惚れられちゃったりして。ウヒャヒャ」というような希望を持てるのも、私たちが未来を少しも予知できないからです。

世の中を楽しむ行動のほぼすべてがこの「未来を予知しない」という脅威的な能力によってもたらされています。

化粧をする、未来の生活設計をする、会社を興す、オシャレをする、商売でがんばる・・・。
それらのどれもが私たち人類が「未来を予知しない」という能力を持つために獲得したものだと思います。


今日、道を歩いているときに、空を飛んでいるカラスを見て思ったのですが、

「もしかすると、人類以外のすべての地球上の生物は未来を予知できるかもしれない」

と感じたのです。

つまり、それは人類以外の生物がすべて、いわゆるアカシックレコードといったような記憶と歴史の帯に沿って生活している。なので、未来も過去も現在も彼らにはすべて見えている。未来の予知も、過去の出来事もわかる。

しかし、それだけに、宇宙の歴史がすべてわかってしまう人類以外の彼らには、もうワクワクやドキドキはあまり存在しなくなってしまった。ワクワクや夢や目標のない状態から文明は生まれないし、発展しない


というより、この世の存在は、本来すべてアカシックレコードのようなものと同居して存在しているような気がします。


人類はそこから脅威的な進化をなしえた。

それは、宇宙でさえ予想し得なかったであろう、「アカシックレコードからの脱却と独立」です。


宇宙に生まれた特別な奇跡。


宇宙の記憶の中にしか存在することができなかった数々の生命や植物や鉱物の中から、「ついにそこから独立した生命が誕生」した。

それが人類だと思います。


さて、しかし、今回書いている最大のテーマはこのことではないのです。


あらゆる存在が人類を尊敬している

私がずっといろいろと引っかかっていたことのひとつに、「食べるものと食べられるもの」ということがあります。「ペアである自分」のこちらの記事に、埴谷雄高さんの小説の引用と共に書いたこともあります。

要するに、人間は何かを食べて生きなければならないのですが、その関係についてです。私は実は1年半くらい前に、あること(説明は難しいのですが「大阪ショック」という事件がありました)を契機として「肉が食べられなくなる」ということを経験したことがあり、その影響はしばらく続いて、1年くらいだったか、肉を食べない(食べられない)生活が続きました。

しかし、何をどのように食べても、食べなくても、それが「食べることへの何らかの意味となるのだろうか」ということは感じていました。ベジタリアンでもビーガンでも、結局何かを食べる。

そして、人間が自然を痛めつけて、環境を悪くしてきたことは書くまでもないことだと思います。


それらへの解決への道のひとつとして、あることに気付いたのです。

それは、上に書いた「他の動物たちが憧れる夢を持つことのできる人類」と関係していますが、結論を書いてしまうと、


・あらゆる生命が人類に憧れ、人類を尊敬している


ということです。


なぜ、この考えが解決へのひとつの道となるかというと、たとえば、「あなたをものすごく尊敬しています」という人があなたの身近にいたとします。

あなたはその人を軽々しく扱うでしょうか。

普通なら、自分を死ぬほど尊敬してくれている人がいるなら、その人のことを大事にしようと思うのではないでしょうか。


私たちは今まで、特にこの数十年は、食べものを食い散らかしてきました。

あなたの目の前に一匹のイワシがいる。
そして、あなたはそのイワシがあなたをものすごく尊敬していることを知る。



この場合、同じ食べるにしても、これまでの食べる対象とは違った考え方になるのではないでしょうか。

そして、これは昔から「お米を一粒も残さないように食べなさい」と言われてきくた日本人なら、比較的わかりやすいのではないでしょうか。

「お米を一粒も残さないように食べなさい」という部分はもちろんその通りですが、そのあとに、「このお米はあなたを死ぬほど尊敬しているのだから」と。本当に、絶対に、残すことなどできない。


よく、私たちは「食べ物に感謝しなさい」と言われることがありましたが、意味なく感謝しろと言われてもできなかったわけですが、それらが「私たちを尊敬している」と考えると、感謝という意味もわかります。

植物もあらゆる多細胞生物も、そして、もしかすると、鉱物たちも、すべての生命存在が人類を死ぬほど尊敬している。
そして、地球は生きている。


なので、地球も私たち人類を死ぬほど尊敬しているはずです。
私たちは私たち人類を尊敬しているものばかりの中で生きることができていたのだということに、これまで気付いていなかったのです。


このことを気付かせてくれたのは、今の東北で被災されている何百万人の神様たちであり、そして、「映像」という新しい媒体の聖書の1ページ目がすでに始まっています。


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