普段なら、春休みなど長い休みは、子どもは奥さんの実家に長く遊びに行くのですが、まあ、こんな状態ということと、実家も実家でいろいろあるらしく、今回の休みは子どもは自宅に。
奥さんの仕事も普通どおりということで、今までは子どもが幼稚園に行っている間にやっていたことも、なかなかできず、パソコンの前にいるのもブログの文章を書くときくらいです。
今日は午後に西友に行くと、店内が妙に殺気だっており、「ミネラルウォーターおひとり様○本まで」とあり、人が並んでいる。午前中も行ったのですが、その時は何でもなかったのですよ。
「あー、なんかあったか」
と、帰ってネットのニュースを見てみると、「浄水場から放射性物質 東京23区などで乳児の摂取自粛を要請」の報道。
ここ2日、東京では雨が降り、昨日の記事に載せたように、新宿などでもかなりの高濃度の放射能物質が測定されていました。
でも、実はミネラルウォーターそのものが震災後からずっと品不足で、今日の西友の「お一人様○本」というのも、500ミリリットルのもので、2リットルのものは最近は見ていませんでした。
そこに今回の報道が決定打となったようです。
もうしばらく手に入らない感じがします。
雨の天気予報は聞いていたので、ペットボトルやバケツなどに雨の前の水道水は貯めていたのですが、子どもの分だけなら、しばらくは大丈夫でしょうが、少なくとも私と奥さんは水道の水を飲んでいます。
穴の開いた家
ところで、最近気づいたのですが、うちの子どもは、
・私(父親だけ)といる時
と
・奥さん(母親)といる時
は、喋っている内容が基本的にかなり違うことに最近気付きました。
うちの子は、とにかく奥さん(お母さん)が大好きで、彼女といる時は、甘えたワガママな非常に普通の「甘えっ子」なのです。そういう意味では、母親といる時がいちばんかわいい。
夜中などはちょっと母親がトイレに立つと、目をさまして、「おかーしゃん、どこ?」と泣いたりするような子なんですが、しかし、母親がいない時に、私と二人きりになると、どうも妙な会話になっていくのです。
今日もふたりでいた時、地震で結構揺れたので(今日の午前は揺れっぱなしでした)、テレビを付けると、緊急地震速報が出ていて、その後、いろいろと地震のニュースが入りました。
それをふたりで見ているとき、彼は、
子ども 「おばあちゃんの家に行く時にさ、バスで青梅街道を曲がるじゃない。あそこの道の角にある穴の開いた家、おとーしゃん、知ってる?」
わたし 「つーか、青梅街道なんて通りの名前どうして知ってんの? おばあちゃんが教えてくれたの?」
子ども 「ううん。誰にも教えてもらってない。でさ、穴の開いた家ってさ、お腹にいる頃に地震で壊れた穴なんだよ」
わたし 「お腹の中? ○○○(子どもの名前)が?」
子ども 「ううん、おかーしゃんが」
わたし 「どうして、お母さんがお腹の中にいた時のことを知ってんの?」
子ども 「でも、そーなんだよ」
まだ話は続くのですが、道路などの名前や描写にしても、どうも妙。
今は母親が帰ってきていて、彼女に甘えて、テーブルから皿を落として怒られたりしていますが、私の時と母親の時は話している内容(というより、性格など)が全然違うようです。だから、もしかすると、奥さんはうちの子どもがいろいろと言っていることを知らないかもしれません。
その「青梅街道の交差点の角に穴の開いた家」があるのかどうか、明日にでも見に行ってみようと思いますが。このあたり、これまで何回か書いていたことに関連すると、話す相手が女性性とか母性とか、そういうものとも関係することなのかもしれないですが、よくわからないです。
納豆菌・マイフレンド
今日の午後は飲料水パニックでしたが、それとは関係のないこととして、ちょっと前から懸念していた現象が起きていて、ある程度は予測していたのですが、商品棚から消えるものの傾向に少し変化が出ていて、「それほど頻繁に商品の入れ替えがあるわけではない嗜好品」がかなり消えていました。
すなわち、お酒、お茶、コーヒーのたぐいが棚から消えてきているのでした。
ビールや発泡酒関係は一切ナシ。
お酒全体としても、かなり消えていました。
お茶関係はほんの僅か。
コーヒー、ココア、紅茶は全部売り切れ。
ちなみに、震災後に私がすぐ買ったのが、少しのお茶と「たくさんの焼酎」(笑)でした。
これらは、最初は全然見向きもされないものだったんですが、これらの嗜好品は地震がなくても、もともと存在が基本的に危うい感じはあって、さらに、コーヒーや紅茶などは産地に重大な問題が起き続けているので、こう一気に売れてしまっては、今後も厳しいように思います。
お腹が空くというのは確かに大変なことなんですが、お茶にしろ、お酒などにしろ、「気持ちを落ち着かせる」ためにはやはり欲しいもので、まあ、被災地の方はお茶を手には入れるどころではないかもしれないですが、空腹を凌げるとしたら、ぜひそれらが欲しいという部分はありました。
そして、それよりも個人的なダメージが強いのが、ずっと「納豆がない」のです。
震災後数日後からはスーパーでもコンビニでも棚にあるのを見たことがありません。
私は「大事な食べ物をひとつ挙げなさい」と言われたら、即座に「納豆」と答えられる人なので、これはキツかった。というか、今もキツいです。
何らかの理由での納豆の流通不足を懸念して(そもそも、日本のマメ類はほとんど輸入に頼っている)、少し冷凍などしてあるのですが、納豆を大量に保存しておくことなどできるわけもなく、茨城など今回の被害の大きな被災地の状況を見ても、なかなか今後も難しいようです。
なので、最近は「納豆がいつでも手に入った頃」を懐かしく思い出しています。
ただ、上にも書いた「納豆が枯渇した時」のために、自分でも納豆菌を以前購入して持っており、また、2年くらい前に何度か作ったこともあります。とはいえ、あれは結構大変な作業で、今はそういう時でもなく、だいいち、大豆自体もあんまりないですからね。
ところで、その2年前に納豆を作る中で知った「納豆菌の驚異」ということがあります。
その時始めて知ったのですが、「納豆菌」って何だか強いような印象がありますが、実は納豆菌というのは、その近辺にいるあらゆる菌に対して弱く、他の雑菌と一緒だとすべて絶滅してしまい、いくら納豆菌を植え付けても増加していくことはできず、つまり、「納豆にはならない」のです。
そんな「どんな細菌よりも弱い納豆菌の唯一の武器」、それは「 100度でも死なない体質」なのです。納豆を作る最大のボイントは「煮豆が 100度のうちに納豆菌を植え付ける」というところにあります。
100度の温度の下ではほとんどの細菌は生きられませんが、納豆菌は生きられる。温度のことを考えると、普通、生き物を生かしていくためには「ひたすら適温を保っていく」というようなことになりますが、納豆菌はそれでは死んでしまいます。他の細菌が生きている環境では納豆菌は死んでしまう。
納豆菌を生存させるためには「ひたすら加熱する」といい方向になるのです(納豆菌の限界温度は 120度)。
「それだけの武器」で納豆菌は生存してきました。
古来、まだ細菌学などがない頃、「納豆を発明した」行為はものすごいと思います。
「納豆を作った神様」を想像します。
この「周囲の死の中でこそ生きられる」という納豆菌の孤独感というか、反逆的な生き方が、結構気に入り、それまでも好きだった納豆がさらに好きになったことがあります。
そして、納豆はその外観も匂いも他の国の人々からはあまり好かれることもなく、「日本でしか生きられない」というあたりもまあまあ、好きです。
そして、ズルズルと音を立てて、糸を引きながら食べて、場合によっては「ズロロロロ」と音を立てて、しかも、茶碗を持って食べることが前提の食べものである納豆。箸でなければうまく食べられない食べもの。
西洋食事マナーのすべてに対しての反逆グループ(他にもたくさんありますが)の代表的な感じもあります。
・・・・・つーか、今は、納豆の思い出に耽っている場合じゃねーだろ! と思い直したので、ここまでにしておきます。
でも、日本に再建というようなことがあるのだとしたら、「納豆」も重要な役割を担いそうな気がする。
海藻と納豆と梅干しあたりには何か役割がありそうな気がする。