2011年03月24日



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歓喜する第8領域の生命たち



昨日の記事の最後あたりに、

 > 海藻と納豆と梅干しあたりには何か役割がありそうな気がする。

というようなことを書いたのですが、いくつかメールをいただき、どうも、あながちそれも否定できない部分もあるような感じもしないではないというようなことも言えるのかもしれない(どっちだよ)ということを複数教えていただきました。

具体的な生理作用等を教えていただいた方もあったのですが、私が書いても仕組みを間違えるとご迷惑がかかるだけですので、概略だけでいえば、被曝というか、放射能に対して、

・納豆
・海藻
・天然塩


それと、味噌などの発酵食品などは良い、とする意見が昔から日本にはあるというようなことです。

上のどれもが現在、入手できにくくなっている地域も多いわけではありますが、仮に上のようなことがあるとすると、基本的には「昔ながらの普通の日本食の生活がいい」という感じにはなるのかもしれません。



放射能の歴史の中の日本と、その食文化

しかし、仮に本当にそういうようなことがあるとするのだと、どう書いていいのかよくわからないのですが、人類史上で最初に、そして今のところ唯一、核兵器による被害を受けた国である日本。そして、もしかすると、史上最悪の原発事故ともいえるのかもしれない渦中にある日本。

日本はそういう、放射能に関しての特殊な歴史に行き着いてしまった宿命の下に(現在)ある国民ではあるわけで、個々の理由はともかく「何度も放射能と対峙させられた国」として、世界でも希に見る国であることはある程度は事実のように思います。


そして、そこで何となく思うことは、そういう国で生まれた納豆だとか、あるいは日本人だけが消化酵素を持っている海藻(海藻を消化できる遺伝子を唯一持っている)だとか、あるいは他の国とは違った発展を見せた味噌や醤油の文化、そして、梅干しや塩辛の「異常にしょっぱい文化」という、食文化の流れに何となく感じるものはあるのですが、それが何かは今はよくわかりません。


今は違うでしょうが、北海道生まれの私が少年くらいの時(1970年代)は、朝ご飯は、ごはんとみそ汁と納豆と、そこに漬けものというのが普通で、シャケやニシンなどの焼き魚があることもありましたが(当時の塩鮭やニシンはものすごく塩辛かった)、要するに、食事、特に朝食というものは、

ごはん + 塩(漬けものなど) + 発酵食品(納豆やみそ汁など)

が基本で、これが毎日毎日、何百日、何千日と朝に繰り返されていたのが当時の食生活でした。

これはかなり貧しい家庭でも、ある程度は達成できた朝食だったと思います。うちは親は教師だったのに、理由はわからないですが、すげー貧乏でしたが、上の朝食には「貧乏感」というものがまったくありませんでした。というか、「当然であり必然」だった。

当時は案外、金持ちや貴族階級でも朝食は似たようなものだったんじゃないでしょうか。
そのくらい「日本人の朝食としての当然感覚」はあったものです。


あと、東北の方々もそうだと思うんですが、北海道は料理に塩の量が多いんです。
今はずいぶん変わりましたが、特に年寄りなんかは、いわゆる現在の健康的な基準となっている塩の量の数倍くらいはとっていたのではないでしょうか。
何もかも「しょっぱい」。

発酵食品は他の様々な国にありますが、日本では特に「塩っ辛いもの」の食文化が突出して多様化した感があります。



他で無価値とされた生命を「宝」にしてきた人たち

どの記事だったかわからないですが、「日本人は他の国の人々が食べ物とは認識しないものをコツコツと食べてていた」というようなことを書いたことがあります

また、変遷を信じてという記事の中で、


死んだ宇宙と死んだ生命の機械的で自動的な運営を、もう一度宇宙の中で「再起動」させるために人類が関わることができるチャンスに巡り会っている可能性



ということを書いたのですが、(本当にこの通りに「宇宙はすでに死んでいて、その運営が自動的なものに過ぎない」とした場合の話ですが)、海底に一見、無意味げに漂う海藻たちが、もし、どの人間からも注目の対象にも食べ物としても見られることがなければ、「海藻たちは宇宙の存在として永遠に死んでいた」ということになるのかもしれないです。


しかし、それを「おっ、この海のゴミみたいのって食えるじゃん」と認識して、実際に食べたりすることによって、海藻たちは「存在の再起動」を果たした。

それどころか、海藻はいつの間にか日本人の毎日の食事のローテーションに組まれていたりする。

わかめ、こんぶ、もずく、めかぶ、とろろこんぶ、と、いろんな名称でスーパーに並んで(それは決してマイナーな売り場面積ではないです)、お店で刺身、あるいは、海藻サラダなんてものを頼むと、何だか名前のわからない数々の色とりどりの海藻が魚の横に並び、それは全部食べられる。


そのうち、「海のゴミ」と呼ばれていたものが「海の宝石」とか呼ばれるようになっていく

kai-saw.jpg


その「見向かれないものの宝化」が完全な日常となったのが日本の日常食の風景だと思います。
ここ数十年は様々な食文化が入ってきましたが、それは「食文化が多彩になった」ことは意味しても、これまでの食文化の根底が揺らいだという意味でもない。

今回のような非常時などの時に「納豆がすぐ売り切れる状況」を見ても、どうにもそれら「本来の食べもの」への愛情というのか執着は強いように感じます。


今では、いろいろな日本料理が世界に紹介されていますが、実は、日本食文化の根幹ともいえる、これらの海藻や納豆や梅干しや塩辛や卵かけごはんなどというのは、今でも基本的には他の国の食文化には馴染まないものです。それは「茶碗を持って、ズズズと食べる」という食事の基本スタイルと相まって、どうにもならない面はあります。

多分、日本に来たことのない多くの外国人たちは、「日本にこういう料理がある」という概念すら想像できない食べ物と食文化がたくさんあります。先日書いた、「動物の内臓に個別の名前を与えて、ただ焼いて食べる」なんてのも(焼き鳥屋のモツ焼きなど)、想定外なのではないかと思います。


しかし、それらが本当の意味で私たちが毎日接してきた文化ではあるわけで、寿司だのスキヤキだのラーメンだの、海外に行く華やかな日本食文化は、それらの外壁の中にあるひとつで(それらはもちろん大事なものだけれど)「コア(中心)」ではない。なぜなら、「ハレとケ」という概念からだと、寿司やスキヤキは「ハレ」であり、毎日毎日食べるものでは(本来は)ないからです。



そして、「海」は特に、日本人の生活と共にいました。

前にも書かせていただきましたが、今回、もっとも甚大な被害に遭われた方の多くが、以下に書かせていただく「海の食べ物との奇跡的な共存」を日本でずっとおこなわれてきた方々です。




ロタ島で見た「ゴミの宝の山」

ずいぶん昔、ロタ島という海のきれいな島に行ったことがあります。
毎日、ロッジの近くの海岸でボーッと過ごしていたのですが、十数年前のロタ島には本当に人がおらず、広い海岸に観光客が数人いて、あとは遠浅の海と白い砂浜が広がっている。

しかし、どこまでも広がるその白い砂浜に、やはりどこまでも「何か黒いもの」が点々とあり、それは沖まで延々と続いている。


最初は「なんだ、あれは? ゴミ?」と思い、近づいてそれを拾うと、それはなんと「ナマコ」でした。私が毎日行っていたロタ島の海岸には、ものすごい量のナマコがいたのです。種類がわからないので、食べられるものかどうかはわからないのですが、見た目は日本で食べるナマコと同じ。


「これが食べられる種類なら宝の山だな・・・。こんなにたくさんのナマコを立って見渡せるという経験は人生でもうないだろうなあ」



と、思ったものでした。

生きているナマコはこんな感じです。

namako.jpg

日本以外の国の人たちで、この生きたナマコに「食としての宝」を感じる人は、そんなにはいないのではないでしょうか。

これを新鮮なうちに細かく切って(かたいので)、三杯酢などで食べるのが日本の食べ方(中国では干したものを煮ます)ですが、とりあえず、これらのナマコに対して、私は「宝だ」だと認識したわけで、「ロタ島のナマコの宇宙は」少し動いたかもしれません。


まあ、食べようとした場合、そのナマコは「死んじゃう」わけで、ナマコの生と死という問題はありますが、この「食べる」という行為全般への問題は、簡単に解決するようことではないと思っています。

最近、この問題は多少考えられるようになったとはいえ(人間の食べるという行為は宇宙と人間をつなぐ神聖な行為かもしれないという仮定)、「対象の生命を奪う」ということに対して、短絡的な結論は簡単には出なそうです。


まあ、それはともかく、たとえば、ウニなんかも今では高価なものですが、やはり海で見つけて、生きたウニを見つめて「宝よ」と思うのは日本人以外ではそんなにいないように思います。

uni.jpg


このウニの姿なんかを見ていると、普通は、「こら食えないわな」という判断が働くと思うのですが、日本人の祖先はどういうわけか、次から次へとこれらを「宝」にしていき、また、海だけではなく、山の非常に多くのものを「食べものと認識して、さらには、「これは宝だ」と、その出会いを喜びながら食べていた。(食べられるものだから仕方なく食べていたということではない、ということです)


「うひゃー、フキとワラビ発見!」と山の宝の発見にも喜んだ。


ノビルにワラビにゼンマイ、タラの芽、フキにセリにジュンサイ・・・ジュンサイ(苦笑)。

ジュンサイにまでいたると、池や沼からこれを抜粋してきて食べものと認識して食べたというのは苦笑にも値する驚異であって、こういうような「見る人から見ればゴミ」のような大地の植物を「宝」として扱って、そして食べた。

Junsai.jpg

▲ ジュンサイ収穫の風景。


キノコもいろいろと食べた。

マツタケみたく変な価値体系がついた食べものもありますが、でも、本当はみんな、マツタケなんかよりナメコとかシメジのほうが好きであって、「ズル、ズルルルルルル」とか音を立てて、ジュンサイやナメコを啜る・・・。


神秘学には「第8領域」という世界が存在するようで、クモやハエといったものがそれに該当して、それらは「次の宇宙からは消えてしまう」ものなのだそうです。

だから、「宇宙からの消滅」を恐れる人たちはそれらの存在を恐れるのだそうです。

キノコもその第8領域にいるのだそうです。
これらを恐れる人たちもいる。


「キノコに宇宙からの消滅に引きずられるかもしれない」と。


しかし、日本人たちは宇宙そのものをあまり怖がっていなかったせいか、食べる食べる。探せば、日本の山にも(本当は世界中の山にも)、キノコはいくらでもあって、食べる食べる。

キノコたちも嬉しかったと思うんですよ。

「消滅する運命を持ったものを嫌悪し、無視する」という恐怖の中にいたハエやクモやキノコたち。まあ、ハエやクモは食べませんが、キノコに関しては、これまで、おびただしい量が日本人の胃の中に入り、吸収されていったはずです。

しかも、「山の宝」と褒め讃えられながら


なので、日本人が次の宇宙から消滅しても、消滅した先の「別の宇宙」では、キノコたちと暮らせるので、食生活には何の問題もないように思います。


「行こうぜ、キノコ」


と言いたいですね。

(なんだか、もう自分でもよくわからない)



食べ物の話はキリがないのでいったんやめます。

しかし、日本において、どのように、そして「なぜ」このような特異な食文化への価値体系が発生したのかはわからないですが、この、他のどんな民族も食べ物としたなかったような食べ物を「宝」にして食べ続けたというのは、本当に驚くべきことで、このあたりの秘密がわかるだけで、「日本人の由来」についての多くが解ける気さえします。


今、日本からは多くの外国人が退避し続けており、「戦後もっとも日本人率の高い」状態に今の日本はなっていると考えられます。だからどうだという話ではないですが、東日本全域に漂う放射能の中で、今いろいろなことを考えたりしたいなとも逆に思うのです。



なお、昨日の水パニック話を書いた後に、いろいろな方からメールをいただき、いろいろと励ましや援助的な言葉をいただいて嬉しかったです(今のところは大丈夫です)。

相変わらず、ご返信がとんでもなく遅くなっていて。申し訳ありません。

タグ:ナマコ