2011年03月26日



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新しい日本の中心地と私たちを結んでいるもの



震災から2週間経っていることを知り、少し動き始めた気もしていた自分の中の時間は実はほとんど動いていないことを知りました。

テレビも映像もすでに見ていない現在では、当初の「災害の映像から受けた圧倒」からは解放されているはずで、それでもなお時間が止まり続けている意味には別の意味が、あるいは新しい意味があるのかもしれません。


ところで、震災後、あまりにも思っただけのことをその場で書き殴っていて、ほとんどの流れが支離滅裂になっています。

この2週間の中で、おおまかには、

・生と死とは何か
・宇宙における人類の位置
・日本人の意味
・食べるという行為の意味
・女性性である地球(あるいは宇宙)の中の男性性システムの意味
・男性性の消滅と人類の進化



などのことを断片的に書いていて、それぞれが自分の頭の中では展開し続けていることでも、実際に書く作業の時間(物理的な時間)は限られているわけで、バラバラになったままです。

ある程度はそれぞれに整合性を持たせたい気もするのですが、しかし、考えてみれば、これらの結末は「多分、言葉にならないもの」であるようにも思えて、つまりは、現在のバラバラの断片のまま進んで、ある時、突然終わるというようなものなのかもしれません。

いずれにしても、「思いついたままに書く」という方向性は変わらない(変えることができない)気もしますので、この「無秩序な断片化」というものが肥大する可能性もあります。

いまだに混乱した気持ちの中にいる方も多いかもしれない中、このような混乱した内容になっていることは申し訳ない気もしますが、あるいは、この、止まった時間の中での混乱こそが現在の状況というか心境というか、それそのままなのかもしれません。

ただ、基本的には現在、気持ちは平穏であり、ある意味では前向きとも言えるかも知れません。



放射能の意味

これはずいぶんと前から感じていて、原発の放射能問題に展望が見えないうちは書いていいものかどうかわからなかったのですが、しかし、どうやら、いろいろな意味で、そう簡単に解決するようなことではないという「良いも悪いもわからない展望」が見えている(しばらくはどうにもならない)ようにも思いますので、書いてみたいと思います。

今、私のいる東京も含めて、日本のかなりの広範囲が放射能の影響下にあると思われますが、これもまた前述した「止まったままの時間」と関係しているように思います。


これまで、日本でも世界でも、どんな大きな自然災害が起きても、それが自分たちの生活環境に影響を及ぼさない場合、そのショックは続いても数日、そして、あとは時間と共に「忘れて」いくのが普通でした。今回の東北の地震は日本全土を「呆然」とさせるほどのショックに叩き込みましたが、しかし、たとえば、私のいる東京が「もし」放射能などの影響がまったくなかった場合、今のように「私たちの意識が被災地の方向に向けて、これだけ強く留まり続けていたかのだろうか」ということはあると思うのです。


以前の記事に書きましたが、東京の若い人たちは震災後、数日後にはもうデートや行楽を楽しみ始めており、精神的なサバイバルを始めていました。今では街の様子も比較的落ち着いていて、人々は元へと戻ろうとしています。

これらは、「日常へ戻ることにより正気を保とうする精神的な生存本能」だと私には感じられ、大きなショックの後には必要なことだと思います。


しかし・・・。

日常に戻ろうとする私たちの周囲に「厳然」と存在する「見えない」放射能。

これにより、私たちは日常を送りながらも「今回のことが起きた方向」への意識が途切れることはありません。言い換えれば、困った代償といはいえ、「私たちは被災者たちと放射能でつながっている」と言えそうな気さえするのです。


ともすれば、日々勝手だった私たちは、これほどのショックを伴う災害でも「忘れてしまったかもしれない」宿命にあった可能性さえあります。しかし、放射能はそれを許してくれません。今回の出来事を忘れることを許してはくれない


今の状態が何ヶ月、何年続くのかよくわからないけれど、次第に頭の中に、東北のあのあたりの一帯の地図というのか概念というのかが、完全に頭の中に焼き付けられ続けていくような気がします。


そして、もしかすると、いつか私たちは「新しい私たちの人生はこのあたりと共に始まった」と思うようになるのかもしれません。


tohoku-2011.gif


新しい日本の意識的な中心地となった日本の東北(最初、「聖地」という言い方で書きましたが、この宗教じみた言い方は合わないので、「意識的な中心地」ということでいいと思います。意味は聖地と同じです)。

このことには意外感もありましたが、しかし、実はよく考えると、私が一昨年あたりからずっと抜けきれないでいた「大阪ショック」の答えが、「東北の人たち。すなわち東北の日本人の人たち」の中に見出せたのかもしれないと思います。

この「大阪ショック」というのがどういうものかは説明しづらいので、当時の記事をリンクしておきます。この後、何週間にもわたり、私はこの「大阪ショック」の意味を自問し続けていたのです。当時は自分でも下らないと思っていましたが、今振り返ると、意味のあるショックだったと思います。


大阪人はいかにして最強の宇宙兵器を倒したのか (2009年10月11日)


このことと「東北の人々」との関連は書ける時があれば書きたいと思いますが、要するに、大阪人が「なすがままに状況を受け流す方法として」使った言葉である「かめへん」。しかし、東北人はその「かめへん」さえ言わなかった。つまり、「なすがまま」を無言のうちに行っていた人たちだった。最強の人類の中の最強の「無言」の強さをそこに見出したということです。

ちょっとわかりにくい展開ですみません。

いつか、もっとわかりやすく書きたいです。



この時をどう過ごす

先日、災害関係の方からメールをいただきました。
災害関係の方からというと、さぞや緊迫したものかと思ったのですが、そこにはこのようにありました。

お仕事がら「人より情報が飛び交い、危機(の状況)はわかるのですが、なんとも静かで落ち着く街を感じます」とあり、そして、


この 「なんだかわからないけどせっかくの世界」を1日でも長く静かに見ていたいです。

最後の最後にすべてがうまくいくとは思っていますが、もしうまくいかないのであれば、「最後の日」に聞こうと思う音楽だけがまだ選べていません。



これが正しいのかどうかではなく、私本人は納得して読ませていただきました。

この2週間で見てきた「これまで経験したことのない世界」。

それはこの2週間で変化しています。
最初はそれがどうなるのか見当もつかなかったけれど、「どうもすべてが悪いという」だけでは済まない現在の方向があるようにも思わないでもない。


ちなみに、私は私自身に対しては「最後の最後にうまくはいかないだろう」とは思っていますけれど、でも、「うまくいかないことが人生で悪いことだったかどうか」もまたわからないとも思っています。

「最後にうまくいかないだろう」という考え方はネガティブに響くかもしれないですが、しかし、逆に、「最後の前に人生の途中でいろんなことをやっておこう」という生きる気力にも繋がることで、「やることやったんなら、もう最後がダメだろうが、宇宙から消滅しようがしったこっちゃない」という考え方は幼い時からあったようにも思います。


・・・うまく言えていないかも。

そんなわけで、今日はこれから外出ですが、あとでまた書けるかもしれません。
際限のない「テーマのぶつ切れ」は続きそうですが、お許し下さい。


ところで、昨日の記事で、震災当日の3月11日に吹いた「氷のような風」のことに少しふれたのですが、メールをいくつかいただき、あの時のことを覚えてらっしゃる人の多さを知りました。


そして、気温は相変わらず上がりません。
今日の東京の寒さはまた格段で、これは震災の頃の3月初旬よりも寒い感じがしており、普通なら「東京の3月の後半2週間」となると、日々春を感じていくような感じがしますが、その気配はまったくありません。


この「寒い気温」も、震災の日から時間が止まっていることを実感させてくれます。

そして、この異常な寒さが、すべてが悪い方向だけに作用しているわけではないことは、誰も口にはしないですが、なんとなく多くの人たちがわかっていることのように思います。




タグ:聖地



  
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