6歳児たちの「恋の奴隷」
私は 1963年に生まれているのですが、大体、私が生まれた数年後くらいから一般の家庭にもテレビが普及し始めます。今の若い人向けの流行ソングはほぼひとつも知らないですが、当時のものは今でもよく覚えていて、口ずさめます。
もちろん、当時も童謡や子ども向けの歌はたくさんあったと思うのですが、どう考えても、町のどこかで流れている流行歌のメロディのほうが頭に入ってくる。
また、当時のヒットソングの多くはきわめて「脳に刻み込まれる」ように頭に入ったメロディで、一度聴いただけで頭に入るという曲はたくさんありました。
その結果として、どういう現象が起きるかというと、幼稚園児たちが道で並んで、
とか歌いながら歩くというような光景が見られるようになるのでした。
意味はもちろん知らないわけですが、そのうち「フルで歌詞」などを覚えるようになり、遊びに疲れた5歳くらいの子どもたちが畑の横で、
「そっと唇 おしあてて あなたのことを偲んでみるの」
とかつぶやいているというような状況になっていくわけです。
しかし、ふと、「なんで小指を噛まれたのか?」というような疑問はもちろん湧くのですが、「ま、いいか」と、つまらないことは考えない子どもたちのたくましさが、辛うじて真意の追究から免れることとなっていたりしました。
この頃の1960年代後半から1970年代くらいまでの歌謡曲は子どもたちには一種、苛酷な世界で、「ものすごく覚えやすいメロディなのに、内容は完全に大人向け」だったんですよ。
私がいちばん口ずさんでいた歌は、森山加代子さんという人の「白い蝶のサンバ」という曲で、当時、「コンプリート」で歌えた記憶があります。
やっぱり、小学生が、
「恋は心も命もしばり 死んでいくのよ 蝶々のままで」
と、道で歌いながら歩く光景というのは、今にして思えば「変」なわけで、この1960年代の前半くらいに生まれた人たちが「どうもおしなべて頭がおかしい」と感じるのは、こういう幼少期の「異常体験」も関係しているかもしれません。まあ、本当に楽しかったですが。
童謡とか子どもの歌なんて馬鹿馬鹿しくて歌えなかったです。
それほど流行歌にはいい歌が揃っていました。
それにしても、森山加代子さんは今見るとかわいいですね。当時の私たちにとっては、こういう歌手の人たちは全部「大人の女の人」という括りだったので、こういう「かわいい」とかいう視点で見たことがなかったですね。なるほど、当時の青年やオヤジたちは、こういう別の視点でも見ていたわけか・・・。
さらに、小学生に入ったばかりだったか、「恋の奴隷」という曲もヒットして、やはり即覚える私たち。
畑で父親が栽培したトマトなんかをかじりながら、「あなたと遭ったその日から、恋の奴隷になりました」とか、暗い目をして呟いている。
6歳くらいの男の子にとって「恋の奴隷」という概念を理解するのはあまりにも厳しい(今でもよくわからないですが)。なのに、「歌詞は覚えちゃった」と。
多分、この頃はこういうような「知識に先行して」結構いろんなことを覚えてきたという経緯は多くの人にあったような気がします。
テレビなんかも、男の子は特撮ばかり見ていたわけですが、その後に知ったオカルト的な知識は関係なく、少なくとも、小学校に入る頃までは、
「人類は宇宙で私たちひとりではない」
と、多分、ほとんどみんな考えていたと思われます。
文明の崩壊を見ながら悲観しないために
そのあたりの様々な「洗礼」を受けた後、小学校や中学校から「教育」というものが始まるわけですが、「教育」の歴史というのは、否定的な言い方をしてしまえば、私たちからそれまでに学んだことや自由な発想を消す作業だったようにも思わないでもないです。
子どもたちから「恋の奴隷」を奪い去り、「メトロン星人」を奪い去る。
子どもは女の子の小指なんかを噛んじゃダメだ(そりゃまあそうだ)、宇宙からは宇宙人なんか来ない。
そういうのが「教育」というものだったわけですが、しかし、やはり1960年代前半の私たちの多くは「完全に気が狂った世界」で過ごし始める人は多かったように思います。
私もそうでした。
「世界はまあ・・・6歳までの自分が知ったくらいのもんでいい」と。
なんとなく、今、ちゃんとした会社や企業の上のほうにいられるような人たちも、内心はそんな感じで生きている人は多そうな気がします。
さて、そこで、私たち日本人は、今回の文明の崩壊の兆しという現実に直面したわけです。
「文明の崩壊」という言葉は否定的に響くかもしれないですが、私はほとんど反対の意味として使わせていただいています。
第二次大戦後、日本は「復興した」というような言い方を私たちは教わってきたわけですが、しかし、そうではないことは何となくわかっていました。
この正体は、
「物質文明が肥大しただけ」
だと。
前回の記事にも書きましたように、「子ども」というのはその時代や状況のあらゆるものを娯楽にしてしまう才能を持っているわけで、私たち1960年代生まれあたりは、「物質的な繁栄の極限」を見てきました。
それは特に娯楽に見てきました。
スペースインベーダーに始まるアーケードゲームのブームは、私はずっとその渦中にいました。ワープロが一般の人に購入できる価格になった時には真っ先に買いました。ビデオ、パソコン、そして、インターネット。
どんどん肥大する。
娯楽といえば、北海道の田舎で「あなたがかんだ〜小指がいたい〜♪」くらいしかなかった時代から、たった20〜30年で、とんでもない速度で物質文明と、それに伴う情報文明は肥大していき、それらの多くを体験して利用してきました。
「どこまで進むんだろう」という思いの一方で、常に「限界なのではないか」という思いもありました。
そして、今回、その文明の一部分が崩壊しようとしています。
これは(最近は他のブログなどを見ないので)多くの人はどう言っているのかわからないですが、現在の「文明だと考えているもの」が、実際には資本主義の経済の中でないと機能しないものであり、娯楽もインフラまでも、現在の経済のサイクルが消滅した時には同時に消滅してしまうことが明かで、そして、「元の経済体制へと復興する」という可能性を考えるのが夢物語にも近いということは多くの方が感じているのではないでしょうか。
しかし、「元に戻ることができない」という退行思考ではなく、「次に進むチャンス」という考え方は当然あると思っています。もちろん、被災の状況が進行中である中でそれは口に出すべきことではないと思いますが。
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外で見る子どもや若者たちが、なんとなくウキウキしたように見えなくもないのは、無意識では現在の「システムの崩壊」に希望を抱いている部分もあるのではないかなあと思います。
私は、以前、ほんの少しの間やっていた仕事の関係で、現在の教育主義の中の子どもたちの置かれている極めて苛酷な心理状態の子どもたちの姿を知って、かなり絶望したことがあります。学校とは別に、週にいくつものも習い事をさせられる子どもたちというのは、今では特別ではなく、ありふれています。
「習い事なんてしたい子どもがひとりでもいるか?」
というのは、本当は大人も知っているはずです。
でも、動き始めてしまったこの狂ったシステムを止める方法も、大人たちも子ども本人たちもわからなかった。
今、「止まるかもしれない」という感じはあるのかもしれません。
もちろん、それは経済的な意味も含めて、苦痛を伴う可能性はありますが、今の子どもや教育の周辺に漂う「教育の狂ったシステム」が止まる可能性というのは、あるいは、本当に起こり得るかもしれません。
ここで時間切れとなってしまいました。
こんなに余計な話ばかり書き続けていては、散らばったテーマがまとまるのには、100年くらいかかりそうです(あ、放棄するつもりだ)。
それでも、やっと・・・本当にやっと時間がまた少し動いている気がします。
以前とは違う時間の進み方ではありそうですが、とりあえず動いているような気がします。