2011年03月30日



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闇を覗き込む性質



なるべく毎日書きたかったのですが、昨日はどうしても時間がとれず、今日も基本的に何だか慌ただしいのですが、ただ、うちの奥さんの震災後の行動など見て気付いたのですが、「それまでインターネットで積極的に情報やニュースをあまり探すというようなことをしていなかった人たち」の中で、震災後からネットで情報を得ようとしている方もいらっしゃるかと思います。


その場合、本人も気付かない状況に陥ることがありますので、簡単に書いておきたいと思いました。

これはふだんからネットで情報を大量に見ることに慣れている人にはあまり関係のない話です。



不安の輪廻

インターネットの閲覧には、「ハイパーリンクの持つ自己洗脳性」というような若干の危険性がもともとあって、ハイパーリンクというのは、ここではネット上にある「リンクすべて」を指していますが、それは一般論としての前提として、

まず、


・「どうして普段は一晩中ネットで情報なんて探らないのに今は、それをやっているのか」


というと、それは、



・「何か不安か心配があるから」



であることが多いと思います。

そうすると、たとえば、ニュースでもブログでも何でもいいのですが、



・「まず、不安なリンクタイトルに目が行く。そして、そちらを選んでクリックする」



ことになります。
その後、どうなるかというと、「不安なリンクからさらに不安なリンクへとたどる」ということになり、最初はリンクの候補は、楽しいものや不安なものも含めて、いくつかの感情のあったサイトやブログからスタートしても、最終的に行き着く雰囲気は、


・すでに不安と恐怖の文字列しかないような場所



であることが多くなり、知らない間に、「不安と恐怖の項目しかない中から情報を選んでいる」ということになることが多いです。


そして、この場合の問題は、どういう経緯であれ、「自分でリンクをクリックしていった」という事実があります。

つまり、

・「これは自分で選択した情報なのだから正しいはずだ」という錯覚に陥りやすい


ということです。

これが結局は、「不安心理から自動的にリンクを辿っていっただけの行為」が、いつの間にか、その正誤を判断する前に自分にとっての「真実の情報」となっていく仕組みです。つまり、言い方としては適切ではないにしても、自分で自分を洗脳に追い込んでしまうというようなことになってしまうようです。

歴史では、いろいろな団体などが、様々な勧誘の方法などを考えてきましたが、実は最も効率的なのが、「自分で考えた結果だ」と思わせることだというのが確定した技術かと思われます。

これはそんなに難しく考えることではなく、様々な局面や著作などの中でおこなわれています。

つまり、

「これは○○である!」

という言い方を人にしないで、

「これは○○でしょうか? それとも△△でしょうか? お考え下さい」

という言い方です。
もちろん、この前提として、ずっと言外に「○○がいい。○○が正しい」というニュアンスを伝え続けているわけです。

その最終形として、「これは○○でしょうか? それとも△△でしょうか?」と訊かれた場合、訊かれた人々の多くは、


「それは○○だ」


と自分で結論に至ります。

これは一見自分で考えて出した結論のように思えるので、実に強固な意志となっていきます。

この方法はこれまであらゆるジャンルで使われてきたと思います。
商品の CM なども含みます。


もちろん、これがいいとか悪いとかでなく、インターネットの場合、自分自身の手によってこの状態に陥っていく可能性があるということを書きたかったのでした。


まあ・・・ハイパーリンクは本当に便利なんですけどね。

私が初めてインターネットに接続した頃は、ダイヤルアップという方式の、しかも、最初は 12800bps という速度で、これは最近の一般家庭のインターネットの、もう・・・何十分の一から何百分の1という速さで、たとえば、ハガキ大くらいの写真が全部表示されるのに、コンビニで買い物をして帰ってきても、まだ表示が終わっていないというようなことはよくありました。

当時は、「インターネットをすることがそのまま電話代」となり、大変な料金がかかったもので、多くの人が、「テレホーダイ」という夜中に NTT の電話代が固定化されるものを使っていたのですが、その夜中の時間全部を使っても、得られる情報などそれほどではなかったのです。


今のほうが、環境も内容もコンテンツも充実していて、信憑性が感じられるものも多い。
しかし、それだけに、「どんな情報も正しそうだ」ということを思いやすいです。

前にも書いたように、実際に現在ネットにある「どんな情報も正しい」のだと思います。
見方や考え方を変えれば、それぞれの主張や意見すべてが正しいかもしれないです。

しかし、今のこの時期に、まして、まだ被災地ではほとんど何も手つかずの状態というような中では、「不安」というような要素は私たちの一部にはあまり必要ないのではないかとも思います。



精神の自己防衛は必要


誰も予測しない中で今回の大災害が起きたように、基本的に私たちには未来が予測できないのなら、少なくとも今は不安を排除するということをした場合がいいということはあるのかもしれません。


私自身は他の情報を今ではあまり見ていないですが、いろいろな見地からいろいろな先行きを予測されている方々がいらっしゃるとは思いますので、そのようなものから情報を得ることは大変に有意義なことだと思います。ただし、そこから「ハイパーリンクの不安の輪廻」に陥らないように、長い時間、関連項目を見ないなどの「自己防衛」は必要かと思います。


最近ちらほらと Yahoo! などのニュースの見だしで見るようになりましたが、以前記事にも書きました PTSD (事故や出来事などの精神的ストレスが後になって肥大化すること。病名や言い方は様々でも、多くがひとつのもの)が本格化するのはこれからです。一般的には、事件後、数週間から数年で顕著になっていきます。

私の経験(私は PTSD から最終的に不安神経症とパニック障害に陥りました)だと、「最初は事件そのものへの恐怖だったものが、恐怖の対象が変化してきて、生活そのものが恐怖に変わってくる」までに数ヶ月を要しています。


この PTSD というのは本当に軽く見てはいけない。

今回は出来事も大きいですし、被災地以外のあらゆる人が PTSD に陥る可能性があるように思います。そして、これは本当に長く本人を苦しめるものです。

そういう意味でも、今の時期だけでも「不安は最小限」にして生活されたほうがいいというように感じます。どちらかというと、震災後に見てきた、たくさんの子どもや若い人たちのような「ゆるい思考」のもとで、精神の現状復帰を目指し、 PTSD を極限まで避けるようにしたほうがいいように感じます。

今回の出来事はそれくらい大きなものです。


未来を予測できない人類には「人生を楽しむ」という性質の一方で、「闇を覗き込みたがる」という性質もあるように思います。そして、覗かない時には覗かないほうがいい時もあるように思います。


タグ:PTSD