2011年03月31日



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雲の形が戻ってきた



今週の初め頃だったと思うんですが、「雲」の様相が変わりました。
変わったというか、戻りつつあるように見えます。


震災後の2週間くらいは、東京の雲はそれまでには見たことのないような形や色や動きの雲が次々と出ており、そして、「突然気温が低下する」ということも(これは今日もあった)続いています。


空に関しては、3年くらい前から何となく毎日見るようになっていて、ヒマなせいもあって、ベランダから見る以外にも、外を歩いている時にも空を見上げて、そのままボケーッと立っていることもあります(あぶねー)。

そんなこともあり、雲の名前などはよくわからないままに空の色とか雲の形なんかはわりと見てきたのですが、3月11日からの2週間くらいの間は、そういう過去に見てきたものをすべて否定するような雲が多かったです。

震災当日にも、暗雲と気温の急激な低下はあったのですが、その3日後くらいから空の様子はむしろひどくなっていき、こちらの記事の日(3月16日頃)に現れた「とぐろを巻くような黒い雲」を見た時には本当に「ああ、これはだめかも」と思いました。

その上の記事には、

「まあ・・・お前みたいな黒い雲も、ずっと不吉だ不吉だと言われてきて、まあ、オレなんかもそう思っていたわけだけど、そのへんはお互いの考え違いという面もありそうだわな。まあ、お互いあんまりトゲのない程度に行こうぜ」。



と書いてありますが、基本的には、その後の日々でイヤな感じの雲を見た時には同じように思って過ごすようにしていました。

そして、数日前、確か4日前だと思いますが、やっと以前と同じような雲に戻ってきたような気がしました。東京ではその翌日から、それまで異常に低かった気温も、また普通くらいの温暖な感じに戻りつつあります(一時的かもしれないですが)。



この数日の間、自宅以外も含めて室内での用事が続いて、ほとんど散歩ができない日が続いていました。それで、昨日の夜あたりに、震災後としては、初めて「イライラが非常につのって」ちょっと危ない感じでした。


ちょうど、今日から数日の間、子どもが奥さんの実家のおばあちゃんのところに遊びに行くことになって、今日は久しぶりに数時間歩き回っていました。

やっぱり、今の私は外を見て歩かないと精神衛生上良くないようです。
また井の頭公園にも行ってきました。



春の池と瓶ビール

散歩を始めたのはまだ午前中で、井の頭公園にも午前 11時くらいに着いたのですが、平日なのに混んでいる。「なんで?」と思ったのですが、春休みということがあるのかもしれないです。


今日は暖かいこともあり、ボートもたくさん池に出ていて、アベック、子ども連れがたくさん来ています。

公園の入り口から池の中央に向かって渡る橋があって、最近はいつもそこで池を眺めるのですが、何十年もここには来ているのに、その池の周辺の風景といったものを気にしたことがなかったので、見ていると、こちらの記事にも書いたような、「自然というのはなんということか」というような感動もありました。

まだ葉のない木のほうが多い時期で、つまり、「茶色のもの」が多い。
それだけに緑のあるもの、花のあるものが目立つのですね。これが春が過ぎ、全部緑になっていくと、「いきいきしすぎて、つまんね」というようなことになりそうな気がします(わがままだな、おい)。


歩き出した時に、ふと思って、木に向かって、

「お前がそのまま緑を出さずに永遠に枯れてしまえば、このまま永遠にいいコントラストでいられるのにな」

とひどい言葉をかけながら進みます。

でも、途中で、「でも枯れちゃったら朽ちてなくなっちゃうか。ハハハハ」と笑いながら(キチ・・・)進みます。

最近、歩きながら笑うことが多いんですよ。


ino-1.jpg

▲ 携帯で撮影した橋からの風景。古い携帯なので色が実際とは全然違います。右のほうの柳みたいなのがきれいでした。


橋を渡ると、小さな動物園とボート乗り場があります。
動物園は震災以後は休園となっていましたが、張り紙があり、「4月1日から再開します」とのことでした。

動物園の入り口の周辺にはベンチなどの座れる場所がたくさんあります。
子ども連れやアベックが多い中に、男数人組で午前中なのにビールを飲んでいる人たちがいる。しかも、よく見るとごっつい男たちが「瓶ビール」を呷っている。


「瓶ビール売ってんの? つーか、家族連れの横で瓶のままで酒飲むなよ。愚連隊かよ」


と思って見てみると、そのうちの男のひとりが赤ちゃんを抱いており、さらによく見ると、それらは複数の家族グループなのでした。


それを見て、売店のほうへ行って見てみると、やはり瓶ビールなどなく、あの人たちは持参したようです。午前中とはいえ、結構ビールを飲んでいる人は多く、私も缶ビールを買って、池を見てみました。ボートがたくさん出ています。

ボート・・・。
この公園のボートには、普通の手で漕ぐボートと、足でペダルみたいなのを踏んで進むボートと、スワンボートがあります。スワンボートが圧倒的に多いのですが、中にはやはり手こぎの人もいる。

「経済的な問題なのかな」と、料金表を見てみると、手こぎは600円で、スワンボートは 700円とあり、料金の差は 100円。金銭的な問題ではなく、「手こぎがいい」として乗っているようです。


昔、「世界が水没した時にはスワンボートなんていいかも」と思っていた時がありました。
それがなくても、スワンボートは今でも欲しいものひとつですね。
2台くらいあれば家族で水上で暮らせそう。



公園を出ようとした頃、空には青空も見えているのに、ボツボツと雨が。わりと雨に敏感に反応する人は多く「あ、雨だ」とは言うものの、私もそうですが、こんな天気の日に傘など持っている人などおらず、言うだけです。

「私たち放射能のことも忘れないでね」

と、雨がさりげなく言っているかのように、本当に少しだけ雨が降り、しかも、雲が消えて青空になったのに、まだ少し水滴が落ちてくる。恋人とふたりでソフトクリームを食べながら歩いていたアベックの男のほうが空を見て、「なんで雲がないのに雨がまた少し降るんだよ」と言っています。


まあ、前述したように雲とか気候とかは最近は基本的にコントロールを失った感じはしますので、適度にやり過ごすのがいいようです。

井の頭公園にいた全員に多少のいろんな物質を振りまきながら、雨は去りました。



こどもたちの遊びに対しての無秩序な希求

そういえば、今日ではないのですが、先日、吉祥寺を歩いていた時、ヨドバシカメラの裏側に細い道がたくさんある場所があって、そこで、若いお父さんと5歳くらいの男の子が自転車に乗ってゆっくりと私の横を通りました。

子どもは、大きな声で、


「パワー全開! おとーさんに、放射能ビーーーーーム! ビビビビビ!」



と言って、お父さんの横を走っていき、その若いお父さんも、


「ああ、やられたあああ!」


とか言ってました(笑)。

テレビなどをつけているのなら、子どももニュースでいろんな言葉覚えるでしょうしね。


それを見て、そういえば、小さい頃に自分たちで作り出していたいろいろな遊びを思い出しました。


1番印象深いのは「自主的な生き埋め遊び」でした。

今は家の構造が変わったので、北海道でも屋根から雪はそんなにドサドサと落ちないかもしれないですが、30年前40年前は、とにかく、屋根の雪下ろしをしないと、すぐに屋根に雪が積もり、そして、それは少し暖かい日などに下に落ちます。

この「雪が屋根から落ちる物理的な力」というのはものすごいもので、まず音がすごい。

「ドドド・・・ドドドドドドドドドドド・・・・・ドッカーン!」

という本当に冗談でもなく、爆撃を受けたようなものすごい音で落ちます。
稀に、この屋根から落ちた雪に当たって、怪我をしたり、生き埋めになる人たちが出ます。


私も、小学2年か3年くらいの時に、友だちの家でその友だちと屋根の近くで遊んでいた時に、落雪の直撃を受けたことがあります。

怪我は大したことはなかったのですが、ふたりとも雪と氷中に閉じ込められ、少しして気付いた家の人たちに救出されたのですが、結構な時間、雪と氷に閉じ込められた中にいました。

その時に「初めて知ったこと」がたくさんありました。
これは圧縮されて、氷に近いものに密閉された状態で、いわゆる新雪の中などとは違うのですが、すなわち、

・雪の中は暖かい
・雪の中は音が聞こえない


ということでした。
もちろん、光りはほとんど入らないので、ほぼ真っ暗です。
そして、外部の音がしないので、自分の鼓動だけが聞こえるのです。


救出された後、しばらくして、一緒に埋まった友だちと、「静かだったね」とか、いろいろと話していたのですが、しばらくして、

「あれをもう一回経験したい」

と思ったのです。


そして、学校に行った時に友だちに話して、何人かで「あの状況を再現する」という遊びを作り出したのでした。これは小学生が行う行為としては、実は非常に危険なものだったのですが、手順として、

・雪に深く穴を掘る
・その中に下向きか横向きで横たわる
・空気穴のバイブを上に出す
・上から雪をかけて、上にいる全員で踏み固める
・いよいよ苦しくなったら、パイプを動かして救出を求める
・上にいる子どもたちが救出する

というものでした。
密閉するくらいに強く踏み固めないと、無音にも暖かくもならないということがあって、「本人が自力では脱出できないほどの厚さまで」みんなどドンドンと踏み固めます。


最初は私が自分であの体験を再現したくて、中に入って、そして出てきたのですが、他の子たちもやりたがって、結局、全員で交代でこれをやりました。


この遊びはなんというか・・・本当に快感だったのですよ。

その時はそういう言葉は知らなかったですが、「胎内」というようなニュアンスもあったのかもしれません。みんながまたやりたくなる遊びでした。


ある日、学校で、「雪の中に埋め合ったりするような遊びが最近あるようなんだが、危険だから絶対にやめるように」と教師がクラスで言いました。私たちは「なんで広まったの?」と言い合いましたが、誰かが他の誰かに教えたのか、あるいは、同時多発的に(屋根からの落雪で埋もれる子は多かったので)発生したものだったのかもしれません。


小学生の時は本当にみんな遊びを作り出すことが得意で、私も得意でしたが、しかし、男の子の考え出す遊びには「命の危険」がつきまとうものが多かったです、これは乱暴とかアクティブとかという意味だけではなく、そうでない遊びもそうなってしまう。

ただの雪合戦でさえ、気付くと、誰かがそこに「石」を入れ始めた時から、流血になり戦争状態になり、「戦略」が必要となってくる。あるいは、最初は単なる水鉄砲遊びだったのに、理科の実験室から誰かが塩酸を盗み出して、それを入れるやつが出てくる。

上の水鉄砲は中学生の時ですが、当時の田舎の中学生なんて子どもそのもので、中三でも学校で水鉄砲で鬼ごっこやってたわけです。「かけられたら負け」という感じで。

ある時、水鉄砲遊びの時に廊下の奥から、

「えんさーん、えんさーん!」

という叫び声が聞こえてきて、逃げてくる生徒たちがいる。

「どうしたの?」
「一部のやつらが塩酸を詰め始めた! 服焼かれたやつがいる」


ということで、これも本気でみんな隠れて相手を探し出そうとする。
なんでもかんでも戦争じみる。


そのまま男性性社会のシステムを体現するかようですが、でも、私たち全世代はそんな「ただの遊びが殺伐として」どう感じるかというと、嬉しくてたまらなかったんです(笑)。

そして、無傷で遊びを切り抜けられた時は子ども同士で喜びを分かち合う。

遊びの戦争が終わった後にはみんなで学校を出て、家で「今日も生き残れてありがたい」と、みんなそれぞれに眠って夢を見る。
うーん・・・・・。今考えても、わかるようなわからないような。



七夕の因果

そういえば、私は 1963年生まれなんですが、メールなどをいただく方にもこの周辺の年齢の方も多く、変なこと書いて下さる人が多いですね(笑)。


ちなみに、誕生日は 8月 7日なんですが、これは本州では何の意味もない、この 8月 7日というのは、北海道では当時は七夕の日だったんですよ。気候の問題でそうなったんでしょうが、本州とは1カ月違ったんです。

なので、子どもの時は「七夕に生まれた子なんて、めでたいねえ」などと言われていたのですが、本州に来てから何の意味もない日だと知りました。

鼻の日?

とか言われる始末。
実際にそうらしいですが。


そういう「七夕への因縁」というか、そういうものを持っていたんですが、その 42年後に生まれたうちの子どもの誕生日は 7月 7日で、こっちは正真正銘の七夕に生まれました。「さすが東京生まれの子だねえ」と感心したものです(よくわかんないが)。

そんなわけで、長い逡巡だった「実は七夕と無縁だった私」という問題も、子どもに救われたという話でした。


今回は特に支離滅裂ですみません。
ちょっと用事となってしまいました。