復興という概念につきものの懸念
ニュースで「復興」とか「財源」とかいうような文字を目にする度に、今回のすさまじい規模の破壊にあてるそれらの調達の方法の様々を考えると、どうしても「ハイパーインフレーション」(急速に物価が上昇していくこと)というような言葉が頭をよぎります。
確かに今後、いろいろな避けがたい困った状況というものは様々な分野で生まれやすい可能性というのはあるようで、それは仕方ないようにも思います。
そして、その「実際」を予測して対処するのは難しいようにも思います。なので、仮にハイパーインフレというようなものが発生した場合、どのような過程を経るのかを予測することはできないでしょうが、以前、 ハイパーインフレーションの2つの資料という記事を書いた時に、 2007年から始まったジンバブエでのハイパーインフレーションの様子が、マゾエというジュースの価格で示されています。
これは国家の発表ではなく、店頭での表示価格ですので、もっとも実際に近い価格を示しています。
その物価上昇をわかりやすく大体の日本円にして、半年ぐらいごとの値段の価格として掲載してみますと、こうなりました。
2006年 10月 130円
2007年 03月 2万円
2007年 10月 90万円
2008年 02月 1,900万円
2008年 04月 2億1,000万円
2008年 05月 4億2,000万円
1本100円くらいの値段だったジュース。それが1年半で店頭表示価格が 4億円を突破したというような感じかと思います。冗談みたいですが、これは現実ですし、最悪の形のハイパーインフレーションのひとつの形です。
▲ そのマゾエというアフリカのジュース。ジンバブエでは最終的に価格は 400万倍に上昇。
しかも、これでハイパーインフレが止まったというわけではなく、この 2008年5月以降は、「ジンバブエドルでの販売は停止」され、米ドルだけでの販売となったので、事実上、「自国の通貨では買えなくなった」という感じでしょうか。
1946年にハンガリーで発生したハイパーインフレはこのジンバブエの時よりさらに悪いもので、物価上昇率が最高で 1京3,600兆パーセントに達したそうです。これは上のジンバブエのジュースの例でいうと、 130円のジュースが 9000兆円持っていっても買えないものになったということかもしれません。
それでも、その時に、それぞれの国で人々は生きていたわけで、今後、日本の紙幣価値というようなものが「仮に」なくなったとしても、あるいは、あらゆる金融資産的な価値が大きく変わったとしても、現実の準備というより、「心の準備」というのか、今、震災の後、やっと時間は動き出し始めた感じはするものの、現実的にこれから対峙する問題はものすごく大きいはずで、その激動の中で「精神的に正気を保ち続ける」ということは大事に思います。
ちなみに、福島にいる奥さんのお姉さんも、千葉にいる私の妹の家族の家も、どちらも比較的最近になってから買ったばかりの家で、そのあたりでも途方に暮れている面はあるようです。
そういういろんなことはあると思います。
そういうこと(先がまったくわからないこと)もあり、いろいろと急いで書いているというような部分はあるかもしれません。突然書けなくなる可能性はいつでもあります。
ここで書いていることは先に考えて書いているというわけではないし、毎日適当に思い浮かんでいるだけという部分もあるし、思いついた時には書きたいとは思いますが、いつまでこうやっていられるかどうか・・・。
正直よくわかんないですね。
まあ、それでもやっと自分の中の時間が少し動き始めて、また飲みに行ったりもすることもたまにできるようになっています。
先日、初めて入った飲み屋さんがあったのですが、そこのメニューに「ナマコ酢」があり、最近ではこれを置いてある店は少ないので、思わず注文したところ、うまいうまい。
久しぶりに食べたナマコはよく噛むと、ホヤを彷彿とさせる部分もあります。「同じ仲間なのかもしれないなあ」と、しみじみ思いました。今回、被害に遭われた宮城の三陸はホヤの主産地だったと記憶しています。
ホヤも日本人の食べものとしては語るところはたくさんあるものだと思っています。
ここから最近のテーマにうつります。
人々の記憶はどこへと旅立つのか
3月26日の記事で、断片的に書いているテーマとして、
・生と死とは何か
・宇宙における人類の位置
・日本人の意味
・食べるという行為の意味
・女性性である地球(あるいは宇宙)の中の男性性システムの意味
・男性性の消滅と人類の進化
と書いたのですが、最も引っかかっていた「生と死とは何か」ということについて、私は震災翌日の記事に、このように書きました。
そして、人類が存在している限り、それ(死ぬこと)は必ず起きる。
「悲劇」という概念(もちろん他の様々な概念も)が、宇宙が人類に与えたものだとすると、私たち人類が宇宙との対等に近づくためには、その「真意」、その真意とは、つまり私たちは「生命の生きることと死ぬことの真意」を知らなければならないのだと思うのです。
「人が死ぬことが悲劇ではなくなる」という響きは、一見、むしろ冷たく聞こえるかもしれないでしょうが、それは、私も含めて、その「真意」がわかっていないからなのではないかと考えるようになりました。真意というのは、「肉体の生と死は本来(宇宙の最初)はどういう意味だったのか」という真意です。
私が先日書いた宇宙に向かっての「殺せるものなら殺してみやがれ」という言葉の意味のひとつには、その真意を知りたいという表現が幼く表れたというような部分はあるかもしれません。
この答えはもちろんまだ出ていませんが(そんなに簡単に出るわけもないと思われますし)、 昨日の記事で書いたような、「人間の生きている基本的な意味は、もしかすると、その人の人生の記憶や経験を DNA に蓄積して伝承して、宇宙の歴史を作ることの手助けをしている」という可能性もあるのだとすると、とりあえず、今の私たちは「できるだけ、できることを日々おこなう」ということ以外にはないようにも思います。
そして、やはり、もし、記憶が永遠に伝承されるというなら、「できるだけ」ポジティブな、あるいは(仮に自分だけでも)楽しかったり気が楽にほうがいい。それはどうしてかというと、どんなに頑張ってみても、ネガティブな事態は起こり得るし、楽しかったり気楽ではない局面も起こり得ると思うからです。
昨日の記事に書いた5年前に死にかかったことについては、まあ、病気だったんですが、しかし、意識を失う時は「最後までいろいろと経験しておこう」とは思っていました。「楽しく意識を失う」というのはちょっと無理でしたが(苦笑)、しかし、人間はいつかは必ず一生を終えて、必ず、大地に帰ります。
そして、多分、その記憶は他の宇宙や次の時代に繋がってされていくのだろうと私は思っています。楽しい記憶も経験も苦しい思い出も悲しい記憶もすべて受け継がれていくのだと思います。その様々な記憶の中で「宇宙は成長」していくと・・・まあ、少なくとも、今はそう考えていたいという部分はあります。
そうすると、「宇宙というのは、人類個々の生と死によって成長している」ということにもなり、「対等」という立場でいられるような気もするのです。しかも、「人類全体と宇宙が対等」なのではなく、「すべての個人と宇宙が対等」だということになり、それは日本人とかいう枠とは関係のない、すべての人類に当てはまることだと思います。
ちなみに、記憶を継承していくということに関しては、以前も何度もこのブログで紹介させていだいていた「パンスペルミア説」での「生命の拡散の方法の推論」が参考になると思います。パンスペルミア説は、簡単に書くと「地球の生命は宇宙から彗星などに乗ってやってきた」とする説で、かつては荒唐無稽ともされましたが、今では、「あとは検証次第」という空気にまでなっています。
細かいことはともかく、地球に「生命が運ばれてきた」ことと、逆の物理現象が起きた場合、「地球の生命と DNA も他の宇宙の惑星に行ける」のかもしれないとは思います。「逆の物理現象」などということが何かあるのかどうかはわからないですが。
地球が宇宙から生命をもらうだけではなく、次にはいつか宇宙に対して生命を与えるという立場にになることもあるのかもしれないと考えます。
微生物だらけの宇宙
先日、メールで大変興味深い内容のものをいただきました。
メールを下さった方の知人で、発明などをされている方らしいですが、会話の中でこのようにおっしゃっていたのだそうです(抜粋と編集をしています)。
「物がどうして燃えるかというとね、物が燃えてるんじゃないんだよね、燃えているのは空気。酸素。ものは介在しているだけ。で、その空気、酸素は微生物の塊だから、微生物が燃えているわけ。
普段、空気吸っているでしょ。よくバイキンだとか言ってイヤがったりする人もいるけど、吸ってるのは全部微生物だよ。人間の体は細胞にしても原子とかのレベルで見ると隙間だらけでしょ。微生物が集まって、つなぎあわさって成り立っている。この世界には微生物が隙間なく蔓延しているわけ」
これが本当かどうかということではなく、地球、あるいは宇宙は「微生物が集まって、つなぎあわさって成り立っている」という概念は、私もまたずっとイメージしている宇宙の光景とほとんど同じです。
そして・・・お! 今地震が来ています。 久しぶりに大きめ。
・・・。
ああ、千葉で震度5弱ですね。こちらは震度3でした。
4月2日の午後4時56分。マグニチュード5.0
まだ続きますか・・・。
うーむ・・・地震も来ましたし、今日はとりあえずここまでにいたします。
ところで、上の「宇宙は微生物が集まって、つなぎあわさって成り立っている」というものを書いた過去の記事は、こちらの記事です。上のフレッド・ホイル博士たちの研究についてもわりと詳しく書いていますので、もしお暇なら読んでいただくと嬉しいです。
・地球の成り立ち(0):宇宙はすべて生き物からできている
クレアなひととき 2010年05月09日
この記事では最初に「結論」を書いています。
それを抜粋しておきます。
宇宙が自ら作り出しているものはすべて生物やアミノ酸を含む有機物で、宇宙は生物以外は生産していない。宇宙に漂うすべての塵そのものやその集合体から作り出される恒星システム、銀河のシステムもすべて生物からできている。現在無機物と呼ばれるのはその副産物であり、もともとは生き物。また、地球を始めとする惑星そのものはすべて「生き物と生き物の亡骸の固まり」でできている。
です。
もちろん、本当にそうかどうかなんてわからないですが、基本的にそれからずっとこのように思って生きています。