2011年04月03日



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個人的な「第5世界」に突入している



先日飲みにいった際、以前から知り合いのお店の女の子に、「最近やっと笑えるようになってきた。○○さん(私)と会うまで笑ったことなかった」と言われて、やや複雑に思いつつも、逆に「でもこれで彼女の人生も始まるかも」と思いました。

これを言った女性の年齢は、まだ 21歳です。

初めて会ったのが2年くらい前ですから、彼女は「20年間笑ったことがなかった」と言っていたことになります。20年間のあいだ、記憶の中から笑顔が消えていた人生


私はこの十数年、かなり夜の街で飲み続けていたことがあり、いろいろな夜のお仕事の女性や女の子と会ってきました。

すごいのは、それだけいろいろな女の子と知り合ってきたわりには、「変な関係(性的なという意味)になったことがない」ということがあり、それだけにまあ、相手からすれば安心感はあるオヤジなのだと思いますが、いろんな女の子たちの話をきいたり、相談みたいなのを受けたりすることがあり、その中でいろんな人生を知ることができました。

私が人生の中で知り得た「他人の人生」という意味では、これほど勉強になることはなかったと思います。


ちなみに、とても素朴な質問なんですが、夜働いている女の子(特に接待業)の多くが、どうして夜働かなければならないかわかりますか? 給料だけなら普通のOLさんなどよりはるかに低い場合もある夜のお仕事をしなければならない理由。それを考えてみたことはあるでしょうか?


ここに「冷たい日本の社会システムの正体」といったものがあります。



枠からこぼれ落ちた人間は救済されない日本の国家システム


「日本の進学率」なんていう言葉があり、それはたとえば、義務教育就学率は100%、高校への進学率も97.5%になどというニュースにもあらわれているように、非常に「無自覚」に数字が使用されます。


上のような数字は本当なのかもしれないですが、しかし、「現実とはそぐわない数字」だということもまた事実です。

たとえば、夜働いている女の子たちにとても多い学歴のひとつが「高校中退」なんです。

この「高校中退者」の潜在数は男性も含めて、ものすごいものがあるはずなのですが、それについては公共では語られない。そして、彼ら彼女たちがどういう学歴を背負わされるかというと、「中卒」、つまり中学校卒業なんです。


中卒という学歴が就職という条件について、どれだけ不利なものかおわかりでしょうか。「私は好きな仕事に就きたいの」などという絵空事が通じる世界ではないんです。「高校中退」という、あまりにも多い現実が、ちゃんと表社会で語られてこなかったために、多くの人々が「社会で何もできない状態」に置かれることになっています。


高校中退にもいろいろな理由はあるにも関わらず、これを救済するシステムは基本的にありません。「大検」という非現実的な受験制度はありましたが(今は廃止されたらしい)、この「大検」も、それ自体は卒業資格でもなんでもなく、「大学を受ける権利を得た」というだけになる何の意味もない「冷たい制度」です。

そして、この「高校中退者」がどれだけ多いことかは、陽の当たらない多くの社会を知ると、いくらでも知ることが出来ます。


日本という国家・・・・・少なくとも多くの人々が完璧な社会システムや高学歴を持つ国だと考えているこの国には、


「ザルからこぼれ落ちたものを助けるシステムはない」


という冷たい現実があります。


しかし、この冷たい現実はあくまで「日本国家が冷たい」ということで、日本人も日本人システムも冷たいわけではないことも私は知っています。

夜の街だけではないですが、多くの「救済」はいわゆる立派な人々が誇りを持って歩いている世界ではなく、「その裏側にある世界」でおこなわれていて、そこにはダメな部分も非常に多いけれど、基本的には「日本国家が標榜している実態」よりは、はるかに暖かくて居心地のいい世界があります。そして、この「裏側にある世界」は、そこにいない人からは見えません


私は、他にも様々なアンダーグラウンドな生き方をしている人々を見てきましたが、立派な人々が眉をひそめるような仕事や生き方をしている人は、「国家に見捨てられた代わりにお互いに救済」していました。

戦後に始まった日本の制度は、「ザルからこぼれ落ちた人たちは日本人ではありません」という国家体制となりましたが、ザルからこぼれ落ちるたくさんの人々たちは、すでに国家から離れて、日本国の日本人ではなく、所属のない「単なる日本人」として生活していたように思います。

もちろん、そんなことを意識していたわけではなく、自然とそうなっていったということでしょうし、そして、私も今やっと、そのことに気付いたのです。



笑った年齢

話が飛びましたが、冒頭に出てきた21歳の女性は、2年前から知り合いだったとはいっても、せいぜい何ヶ月かに一度飲みに行く程度でしたが、たまに相談を受けたりといったことはあり、彼女のその(あまりにも)複雑な人生は知っていましたが、しかし、「笑えるようになった人生をスタートできたのなら、もう大丈夫だ」と私は思いました。


私はそのことを知っています。
実は、私自身が生まれた時から長い間、「まったく笑わない子ども」だったからです。

これは最初は写真で気付きました。

ずいぶん前ですが、帰省した時に、昔のアルバムがあって、それを見ていると、私の赤ちゃんの時の写真がたくさんあったのですが「笑っている写真が一枚もない」のです。

普通、親は赤ちゃんの笑った顔を写したいもので、それを狙ってシャッターを押し続けたのでしょうが、多分、ついに笑わなかったのでしょう。そして、生まれた時から赤ちゃん、1歳、2歳、3歳と進んでも、アルバムの中には私の笑顔の写真がひとつもありませんでした。

そして、4歳、5歳となると、その頃からは記憶もあります。写真でもその頃はまだ笑っていないですが、その頃は毎日、


「なんでぼくは生まれたんだろう」


とずっと考えていました。

5歳くらいの時にはそのことばかり考えていたように思います。

小児喘息で幼稚園にはほとんと行けず、「最初の集団生活である幼稚園」で集団生活を学習するキッカケを失っていたので、基本的にその後も、今でも、「集団行動ができない」という面はありますが、いずれにしても、長男で、当時は両親共に働いていたので、ほとんどひとりで過ごしていたましが、それだけに、考える時間はたくさんありました。

元気な時には、ひとりで外をずっと散歩していて(このあたりは今と同じですが)、近所の子どもが幼稚園や小学校から帰ってくる時間になると、テレビのある子の家に行って、みんなで見ていました。

まあ、喘息は別にして、日々そんなに不満はなかった気はするのですが、それでも、「なんで生まれたのだろう」というようなことと、「なにが楽しいんだろう」ということはわからないままで過ごしたように思います。


私が心の底から笑って生きるようになったのは、いつというハッキリとした年齢はわからないですが、結構大人になってからのことです。

この「生まれた時から笑わない性質」は、実はうちの子どもにも受け継がれていました。赤ちゃんの時から笑わず、以前書いたように発語も大変に遅く(ほぼ3歳まで発語がありませんでした)、ご存じの方はご存じかと思うのですが、これは一種のいろいろな意味での心配もあることでしたが、そのことについてはふれません。

そして、ある児童心理の専門家の医者がおっしゃっていた言葉が多分、うちの子にも、そして私の時にも当てはまっていたように思いますが、それは、

「まだ世の中に生まれたことを受け入れていない」

という言葉でした。

まあしかし、うちの子は3歳くらいには笑顔を獲得し、言葉は最初の発語から、わりとあっという間にほぼ正常の年齢の言語レベルに至りました。まあ、声を出す前からすべてジェスチャーで表現していたので、「言葉を出す出さない」は彼にとって、それほど大きな問題ではなかったのかもしれません。そして、非常によく笑う元気な子となりました。それがいちばん嬉しいことです。

たった3年間でこの世に生まれたことを受け入れた彼は大したものだと思います。私はものすごく時間がかかりましたから。一度笑ってからはずっと笑って生きていますが。




太陽活動と共に人生の大きな変化を経験していた

そういえば、この「自分が変わった年齢の節目」が、面白いように「太陽活動」とリンクしていることに以前気付きました。

太陽活動というのは、11年周期くらいで変動するものですが、その11年前後をひとつのサイクルとして、太陽黒点観測が始まった時から番号づけられていて、今は観測が始まってから 24回目の太陽活動(サイクル24)の渦中にあります。

そして、「太陽活動と社会的な人の心理状態が連動している」ことは 1920年代にロシアの科学者によって、はじめて突き止められており、その後も地球の人間の活動はほとんどそれに沿った動きを見せています。

これは、そのロシアの科学者がまとめたグラフです。

sun-human.gif


黒点活動の観測が始まった1749年から1922年までのグラフで、上の細い線と下の太い線との相関関係を示すグラフです。

何の相関関係のグラフかというと、

・下の太い線のほうが太陽の黒点数

・上の細い線のほうは世界で起きた軍事と政治暴動の数


となっています。

その連動は一目瞭然で、その後もほとんど同じです。

こちらに英語ですが、オリジナルの論文があります。


近代史の中の大きな出来事はそのほとんどが「太陽活動のピークの渦中」(2年から3年の間)に起きています。フランス革命もアヘン戦争も南北戦争も日清戦争も第二次世界大戦もソ連崩壊もアメリカ同時多発テロも、すべて太陽活動のピークに起きています。


今現在は 24回目の太陽活動(サイクル24)のピークの渦中にいます。
なので、社会的に大きな変動が起きることはほぼ間違いないと思うのですが(自然災害などとは関係なく、人の心理が動き出す)、それよりも私としては、世の中がどうなるかということ以上に、「私がどうなるか」に興味があります。

今まで太陽活動のピーク時には心理的なものを含めて大きな変化を経験しているからです。

この「黒点」と「太陽活動」というものを知ったのは2年くらい前なんですが、その時、その太陽活動ピークの時と「自分にものすごい変化が起きた時」と、すべて一致していることに気付いたのでした。


例えば、今回の震災で何かご自分の中で「変わった」と感じられている方は多いように思います。
むしろ、あれだけのことを経験して、何も変わらないのなら変にも思います。


これと同じくらいの衝撃的な変化が、過去の太陽活動のピーク時に、自分の人生で起きています。

私が生まれた 1963年以降の太陽活動は、まあ大体ですが、

第20太陽活動周期(1967年前後がピーク)
第21太陽活動周期(1978年前後がピーク)
第22太陽活動周期(1988年前後がピーク)
第23太陽活動周期(1999年前後がピーク)
第24太陽活動周期(2012年前後がピーク) 


となっていて、それぞれの時に「人生が一変するほど」の環境的、精神的、価値観的な変化を体験しています。

そして、今回の震災も同じように私に変化とショックを与えているとすると、これは人生で「5回目の変化」ということになり、自分にとっての「第5世界」が始まったのかもしれないなあと思います。


そして、これは、もしかすると、私が政治や経済のことなどには何の興味もなく、また、他の国の政治などにも何の興味もなかった 1990年代まで戻れるのかもしれないという可能性を感じます。

私は二十代の頃、年代にして、1980年代の終わりから1990年代の終わりくらいまでの間、テレビも見ない、新聞も読まない、雑誌も買わないという生活が普通でした。仕事はしていましたが、雑誌などのリライトやデザインがなどをやっていて、それは家でできるものでしたし、内容もご時世とはまったく関係のない浮き世じみたものでした。

インターネットは登場していませんでした。
その時の首相さえ知らない日々が自分にとっては普通でした。


結局、私も1番上に書いた例でいえば、「日本国家のシステムのザルから落ちてしまった人」だったために、その国家システムからは相手にされないことを知っていたので、「こちらも知らないでおこう」と。それは憎しみや否定とは全然違う「相互不干渉」ということで、なので、今でも政治や日本のシステムを冷たいとは思いますが、文句も恨みもまるでありません。多分、ブログにもそういうこと(日本の政治への文句など)を書いたことはないと思います。

「個人と国家はお互いに干渉しない領域だ」と本気で思っていました。


今は当時よりさらに強く思います。
早く「現在の政党も首相も知らないような生活」に戻りたいし、自分の国籍も忘れてしまいたいです。

国籍は関係なく、私は「ごはん粒を残さず食べる日本人」というだけで、まあ嬉しいのです。日本国が好きなのではなく、日本人であることが好きなのです。


もちろん、一般的にはこのような考えはされない方がいいと思います。
国家と決別して生きることは気楽ではあるけれど、大変な面もありますから。


ただ最近思うのは、以前からウェブボットに出ていた「飛び地の文明(中央集権的な政治と離れた生活システム)」という概念がありますが、これは案外、日本から始まるような気もしないでもないです。

現在の被災地の救済や、それを取り囲む状態の中にはすでに「日本国家」という概念は見えないように感じます。

そこには懸命に頑張ってらっしゃる多くの「個人」の方々の姿だけが印象に残ります。

前に書いたいわゆる「今回の神話」では、「世の中は人と人である」いう、実に単純な構造が社会のすべての始まりであることを示しているような気がします。



今しばらくのことについて

震災前まで、翻訳で記事を紹介させてもらったり、宇宙関係などの記事などいろいろと書くことができて、また同時に私もたくさんの知識を得ることができました。
いろいろな情報などを下さった方々にも本当に感謝しています。

そして、長い目で見ればわからないですが、今しばらくは、それまでのような記事のご紹介や翻訳はしないというか、できないようにも思います。

そもそも、最近また「英語がわからなく」なりました。
昨年突然のようにわかり始めた英語力も、また突然元に戻ったようです。
昨年たくさん単語を覚えたので、単語の羅列では読めそうですが、それ以上のことはもはやできそうにありません。


そんなわけで、今でもすでにそうですが、このブログは今後「情報サイトとしてはあまり役に立たないもの」になっていくと思います。

今でも、他の様々なサイトやブログでは多くの役立つ情報や見識があると思いますので、そのような良サイトや良ブログをご参照いただければと思います。
タグ:太陽黒点