2011年04月04日



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鎖国の気配



私の生まれ故郷である北海道は、ここ何年もの間、観光客の主流は中国や韓国からの人たちが圧倒していて、観光での経済ではそれがほとんどを占めているといっても過言ではありませんでした。


そして、2008年に大々的な北海道ロケを敢行した中国映画「狙った恋の落とし方」(原題:非誠勿擾)が中国で記録的なヒットを作り出し、中国における北海道ブームは「頂点」に達しました。

北海道のどの観光地でも、飛び交う言葉の多くは中国語(と韓国語)となりました。
昨年、札幌の大通り公園に行った時には日本語は聞かれませんでした。

そして、「中国資本による土地や不動産の大々的な購入」が続いていました。
水産資源等も含まれていたと思われます。


現状では、多分、あと数年もすれば、政治的な動向なく(戦争も侵略もなくという意味)、「北海道は経済的には中国の土地」となっていたと思います。これは多くの人が薄々と感じてはいましたが、しかし、その中国のお金がなければ、すでに北海道はほぼやっていけない状態でした。そうしなければ、生きていけないほど北海道経済は追い詰められていたはずです。

あとは「実質的な占領の日を待つだけ」という段階になっていました。


そして、今回。

放射能によりほとんどの外国人観光客と土地購入者が北海道から消えました。
中国の人も韓国の人も消えました。
そして、多分、何年も誰も来ません。

経済的に著しい問題を残す可能性と共に、侵略にも近い土地の買い占めも止まりました。

これについて、どう感じるかは人それぞれでしょうので、いいとか悪いとかはわかりません。


まあ、最近では「社内の言語を英語にする会社」などの例もあるようで、土地や文化が海外に侵略されることに対して、今の日本の人々はあまり抵抗もないのかもしれないですが(自分の国で自分の国の言語の使用を禁止するのは占領下の国以外ではあまり聞いたことがない)、私個人としては、そういうことにはあまり好感の持てるものではないです。

これは「日本だから」というのではなく、他の国でも、その国が他の国から「文化的な侵略を受けている」ことを見るのは好きではありません。



タイの姿と重なって映っていた北海道の未来

私はタイという国が大好きで、ある意味でマイペンライ(いい加減)な性質であるタイ固有のタイ人が大好きですが、しかし、現在のタイという国では、この「もともとのタイ固有のタイ人」は完全に他の国の経済支配により制圧されている状態にあります。

タイでは政治や経済や芸能界までも実質的に牛耳っているのは「中華系」であり、もともとのオリジナルの民族である色の黒いタイ人たちは、多くが肉体労働的な仕事に携わっていることがほとんどです。


タイでの政治騒動だの王室騒動だの様々な「主流のニュース」は、「それは全部、中国人の話」であることは事実で、タイの人口の多くを占める本来のタイ人は、それらの話題の蚊帳の外でした。自分たちの国なのに。

タイ人たちはそのことを知っていますが、もはやどうにもならくなっています。一昨年の暴動も、形の上ではタクシン派がどうのこうのと言っていましたが、あれはあきらかに「タイ人の覚醒」でした。

自分たちの本来のタイを中国人からを取り戻したい」と。


暴動は失敗に終わり、今もまた中華支配はそのままです。

もちろん、仮にタイから中華系の人たちがいなくなれば、実質的に、タイの政治や経済は終わります。考えられないほど貧乏な国へとなっていくでしょう。

それもタイ人はわかっているはずです。
しかし、暴動は起きた。
お金より誇りを選びたい」という書き込みを当時の YouTube のコメントで見ました。


タイは歴史の表面上では「侵略されなかった唯一のアジアの国」となっていますが、現実には経済的にも文化的にも侵略されて、現在のタイがあります。

私はこの現在のタイと同じ姿を、未来の北海道に見ていました。

住んでいるのも仕事をしているのもすべて日本人で、人々は日本語を使っているけれど、実質的に経済を牛耳っているのは中国という図式です。

これは時間の問題だったと思います。


というより、今回のことがなければ、日本は地方により分断された形で、様々な国によっての経済的、文化的な占領下にあったようにも思います。日本の大都市の不動産や大企業の実質的所有の状況というようなものを見ると、それは何となくわかる気もします。


それも今回のことですべてなくなりました。


外国人はほとんど日本から消えました。
そして、これもやはり何年も続くことだと思います。


日本はかつて鎖国ということをやっていたことのある珍しい国です。
それが今回、また事実上始まっている感じがします。

ただし、当時と違うのは、「出て行くのも自由」ということです。

当時は外国人が入ってくるのがダメだったことと同時に、日本人が外国に出て行くこともできませんでした。

でも、今は違います。

出て行きたい場合は、いつでも外国に出て行くことができます。いいも悪いもなく、現実に放射能は日本の多くの地域を覆っているわけで、この状況の中で、日本を出て行く人が責められるということはないでしょう。


なので、「人種は関係なく、日本に残りたい人たちだけが残る鎖国」というような形になっていくように思います。


考えられないような圧倒的な歴史の転換点が、こういう形で来たというのは何とも言えない部分はありますが、しかし、上に書いたように、いろいろな流れが止まった、あるいは変わったことは事実です。

これは「夜の吉祥寺」を歩いてみてもわかりました。



夜の街からも消えた外国人たち

東京の吉祥寺は一見、おしゃれなイメージがあり、それは事実なのですが、夜になると、吉祥寺のある一帯は中国人アンダーグラウンド経済の支配下にありました。


具体的には、吉祥寺駅の北口を出てすぐ右に歩き、交差点を渡り、高架横の歩道を突き当たりまで歩くと、そこに南北に伸びる道があります。この道沿いでは、深夜12時頃を過ぎると、大勢の中国人女性たちが道に立ち、また、あまり知られていないですが、いくつかのマンションが風俗営業のために「建物ごと」買い占められています。

この状態は10年くらい前から徐々に始まり、警察などから黙認されているのか、今では大っぴらに数多くの女性などが道に立ち、道行く男性たちに声をかけていました。この道の存在を知らない人には非常に奇異な光景に見えると思います。


先日、震災後に何回か深夜そのあたりを歩きましたら、その人々は「全部」消えていました


どれだけ警察が浄化という名目で乗り出しても、決して消えることがなかった中国人の人たちは、地震と放射能で消えました。この10年間くらいで、深夜でそのあたりで中国人女性の姿を見なかったのは、多分、初めてだと思います。


また、以前の記事で、「吉祥寺から消えた外国人」のことを書いたのですが、実際に最も消えたのはアジアからの観光客でした。

とてもたくさんの台湾や韓国、中国の人々が吉祥寺の観光に来てくれていました。彼らはみんなビデオやカメラを持っているのですぐにわかります。しかし、その姿を震災後はまったく見ません。先日、ハイパーインフレーションのことについて、記事でふれたことがありますが、仮にそんなことが起きれば、観光客だけではなく、住んでいる残った外国人もいなくなると思われます。


街中を歩き回っているだけで、本当に変わってしまった日本の姿を目にします。
三分間の地震によって百年分の歴史がひっくり返ったかのようです。



もちろん、住んでいる私たちにしても、不安要因はいくらでもあります。
たとえば、実際には放射能より、「連動した次の地震」というものへの懸念が今は強いのではないでしょうか。これは多くの地震学者がその懸念を持っているけれど、言えないのが現状だと思います。そして、これは「正確な予想はできない」という厳然たる事実があります。


私たち「残る人々」は、これから何が起きても(自然でも経済でも)いいように、ある程度の実際の準備と、そして、「心の準備」というようなものは必要かと思います。


地球の長い午後は終わる

ちょっと暗い話になってしまったので、歌でも(歌かよ)。

私が18歳くらいの時に、はじめて見た東京のバンドで、女性バンドのはしりだった ZELDA (ゼルダ)というバンドの曲とその歌詞です。その時、彼女たちは北海道にツアーに来ており、美唄という小さな町でのライブを見に行きました。

彼女たちの歌です。
もう30年前の歌になるんですね。

音楽サイトに載せた歌詞が一部に好評でしたので、歌詞も載せておきます。
エスケープの意味は、ここでは「新しい世界への扉」のことを歌っているように思います。


ZELDA - エスケイプ(1982年)



教会の鐘が今 旅立ちを告げるよ
長すぎた戦いに 荒れ果てたこの星

廃墟の街をさまよう
うつろな瞳の兵士
地球の長い午後は終わる

絶望の海を越え 誕生のドアを開け
幻の星に向け 心はもう彼方へ

廃墟の街をさまよう
うつろな心の天使
地球の長い午後は終わる

愛を探してさまよう
明日を探してさすらう
地球の長い午後はおわる

暗い宇宙突き抜けて 子どもたちの方舟
暗黒を切り裂いて すべてを解き放つ

愛を探してさまよう
明日を探してさすらう
地球の長い午後は終わる