2011年04月06日



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日本人が歩んできた歴史の中のテクノロジーの意味



私がいわゆる携帯電話というものを初めて持ったのは、多分、1998年くらいのことだったと思います。まだ PHS というものがあり、アステルという会社の PHS 携帯が自分で持った最初の携帯でした。そのアステルの PHS 携帯は今でもデザインが気に入っていて、本体は今でも持っており、子どものオモチャになっています。
こういう形のものでした。

AJ-25.jpg


これの何が気に入ったかというと、とにかく小さい、とにかく軽い。大きさも薄さも今の最も小さいタイプのものよりはるかに小さく、重さなどは比較にならないほど軽い携帯電話でした。

機能的には、電話の機能以外はほとんどありませんでした。メール機能も一応はありましたが、使用できるのは、「カタカナのみ」で、しかも、十文字だったか二十文字だったかの文字制限がありました。


キノウハドウモアリ

(昨日はどうもありがとうと書こうとして切れたところ。面倒くさいのでそのまま送ってました。笑)


こんなメール機能を使うわけもなく、携帯は「単に電話をするもの」でした。

私は今でも携帯のメール機能が苦手で、日常生活ではほとんど使いませんが、それよりも、私はふだん「物を持って外出することがほとんどない」ので小さいほうがありがたかったのです。持ち物というのはバックなどのことですが、持つことが基本的にありません。 100回外出するうちの 99回は手ぶらだと言っていいくらいなのですが、そういうこともあり、携帯も上着やジーンズのポケットに入れるので、大きいのは困るということもあります。

なので、小さい携帯は助かったのですが、この 1999年あたりというのは「携帯でのメールブーム」が一気に起きた頃で、次第に携帯のサイズは大きくなっていきました。


そして、数年前だったか、携帯のメーカーを換えた時には、「携帯にカメラ機能がつく」のが普通になっていることを知りました。

その携帯電話のサイズの大きいこと、そして、重さも重いこと。


携帯ショップで、「なんじゃ、こりゃあああああ!」と(心の中で)叫びながらも、ほとんど選択肢はない状態といってよく、結局、それからは「携帯にカメラがついている」ことは普通のこととなり、ついには動画撮影の機能まで普通に搭載されるようになった。

長い間、ひたすら「携帯にこんな機能全部いらねーよ」と思っていました。

そして、メーカーの価格競争や様々な価格設定により、若い人からお年寄りまでの非常に多くが携帯を持つようになり、そして、今現在では「ある程度の年齢のほとんどすべての日本人がカメラつきの携帯を持っている」のではないかというようなほど普及しました。

デジカメと違って、携帯はいつでも持ち歩くタイプの端末で、つまり、多くの、ごく普通の一般的な日本人の誰もがが「いつでもどこでも記録を残せる状態」という、歴史上でも稀に見る状態になっていました。


そして、そういう時に今回の震災が起こったのです。


震災後何日か経ち、携帯の基地局やインターネットが少しずつ復旧してくる中で、YouTube などにアップされ続ける「おびただしい災害の映像」。


ニュース通信社が写したものではなく、「被災者本人たちが撮影した災害の映像と画像」が何十も何百も何千も何万もインターネット上に次々とアップされる。


日本にいようが、外国にいようが、仮に震災のことを知らない人でも、 YouTube にアクセスした途端、目にせざるを得ない「信じられない自然災害の姿」。


人類の近代の歴史上でもっとも被害の大きな災害のひとつである今回の震災ですが、これはまた同時に「世界中の人が災害の現場を映像で共有した」という、歴史上、はじめて人類が体験した驚異的な出来事になったのです。


今でも、あまりニュースは見ないとはいえ、海外のニュースの見だし等を見ても、いまだに世界中で原発に対して、そして地震に対してのニュースが収まらず、むしろヒートアップしている原因のひとつが、「世界のあまりにも多くの人々が映像による決定的な同時体験をしてしまった」という、史上初めてのショックが発生したからです。


この「携帯のこと」については、震災後数日後に私は薄々とは感じていましたが、「映像の世界中の共有」は、何週間経っても、さらにどんどんとインターネット上で肥大し続けていき、それにつれて世界中のショックが拡大していく光景を見て、「携帯テクノロー児の意味」を私なりに確信したのです。

つまり、私があれだけ「携帯にカメラなんて無駄だろ!」と感じていたこと、すなわち、携帯端末の進歩と普及のうちの「映像と画像とメール機能」がどうして日本で突出して進んでいったのかがわかった気がしました。これは世界マーケットを考えると、あまり意味のないことで、そのせいで、今でも日本製の携帯端末は世界では売り上げ順位がとても低いです。


私たちの地球の歴史の中で、「必然性のない歴史は何もなかった」と考えると、全世界へ伝わった今回のショックと、日本人のカメラ付き携帯の普及率の異常ともいえる高さの関係はあると思います。

また、戦後の電気製品やカメラや映像テクノロジーの日本での特殊な発展の仕方にも敬服いたします。


以前、

日本人研究者が獲得した「暗闇での視覚」: 人類と光と植物 2011年02月28日

という記事で書かせていただきましたように、ここ数年の日本人の発見や研究は、いわゆる「覚醒レベル」の驚異的なものでした。

そこで挙げた3つのニュースはこれでした。

生命の起源が宇宙から飛来したことを裏付ける根拠を観測
国立天文台(日英豪米の共同研究グループ) 2010年04月06日発表

古代銀河ヒミコの発見
大内正己(米国カーネギー研究所) 2009年5月10日発表

植物や藻類の中で葉緑素が緑色になる反応のしくみを解明
栗栖源嗣(大阪大学・蛋白質研究所と名古屋大学・生命農学研究科などの共同研究) 2010年04月18日発表


金銭や名誉に絡みにくいので、報道は小さかったですが、何年後か何百年後かにはも必ず上の日本人研究者たちの発見は「これが世界の意識が変わるキーポイントのひとつだった」と言われることになると思います。


そして、「携帯にカメラ機能をつけ、そして、それが異常な率で日本人の間に普及した」ことも。


これまでの災害での「被害の多さ」、あるいは「人命被害の多さ」という意味では、過去にもっと悲惨な自然災害はたくさんありました。この10年だけでもかなりの数に上ります。昨年のハイチの地震も(日本の震災より規模が小さかったのにも関わらず)、現在までの死者は 31万人を数えています。


しかし、そういう「被害の大きさ」ともまた違う、それまでのどんな災害と違う「異常」が前述した日本にはすでに背景としてあったという点が他の様々な災害とは違う点だと思います。


「すでに日本人全員が歩くカメラだった」


という状況。

現状、人類は遠くのものを「見る」ことはできないし、現実的には「文字だけでの情報でのショック」には限界があります。
それだけに、視覚として瞬時に伝わる、「携帯とインターネット」の絡みという今の(じきに終わるのかもしれないけれど)文明を思います。

地上で起きるすべてのことを記録して、そして、「世界全体にすぐに広がる」。



テクノロジーの意味は、未来永劫に進化していくテクノロジーという意味とは別に、今回のように人々にショックと、そして覚醒を与えるために「その時代にだけ存在した」テクノロジーというものもあるのだと思います。

未来の生活には、こういうもの(携帯とかカメラとか、あるいはインターネットなどまでも)は多分不要になるかもしれないですけれど、「今は必要」だったと。

携帯カメラテクノロジーと、それを開発した方、そして、企業努力でそれを大勢に広めたくれた方々に感謝したいと思います。




超余談: 恋のフーガの英語バージョン

唐突なんですが、わたしは子どものころから「ザ・ピーナッツ」という存在に非常に不思議なものを感じていのだですが、そのザ・ピーナッツの1967年の大ヒット曲の「恋のフーガ」に英語バージョンがあったっていうのはご存じでした? 昨日初めて知ったんです。

この「恋のフーガ」は、小さな頃からものすごく好きな歌なんですが、昨晩、なんだかザ・ピーナッツの歌が聴きたくなって、 YouTube でいろいろと聴いていたら、「恋のフーガの英語版」というものが。字幕だけ入ってるんだよなと思って見てみたら、本当に英語で歌っとるがな・・・。




「マジかよ・・・」と思いましたが、何度聴いてもご本人たちとしか思えない声ですので、本物のようです。オリジナルの日本語版ほどの迫力はないにしても、この奇跡のハーモニーがたくさんの人々にも届くのはいいことですね。

ちなみに、映像そのものはこちらの日本語版のオリジナルプロモのものです。


ザ・ピーナッツというのは、子どもの頃から「不思議感」を強く感じさせた人で、その気持ちは今でもあまり変わりません。どんな不思議感かというと・・・難しいですが、「本当にこの世に存在している現実の人なんだろうか」というような感慨というのか、なんというか。

歌のうまさとかハーモニーとかは一種異常な領域に達していて、歌の訓練とかでどうにかなる世界ではないものだったと思います。

「宇宙人っていうのがいるとしたら、こういう人たちのことかもしれないね」などと、学校の友達と話していたことがあります。引退の時も、「帰るんだ、帰るんだ、きっと星に帰るんだ」と大騒ぎしていました(うるせー!)。


ちなみに、昨日は記事が開いてしまったのですが、忙しいというより、以前少し書いたかもしれないですが、「自分の過去に好きだった音楽や映像などをまとめたりしている」という一種の遺書的作業(苦笑)で時間をとられているということがあります。

いろいろと面白い話はたくさんあるのですが、おいおい書きたいと思います。
タグ:アステル