2011年04月11日



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予言から離脱していく人類



先日、近所のたまに行く飲み屋に行きましたら、常連のご老人(若い人が多いこの店では珍しい)が、「私の知り合いがね、予言で、今度○○が××だというんですが、オカさんはどう思われますか?」と言います。この方は80歳近い高齢ですが、誰にでも敬語で接する方なんですが、それはともかく、私は返答につまりました。

そして、うーむ・・・と私は唸りました。

あれだけの現実の災害を前にしても、まだ予言だなんだという人がいるかと。


私は震災後、記事でたまに人類のことについて激情に駆られるままに書きました。

ほとんど書き殴ったものとはいえ、ある程度は、自分の書いたことに同意できる部分はあります。基本的に最近、自分の中でも自分がバラバラなんで、全部同意できるわけではないですが、しかし、以前書いた「人類は未来を予知できないという他の生命にはない能力を獲得したことによって、宇宙史上で最大の進化をした」ということは、今でも全くその通りだと感心しています。


予言というのは「進化する前の人間の機能」の一部であって、現在の人類はそこから脱却することによって、現行の娯楽や楽しみや、あるいは文明に到達することができたと考えています(予言で「実現不可能」とわかってしまった研究をする人はいなくなるというような意味も含めて)。

もちろん、いろいろな人がいるわけで、今でもその昔の人類の特性を持っている人はいるでしょうし、「個性」はあると思います。手で色を見ることができる人とか、人には聞こえない音を聴くことができるとか。

しかし、それらは一般人である私たちの日常生活にはあまり関係のないことです。

そのことを考えているうちに、さらに「予言」ということにについて書きたくなりました。





予言からの離脱

人類がこの「予言できない能力」を獲得するために(宇宙が)どれくらいの年月をかけたとかいうことを何となく考えたことがあるんですが、脳下垂体と大脳の発展に関しての、人類と他の生物との(化石などから)の違いで、具体的ではなくとも、その途方もなく長い道のりはわかるような気もします。

神だか宇宙だかは知らないですが、それらは、人類が登場するまで「必死」だったと思われます。そして、その登場した人類が「宇宙の記憶の歴史から離脱する可能性」を見せた時、神か宇宙は涙を流して喜んだはずです。

なぜなら、もし、仮に、その登場した人類が他の生命と同様に「宇宙に寄り添った生命」だったり、あるいは「アカシックレコードの中でのみ生きる」生命であった場合、宇宙の死は加速を続けていたはずだったからです。

しかし、そこには、「宇宙を客観的に、認識できるものが生まれた」


唐突ですが、ギャートルズの歌は、地球の人類の歴史ではなく「宇宙の人類の歴史」を(偶然)あらわしていたのかもしれません。
「宇宙への認識の始まり」という意味の歌で。

ああ、そうだとしたらそれはすごい。貼っておきます。



歌詞に「星がひとつ生まれた」とありますが、認識する以外では客観的な宇宙はこの世に存在しなかったことも事実で、そういう意味では宇宙の可能性もありなのかもしれません。園山俊二すごいな(ムッシュも)。


人類の誕生による宇宙への認識は宇宙の最後の賭けだったかもしれません。
これでもし、人類が現在のような生命として誕生しなかったなら、文字通り「宇宙は死んでいた」。
「死んだ宇宙を認識するものが一切、宇宙に存在しないまま」となっていたからです。



DNA はさらに進化する

DNA の構造を見てもわかる通り、すべての生命は「機械仕掛けのオモチャ」のように精巧に作られています。

「どうしてそうなのか」

というのはわからないままで、あるいは、何もかも本当に存在しない可能性だって相変わらず強いけれども、この DNA という、ふざけた生命の機械仕掛けの仕組みが私たち人類の中に漂っていることは、とりあえず現時点では認めざるを得ないわけで、しかも、ゲノム解析だけなら、ヒトより遺伝子が多いものなどウジャウジャといるわけですが(たとえば、イネの遺伝子総数は 3万2000個で、ヒトの2万2000個より、はるかに多い)、しかし、DNA の実態のほとんどが実質わかっていないというような現状で、この比較には意味がないというのも事実。

わかっていない 97パーセントには、植物と共有の部分もあるかもしれないですし、あるいは、人類独自の部分もあるかもしれないですし、あるいは、私がもっと思うのは「その人だけの DNA 」、つまり個性というものが、DNA 情報に入っている可能性を感じます。

しかし、では、「もともとその DNA 」はどこから来たのかというと、それは「わからない」。
ということは、「現時点でも人類の DNA 情報は、宇宙の中で蓄積され続けている」と考えてもいいと思っています。


つまり、まだ人類の潜在意識の中の歴史は進化し続けていると。
ところが、人類自身は「その歴史に触れることができない」

その理由は、その「人類の過去の歴史」の多くがアカシックレコードと呼ばれような歴史の集合体の中にあると思われるからで、また、未来に関してもそうなのだと思いますが、さあ、この「未来」が問題だ(お、なんか興奮してきてるぞ)。


なぜかというと、


・人類ひとりひとりの未来は全員違う


と思ったほうが合理的だからです。

つまり、「全員が違う宇宙を持っている中で、違う宇宙の DNA 情報を蓄積しているのだから、自分の宇宙の歴史以外には意味がない」と。なので、過去も含めて、人の予言には他の人にはあまり意味がないとは言えそうなのです。


予言にしろ、アカシックレコードにしろ、それ自体の存在を否定することなどできないわけです。
存在する。

ただし、この2つの問題、

・予言は基本的に人類の過去の能力だ

ということ。
そして、

・人類全員の宇宙に共通した未来はない


ということ。
これらのことは多分存在すると思います。

なので、予言を否定するということではなく、「楽しい話として聞けばいい」のだと思います。
聖書なども同じでしょうが、宗教に関しては今日気付いたことがあったので、後で書きます。


私は、今後、人類はさらに進化していくと思っています。今よりさらに未来を予知しなくなり、人は目の前にある自然を見て、空気を感じて、動物や植物や天気を見て、その現実を知り、そして、今日から明日へと日々行き着くという生命にさらに進んでいくと思います。現実と現実を取り囲む自然と宇宙が人類に常にささやき続けていることを知ると思います。


そして、さらにアカシックレコードから離脱していき、人類が現実に立ち返った宇宙観を取り戻すことで、宇宙と人類は相互に尊敬しつつも、「相互に不可侵である」という立場を明確にできるわけで、そして、その時には「神は消滅」するように思います。

「神の消滅」は、何よりも、その「神」と呼ばれるものこそが希望していたことだと思います。
聖書の例でいえば、「父」です。それは絶対的に存在するものだから、「認識」してはいけないものなのに、今、言葉として存在しているということは、彼にとっても不本意なことだと思います。



ちなみに、今これを書いている途中でどんどんと空が暗くなり、雷のような変な音が鳴り始めています(今は、4月11日の午後3時50分頃の東京)。

私は 3月16日の「黒い雲」以来、一貫して、空と対話しています。

そこから考えると、今までの例では、この記事を書き収めた頃、つまり、今日の夕方にはこの妙な空模様も元に戻り、そして、明日は今日以上にのどかな、いい天気になると思います。

すでに空も雲も以前とは変わりました。

人類が自然に囲まれて生きているということを教えてくれています。

(いやまあ、実際の話、雲に話しかけると結構なんとかなるものですよ。まだ気は狂ってないですから大丈夫。笑)


何しろ、私は、何の予言もできず、不思議なものは何も見られず(UFO すら見たことがないという珍しさ)、超能力などの特別な能力が一切ないという「完ぺきに何の能力もない」というこの完全なる人類の最終進化形(笑)。


クックックッ(やっぱり少し狂ってるかも)。


ところで、「雲と空の様子が人の心理状態とリンクするということはあり得るのか」ということに関して、「それはある」ということが言えると思います。

その仕組みは基本的には、物理的な話で、面倒くさいわりには楽しい話ではないですが、「雲ができる仕組み」ということを交えて、今度書いてみたいと思います。

ちなみに、雲の生成は、

・結晶の中心となるもの
・宇宙線


の2つが必要で、このうち、雲や雨の結晶の中心となる部分は無機物では生成されにくいという面があります。「有機物や生き物でないと雨になりにくい」のです。そのうち書ければ書きたいですが、このうち、「雲の生成と宇宙線」の関係に関しては、この記事などにあります。

太陽活動と宇宙線。そして、地球の天気 (地球の記録 2010年03月25日)


この記事に資料として、2002年に名古屋大学の太陽地球環境研究所がリリースした資料をご紹介していますが、その中からの抜粋です。

宇宙線が霧を作るのは宇宙線研究者の間ではよく知られたことで、この原理を使った宇宙線の測定器まである。ウィルソンはこれを発明して 1927 年にノーベル物理学賞を受賞した。 したがって、宇宙線が大気の中で霧を作るという考えは自然に思える。


とあり、また、こちらの図は宇宙線の量と雲の量ですが、一目瞭然の関係性があります。

14-1.gif


約 20年間の観測データがここまで一致すると、偶然という意見のほうが難しくなります。

そんなわけで、実は、雲というのは、宇宙からの宇宙線と、地球上の生命(有機物)が組み合わさってできているという可能性が非常に高く、この「宇宙と生命(地球の人類以外の生命)」というところを考えて、上の「宇宙と人類」の関係を考えると、

・宇宙は雲を介して、人類に感情を伝えることができる可能性がある

と、まあ、オカルトですが(笑)、私はそう考えます。


おおお! 今これを書いた途端、雷が落ちました。
これは当たってるぞ、きっと。



宗教が大事な理由

私は「宗教」というものが、どうしてこんなに長い間、人々を虜にしていたかという理由が、今日はじめてわかりました。


いつものように、散歩している途中、近所の神社で拝もうとして、ふと、「ところで、オレは何に拝もうとしているんだ?」と思ってしまい、手を合わせたまま参拝所の奥を睨んでいると、

それは人間の作ったものを尊んでいるからだ

と頭の中で声が。


「あ、そうか」と。


すべての宗教は「人類が作ったものだから」こそ尊いのだと。
なるほど、宗教は1から100まで人類が作ったもの。

実はそこに「神」自身は最初から介在していない。

人類が作って、人類が広めて、人類が信仰している。
電気文明などと同じ、貴重な人類「だけ」の文化だったわけです。


「なるほどねえ」と、納得して、参拝所に「いいこと知ったよ。ありがと」と言って、でも、ちゃんと深々と最敬礼して、神社を出てきました。

これからはもっとちゃんとお参りしようと思いました。
今まで最大の敬意を込めていなかったことを後悔しています。


今まで、宗教を持たない私のようなものは、神社などで参拝する資格があるのだろうかと考えていましたが、資格ではなく、「人として、人類が作ったものを尊敬することは当たり前だったのだ」ということに気付いた次第です。