数日前から、右の頭皮から右目の下あたりにかけて、皮膚の表面がかなり痛かったんですが、今朝になって目の上あたりに腫れが。
「ああ、これは・・・」と、なじみの病院に行ったら、帯状疱疹でした。
顔の目の上あたりから頬あたりまでを三叉神経というのですが、このあたりの神経に沿ってのものみたいです。
で、治療を始めると共に、まあ痛いのはともかく(私は意外と痛さには強いのです)、「お酒はしばらくダメ」とか言われて、そうなると、何かを書く気力も失せてしまい、前回くらいまでの続きの内容での更新は少し開くかもしれません。
ちなみに、昨日くらいに途中まで書いていたものがあって、それは仮題が「夢は未来を予測しない」というタイトルでした。それは途中までとなっていて、書き上げましたら、アップしたいと思います。
「夢は未来を予測しない」という響きは何だか本当に夢のない話っぽくて、そう思われるのもアレですので、途中まで書いたその文章の中に最初に「結論じみた」ことを書いていますので、その部分だけ抜粋しておきます。
「人類の宇宙の記憶からの決別」はあらゆる活動と現象に及び、夢も例外ではないのかもしれません。つまり、一般的に言われるように、夢は宇宙の記憶に触れるという現象「ではない」可能性があります。
夢も「宇宙の記憶とは関係のない人類の単独の現象」だという言い方にもなるかもしれません。
なので、夢は基本的に社会全体の未来を予知しないと思われます。
夢の正体は、その人の DNA が何十億年(期間は様々)の間に蓄積され、その本人の DNA の中に保存され続けてきた「その人(その人のもつ DNA )だけの過去のあらゆる歴史」に触れていることだと思われます。なので、その個人の宇宙の中の人生で経験した、あらゆることに毎晩ふれているといってもいいのかもしれないです。
たとえば、未来のような風景に見えても、それは過去なのだと思われます。
「過去の現実の経験の記憶の中を毎晩、旅している」というような感じでしょうか。
そして、夢を見る意味は、過去の自分を知ることでのキュア(治療)であると同時に、自分が経てきた何億年、何百億年のすべての人生の学習でもあり、それを見ることで、自分の人生に「自分の価値観」を反映させることができる。
地球の人類文化の中にあるあらゆる価値体系(嗜好、趣味、音楽、文学、芸術など様々なもの)は、夢と現実を DNA の中を相互に行き来する行為の中で確認されて、そして、現実の中で芸術や、あるいは「個性」として花開くということなのかもしれません。
つまり、夢での学習がないと、人類の文化はこれほど多様に展開しなかった可能性を感じます。
と、その途中までの文章に書かれてあります。
相変わらずわかりにくいし、このことをちゃんと説明できる続きが書けるかどうかわからないですが、「夢って何なのだろう」ということは十代の頃からずっと考え続けていたことでした。ある意味、何よりも長く考えていたことかもしれません。
その夢というものに対して、正しいとか正しくないという意味ではなく、自分なりに結論的なところに行き着き始めたのは良かったと思います。
ちなみに、今日行ったお医者さんは若い時からわりと長い付き合いなんですが、「帯状疱疹は疲労かストレスがキッカケのことが多いから、気付かないうちに疲れてるんじゃないの?」と言われました。
自分としては、ストレスとかは感じてないのですけど、ここで顔が痛み出したのも、なんかの意味があるのでしょうかね。
痛みが取れるくらいまで少し休みます。