さきほど書いた記事で「帯状疱疹で痛いので、ちょっと休みます」と書きましたけど、お酒を飲まずにベッドに入り目をつぶると、
ジンジンジン・・・・・。
「痛いっつーの!」
というわけで、お酒も禁じられているし、そもそも眠くならないということがあって、日記でも書こうと思いました。
痛み止めにボルタレンという薬を処方されてるんですが、じつは以前これで死ぬ目にあったことがあるので、ちょっと敬遠しています。これらの痛み止めは、非ステロイド系消炎鎮痛薬、別名NSAIDs (エヌセッド)と呼ばれているもので、ロキソニン、ボルタレン、ポンタールなど、非常に広範囲に処方されている一般的な消炎と痛み止めの薬なんですが、「一般的だから安全か」というと、そういうわけではないというのが現状なんです。
もちろん、一般論としては安全ということでいいのでしょうけれど、私、これで以前、胃に「4つの穴が同時に開いた」ことがあり、ちょっと前に記事に大出血の話を書いたんですが(生きている意味: DNA に蓄積されていく人類の体験)、それはこのボルタレンが原因だったんですよ。
胃に4つも同時に穴が開くと、それはそれはひどい出血で、体の血液の何分の1が流出したようで、その血が口からドバッとシャワーのように(苦笑)。何リットル出たのかわからないですが、その直接的原因が上の鎮痛剤でした。
これらの危険性は海外でも調べられていて、たとえば、ウィキペディアの非ステロイド性抗炎症薬というページには、
NSAIDsの胃腸障害作用は用量依存性であり、多くの場合致命的となる胃穿孔や、上部消化管出血を起こす。
おおむね NSAIDsを処方された患者の10〜20%に消化器症状が現れ、アメリカでは年間に10万人以上が入院し、1万6千500人が死亡している。
要するに、上の非ステロイド性抗炎症薬を処方された患者の1割から2割が、何らかの胃の不調を訴えて、アメリカでは、大体年間で1万人から2万人が死亡しているということです。
ピロリ菌という胃潰瘍や胃がんの原因となる胃の中の菌があるのですが、日本人の、特に四十代以上はこのピロリ菌の含有率が世界の中でもずば抜けて高く、上のアメリカの場合より問題が出る可能性は多いようにも思います。
しかし、じゃあ、なぜこれらが病院で多用されているかというと、「他にない」のです。痛みを止める薬となると、これらに勝るものはないと。
なのでまあ、これらは単なる風邪などでも処方されますので、処方された場合は、
・胃の調子はふだんから良いか、悪いか
・食後の服用を必ず守る。あるいは胃薬も同時に処方してもらう
といったことを気にしてもよく、もっと言えば、
・多少の痛みは我慢して、なるべく服用しない
というのも大事だと思います。
私も様々な「痛み」の疾患を経験してきており、痛みのつらさはそこそこわかります。なので、耐えられないほどの痛みを耐える必要はないと思いますが、「処方されたから漫然と飲む」のは、この系統の薬ばかりはやめたほうがいいです。
なお、処方された薬が非ステロイド性抗炎症薬かどうかは、非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)一覧というページにすべて載っていますので、調べるといいと思います。
ちなみに、大体、下のようなものが一般的です。
病院で処方される主なNSAIDs
・アスピリン
・ロキソプロフェン(ロキソニンなど)
・ジクロフェナク(ボルタレンなど)
・インドメタシン(インダシンなど)
・メフェナム酸(ポンタールなど)
・スルピリン(メチロンなど)
・アセトアミノフェン
他
市販薬の主なNSAIDs
・アスピリン(バファリンAなど)
・イブプロフェン(イブなど)
・エテンザミド(ノーシン,新セデスなど)
・イソプロピルアンチピリン(セデス・ハイなど)
・アセトアミノフェン(タイレノール、小児用バファリンなど多くの市販薬)
他
これを見ておわかりだと思いますが、「痛み止めのほとんど」なんですよ。
だからまあ・・・難しい問題です。
当面の日本人が直面する主な問題はストレスとPTSD
そういや、さきほど、知り合いの女性で医療関係に勤めている人に言われたのですが、震災後、ストレス原因の病気で来院する患者さんが数が驚くほど多くなっているとのこと。
私の帯状疱疹も、基本的にはストレス原因とされている病気のひとつですが、自分では感じていないストレスが高まっていた、あるいは溜まったまま時間が過ぎていたということはあるのかもしれません。
考えてみれば、震災後の「時間感覚を失っていた」時の1週間前後に受けたストレスというのか、精神のアンバランスが心身に何らかの影響を与えないわけないですもんねえ。なにしろ、私はパニック障害や PTSD歴があることでもおわかりかと思いますが、基本的にストレスに大変弱いです。
しかし、大した被害もない東京に住む私がこういう一種のストレス障害に属するものが出てしまっているということは、被災地に近い方になればなるほど、この問題は今後大きくなると思います。
以前にも書いたことがあるような気がしますが、PTSD とストレス障害の問題が大きくなるのは、一般的には「事件直後」ではないのです。
たとえば、インフラや生活などが多少、元に戻り、不便ながらもやや平穏な日々が戻りつつある・・・という時がもっとも厳しいと私は考えます。
厄介な話なんですが、「心の余裕が出てきた時に、はじめてストレス障害のたぐいが頭をもたげてくる」ということがあるのです(もちろん、基本的にはストレス障害にならない人の方が多いです)。必死で対応している時は、心理的な葛藤が飛び出してくる余裕がないのですが、一息つける頃にむしろ問題となりやすいように感じます。
なので、被災地の方だけではなく、今しばらくの間、多くの日本人の心配のひとつは、放射能や余震といったもの以上に、「心の中」ということがとても大事になってくると思います。
震災直後から、「精神のサバイバル」のような書き方をしていたのは、やはり、なるべく、できる範囲で、精神的に現状復帰できる人はしてほしいと思います。被災地の方々はまだまだ難しいでしょうが、被災地の人ではない人でも、もし、今、極度の不安などに見舞われている人がいるなら、「震災があったことを忘れてしまう」くらいのつもりで、精神を戻すのもいいと思うほどです。
結果的に、被災地以外の周囲の人たちから精神的に立ち直ったほうが、何だかいろいろとうまく行くような気がするのです。
それには、たとえば、確かに今、新たな地震とか放射能とか、あるいは火山のこととかいろいろと不安はあるかもしれないですけれど、何度も何度も書いていますように、それらは予知できません。
なので、不安が先行していても仕方ないことで、そこそこの準備をしたあとは、それこそ笑っていたほうがいいように思います。
あるいはどうしても不安が払拭できないのなら、移動されてもいいでしょう。
「不安と不安の積み重ね」が人々の間に新たな不安の輪廻を呼ぶと、「本来存在しなかった不吉」が台頭してくるのが世の中ですので、それはあまり建設的ではないと思います。
不安の輪廻の例
以前、闇を覗き込む性質という記事を書いた時に、「不安の輪廻」ということを書いたのですが、その記事を書いた3月の終わり頃に、この現実を私はネットで見ています。
ブログには載せなかったのですが、ずいぶん日が経ったので、載せてみます。
ニュースサイトのロイターには、毎日、トップニュースのランキングというものが掲載されます。その日に最もアクセスがあった記事をベスト 20位まで載せています。たいていは、その日から前日くらいのニュースで占められます。
たとえば、今日(4月13日)のはこんな感じでした(関係ないですが、3位のメキシコのニュースの見だしすごいですね)。
次に、これは先月の3月30日のロイターのトップニュースのランキングです。
ちょうど、東京あたりの飲料水から放射能が検出されたことが報道されていた頃です。
1位のニュースが「中国のボトル入り飲料水、飲ませたニワトリが死亡」。飲料水問題に揺れるその時期としてはショッキングな見だしです。記事はこちらののもので、こういうような記事です。
中国の海南省で、ボトル入り飲料水の安全性に疑念を抱いた家族が中身をニワトリに飲ませたところ、そのニワトリが1分もたたずに死んでいたことが分かった。10日付の新京報が地元紙の報道を基に伝えた。
私は上のトップニュースを見た途端、「ああ、みんな闇ばかりを探している」という事実を知りました。
なぜ、このことだけで「みんなが闇ばかりを追いかけている」と言えるのか。
ランキングの下の日付を見ていただきたいのですが、他のニュースがほとんどその日か前日のニュースなのに対して、この「中国のボトル入り飲料水、飲ませたニワトリが死亡」の日付は 2007年 09月 10日とあります。
4年前のニュースなのです。
ロイターのランキング1位になるには、かなりのアクセスが必要で、多分、誰かがこのニュースを探し出して、いろいろな媒体に貼り付けて、多くの人がクリックしたか、あるいは意図的に集中的なアクセスをした可能性もありますが、どういう理由であれ、「ほとんど何の意味もない4年前の外国のニュースが1位になった」という事実は十分に残念な話で、飲料水パニックの中とはいえ何となく、冷静さの欠如はあったのかなあと思います。
しかし、ロイターはまだ日付があるからいいです。
日付、根拠などが何もないニュースたくさんあるわけで、そういう場合、非常にはっきりしているのは、
・不安な気持ちでニュースを探して、不安な記事にたどりつけばさらに不安になる
という事実のように思います。
ある程度の大人の人たちならば、今までの人生で自分の考え方や価値観といったものがある程度は確立されているでしょうし、非常時には、むしろその「自分」を基準にして考えることのほうが大事に思います。
もし、不安な気持ちが先行しそうな時は、「他は無視する。見ない。聞かない」という方法もあるようにも思います(今の私)。
これは単に心情的な、あるいは心理的な問題ではなく、「非常事態に冷静に行動するためには、普段以上に平静である必要がある」ということは言えるのです。不安だったり怖かったりしていてはダメなんですよ。
これは、かつて米軍の特殊部隊で要人暗殺の指導をしていた元軍人の人が書いていたエピソードがあって・・・まあ、話としては脱線しすぎるので、ふれないですが、憎しみとか不安などのネガティブな感情は、何をやるにしても、もっとも不要な要素だと書いています。
通常では人は希望のほうに向く
私は、最近は何だかよくわからないことばかり書き続けていますが、もともとは異常なほどの現実主義者です。
もともと、世の中は「現実と現実が連綿と続いて、次の現実を作り出している」とだけ思っているわけで、その上で、最近になって自分なりに分かってきた「人は未来を予知できない」とい概念があります。
しかし、そのおかげで、私たちは「現実の中に夢や希望を抱ける」わけで、ここで気付くのは、
・予知や予測が生み出すものは希望ではないほうが多い
ということのようにも感じています。
どういうことかというと、先が何もわからない場合、「その時の気分が普通」なら、多分、気持ちは「希望の方向」に向きます。
たとえば、何の予定もない旅行に行って、そこで素晴らしい光景と出会う。その中で思うことは、
(まだ何も起きてはいないけれど)「すてきな女性(男性)と知り合うかもしれない。それがなくとも、地元の人たちと楽しい交流が何かあるかも。美味しいものも食べられるかも。財布も拾っちゃったりして。そこに入ってた宝くじが一等だったりして。うっひゃっひゃ」
まあ、財布は届けたほうが良さそうですが、「何もなければ」大体こういうように、漠然と希望に気持ちが向くのが人間だと思います。
特に不安も怖れもないのに、
「ああ、この旅行中に、きっとオレは病気になり、留守中に会社は倒産し、白頭山と富士山が噴火して、小惑星も衝突して、その前にオレは電車にひかれてしまって、しかし、身元もわからず、地元の砂浜に埋められて、その骨も波で洗われて、オレの存在はこの世から消えてしまうのだ」
と考える人はあまりいないのでは。
しかし、この冗談のような心理に「根拠なく」なるとしたら、それは「不安」によるものだけのように思います。
「社会性のウツ」、あるいは「情報性のウツ状態」というような感じともいえるかもしないですが、今、現実に、上の「不安の例」のような考え方の繰り返しに陥っている人もいるのではないかと思うのです。
確かに、現実、自然現象にしろ、社会的にしろ、何があっても不思議ではないとは思います。しかし、それだけに「起きた現実に対処する」という方法のほうがいいかなと。
「起きたことに対処して前に進む」ということです。
私のように、すでにストレスで発病している弱々しい人もいるわけで、やっぱり人はそれほど強いものではないです。だからこそ、私のように弱い人は不安を排除して生きないと、災害や放射能の前に、自分の精神に殺されてしまうのですよ。
山本七平さんの「私の中の日本軍」という著作に、「第二次大戦中のフィリピンのジャングルにいた前線の兵士たちが最も欲していたもの」に関しての記述があり、もちろん次々と餓死していく中では、食べものが最も欲しいものであることは確かにしても、食べものというものは手に入らないもので、それは別として、兵士たちがとにかく日々望んでいたのがありました。
それは「笑い」だったと言います。
つらい状況の中で、夜、兵士たち同士で冗談を言って笑うことが、たった唯一の生きている意味だったといいます。だから、人を笑わせることのできる兵士の命はものすごく大事にされたといいます。
私たちは、当時の日本軍の兵士たちのように苦しくはないにしても、私もできるだけ最期まで笑っていたいとは思っています。稀代の殺人鬼ペーター・キュルテンは、ギロチンで首を切り落とされる瞬間にも愉快そうに笑っていたそうですし(それは意味が違うだろ)。
ただ、今は帯状疱疹が痛くて笑えねえです。