NHK教育の番組で「日本語であそぼ」というのがあって、見るともなしに見ていると、与謝野晶子の
こよひ逢ふひとみなうつくしき
というフレーズがクローズアップされていて、それが寸劇になっていました。
出典は「みだれ髪」とのこと。
「今宵逢う女性たちがみんな美しく見える」という意味なんでしょうが、道ですれ違う女性たちがみんな美しく見えるときの心情を若い女の子のタレントが演じていました。
それを見て、なるほど、「美しく見える時、という特別な時がある」ということでやっぱりいいんだと改めて思いました。つまり、「いつもいつも同じく美しく見える」というわけではなく、上でいうと、「今夜は特に」というような日があるのだなあと。
私も、女性が(全体的に)とても美しく感じることを突出して感じる日があるので、「日々それ(地上の全体が美しいと感じたり感じなかったりすること)が変化するのは変なことじゃなかったんだ」と安心しました。
これが自分の心理的な問題や、あるいは松果体などの器官的な問題なのか、または現実の偶然に過ぎないのかはわからないですが、一昨年頃から、周囲の風景が日々違って見えるというような感覚を頻繁に感じます。ずっと「気のせい」だと思っていましたが、まあ要するにどちらでもいいのでしょう。
極悪人・与謝野晶子
ちなみに、与謝野晶子といえば思い出すのが、中学生の時の話です。
クラスの女の子が私に本か何かを見せて、「このよしゃの・・・あきこってさ」のようなことを言ったので、なにげなく、私が「あ、それ、よさのって読むみたいだよ」と言いました。
すると、彼女はしばらく黙った後に涙を流し始めたのです。
私 「え・・・?」
彼女「ひどい・・・。私がちゃんと読めないからって・・・」
私 「いや、あの・・・」
周囲にいた生徒たちが「お?」と気づき、寄ってきます。
周囲「なんか、オカが女の子泣かしてるぞ」
私 「な・・・。違うって」
周囲「ひ ・ ど ・ い! ひ ・ ど ・ い!」
シュプレヒコールが鳴り響く中でその事情を話すと、その周囲の中の一人が、
「それはやっぱりオカが悪い」
ということになりました。
すなわち、与謝野の「謝」は、どうやったって「しゃ」にしか読めないから、○○ちゃん(女の子)が正しいと。
それを聞いて私が、「オレだけが悪いんじゃない。そんな名前がついているほうも悪い」と言うと周囲も納得し、結局、「この世の中で最も悪い人間は与謝野晶子だ」ということで決着したことで、彼女も泣くのをやめて、みんなで、「よかったよかった」ということになりました(どんな話だよ)。
そんなこともあり、大変悪い人物である与謝野晶子(よしゃのあきこ)ですが、上の「こよひ逢ふひとみなうつくしき」というフレーズを見て、やや評価も持ち直した気配もあります。
ここ数日、東京はものすごい陽気で、日中は初夏っぽい感じも漂っており、若い女性などではノースリーブなどの「夏の格好」の人も増えてきました。上の「みなうつくしき」というような心境の日に、そういう女性たちの姿が目に入ると、「ものぐるおしけれ」というような気持ちにもなります。
ただ、同時にランニング姿のオッサン方の姿も目につき、汗ばんだその姿を見ていると、別の意味で「ものぐるおしけれ」というような気持ちにもなります。
「この世から消えてしまいなさい」
と彼らに対しては心の底から思わずにはいられません。
そういえば、震災直後によく目にしていた「精神のバランスを崩したっぽい中年の男性たち」ですが、最近はそのような人たちを見なくなりました。何日か前に「ジングルベル」を大きな声で歌いながら道で歩いているオジサンを見たのが最後で、震災直後と比べると、街の様子は全体的に非常に健全というか、どことなく安らかな感じが印象的です。
ジングルベルのオジサンにしても、まあ、時期の問題があるだけで、道で歌って歩いていけないということはないわけで、あれはあれでいいのだと思います。
考えてみれば、昔・・・・・具体的には十数年くらい前までは、この街にも「定番の変な人たち」がたくさんいました。それらはこの街に住んでいる人なら誰でも知っていて、話題としても、
「昨日、ポッポッポッのオヤジが西友でレジに並んでたぞ」
というように有名人扱いでした。
ポッポッポッのオヤジは私がたまに舞台の小道具を見るためなどに行っていた古道具屋の店主で、ヒマな時には「鳩と会話」していました。
これだけ書くとロマンティックな響きですが、ただ、「鳩など周囲にいません」でした。架空の鳩と架空の会話を続けていました。
私 「オジサン、これいくら?」
ポ 「ポーッポッポッポッ・・・・・」
私 「オジサン! 聞いてる?」
ポ 「ポーッポポポポ・・・・・」
私 「話聞いてよ!」
ポ 「あ、それ、5000円」
私 「たけー!」
と、商売のほうは大変なポッタクリでしたが、しかし、そういう人たちはこの十数年でどんどんと消えていきました。
進軍ラッパを片手にして、毎日、駅近くの道で行進訓練を日々していた軍人さんもいなくなり、気付けば、楽しい人たちはみんな消えていました。
世の中がつまらなくなっていくのとシンクロして消えていきましたが、まあ、あれらも暇つぶしにこのあたりで遊んでいた、まあ、たとえれば宇宙人とか異次元の人なんかのたぐいの妙な存在だったのかも、と思えば納得もいきます。「つまらない場所にいても仕方ない」と。
「おもしろい場所に移動しましょう」と。
そのつまらない場所に残されてしまった私たち・・・。
まあしかし、あれらの変人たちもそろそろ戻ってきてもいいのじゃないかなあという感じの最近の街の雰囲気もないではないです。
そういえば、昔のヒーローものの映像を見ていて、「あること」を忘れていることに気付きましたので、それを今日の最後に書いておきます。
ウルトラマンに見る「悪だの正義だのはまあどちらでもいいじゃないか」
日本のヒーローものの誕生といってもいい記念碑的な作品「ウルトラマン」。
1966年7月に第一作が放映されていますが、この「第1話」のラストの台詞をご記憶の方はいらっしゃいますでしょうか。日本のヒーローの最初の登場といってもいい物語の最後の隊員たちのやりとり・・・。
さぞや、神格と謹厳に満ちたものだったのではないだろうか・・・。
そう思って見直してみました。
その部分の台詞も全部おこしてみました。
その部分の映像を置いておこうと思ったのですが、著作権の関係でブロックされてしまいました。
第1話は YouTube のこちらにありますので、ご覧下さい。そのラストです。
多分笑います。
▲ 「それはウルトラにいいでしょう」と笑うイデ隊員。ダジャレで終わったウルトラマン第一作。左で笑うのは後の毒蝮三太夫さん。この人たちの仕事は漫談ではなく、なんと地球の防衛なのでした。
「ウルトラマン第1話」(1966年7月17日)より
ハヤタ隊員 「ところでベムラーはどうなりました?」
キャップ 「うん。宇宙人が追っ払ってくれたよ」
ハヤタ隊員 「やっぱり彼が出てきましたか。僕もそうじゃないかと思って、安心していたんですよ」
アキコ隊員 「すると、あなたを助けてくれたのも?」
ハヤタ隊員 「彼だ」
イデ隊員 「ちょっとちょっと。ちょい待ち。彼、彼って親しそうに言うけど、いったい名前はなんていうんだい?」
ハヤタ隊員 「名なんかないよ」
イデ隊員 「よせやい。名無しのごんべえなんてあるもんか」
ハヤタ隊員 「うーん、そうだな・・・じゃあ、ウルトラマンってのはどうだ?」
アキコ隊員 「ウルトラマン?」
ハヤタ隊員 「そう。ウルトラマン。どうだ?」
イデ隊員 「そりゃあ、うーん・・・ウルトラにいいでしょう」
アキコ隊員 「でも、ウルトラマン、どっか行っちゃったんじゃないの?」
ハヤタ隊員 「どこにも行かないさ。彼の宇宙船が爆発して、自分の星には帰れなくなったんだから」
キャップ 「うむ。きみはまったく悪運の強い男だよ」
ハヤタ隊員 「僕は不死身ですよ、キャップ」
行き当たりばったりの科学特捜隊・・・。
「よせやい。名無しのごんべえなんてあるもんか」・・・(笑)
当時の日本のヒーローものが神の領域に踏み込んでいることを感じさせる台詞やシーンは他にもいろいろとありますが、ここまで「笑いといい加減」という要素をヒーローものにこめる度量というのは他の国ではなかなか熟成しませんでした。
「まあ、なんかこう・・・大丈夫だろ。よくわかんないけど、すべてOKだ」
というヒーローものの歴史はいまだに終わりを迎えていません。