(※)タイトルに「地震」の文字が入っていますが、また余計なことをいろいろと書きすぎてしまいました。最後のほうに地震の話題があります。
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「認識され過ぎ」の世界の虫たち
最近、「生き物を含めて、いろんなものが出てきている」というようなことを書いたのですが、場所によっては「出過ぎている」ようで、まあ、これが「春だから」なのか、そうではないのかよくわからないですが、大量発生のニュースをよく目にします。日本語の記事にもなっているものが多いので、リンクなども。
・毛虫が大量発生=バリ島で観光に悪影響も(インドネシア) 時事通信 2011年04月16日
・メコン川沿いで羽虫大発生(タイ) newsclip.be 2011年04月25日
どちらも短い記事ですが、タイの「虫の大発生」は、タイの新聞やテレビでも連日報道されていて、その写真がすごい。
たとえば、これはビルの屋上で、パッと見ると何だかよくわからないのですが、床の白いのがすべて羽虫。

これを拡大すると・・・。

ひぃぃ・・・。
タイ語ですが、こちらの報道では、街を清掃する人々の様子が出ています。

左のチェ・ゲバラのTシャツを着ているぼっちゃん(笑)が指さしてている地面は広大な面積の一面が死んだ羽虫で覆われています。隣の黒い服のぼっちゃんが嬉しそうに虫の死骸をすくっています。
この羽虫の大発生が何と 4月18日から23日までの1週間近く連日続いたというのだからすごい。
虫の大量発生自体はどこでもよくあることですが、今回のタイのものは報道の多さを考えると、相当なものだったようです。
インドネシアの毛虫もかなりの規模らしい。
まあ・・・こういうこと・・・。
なんというか、こう、最近の自分のまわりでの生き物なんかを見ていると、「このまま調子に乗らせると、こいつら大量に出てくるんじゃないだろうな」という感じは実は少しあります。
スズメだって蝶々だって、いて嬉しくはあるけれど、大量発生したらそれはそれで大変。
まして、クモだのハエだのに大量発生されたら・・・(苦笑)。
とはいえ、この地球の過渡期。
なんでも起きちゃうということはあるのかもしれません。
関係ないですが、さきほど夢でずいぶん前に死んだ父方のおじいちゃんのことが出てきました。
仁義なき
私の父親は小学校の教師でした。まあ、誰から見ても、また実際の周囲の評価も「あの真面目なお父さん」というような人でした。
その父は9人兄弟(うち男8人)という中の末っ子で、戦前とはいえ、当時でも9人兄弟は多いほうだったと思います。普通、それだけ兄弟の数が多いと、学歴など含めていい加減だったことが多い時代でしたが、うちの父親は末っ子であるにも関わらず、大学まで行き、それで教師になっています。
他の兄弟たちもほとんど同じように高等教育を受けて、そして、また、その父の兄弟のほぼ全員が教師か公務員関係という、「よくぞこんなに堅苦しい兄弟があったものだ」というほど真面目な兄弟でした。
現在は父の兄弟はほとんど亡くなっていて、年齢順に、末っ子である父とそのすぐ上の父の兄が生きています。
さて、昭和の初期に自分の9人の子どもたちすべてにほぼ平等に教育を受けさせた父の父、すなわち私のおじいちゃんはどんな人だったかというと、ヤクザの親分だったのです。
正確には、お祭りなどをつかさどる、いわゆる「テキヤ」というジャンルにあたるのですが、北海道の小さな町の地元の親分でした。
そのおじいちゃんは、私が幼稚園の頃に亡くなったので、私が祖父がテキヤの親分だったということを聞いたのはずいぶんと後のことでした。私の印象は「やさしいけど、体の弱いおじいちゃん」という印象でした。私が物心のついた頃には、入退院を繰り返していて、会いに行くのはほとんど病院の入院病棟だったからです。
祖父は二十代の後半にすでに地元の若い衆を統括して親分の立場となっていたという、いわゆる実力派だったそうで、何しろ、当時の北海道は「多くが内地からの流れ者 (内地とは北海道以外の日本のことすべて)」で、祖父は四国から北海道にやってきました。もちろん、目的は他の多くの流れ者同様に「開拓地で一発当ててやるけん」というものだったと思います。
「湯のまち」
私の生まれた町は北海道の岩見沢という小さな町でした。しかし、小さいながらも、北海道で最初に「国鉄の路線の基点の駅」となったという、北海道の中では、札幌と並んで北海道開拓の要所となった町でした。
どうして、岩見沢のような小さな町が要所となったのか。
そもそも、私のおじいちゃんのように「北海道で一発当ててやるけん」の中の「一発当てる」は何を対象にしているのか。
その中心となるものは「炭鉱」だったんです。
全国から北海道に集まった炭鉱夫たち。そして、炭鉱に関わる利権そのもの、そして、さらにはそれにより住宅、娯楽などが増加して、不動産価格も上昇する。
「炭鉱」の周囲にありとあらゆる「利権」がうずまいていたらしいのです。
そして、この岩見沢という町の周囲には当時、数多くの炭鉱があり、そして「湯を浴びる町だった」。
岩見沢は「いわみざわ」と読みますが、アイヌ語を日本語に変換した地名が多い北海道の地名の中で、岩見沢は純粋な日本語で、「ゆあみさわ(湯浴沢)」という俗名がそのまま地名となったようです。
その「湯」は何か。
これは温泉どと関係する言葉ではありません。
この「湯」は東京の吉原などのイメージを想像してもらうといいのでしょうが、「遊弋」というほうに関係する「湯」でした。
つまり、戦前から多分、戦後もそうだったのかもしれないですが、私の生まれ町である岩見沢は「一大遊郭地帯」だったのです。
炭鉱夫たちが稼いだお金を握りしめてどんどんと遊びに来る。そして、そこに必ず発生するのが、賭場であり、あるいは「縄張り」であったようです。
うちのおじいちゃんは戦前、その中の抗争で勝ち上がり、親分になったということのようでした。
私が生まれた頃には、遊郭街はすでになく、また、炭鉱自体が次々と消えていき、今では岩見沢という町は老齢化した寂しい町となっていますが、戦前、あるいは明治時代なども、ここは欲望が渦巻く場所だったということのようです。
下の動画は 1973年の日本映画の金字塔「仁義なき戦い」の第一作目のオープニングで、これは場所が広島ですが、北海道などでも、おおむね戦後は良い意味でも悪い意味でもギラギラとしていたのかもしれません。
ギラギラした様子は私の生まれた頃には、少なくとも周囲にはなく、特に私の生まれたあたりには「他の町では見られないような虚脱感」が漂っていて、それはわりといい雰囲気だったのですが、その理由は「文明が滅びた後の町だから」ということがあったのかもと今は思います。
今は本当に「何もない」です。
岐阜の金津園とか、神戸の福原とか、かつて遊楽街だった場所は現在でも多少はその面影を残したりしているのが普通ですが、そういう面影が見受けられません。
ヤクザのおじいちゃんから生まれた9人の子どもたちは全員真面目な人生を送りましたが、孫であるその子どもたちの中には、たとえば私のように「おじいちゃんの血を引き継いだ不真面目な人間」も散見されますので、「隔世遺伝」というものはあるのかもなあと思います。
「地震がこわいので帰ります」
昨日の記事に書いた、変なモノを見てしまった友人のジローさんですが(笑)、そこの記事にも出ていた「ネットカフェ」は、韓国人のオーナーの経営の店です。
私は知らなかったのですが、東京の西日暮里というあたりには、韓国人の留学生向けの日本語学校などがたくさんあるのだそうです。そして、その留学生を相手にしたネットカフェや飲食店などの商売がたくさんあるのだそう。
上のネットカフェも韓国人留学生を相手に経営している店のひとつだったようで、置いているパソコンも、日本語環境と韓国語環境のデュアルブート仕様。ジローさんは「家が近い」という理由だけでよく行っていたそうなのですが、頻繁に行くうちにこの韓国人の若いオーナーと仲良くなっていたようです。
で、このネットカフェは今年の6月で「閉店」ということになったのだそうで、理由は「お客さんが減った」からなんですが、その実情を聞くと、本当に現在、日本から次々と外国人たちが逃げ出している様子がとてもわかります。
そのネットカフェに来るお客さんのうちで、もっとも多かったのは、向かいのビルにある日本語学校の生徒さんたちだったのだそうですが、3月13日の震災前には、その日本語学校には 100人程度の韓国人の生徒さんがいたのだそうです。
それが今。
その数は「全部で 11人」というところにまで減ったそうです。
震災直後から時間が経つにつれて、日本から出て行く留学生の数は増えていっているようで、しかも、「その後、ほとんど誰も日本に戻って来ない」そうです。
留学生がいなくなると、その人たちを相手にしていた商売も成り立たなくなり、順番として、
・留学生がいなくなる
・留学生を相手にしていた商売もやめせざるをえなくなる
・その国の人たちの多くがいなくなる
という順番で、町から韓国人の人たちが消えていっているのが現状のようです。
これは韓国人の話ですが、ある程度のコミュニティを持っている様々な外国人の人たちの間で、多分似たようなことが起きているのではないかと推測されます。
要するに、「完全に帰国するには準備などで時間がかかるが、震災から1カ月経ち、次第にそういう外国人も帰国する時期となってきた」と。近所に住む白人夫婦も最近になって引っ越しました。ダンナさんがこっちで働いていたので、「完全に帰国する段取りをつけるまで」ちょうど今くらいまでかかったということのようです。
ジローさんはそのオーナーに、「やっぱり、みんな放射能とかがコワイのかね?」ときくと、
「違いますね。地震。地震そのものがコワイ。韓国ゆれない」
と言ったといいます。
そう。
実は韓国という国は地震がほとんどまったくないのです。
これは韓国だけではなく、近隣アジアでも「地震などほとんどない国」のほうが圧倒的であり、そういう意味でも、日本というのは極めて特殊です。
下の図は、1963年から1998年までの35年間に「世界で起きたすべての地震」の分布図を示したものです。回数にして、約 36万回分という数の地震の分布が記録されている貴重な図です。その後もほとんど分布は同じで、「世界の地震はこのように起きている」ということがわかると思います。

日本はあまりにも真っ黒で場所さえわからないかと思いましたので、赤で丸く囲みました。
この分布図からわかることは、人口が多い地区で地震がよく起きるのは、
・日本の全域
・アメリカ西海岸
・南米の太平洋側
・ギリシャからイタリアの地中海沿岸
・インドネシアの中心部全域
などとなっていて、「国家ひとつがまるごとすべて震源域」である国としては、日本とチリは世界で最大の地震国です。
そして、その「日本」をさらに詳しく見てみると、こんな感じです。
最近の1、2カ月だと大地震後で少しイレギュラーかもしれないですので、パソコンに保存してあった過去の地震の分布。
これは 2009年7月7日から8月6日までの「1カ月」の間に発生した日本のすべての地震の記録です。たった1カ月の間です。

今回のような大地震がなくとも、日本列島というのは常にこのように揺れ続けています。あるいは、常に揺れ続けているからこそ、ある程度の「軋みの解消」の連続ともなっているとも言える部分もあるかもしれません。
いずれにしても、これだけ「地震から逃げ場のない国」は他にはありません。
そして、上の図で地震が発生している場所は、実際に地震が起きているという以上は、すべての地点で大地震が発生しても「不思議ではない」断層と言えます。
何を言いたいかというと、そういうところに私たちは住んでいて、今後も住み続けるということです。
何をどう予測しても、地震は、それはあるいは大地震かもしれないですが、いつかは必ず日本では起こります。そして、地震は日本では「毎日常に 100パーセント起きる」と言えるものです。
なので、このことを本当に恐怖に思うのなら、地震のない場所(きわめて起こりづらい場所)というものが上の世界地図でも見当がつくかと思いますので、そういうところで暮らすという方法はあると思います。西洋ならアメリカの北東部やイギリスなどでは基本的に大地震はありません。近隣諸国なら、韓国や中国の大都市部でも大地震は基本的に起きたことがありません。
しかし、少なくとも、日本にはそういう場所(地震の影響を受ける可能性がほとんどない場所)がどこにもありません。
もし日本に留まるのならば、地震のための準備をして(物質的にも精神的にも)、あとは普通に毎日過ごすという「今までどおりの日本での生活」をする以外には何もないと思います。
この地震の分布図を見ると、あらためて日本という国家が数千年(年数はよくわからないですが)存在していたことがどれだけ奇跡か、よくおわかりかと思います。個人的には「いつまでも続く奇跡もないかなあ」とも思いますが、一方で、その奇跡が終わるにしても「奇跡の最期と一緒にいられるならそれはそれでカッコイイ」という気持ちもあります。
ところで、ここ1カ月(2011年3月26日から4月25日)の地震の分布図も参考までに。
壮絶ですよ。
