ずいぶんと以前から、「世の中は二分していく」というような概念が様々な部分で言われていました。
それらの概念の中には階級的な、あるいは差別的なニュアンスの漂うものもあり、どちらかというと、私はあまり好きな概念でありませんでした。キリスト教などの宗教にある天国に行くのと地獄に行くという概念などもそうです。本来ならどちらに行こうが他人には関係のないことなのに、言外に(言外でもないでしょうが)、
・天国いい
・地獄悪い
というようになっていて、こういう「ただ、その人が置かれている状況だけでその人の評価がわかれる」という差別的な概念。
これについては、4月の最初の頃に書いた「個人的な「第5世界」に突入している」という記事で、「枠からこぼれ落ちた人間は救済されない日本の国家システム」ということについて書いたことがあります。
高校中退者とか、男性「性」社会からこぼれ落ちること(これは女性も男性もどちらも)、とか、まあそういうよう話だったんですが、その両者の中で、「こぼれ落ちないで上から見ているほう」にいるのがイヤだったので、いつでも、スタンスとして、その逆も見ながら、あるいは完全に逆の世界の上で生きていました。
実際、この生活では、あらゆる既製の宗教を信奉することもできない(宗教には階級概念が強く存在するものも多いです)し、現在の社会体制そのものにも馴染めないし、まあ、いろいろと面倒ではあるんですが、まあ、それでも、「水のようにそれらを避けながら」生きてきました。
そういう意味でも「世の中は二分していく」という概念は理解しつつも納得できない部分はあったのですが、最近、日本だけでも、あからさまに「二分していっている精神的・価値観的な状況」などを見ていると、確かにその「価値観の世界の二分化」というものが相当なスピードで起きていると考えざるを得ないのです。
この場合、ここに差別や階級を交えないで考えてみたいと思った場合、それはこう考えるのが一番だと思っています。
「私のいる世界ではなく、相手側の世界の人にこそ幸せになってほしい」
と。
そして、これは「きれいごとではなく」本心でそう思わざるを得ないということも書きたいのですが、うまく書けません。
今、日本で、「どういう世界」と「どういう世界」が二つに別れていっているかというのかについては具体的には書こうとは思いません。それは多くの人々がすでに強く感じていることだと思います。
私は最近、多分、異常なほどの楽観と安寧の中にいますが、決してそうではない方々も多いと思います。そして、この接点が合っていくことは難しいとも感じないでもないです。
なので、この状況の中での良い方法のひとつというのが、「なるべく互いの世界の接点を断ち切り、しかしそれでも、互いに尊敬する気持ちを忘れず、互いの幸せを願う」ということなのではないかという気もします。
どちらが良いとか悪いとかいう判断も不要に思います。良い悪いの客観的な価値観の判断がつかない上での、「あっちがいい」とか「こっちが悪い」とかいう価値観は単なる「新しい階級の発生」でしかないと思っています。
若い時から「階級」と別れたいと願い続けていました。
生徒と教師
上司と部下
親と子ども
政府と国民
人類と他の生物
神と人類
地球と人類
銀河系と太陽系
宇宙と他の複数の宇宙
こういうものすべてに「階級」を与えてきたのがここ数千年の地球での人間の歴史だったように思いますが、最近になって、たとえば、
神と人類
地球と人類
銀河系と太陽系
このあたりの間には実は「階級は存在しなかった」ということがわかりはじめてきているような感じがしています。
そうなると、「人類と人類の間」にも階級が存在しない(ほうがいい)となった時には、すべての煩わしいものが消えるのかもなあとも思えなくもないです。
贈る言葉
昨日の記事で、日本という国土がいかに「地震と共存した歴史を持っていたか」というようなことを書いて、そして、「それを本当に恐怖に思うのなら日本から出たほうがいいのかもしれないです」ということを書いたのは、そういう中での「物理的な決別も今後あるかもしれない」と考えているからです。
そして、日本から見送る立場の私たちとしては、そのことを今後調べたりして、できるだけ情報面からサポートしたいと思っています。
以前書いたことがあると思うのですが、私自身は、この東京という場所で精神的な意味で命を救われたという実感があって、この街やあるいは東京や日本から出るということは有り得ず、多分、死ぬまでここ(あるいはこのあたり)にいると思います。
そして、私が最近思うことは、日本から出て行く人たちにも幸せになってもらいたいということがあります。これは結構な本心です。出て行った人たちには、その場所があまりにも幸せで、「日本のことなど忘れてしまった」というようなことになってもらえればいいなと思います。
これもきれい事ではなく、実利的な本心なのですが、うまく書けません。
ところで、上のほうに天国とか地獄のことを書いたのですが、以前、2008年くらいだったか、初めて、世の中のことや宇宙のことなどを(生まれて初めて)考えた頃、最初にふと思ったのが「地獄ってなんだろう」ということでした。
資料・地獄とは
もともと、幼い頃から「気高い人とか立派な人ばかりがいるような天国に行くのはイヤだ」とはっきりと思っていて、「地獄に行くとしたら、どのあたりに行くべきか(楽な抜け道はあるはず)」ということを考えたりしたことがあって、ふとダンテの「神曲」のことを思い出したことがあります。
今ではネットでも概略は調べられて、その時に調べてわかりやすい「地獄の系統図」におこしたもの(笑)が手元にあります。クレアなひとときの2008年の10月頃の記事に載せたと記憶しています。
最近の私の考えの流れでは、天国も地獄も存在しているのかどうかはさらにわからなくなっていますが、「人生から次の人生までの DNA の休憩所」的な意味ではあるのかもしれないですね。
まず、前提知識として、七つの大罪というのがあって、
1. 傲慢(高慢)・・・生前、高慢の性を持った者
2. 嫉妬・・・・・・・嫉妬に身を焦がした者
3. 憤怒・・・・・・・憤怒を悔悟した者
4. 怠惰・・・・・・・怠惰に日々を過ごした者
5. 強欲(貪欲)・・・生前欲深かった者
6. 暴食(貪食)・・・暴食に明け暮れた者
7. 色欲(愛欲)・・・不純な色欲に耽った者
となっています。
「神曲」では、これらが地獄に行く対象となるようです。
私の人生でいうと、「4」と「6」と「7」でアウトとなります。
特に「4. 怠惰」は逃れようがなく、確実に地獄行きの人生となっています。
その後、地獄界へは、
「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」
と銘された地獄の門を抜けるところからスタートします。
そして、実はこの地獄の門のすぐのところに「私に絶好な場所」があります。
地獄前域という場所で、ここは、
「無為に生きて善も悪もなさなかった亡者は、地獄にも天国にも入ることを許されず、ここで蜂や虻に刺される」
というところだそう。
ハチやアブに刺されるだけなら、まあイヤといえばイヤだけど、何とか耐えられる感じで、他は何の罰則もないです。
> 無為に生きて善も悪もなさなかった亡者
は私も含めて、たくさんいそうで、この場所に数十億人溜まっている可能性もあります。
さて、ここから先が地獄となります。
「神曲」では下のように細分化されています。(感想)とあるのは、その地獄に対しての当時(2008年)の私の感想です。
第一圏 辺獄 - 洗礼を受けなかった者が、呵責こそないが希望もないまま永遠に時を過ごす。
(感想)神曲はキリスト教を規範としているので、ほとんどの日本人は、難の罪も犯していなくてもここに行くと思います。
第二圏 愛欲者の地獄 - 肉欲に溺れた者が、荒れ狂う暴風に吹き流される。
(感想)「肉欲に溺れた者」は、たくさんの人々が該当しそうです。でも、この地獄は風が吹いているだけなのでラク。
第三圏 貪食者の地獄 - 大食の罪を犯した者が、ケルベロスに引き裂かれて泥濘にのたうち回る。
第四圏 貪欲者の地獄 - 吝嗇と浪費の悪徳を積んだ者が、重い金貨の袋を転がしつつ互いに罵る。
第五圏 憤怒者の地獄 - 怒りに我を忘れた者が、血の色をしたスティージュの沼で互いに責め苛む。
第六圏 異端者の地獄 - あらゆる宗派の異端の教主と門徒が、火焔の墓孔に葬られている。
第七圏 暴力者の地獄 - 他者や自己に対して暴力をふるった者が、暴力の種類に応じて振り分けられる。
第一の環 隣人に対する暴力 - 隣人の身体、財産を損なった者が、煮えたぎる血の河フレジェトンタに漬けられる。
第二の環 自己に対する暴力 - 自殺者の森。自ら命を絶った者が、奇怪な樹木と化しアルピエに葉を啄ばまれる。
第三の環 神と自然と技術に対する暴力 - 神および自然の業を蔑んだ者、男色者に、火の雨が降りかかる。
(感想)暴力、自殺、男色者は全部ダメのようです。
第八圏 悪意者の地獄 - 悪意を以て罪を犯した者が、それぞれ十の「マーレボルジェ」(悪の嚢)に振り分けられる。
第一の嚢 女衒 - 婦女を誘拐して売った者が、角ある悪鬼から鞭打たれる。
第二の嚢 阿諛者 - 阿諛追従の過ぎた者が、糞尿の海に漬けられる。(阿諛追従の読みは「あゆついしょう」。こびへつらうこと。)
第三の嚢 沽聖者 - 聖物や聖職を売買し、神聖を金で汚した者(シモニア)が、岩孔に入れられて焔に包まれる。
第四の嚢 魔術師 - 卜占や邪法による呪術を行った者が、 首を反対向きにねじ曲げられて背中に涙を流す。
第五の嚢 汚職者 - 職権を悪用して利益を得た汚吏が、煮えたぎる瀝青に漬けられ、悪鬼から鉤手で責められる。
第六の嚢 偽善者 - 偽善をなした者が、外面だけ美しい金張りの鉛の外套に身を包み、ひたすら歩く。
第七の嚢 盗賊 - 盗みを働いた者が、蛇に噛まれて燃え上がり灰となるが、再びもとの姿にかえる。
第八の嚢 謀略者 - 権謀術数をもって他者を欺いた者が、わが身を火焔に包まれて苦悶する。
第九の嚢 離間者 - 不和・分裂の種を蒔いた者が、体を裂き切られ内臓を露出する。
第十の嚢 詐欺師 - 錬金術など様々な偽造や虚偽を行った者が、悪疫にかかって苦しむ。
(感想)「第二の嚢」の「糞尿の海に漬けられる」のもキツいですが、第四の嚢の「首を反対向きにねじ曲げられて背中に涙を流す」ってのもかなりのもの。
第九圏 裏切者の地獄 - 「嘆きの川」と呼ばれる氷地獄。同心の四円に区切られ、最も重い罪、裏切を行った者が永遠に氷漬けとなっている。裏切者は首まで氷に漬かり、涙も凍る寒さに歯を鳴らす。
第一の円 カイーナ 肉親に対する裏切者
第二の円 アンテノーラ 祖国に対する裏切者
第三の円 トロメーア 客人に対する裏切者
第四の円 ジュデッカ 主人に対する裏切者
こういうようになっていました。
いずれにしても、7つの大罪を見る限り、私自身は「絶対に地獄に行く」ということかもしれません。
地獄が満員になると死者が地表を歩き出す
「地獄」で思い出すのは、私が好きな映画で 1978年の「ゾンビ」(原題は「死者の夜明け」)という映画がありますが、その中の1シーンで、「地獄が満員になると死者が地表を歩き出す」という名台詞があります。マクンバやブードゥー教など中南米の呪術の思想らしいですが。
そのシーンに字幕をつけてアップしました。
「ゾンビ」からですが、グロテスクなシーンはないのでご安心下さい。
この映画では死者と戦いますが、世界の映画の中には、「死者と共存」という方向の試みをする映画もあります。地獄からさえ溢れた死者たちとの共存というのもまた美しい。