2011年04月28日



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「人類の進化が目指す場所」は本来の地球の普通の生活なのかも



昔はどこに住む人たちでも、他の地域で起きていることを知ることはほとんどなかったと思います。

縄文時代とか弥生時代とかそういうずいぶん昔の話ではなくとも、たとえば、日本が室町時代あたりにいた時に、地球の反対側のほうにあったマヤ文明とかインカ帝国などの、いわゆる古代メソアメリカ文明というのは、ヨーロッパ人の侵略などが原因となり徐々に滅亡してきましたが、当時の室町に住む日本人でそのことを知っている人はほとんどいなかったと思います(場合によっては、ほぼひとりもいなかったのでは)。

一方で、その滅ぼされてしまったマヤ文明などの人たちも、文字を持たないで利器を発達させるという大変にすぐれた文明を持つ人たちではありましたが、しかし、やはり、自分たちの住んでいる地球の裏側のほうに「海藻や納豆を食べたりする」ような奇妙な人々が住んでいるとは想像していなかったと思います。

マヤ族は天体観測に優れた技術を持っていたとされていますが、地球は宇宙と相対的に動いているので、宇宙のいろいろな地点を観測することができても、「地球の自分たち以外の地域」については、マヤ族の利器をもってしても、最後まで一度も観測することはできなかったはずです。

彼らにとって、地球は宇宙よりも遠かったと思います。

一方で、これが昔の「地球の普通の生活」であって、そして、「そういう状態(地球の他の地域のことを知らない状態)での生活でみんな不幸だっただろうか」ということは思います。もちろん様々な不幸はあったでしょうが、それはこのこととは関係のない話だったと思われます。


最近の数年で言われていた様々なこと、たとえば、世界の多極化や保護主義化、あるいは、コルマンインデックスでいうところの、西洋から東洋への「思考形式」のシフトなどで考えてみると、世界は今後、また昔の方向(グローバルと反対の方向)に戻っていくのではないかという感じも受けないではないです。

コルマンインデックスの解釈は様々とはいえ、その根幹は西洋から東洋へと「思考形式のシフト」であり、これは「覇権が移動していく」ということとは関係のないことだと昔から思っています。


マヤ文明では、「銀河の中心と自分たち(マヤの人たち)は繋がっている」と考えていたし、自分たちの地域と宇宙も繋がっていると考えていたけれど、「地球の全世界と宇宙が繋がっている」というようには考えていなかったように感じます。

それは前述したように、地球の他の地域はマヤ族にとって、観測するには最も遠い場所だったからで、「そこに想いを馳せることはできなかったし、その必要はなかった」と考えています。特に地球の裏側にあったような日本などはマヤ族にとって、「すべての宇宙でもっとも遠い場所」にある場所だったかもしれません。もともと、地球の中のあらゆる地域同士は「宇宙でもっとも遠い場所だった」のかもしれません。

ヤスの備忘録の2009年7月の記事に、マヤの神官であるドン・アレハンドロさんが、世界に向けて予言を公表したときの内容が記されています。

そこにこういう部分があります。
全文については上のリンクをお読み下さい。

これから始まる太陽の期間は、これで6度目である。新しい太陽の期間に入るにしたがって、地球の調整が行われ、天候とともに人間の社会に大きな変化がもたらされる。

世界は変容し、人類は、相互理解と社会的正義、ならびに平等が支配する共存共栄の時期を向かえる。これが人類の新しい生き方だ。

新しい社会秩序のもと、人間は空の雲のように、国境もなく規制もなく、好きなところへ移動できる自由な時代に入る。われわれはまさに鳥のように、パスポートなしで旅行できるようになる。われわれはまさに川の流れのように、すべての人間が同じ目標を目指すようになる。

われわれ一人一人は宇宙と関係をもっている。この関係が、われわれの態度が他の人達と調和しているかどうかに反映するのだ。変化のときはきた。相互に互いを理解し、より人間的になるときがきたのである。



昔、これを読んだ時に、

 > 人間は空の雲のように、国境もなく規制もなく、好きなところへ移動できる自由な時代に入る。

という部分を読んで、いくらなんでもそんなことは無理だろうなあと考えていました。あるいは、「人類全員の肉体がなくなる(死ぬ)」くらいのことがないと、こんなことは現実的に考えることはできない状況だと考えていました。

しかし、同時に、当時思ったこととして、「好きなところへ移動できる自由な時代」に入るということを実現する現実的な方法として、ひとつだけあるとすると、

 > 現実的に他の地域に移動しなくなる

という世界でならあり得るかなあとも思いました。
これはすなわち、「昔の生活」です。

そこでは、地球上の大規模な移動は「人々の想像の上だけ」だったと思います。


最近何度かふれたことがありますが、流れとして、

夢 → 想像力 → 現実への転用

というようなことが仮にあるとして、

その夢自体は「古代からの記憶の蓄積」である可能性はやはり高く感じていて(その一部は、現在ジャンク DNA と呼ばれている DNA の部分などに蓄積されているのかもしれません)、「人類の想像力の進化」が起きるとすると、その根幹は、夢と人類との関わりに何かの変化が起きることなのかもしれないです。


現在の人類の持つ体と機能と思考は、震災後に書き続けていたように「宇宙で最高の進化形態」であるということは今でも思っています。「最高」というのはそれ以上のない形だと思いますので、人の体の機能は今あるこれで全部なのでしょう。

なので、現実の人間の体に「空の雲のように動く」ことができるような変化は起きないだろうと考えています。

しかし、脳の能力、松果体や脳下垂体の能力、 DNA の記憶や夢から太古の情報を引き出す方法。
それらの方法を私たちはまだ知らない。
あるいは気付いていない。



そういうことなのではないかと。

なので、それに気付く時があれば、マヤの神官の言うように、

「変化のときはきた。相互に互いを理解し、より人間的になるときがきたのである。」


という時がやってきた時ということなのかもしれません。


ちなみに、こちらによると、著名な神学者だったカール・バルトさんという人は、主著「ロマ書」でこう書いているそうです。

「再臨が『遅延』しているのではなく、我々の覚醒が遅延しているのである。終末は既に神によってもたらされている」



今、早朝で、目覚めたばかりなのですが、ふと思ったことを書きました。
何だか整合性のない内容になってすみません。


昨日の夜中はものすごい頭痛がして夜中に目覚めると、外は大嵐。
でも、今はまたとても穏やかな空模様になっています。

なんとなく、こういう天候の繰り返しが続きそうな最近の空模様ですね。
タグ:進化

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