アメリカでは、今月4月の中旬から延々と悪天候が続いているようで、昨日は竜巻などによって1日だけで 300人近い死者が出てしまったようです。米国の悪天候はこの2週間くらいの間で日本語の報道となっているものだけでも、
などとなっていて、特に最近の1週間はひどく、 こちらによれば、4月22日から昨日までの6日間で、全米(主に南部)の各地で 329の竜巻が発生したことが確認されているそう。
その惨状は写真や映像からも想像できます。
これは、昨日のナショナルジオグラフィック・ニュースに載せられていたアラバマ州の竜巻被害地の写真です。
この記事のタイトルには「パーフェクト・ストーム」という単語さえ入っていました( Monster Alabama Tornado Spawned by Rare "Perfect Storm" )。
国も事情も違えど、米国も被災者の方々のご苦労はかなりのものだと思います。
家を失った方だけでも相当な数に上るようですし。
そして、実際に自然災害が現実に増えている中、どこの国だとかは関係なく、私たちは自然と向き合う姿勢が今まで以上に大事に思います。
最近、日本全体でも天候は不安定で、特に、震災以降、「天候や雲との自分」が以前とは違う関係性で感じる部分はあって、雲と語ったり風と語ったりと浮き世じみた行動をしているのも事実ですが、しかし、語る一方で、再度「頭でも考えたい」とも思っています。
そもそも、昨年までにすでに全世界では異常な気象が数多く観測されていて、今年の米国や日本の状況を見ると、赤道より上の部分の「太平洋を中心とした横のベルト」が荒れ狂っている感じがしています。
昨年の暮れ頃に、太平洋上を、まるで「666」を描きながら通過していった大気の流れなどもありましたが、現在の苛酷な天候状況が出現しているのは、また大体、その時のあたりを中心とした太平洋の周辺の位置からの発生となっているようです。
▲ 太平洋上に出現した3つの「渦」: アメリカ数州で非常事態宣言と大統領災害宣言が発令(2010年12月23日)より。
この一帯は、北米プレートなどによって、日本と米国西海岸が地質的に結ばれている地域でもあります。
ところで、「天候と人間を考える」ということの意味なんですが、きわめてストレートに書くと、これは「人間の意志と感情が天候を左右する可能性」について考える試みといえます。
まず前提として、
・天候現象の多く(雲や雨や雷など)が宇宙線によって発生している可能性が強い
・そのうち、雲と雨に関しては生成される中心物質が生命である可能性が高い
ということがあります。
それに関しての資料等は、こちらの記事などをご参照下さい。
つまり、天候現象というそのものが「宇宙からの宇宙線と生命(微生物か、あるいは微生物の死骸)のハーモニーで作られている」という可能性が極めて高いということがあります。(ハーモニーが存在しなくとも、宇宙線か生命のどちらかが欠如すると天候現象は発生しないと思われます)
▲ 名古屋大学の太陽地球環境研究所 STEL Newsletter の 2002年04月号より。
そして、仮に・・・あくまで仮にですが、「すべての生命の間に繋がる感情の流れが存在する」とした場合、全宇宙を満たしているかもしれない微生物などの生命によって、すべての宇宙の間に感情が通じていると考えるのが自然で、まあ・・・一生行けることもないであろう他の宇宙はともかく、地球の中だけでも、仮に「すべての生命の間での感情が繋がっている」のならば、ほぼあらゆる森羅万象は人間の意志や感情と通じる可能性があるのかもしれないということになるように思います。
私は「宇宙そのものがすべて全部が形として成立した生命」だと考えていて、上の「すべての生命の間での感情が繋がっている」というのはある意味では当然のことのようにも考えていたりはしますが、そのことについての私の過去に書いたようなものなどに参考として少しふれておきます。
宇宙はすべてが生命
最近、昨年の夏頃まで書いていた「クレアなひととき」というブログの過去記事をいくつか再度公開していまして、上にちょっと書いた「全宇宙を満たしているかもしれない生命」については、そこに数多く書いた記憶があります。
そもそも、私が「宇宙はすべてが生命だ」なんてことを思ってからまだ1年も経っていないんですよ。
そう思って突然と書いたのは、昨年の5月に書いた「地球の成り立ち(0):宇宙はすべて生き物からできている」という記事のことです。
その日に眠っているときにふと気付いたことでした。
なので、そんなことを考えてからはそれほど日は経っていないのですが、ずいぶんと昔のことのようにも思います。
その少し前の昨年 4月28日の「宇宙はサイコロをふらない」という記事に、その考えに至る以前に「途中経過」としてまとめた箇条書きがあります。
それを抜粋しておきます。
1. 発祥は不明ながら宇宙はもともとあった(ビッグバンはなかった)。
2. 地球の生命は地球上で偶然にでたらめに発生したものではない。
3. 生命の素はウイルス、バクテリア、真菌(カビ系)などの微生物として宇宙から来た。
4. ダーウィンの提唱した進化論は存在せず、生命種のもともとの遺伝子が地上に存在した(遺伝子の寿命は理論上では50億年)。
5. 世界の存在そのものは「生物に認識されて初めて存在する」と思われる。
6. 知覚の媒体は光や音や味などの、つまり粒子や電磁波で、それが生物の知覚機能でキャッチされるが、その後の媒体の行方は現在のところ不明。
7. 生き物が世界の認識をやめると、多分、世界は消滅する
8. その認識本能を牛耳っているのは生物すべてにある「元型」。
9. 元型は情緒の問題ではなく、多分、存在しているナンカの物質が介在している。有機物かそれよりちっちゃい粒子のようなものかはわかりません。
10. 元型は宇宙全体に満ちているので、たとえば、地球が滅びたり地球の人類が絶滅しても、宇宙の存在を支える元型は消えないので宇宙は消えない。
つまり、
本来はこの世の存在というのは無いもので、宇宙全体の元型を保有している有機物起源の生命(のたぐい)が、それぞれの知覚機能(人間なら視覚や聴覚や味覚や触覚など)で認識することによって世界は現れて存在している。その意味で、世界と宇宙を支えているのは生命そのもの。
とあります。
最近、ちなわち、この In Deep を書くようになってから上の部分から変わった部分は、上では「生き物が世界の認識をやめると、多分、世界は消滅する」とありますが、この中の
・「生き物」の部分が「人類」になった
ことと、そして、元型という言葉を使っていますが、
・これを「古代の記憶」と最近は書いている
というあたりだと思います。
この宇宙で人類以外のすべての生命は「宇宙サイド」にいるもので、人類だけがその「宇宙の記憶から抜け出した独立した生命として宇宙から独り立ちしていった」というように震災後に思うようになったことがあって、「宇宙の存在は人類の認識にかかっている」ということだと今は考えています。
動物や植物たちは、人類とは違って宇宙サイドにいる存在だということがわかったとはいえ、むしろ、同じ地平にいるよりもはるかに彼らは真剣に人類を見ていてくれているのですから以前の考え方より、ずっと「動物も植物も私たちと近い存在になった」と自分では考えています。
これもお互いに尊敬することが大事だとは考えますけれど。
他の関連記事の中で代表的な記事を3つほどリンクしておきます。
・普遍的人類は生命体として全宇宙を満たしているのかもしれない (2010年02月13日)
・進化の仮説(1) - すべての細胞核が持つ元型 (2010年04月13日)
・人類の進化の可能性:大腸菌が獲得する「不死」に見る生き物の本性 (2010年05月06日)
そして、もうひとつ資料を載せておきたいと思いました。
たとえば、「仮に宇宙に生命が満ちていても、宇宙の全部の領域に行き渡るようになるのは気の遠くなるような長い時間がかかるのでは」という懸念があります。
これに関しては、たとえば、理論だけなら約20日間で、「目に見えない一個の大腸菌の細胞分裂のスピードは、天の川銀河と同じ大きさの重量まで増える」というシミュレーションを書いたことがあります。
下に抜粋しておきます。
生命のスピード
・生き物の偉大さ: 「生」と「生きていないもの」の違い (2010年05月11日)より。
これは「一匹の細菌とその子孫に適当な栄養が与えられた場合を考えた場合の増え方」という資料です。一般的な細菌が好ましい環境下で複製に要する一般的な時間である「2〜3時間で一度分裂(複製)」というところから計算するとこうなります。実際には、宇宙空間は最近に好ましい環境ではないですので、これは適用できないですが、「生命のスゴさ」という例としてわかりやすいかと思います。
細菌の増加のシミュレーション
細胞複製1日目・・・最初の細菌は2〜3時間ごとに一匹から二匹へ、二匹から四匹へと増えていく、この最初の1日で約1,000匹の集団を形成する。この数の集団の大きさではまだ人間の肉眼で見えない。
細胞複製2日目・・・細菌の数は100万匹になり、集団の大きさは、針の頭の直径の約10倍程度と、肉眼でも見える大きさになる。
細胞複製4日目・・・細菌の数は1兆匹になり、重さは約1グラムになる。その数は毎日1000倍ずつ増える。
細胞複製5日目・・・重さが約1キログラムになる。
細胞複製6日目・・・重さ1トン。
細胞複製7日目・・・細菌の集団の重さが1000トンに達する。これは山の重量にも匹敵する重さ。
細胞複製11日目・・・細菌の集団の重さがエベレストと同じ重さに達する。
細胞複製13日目・・・細菌の集団の重さが地球の重量を越える。
細胞複製19日目・・・細菌の集団の重さが天の川銀河の重量と並ぶ。
細胞複製22日目・・・細菌の集団の重さが、私たちが「地球から肉眼で見えるすべての宇宙」の重さと匹敵するまでになる。
これは大腸菌(地球などの環境が合っている菌)の例ですが、極限環境微生物などの例を見ても、真空などに耐えられる生命は地球上にさえいくらでもいますので、宇宙空間にはそのタイプの微生物もそれなりにいて、場合によっては「宇宙空間で繁殖」しているかもしれません。
極限環境微生物についての記事は昨年たくさんご紹介しまして、また、昨年はたくさんの科学的な発見のあった時でした。
それらの記事については今度リンクいたします。
とりあえず、こちらの検索結果で過去記事がいくつか出てくると思います。
そして、仮に宇宙の複数でこれらの増殖イベントが事象が発生しても、同時多発で同じことが起きますので、宇宙が物理的にどれだけ果てしなく広がっていても、その広さはあまり関係のないことになります。
単に「最近の天候の話」を書こうとしていたのに、なんだか、ずいぶん回り道をしている感じがしますが、これら「宇宙すべてが生命であり、人類と意志と感情で通じている」という前提がないと、そもそも地球の天候の話はできないようにも思いましたので、書いてみました。
次回から書くかどうかわからないですが、天候のこともこの続きとして今後たまに書きたいと思っています。
まあ、だからといって具体的な解決策が出てくるわけではないでしょうが、地震や噴火も含めて、それらがある意味で「死んだ宇宙が自動的に運行している自然現象」ではあるにしても、人類の意志とどこかで繋がっているという気持ちを持つことで、自然現象というものに対しての捉え方も違ってくるのかもしれないと思います。
あるいは・・・本当にそれらを理解することで、地球の人類は宇宙史上でも珍しいことであると思われる「自然災害と意識の面で対峙できる」という存在になれちゃったりするのかもしれないですよ。
無理かもしれないですけど。
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[追記]
上の昔の記事へのリンクのうち、大腸菌が獲得する「不死」に見る生き物の本性というのを久しぶりに読んでいて、そこにあたった記述を読んで、勇気をもらいました(苦笑)ので、掲載しておきます。
「生命は個体数が 1000分の1になると死ななくなる特性を持っているらしい」という DNA の驚異の働きについてです。そこからの抜粋です。
実験内容:大腸菌群に「個体数の半数が死滅する量」の紫外線を放射する。
途中経過:半数ずつ次々と死んでいき、原子核の崩壊のように次々と固体は減っていく。たとえば、1万から5000に、5000から2500に、と、あっという間に個体数は激減していく。
ある変化:ところが、個体数が「約1000分の1」になった頃、変化が現れる。個体数が「約1000分の1」になった頃、残った固体全体が何と「死ななくなる」。
・・・ということなのです。
「死ななくなる」というのは言い方が間違っているかもしれないですが、要するにその時点で「新しいDNAの修復機能を獲得するようだ」ということのようです。これは何度繰り返しても同じらしく、大腸菌は「個体数が約1000分の1になると、突如、それまでの死の原因に対しての耐性がつく」ようです。
うーむ・・・。
こんなことを書いたこと自体を忘れていましたけど、すごいですね。