2011年05月10日



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宇宙の「自殺」を食い止めるべきかそうではないのか?



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昨日書いた記事「ぼんやりと外を見ていて気付いた「宇宙の計画」、要するに「宇宙の意味とその計画」について書いたものを読み返してみて、最初は「これで書くことは終わりだなあ」という感じがしたのですね。

つまり、2009年頃からクレアなひとときというブログも含めて、感じていたことや生物や宇宙の不思議などの集結点というのは、昨日書いたような「それが宇宙そのもの」であって、そして、それが宇宙の計画そのものだったのかなあと。

ああ、終わった終わった」と肩の荷が下りたような、あるいは気が抜けたような気になって、寝ようとした時に、異常に重苦しい想いというのか、気配というのか、「異常に重苦しい気持ち」に包まれて眠れない。


そして、同時に、どうしようもない「ひとつの確信」が自分の中にあることを感じたのです。

その「ひとつの確信」とは何か。


私は宇宙の話というのは、宇宙の計画というものがわかれば、それで話は終わりだろうと思っていました。つまり、昨日の記事ですべて終わりだと。だって、普通に考えれば、「宇宙の計画」なんて気軽に書ける話じゃないじゃないですか。

それをあんな気楽に書いてる。
自分で読み返しても、多分、(私のいる宇宙に関しては)ほぼ間違いない。

もうこれでいいと。
満足満足と。

あとはもう、今後 In Deep は恋とグルメとナチュラルメイクのブログにでもすればいいと。


しかし、「それで終わりではない」という強烈な思いで一晩中眠れません。


そして、昨晩、自分の頭の中を巣くっていたものの輪郭が朝になるにつれてハッキリとしてきたのです。

それは何か。

まあ、重い話なんですが、昨日の自分の書いたことを丁寧に読み返してみると、宇宙はその「宇宙の計画の始まり」の中に、


・宇宙は自殺のプログラムを自分の計画そのものに組み入れている


ことに気付いてしまったのです。

宇宙は生を持っていないと思いますので、宇宙の自殺とは、「宇宙の消滅」のことです。


そして、このブログでは以前、何度か、私が「23」という数字の呪縛に包まれた、つまり私自身が、「人間よりも獣や悪魔に近い存在かもしれない」ということを書いたことがあります。

その「獣のような私」にどうしてそんなことを気付かせたのかということが意味がわからず、大変に心苦しいことで、昨日も結局、朝方まで布団の中でぐったりとしていました。

「オレはもういいよ」と。
正直、もう、宇宙から解放されたい。


結局、早朝まで眠れず、納豆と目玉焼きと昨日のあまりもののパスタを炒め直したものをおかずにした、ごはんを食べながら考えていました。

「このまま何もせずにいれば、いつかはその宇宙の自殺プログラムというものは多分、作動するんだろうなあ」。

そうは思います。
その場合、どうするか。
まず、

「宇宙の自殺は、人類存在にとっては、さほど脅威なわけではないはずで、放っておくという選択がひとつ」。

つまり、「勝手に消滅しろ」という選択
なんとなく「宇宙の消滅」というのは人類にとっても一大事に思えるかもしれないですが、「そうでもない」ということは理詰めで説明できるはずです。なので、放っておく(消滅するままにしておく)という選択も一応成り立つように思います。


もうひとつが、「それ(宇宙の消滅)を止めてみる」という選択


しかし、私は考えたんですが、私には「そのプログラムを止めてみる」気が今はあまりないのですよ。以前何度か書いていますが、私は若い頃に神経症とパニック障害に苦しむだけ苦しんでいる中で、宇宙を模した紙に、

「殺せるものなら殺してみやがれ」

と書いて、生き方を決意したことがあります。
つまり、いまだに宇宙とは対立関係が続いている・・・と、自分では思っていたのですよ。

しかし、今となってみると、どうも「自分と宇宙の立場は思ってきたものとは違うのかも」と今、感じます。


「宇宙の計画に消滅ブログラムが含まれている」というのは何とも悲しい話で、誰もが「万能の宇宙」と呼んでいる存在そのものが、最初から自分の計画とプログラムに疑心暗鬼だったのか自信がなかったのかはわからないですが、「最初から」自分が消滅するための自殺プログラムも同時に埋め込んでいる。この存在に関しては多くの方々にもわかっていただきたいと思います。宇宙は相当に悲しい気持ちを併せ持つ存在として誕生した可能性を感じます。


それも、その消滅プログラムは「人間」の中に入っているはず。



さて・・・。

どうしたらいいのですかね。
こちらから「殺せるものなら殺してみやがれ」と宣言した宇宙と差し違えるのはどうもおかしい。

しかも、全体的に結構重苦しい話なのですよ。

昨日の宇宙の仕組みの話も基本的にそうだったと思いましたけど、基本的に、曖昧な理念とか思想などが入らないもので、科学的というか「理詰め」の話なので、どうにもならないのです(他の書きようがないという意味です)。

あんまり重い問題は好きではないので、どうしようかなと。

なので、2、3日休んで考えます。

リニューアルして、 In Deep が「お酒とグルメのブログ」になっていたら、私は宇宙の悲しみへの対処を放棄した、あるいはどうしていいのかわからなかったと思って下されば幸いです。

ちなみに、宇宙の消滅プログラムというのは、実は人類の存在には影響しないはずですので、こわいとかこわくないとかいう話ではないです。本来的に宇宙は十分に他人です。他人への愛や憐れみをどう捉えるかということかもしれません。

私は隣人をちゃんと助けられるほど人間ができていないような気がします。


ではまたお会いできると幸いです。
タグ:宇宙