2011年05月24日



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文明の破壊のサイクルの時代: 「街を一瞬にして廃墟とした」米国の竜巻



米国ミズーリ州のジョプリンという町を 5月22日の日曜日に巨大な竜巻が襲い、報道では、100名以上の方が亡くなり、米国での気象局の観測記録が残る1950年以降の竜巻災害として最悪の死者数となったことが報道されています。死者数も確かに大変な災害をあらわしていますが、とにかく「その光景がすさまじい」のです。

これはロイターに5月23日に掲載された今回、竜巻被害に見舞われたジョプリンという街の様子です。あっという間に廃墟と化した街の中で抱き合う二人。

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東北の地震で、私たちは自分たちの国の中であっという間に廃墟と化していく風景を見ていますが、今のアメリカではそれが地震ではないというだけで、「文明の廃墟化」は、日常的に起きています。先日、80年前のアメリカを襲った「 1927年ミシシッピ大洪という資料記事でもふれた洪水もさらにひどいことになってきており、写真ニュースの

Mississippi Flood Pictures

などで現在の様子を見ることができます。

いろいろな意味は別としても、日本を含めて、「世界が廃墟化していっている」ということが理解できる現在の世界のように感じます。

クレアのこちらの日記の一番最後の部分で、「太陽活動の最大期は人間(特に男性)がその時の文明を破壊するために準備されたサイクルなのかもしれない」と思いついたことを書いたのですが、人為的な破壊だけではなく、自然現象も「その時の文明を破壊することに荷担する」というようなこともあるのかもしれません。


当然、「破壊」の後に来るものは「再生」です。


もっと言えば、現状が破壊されないと文明は先に進まないように思います。今の世界の世の中にある国々で、「文化や文明が進んでいるように見える国や地域」が過去にどのような歴史だったかを振り返っても、それは何となくわかるようにも思います。

たとえば日本、たとえばアメリカ、たとえば中国・・・。


今回の再生で文明の何がどのように先に進むかは分からないですが、確かに過去100年くらいだけの短い期間だけでも、「破壊の後には続けて、文明の大きな再生と次への飛躍」が訪れています。

とはいえ、とりあえずこの「破壊」の時期をどう過ごしていくか、というのは課題といえば課題かもしれないですね。個人的には、不安より先に、「起きた事象に対して的確に行動する」というのがよろしいようには思いますが。


ちなみに、過去の太陽活動最大期の特徴は、「膨大な数の人の死」というのが現実としてあります。
これはデータ上、否定しようがありません。

今回は、今朝の USA トゥディのトップ記事の竜巻に関する報道をご紹介します。
竜巻が「いかに前兆なく発生して、あっという間に街を破壊していったか」生き残った人々の言葉からわかります。





Shock, grief and relief grip Joplin
USA Today (米国) 2011.05.24

ショックと悲しみ、そして救援の手に包まれたジョプリン

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▲ 竜巻から一夜明けたジョプリンの光景。


ジョージ・バリューさんは、竜巻の翌日の月曜日にまだ緊急避難シェルターで過ごしていた。ジョージさんは行方不明になっている奥さんのことを心配している。

その時、緊急ボランティアがジョージさんのところにやって来た。

指を骨折していて怪我をしていたジョージさんにボランティアの女性は静かにこう言った。

「あなたの奥さんは無事です。我々が発見しました」。


ジョージさんはその場で、「おお神よ、感謝いたします」と叫び、ボランティアの腕の中に崩れるように倒れた。


「ありがとう。ありがとう。ありがとう」


ジョージさんと妻のデボラさんは、セントジョン地域医療センター近くのアパートに住んでいた。階は一階だ。22日にこの地を襲った「殺人竜巻」の直撃を受けた際に、その前兆や警告的なシグナルは「ほんの数分」しかなかった。

あっという間に竜巻は街を直撃し、米国史上で最悪といえる「ひとつの竜巻での死者数が 116人」という悪夢のような災害となったのだ。

デボラさんはセントジョン医療センターで看護婦として働いており、竜巻の直撃を受けた時も仕事をしていた。ジョージさんはその時、家におり、竜巻が近づいていることに気付いて、家のクローゼットに逃げ込んだ。

そして、竜巻が去った後、外に出たジョージさんが見たものはそれまでとはまったく違った風景だった。妻が勤めていた病院のあった二階建てのビルは根こそぎ倒されており、そこには何も残っていなかった。

ジョージさんはこう語る。


「まずあたりが急に暗くなったんだ。それから、何かこう、すべての空気が吸い込まれていくかのような感じを受けた。その直後から巨大な音が鳴り響き始めたんだ。その音は、今まで私が耳にした音の中で最も大きなものだった。無数の戦車の砲撃を受けているかのような恐ろしい音だった」。


「竜巻が去り、私はすぐにデボラのいる病院に走ったんだ。でも、建物ごとないんだよ! そこに何もないんだ。病院の建物自体がそこにはなかった。そのあたりにあった車はほぼすべてがひっくり返されていた」。


竜巻はこのジョプリン市の中心地を約6キロの距離に渡って完全に破壊し、この町の約 50,000人の人口のうちの 10パーセントから 30パーセントの人々が何らかの被害を受けた。

ミズーリ州の緊急被害管理部は、約 2,000の建築物が破壊されたと見積もる。


悪天候で進まない救援活動

竜巻翌日の月曜日の午後になっても、ジョプリンの各地では、まだ遺体が発見され続けていた。また、病院の精神的外傷(トラウマ)センターは非常に多くの来訪者で溢れていた。

警察は、生存者が多く報告されている地域から救援活動を始めていた。その後も、死者や救援要請が数多く確認されたが、悪天候で救出活動はたびたび中断した。


州知事のジェイ・ニクソンは、「今は祈ることしかできません。しかし、まだ生存している人や救出できる人がいることを確信しています」と言った。この時までに犠牲者数は 116人に上り、負傷者は 500人以上と報告された。

捜索と救出にあたったある担当者は、現場を見て、「核爆弾が落とされたようだ」と、愕然とした。



多大な犠牲

今回のこのジョプリン竜巻の被害は、1947年にウッドワードで 181人が竜巻被害によって犠牲になった時以来、米国での竜巻被害としては最悪のもののひとつとなってしまった。

ジョプリンが町としての機能を回復するには非常に長い時間がかかる。
電話通信機能は携帯サービスを含めて、ほとんどが使用不能となっている。そして、多くの地域が停電となったままだ。千切れた送電線が今でも道路を覆い尽くしている。

また、竜巻は、この町の4つの教会、療養所、ハイスクール、4つの小学校を破壊した。
そして、この町のウォルマートと市民救援センターも破壊された。

知事のニクソンは「驚くべき破壊だ。町が粉々に潰されたかのようだ」と言う。

セントルイスに住む 71歳のメアリー・リーさんは親戚を訪ねて、ちょうどこの町に来ていたところでこの竜巻の被害に巻き込まれた。

メアリーさんは言う。

「その時、この世の終わりだと確信しました。ついに来たんだと。仮に地球の終わりではなくとも、私はこれで死ぬんだと思いました」。

彼女は、従兄弟と共に地階に駆け下り、従兄弟と手を握り合って賛美歌を歌い続けたという。そして、嵐は去り、彼女は助かった。


「主に感謝します。今、私はとても幸せです」


メアリーさんはそう言った。