2011年08月09日



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1970年代後半の第 21太陽活動最大期にジョン・ライドンが夢見た「アナーキー・イン・ザ・UK」の現実



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▲ ウインドウが破壊されたデベナムズデパートの前を胸を歩く若者たち。どことなく堂々としています。 2011年08月08日。ロンドン・クラッパム・ジャンクション駅近くにて。




芥川賞作家の町田康さんという人がいます。


町田さんが今から三十数年前の 1979年に(まだ高校生だったと思います)大阪でやっていたバンドでリリースしたアルバムに収録されている曲に「ガセネタ」という曲があります( YouTube )。


その中にこのような歌詞があります。



パンク? パンクやと? しょーもない、あんなもん。何がおもろいんや。
まともなんジョニー・ロットンだけやないか!



ここに出てくる「ジョニー・ロットン」というのは、 1977年頃に活躍していた Sex Pistols というロックンロールバンドのボーカルのジョン・ライドンという英国人のことを指します。


このバンドの代表的な歌に「アナーキー・イン・ザ・UK」(英国の無政府主義者)という曲があります。


今、イギリスではロンドンを中心に、いろいろな街で若者による暴動が起きていて、各メディアはそのニュースで持ちきりですが、海外のブログで、テレグラフやガーディアンなどのいろいろなメディアのロンドン暴動の報道をまとめているブログがあったのですが、そのタイトルが、


アナーキー・イン・ザ・UK :ロンドン暴動 3日目に突入


でした。





その記事を簡単にご紹介しようと思いますが、ロンドン暴動の報道の内容自体は日本語の記事にもなっていますので、そちらを読まれたほうがよろしいかと思います。

いくつか日本語の記事をリンクしておきます。



ロンドン北部で暴動―黒人射殺がきっかけ (ウォールストリート・ジャーナル 2011.08.08)


などです。


それらを読めば概要はわかると思います。


それよりも、個人的に、現在起きているロンドン暴動に「アナーキー・イン・ザ・UK」という冠がついたことに一種の感慨を感じまして、その「アナーキー・イン・ザ・UK」というタイトルの歌を作り、その歌詞を書いたジョン・ライドンという人が「 1970年代のロンドンで描いていた夢」のことを書いてみたいと思います。



その 1977年の「アナーキー・イン・ザ・UK」の歌詞を適当に訳してみました。




歌詞の中に英語の略語が出てきますが、それぞれ以下の通りかと思われます。


・MPLA =アンゴラ解放人民運動

・UDA =アルスター防衛協会

・IRA =アイルランド共和軍



Anarchy In The UK

オレは反キリストだしアナーキストだ

いったい何を望んでいるかって?
そんなことは知らない

でもやり方は知っている
何もかもぶち壊す
そんなアナーキストになる

オレはイギリスのためのアナーキストだ
イギリスはオレに感謝しろ
交通もインフラもオレが止める

あんたたちは将来こう思う

「ああ、ショッピングがしたい」

もうそんなことはできない
オレが何もかもぶち壊す

それがオレの存在意義

MPLA に UDA に IRA ?
全部 UK だろ
それとも、全部違う国?
議員さんたちからの借地?

アナーキストになりたい
ゾクゾクする響き
アナーキストになりたい
何もかも壊したい





1970年〜80年代に生まれた多くの白人パンクが、商業主義(資本主義)に飲まれていく中で、あるいは自ら「メジャーになること」を目指すしか方向性のなかった中で、ジョン・ライドンが「将来の英国の夢」として描き続けていたことは、


・英国の階級制度の解体

・王室制度の崩壊


でした。



私は若い頃は、こういうのはパンクスとしての建前的な主張、あるいは「若気の至り」かと思っていたのですが、十年くらい前だったか作られた米国の音楽ドキュメントの中で、すでに四十代も過ぎようとしているジョン・ライドンが若い時と同じことを言っていた光景を見ました。


私はそれに軽くショックを受けて、「ジョン・ライドンは本気で音楽で階級制度を破壊しようとしていたんだ」と気づいたのです。そして、1970年代当時、ジョン・ライドンはそれに「失敗した」ことも本人が言っていました。


これは、そのドキュメント番組の中からの写真です。


イギリスの階級制度は放っておけば、いつまでも永遠に続いていく」と言った後の台詞です。


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ピストルズは、当時のパンクブームの中でさんざん商業主義に弄ばれたバンドで、周囲のプロモーターにとっては、彼らの反抗的な態度も、反社会的な態度も「売れるためのキャッチ」としか映っていなかったと思います。


バンドはきわめて短命でした。


ちなみに、彼らの唯一のオリジナルアルバム「ネバーマインド・ザ・ボロックス(邦題:勝手にしやがれ」)は、実際にはボーカル以外の演奏はメンバーがおこなっていなかったことも、当時のギタリストの話によって明らかになっていて、すべて「周囲のプロモーターが適当に虚像を作り出していった」典型例でした。


しかし、結果として、音楽とファッションを含む「パンクムーブメント」はビジネスとして成功してしまったために、後にたくさんのピストルズの亜流を生んでいくことになりました。



若い頃の私はそれ(商業の中で成功したパンク)がイヤでイヤで、一時は、ピストルズは「世界でもっとも恥ずべきバンド」だと思っており、その名を口にするのも恥ずかしいくらいでしたが、数年前から、その考えが変わってきました。


今ではいいバンドだったと思っています。



ピストルズが登場した 1977年頃は太陽活動のサイクル21の最大期(黒点が最も多い時期)でした。


そして、30年以上の時間が経過し、現在は サイクル24の太陽活動の最大期に私たちはいます。



現在、ロンドンで暴動を起こしている若者たち --- それはともすると、ピストルズを聴いたこともない -- と、1970年代の若者たちの間には確かに精神的な共通項があるような気がします。


ただ、 1970年代と現在とで違うのは「当時は(パンクという)音楽でのはけ口があった」が、今はありません。私は十代の頃から、「パンクが社会的な暴動を抑圧するツールのひとつ」であることは感じていました。


街やビルを壊すのではなく、「ライブハウスで破壊行為をしたり、観客同士で暴力を振るう」ことにより、一般社会には何の危害も広がらない。


そういうシーンを1980年代の東京でもたくさん見てきました。



私はその頃、「パンクじゃなくてもいいけど、この世に音楽での受け口がなくなったら、世の中は終わりだな」と思っていました。



そして、今はそういう「受け口」は、この世にほぼありません。



つまり、若者たちは音楽や文化へと逃げるのではなく、「現実に目を向ける」しかありません。

それが現在の下の写真にあるようなロンドンかもしれません。



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▲ ロンドン・ハックニー地区の路上にて。8月8日。




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▲ ロンドン・トッテナム地区のメインロード。8月6日。




下の写真は別の米国の音楽ドキュメント番組のオープニングです。


これは写真ですが、番組では、ピストルズとわりと同じような時期にロンドンで活躍したザ・クラッシュというロックバンドのボーカルだったジョー・ストラマーという人が語りをつとめています。


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ジョー・ストラマーは、「当時のロンドンには何もなかったんだ」と言います。

この「何もない」というのは今も同じように私には思います。




オレたちの幸福はどこにあるのか?と探し回る人々


今後、ロンドンがどうなるのかは知らないですが、若者でも誰でも、すべての人は「自分の居場所」と「自分の精神的な拠り所」だけを探して生きていると私は思っています。



いつ頃からか、その「存在意義を表す」ものが、金銭だったり、社会的立場だったりするようになり、つまり、「自分は自分であって、自分が自分であることだけが誇りでありうれしいことである」という意見が成立する風潮は消えました。


どんなに「自分はすてきだ」と思っていても、職もなく、金もなく、結婚もしておらず、学歴もなく、性格も悪く、ルックスも悪く、何の特技もなく、資格もなく、絵も描けず、楽器も弾けず、異性にも同性も好かれず、得意なこともなく、運動もできない・・・というような人が「それでも私は私が誇りだ」と言いにくい現状。


どうしてなんでしょうね?


言ってもかまわないと思うんですが。

「言ってはいけない」ような風潮のこの世の中。

何か取り柄がないとダメなようなこの世の中。


まあ、上に挙げた例ほどひどい人はちょっとひどいですが(笑)、何にしても、「自分は自分でOK」と心から思えればそれでいいのではないですかね。



そんなこと(自分は自分であるのでOKだ)を堂々と言える世の中は、私の生きている間にはこないと思っていましたが、最近なんとなく「そうでもないのかなあ」とも思います。



来るのかもしれないし、来ないかもしれないし」という感じでしょうか。



これからの世の中は、まだまだいろいろと大変だとは思いますが、あと数年、あるいは数十年、あるいは数百年、あるいは数万年(そりゃ生きてない)待てば、「自分は自分でOK」という世の中もくるかもしれないですし。


暴動や紛争は起こらないで進んだほうがいいですが、少なくとも白人の社会はいつでも「暴力での改変」ばかりしてきていますので、仕方ない面はありそうです。


でも、日本人は違うと思います。


そんな暴力なんて面倒くさい課程を経なくても変わることができるのでは。

あと数年か数十年、あるいは数百年か数万年かはわからないですが。



なんだか長くなってしまいましたので、ロンドン暴動の記事自体はまた今度にでも。

事態が拡大するのか沈静化するかにもよりますが、また記事にすると思います。

2009年のギリシャの暴動と、今回のロンドン暴動はどうしてだかわからないですが、胸に響きます。


英国の人たちに幸あれ。

そして、人類にも幸あれ。