・あらかじめ予測されていた小氷河期の到来(1)
・あらかじめ予測されていた小氷河期の到来(2) 鎖国と富士山大噴火を生み出した前回マウンダー極小期
・あらかじめ予測されていた小氷河期の到来(3) 強い太陽活動は 1800年代に終わっていた可能性
・あらかじめ予測されていた小氷河期の到来(4) 太陽活動極小期は何をもたらすのか?
・あらかじめ予測されていた小氷河期の到来(5) 地球の天候への太陽の影響

▲ 通常に考えると、太陽活動の極小期には数十年間に渡って、宇宙線の地球での観測量が増え続けると思われます。
前回記事では、世界中の太陽物理学者たちなどが、過去でいえばマウンダー極小期と呼ばれる「太陽活動が弱い時期」に入るのではないかということが議論されていることを書きました。
本来なら、今回はその記事に出てきた NASA の太陽物理学者のインタビューの翻訳の続きなのですが、今回はいろいろと書きたいこともあって、翻訳は後回しになるかもしれません。
書きたいことについては、大まかに2つで、1つは前回のマウンダー極小期と呼ばれる「太陽活動の極小期間」の前後の時期(1645年から1715年)に、「日本では何が起きていたか」ということ。
もうひとつは、最近、久しぶりに毎晩、夜中、夢によって叩き起こされていて、そこで見たことなどをクレアでくるったように書き殴っているのですが、昨晩の夜中に書いた「覚醒とは何か(7) この世に「真空があること」を許さない宇宙線の存在」という記事に宇宙線のことにふれました。
太陽活動が弱いと地球への宇宙線の到達量は増えます。つまり、「太陽活動の極小期間」というのは、「長い期間に渡って、地球と人間が宇宙線の影響をふだんより受ける期間」ということもいえそうな気がします。
何しろ、宇宙線はどこでも通過していきますので、人間の細胞や DNA に常にふれているはずです。そして、体内の物質とも核反応を常時起こしているはずで、その数十年間は「いつもの数十年とは少し違う感覚や感情」が生まれる可能性もあります。
なので、過去の歴史では極小期とは何が起きて、どんな感じだったのか。
それを考えてみようかと。
約 300年前の日本のことです。
・前回のマウンダー極小期に、日本で起きたこと
ところで、「マウンダー極小期」という言葉は一般的には馴染みのない言葉のように思いますので、以下、「太陽活動の極小期間」という一般名詞と併記します。
この「太陽活動の極小期間」は、1度突入すると数十年のあいだ、太陽に黒点が出ずに、弱い太陽活動が続く期間ですが、過去 8000年で 18回も突入しているので、近代の歴史の中だけでも、特別異常な状態とはいえず、サイクル的にやってくる、わりと普通の自然現象です。
日本の四季では、春→夏→秋→冬というように季節は回りますが、年によって、季節の到来の時期が少しズレることがあっても、「秋はいつかは来る」。それと同じで、「マウンダー極小期もいつかは来る」ということでよろしいかと思います。
前回記事で私は、「小氷河期」というような言い方をしていますが、いわゆる本当に寒くなるような氷河期の到来は過去 45万年のサイクルからいえば、10万周期以上のサイクルですので、少なくとも、あと 9万年くらいは氷河期のようなものは来ないと思います。
ちなみに、私は「太陽活動の極小期間」というものがもたらすものは、気温の低下などによる「太陽の直接の影響」よりも、どうも「人の心」というものと関係しているような気がしてなりません。
前回のマウンダー極小期は、1645年から1715年とされていますが、下のグラフを見ると、実際には1630年代の終わりから急速にその黒点の数を減らしていることがわかります。

このマウンダー極小期の直前の「急激な黒点の減少」の時期に何が日本で起こっていたか。実は、この時期は日本の近代史の中で最もダイナミックなイベントが完成した時期でした。
それは、鎖国です。
鎖国令(Wikipediaより)
・1633年 第1次鎖国令。奉書船以外の渡航を禁じる。また、海外に5年以上居留する日本人の帰国を禁じた。
・1634年 第2次鎖国令。
・1635年 第3次鎖国令。外国船の入港を長崎のみに限定。日本人の渡航と帰国を禁じた。
・1636年 第4次鎖国令。
・1639年 第5次鎖国令。ポルトガル船の入港を禁止。
・1633年 第1次鎖国令。奉書船以外の渡航を禁じる。また、海外に5年以上居留する日本人の帰国を禁じた。
・1634年 第2次鎖国令。
・1635年 第3次鎖国令。外国船の入港を長崎のみに限定。日本人の渡航と帰国を禁じた。
・1636年 第4次鎖国令。
・1639年 第5次鎖国令。ポルトガル船の入港を禁止。
太陽黒点の減少から、「太陽活動の極小期間」に向かうまでの期間に沿うように、日本で鎖国が完成していくことがわかります。
この「鎖国令」というのがおざなりな法律ではなかったことはおわかりかと思います。日本はこの後、本当に鎖国という状態に突入していきます。日本は「マウンダー極小期に導かれるように」鎖国という、世界でも前代未聞の政策を実行します。
鎖国と共に始まった「日本のマウンダー極小期」。
他にはどんなことがあったのでしょうか。
簡単になりますが、印象的なことを挙げておきます。
・富士山の宝永大噴火(1707年)
現在までにおける歴史上最後の富士山の噴火となっていて、歴史時代の富士山三大噴火の一つとして数えられる宝永の大噴火が起きたのもマウンダー極小期でした。

▲ 宝永の富士山噴火の様子を記した伊東志摩守日記の写本。富士山の宝永大噴火より。
上記イラストの掲載されている『富士山の宝永大噴火』というページには、その様子がこのように書かれてあります。
駿河国の駿東郡から神奈川県域にかけては、大量の火山からの噴出物の降下に見舞われ大被害となった。
数グラム〜10数グラム、中には190グラムもある石が降り始め、夕刻からは黒砂に変わって大雨のように降り続いた。 隣家との行き来もできず昼間でも火を灯して食事をした、と足柄上郡篠窪村の名主はその様子を記録している。
砂の深さは、駿東郡では1メートルをこえた。
このような大噴火でした。
富士山とは関係ない話かもしれないですが、仮に宇宙線が火山の噴火に関係あるのだとすると、宇宙線量の放射量が何十年も増え続ける太陽黒点の極小期に、大きな火山の噴火が頻発するのは理解できなくはありません。実際、現時点で火山活動は全世界で非常に活発です。
ところで、火山の噴火はいつでも「悪いもの」としてばかり取り上げられます。
しかし、「上なるものは下のごとく」で有名な ヘルメスのエメラルド板 を知ってから、私はその考え方を変えつつあります。
上のリンクの記事で訳した中に「この世界の創造の秘密」の中に、
それは地上から天へ昇り、また再び地へと戻り生まれ変わります。
そして、上のものと下のもの両方の力を身につけます。
とあります。
In Deep のいくつかの記事などでは「上のほうから来るもの」についてはイヤというほど取り上げています。
宇宙から降りてくる、降ってくる、いろいろなもの。
では、下からは?
下から「来る」ものが上からのものと同じように存在しなければ、この世は成り立ちません。
下からのもの。
つまり、地球内部から地上へ向けて物質が大放出される大きなイベントがあります。
それが噴火です。

噴火の正体はこのあたりにあると考えます。
火山の噴火は大災害と人間生活への苦しみを伴いますが、しかし、それと同時に「地下から表に出なければならない何か」を噴出する役割だと感じたりします。まあ、これは漠然と感じただけですので、テキトーな話ですが、「災害は何もかも悪い」と考え続けてきた近代文明から脱出する考え方のひとつが、実は西洋神秘学や日本の神秘学にもあるのかもしれません。
私は相変わらず死ぬほど不勉強で、そのあたりのことがわかりませんが、火山にしろ太陽フレアなどにしろ、ガンマ線バーストなどにしろ、「上から来るものだろうが、下から来るものだろうが、それらには意味がある」と確信めいています。

▲ ヘルメスのエメラルド板。これは17世紀版。
何だか長くなってきている感じがしますが、この「鎖国」と「富士山の大噴火」は、共に日本にとっては大きなイベントだったはずですので、いろいろと書きました。
その他に個人的に印象的だったことをいくつか。
・生類憐れみの令
江戸時代、当時の将軍だった徳川綱吉さんが発令した、世界的にも珍しい「生類憐れみの令」もマウンダー極小期に出されています。
生類憐れみの令は、
1687年 「魚鳥類食料禁止」
から始まり、
1700年 「活魚の売買禁止」
までかなりの数が出されますが、しかし、今回調べていて、この「活魚の売買禁止」にまで及んでいたというのは驚きました。
この法令の途中では、
「1691年 犬・猫・鼠に芸を覚えさせて見世物にすることを禁止」
などというものもありました。
よくわからないですが、将軍さん自身、相当いろいろと考えて、次第に混乱してきたのかもしれません。「動物を保護しよう」という姿勢が悪いわけはないですが、人間との共生という意味で混乱したようです。しかし、「この人間と動物の関係に対しての考え方」は、世界でも例を見ない、ある意味では先駆的なものだったのかもしれません。
天下の悪法と言われながらも、人々が今に至るままで心に引っかかったままの「生類憐れみの令」という日本での法律も、マウンダー極小期に起きたものです。
・飢饉
マウンダー極小期は飢饉と関係していると言われますが、確かに多少は関係ありそうです。
この時期の大きな飢饉は、江戸四大飢饉というページによりますと、江戸の四大飢饉と言われるものが、
寛永の大飢饉 1642年〜1643年 全国
享保の大飢饉 1732年 中国・四国・九州地方の西日本各地
天明の大飢饉 1782年〜1787年 全国
天保の大飢饉 1833年〜1839年
で、他にも、
元禄の飢饉 1691年〜1695年
宝暦の飢饉 1753年〜1757年
延宝の飢饉 1674年〜1675年
天和の飢饉 1682年〜1683年
それと、名前はないながら、
1619年の飢饉
1675年の飢饉
1680年の飢饉
も被害は大きかったようです。
この中で、マウンダー極小期のあたりに該当するものとしては、寛永の大飢饉、延宝の飢饉、天和の飢饉などがそれにあたるようです。上のページにもありますが、江戸時代は全体として寒冷な時代であったといい、凶作や飢饉が絶えなかったようです。
以上、大ざっぱでしたが、前回のマウンダー極小期に、日本で何があったかを書いてみました。
宇宙線の量とマウンダー極小期の関連については、少し長くなりすぎると思いますので、いつかの機会にしたいと思います。
よろしければ、クレアの昨晩の日記「この世に「真空があること」を許さない宇宙線の存在」という記事で宇宙線のことに少しふれていますので、ご参照いただければ幸いです。
ただ、クレアはこちらの In Deep とは違って、今ではまるで「夢の記録日記」と化していて、ただ夢で見たことを無意識で書き殴っているだけみたいなもので、何も調べないですし、内容の検証もしていませんので(書き終わるまで何が書き上がるか自分でもわからない自動書記状態)、あくまで娯楽としてお読みいただければ幸いです。
次回は、 NASA の太陽物理学者のインタビューの翻訳に戻ります。